1960年のまとめ情報

1960年』の解説

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。

他の紀年法

※檀紀は、大韓民国1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。

※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国1997年に制定された。

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芸術・文化・ファッション

  • 1960年の文学
    • 芥川賞
      • 第43回(1960年上半期) - 北杜夫 『夜と霧の隅で』
      • 第44回(1960年下半期) - 三浦哲郎 『忍ぶ川』
    • 直木賞
      • 第43回(1960年上半期) - 池波正太郎『錯乱』
      • 第44回(1960年下半期) - 寺内大吉『はぐれ念仏』、黒岩重吾『背徳のメス』
  • 1960年の流行語
    • 声なき声
    • 低姿勢
    • 所得倍増
    • 私はウソは申しません
    • 家付き・カー付き・ババ抜き
  • 1960年のコマーシャル
  • 1960年の新聞広告
    • お口の中は南極です(ロッテ)
    • 洗って着るまで20分(日立電気洗濯機)
    • 色は日立のお家芸(日立カラーテレビ)
    • ビールつくり三代(アサヒビール)
    • 胸もとはホノボノ 足さきはポカポカ(松下電気毛布)
    • 独身男性は電化する(三洋電機)
    • ホロ馬車と彼女(朝日麦酒)
    • 国産初の電子計算機オールシステム完成!(日本電気・電子計算システム)
    • インスタント時代のスター!(マックスウェル・インスタントコーヒー)
    • 日本で最初のガスライター(マルマン・ガスライター)
    • ニッポンの誇りがまた一つ!(ソニー・トランジスタテレビ)

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フィクションのできごと

  • 4月1日 - 地球暦でのこの日、キン肉星第8病院にてキン肉マンが誕生。(漫画『キン肉マン』)
  • 時期不明 - ジャミラが誕生。(特撮テレビ番組『ウルトラマン』)
  • 時期不明 - 地質探査用に独自開発した超音波探知機を用いて地球のを走査していたハンコック教授が、地下15マイルに都市と思われる人工物が広がっていることを発見する。(小説『』)
  • 時期不明 - ミーニャ・ミハイローヴナ空軍中尉とロボット「イワン」を乗せたソ連の月ロケット「ウラル」が人類初の月着陸を目指すが、月の裏側への着陸時に崖崩れによって遭難してしまう。(漫画『鉄腕アトム』「イワンのばかの巻」)
  • 時期不明 - キュアフラワーこと五代薫子(現姓:花咲。当時17歳)、砂漠の使徒と戦いデューンを退けるも、ココロパフュームが壊れて変身能力を失う。(アニメ『ハートキャッチプリキュア!』)
  • 時期不明 - 男女2名を乗せたボストーク宇宙船によって人類初の有人宇宙飛行が行われるも、地球周回軌道上でUFOの襲撃を受け、再突入に失敗し2名は死亡。その存在は公表されず。(小説『妖精作戦』)
  • 時期不明(恐らく秋から冬まで) - ウィリアムB.J.ブラスコビッチが14年間の植物人間状態から目覚める。同年度の冬にナチス親衛隊大将であるデスヘッドの本拠地に再侵攻する。(コンピューターゲーム『』)

外部リンク

  • Huntley Film Archives
  • 1960(昭和35)年「豊かさ」に関する意識の変容(3)冨貴島明、城西大学、2005-06

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1960年』に 関連する人気アイテム

一外交官の見た明治維新〈上〉

5つ星のうち 5.0名著!

(参考になった人 39/39 人)

アーネスト・サトウ(Earnest Satow)による名著。日本人の記録した幕末維新の日本よりは、はるかに実直であると感じた。シーボルトとならんで、日本の姿を欧米人の目から見た貴重な記録だ。ただ、この著は、サトウが公刊したものであり、元外交官として、表現や公開を控えなくてはならない部分に遠慮が感じられる。

その意味では彼の日記のほうが、もっと真実をずばりと述べた迫力があるので、サトウに関心を持つ方は、ぜひ、公使時代の日記もお奨めしたい。例えば伊藤博文との30回以上にわたる煩雑なやりとりの正直な記録などが、日記ではリアルに読めるのだ。

ただし、日記の翻訳版は非常に高価であるが、英文の読める方は原文版を購入すれば、格安で購入できる。

なお、萩原 延壽著の「遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄 」は、アーネスト・サトウ研究の日本人による大きな成果として、この書に続いて読むべき資料として推薦したい。なにしろ、このサトウの書は、サトウの第一次日本滞在だけの記録になっており、後年の第2次滞在以降の大活躍は、まったく記録されていないからだ。

なお、本書の英文版はGutenbergなどでダウンロード無料だ。原著の英文の素晴らしさが味わえるだろう。なお、この書は終戦前は日本では発禁本であった。

あの司馬遼太郎が、明治維新におけるアーネスト・サトウの果たした役割の大きさを非常に評価している。やがては、外交官として公使にまで
出世をするが、初めて日本に来た時は、まだ20代初め、通訳として活躍した英国人アーネスト・サトウの日記である。卓越した語学力と日本文化や
風俗への限りない理解の深さによって、当時の上司であるハリー・パークス卿などの日本に対する英国の国家戦略立案に大きな役割を
果たした彼の日記である。当然、執筆の専門家ではない彼の日記は、決して面白くてわくわくするような小説的装飾はない。

感情も出来るだけ
抑えて表現されている。だが、当時英国政府が、他の国とは大きく異なり、日本人の物の考え方への、偏見の少ない分析や公平な判断を
することで、崩壊しつつあった幕府とは袂を分かち、薩長を中心とした倒幕勢力とうまく付き合ってきたことが、非常によく理解できる書物と
なっている。当時、まだ、20代半ばの若者ではあったが、尊皇攘夷の下、身の危険を常に感じながら、英国の国益を一義として外交を
進める英国において極めて重要な役割を果たしたサトウ。彼の活躍だけでなく、生き生きとし描かれる当時の日本の描写は、歴史的にも
貴重な資料であることは二言を待たない。

日光中禅寺湖畔に旧イギリス大使館の別荘があります。 この著者であるアーネストサトウが造ったという。 約150年前の明治維新前後の日本の混乱していた状況なかに通訳として赴任した一イギリス青年が、当時難解な日本語を龍緒に話せる程にマスターして薩摩藩の西郷や大久保その他多くの当時の重鎮な人々との関わりを持った事や、当時の日本環境とは真逆な西洋の青年が日本で割と自由な生活を楽しんでいる様子が、この本(上巻・下巻)を通して想像できます。 この本は、アーネストサトウが自分の日本滞在中の日記から回想禄として纏め編集発刊されたので小説とは違って、平坦な文章ですが、当時の日本を知る上で面白いですよ。

金閣寺

三島由紀夫の金閣寺の創作ノートには、本作の主題として「美への嫉妬、絶対的なものへの嫉妬」という言葉があり、また冒頭部分で金閣寺が美の象徴として父親から語られている。しかし、文中の様々な記述から、私には金閣寺が主人公にとって「美」ではなく「大いなる女性という元型(グレートマザー)」のような無意識にある母性の投影ではないかと考える。

「又そこに金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌したのである」(P163)

乳房は母性の象徴であり、「乳房=金閣=母性」が表れている。



「下宿の娘は遠く小さく、塵のように飛び去った。娘が金閣から拒まれた以上、私の人生も拒まれていた。隈なく美に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできよう。」(P134)
「それは人生から私を遮断し、人生から私を護っていた。」(P119)

母性には育てる、慈しむという面と、その反対の包み込んで腐らしていしまう、すべてを飲み込んでしまうという特徴がある。主人公が自分の人生に直面しようとしたとき、それを阻止しようとするかの如く金閣が立ち現われて包み込むのは、母性のマイナス面が目前に表れたと考える。

〇主人公の性格について

「吃りは、いうまでもなく、私と外界のあいだに一つの障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。(略)いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、そうしてそれだけが私にふさわしく思われる。鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりである。」(P7)

主人公には「吃り」のため、内界と外界の「あいだ」に時間的な「裂隙」がある。そのためうまく現実との折り合いをつけることができずに内面が膨らんでいくことで、意識が無意識に侵食されやすくなる。

「美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。」(P28)

現実にある金閣よりも内面に置かれている金閣が優先するのもそのためである。

〇主人公の母

「ええか。もうおまえの寺はないのやぜ。先はもう、ここの金閣寺の住職様になるほかないのやぜ。和尚さんに可愛がってもろうて、後継ぎにならなあかん。ええか。お母さんはそれだけをたのしみに生きてるのやさかい」
「あほ。こんな吃りが兵隊にとられたら、日本もおしまいやな」

他者現実がないナルシシストの母は、主人公の男性性を否定することで自分の思うように息子を操ろうとする。以前母親の不義を目撃したこともあって、主人公は心から憎んでいる。

〇主人公の父

病弱な「田舎の素朴な僧侶」であり、妻の不義の現場を目撃する息子の顔をその手で覆い隠してしまう、弱い男性性の象徴。

〇金閣寺への破壊願望

「しかし、やがて金閣は、空襲の火に焼き亡ぼされるかもしれぬ。このまま行けば、金閣が灰になることは確実なのだ。」(P46)
「とうとう空襲にやかれなかったこと」(P68)
「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」(P165)
「金閣を焼かねばならぬ」(P205)
「二度目には迸る喜びに変わっていた。これが女の腹だ、私は思った」(P83)

男性が母性の呪縛から自立しようとするのは本能的なものであるが、適切行うためには父性、男性性が必要である。しかし、主人公は父から、そして鹿苑寺住職からも父性的なものを得ることができなかったため、その代わりに母性の象徴である金閣寺が破滅することでの開放を願った。ところが、終戦により永遠に成し遂げられないこと、娼婦の腹を踏む快感を味わったことで母性的なものを穢したい願望を持ったことから、自ら焼こうという意志へと変化したのであろう。

「息子にとってアニマは母の強大な力のなかに隠れているが、このばあいには往々にして彼は生涯(母とのあいだに)感傷的な結びつきを残しており、それがこの男性を決定的に挫折させるか、あるいは逆に彼の勇気をかきたてて無茶な行為に走らせることになる。」(C.G.ユング「元型論」P63)

私には主人公の溝口と三島由紀夫が重なってしまう。

「彼をつけながら、私は私自身の行為を前以って見届ける心地になっていた」(P217)

これは主人公が不審な大学生を見ての言葉だが、本当は三島由紀夫が主人公を見て言っているのかもしれない。男性性を求め母性から逃れる、その結果が破滅的であったという相似はとても偶然とは思えないのである。

はたして主人公は金閣寺を焼いて開放されたのであろうか?別の形の「金閣寺」が再び立ち現われ、行為の無意味さに絶望したのではないかと考える。

5つ星のうち 5.0金閣寺の効能

(参考になった人 4/7 人)

金閣寺の効能というのもがあったなら、自分の中に「美しい悪」を持てる事だろう。

最初、性根が暗い主人公の少年の心情に付き合わされ、気持ちが暗くなるのではないかと思ったが不思議と違った。この少年の憎悪が生んだ美しいものを、読者はしばし自分の中に保つことができるのだ。何かと脳ミソが疲れやすい現代社会の中にあって、例え悪でも確固たる美のようなものが体の中に残ると、密かな宝石を持っているような心のよりどころになる。それも悪と通じた高貴な?美なので気持ちも引きしまる。悪といってもナイーブな少年の悪なのでたいしたものではないのだが。



そして繰り返し出てくるいちいち美しい情景だが、それを表す文体が意外とと親しみやすい。

一つの理由は映像的なシーンが多いせいかもしれない。
例えば渡り廊下の下に隠れているときに上を憲兵が急いで通ったとき、「板敷きの渡殿を踏みちらす靴音が、ごく軽やかな音になって舞い落ちてきた」。音が視覚的に表現されていて、きれいというか典雅というか、それと同時にわかりやすい。その後憲兵が懐中電灯の光を散らすシーンも映像的に印象的だ。案外、マンガが好きな読者は金閣寺と相性がいいかもしれない。それに最近のマンガの映像表現は多様で、映像を表現する小説の文体も多様で発見があるかもしれないので。

親しみやすいもうひとつの理由は、ちょっととぼけた、あるいははすから見たような、擬人的な表現をしている事かもしれない。この擬人的に表現される風景は心なしか主人公の孤独を埋めている;しかし埋め切れず、「美」が入り込んで育つ土壌が残る。この物語では少年をどもらせ、周りから拒絶された空洞をつくりあげ、憎悪の力でもって美を確固としたものに育て上げている。私たちはその悪の滴をちょこっと分けてもらうことができる訳だ。

5つ星のうち 5.0聖と俗、美と醜

(参考になった人 1/1 人)

.
名作として世評が高く、三島由紀夫の代表作の一つと目される作品である。海外の評価も高い。
1950年(昭和25年)7月2日未明に実際に起きた放火事件に着想を得ており、作中では
金閣寺の修行僧たる一青年についての、生い立ちから放火に至るまでの心理的変遷について、
丁寧に三島の視点で構築し、文学作品として構成している。

主人公(放火犯)における「美」の象徴たる金閣寺が、静謐で圧倒的な「美」なるがゆえに主人公の
内面に立ちはだかる 世俗における既存の序列・権威付けの象徴として、破壊さるべき障害物に変容
してゆく様子が、作中の様々な出来事を通じて説得力をもって描かれてゆく。



なぜ最後に 「 放火 」 しか残らないのか、他に金閣を乗り越える方法がなかったのか、という素朴な疑問
は残るが、こういった「美」の観点に立脚した金閣寺放火事件の動機の構成も、アイデアに富んだひとつの
プレゼンテーションとして面白い。
着想の奇抜さと、脚色・演出の巧みさが相俟って好作品に仕上がった例であろう。

それぞれの登場人物の設定が、やや " 理念型(イデアルティプス) " に過ぎる印象を与える点を除けば、
聖と俗、美と醜 など対比的な人物・環境の設定も、三島らしく周到に準備された手練を感じさせる力作。

江戸川乱歩傑作選

「赤い部屋」で語られる狂気の殺人遊戯!!

《 冒 頭 》

異常な興奮を求めて集まった、七人のしかめつらしい男が

私もその中の一人だった

わざわざその為にしつらえた「赤い部屋」の、緋色の天鵞絨で張った深い肘掛椅子にもたれこんで、今晩の話し手が、何事か、怪異な物語を話し出すのを、今か今か今か、と待ち構えていた。

七人の真ん中には、これも緋色の天鵞絨で覆われた一つの大きな丸いテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台にさされた三本の太い蝋燭が、ユラユラと微かに揺れながら燃えていた。



部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅の重々しい垂れ絹が豊かな襞(ひだ)を作って懸けられていた。

ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血のようにも、ドス黒い色をした垂れ絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師を投げかけていた。

そして、その影法師は、蝋燭の焔をにつれて、幾つかの巨大な昆虫ででもあるのかのように、垂れ絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら、這い歩いていた。

いつもながら、その部屋は、私を、ちょうど途方も無く大きな生き物の心臓の中に坐ってでもいるような気持ちにした。

私には、その心臓が、大きさに相応した鈍さをもって、ドキンドキンと脈打つ音さえ感じられるように思えた。

誰も物を言わなかった。

私は、蝋燭を透かして、向こう側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、なんということなしに見つめていた。

それらの顔は、不思議にも、お能の面のように、無表情に微動さえしないかと思われた。

やがて、今晩の話し手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次のように話し始めた―

《 解 説 》

日本探偵小説の父・江戸川乱歩が、大正14年4月に、雑誌「新青年」に掲載した、短編探偵小説です。

創元推理文庫

『D坂の殺人事件』に収録されています。

その他、

新潮文庫の「江戸川乱歩傑作選」

光文社文庫の「江戸川乱歩全集・第1巻 屋根裏の散歩者」
などにも収録されています。

―夜な夜な紳士達が集まり、
怪奇談・猟奇談などを語り合う「赤い部屋」―

新入会員T氏が語る体験談は、恐るべき殺人遊戯だった!!!

彼は、言う、

「私はある日、ふとした事故から、

証拠を残さず、

法律にも裁かれない、

『殺人方法』を発見しました。

私は今まで、その方法で99人の人間を面白い半分に殺してきました」

その方法は、

1 動機を疑われることがない。

2 物的証拠が残らない。

3 ほんの些細な行為で済む。

4 法律的に犯罪を立証することは困難。

というものです。

具体的にどんな方法なのか詳しくは本文を読んで頂ければ、と思います。

一読して

「こんな完全犯罪があるのか!!!」

と驚嘆すること間違いなしです。

いわゆる

「プロバリティ=蓋然性の犯罪」

を扱った探偵小説として、本作品を強く推薦いたします。

何を思ったのか衝動的に本書を購入しました。
古い作品なので多少分かりにくい表現や、今では差別的な表現が含まれていますが、今の人が読んでもおもしろい作品ばかりでした。

「ニ銭銅貨」「ニ廢人」「D坂の殺人事件」「心理試験」「屋根裏の散歩者」は、本格的な推理小説として鑑賞に値するもので、終盤のどんでん返しには、乱歩にしてやられたという気持ちになりました。読者の思考の先を読む乱歩の文才に感服しました。

「赤い部屋」「人間椅子」「鏡地獄」は乱歩の得意とするもうひとつのジャンルといえる怪異小説とでもいうべき作品で、どこがおもしろいかは説明できないのですが、引き込まれました。



「芋虫」だけは読んでいて気分の良いものではなかったです。ただ、終盤の「ユルス」という文字を発見するシーンでは少し感動しました。

結論、どの作品もすばらしいものばかりでした。短編ばかりなので読みやすいですし、文庫本なのでお値段も安く大変満足しています。

. 限られた紙数の中で、短・中編を選出すれば、おそらくこの順番になるであろうと思われるほど、 「選出眼」が光る傑作集である。 とりわけ、戦前に当局より発禁処分を受けた、異色の問題作「芋虫」の選出は特筆される。 (世評の高い 「 押絵と旅する男 」 の採録が欠けているが、同文庫「名作選」の方に収められている。 ) いずれにしても、本書は乱歩の初期から後期にいたるまでの傑作選として、その名に恥じない作品集であり、 この文庫をきっかけにして、長編を含む乱歩の愛読者が増えることを強く期待したい。

バレエ星

5つ星のうち 5.0懐かしい

(参考になった人 5/5 人)

先日、巴里夫(昭和40年代に「りぼん」等で活躍した漫画家)を検索していて、画面の端にこの「バレエ星」の紹介があって、びっくりしました。1969~1971年にかけて、2年下の妹の学年誌に連載されていた物語で、これまで一度も単行本になっていない作品だったのが、50年近くたってから単行本化されていたとは。
当時は小学校低学年の子の多くが小学館の「小学1年生」「小学2年生」「小学3年生」を読んでいて、この谷ゆき子先生の作品を読むのが楽しみでした。毎月買ってもらうのは無理でも、同じクラスの子のを見せてもらって、この谷作品だけ読んだものです。

小学4年生にもなると、「りぼん」や「マーガレット」に移っていくのですが、低学年の女の子の読む漫画といえば、この谷作品だったのです。
私の学年は「赤い花白い花」で、訳あって別々に育てられた双子の姉妹(片方は裕福な両親のもとで育ち、もう一人は使用人に預けられた)がバレエ教室で出会って親しくなるという話でした。この話は連載期間が1年半ほどだったし、一部省略でしたが総集編も出たので、全体を読むことができましたが、「バレエ星」は3年もの長期連載で、学年も違ったため、最後まで読むことができず、単行本にもならなかったため、結末が分からず残念に思っていました。
これまで単行本化されなかったのは、原画が残っておらず、原画無しの復刻はお金がかかるためだったそうですが、こうして最初から最後まで通して読むことができ、大変喜んでいます。720ページもの作品を完全復活させてくれた企画者、出版社に感謝します。連載時の雑誌からスキャンして作られたため、欄外の文字や「〇月号に続く」や、読者の投書まで掲載されています。また、谷ゆき子の他の作品や、彼女のイラストの付録の紹介があって、とても懐かしかったです。谷作品では、この「バレエ星」より後の作品は全く知らない(私の学年より1年上の「かあさん星」と1年下の「白鳥の星」は1~2回読んだだけ)のですが、この「バレエ星」が最長の作品で、彼女の最高傑作なのではないかと思います。
ストーリーはというと、前半は荒唐無稽で結構笑えるのですが、後半、バーバラが登場したあたりからはバレエ中心となり、大人の鑑賞にも耐えるものとなっています。ただ、小学生のはずなのに、学校へ行く場面が1箇所しかなかったり、後半は16歳以上の大人でないとこれは無理という展開になっているなど、ツッコミどころはたくさんあります。
カバーをはずした表紙や裏表紙にも、その後の話があり、大変手の込んだ造りとなっています。

以前に読んだ牧美也子『マキの口笛』の完全復刻版が面白かったので、昔のバレエ漫画の人気作ということで、谷ゆき子『バレエ星』の完全復刻版を読んでみた。著者の名前すら知らなかったが、絵の美しさと話の超展開が特徴で、なかなか面白かった。

『小学一年生』1969年1月号~『小学四年生』1971年12月号連載。1968年~1976年に小学館の学年誌に連載された谷ゆき子の母恋物をベースにしたバレエ漫画「星」シリーズ全8作の中では最長の作品で、著者の代表作の一つである。

まず目を惹くのは、優美な女性キャラの絵の美しさと、デザイナー的な衣服へのこだわりである。

イラストレーターとしても活躍していた谷ゆき子の絵の中では、中原淳一・高橋真琴系の華やかでスタイリッシュな少女画イラストの伝統と、リアルな人体デッサンの均整美が融合している。画力という点では抜きん出ている人だと思う。衣服については、バレエの衣装以外の私服にも当時のモードを意識したおしゃれなデザインが採り入れられており、細部の描写にも力が入っている。

「超展開」といわれるストーリーは、物語上の整合性やリアリティよりも次回への引きを重視した、主人公が毎回絶体絶命のピンチに見舞われる設定によるものであり、現在の視点で通読すると突っ込みどころが多いが、当時の月刊連載ではそれが人気の要因の一つだったのだろう。

バレエの修行のためにレオタード姿で滝行中に頭上に岩が落下して流され陸自のヘリで救出。牛を50頭も殺した犬と一緒に洞穴に閉じ込められ、入り口をダイナマイトで爆破されあわや生き埋めに。このあたりのエピソードは悲運のヒロインの物語という基本路線から逸脱したおかしさがある。

解説によると、ストーリーは当時の編集長の井川浩と担当編集者と姉がブレーンとなって作り、著者は絵を描くことに注力するというチームが組まれていたとのことである。

連載期間が丸3年で、途中で対象学年も上がっているので、画面構成や表現が当初の1960年代の絵物語・貸本漫画的なものから1970年代の少女漫画のスタイルへと変化しているのも興味深い。

表題作は”学年が違ったので”読んでません。
昭和35年度生まれ学年なので、「白鳥の星」を読んでました。
あと、2歳年下の弟(昭和37年度生まれ学年)のも借りて「さよなら星」も読んでました。
50年近く経ってもうっすらと記憶に残っています。

ちなみに、、、
2001年当時2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)の「30代以上板」(現在は30代板・40代板・50代以上板に細分化)の中で
「谷ゆきこの一連のバレエ漫画について」というスレが立っていました。


自分もそのスレ住民の1人で某固定ハンドルを名乗ってたけど、古い記憶を頼りにスレ内で盛り上がってました。
そして、ついにはスレ住民の1人が国会図書館に調べに行き、ホームページで披露されていました。
(著作権の関係で"絵"は載せなかったけど、作品ごとのあらすじとか書かれていました。)
昨年から今年にかけて、復刻版(というか初の単行本)が続々と出版されていますね。
おそらくは、その人が関わっていると思うのだけど、、、

インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで

「簡単に幸せになるには?」その答えは、非常に簡単だ。
インターネット・ゲームをやればいい。ネットゲームの利点は数えたらキリがない。
まずその利便性。スマホ一つで、すぐに遊ぶことができる。
無料で遊べるものも多数あるし、操作性も簡単。少なくとも学校の勉強より難しくない。
ネットゲームを通して、世界中の人と同じ空間で遊ぶことができる。
そして、多くのゲームには、明確なミッションがあり、目的と役割を与えてくれる。
それらは、悪人から世界を救うものもあれば、宇宙平和を実現するもの、はたまた特定の悪人を倒すものまで、
バラエティー豊か、楽しくないはずはない。


現実世界では、決して、味わえない興奮や幸福感を味わうことができる。

ネットゲームは、テレビゲーム創世以来、数十年に渡る企業努力と技術の蓄積、
そして、ゲームクリエーターの天才的なアイデアで、
遊ぶものの脳が気持ち良いと感じる刺激や報酬を得られるように進化してきた。
言い換えれば今のネットゲームは、私たちが、何の努力もせずに、
一生かかっても得ることのできない幸福感をボタン一つで得ることのできる魔法だ。

ただし、1つだけ難点がある。それはネットゲームが私たちの脳に及ぼす影響だ。
麻薬や覚せい剤のそれと酷似していることが、この数年の研究でわかったきたことだ。
麻薬中毒者の脳に起きていることが、ネットゲームのユーザーの脳にも、同じことが起きている。
まさか!嘘だろと思いたいが、そのまさかが、今、確実に起こっている。
もちろん、国も企業も、この事実は喧伝したがらない。
ゲーム産業だけで、数兆円の産業だからだ。

ネットゲームは脳の神経ネットワークそのものの器質変化を引きおこす。
もっとわかりやすくいうと、脳が壊れてしまうということだ。
それは、人間が生活する上で、必要な共感性や痛みを感じる能力、
危険を察知する能力、感情の調整を行う能力、正しい選択をする能力が低下すること意味する。
残念なことに、それらの能力は一度下がってしまうと、
麻薬中毒者と同じように、再び回復すること絶望的に困難だということだ。

一生他人の気持ちに無関心で、冷笑になる。
これは、まともな社会生活を送れないことを意味する。
常にうつ状態に陥り、情緒が不安定、危険なことも鈍感になり、注意力が極端に低下する。
もちろん、麻薬依存症の患者の多くが、統合失調症(以前は、精神分裂病といった)を併発するように、
ネットゲーム依存患者も統合失調症を患う比率は非常に高いと判明している。
やはり、無料には理由があって、簡単に幸せになる魔法の道具はなかった。

2014年の厚生労働省の調査によると、日本には421万人のネット依存と疑われる人がいる。
その中で、どれぐらいの人がネットゲーム依存かわからない。
そして、どれらぐいの人が、重度の依存に陥り、麻薬依存者と同様の症状が出ているかもわからない。
おそらく、これからも、突っ込んだ調査はしないだろう

日本のネット依存に対する取り組みは、あまりに後進的である。
お隣の中国は18歳以下は、1日30分以上ネットゲームを行いない仕組みをとっている。
では、日本は?野放しの状態だ。好きなだけゲームをできる。
若い子にとっては、最高の環境だが、ネットゲーム依存になったら、もちろん自己責任。
日本は専門的外来も数えるほどしかないから、
「自分の状態が、どうなっているのかもわからないまま」苦しむことになる。
もちろん、脳機能が極端に落ちているから、まともな人生を歩むことはできない。
全ては、ゲームをやったことだけど、これって、果たして、自己責任なんだろうか?

中高生のネット依存は50万人以上いる。
アンケート調査によると、
中高生のスマホ利用時間は、
平日 2時間以上が68.4% 3時間以上が41.6% 6時間以上が8.0%に上り、
休日に至っては、2時間以上が85.2% 3時間以上が64.8% 6時間以上が18.9%に上っている。
アンケートを実施する度に、スマホの利用時間が伸びている。

1日 3時間を1年使用した場合1095時間 生活時間(16時間)で割ると、
68日になる。つまり、1日3時間利用しただけで、
1年の中で、68日、2ヶ月以上に渡ってスマホを利用していることになる。
10年続けたら約2年間、スマホを使用していることになる。

中高生は、その膨大な時間スマホで何をしているか?
1位 SNS 58.9% 2位 動画視聴 16.8% 3位 オンラインゲーム15.2%
となっている。1日3時間スマホを使用している40%の中高生は、
1日30分オンラインゲームを使用している計算になる。
より突っ込んだアンケートを行えば、どれぐらいの割合の中高生がヘビーユーザーだとわかるし、
その子たちに向けて、依存症になる前の処置を講じることが可能だが、現状では野放しになっている。
この代償は、あまりに大きくなるだろう。

あまり知られていないが、日本の精神疾患の最大の病気はうつ病である。
うつ病患者は500万にいると言われている。
その中で、アルコール依存、ギャンブル依存の者も何割かいる。
つまり、アルコールとギャンブル(ぶっちゃけいうと、パチンコ)がうつ病を作り出している現実がある。
アルコール産業に、パチンコ産業、そのどれも市場規模が莫大にデカいが、
それと同様に、桁違いのうつ病患者を作り出している。
もちろん、いずれは、ネットゲームも仲間入りをする。

冒頭の「簡単に幸せになるには?」ネットゲームをやればいいが、
ネットゲームは、あまりに面白くデザインされているので、
もし「はまってしまい」依存的症状が現れたら、その時点でアウトとなる。
以後、幸せを感じることはなくなり、一生苦しむことになる。自分なら、正直怖くてできない。

もちろん、ネットゲームの使用が、即、人生の崩壊に結びつくことはない。
ただ、国も企業もネットゲームの有害性対して、あまりに無知である。
そして、今もかなりの中高生や成人が、ネットゲーム依存で苦しているのか、
想像もしていない。実態把握をしない構造が、政府、産業、メディアで、スクラム化している。

そもそも知ろうとしていないかもしれない。
インターネットゲーム産業は、アルコール、ギャンブル産業と同じで市場規模が大きいから、
経済優先の日本では、仕方がないんだろう。
でも、このままで良いんだろうか?

あまり知られていないが、アルコール依存も、ギャンブル依存も、立派な精神疾患に分類されている。
患っている人も熟知しているように、完治することは決してない。
1日、1日をやらないようにすることだけが、対処療法としてある。
麻薬中毒者と同様に一生付き合っていくしかない。
そんため、途中であまりの辛さに自殺する人が多いことも、
喧伝されて良いと思う。

ネットゲーム依存は、まだ、精神疾患にカウントされていないが、
近いうちに、精神疾患として認知されるだろう。
その動きがとして世界保健機関(WHO)がネットゲームへの過度な依存を病気と指定することにしている。

もちろん米国や日本のゲーム機メーカーやソフト会社で作る業界団体「エンターテインメント・ソフトウェア協会」(ESA)が「ビデオゲームに中毒作用はないと客観的に証明されている」として反対する声明を出した。ESAには、任天堂やバンダイナムコエンターテインメント、スクウェア・エニックスといった日本の大手ゲーム関連企業も加盟している団体だ。

タバコが人体に悪影響を与えると認識されて、抜本的な規制が行われるようになるまで、
80年を要した。「タバコを吸うと、肺がんリスクが数倍になります」と一文を加えるだけで、
また、タバコ税を課すだけで、それぐらいの時間を要した。その間、タバコと人体の有害性は、客観的に証明されていないと、
タバコ産業は全力で否定していた。ネットゲームは、いつになったら、そうなるのか?もしくは、ずっとならないのか?
既に、ネットゲーム依存患者の身体に起こる症状が、麻薬のそれと酷似している科学的に証明されているのにも、
関わらずにだ。「ネットゲームをやると、脳が壊れるリスクは数倍になります」という一文が、社会的に認知されるまで、
どれぐらいの時間がかかるだろう。もちろん、それまでは、全て自己責任。
タバコと違うのは、脳が壊れて、まともな、生活が送れないことだろう。

アルコール依存は100万人以上、ギャンブル依存は400万人以上、
そして、ネット依存も400万を超えている。
アルコール、ギャンブル、ネット、どれも、私たちに手軽に幸福を与えてくれるものだが、
人工的に作られた幸福は、見ない、やらない、食べない、飲まない、遊ばないほうが良いかもしれない。

しかし、今の世の中、簡単に幸福感を得られるもので溢れている。
それに、どっぷりはまった場合、代償はあまりに大きいかもしれない。
まるで、ずっと日本国内で内戦が起こっているような状況だ。

依存症が発生する時の脳内のメカニズムについては、ある程度分かりました。
インターネット・ゲーム依存の人の脳で起きていることは、覚醒剤・麻薬
中毒者の脳で起きていることと基本的に同じだそうです。

脳は心地よい行為により報酬系の興奮、つまりドーパミンの放出が起こりますが、
やがて耐性が生まれ、同じ満足を得るために、より長時間の強い刺激を求める
ようになります。

具体的に言うと、ドーパミンが大量放出されるとドーパミン受容体が脱感作
(一過性に感受性を失い麻痺すること)を起こし、さらには
「ダウンレギュレーション」と呼ばれる調整の仕組みが働いて、ドーパミン
受容体の数が減ることで、ある種強烈な刺激に対する防衛の仕組みが働き
鈍感になり、より強い刺激が必要になってしまうということのようです。



このように、依存症の大まかな仕組みを理解する上で本書は役立ちますが、
その解決策に関する視点で言うと、2つ問題があると考えています。

1点目は、解決策が専ら依存症に陥った子どもに対して家族がどう対応したら
よいかという視点でしか書かれておらず、依存症になってしまった大人がそれを
どう自力で克服していけばよいかという点について、効果的な手法が
提示されていないことです。

加えて、子どもの依存症に対する対処法も、家族の暖かいサポートが必要という
内容で、確かにその通りではあるのですが、ありきたりすぎて決定打に欠ける
印象です。

2点目は、インターネット・ゲーム依存の問題を覚醒剤・麻薬などと同列に
扱っている点です。

上記の通り、確かにインターネット・ゲーム依存は脳内における発症のメカニズム
において覚醒剤・麻薬依存とほぼ同じようですが、決定的に違う点があります。
それは、覚醒剤・麻薬は使用した人が確実に依存状態に陥ると思いますが、
ゲームは明らかに依存状態にならない人も大勢いるという点です。

よって、当然のことながらインターネット・ゲームは合法の娯楽であり、
「デジタルヘロイン」などという言葉で依存症に陥る危険性を強調し、
社会への悪影響を声高に叫んだところで、ゲーム業界に携わって生計を
立てている人々等から反発をくらうだけで、何の問題解決にもなりません。

私がこの本を読んだきっかけは、私もゲームに対する依存症の傾向があった
からです。
オンラインゲームに興味はありませんが、ドラクエやFFなど国民的RPGと
呼ばれるゲームがとても好きで、過去のシリーズはほぼ全てプレイしています。

ストーリーにのめりこむ傾向が強く、一度はまってしまうと、クリアして
エンディングを見るまではプレイ時間を適切に自己制御することができず、
長時間やり続けてしまう状態でした。

以前は、この本にも書いてある事例のように、とにかくゲームを処分してしまう
のが有効だと考えたこともありますが、結局捨ててもまた買ってしまい精神論
では解決しませんでした。
ニンテンドーDSやPSPは何回も捨てては再購入するという、非常に無駄な出費を
経験しています。

しかし、本書を読んで敵の正体を知り、効果的な対処法のアイデアを
思いつきました。
それは、習慣にならないようゲームをプレイする日としない日のルールを
決めるという拍子抜けするほど単純なものです。

具体的に言うと、ゲームをプレイした日を記録し、その後最低2日間はゲームを
してはいけないという鉄のルールを作り守るという方法です。
(とは言いつつも、ルールを破ったからといって特にペナルティはありませんが)

継続することによる脳内変化が原因であるならば、単純な話、毎日やらなければ
脳内環境は依存状態特有の物理的・生化学的パターンに移行することは無いと考え、
また1日置きにやるよりは最低2日休んだ方がより効果的、という考えで実践
しました。

その結果、あれほど強烈で制御が効かなかった早く先へ先へストーリーを進めて
いきたい、というやっかいな感情は抑えられ、長年追い求めていた適度に楽しむ
という遊び方を、何の努力もなく簡単に実現できてしまいました。

プレイしてよい日は時間制限なく何時間でもやってよい、という緩いマイルールを
設定していることも、無理なく継続して実践できる要因となっています。

プレイするのは時間を気にせず思いっきりできる金曜日の夜と決めていることが
多いですが、一週間の仕事で溜まった疲れと年齢のせいですぐに眠くなってしまい、
思ったよりも長時間プレイできず、これもまたプレイ時間を程よくコントロール
するためのコツとして上手に利用しています。

最近の例で言うと、「ファイナルファンタジーXII ザ ゾディアック エイジ」を
この方法で遊びましたが、総プレイ時間をゲームを始めた日からクリアした日
までの日数で割ると、1日当り30分もやっていないという計算結果になりました。
完全に依存症を克服し、息抜き程度に楽しむという理想の状態を実現できています。

本書には、あるアメリカ人眼科医のインターネット・ゲーム依存の例が紹介
されていますが、未だにゲームのコマーシャルを見るだけで依存対象への執着が
フラッシュバックしてくるため、そのような情報を遮断するよう常に注意しなければ
ならないという、何とも不自由な生活を強いられているようです。

そして、このことに対する効果的な対処法はいっさい語られていないため、
この本はインターネット・ゲーム依存に対して敗北宣言をしているようにしか
見えません。

これだけ科学が発達した現代なのだから、専門家にはもっとがんばって知恵を
絞って精神論ではない効果的な対策を検討してもらいたいものだと、読んでいて
思いました。

ゲームのみならず大きくネット依存を扱っており、中毒状態を見分ける基準と、依存から抜け出す方法を説明している。
高校、大学へ進学する際には入学試験が必須となり、そのレベルは偏差値で分けるとピンからキリまである。昔はどんな偏差値の低い大学であってもそれなりの受験勉強が必要であったが、いつのころからかボーダーフリー(BF)、名前が書ければ合格する大学も出現してきている。高校は以前からBFがあったように思う。そういう学校に通う生徒、学生にインタビューしたことがあるが、90% 以上はこのような回答が返ってくる。


1. 受験勉強はしなかった。 2. その時間はネットゲームをしていた。
彼らのほとんどが、学校ではそこそこの成績を取っているので、「やればできる、やらないだけ」と信じている。勉強しなくても点数が取れて入学、卒業そして就職できる社会が悪いのか、現代においてはそこになんの関門も存在しない。能力を身に付けることなく青春時代をすごすのである。そして、「やればできる」と信じたまま、やらずにリタイヤしていくのであろう。無論、やらねば出来ないのである。根気のいる仕事はやったことがないから、すぐできると思っているし、ちょっとやってできないとすぐ飽きて離れていく。
これは無駄、社会資本の浪費以外の何なのであろうか。いずれにしても、彼らの多くが、このまま大人になり、そして老いて時間を無駄遣いしたことを後悔するのであろう。
自分で自分の首を絞めている状況にうすうす気が付きながら、誰もそれを止められないでいる。
アルコール、たばこ、覚せい剤、そして武器など人類は様々な諸刃の剣を生み出してきたが、人間の英知はこれらをコントロールしつつある。しかし、ネットに関しては現代はまさに無法時代であり、秩序が作られる前段階なのだと、この本を読んでしみじみ思う。
「スマホと大人になっていく初めての人類」は、「ネットの犠牲になった初めての人類」となるのだろうと思う。

1960年』の解説 by はてなキーワード

出来事,事件

誕生



ヒット曲

1960年』by Google Search

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