融のまとめ情報

』の解説

」(とおる)はの演目の1つ。五番目物・貴人物・太鼓物に分類される。作者は世阿弥1363年? - 1443年?)。

平安時代の左大臣源融とその邸宅・河原院をめぐる伝説を題材とする。荒廃したかつての河原院跡に月明かりの夜、融の霊が現われるという趣向で、情緒ある詩的な「佳品」と評される。

「融」ではこうした説話に基づき、融は気品ある風流な貴人として描かれている。そんな融の花やかな舞と、荒廃した河原院跡の哀しさ、という対照的なモチーフを美しい叙景描写でつないだ巧みな構成、そして詞章は、数ある能の中でも優れた一曲との評価が高い。

大正 - 昭和期の名手として知られた能楽師・櫻間弓川も本曲を好きな能の1つとして挙げる。著書の中で弓川は、少ない登場人物など簡素な構成でありながら、「喜怒哀楽の複雑な感情」を深く表現した、「能本来の精神を最もよく表現してゐる能」と賞賛している。

室町期から盛んに上演されており、現在もシテ方5流のすべてで現行曲として扱われる。また、末尾の「この光陰に誘はれて、月の都に、入り給ふよそほひ、あら名残惜しの面影や」の詞章から、故人追善のための演能でしばしば舞われる。

上記の通り、当時の注釈書などに記された融の河原院造営に関する説話をベースとしているものの、その依拠の部分は比較的小さい。本作の作品世界そのものは、作者である世阿弥の美意識に基づく創作と見なすべき、と能楽研究者の伊藤正義は指摘する。

一方、世阿弥の父・観阿弥が、やはり融を題材としたと見られる「融の大臣の能」を舞ったという話が『申楽談儀』にある(曲自体はすでに散佚)。「融の大臣の能」と「融」の関係については、「全くの別曲」「『融の大臣の能』を改作したのが今の『融』」と、意見が分かれる

前述の伊藤は、「融の大臣の能」は、『江談抄』などにある、「河原院に滞在する宇多法皇と御息所の前に融の亡霊が現われ、御息所を奪おうとするも失敗する」との説話を元にした能だったとし、融が御息所への邪恋を訴える場面の一部が、現「融」で前ジテがかつての河原院を懐かしむ場面に引き継がれたのでは、と推測している

小書

多くの小書(特殊演出)があり、「思立之出」(観世流・喜多流)、今合返(観世流)、替(大蔵流)、「白式」(観世流)、「窕(クツロギ)」(観世流・宝生流・金剛流)、「舞返」(観世流)、「十三段之舞」(観世流・金剛流)、「舞留」(観世流)、「袖之留」(金剛流)、「笏之舞」(宝生流・金春流・喜多流)、「酌之舞」(観世流)、「曲水之舞」(喜多流)、「遊曲」(宝生流・金春流・金剛流・喜多流)、「遊曲之伝」(喜多流)、「舞働」(観世流)、「彩色」(観世流)、脇留(観世流・金剛流)がある

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