羽生結弦のまとめ情報

羽生結弦』の解説

羽生 結弦(はにゅう ゆづる、1994年12月7日全日本空輸 (ANA) 所属。早稲田大学人間科学部eスクール)在学中。

主要な戦績として、2014年ソチオリンピック男子シングル優勝。2014年世界選手権2017年世界選手権優勝。グランプリファイナル4連覇(2013年-2016年)。全日本選手権4連覇(2012年-2015年)。

男子シングル競技における、ショートプログラム(112.72点)、フリースケーティング(223.20点)、トータルスコア(330.43点)の現世界歴代最高得点記録保持者。世界ランキング最高位1位。世界ランキングは2013年10月より1位を保持している。

世界記録は2012年から2017年の間に12回更新しており、ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手である。

人物

仙台市立七北田小学校仙台市立七北田中学校東北高等学校を経て、早稲田大学人間科学部人間情報科学科通信教育課程(eスクール)在学中。血液型B型

名前は「を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名した。

演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない」である。2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった。

2歳の頃から喘息(ぜんそく)の持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった。肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代の頃は体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療、吸入薬、鍼治療、気道を開く施術、移動時や練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは改善されつつある。しかし完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え、2017年現在も発作を起こすと明かしている。

尊敬する選手はエフゲニー・プルシェンコジョニー・ウィアー荒川静香、浅田真央。荒川は同じアイスリンク仙台(名称変遷あり)で育ち、東北高、早稲田大でも先輩にあたる。彼女の代名詞であるレイバック・イナバウワーを自身の演技に取り入れ、荒川へのリスペクトを示している。

2002年ソルトレイクシティ五輪での演技を見て以来、エフゲニー・プルシェンコに心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある。また、彼の得意技であったビールマンスピンを自身の演技に取り入れ、リスペクトを示している。これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている。2015年のNHK杯で3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている。

ジョニー・ウィアーも幼少期から憧れの選手に挙げており、ソチオリンピックシーズンの『ロミオとジュリエット』など、いくつかの衣装デザインを手掛けてもらっている。

スケート技術と特徴

ジャンプスピンステップの全方位に秀でたオールラウンダーである。

ジャンプは踏み切りから着氷後の流れまで美しく跳び幅があり、GOE(出来栄え点)加点を得るための8つの評価要素を全て満たしている質の高さが特徴。このため完璧に跳ぶとGOE満点となる3点、または満点に近い高い加点を獲得する。試合では4種類の4回転ジャンプ(トウループサルコウループルッツ)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点の付くトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)である。

質の高さに加え、踏み切り直前に「カウンター」と呼ばれる難しいターンを行ったり、両足のつま先を外側に向けたスプレッドイーグルから踏み切り、着氷後に即イーグルに戻るなど、ジャンプへの入り方や出方の難度の高さなどからも常に2~3点のGOEがつき、トリプルアクセルだけで確実に11点以上を稼ぐ。特に基礎点が1.1倍となる演技後半に組み込んだトリプルアクセルからの連続ジャンプは、めったにミスをしないことからも4回転以上の強力な得点源となっている。

このように、基礎点の高い高難度のジャンプ構成を成功させたうえで、かつ高いGOE加点を獲得できるのが羽生の強さである。例として世界記録を塗り替えた2015年グランプリファイナルでは20.18点の加点(ちなみに4回転トウループの基礎点は10.3点である。つまり加点だけで4回転ジャンプ2本分の基礎点に匹敵する)を獲得している。

フリップは踏み切りがアウトサイドになる癖がありエッジエラーの判定を受けていたが、2011-2012シーズンより矯正に成功した。

スピンの技術も高く、プログラム中のスピンは全て最高評価の「レベル4」が取れるように組まれており、完璧にレベルを満たせば、こちらも高い加点を獲得する。元々のスピンの速さとポジションの美しさに加え、回転しながら指先や腕などを動かすことでオリジナリティーを出し、プログラムの構成難易度を上げる工夫を行っている。特に、柔軟性の高さを生かしたビールマンスピン。

課題として本人は集中力を挙げており「良いときと悪いときの差が激しい。集中力の弱さはスケート人生の中で永遠の課題です」と述べている。

4回転ジャンプ

試合では4種類の4回転ジャンプトウループサルコウループルッツ)をプログラムに組み込んでいる。

4回転ループは、アイスショーエキシビションのフィナーレなど(4回転ループ-3回転アクセルを着氷している)で跳んでいたが、2016-2017シーズンより競技に取り入れている。

2016年9月30日にモントリオールで開催された「オータムクラシック」のショートプログラムにおいて、国際スケート連盟(ISU)公式の国際大会において史上初めてクリーンに成功させた(2016年10月2日、ローザンヌにて公式に認定)。

4回転ルッツは公式練習でも着氷していたが「2017年のロステレコム杯」のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させた。4回転アクセル4分の1アンダー(回転不足)で転ぶくらいで、ある程度は回れる段階まできていると発言している。アクセルジャンプについては自身が得意としていることからも思い入れが深く「将来的には必ず4回転アクセルを跳びたい」と語っており、平昌五輪後の挑戦も示唆している。公式練習では4回転フリップにも挑戦しているが、こちらは試合に組み込む意向を示したことはない。

4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、「2017年国別対抗戦」のフリーでは、4回転トウループ-1回転ループ-3回転サルコーの3連続ジャンプを初めて成功させた。

コーチと振付師

阿部奈々美の指導を離れた2012年よりブライアン・オーサーに師事。トロントの「クリケット・クラブ」(Toronto Cricket Skating and Curling Club)に所属し、オーサーをチームリーダーとする"チーム・ブライアン"による指導を受けている。

協同リーダーはトレイシー・ウィルソン。スピン専門コーチはペイジ・アイストロップ。ショート振付師はジェフリー・バトル、フリー振付師はシェイ=リーン・ボーンである。(※2016-2017シーズン時点)エキシビション振付師はデヴィッド・ウィルソンの他、宮本賢二など。またNHKの「花は咲く~羽生結弦Ver.~」など、日本国内のTVプログラムやショーの振り付けを阿部が担当することもある。

スケート靴の調整は、中学生の頃から仙台市に工房を構える阿部年伸(阿部の夫)が担当している。カナダに練習拠点を移して以降も、小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している。

ジュニア以前

1998年の長野オリンピックにおけるフィギュアスケート競技日本代表のうち、7人中4人(田村岳斗本田武史、荒川静香、荒井万里絵)が仙台市東北高等学校に在学中の高校生選手であり、かつ4人とも長久保裕の教え子であった。これを発端に仙台でフィギュアスケートブームが起こる。長久保や4選手が所属するコナミスポーツクラブ泉のリンク(現・アイスリンク仙台、)で1999年に佐野稔が開催した子供スケート教室に姉が通い始め、この姉の影響により。同じダイエー系列の新松戸アイスアリーナが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナを指導していた都築章一郎が仙台に移り、小学2年から小学6年まで指導を受けることとなる

優勝した直後の2004年12月にホームリンクが経営難で閉鎖。勝山スケーティングクラブ(仙台市、)に練習拠点を移したが、このリンクは自宅から遠かったため練習時間が大幅に減り、この時期に伸び悩むこととなる。しかし2006年のトリノオリンピック荒川静香が日本人として初となる金メダルを獲得。フィギュアスケートが盛り上がった経緯もあり、同年5月23日放送のミヤギテレビOH!バンデス』にて、小学6年生(11歳)の「天才スケート少年」として羽生の特集が組まれ、(年齢的に出場可能となるソチオリンピックで)金メダルを目指すと発言。2007年3月、閉鎖されたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台として営業を再開すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した。

2007-2008シーズン

2007-2008シーズン、まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初。

2008-2009シーズン

2008-2009シーズンからジュニアに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)に参戦。全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となった全日本選手権では出場選手中最年少ながら8位に入る。世界ジュニア選手権でも大会最年少ながら12位となった。

2009-2010シーズン

2009-2010シーズン、初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝。続くクロアチア杯でも優勝し、JGPファイナルでは史上最年少(14歳)で総合優勝を果たした。全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、全日本選手権ではショートプログラム13位から、フリースケーティングの演技後半に3回転アクセル-3回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプを決めるなどして追い上げ、総合6位となった。世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。日本人男子としては初の中学生で、高橋大輔2002年)、織田信成2005年)、小塚崇彦2006年)に続く、4人目の世界ジュニアチャンピオンになった。2010年4月、東北高校に進学。

2010-2011シーズン

2010-2011シーズン、シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入った。出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出された。2011年2月に開催された四大陸選手権ではショート、フリー共に自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得。男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。

3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。地震発生時には仙台市のアイスリンク仙台で競技の練習中であり、スケート靴を履いたまま外へ避難した。羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした。震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしている中、スケート続けることへの疑問を抱いていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した。兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)の41日前に生まれた羽生は、4月9日に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した。4月からは、テクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)や、かつて師事した都築コーチがいる神奈川スケートリンク(神奈川県横浜市)を仮の拠点とし、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた。7月24日、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。

2011-2012シーズン

2011-2012シーズン、9月にはネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たす。ISUグランプリシリーズでは中国杯で4位に終わるも、続くロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝を果たし、ISUグランプリファイナル進出を決める(現時点でNHK杯以外の大会では最後の優勝でもある)。初のISUグランプリファイナルでは、総合得点でパーソナルベストを更新するが、1.73点の僅差で表彰台に届かず4位となる。全日本選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れたが、フリースケーティングで1位となり総合3位、これにより自身初となる世界選手権代表に選出された。

世界選手権のショートでは7位発進と出遅れる。しかしフリーでは中盤繋ぎの部分で突然転倒するアクシデントを起こしながらも、エレメンツはパーフェクトにまとめ巻き返し2位まで追い上げる。この結果総合で3位に入り、初出場で銅メダルを獲得。特に技術要素点ではパトリック・チャン・高橋大輔らを上回る同大会最高の点数をマークした。17歳3ヶ月でワールドメダリストとなったが、これは日本男子史上における最年少記録となっている。

2012-2013シーズン

2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更。夏からはオーサーの指導拠点となる「クリケット・クラブ」(Toronto Cricket Skating and Curling Club、)があるカナダトロントに渡り練習を開始した。羽生自身はオーサーの師事を決めた理由として、同じくオーサーの指導を受けることで4回転ジャンプの精度が上がったハビエル・フェルナンデスに着目し「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、他の部分も上達するチャンスが出てくると考えました。」と語っている。

フィンランディア杯ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。グランプリシリーズでは初戦のスケートアメリカ、地元・宮城県で開催された第2戦のNHK杯と、2戦続けてショートプログラムで歴代最高得点を更新、GPファイナルでは2位となる。全日本選手権では初優勝を果たした。

四大陸選手権では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。総合得点では2位になった。しかし世界選手権では、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き9位と出遅れた。更にフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った(翌2014年2月開催のソチオリンピック男子シングル種目は、高橋大輔の6位との成績で最大の3枠を確保)。左膝の故障の為、2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦は辞退した。2013年4月に早稲田大学に進学した。

2013-2014シーズン

2013-2014シーズンを前に、2013年7月1日全日本空輸 (ANA) と所属契約した。シーズンインするとフィンランディア杯で2年連続の優勝。スケートカナダエリック・ボンパール杯は共にパトリック・チャンに次ぐ2位。福岡市で開催された2013年GPファイナルではショートプログラムの歴代最高得点を更新、フリーでは自己ベストを大幅に更新し総合1位でGPファイナル初優勝を果たす。続く全日本選手権では2連覇を達成し、オリンピック代表に初選出された。

ソチオリンピック金メダル

2014年2月、ロシアで開催のソチオリンピック本番では、同大会から新種目としてスタートした団体戦でショートプログラム1位となるが、日本代表の最終結果は総合5位に留まった。

男子シングル個人種目では、ショートプログラムの『パリの散歩道』で101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し首位に立った。しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転サルコウで転倒、直後の4回転トウループは成功したものの、3回転フリップで再び着氷失敗。演技後半の3回転アクセルからのコンビネーションは2回共成功させたが、3回転ルッツ-1回転ループの直後3回転サルコウが認定されないなど不本意な演技となり、自己ベストには程遠い178.64点にとどまった。フリー演技終了直後のインタビューでは「(体が)全然動かなかった。(本番直前の)6分間練習から焦っていた。はっきりいって自分の演技に満足していない。終わった後は、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた。

SPで2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)は羽生の直後に滑走。冒頭4回転-3回転トウループのコンビネーションを成功させるも、その後は単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなどの着氷ミスが続き、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった。その後に滑走した2選手もメダル圏内には及ばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、日本人初(アジア人でも初)となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得した。

2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトンアメリカ合衆国)が1948年サンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった。更にオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、ウルリッヒ・サルコウイリヤ・クーリックに次いで史上3人目。ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得となり、又さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダル獲得は記念すべき10個目となった。

表彰後のインタビューではシカゴ・トリビューンの記者フィリップ・ハーシュから東日本大震災についての質問を受け、「金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。自分には何もできていないんだという無力感がある。でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています。」と回答し、故郷への感謝を述べた。この質問をしたハーシュは「僕にとってソチ五輪で最も忘れられない瞬間は、誰かが成したことではなく日本の羽生結弦が言ったことだ。」とツイートし、「19歳とは思えない成熟と謙虚さ、細やかな感受性をもって、この勝利について語った。」と羽生を称える記事を書いた。また同席していたニューヨーク・タイムズ の記者ジェレ・ロングマンは「金メダルの獲得こそが、羽生が前進するための出発点となるだろう。」と結ぶ記事で勝利を称えた。

世界選手権初優勝

2014年3月、さいたま市で開催された世界選手権では、ショートの4回転トウループで転倒し3位と出遅れた。しかしフリーで、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させる。その後の3回転フリップでエッジエラー判定を受けた以外は、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に。総合2位の町田樹を合計得点0.33点の僅差でかわし、逆転優勝を果たした。日本男子シングル種目では、2010年世界選手権の高橋大輔以来、4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなる。さらに「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の主要3大会を全て制しての3冠達成は、2001-2002年シーズンのアレクセイ・ヤグディン以来、男女シングルを通じて史上2人目の快挙となった。

2014-2015シーズン

グランプリファイナル2連覇

オリンピックチャンピオンとして臨んだ2014-2015シーズンだが、度重なるアクシデントの影響により、当初挑戦する予定だったプログラムの難度の変更を余儀なくされた。

初戦となる予定だったフィンランディア杯は腰痛のために欠場。2014年11月、初戦となった上海開催の中国杯ではショートプログラム2位スタート。フリースケーティング前の6分間練習で、中国の閻涵と衝突事故が起きた。日本スケート連盟は国際試合に医師を帯同させていなかったため、現場では米国の医師に応急処置を受け、頭部と顎にテーピングと包帯を施したままの状態で演技に臨んだ。流血事故を押しての出場は、当初脳震盪の可能性が疑われたため「危険だったのではないか」とメディアの賛否が分かれる事態に発展したが、脳震盪は起こしていないと現場の医師の診断を受けており、最後までプログラムを滑りきり銀メダルを獲得した。この演技終了後に顎を7針、頭を3針縫い、表彰式とエキシビションには出演せず翌日に帰国。精密検査の結果、頭部挫創、下顎挫創、腹部挫傷、左大腿挫傷、右足関節捻挫で全治2~3週間と診断を受けた。次戦のNHK杯は開催直前まで出場の可否が検討されていたが、最終的には出場し総合順位は4位となる。この結果、ISUグランプリシリーズポイントランキング6位となり、最下位でグランプリファイナルへと進出した。1番滑走で臨むことになったショートでシーズンベストを記録し首位に立ち、フリーでは2種類の4回転を成功させ自己ベストを更新。日本男子初となる大会2連覇を達成し、事故を乗り越えての勝利を「存分に体を使える幸せを感じた。今スケートができることが一番の幸せ。」と語った。

世界選手権銀メダル

続く2014年12月、全日本選手権では3連覇を達成したものの、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、エキシビションを欠場し緊急入院。「尿膜管遺残症」との診断結果により翌12月30日に手術を受けた。3連覇を達成した直後に、NHK杯で見えた壁を越えて見えたものはと問われ「壁です。壁の先には壁しかないのかな、と。人間というのはそういうものだと思うし、課題ができたら、人間は欲深いものだからそれを越えようとします。たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思うのと同時に、それを達成するためにサポートしてくれる環境がある。幸せ者だなと思います」と答えた。。

手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが、退院後に練習を再開。しかし手術で腹部を4cmほど切り、腹筋の感覚に違和が生じたことが一因で練習時に右足首を捻挫。再び2週間の休養を要し、3月開催の世界選手権への出場は直前まで危ぶまれた。しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、全日本選手権以来の復帰戦に挑むこととなった。

2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催された世界選手権では、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークし首位に立った。術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリーの4回転をどちらも失敗。その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まった。結果は、同門のハビエル・フェルナンデスに2.82点及ばず銀メダルとなり、日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかける事が出来る立場になった。悔しさをバネに進んでいける。」と語り、復帰戦を終えた。

捻挫のほか手術跡が炎症を起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催の国別対抗戦への出場の可否は世界選手権後に協議されたが、自身初となる出場が決定。ショートプログラムで96.27点と今季自己ベストを更新し首位に立ち、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを決めたほか、ミスを最小限にとどめ首位に立った。フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた。日本は銅メダルを獲得。エキシビジョンでは『パリの散歩道』を同季唯一のノーミスで披露し、参考扱いながらも4回転ループ+3回転アクセルのシークエンスジャンプを成功させた。来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった。

2015-2016シーズン

世界記録更新とGPファイナル3連覇

映画『陰陽師』のサウンドトラックを用いた新たなフリースケーティングを『SEIMEI』と自ら命名。「安倍晴明」の狩衣をイメージした衣装で、シェイ=リーン・ボーン振付によるの表現に挑んだ。

初戦のオータムクラシックで優勝。続くスケートカナダのショートプログラムでは、演技後半のジャンプがルール上カウントされず0点となり73.25点の6位発進と出遅れたが、フリーで自身初となる4回転3本を着氷させ巻き返し2位となる。

続くNHK杯では「挑戦という意味を込めた」として、ショートに4回転サルコウと4回転トウループ−3回転コンビネーションの4回転2本を組み込む、自身最高難度の構成に急遽変更。ノーミスの演技で、ソチオリンピックで自身が記録した101.45点の世界最高得点を更新する106.33点をマークした。「絶対王者になると言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた」として臨んだ翌日のフリーでは、演技後半の4回転−3回転コンビネーションを含む計3本の4回転のほか全てのジャンプを成功。技術点は出来栄え評価で23.08点もの加点を獲得し、演技点の「音楽の解釈(Interpretation)」の項目は、ジャッジ9人中6人が10点満点をつける9.89点という圧倒的な演技で安倍晴明を演じきり、史上初の200点台となる216.07点を記録した。トータルスコアでも史上初の300点台となる322.40点を記録し、パトリック・チャンが保持していた295.27点の世界歴代最高得点を大幅に塗り替える前人未到のスコアで優勝を果たした。この大会で羽生はショート、フリー、トータルの全スコアで世界記録を更新。ISUジャッジングシステムにおいて、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となった。

さらに2週間後のバルセロナで開催されたグランプリファイナルのショートプログラムにおいて、NHK杯を超える演技を披露。4回転サルコウと、4回転トウループ−3回転トウループの連続ジャンプは、9人中8人のジャッジがGOE(出来栄え評価)加点で満点の3点を付け、PCS(プログラム構成点)は満点の50点に肉薄する49.14点をマーク。110.95点を叩き出し、わずか2週間で再び世界記録を塗り替えた。

一日置いたフリーでもノーミスの演技を披露。4回転サルコウ、4回転トウループともにGOE満点を獲得し、技術点は120.92点に到達。構成点では9名のジャッジが10点満点をつけた項目が23にも及び、NHK杯を超える219.48点を記録。トータルで330.43点というスコアを叩き出し、再び全ての世界記録を更新した。プログラム構成上の上限の点数に対する得点は実に97%を超えており、理論上の「満点」まであと9点に迫るというほぼ完璧な演技で、男子選手としてISUグランプリファイナル史上初となる3連覇を成し遂げた。歴史的な記録更新に、会場のインタビューで自身の演技を見た子供へのコメントを求められ「どうかスケートを、練習を、夢をあきらめないで」と語った。

続く全日本選手権ではさらなる記録更新に期待がかけられたが、フリーの演技後半の2度のジャンプの転倒が響き183.73点という得点に。トータルは286.36点にとどまった。2位の宇野昌磨に20点近い大差をつけ、男子史上29年ぶりとなる大会4連覇を果たしたものの「ひどい演技をしてしまった。自分の中では勝ったとは思っていない」と悔しさをあらわに、2015年を締めくくる試合を終えた。

世界選手権銀メダル

2016年3月にボストンで開催された世界選手権では、精神状態が乱れていたものの、ショートでは自己ベストに肉薄する110.56点を記録。演技後に「よっしゃー!見たか!」と雄叫びを上げたが、これは「皆と、一つの答えにたどり着けた自分の感情に対して」発した叫びであると試合後に述べている。同時に、冷静さを欠いた自身を「怒ってしまった自分がダメ」と分析。一日あけて臨んだフリーでは「さらに完成度を高めるため」として、後半の4回転トウループを4回転サルコウに変更(実際には左足の靱帯損傷の悪化により変更となった)、しかしここで転倒するなどジャンプの精彩を欠いた演技で、自己ベストには程遠い184.61点にとどまった。トータルスコアは295.17点という結果となり、ショートのリードで逃げ切ることはできず、前回大会と同じく同門のハビエル・フェルナンデスに逆転され、2年連続の銀メダルとなった。期待されながらも王者奪還を逃した敗因を「良い演技をしたい、と欲張った結果が裏目に出た空回りであり自分の過ち」と分析。演技後は「ここで金メダルを取れないようでは自分はまだまだ」と述べ、去年と同様に悔いの残る世界選手権を終えた。

大会終了後、左足靱帯損傷の治療のため、帰国はせず練習拠点のトロントに戻ると発表。後日正式に「左足リスフラン関節靭帯損傷」により全治2ヶ月との診断を受け、アイスショーへの出演を全て取りやめ、治療とリハビリに専念することとなった。

2016-2017シーズン

グランプリファイナル4連覇

怪我のリハビリを経て、新たなプログラムに「観客とのコネクト」をテーマにプリンスの『Let's Go Crazy』(ショート)と、『Hope & Legacy』と名付けた久石譲の楽曲(フリー)を選択。4回転ループを含む、6本の4回転ジャンプを組み込む高難度プログラムに挑む。

初戦の「オータムクラシック」で、ISU公認大会史上初となる4回転ループを2度成功させる快挙で優勝。しかし「ぜんぜん体が動かなかった」と苦笑するほど全体的には精彩を欠いた演技で、自己ベストから70点近く低い260.57点にとどまった。不本意な結果に「次の試合ではノーミスで。そのくらい練習していきます。そうじゃないと、羽生結弦じゃないです」と雪辱を誓った。しかしグランプリシリーズ初戦となる、続くスケートカナダのショートで「慎重になりすぎた」と4回転を失敗し4位発進と出遅れる。フリーは1位で追い上げるも、トータルスコアでパトリック・チャンに僅かに届かず、同大会2年連続で2位となった。ショートの出遅れが響き今回も263.06点というスコアにとどまったが、初戦の体力切れを改善し演技後半のジャンプを安定して決めることができたことから「悔しさ9割、達成感1割」と総括した。

続くグランプリシリーズ2戦目のNHK杯では、ショート冒頭の4回転ループの着氷のみ乱れたが、演技後半のトリプルアクセルがGOE満点評価を受けるなど圧倒的な演技で103.89点をマークし首位に。フリーでは4回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションの4回転サルコウで転倒があったものの、4回転ループ、4回転サルコウ、4回転トウループと3本の4回転ジャンプを成功させる安定した演技で197.58点をマーク。今季世界最高得点となる総合301.47点で優勝し、グランプリファイナルへの進出を決めた。今回もノーミスの演技は達成できなかったことから、ショート・フリーともに演技後に「もうちょっと」と、指で自身の演技の完成度を悔しがる仕草を何度も見せていたが、フリーについては「冷静に考えたら全然もうちょっとじゃなかった。かなり頑張ってきます」とさらなる向上を誓い、「悔しさ4割、ホッとした4割、楽しかった2割」と大会を総括した。

12月8日よりマルセイユで開催のグランプリファイナルに、史上初となる4連覇をかけ出場。ショート冒頭の4回転ループの着氷を何とか堪え、全てのジャンプを成功。スピン、ステップの全てで最高評価のレベル4を獲得した。ステップはジャッジ9人中8人がGOE満点のプラス3をつけ、上限となる2.1点の加点を得るという圧倒的な演技で、シーズンベストを更新する106.53点をマーク。首位発進で臨んだフリーだったが、冒頭の4回転ループと4回転サルコーは成功するも、演技後半の4回転サルコーで転倒するなどミスが相次ぎ失速。得点を伸ばすことができず、フリーは全体3位となる187.37点にとどまった。しかしながらショートでの大幅なリードに助けられ、2位まで追い上げたネイサン・チェンに10点以上差を付ける合計293.90点で大会を制し、男女を通じてグランプリファイナル史上初となる4連覇を達成した。また大会4度の優勝は、男子では羽生が憧れるエフゲニー・プルシェンコと並ぶ記録となる。この結果を喜ぶ一方、ノーミスの演技を達成できなかった悔いの残るシーズン前半戦を「めちゃくちゃ悔しい。反省点だらけ」と総括。シーズン後半に向け改めて、4回転ジャンプ4本を組み込むフリー構成の完成を目指す。

次戦は5連覇をかけた全日本選手権となる予定だったが、帰国後にインフルエンザを発症し咽頭炎を併発する。大会前日の段階でも発熱が続いており、さらに1週間の安静加療が必要と診断されたことから、正式に全日本選手権欠場を発表した。不在に終わった全日本だが、上述のグランプリファイナル優勝および、過去に出場した世界選手権における実績などから選考基準を満たしており、2017年にヘルシンキで開催される世界選手権の代表に選出された。

世界選手権2度目の優勝

2017年2月、復帰戦となる四大陸選手権に出場。ショートは冒頭4回転ループをほぼ完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウが2回転となるミス。トリプルアクセルで満点の加点を得たものの、97.04点の3位発進と出遅れた。逆転をかけたフリーは演技後半でまた4回転サルコウが2回転となるミスが出たが、終盤のコンビネーションを急遽4回転トウループ+2回転トウループに変更する圧巻のリカバリーを見せ、自身初となる4本の4回転に成功。今季最高得点となる206.67点を叩き出しフリー1位となったが、合計303.71点はショート1位のネイサン・チェンに僅かに届かず2位に終わった。今回も四大陸選手権の優勝はならず、同大会で獲得した銀メダルは3個目となったが「優勝したかったが、今までで一番楽しかった銀メダル」とし、「自分の限界に挑戦している感覚が非常に好き。この時代に生まれてよかった」と、ライバルとハイレベルな戦いに挑む喜びを述べた。

3月にヘルシンキで開催された世界選手権に出場。ショートでは冒頭の4回転ループを自身最高となる2.43点の加点を得る出来栄えで完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウの着氷が乱れ左膝をつくミス。その体勢から急遽両手を上げての2回転トウループを付けたが、これはコンビネーションとは認定されず大幅に得点を失う。さらに、名前を呼ばれてから30秒以内にスタート位置につけず「スタート遅れ」の規定違反により1点の減点を受け98.39点という厳しい得点に。109.05点で自己ベストを更新した首位のハビエル・フェルナンデスとは10.66点差の5位発進と大幅に出遅れる

。しかし最終グループ1番滑走で臨んだフリーでは、鬼門となっていた演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループの連続ジャンプを今季初めて完璧に成功。4回転4本に加え全てのジャンプを加点付きで成功させるという圧巻のノーミス演技を成し遂げ、自身が持つ世界最高得点を更新する223.20点を叩き出した。トータルスコアはシーズンベストとなる321.59点で、4位までが300点を超える空前の激戦を制し、史上初となるショート5位からの逆転優勝を飾った。世界選手権の優勝は2度目となり、3年ぶりに世界王者の座を奪還。世界記録を塗り替えての劇的な逆転優勝を、ニューヨークタイムズは「目もくらむような眩惑的なフリースケート」の見出しで称え、スペインエル・パイス紙は「キングが王座に帰還した」と報じた。フリーでの世界記録更新については「一番とらわれていたのは過去の自分の数字。0.1点でもいいから超えてくれと怖れながらやっていたが殻を破れた」と、限界を設けず練習を続けたことへの収穫を述べた。

シーズン最終戦として4月下旬に世界国別対抗戦に出場。ノーミスを目標に掲げていたショートで4回転が決まらず83.51点の7位に沈んだ悔いから「こんなに悔しいならもう1回跳べばいい」と、4回転ジャンプを5本組み込む構成でフリーに臨んだ。5本のうち前半の4回転サルコーが1回転となるミスが出るも、演技後半で史上初となる3本の4回転ジャンプを成功をさせ(4回転サルコー-3回転トウループ、4回転トウループ、4回転トウループ-1ループ-3サルコー)200.49点をマークし1位に。日本はポイント合計で総合1位となり3大会ぶりに優勝を飾った。

ハイレベルな試合が続いた五輪プレシーズンを「だからこそ練習が楽しいしモチベーションも高くなる。今スケートが楽しいです」と総括し「自分がしたいスケートをしっかりやって、また一歩ずつ進んでいければ」と来季への展望を述べた。

2017-2018シーズン

ショートに『バラード第1番ト短調』、フリーは2015-2016シーズン時点で「五輪シーズンで使うと決めていた」という『SEIMEI』と、自身が世界最高得点を更新したプログラムの再演を選択。フリーは4回転5本を組み込むなど構成の難度をさらに上げ、オリンピックシーズンに臨む。

9月にモントリオールで開催されたオータム・クラシックに出場。右膝に痛みがあり4回転ループは回避したが、ショート冒頭の4回転サルコウおよび後半のトリプルアクセルでGOE満点の評価を獲得するなど、技術点合計が歴代最高の64.17点に到達するノーミスの完璧な演技を披露。自身が2015年より保持している最高得点を塗り替える112.72点の世界新を記録し首位発進となった。しかし翌フリーは得意のトリプルアクセルで転倒するなど精彩を欠いた演技で失速。自己ベストから実に67点ものマイナスとなる155.52点にとどまり、合計でハビエル・フェルナンデスに逆転され2位となった。この落差の激しさは「集中力の弱さ」にあり永遠の課題としつつも、初戦で2位に終わった悔しさを「大きな収穫」と受け止めた。

10月にグランプリシリーズ初戦のロステレコム杯に出場。ショートはジャンプのミスが響き2位発進に。フリーでは自身初挑戦となる4回転ルッツを成功させ195.92点の1位まで追い上げるも、合計290.77点はネイサン・チェンに3点届かず2位に。6年連続でグランプリシリーズ初戦の優勝を逃した。

次戦は11月のNHK杯を予定していたが、9日の大阪市中央体育館での公式練習で転倒した際に負傷。翌日午後に日本スケート連盟が「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった。この時点でグランプリファイナル出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した。

トロントに戻り、12月の全日本選手権への出場を目指して治療とリハビリに専念したが、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念。18日に日本スケート連盟が正式に欠場を発表した。引き続きリハビリを優先し、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランク1位であり、ISU公認のシーズンベストスコアが宇野昌磨に次ぐ2番目であるなど、規定に沿って正式に平昌オリンピック代表に選出された。1月の四大陸選手権への出場は回避し、次戦として直接平昌オリンピックに臨む見通しである。

主な戦績

マークが付いている大会はISU公認の国際大会。

  • N = ノービスクラス

詳細

  • はISU公認国際大会での当時の世界最高得点(国内大会は含まない)。

プログラム使用曲

  • 太字は羽生自身が付けたタイトルである。

世界最高得点の更新記録

男子シングル競技における世界記録は12回にわたり塗り替えている。

受賞・栄誉等

日本政府
日本オリンピック委員会
  • JOCスポーツ賞 新人賞(2009年)、最優秀賞(2013年)、特別功労賞(2015年)
日本スケート連盟
  • JOC杯(最優秀選手賞)(2014年、2015年、2016年)
マスコミ
一般財団法人
自治体
  • 宮城県「県民栄誉賞」(2014年)
  • 宮城県議会「議長特別表彰」(2014年)
  • 仙台市「賛辞の楯」(2014年)
  • 仙台市「スポーツ大賞」(2009年、2011年、2012年、2013年)
  • 仙台市「フィギュアスケートモニュメント」(2017年)

世界記録

ソチオリンピック」ショートプログラム(101.45点)
2015/2016 ISUグランプリファイナル」ショートプログラム(110.95点)、フリースケーティング(219.48点)、トータルスコア(330.43点)
2016年オータムクラシック」ショートプログラム

CM・広告・アンバサダー等

  • P&G冬季オリンピック大会応援キャンペーン「ママの公式スポンサー」日本代表アンバサダー
ソチ2014冬季オリンピック(2013年12月 - 、高橋大輔と共演)
平昌2018冬季オリンピック(2017年3月16日- )
『お母さん、ありがとう。』羽生選手篇(2017年11月17日 - )
  • 全日本空輸「ANA応援CMソチオリンピック日本代表編」(2014年2月8日 - 2014年2月23日)
  • NTTドコモ「新料金プラン」シリーズ(2014年6月 - )
  • バスクリン「きき湯」シリーズ(2015年2月 - )『Mr. きき湯』篇(2016年10月17日-)

テレビ番組

  • NHK仙台『ワンダフル東北 東北未来人第4回 羽生結弦選手』(2010年11月19日)
  • NHK総合『もっと強く 〜羽生結弦 16歳の挑戦〜』(2011年1月10日)
  • NHK総合『アスリートの魂 羽生結弦 17歳 高みへ』(2012年11月19日)
  • BS-TBS『英雄たちの決断 18歳の決断 羽生結弦』(2013年2月12日)
  • NHK総合『被災地へとどけ 希望の舞 〜 羽生結弦の ”花は咲く”〜』(2014年7月12日)
  • 日本テレビ24時間テレビ37 小さなキセキ、大きなキセキ』(2014年8月30日)
「羽生結弦 被災地の思いを胸に 一夜限りのアイスショー」と題し、生放送で2011-2012シーズンのフリープログラム『ロミオ+ジュリエット』を披露した。
  • 日本テレビ『24時間テレビ38 つなぐ〜時を超えて笑顔を〜』(2015年8月22日)
「被災地の想いをつなぐ 羽生結弦アイスショー」と題し、福島県仮設住宅を訪れた際に交流した人々を招待し、アイスショーを開催。EXプログラム「天と地のレクイエム」と「花になれ」の2曲を披露。ショーは当日録画であったため、放送時は日本武道館のほうに生出演した。また「チャリTシャツ」の笑顔マークの一つのデザインを手がけている。
審査員をつとめた他、出場歌手全員で「花は咲く」を歌うコーナーでは、ステージ上での歌唱にも参加した。
  • 日本テレビ『教科書で学べない災害』(2016年3月1日)
被災後に一家で避難した学校の体育館を訪問し、当時の避難生活と震災について語った。
  • MBS制作・TBS系列情熱大陸』「900回記念放送〜スーパーヒーローの「強さと弱さ」を解く」(2016年4月10日)
  • 日本テレビ『24時間テレビ39 愛〜これが私の生きる道〜』(2016年8月27日)
「羽生結弦 被災地に愛を込めて…生アイスショー」と題し、熊本地震で被災したスケート少女たち&くまモンとの氷上コラボレーション「星に願いを」(録画)と、生放送で「ホワイト・レジェンド」の2曲を披露した。
  • NHK BS1アスリートの魂 羽生結弦 “絶対王者”がめざす頂』(2017年3月11日)
  • 日本テレビ『24時間テレビ40 告白~勇気を出して伝えよう~』(2017年8月26日)
自身の喘息清水宏保とのエピソードを『告白』。同じく小児ぜんそくと診断され、羽生に憧れる少年をスケート指導。「夢のアイスショー」と題し、郷ひろみとのコラレーションで少年の前で「言えないよ」を披露した。(いずれも録画)
2015年グランプリファイナルにおける『SEIMEI』の演技を自ら解説し、当時の重圧や状況について語った。
  • 日本テレビ『NNNドキュメント』「絶対に勝ってやる!羽生結弦 自分への挑戦」(2018年1月15日)

映画

サポート・アドバイザリー契約

出版物

書籍
  • 『蒼い炎』(2012年4月20日、扶桑社
  • 『羽生結弦語録』(2015年9月25日、ぴあ
  • 『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』(2016年3月25日、文藝春秋
  • 『蒼い炎II-飛翔編-』(2016年7月2日、扶桑社)
写真集
  • 『YUZURU 羽生結弦写真集』撮影:能登直(2014年10月24日、集英社
  • 『羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2015-2016』撮影:田中宣明(2016年7月29日、Ice Jewels特別編集、舵社
  • 『羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2016-2017』撮影:田中宣明(2017年7月29日、Ice Jewels特別編集、舵社)
カレンダー
  • 『羽生結弦 カレンダー 2013年』壁掛け(2012年10月3日、ハゴロモ
  • 『羽生結弦 カレンダー 2014年』壁掛け(2013年9月13日、ハゴロモ)
  • 『羽生結弦 カレンダー 2015年』壁掛け版&卓上版(2014年9月24日、ハゴロモ)
  • 『羽生結弦 カレンダー 2016年』壁掛け版&卓上版(2015年9月2日、ハゴロモ)
  • 『羽生結弦 カレンダー 2017年』壁掛け版&卓上版(2016年8月31日、ハゴロモ)
  • 『羽生結弦 カレンダー 2018年』壁掛け版&卓上版(2017年9月26日、ハゴロモ)
  • 『羽生結弦 フィギュアスケート2016-2017シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』撮影:能登直(2016年9月30日、Sportiva特別編集、集英社)
  • 『羽生結弦 フィギュアスケート2017-2018シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』撮影:能登直(2017年9月29日、Sportiva特別編集、集英社)
映像作品

趣味・嗜好

「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできる」との理由でくまのプーさんを好んでいる。また、フィギュアスケーターの練習に欠かせないティッシュもプーさんのケースに入れ、版権の問題で許可が下りないことがない限りは、試合の際には必ず持参している。
好きなアーティストとしてポルノグラフィティHi-Fi CAMP(羽生の地元である仙台出身)、BUMP OF CHICKENThe SketchbookKOHHなどを挙げている。またONE OK ROCKの楽曲に助けられていると言い、2017年の世界選手権で優勝した歳の勝負曲は「未完成交響曲」だと明かしている。
音質に拘るオーディオマニアで、イヤホンを収集している。普段から約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けており、最も高いイヤホンは自身の耳の型を取った特注品で約22万円。同じくイヤホンマニアの無良崇人とアイスショー等で一緒になると、ほとんどイヤホンの話ばかりしている。
セントラル・リーグ:幼少期から広島東洋カープのファンであり、憧れの選手は前田健太(現MLBロサンゼルス・ドジャース)である。これに対し前田は「羽生選手に勇気をもらったから、今度は僕が勇気を与えたい」と語っている。ちなみに小学生当時は「野球をやりたい」と思った時期もあったという。
パシフィック・リーグプロ野球再編問題によって2004年(羽生が10歳の頃)に新規参入した地元の東北楽天ゴールデンイーグルスも応援している。震災発生直後の2011年5月には、ベガルタのホームスタジアム・ユアテックスタジアム仙台での募金活動に参加している。またも好きで、引退したら名古屋城などをじっくり観覧したいとしている。けん玉も好きで『あさイチ』出演時などに実際に披露している。

その他

東日本大震災の復興支援ソング『花は咲く』を、羽生が実際に被災したアイスリンク仙台で滑る「花は咲く~羽生結弦Ver.~」が、2014年6月25日よりNHKで放送された。さらに2014年の「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会」(なみはやドーム)のエキシビションにおいける羽生の演技に、別角度から撮影した映像や練習風景などを加え、再編集を行った「羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」」が2014年12月より放送された。「第65回NHK紅白歌合戦」では、緊急手術のため入院中だった羽生のコメントを櫻井翔が読み上げ、見舞いの言葉を述べたのち、徳永英明が『花は咲く』を歌唱。徳永の背後のスクリーンに羽生の演技映像を流すという演出がなされた。
  • 『夢に描くキセキ』
2014年2月6日に、パンダライオンが制作した羽生の応援歌「夢に描くキセキ」にのせて、羽生の地元・仙台にゆかりのある多数の著名人や羽生に関わりのある人物など総勢145名が、自筆メッセージを書いた紙を手に持って出演する動画『羽生結弦応援PROJECT「仙台が繋いだキズナ」』がYouTube上に投稿された。この動画は羽生も閲覧していると発言しており、コメント欄を通じて応援メッセージを羽生に届ける場となっている。また、同曲が収録されたムーアのベスト盤CDが、アマゾンの通販サイトにおいてベストセラーチャート「ハードロック部門」で1位になった。
  • 『YUZURU 羽生結弦写真集』
2014年10月24日に集英社より発売されたファースト写真集「YUZURU 羽生結弦写真集」は初週売り上げ2.3万部を記録し、オリコン週間ランキング写真集部門とスポーツ関連部門で1位を獲得、BOOK(総合)部門では2位にランクインし、スポーツ選手写真集の本(総合)部門獲得順位と週間売上部数の両記録で歴代トップとなった。2017年7月までの累計発行部数は9万1千部となっている。
  • 『蒼い炎』
羽生へのインタビューで構成された自叙伝「蒼い炎」シリーズの印税は全額、アイスリンク仙台へ寄付される。また扶桑社の売上げの一部も寄付されることになっている。第一弾「蒼い炎」は15万部のベストセラーとなった。2017年3月までに、羽生から印税総額2500万円超が寄付された旨を、開業10周年の記念としてアイスリンク仙台が公式に発表し感謝を述べている。

関連項目

羽生結弦』の解説 by はてなキーワード

日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。ANA所属。

1994年12月7日生まれ。宮城県仙台市出身。

略歴

2010年4月から東北高等学校に進学。2010年、世界ジュニアフィギュアスケート選手権で優勝。男子シングルでは高橋大輔織田信成小塚崇彦に次いで日本人4人目となる世界ジュニアチャンピオン。6種類の3回転ジャンプのほか、4回転トウループ、4回転サルコウも跳ぶことができる。男子選手としては珍しくビールマンスピンレイバック・イナバウアーなど柔軟性の高い技もこなす。目標とする選手はエフゲニー・プルシェンコジョニー・ウィアー

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