橘家圓蔵のまとめ情報

橘家圓蔵』の解説

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橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう)は、落語家名跡。8代目が2015年に死去し、空き名跡となった。

かつての屋号は「立花屋」であった。初代圓蔵が後に2代目三遊亭圓生を襲名したため、以後しばらくの間「橘家」は三遊亭の分家的な家号になる。

圓蔵の名は「橘家」の止め名にあたり、三遊亭圓生を襲名する落語家が名乗ることも少なくなく、上記の経緯もあって6代目圓蔵までは三遊派の落語家によって受け継がれてきたが、6代目圓蔵が6代目三遊亭圓生襲名後しばらく空席だった時に、8代目桂文楽と圓生の相談により、文楽の弟子である4代目月の家圓鏡が7代目圓蔵を襲名することになり、名跡の系統が三遊派から離れた。

Category:落語の名跡

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落語家の名跡。

八代目

1934年4月3日、生まれ。2015年10月7日、死去。

東京都出身

本名:大山武雄(おおやま たけお)

1953年 - 紙芝居の職業を体験後、七代目橘家圓蔵に入門。前座名は橘家竹蔵。

1955年 - 二ツ目昇進。橘家舛蔵と改名。

1965年 - 真打昇進。三代目月の家円鏡襲名立川談志三遊亭円楽、故古今亭志ん朝とともに、落語四天王とも呼ばれた。演芸ブームで脚光を浴び1970年代から1980年代を中心に活躍。

ナゾかけを得意とし、TBSテレビお笑い頭の体操」、テレビ朝日「日曜演芸会」、文化放送「午後2時の男」、ニッポン放送「円鏡のハッピーカムカム」等マスコミで一躍人気の落語家になる。得意のナゾかけから円鏡宅の表札をめくると、「そのココロは?」と書いてあるとも噂された。

兄弟子にあたる林家三平が「ヨシコさん」で売ったのに対抗し、愛妻の節子夫人をネタにした「ウチのセツコが」というフレーズが大いにウケた。また、立川談志との当意即妙、いやその域を遥かに越えたイリュージョン的世界観に渡る掛け合いぶりで湧かせた「談志・円鏡歌謡合戦」(ニッポン放送)は今や伝説的番組となっている。

1982年 - 八代目橘家圓蔵を襲名寄席を中心に活躍し、多数の弟子を抱える大御所的存在だった。

落語のみならず、かつての「エバラ焼肉のたれ」や「メガネクリンビュー」のCMキャラクターとしても、お茶の間に知られている。

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