書評のまとめ情報

書評』の解説

書評(しょひょう、Book review)とは、一般的に、刊行された書物読者に紹介する目的で論評や感想などを記す文芸評論の一形式である。

書評は雑誌新聞の記事として、また本の形をとった書評集として出版される。インターネット上で発表されることもある

関連文献

  • 丸谷才一編・解説、幾野宏ほか訳 『ロンドンで本を読む』マガジンハウス 2001年 ISBN 4838712413 - 英国の名書評集
    • 『ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内』 光文社知恵の森文庫、2007年-抄版である。ISBN 4334784755

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サピエンス全史文明の構造と人類の幸福

著者の主張する認知革命によってサピエンスはネアンデルタール人などと一線を画し、生き残る事ができたらしい。これは、道具などの進化を見ても明らかだろう。虚構というキーワードから実に多くのことを語っている。
虚構と実存を区別できる智慧を仏教では「名色分離智」という。国や地位、名誉、会社、経済、お金でさえも全て虚構なのだ。仏教的には、この著者は預流果に達していると思われる。
さて、第二章の最後に全世界的で全時代において見られる普遍的差別が男女差別であると、書いてある。そしてそれは、男性が財産や名を相続する「家父長制」に由来すると。

全世界的な制度なので、それは生物学的なサピエンスの特徴に由来するのではないか? という作者の指摘は鋭い。しかし、なぜか結論がない。歴史学者には生物学の知識があと少し足りなかったのか。
ここで論ずるにはあまりにもスペースが足りないが、人に最も近いチンパンジー、そしてゴリラなどの類人猿の群れは実は「家父長制」なのだ。つまり、子供のメスが成長して大人になると元いた群れを離れて別の群れに行くのだ。オスは、大人になっても元の群れに残る。群れの実態は父系集団なのだ。つまり、縄張りという財産はオス達が相続する。
それに対してライオンなどの群れは全く逆で、育ったオスは群れから追い出され(死ぬ可能性がかなり高いが)、メスは群れに残ることができる。オスのリーダーは数年おきに入れ替わるのでこの群れの実態は母系集団と言え、縄張りはメス達が継承して行く。社会性動物の場合、このライオンのような群れの構造が一般的で、類人猿のような群れは稀なのだ。
つまり、サピエンスも元々、チンパンジーのような群れであった可能性が極めて高い。成熟したメスが他の群れに行くなど、まるで嫁入りそのものではないだろうか? これが「家父長制」の実態であると思われる。著者に今一歩、生物学の知識があれば、このことに言及していたであろうが、残念である。
そして、文章は面白く、苦もなく読み進められるのだが、繰り返しの説明が多く、もっと推敲すればこの本の厚さが半分で済んだ可能性もある。なので☆は四つとした。
因みに、人が執着する多くの物が実は虚構であると分かるので、煩悩を減らすにも良い本である。仏教を学びたい人も読んだ方が良い。

冒頭の「物理学」「生物学」「歴史」という枠組みが良い。「そしておよそ7万年前、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、なおさら精巧な構造体、すなわち文化を形成し始めた。そうした人間文化のその後の発達を「歴史」という。」そして、「認知」「農業」「科学」という革命の後、歴史には「終止符」が打たれ、「何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分にある」と述べる(14)。博覧強記で優れた歴史家だと思う。

そう言った上で、冒頭の人類史の記述は良かったが、その後はいまいちだった。特に人間が社会を形成し始めるくだりの文章は、もう少しどうにかならなかったかなと思う。

それでも、飼育動物に逆に人間が支配されている等々のエピソードは面白いが。

基本的にこの人のスタンスは、生態論と行動心理学実験を基に歴史が論じられるというものだ。文化と上述しているが、世界史に見る極めて多様な文化についての造詣は感じられなかった。逆に、その多様性を描き始めるとここまで一貫した語りにはならかったということだろう。前半がジャレッド・ダイアモンドだとすると、後半はリア・グリーンフェルドの西欧=シビック・ナショナリズムに依拠するものだ。つまり西洋植民地主義の何が問題ですか、というスタンス。もっとも、植民地化された人びとの苦しみは論じるのだが、そこでの「白人の責務」論と脱植民地化ナショナリズムの対立、資本主義論はお決まりのコース。その後、幸福論へと話が行ってしまう。ただ、政治体制と文化を論じず、幸福論に持っていくというのが多分この時代の時代精神なのだと思う。つまり、金正恩の独裁であろうと、トランプのアメリカ中心主義であろうと、人々の幸せには関係ないじゃん、ということか。だから売れるのだと思う。最後は、カーツワイル的シンギュラリティ論の亜種のフランケンシュタイン論で締め。

人は本来、他人と協力し合うように出来ているものではない。世界を動かしているのは会社だが、職場の中で人々は金のために働き、否応なく、生きるために助け合わざるを得ない。各国に文化差無く殺人罪があり、厳しい刑罰が存在するのは、まさに人々が歴史の中で、協力ではなく殺し合ってきた証左である。
そのような原始的人間を、社会的にまとめ上げてきたのは、著者の言う通り、虚構の力だ。そこには、宗教・文化・言語・イデオロギー、そして人権も含まれる。ありもしない、理想・夢のために、幾万の人々が協力し、そして散っていった。

その「社会」を生み出してきた原動力、それこそが虚構の姿なのだろう。
著者はそこでその話を終わらせているが、個人的には、その虚構の物語は、我々個人にも当てはまるのではないかと思ってしまう。個人レベルの虚構、すなわち、人生論であり、哲学や生きる意味、家族、国家などの、我々にミクロレベルで訴えかけるものだ。虚構こそが、人間に活力を与え、生命力を引き出す源ではないか。
この書物を手に取るあなたも、また、何かの虚構の力を借りているのかもしれない。そして、彼の思想という虚構に、力をもらうことになるだろう。

蜜蜂と遠雷

夜のピクニック』『ユージニア』『中庭の出来事』で知られる作家・恩田陸による2017年、第156回直木賞、第14回本屋大賞を受賞したベストセラー小説『蜜蜂と遠雷』!

昨年放送の『アメトーーク』読書芸人の回で東野幸治、光浦、又吉、カズレーザーたちがこぞって称賛していた作品として興味を持ち、本書を手にした次第です。



ここで優勝した者はその後著名コンクールで優勝するというジンクスがあり、新しい才能が現れるコンクールとして注目される芳ヶ江国際ピアノコンクール。

3年ごとの開催で前回の優勝者が当初は書類選考で落とされた人物であり、後に世界屈指のSピアノコンクールで優勝し、一躍スターになった事から今回の受験者たちもシンデレラ・ストーリーを求めてコンクールに挑む。

・ 養蜂家の息子で凄まじいテクニックがあって、聴く者を熱狂させてしまう異端の天才少年・風間塵15歳
・ 国内外のジュニアコンクールを制覇、CDデビューも果たしながら母の死以来、長らくピアノを弾くことができなかったかつての天才少女・栄伝亜夜20歳
・ 楽器店勤務のサラリーマンで家庭を持ちながら知人の頼みで最後のキャリアとしてコンクールに挑む本大会の最高齢・高島明石28歳。
・ 亜夜の幼なじみで完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。

この手のジャンルで漫画では『のだめカンタービレ』『ピアノの森』など有名な作品があるが読んだ事がなかった。『アメトーーク』で紹介されていなかったら手にする事もなかっただろう。

登場人物たちがそれぞれのバックボーンを抱えながら大会に挑む姿や演奏に対する表現力、緊張感などが伝わって、音楽の事が分からなくても「スポ根」的な要素が入っているので面白かった。さすが評判のイイ作品だと思いました。

どの人物に感情移入するかによって読み方も変わるだろうし、みんなそれぞれこの人に頑張ってほしいと応援したくなるような登場人物が多いのも本作の特徴だ。

カズレーザーさんも仰っていたがその曲の事を知らなくてもその曲のことが聴こえて来るというのは分かるし、その曲に対してこのような感情の揺さぶりがあるのかというカズレーザーさんの本作に対する感想の表現力にも驚嘆する。

映画『ちはやふる』『3月のライオン』と「かるた」「将棋」といった自分には馴染みのない世界を描いた作品が面白かったが本作でも共通するのは主人公や登場人物に対する感情移入ができるかどうかでその作品の面白さが伝わるのだろうなと思いました。

こんなふうに音楽が聴こえるような文章を綴りたいと思わせる作品でした。
文章から音楽が伝わり、映像となって押し寄せてくる、それだけで読者は感動に浸れるわけで、この筆力の確かさが、第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞を受賞へと結実したのも頷けます。

天才と呼ばれる登場人物の人間性の描き方にもどかしさは募りました。これだけの音楽を奏でるにしては、成熟していないキャラクターが登場するわけで、それはライト・ノベルにつながる類型的な登場人物の描き方のように感じました。奏でる音楽の背景を語る言葉と日常の会話のギャップの事です。



とはいえ、小説を読みながら、ずっと脳裏にピアノが鳴っており、音楽を聴きたいという切望感が募る経験をしたのは僥倖でした。
作者もイメージしていますが、往年のフリードリッヒ・グルダ、そして近年のファジル・サイのピアノのスタイルを髣髴とします。それ以外にも多くのピアニストのイメージがよぎりますが、それを超えたキャラクターが登場し、実際に音を聴いてみたいと思わせるものがありました。

ドビュッシーの「喜びの島」、同じく「版画」、ラヴェルの「鐘」、サン=サーンスの「アフリカ幻想曲」、バルトークの「ピアノ協奏曲 第三番」など、大好きなピアノ曲をこんなにも達者な表現力で読者へ伝えることができる恩田陸さんへの羨望の念を禁じえませんでした。

5つ星のうち 5.0読む音楽

(参考になった人 0/0 人)

ピアノ教師の友人の薦めで本書を手に取りました。 瞬く間にストーリーに引き込まれ、文字通り寝る間を惜しんで読了。 冒頭、短編小説のように登場人物が紹介される。 物語が進むにつれ、彼らが合流し絡んでいく。 その流れが、とても自然で、情景豊かでした。 小説を読んでいると「あれ?この人物って誰だっけ...」とページを逆戻ることがありますが、 本書にはそれが必要ありませんでした。 購入して良かったと思える小説です。

宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八

本書はNASAのジェット推進研究所で火星探査ロボットの開発に携わっている技術者。地球外生命はあるのか。地球外文明は存在するのか。というテーマも宇宙物理学者とロケット開発者ではアプローチがかなり違うものだと思った。前者は宇宙の普遍性を追究する人たち、後者は人間の可能性を追究する人たち、というふうにも言えるかもしれない。「SFの父」ジュール・ベルヌの『地球から月へ』が1865年に出版されてから100年後に人類は月に到達し、150年後にその記念碑的なベストセラーは国際宇宙ステーションに運ばれた。その間に、人類は東西冷戦も含めれば三度の世界大戦を経て宇宙探査技術を飛躍的に進化させた。

ドイツの工学者、フォン・ブラウンはヒトラーのために開発した液体燃料ロケットV2の技術を携えてアメリカへ亡命、陸軍で人工衛星打ち上げロケットの開発に携わる。彼の夢を打ち砕いたのがシベリア収容所帰りのソ連の技術者、セルゲイ・コロリョフ。世界初の大陸間弾道ミサイルR7を開発する一方で、1957年に世界初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げに成功。わずか3カ月後にフォン・ブラウンがアメリカ発の人工衛星、エクスプローラー1号の打ち上げに成功する。その半年後、アメリカ航空宇宙局(NASA)が設立された。それから10年余りたった1969年7月10日、人類は月に第一歩を記した。本書にあるとおり、当時は飛行機が東京からニューヨークまで直行することもできず、電卓は数十万円もする時代だった。いまや金があれば月にいる技術は買えるが、当時は買おうにもその技術がなかった。40万人というとほうもない人数の頭脳がアポロ計画にかかわっていた。本書はその40万人のうち、ほとんど語られることのない2人の貢献者に光をあてている。この人選がとてもいい。当時は非常識とされた月軌道ランデブー・モードを考案したジョン・ハウボルトと、コンピュータが人間の間違いを未然に防ぐ安全ソフトを開発したマーガレット・ハミルトン。アポロ計画には彼らのような無名のヒーローが数多くいた。彼らにとって神のような存在であったであろうフォン・ブラウンだけが、月着陸船イーグルが着陸したときハウボルトに向かって「ジョン、ありがとう」というシーンはなんだか出来すぎのような気がしたが、そういうプロジェクトX的瞬間が実は何層にも重なって、われわれは月まで到達したのだ。それから50年。宇宙探査機は、太陽系外に出た。銀河系にある惑星の数は1000億個で、われわれはそのうち8個をおぼろげに知っているだけだ。残り1000億分の99億9999万9992の惑星には無数の「ハビタブルゾーン」が存在し、そのなかに我々と似たような生き物がいないと考えるほうが無理があるような気がする。地球外生命体を考えるとき、どうしても起点になるのが私たち自身だ。著者は「地球にはたった1つの『レゴ・システム』しかない」ことはきわめて不思議なことだと言う。もし生命が非生命から化学的プロセスで自然発生したのなら、「この」生命以外の系統がなぜ地球に存在しないのか。それを説明する仮説として著者は以下の4つをあげている。①点も学的数字の偶然だった②一つの系統が他を駆逐した③生命が自然発生する一定の物理的、科学的メカニズムがある④生命が隕石などにのって外部からやってきた。そのいずれなのか、あるいはいずれでもないのかはまだわかっていないが、宇宙探査がすすめば、この生命の不思議が解明されていくだろう。自分の目の黒いうちは無理だとは思うが、この宇宙に自分たち以外の生命があったらいいな、と漠然とだれもが思うのではないだろうか。そんなものが存在してもしなくても、個人の幸福度には何の影響がないにしても。この気持ちはなんなのだろう。その郷愁のような衝動のような好奇心を著者は「何か」と表現する。その「何か」に突き動かされてこの本も書いたのだと。そのせいか科学技術の本にしてはとても情緒的で、熱をもっている。数字や理論ではなく人類の挑戦を中心に書かれているので、自分を含め、カール・セーガンの本やホーキング博士の本で挫折した人でも最後まで読み通すことができる。

地球外生命探査による宇宙汚染という問題については本書で初めて知った。地球から持ち込まれた微生物によって宇宙の環境を汚してしまうというリスクだ。大航海時代にヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌で南アメリカの原住民の95%が死に絶えたように、未知の物質はエコシステムへの脅威である。その点からイーロン・マスクがぶち上げた火星移住計画に著者は「いくばくかの危機感」を覚えると著者は吐露している。「地球のバックアップのため」とイーロンは火星移住を急ぐ理由を説明しているが、そうではなく「自分が生きているうちに実現したいというのが本音ではないか、ということも指摘している。イーロン・マスクは宇宙のことを考えると「自分が」慰められるというようなことをあるインタビューで語っていた。地球のバックアップなんていう話は一切出てこなかった。イーロン・マスクの果敢な挑戦を称賛したり応援したりする人は多い。しかし「一人の実業家のエゴは一つの惑星よりも重いのだろうか?」というこの著者の問いかけにもわれわれはもっと真剣に向き合うべきだろう。一方で、本書は人間の「イマジネーション」というエゴの一形態が宇宙開発のもっとも強力なエンジンであったということを伝えている。ヒトラーのために働き、東西冷戦を追い風に宇宙への夢を実現させたフォン・ブラウン、太陽系外惑星を次々に発見してノーベル賞候補思った矢先にセクハラによってキャリアを断たれたジェフ・マーシー、宇宙人からの電波を探すという「宝くじ」を買うことに一生をかけたフランク・ドレーク。人間はなぜ宇宙を目指すのか? 人それぞれの理由だろう。でもとにかく宇宙に「誰かいる」「何かいる」ということを考えるだけで未来に対する懐かしさのようなものを感じてしまうのはなぜなのか。本書を読んでも答えはわからないが、その問いこそが私たちをここまで連れてきたのだ。

5つ星のうち 4.0興味深く読みました

(参考になった人 0/0 人)

宇宙の本というと、ビッグバンとかブラックホール、アインシュタインの重力理論、ダークマター、ダークエネルギー等を想起する人が多いと思いますが、この本には一言も出てきません。なぜかというと宇宙物理学でなく言わば宇宙工学で、ロケットや宇宙船、惑星探査機の技術開発の歴史なんですね。

1969年のアメリカの月面着陸以来月面着陸がなく、宇宙開発は進んでないように思われる方もいらっしゃると思いますが、地球の数百キロメートルの上空には、気象衛星、通信衛星、放送衛星、軍事衛星など各種数千の人口衛星が打ち上げられて現代社会には不可欠の存在となってをり、今や民間企業による火星宇宙旅行(スペースXのイーロン・マスクCEO))まで検討されている。



そして国や国際機関は、地球の軌道空間は民間企業に任せ、幾光年も離れた太陽系の惑星(金星、火星、木星、土星、天王星、海王星)の探査に加え、木星や土星などの衛星まで探査を行ってきた。日本の小惑星探査機である「はやぶさ」は、小惑星「イトカワ」の砂を採集し7年後に60億㎞の旅を終え日本に持ち帰ってきて世界を驚かせた。この砂は月以外の世界から人類が史上初めて持ち帰ったサンプルだった。

探査機の歴史は、対象の惑星の傍を通過し写真を撮る(フライバイ)、惑星の人工衛星となって周回する(オービター)、惑星に着陸し一点を調査する(ランダー)、着陸し自走し線的探査をする(ローバー)と進展してきている。

著者の小野氏は、探査をより進化させるべく、地下に侵入し掘削する火星探査ロボットの開発を研究している。探査機器については、強い放射線などを考慮した特別仕様のCPU、操作性の優れた掘削機の開発という課題もあるが、地球から持ち込まれた微生物による宇宙の環境汚染の防止などの問題もあるんですな。

無人探査機によって、
火星は南極のような寒冷砂漠だが過去には水があったこと、太陽系最高峰(標高22km)、最大級の渓谷(深さ7km)を有すること。
金星は460℃、90気圧の灼熱地獄。
木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドスの氷の下に豊かな水を湛える海があること、木星の衛星イオには150以上の活火山、土星の衛星のタイタンはメタンの雨、メタンの湖、地底には海も。
海王星は外見は美しい青い惑星だが、太陽系最凶の嵐吹く世界。
系外惑星(太陽系以外の惑星)の発見は、マーシーとバトラーによる1995年のペガサス座51番星bの発見以来10年で数百も。ケプラー望遠鏡の貢献が大きい。

探査機の話に終始してしまったが、この本は1969年のアメリカの月面着陸計画の中で当初は非常識とされた宇宙船と着陸機回収のランデブー計画をしぶとく主張し採用させた技術者ジョン・ハウボルト、宇宙飛行士の抵抗のある中、コンピュータが人間の間違いを未然に防ぐ安全ソフトを開発したマーガレット・ハミルトン、いわば無名のヒーローの奮闘ぶりを詳しく紹介し、系外惑星の多数の発見に活躍した同志男性二人(マーシーとバトラー)の仲たがい、ナチに協力せざるを得なかったV2ロケットの開発者フォン・ブラウンの苦渋などの人間ドラマを織り込み楽しく読ませる工夫をしています。

また、人類の未来については、人類絶滅の原因は核戦争よりも、増大しつづけるエネルギー消費、地球温暖化による変異の方が可能性が大であると懸念する一方、宇宙開発に限らず、これまで人類を発展させてきた「イマジネーション」に希望を委ねています。

さて地球外生命の存在ですが、人類は八つの惑星を旅しただけ過ぎず、太陽系を含む銀河系(天の川銀河)だけでも、一千億の惑星があることを考えると否定できないと論じています。もし存在すれば、広大な宇宙であるから直接に会うことができなくとも地球のインターネットを模した宇宙空間の銀河インターネットを通じて交流することも可能と著者は夢見ています。

この本は、理系の本ですが、著者の詩人を思わせるような文学的な味わいの文体で、楽しくよく読ませていただきました。
中学生に読んでもらい、科学の種であるイマジネーションを養ってもらいたいですね

人類、主にアメリカの宇宙開発史を技術者の目でたどる。第一章はロケット開発、第二章はアポロ計画、第三章は太陽系探査、第四章は地球外生命探査、第五章は地球外文明探査の話。
1960年代末から70年代にかけて小学生高学年だった私は、(おそらくは)多くの同世代がそうであったようにアポロ計画に熱中した。アポロの司令船の絵はよく描いたものだ(月着陸船は複雑で難しかった)。だから、第一、二章で、ゴダードやフォン・ブラウンや、アームストロング、オルドリン、コリンズのトリオに再会してとても懐かしかった(ガガーリンやチトフが登場しないのは残念だったが)。

逆に、中学生になってそういう熱狂から冷めていった私にとって、第三章以降はまったくの新知識だった。
本書の特徴は、従来の宇宙開発史なら脇役に置かれただろう何人かの技術者にスポットライトを当てたこと。NASAに視察に来たケネディ大統領と清掃員のエピソード(p.71)のように、あるいは映画「ドリーム」でもそうだったが、アメリカの宇宙開発計画にはまさに「スタッフが一丸となって」というムードがあったのだろう(内部での対立もあったわけだが)。それゆえ、誰もが主役としての物語を語り得るのかもしれない。
さらに言えば、日本の小学生だった私ですら熱狂したわけだから、「アームストロングとオルドリンは、いわば三十億人のアバターだった。月に降り立ったのは二人の人間ではない。人類だったのである(p.103)」という著者の言は決して大げさではない。
話の規模が、空間的にも(天文単位とか光年とか)、時間的にも(○○億年とか)むやみに大きい。人類の歴史も、地球自体もちっぽけなものだなと思う。引用されているカール=セーガンの「天文学は我々を謙虚にさせ(p.206)」るというのはその通りだな。
たまに登場する美文調の文章を私は好まないが(逆に感興をそがれる)、宇宙に関心を持っている中学生や高校生などに、著者が「僕が最も伝えたかった」とする「イマジネーションの力(p.263)」をかき立てるには効果的かもしれない。説明は平易で比喩もたくみ。

罪の声

実在のグリコ森永事件をモデルに描かれたミステリーの本作。
もちろん実話ではないが、有名なキツネ目の犯人像など、実際のノンフィクションさながらに迫っていて面白かった。
世代的に、小学校時代に新聞を拾い読みしてみたグリコ森永事件。
新聞でみた脅迫文に書かれた青酸ソーダや、裸のオンナを連れてきてどうだこうだという文面に得体のしれない恐怖を感じたのを覚えている。
なんだか良くわからないうちにうやむやになったのだが、その時期は日航機の墜落やらいろいろとあったのだなぁ。


なんだか、光と闇を感じる昭和である。
それはそうと、犯罪に巻き込まれた周辺の人々(主に子どもたち)がメインにあるのだが、犯罪は当事者だけでなく、周囲の人生をも破壊する。
新聞やメディアには載らないところに人生を翻弄され、台無しにされた人々が必ずいる。そういったテーマが明確に描かれている良作であった。
犯人はフィクションだが、案外に巻き込まれた人々のたどる悲劇は正確に描かれているのではないだろうか。

最近は実用書ばかり読んでいたので平坦な文に慣れてしまっていたのか、この本は良い意味でも悪い意味でも衝撃を受けたようです。他人ごとのように書いたのは日中は何も感じませんが、眠ると悪夢にうなされるようになったからです。自分は傍観者で子供が嫌な目に遭うという最悪な悪夢。大抵この手の本はそこそこ評判が良くても、途中から白けてきたり終わりが見えてしまったり物語が破綻してしまいラストがチープになって結局後になって、結末が思い出せないというような本を多く読んできましたが、この本にはそれが無く、最初から最後まで実にリアルで、記憶に残るグリコ・森永事件そのものなのでは?と思ってしまえるほどでした。気掛かりは千代子さんのちゃんとした独白だけが無かったことです。悪夢は見たくないですが塩田武士さんの作品は引き続き読みたいと思います。

昭和の未解決の大事件である、 グリコ・森永事件をモチーフにしたフィクション小説。 グリコ・森永事件について丹念に調べ上げ、 独自の視点で犯人像に迫っていく。 実際に起こった(であろう)内容については、 臨場感があり引き込まれた。 作者の考える犯人像については、 一部は十分に考えられるものであった。 しかし、登場人物についての掘り下げが不十分であり、 特に事件を起こした理由については納得できなかった。 また、「○○〇目の男が〇人いる」という内容については、 リアリティーに乏しく困惑した。 さらに、後半の犯人の告白については、 事件自体は時効とはいえ話し過ぎであった。

打ちのめされるようなすごい本

パワフルな書評家・米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」とはどういう本なのか興味津々で、書評集『打ちのめされるようなすごい本』(米原万里著、文春文庫)を手にした次第です。

「打ちのめされるようなすごい小説」として、友人の若き小説家から薦められた『夜の記憶』(トマス・H・クック著、村松潔訳、文春文庫)が挙げられているので、これが凄い本なのかと納得しかけてしまいました。ところが、次に読んだクックの『心の砕ける音』の佳境に差し掛かったところで、「もっと打ちのめされるようなすごい小説を、しかも日本人作家のそれを」思い出したというのです。

その小説は、『笹まくら』(丸谷才一著、新潮文庫)なのですが、米原に、「情景や登場人物たちの微妙な心理の綾やその空気までが伝わってくる。と同時に、国家と個人というマクロな主題が全編を貫いている。徴兵忌避に実際に踏み切る直前まで逡巡し思索を重ねた(主人公の)浜田が到達した結論『国家の目的は戦争だ』は、世紀を隔てた今も切実に響く。作品全体を通して日本と日本人の戦後が、冷静に穏やかに洞察される」とまで言われては、『笹まくら』を読まないで済ますわけにはいきません。早速、私の「読むべき本」のリストに加えました。

このような道案内をするとは、書評家としての米原は、自然体のようでいて、なかなかの策士かもしれません。

米原の薦め上手のおかげで、『文学部をめぐる病い――教養主義・ナチス・旧制高校』(高田里惠子著、ちくま文庫)、『趣味は読書。』(斎藤美奈子著、平凡社)、『魏志倭人伝の考古学』(佐原真著、岩波現代文庫)、『恋と女の日本文学](丸谷才一著、講談社文庫)、『ピョートル大帝の妃――洗濯女から女帝エカチェリーナ一世へ』(河島みどり著、草思社)も、読みたくなってしまいました。

巻末の井上ひさしの解説は、書評の本質を喝破しています。「ここに一冊の書物があり、だれかがそれを読む。書物の芯棒になっている考えやその中味を上手に掬い出すのが要約であり、この要約というのもだいじな仕事だが、書評にはその上に、評者の精神の輝きがどうしても必要になってくる。評者と書物とが華々しく斬り結び、劇しくぶつかって、それまで存在しなかった新しい知見が生まれるとき、それは良い書評になる。・・・すぐれた書評家というものは、いま読み進めている書物と自分の思想や知識をたえず混ぜ合わせ爆発させて、その末にこれまでになかった知恵を産み出す勤勉な創作家なのだ」。著者と評者とが衝突して放つ思索の火花の美しさに読者は酔うのだというのです。

米原万里さんが亡くなってもう11年たちますが、彼女の本は相変わらず広く読まれています。
この本は彼女が週刊文春に書いた書評が主体で、後半は闘病記になっています。

通訳をやめてから一日に7冊の本を読んだという彼女の書評の切れ味の良さと広範な教養には圧倒されます。
当時、立花隆さんが彼女を「日本女性初の総理候補」と呼んだそうですが、
長年同時通訳に関わり、要人たちとも親しくしていただけに国際情勢の分析力が半端なく優れています。

そして書評の合間の逸話がまたとてつもなく面白い。


サハロフ博士夫妻や友人のイタリア語通訳田丸公美子さんなど、登場する人々もさまざま。
後半の闘病記は読んで辛いものがあり、傑出した方だっただけに
ほかの選択肢はなかったのか、とつい考えてしまいました。

義理の弟にあたる井上ひさしさんの解説には米原さんに対する敬愛が籠められています。

5つ星のうち 1.0偏りすぎ&上から目線

(参考になった人 9/19 人)

読書量はすごいし面白そうな本も何冊か紹介してくれてて最初は楽しく読めてたんですけど、どうにも個人的には「笑わせてくれる」といった上から目線の表現が気になります。 そして個人的にはあまり興味のわかないロシア関係の話が長く、読むのやめようかな、、と迷っていたところに南京事件のトンデモ本を絶賛しているくだりに行きつき、やめました。 本人はただの騙されやすい純粋な人なんだろうとは思いますが、さすがにこれはまずいです。

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本の紹介文、ブック・レビュー。

通常はいわゆる新刊本について行われることが多く、読者の書籍選びにあたって参考に供する意味を持つ。


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