市川海老蔵のまとめ情報

市川海老蔵』の解説

市川海老蔵(いちかわ えびぞう、市川蝦蔵市川ゑび蔵とも)は歌舞伎名跡屋号成田屋定紋三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。また替紋とほぼ同様の使われ方をする役者文様寿海老(ことぶき えび)がある。

解説

市川海老蔵は初代團十郎の幼名が海老蔵だったことに由来する名跡である。市川團十郎との関わりは深く、11代の海老蔵のうち、実に10名が市川宗家の御曹司、9名が前後に市川團十郎を襲名している。

かつては市川團十郎と並ぶ大名跡だったが、今日では市川團十郎の前に襲名する名跡となっている。このため前期には團十郎 → 海老蔵と襲名する例が目立つのに対し、後期にはこれが逆転して海老蔵 → 團十郎と襲名する例がほとんどとなる。

なお十二世市川團十郎が市川海老蔵襲名前に名乗ったのが市川新之助だったため、新之助 → 海老蔵 → 團十郎と襲名するのが市川宗家の通例だと誤解されがちだが、実際にこのような順で襲名したのは、他には五代目と六代目があるのみである。

市川海老蔵代々

  • 初代 市川海老蔵
    • 役者・堀越重蔵の子、1660–1704。
    • 初代市川海老蔵 →市川段十郎 →初代市川團十郎
  • 市川蝦蔵
    • 四代目市川團十郎の子、1741–1804。父は四代目團十郎から三代目海老蔵を襲名したが、本人は父に遠慮して「同じえびでも雑魚えびの蝦」と市川蝦蔵を襲名した。「蝦蔵」は後にも先にもこの蝦蔵ただ一人で、歴代の海老蔵にも数えない。
    • 松本幸蔵 → 三代目松本幸四郎 → 五代目市川團十郎 → 市川蝦蔵 → 成田屋七左衛門 → 初代市川白猿
  • 五代目 市川海老蔵(市川ゑび蔵)
    • 市川蝦蔵の孫で四代目の養子、1791–1859。「ゑび蔵」もこのゑび蔵ただ一人だが、ゑび蔵が七代目團十郎を襲名すると、長男の二代目新之助が六代目海老蔵を襲名していることから、ゑび蔵は最初から「五代目海老蔵」として認識されていたことがわかる。実際、その七代目が團十郎の名跡を倅にゆずって八代目團十郎を襲名させると、本人はあらためて五代目海老蔵に「復して」いる。
    • 初代市川新之助 → 市川ゑび蔵 → 七代目市川團十郎 → 五代目市川海老蔵 → 成田屋七左衛門 → 幡谷重蔵 → 二代目市川白猿
  • 六代目 市川海老蔵
    • 五代目の長男、1823–54。
    • 二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎(俳名:三代目白猿)
  • 十代目 市川海老蔵
    • 九代目の長男、1946–2013 。
    • 市川夏雄 → 六代目市川新之助 → 十代目市川海老蔵 → 十二代目市川團十郎
  • 十一代目 市川海老蔵
    • 十代目の長男、1977– 。当代。九代目にあやかって、近年ではこちらも「海老さま」と呼ばれることがある。
    • 七代目市川新之助 → 十一代目市川海老蔵

海老蔵』の解説 by はてなキーワード

市川海老蔵歌舞伎役者。屋号は成田屋

團十郎の前名として用いられる。

九代目

→十一代目團十郎。昭和15年〜昭和37年まで名乗る。いわゆる「海老さま」。

十代目

→十二代目團十郎昭和44年昭和60年まで名乗る。「海老玉」の海老はこの人。

十一代目(昭和52〜)

本名・堀越孝俊

父は12代目・市川團十郎

昭和50年世代歌舞伎役者のスター格。

眼光鋭い大きな目玉と坊主頭トレードマーク

市川宗家御曹司という血筋にくわえ、本人も祖父ゆずりの華のある容姿、父親ゆずりの大きな目玉をもって生まれ、若年にして光源氏助六弁慶を好演。

元・歌手との間に女の子が一人生まれている。

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