宮崎勤のまとめ情報

宮崎勤』の解説

宮﨑 勤 (みやざき つとむ、1962年8月21日 - 2008年6月17日)は日本の確定死刑囚東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件警察庁広域重要指定第117号事件)の容疑者として逮捕起訴され、死刑判決が確定し、刑死した人物である。

生い立ち

幼少期
東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)にある地元の新聞会社を経営する、裕福な一家の長男として出生。両親は共働きで忙しかったため、産まれてまもなく、30歳ぐらいの知的障害を持つ子守りの男性を住み込みで雇い入れている。幼い勤の世話のほとんどは、この男性と祖父が行っていた。宮崎家は曽祖父は村会議員、祖父は町会議員を務めており、地元の名士であった。家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人。
幼い頃から手首を回せず手のひらを上に向けられない「両側先天性橈尺骨癒合症」(りょうがわせんてんせいとうしゃくこつゆごうしょう)という、当時の日本には150ほどしか症例のない珍しい身体障害があったが、医者から「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。日常生活に支障がないなら、手術するにしても、もっと大きくなってからの方がいいだろう」と言われ、両親は「勤は幼い時から掌が不自由なのを気にしており、うまくいかないことを、掌のせいと考えてきたとされる。4歳の時に手術も考えたが、もし、手術して身障者のレッテルを張られたら、勤の将来に悪い結果となると判断し、そのままにした」と、積極的な治療を受けさせなかった。そのため、幼稚園ではお遊戯や頂戴のポーズもできず、周囲からからかわれても幼稚園の先生は何も対応しなかったため「非常に辛かった」と供述している。
小学校時代
小学生時代は「怪獣博士」と呼ばれるほど怪獣に夢中になったが、クラスの人気者というわけではなかった。成績は上位であって、小学校の頃から算数数学)が得意と語っており、また宮崎の母が「うちの子は英語が得意なの」と自慢しており、英数の成績は良かった。しかし、その一方で国語社会科を苦手としていた。また通信教育空手を習い、空手の型を同級生に見せることがあった。この頃はパズルに夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されることもあった。1982年短期大学在学中にNHKのトーク番組『YOU』のスタジオ収録に友人とともに出かけているが、アナウンサーが近づきインタビューをしようとすると、すぐさま他の出演者の後ろに隠れ、インタビューを受けることはなかった。
俳優の川崎麻世は短大の同級生であるが、宮﨑の逮捕時のインタビューでは「僕は記憶力が良い方だし、クラスは全部で80人ほどだったから、忘れるはずはないんだが、そんな奴いたかって感じなんだ。同級生にも聞いてみたけど、誰も覚えていなかった」というほど影が薄い存在であった。
印刷会社に就職
1983年4月の短大卒業後は叔父の紹介で、小平市の印刷会社に就職し、印刷機オペレーターとして勤務。勤務態度は極めて悪く、評判も非常に悪かった。1986年3月に勤めていた印刷会社の上司から神奈川県への転勤を勧められたが本人が拒否した為自己都合退職(実質的には解雇)する。。家業を手伝うよう両親が何度か声をかけたが、自室にこもる生活が数ヶ月続いた。9月ごろから家業を手伝い始めるが、広告原稿を受け取りに行く程度の簡単な手伝いであった。
この頃アニメ同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープのほとんどは自ら鑑賞することはなかった。ビデオサークルでは、他の会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。
1988年5月16日、祖父が死去。8月22日に第一の犯行を起こす。1989年3月には晴海のコミックマーケットに漫画作品を出品している。

逮捕

1989年7月23日、わいせつ事件を起こそうとしていたところを被害者の父親により取り押さえられ、宮﨑は強制猥褻容疑で現行犯逮捕された。

8月9日から連続幼女誘拐殺人事件への関与を認め、8月10日にその供述どおりに遺体が発見されたことから、同日の夕刊とニュースで宮崎の実名報道が始まる。翌8月11日に連続幼女誘拐殺人事件の容疑で再逮捕された。以後、次々と事件が明るみに出た後、後藤正夫法務大臣(当時)は、「死刑くらいでは収まらない残酷な出来事だ」と発言した。

精神鑑定

1989年8月24日東京地方検察庁の総務部診断室で簡易精神鑑定を受ける。精神分裂病(当時の呼称で、現在では統合失調症に改称)の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まるとされ、これを受けて検察起訴に踏み切った。初公判では「全体的に、醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか・・・」と罪状認否で訴えた。

公判開始後の1990年12月より、5人の精神科医と1人の臨床心理学者による精神鑑定が実施される。この鑑定では動物虐待などの異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べたことなどは供述が曖昧なため事実ではないとみなされた。1992年3月31日精神鑑定書が提出され、人格障害とされた。

1992年12月18日より、弁護側の依頼により3人の鑑定医により再鑑定が始まる。

裁判

第一審
1997年4月14日東京地方裁判所死刑判決。判決時の被告は時折周囲をしらけた表情で眺めるくらいで、いつものように机上に広げたノートに何かを書き続けていた。法廷を出る際は、薄笑いを浮かべていた。責任能力に関しては、逮捕時の彼にそのような多重人格や統合失調症を疑わせるような異常な反応は見受けられず、逮捕による拘禁反応とみなした場合に最もうまく説明できることを理由に第2回鑑定は採用されず、責任能力は完全に保たれていたとされた。即日控訴
控訴審
2001年6月28日東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決。同年7月10日上告
2004年には奈良小1女児殺害事件が起こるが、同事件の容疑者が「第二の宮﨑勤」の発言を行ったことに対し「精神鑑定も受けずに、『第二の宮崎勤』は名乗らせません」(雑誌『』2006年1月号)と宮﨑の名を使ったことに対し痛烈に批判した。
上告審
2006年1月17日最高裁判所が弁護側の上告を棄却。弁護側は判決訂正を求めたが、2006年2月1日に棄却。

死刑執行

2008年6月17日東京拘置所で死刑が執行された。執行命令書の署名を行った法務大臣は鳩山邦夫。宮﨑は冷静に執行を受け入れ、また宮﨑の母親は遺体との対面後、拘置所に処置を任せたという。

宮﨑の手紙

雑誌『』の篠田博之編集長に宛てた手紙には日本の現行の死刑方法における批判がしばしば書かれており、2006年には「踏み板がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどんぞこにおとしいれられるのである」と絞首刑を批判、薬物注射による死刑導入を訴えていた。2007年の書簡には「この国の現行の死刑執行方法だと、死刑確定囚の人は、『私は刑執行時は死の恐怖とたたかわねばならなくなるから、反省や謝罪のことなど全く考えられなくなる』」とも記していた。編集部に宛てた手紙はおよそ300通、内容は拘置所内で読んだ漫画本のタイトルを並べただけの物がほとんどであった。知人にも合計で2000通近くの手紙を拘置所内から送っていた。また、死刑判決が決定してからは独房でアニメビデオを鑑賞することが許可されていた。

動機

事件の奇異さから、さまざまな憶測が飛び交い、また宮崎自身が要領を得ない供述を繰り返していることから、裁判でも動機の完全な特定には到っていない。

鑑定に当たった医師たちによると、彼は本来的な小児性愛者(ペドフィリア)ではなく、あくまで代替的に幼女を狙ったと証言されている。「成人をあきらめて幼女を代替物としたようで、小児性愛や死体性愛などの傾向は見られません」(第1次精神鑑定鑑定医 保崎秀夫 法廷証言)および「幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず・・・幼児を対象としたことは代替である」(簡易精神鑑定)。

一方で、彼の性愛の対象は、成人の女性より幼女を(幼女性愛)、幼女よりその死体を(死体愛)、死体よりそれを解体したものを(死体加虐愛)、さらにそれをビデオに撮ったもの(拝物愛)と移っていった、とする意見もある。

アニメ・漫画の影響

宮﨑が暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオを多数所持していた事から、一部マスコミでは、それらの悪影響を主張する意見も見られた。しかしながら実際には、そうした内容の漫画やビデオは、宮崎の膨大なコレクションのごく一部に過ぎなかった(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件#影響を参照)。宮崎の趣味の特異性は、むしろジャンルに関係なく無作為に多数の漫画やビデオを収集していた事とされる。

この事件により、「有害コミック騒動」が活発化し、アニメ・漫画・ゲームなどが人間に悪影響を及ぼすという風潮が高まり、マスコミやPTAなどでの議論となった。その後の「有害コミック騒動」においても、事件の代表格である「幼女連続誘拐事件」は取り上げられている。

家族

稀に見る凶行であったため、家族へ及んだ影響も大きかった。人々の宮﨑への憎悪はそのまま彼の家族・親族へと波及した。

家族・親戚らの境遇
宮﨑は両親の他に姉妹二人兄弟二人がいたが、彼らに対して「お前達も死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が大量に殺到した。長女は勤めていた会社を辞め、既に結婚間近だったが自ら婚約を破棄した。次女は在学していた看護学校にいられなくなり、自主退学に追い込まれた。二人の兄弟もいずれも辞職した。父親の弟は、5つの会社の役員を全て辞職した。
父親の弟2人も仕事を退職した上、次男は持っていた会社を妻の名義に変更。三男には娘が2人おり、宮﨑姓を名乗ることの影響を考え、苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかないから」と妻を説得して離婚、娘達は妻に引き取らせた。母親の兄の2人の息子は警察官、高校教師であったが辞職した。背景には週刊誌で暴露された影響があったと言われる。
父親の自殺
家族は宮﨑の逮捕から1年後に引越をした。宮﨑は父親に対して私選弁護人をつけてくれるよう要請したがこれを拒絶。4年後の1994年に父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りを付けると、東京都青梅市多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。
作家の佐木隆三は父親の自殺を「現実逃避であり被害者家族を顧みない行為である」と非難した。佐木は他に、私選弁護士をつけるよう要請して来た宮崎を拒絶したことについても批判している。私選弁護人を選定しなかったことで国選弁護人が選ばれ結果国費が使われるからというのがその論旨であった。宮崎の父親には私選弁護人をつけるだけの経済力が十分備わっており、佐木は父親への批判として「家庭における父親の不在」というキーワードを挙げている。
父親とかねてから交流があり、事件後も父親へのコンタクトを定期的に続けた新聞記者は、「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛に苛まれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と語っている。
宮崎の父親は、自分が糾弾されるのは、息子が犯した罪を思えば当然だが、全く関係のない自分の親族らにまで非難の矛先が向けられ、辞職したり、逼塞することを余儀なくされていることに苦悩していると、インタビューで言及していた。
自宅跡地
現在、宮﨑の生家は取り壊されて空き地になっているが、事件の影響が大き過ぎたために土地の買い手が誰も現れず、完全に荒れ地となっている。

死刑執行の背景および波紋

鳩山邦夫法相(当時)が死刑執行命令書への署名を行い、2008年6月17日午前に東京拘置所で宮﨑の死刑は執行された。犯行動機は未解明のまま、精神鑑定も継続中という状況だった。(過去10年間における)死刑確定から死刑執行までの平均は約8年であり、死刑確定から2年4ヶ月というスピード執行となる。

2007年12月以降、死刑執行された死刑囚の氏名を公表しているが、宮﨑勤の死刑執行は鳩山法相下での13人への死刑執行の中では最も大きな注目を集めた死刑執行であった。なお、この宮﨑の死刑執行については法相である鳩山本人が「(宮﨑勤の事件は)最も凶悪な事犯の一つだと思うから、死刑執行すべきと思うが検討しろ」と執行するための手続きを開始させた事案であったことを、2010年末に民放テレビのインタビューに鳩山本人が答えて明らかにした。

2008年6月8日秋葉原無差別殺傷事件が影響を及ぼした可能性も指摘されていたが、鳩山法相の秘書経験があるジャーナリストの上杉隆によると、宮崎勤死刑執行は秋葉原事件とは関係ないとしている。アムネスティ・インターナショナル日本や「死刑廃止を推進する議員連盟」(会長・亀井静香衆院議員)など人権団体が同日、相次いで抗議を表明した。

また、日本弁護士連合会は宮崎誠会長名で「半年余りで13人の大量の死刑執行が行なわれた。政府に対し、死刑制度の存廃を含む抜本的な検討と見直しを行なうまでの一定期間、執行を停止するよう重ねて強く要請する」との声明を出した。宮﨑の国選弁護人を務めた田鎖麻衣子弁護士は同日、「数ヶ月前から再審請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」との声明を発表した。5月末には鳩山邦夫法相に死刑を執行しないよう文書にて要請していたという

著書

雑誌『』編集部との往復書簡を掲載したものが出版されている。

  • 『夢のなか - 連続幼女殺害事件被告の告白』 創出版、1998年12月。ISBN 9784924718302
  • 『夢のなか、いまも - 連続幼女殺害事件元被告の告白』 創出版、2006年2月。ISBN 9784924718722

学歴

  • 1975年3月 五日市町立五日市小学校卒業
  • 1978年3月 五日市町立五日市中学校卒業
  • 1981年3月 明治大学付属中野高等学校卒業
  • 1983年3月 東京工芸大学短期大学部画像技術科卒業

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20世紀の51大事件私は目撃した

5つ星のうち 3.0それなりに

(参考になった人 2/3 人)

とりたててスゴいという記事はありませんでしたが、それなりに愉しめた一冊でした。 一応、資料的価値もあるかと思い、7-11で購入しました。 現在、濱嘉之氏の『カルマ真仙教事件』を上・中巻と読み終えたので、オウム真理教事件関係の記事3本を特に興味深く読みました。

宅間守 精神鑑定書――精神医療と刑事司法のはざまで

5つ星のうち 4.0「振り返る」べき事件

(参考になった人 14/20 人)

本書が新刊で書店に山積みされていたころ、興味を惹かれたが手に取らなかった。
理由はふたつ。本の価格と、あまりに悲惨な出来事が書かれているだろう予想が、
容易に想像できたことだ。しかし、先日思い切って大枚をはたいてみたのである。

これまで、宅間守に関する情報はそれなりに読んできた。
月刊誌のルポやネット情報まで、いろいろ漁った。

事実関係として旧知のことも、ままあった。
が、驚かされたのは本書のもつ「生々しさ」だ。
鑑定書であるから、当然、文中には宅間守の言葉が使われている。


鑑定での宅間の発言を元にしてあるわけだから、まさに肉声であり
それが「編集」されているのが、この鑑定書なのだ。

つまり、書籍として刊行することを目的としていない文書が、
こうして広くあまねく伝わるようになったのは、筆者である
岡江晃医師の心に「アカウンタビリティ」が宿ったからだろう。

正直、読み進めるには眉をしかめてしまう箇所がある。
また、文章としては、いびつに構成されているため読みにくい。

それこそが、本書に「生々しさ」を感じさせられる理由だ。

多くの人に読んでほしい一冊、というわけではない。
だけど、「読むべき」一冊だと思う。

宅間守というモンスターの心の中を少しでも読み解くことで
悲惨な犯罪を防ぐことができないだろうかと、わたしたちは
この一連の事件と、この男についてしっかり「振り返る」必要があるからだ。

著者の岡江晃医師は、本書を上梓した5ヶ月後に、帰らぬ人となった。

あの事件の被告を担当した専門医の「精神鑑定書」として、あくまで専門家による「記録」として読むべきなのでしょう。しかし、あの被告の特殊性とその成育歴は誠によくわかります。こういう文書の形式からか同じ様な記述が何度も繰り返されますが、それは一層人物の特異性を浮き彫りにしてくれています。しかし一読者としては、なんだか物足りない感じがするのは、これがノンフイクション作品ではなく、あくまで裁判の為の資料としての「文書」だからなのでしょうか?
特に第五章の「診断」の部分だけはあまりに専門用語が頻出しており、その知識の無い読者には読み難いと思いますが、それはこういった専門分野に属する文書としての特殊性から仕方のないことなのでしょう。


疑問であるのはこういった鑑定書は「家族」には触れないものなのでしょうか? 父親と母親に関する記述が一切無いと言ってよいほど、書かれていないのです。幼少期よりこれほどに異常な行動と言動をしてきた人物には、その両親が与えた影響というものが大きな比重を占めていると考えるのですが、何故それが書かれていないのか? (祖母に可愛がられたとの記述はあるのですが・・・・。) それはやはりノンフイクション作家のなすべき分野に入るのかもしれません。なんにしても貴重な出版物であることは確かだと思いますし、これを世に問うた出版社に対して賛辞を送りたい気持ちです。

この男の生育歴や病歴、基本的な人格などほぼ全方面について調査検証しています。
また、脳の情報処理中の遷移をCT画像で掲載されいます。
この精神鑑定書ではサイコパスという言葉を一切つかってはいなけいど、サイコパスであると推定される精神鑑定書であると思います。
日本ではこういう鑑定書が開示されるというのは珍しいので、犯罪心理学やサイコパスに興味がある人は読むべきです。

その後、この書籍について書かれている「宅間守精神鑑定白書を読む」という本を購入しました。


この書籍の中で著者の岡江晃氏は2013年10月28日に亡くなられたことを知りました。
「宅間守精神鑑定白書を読む」の中で岡江晃氏の遺稿「刑事責任能力と精神鑑定」、この書籍について質疑応答(実際には岡江晃氏を囲んでの質疑応答)が書かれていて、この事件について様々な専門家の意見が書かれています。
なによりも「宅間守精神鑑定白書を読む」では「宅間守精神鑑定白書」には書かれていない精神科医が直面する「責任能力の有無判定」について書かれているので読むと良いと思います。

死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人

5つ星のうち 5.0自分と似ている山地

(参考になった人 57/61 人)

秋葉原事件等と同様、子供の頃は被害者、成長してからは加害者という典型例だと思った。

自分も母親は山地よりマシだったが、異常な家庭で父親から虐待を受けて育った。
うつ病の発症で、何度も自殺未遂し高校進学もできず、人間関係も苦手で、50過ぎた今でも、トラウマ治療を続けている。
だから、母親を殺した気持ちはよくわかる。
「虐待されたから仕返ししただけだ。反省はしない」という言葉にも非常に共感できる。
自分は、一昨年、老いて抵抗できなくなった父親に罵詈雑言をぶつけながら十数回蹴とばしてやり、少しはすっきりした。


だが、今でも、父親を殺したい気持ちは持っているし、ヒプノセラピー等の治療では、想像上で何十回惨殺したことか・・・

山地を発達障害だのアスペだのというが、正式に診断されたわけではないし、物心つく前から、あれほど異常で劣悪な環境ではまともに育つ方が不思議だろう。
あの家庭では、優しさ、思いやり、人とのコミュニケーション能力等を育む事は非常に困難だったろう。

心の傷は外からは見えず、本人も自覚がなかったが、山地のインナーチャイルドはズタズタに傷ついていたばずだ。
自分は子供の頃は、感情や体感を無意識に麻痺させ自己防衛していたが、山地の場合、あれ程残酷だった父親を美化までしている。
そこまでしなければ、精神が崩壊してしていたと推察される。

少年院では、反省ばかり求められていたが、もっと、同情、共感してあげてもよかったと思うし、現状では難しいだろうが、更なるトラウマの治療も必須だったろう。(大怪我を負っている者や重病者なら、もちろん退院させなかったろうが、彼は本来なら集中治療室に入院する程の心の傷を抱えたまま、退院してしまったのだ。)

勿論、姉妹殺人は決して許される事ではないが、山地の潜在的な長年の憎しみ、恨みの感情が不幸にも無関係な姉妹に暴発してしまったように思える。子供の頃、父親から虐待を受けていたヒットラーが、怒りの矛先をユダヤ人に向けてしまったように。
(自分はたまたま、うつ病になり自分を殺す方向に向かったが、根本は同じだろう)

某番組で、姉妹の父親が「死刑にならないのなら、俺が殺す。それが、叶わないなら、警察署の前で腹を切る」と語っていたが、当然の怒りであろう。

山地はあのままだったら、また、殺人を犯しただろうし、死刑は妥当だったと思う。

だが、せめて、被害者家庭の1/10でも、山地の家庭に温かさがあったら、あそこまでの惨劇は防げたのではないか。

凶悪犯罪者ではあったが、心の奥には、強い怒り、悲しみ、どこにも居場所がなく、心から分かり合える友もない深い絶望感があったであろう。
悲劇の連鎖を防ぐには、児童虐待やDVへの早期救済、被虐待児のトラウマ治療の保険適用化等が、必要ではないだろうか。

5つ星のうち 1.0まず、クドすぎる

(参考になった人 11/16 人)

途中まではふんふん、なるほど、と読み進めるが中盤辺りから同じ話を繰り返してるだけでちょっとしつこい。
広凡性発達障害の【疑い】があるだけで結局は山路に安い同情心を抱いて酔いしれているだけの本では??
きちんと善悪の判断がついているし新聞配達で家計を助けることもできる、あとはもう家庭環境と、持って産まれた性格によるもの。
山路の発言ひとつひとつに無理矢理障害名をあてはめているだけ。
ゴト師として働いていたエピソード等、本当にどこにでもいる要領の悪いちょっとおかしなあんちゃんでしかない。


障害者による犯罪、更正、社会復帰、社会福祉の充実など真剣に考えるのなら山本譲二氏の『累犯障害者』を読んだ方がずっとタメになる。

この本を読んで感じたことは、やはり死刑は必要だということ。
彼の生い立ちは確かに悲しい。
でも、母親をバットで殴り殺した時点でその人生は終わっていたと思う。
先進国で文明社会、そして法治国家であるがゆえに、「理由もわからないでもないよ、身内殺しだし、赤の他人に危害加えてないし、まだ未成年だし」
と、手厚い保護を受け、結果
何の罪もない姉妹の顔面や体に何度も何度もナイフを突き立て強姦し殺害するに至った。
山路のようなグレーゾーンの人に対して社会がどこまで手を差し伸べることができるか?保護司の例を見ても結局限界がある。
それでも精神科医や弁護士や様々な大人がそれなりに彼を理解しようとしたのは認めるが、結局理解なんてできるわけがない。
山路の地元の人間の署名運動もいかがなものか。母親を惨殺し反省もできない者を世に放てと、無責任にも程がある。署名した人々は今後の彼の行動に何の責任もとれないのに。

被害者遺族の方がのぞむ通り死刑になったことに心から安堵した。
死刑になっても遺族はむくわれない、なんて詭弁は聞き飽きた。

5つ星のうち 5.0当事者の感想

(参考になった人 2/3 人)

アスペルガー当事者です。ボクが精神科入院でテレビ見れなかった時の事件です。テレビ見れず山地君のコトは知りませでした。酒鬼薔薇君の書いた絶歌でたまたま山地君を知りました。海外でアインシュタインのようや成功者もいます。でも日本社会はアスペルガーの人にホント冷たい。ボクや山地君のようにアスペルガーで大学の学費ないだけで人生game over。もしも山地君の親がちゃんと教育受けてたり、山地君に兄弟いたら、この子は普通じゃないと気づいてもらえたでしょう。うちも気づいてもらえない山地君と同じパターンでした。ボクは人を殺した経験などありませんが、生まれてこなきゃ良かった、という気持ちはよく分かります。

この本にアスペルガーの人は露悪的で自分に不利になるコト平気で言うと書いてました。気をつけようと思います。何か大事件起きると、マスコミは必ずアスペルガーぽい暗い人を悪いように報道します。抗議の声を挙げないといけません。

文章読本

この人の文章なら読みたい。そんな名文を書くにはどうしたらよいのでしょうか。いや、名文などでなくても、読んでよかった、と三回か四回に一度くらい、思っていただけるくらいにはなりたいと。

井上ひさしさんは、この本、とくに、第二章「名文を読め」を繰り返し読むのが良い、と書いていました。

丸谷さんは、この章題のとおり、自分にとっての名文を何度でも読み、熟読し、ときに音読し、「心の底に貯へ」ることで、文章の書き方を学べる、と述べています。才能とは伝統の学び方の才能であり、「先人の語彙、過去の言ひまはし」が、わたしたちの文章を織る際の糸になると。

わたしたちは、新しい「言葉」の創造などできず、ただ在来の言葉を組み合わせて新しい「文章」を書こうとするだけだと。

ところで、この第二章に名文の例が引かれていて、志賀直哉や佐藤春夫、石川淳の口語体は読めても、世阿弥、石川、斎藤緑雨などの文語体は、お手上げでした。丸谷さんや井上さんは、こうした文語体にこそ、日本語の伝統があり、口語体の基礎にもなっている、と言うことなのでしょうけれども。ぼくは、名文は、口語体だけにしておきましょう。

他の章にも、文章を書くためのヒントがちりばめられています。

引用は、引用する人とされる人を一体化し、今ここに過去を呼び出すことであり、必然性のある引用は長くてもかまわないが、引用文に負けない質の文章を自分も書くこと。

抽象的な、あるいは、観念的な言葉より、具体的なイメージをもたらす文章を書くこと。(「元気です」より「毎朝、四時に起き出し、仕事にとりかかり、明るくなれば、表を掃いています」、というようなことだと思います)。イメージは文章に説得力をもたらすこと。イメージ喚起には、名詞より、むしろ、動詞が大事であること。これは、聖書の読み方のヒントにもなります。神やイエスの行為は、動詞の羅列で表現されることがしばしばあります。

ただし、イメージが大事でも、イメージ的な例話と結論の論理的関係が明確でない場合、うさん臭くなるとも。けれども、ぼくは、口話の場合、例話や体験談、時事ネタなどには、聞き手のリラックスや注目を促す効果も期待できるので、かならずしも、論理的な連関がなくても、あるいは、ゆるやかでもよいのではないか、とも思います。文章は、そういうわけには行かないでしょうけれども。

文体とは、わかったようでわからない言葉ですが、丸谷さんは「ちょっと気取って書く」こと、あるいは「気取らないふりをして気取る」こと、これが文体の核心であり、「装ふといふ心意気」と「装ふ力」が必要だと言います。

その他、対話的な文章、螺旋階段的な文章が望ましい、文章を書くとは直線を引くことではなく平面を織りあげていくことなど、有益な示唆が並んでいます。

あるいは、過去のことを述べる時も現在形をまぜる、「である」づくめは止めて、「だけれど」「なのに」、体言止めなどの結びも差し込んでみる、ともありました。

話を戻すと、名文を読むことは、型つまりは修辞法、レトリックを身につけることにほかなりません。けれども、日本の近代化においては、江戸期の過剰な様式は捨て去られ、西洋文明は様式とは無縁の率直、露骨なものだと勘違いされてしまい、富国強兵、帝国主義という、レトリックなきもの、文体のないものが横行した、と丸谷さんは言います。言いたげでした。「レトリックをしりぞけて、現在の言葉だけで語らうとするとき、われわれの世界はたちまち浅くなり、衰へる」(p.374)と。(明治憲法は論理的にも不誠実な悪文だとも。)レトリックがなくなる時、戦争が起こり、人が苦しめられるのです。

であれば、ぼくたちが、名文を読み、それを少しでも、自分の駄文にも反映させようとすることは、世界平和、深みのある世界の生存の、すくなくとも、方角は向いているのではないでしょうか。ぼくの場合、心の奥底に貯まって浮かんでこないか、底に穴が空いているか、ですけど。

本書は文章の書き方を指南するガイドブックではありません.そんなハウツーものは得てして叙述が断片的かつ皮相的で,あまり役に立たない.一方この本書は本格派.作文という困難事の原点に立ち帰ってそこから作文を見ていこうという手法です.第2章の冒頭に早々と作文の極意示されていますので,そのまま引きます.

「しかし文章上達の秘訣はただ一つしかない.あるいは,そのただ一つが要諦であって,他はことごとく枝葉末節にすぎない.当然わたしはまず肝心の一事について論じようとする.とものものしく構えたあとで,秘訣とは何のことはない名文を読むことだと言へば,人は拍子抜けして,馬鹿にするなとつぶやくかもしれない.

そんな迂遠な話では困ると嘆く向きもあらう.だがわたしは大まじめだし,迂遠であろうとなからうと,とにかくこれしか道はないのである.観念するしかない.作文の極意はただ名文に接し名文に親しむこと,それに盡きる」

もう分かりました.ならば,私は名文を沢山読むことにしますが,名文が既に眼前にあります.本書自体が丸々名文なので,私は本書を繰り返し読み,わが血肉にしたいと望みます.著者は親切にも名文のサンプルを次々に蔵出しし,逐一説明付きで私たちに見せてくれますから,私は大いに助かります.本書の特徴はこのような例文が非常に多いことでしょう.例文に飽き足らない読者は原文にまで立ち戻れば良いのです.読者はこれら名文を何度も熟読するうちに用語を覚え,語彙を増やし,更には文章の呼吸とか調子とか,曰く言いがたい文章の何かを感受して体で覚えていきます. 28頁に石川淳のすごさを書いていますので,引用します.

「名文はわれわれに対し,その文章の筆者の,そのときにおける精神の充実を送り届ける.それは気魄であり,緊張であり,風格であり,豊かさである.われわれはそれに包まれながら,それを受取り,自分のものとする.われわれはおのづから彼の精神の充実を感じ取って,筆者が文章を書くことを信じてゐる信じ方に感銘を受け,やがて自分もまた文章を書くことの威儀と有用性とを信じるのだ.これこそ名文の最大の功徳にほかならない.たとえばここに,出雲の指物師,小林如泥のことを叙した石川淳の文章がある」

と書いて,この後に名文のサンプル「小林如泥」が提示されます.読んでいて圧倒されるほどの凄さです.どうぞ本書29頁を読むか,石川淳の「諸国畸人傳」にある「小林如泥」の全文を読んで,名文の最大の功徳を体感して下さい.石川淳がこんな文章を書くことができたのは,彼が古今の名文を浴びるが如く読んでそのエネルギーをわが身に引受けてきたせいでした.

ところで,名文であるか否かは何によって分かれるのか.それは簡単です.丸谷さんは,君が読んで感心すればそれが名文である,と.読んで感心し,敬服し,陶酔すれば,それはたちまちあなたの名文になります.それを繰り返し読むうちにやがてその名文は,言葉の操り方の師,文章の規範,エネルギーの源泉となる,丸谷さんはそう書かれました.となれば,名文を自分で見つける努力が不可欠となりますが,それも面倒だと思う読者は本書を何度も読めばいい.ときには音読も良い.気に入ったところはノートに書き写せば更に良い.永井荷風は師と仰ぐ森鴎外の文章を毎日,墨筆をとって模写していました.これを欠かすと筆力が落ちると日記に書いています.

さて、文章を書いてみようとか操觚の士を志したものがまづ手にするのが『文章読本』の類ではないだろうか。

谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の先行作を検証した上で、丸谷才一氏が世に問うたのが本書である。

当時は画期的な『文章読本』として愛読したものだが、何十年ぶりに入手し、再読した。

引用される文章も、丸谷氏の文学趣味と学識の深さを示しているし、氏なりの文芸批評のような部分もあって読み応えのあるもの。今読んでも教えられることが多いし、当時の文壇状況も伺えて懐かしく読むことができる。



丸谷氏は名文家として、佐藤春夫と石川淳を挙げていたが、今日的に見たら、石川淳が名文家というのはちょっと怪しい気がする。
当時は石川は文壇の高齢の大御所(??)という事になっていて、隠然たる力を持っていたからお世辞を使ったのではないかという気がしてならない。
『ちょっと気取って書け』っと丸谷才一氏は提唱するが、石川淳の文章は気取りを通り越して嫌味が感じられてならないからだ。
丸谷才一氏は鴎外あたりの文章を念頭に置いていたと思われるが、石川の文章はカッコつけすぎである。

また、志賀直哉の文章を賞揚している部分も英文学と対比させて褒めているのが変である。この辺も、志賀直哉の悪口を言ってはならないという当時の文壇の風潮に配慮したのではないかと勘ぐってしまう。

本書で長らく疑問だったのが、佐藤春夫の『好き友』である。
佐藤春夫が名文家というのは共感するが、いくらなんでもこの短文が佐藤春夫の名文中の名文とは感じなかったのであるが、その疑問も最近なんとなく解消した。

つまり、医者の息子だった丸谷才一氏は、やはり医者の息子だった佐藤春夫と同じ経験をしたのであろう。
そこでこの佐藤春夫の『好き友』という短文が丸谷才一氏の心に強く響いて、名文として深く刻まれたのである。

作家の家庭環境、つまり作家の生家の言語環境にこだわるのも丸谷氏の文芸批評の特徴と思うから、私は多分そうだろうと推測するのである。

宮崎勤』の解説 by はてなキーワード

人名。

彼の引き起こしたM君事件により「おたく」の存在が社会的に注目された。

現在、オタクが誤解され、差別を受けている主な原因の一つと言われている*1

 

1988年から翌89年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件?警察庁広域重要117号事件・犠牲者4名)の被告人

1989年7月23日、別件の現行犯で逮捕される。

1989年8月24日簡易鑑定

1997年4月14日東京地裁にて有罪(死刑判決

2001年6月28日東京高裁にて被告側の控訴棄却

2006年1月17日最高裁にて被告側の上告棄却裁判官4名全員一致の判断)。これにより、死刑判決が確定。

2008年6月17日死刑執行

 

事件後は、出版業界(とくに漫画やアニメなど)などで性的な表現に対する自主規制が厳しくなった。

宮崎勤』by Google Search

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