安倍晋三のまとめ情報

安倍晋三』の解説

安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年昭和29年)9月21日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(7期)、内閣総理大臣第96代)、自由民主党総裁(第25代)。

内閣総理大臣第90代)、内閣官房長官第72代)、自由民主党総裁(第21代)、自由民主党幹事長(第37代)などを歴任した。

概要

親族に政治家が多く、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父の岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の佐藤栄作(第61 - 63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)、弟の岸信夫(衆議院議員)などがいる。妻は森永製菓第5代社長・松崎昭雄の長女・昭恵。

大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年(平成18年)に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年(平成19年)9月26日に内閣総理大臣を退任。2012年(平成24年)9月に自由民主党総裁、同年12月26日に内閣総理大臣に再就任。

出生から政界入りまで

1954年(昭和29年)9月21日、当時毎日新聞記者だった父・安倍晋太郎と、母・洋子の次男として東京都で生まれる(本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と回想している。幼い頃は野球選手刑事になることに憧れていた。

学生時代

成蹊小学校成蹊中学校成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科を卒業。

小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間は平沢勝栄家庭教師についていた。高校ではクラブ地理研究部に所属。高校卒業後成蹊大学に進み、佐藤竺教授のゼミに所属して行政学を学ぶ。大学ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され1978年に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、1979年中退した。

会社員時代

1979年(昭和54年)4月に帰国し、神戸製鋼に入社。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。

政界へ

神戸製鋼に3年間勤務した後、1982年(昭和57年)から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての修行を行う。1987年(昭和62年)に当時森永製菓社長だった松崎昭雄の長女で電通社員の昭恵結婚する。この時媒酌人を務めたのが、清和研創始者福田赳夫だった。

衆議院議員

1991年(平成3年)に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。1993年(平成5年)に父の地盤を受け継ぎ、第40回衆議院議員総選挙山口1区から出馬し初当選した(安倍後援会は新生党古賀敬章日本新党江島潔含め三分裂、江島は1995年下関市長となり手打ち)。当選後はかつて父・晋太郎が会長を務めた清和政策研究会に所属する(当時の会長は三塚博)。1995年(平成7年)の自民党総裁選では荒井広幸石原伸晃と共に小泉純一郎選対の中核になった。1997年(平成9年)自民党青年局長に就任。1998年(平成10年)に政策集団NAISの会を結成。厚生族として社会保障などに通じた議員と見られていた。

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派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年(平成12年)の第2次森内閣で、小泉純一郎の推薦を受け、政務担当の内閣官房副長官に就任。第1次小泉内閣でも再任した。

2002年(平成14年)、水野賢一外務大臣政務官在任中に台湾訪問拒否され同辞任した際も理解を示し擁護、小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣参与中山恭子と共に北朝鮮に対する経済制裁を主張し、拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針にも中山と共に頑強に反対した(この拉致問題への対応により、内閣官房長官だった福田康夫との関係に亀裂が入ったといわれる)。西村眞悟上田清司とも拉致問題・教科書問題・日本における外国人参政権問題を通して親しくなった。

2003年(平成15年)9月、小泉によって自民党幹事長に抜擢された。事前には筆頭副幹事長への就任が有力視されていたため、小泉の「サプライズ人事」として注目を集めた。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の大平正芳総裁時代の斎藤邦吉幹事長以来24年ぶりであった。大臣経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは前代未聞。総選挙で与党は安定多数の確保に成功したが、自民党の単独過半数はならなかった。

幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。2004年(平成16年)4月埼玉8区補欠選挙で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人柴山昌彦が当選(同公募には佐藤ゆかりも最終選考に残った)、同年夏の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任した(幹事長経験者の幹事長代理就任は異例)。

ポスト小泉

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小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣。

2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。憲法改正教育改革、庶民増税を極力控えた財政健全化に取り組む方針を示す。また、総裁選に当選した場合、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。

内閣総理大臣就任

2006年9月20日、小泉の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。就任2ヵ月目の11月26日に公邸に入居した。

第1次安倍内閣

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就任表明では「美しい国」というテーマの下に「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などのカタカナ語を多く用いた。

安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国韓国への訪問を表明。2006年10月に中国・北京胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。11月3日に行われた日米野球の第一戦の始球式を務め、その際の練習相手は(自身の1歳下で作新学院高等学校野球部正捕手として江川卓とバッテリー組み、早稲田大学野球部では山倉和博の控え、熊谷組野球部でも活躍した)清和研新人代議士亀岡偉民

北朝鮮が核実験を実施したことに対しては「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。

同年9月から11月にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える郵政造反組復党問題が政治問題化する。12月には、懸案だった教育基本法改正と防衛庁昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝煎りで任命した本間正明税制会長が公務員宿舎への入居と愛人問題で、佐田玄一郎行改担当大臣が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任。この後、閣内でスキャンダルが続いた。

2007年3月の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、4月下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続き日米関係が強固なものであることをアピールした。参議院沖縄県選挙区補欠選挙に絡み、日米関係や基地移設問題が複雑に絡む沖縄県特有の問題があったため、多くの側近の反対を退け2回にわたり沖縄県を訪れて自民系無所属候補の島尻安伊子の応援演説を行うなどのバックアップを行い、当選させた(島尻はその後で自民党に入党)。

5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣議員宿舎内で、首を吊って自殺。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し「慙愧に耐えない」と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」 と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、東北地方四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。詳しくは「第21回参議院議員通常選挙」を参照。

体調の悪化と総辞職

安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する批判が出た。

舛添要一は、「こっちは命がけで野党と闘っているのに、敵の弾にやられるならまだしも、後ろから弾を撃ってくる。」、
「ペナントレースをやっていて、試合が終わっていないのに監督が続投っておかしいでしょ。監督に責任がないというようなもの。「閣僚が悪い」というけれど、監督があのピッチャー(閣僚)を選んだんだろうって。安倍さんも、一度野球をやってみるといい。」と、怒りの胸中を激白したという。

参院選直後の7月31日自民党総務会において、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)。

同日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた。翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。

広島平和記念式典に行く前日の8月5日から、胃と腸に痛みを感じ、食欲の衰えを感じるようになる。そして、8月19日から8月25日インドネシアインドマレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。

2007年9月10日に第168回国会が開催され、安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」という趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。9月11日には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった。また、理由についてはテロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断したとした。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。

退陣表明の翌日(9月13日)、慶應義塾大学病院に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリスBBCは「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。

安倍内閣メールマガジン9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージの下、これをもって最終号を迎えた。

なお、病院側は、安倍首相の容体は回復してきているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。

入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。

9月25日安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での首班指名選挙に出席する意思を明らかにした。9月25日の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には皇居で行われた福田康夫首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、第1次安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であった。第1次安倍改造内閣はわずか31日の短命に終わった。

突然の辞任への反応
多くの国会議員は、記者から安倍が退陣表明をすると聞かされた。亀井静香が記者に向かって「えっ嘘でしょ。これから代表質問だよ。何かの間違いでしょう」と驚く映像は、繰り返し放送された。
安倍は辞任の理由として「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している)。一方で、自身の健康に不安があるという理由も与謝野馨内閣官房長官が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。
もともと胃腸に持病を抱えているといわれており、辞意表明当日の読売新聞・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。この「胃腸の持病」について、安倍は辞任後の2011年に掲載された『週刊現代』へのインタビューで、特定疾患である「潰瘍性大腸炎」であったことを明かしているが、辞任表明当時は病名等が認知されておらず、過去に脳梗塞のために首相を辞任した石橋湛山小渕恵三などと比較して「命に関わらない程度の健康問題」を理由にした退陣とみなされた。そのため、立花隆をはじめとして辞任に追い込まれた実質的原因が(本人が記者会見をこなしていることなどを理由に)健康問題ではないとする見方をする論者も存在するなど、批判にさらされることとなった。
9月13日に朝日新聞社が行った緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。
臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から驚きの声や批判を浴びた。
野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判を行った。
  • 「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」(民主党小沢一郎代表)
  • 「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」(民主党・鳩山由紀夫幹事長)
  • 「所信表明直後の辞任は前代未聞」(共産党・志位和夫委員長)
  • 「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」。
潰瘍性大腸炎の病状
17歳のときに、潰瘍性大腸炎を発症する。政治家になってからは、自民党国体副委員長の時、食事ができずに三ヶ月入院して点滴の日々が続き体重も激減した頃が、最も症状が重かった。このとき、「癌でこの先長くない」という噂も流れる。妻の昭恵をはじめ、潰瘍性大腸炎という病名を公表するべきだと、訴える者もいた。しかし、安倍は、官房副長官時代の2000年に症状を出たのを最後に、幹事長、官房長官などの激務にも体調は万全だったため、2007年8月の段階までは、病気を克服できたものと判断していた。
麻生・与謝野クーデター説
安倍の辞任において、幹事長の麻生太郎と官房長官の与謝野が安倍を 辞任表明に追い込んだとする「麻生・与謝野クーデター説」が自民党の若手を中心にささやかれた。
自民党幹事長であった麻生太郎は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」。 この内容について9月14日報道ステーションが麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「(9月14日に安倍氏の見舞いに行った時)『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流したデマでしょう」と反論をしている。同日のNEWS ZEROは、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。
この「麻生・与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、9月18日の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。また安倍が9月24日に行った記者会見の中で本人の口から改めて否定している。

内閣総理大臣退任後

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健康の回復

その後、入院していた慶應義塾大学病院から仮退院し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。

11月13日新テロ特措法案の採決を行う衆議院本会議には「這ってでも出たい」と出席し、白票(賛成票)を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は(小沢は)賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と非難した。

2008年1月、『文藝春秋』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。

2008年には第169回国会会期中に妻の昭恵とスキー旅行選抜高等学校野球大会の観戦 に出かけるなどしている。

政治活動の再開

2007年末、『産経新聞』のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」。また、「本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべき」と主張し、政府に頼る風潮に疑問を呈した。設立総会において、安倍は「北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。

3月6日、清和政策研究会(町村派)の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」 と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。4月28日に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、4月30日には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。8月15日朝には、首相在任中に果たせなかった終戦の日靖国神社参拝を行った。

第45回衆議院議員総選挙直後に行われた2009年自由民主党総裁選挙では、麻生太郎とともに、平沼赳夫の自民党への復党と総裁選挙への立候補を画策したが、平沼が難色を示したため実現せず、西村康稔を支援した。

2010年4月義家弘介が初代塾長の信州維新塾開講式や6月(後に最高顧問就任する)J-NSC自民党ネットサポーターズクラブ設立総会にゲスト参加。10月25日、インドのマンモハン・シン首相を来賓として迎えて開かれた日印友好議員連盟の会合で「(日印両国は)民主主義と法の統治を共有する同盟に近い関係だ」と述べた。

2度目の総裁就任

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2012年9月12日、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる2012年自由民主党総裁選挙への出馬を表明。自らが所属する清和会の会長である町村信孝の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった石破茂、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった石原伸晃の後塵を拝していると見られていた。しかし、麻生派高村派が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、9月26日に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決戦投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は1956年12月自由民主党総裁選挙以来となった。なお、安倍はこの時、自身の体調に関して前回の総理大臣辞任後に発売された特効薬によりほぼ寛解したと説明している。

内閣総理大臣に再就任

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙で自民党が294議席を獲得して圧勝、政権与党に復帰。同年12月26日に第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では吉田茂以来2人目である。

首相再登板後は、デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定した上で、日本銀行法改正も視野に入れた大胆な金融緩和措置を講じ、多年に渡って続くデフレからの脱却に強い意欲を示す。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略を三本の矢と称した一連の経済対策は、マスメディア等からアベノミクスと称され、話題となった。

TPP問題

2012年11月14日の野田佳彦首相の解散表明により選挙の争点として浮上した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)について、当初の自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていたが、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談で交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の米倉弘昌も「いいことだ」と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協(JA)系の政治団体から推薦を受け当選した。

しかし、農水大臣に農政になじみの薄い林芳正を起用し、甘利明、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置。さらに外交政策に関して助言を行う内閣官房参与には「(東日本大震災に対して)日本がんばれと言っているのではないかと思う。こうした声援に応えるためにも、日本は積極的にTPPに参加すべきである。」(2011年12月)「(TPPは)日本が飛び乗るべきバス」(2010年12月)との発言をしている谷内正太郎を起用した。また、TPP賛成派の岡素之大田弘子をそれぞれ内閣府規制改革会議議長及び議長代理とし、さらに新設の日本経済再生本部に設置された産業競争力会議のメンバーにも日本維新の会と関係の深いTPP賛成派の竹中平蔵や、TPP早期実現要請を行なっていた三木谷浩史を加えた。経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、高橋進は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物。伊藤元重にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった。

2013年2月23日、日米首脳会談後に共同声明を出した。それまでの関税に関する見解(カークUSTR代表と玄葉外務大臣との会談)は「物品関税の最終的な扱いについてはTPP交渉プロセスのなかで決まっていくもの」であったが、今回の共同声明は「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との表現になった。この会談の結果、主要全メディアにおいてTPP賛成が増加し、共同通信63%、FNN53%、テレビ朝日51%、日本経済新聞47%などとなった一方、ニコニコ動画では46.5%が反対と回答した。

2013年3月8日、日本政府が野田佳彦内閣当時の昨年3月の段階から『TPP交渉参加後発組に出された3条件』を把握していたにもかかわらず、国民に条件を告知することなく交渉参加を推進していたことが判明した。安倍はこの問題に関して衆院予算委員会で答弁を拒否し、質問した日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長が「政府が交渉参加のルールを探って議会に説明するのは当然の責任だ」と批判した。また岸田文雄外相は「少なくともわが国には、そうした条件の提示は全くない。引き続き情報収集に全力を挙げる」と答弁していたが、9日になって安倍は「ルールを作っていく上で、最初に入った人たちが後から入った人に議論を覆されたら困るというのは、それはそうだろうと思う」と述べた。安倍政権はこの3条件を政権移行直後に把握したが公表はしていなかった。

2013年3月14日、自民党のTPP対策委員会が「重要5品目等や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先」し、それが確保できないと判断した場合は「脱退も辞さない」とする決議をまとめた。ただ自民党執行部はこの決議に関して「彼らも地元に帰って反対してきたと言えるだろう」と慎重派のガス抜きであることを認めており、政府高官は今後の政府の交渉を縛らないと明言している。

「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」との発言からちょうど120日目にあたる2013年3月15日、TPP交渉参加という形で決着が図られることとなった。

2013年4月12日に決着したTPP交渉参加に向けた日米事前協議は大手各紙上でも『高い「入場料」』という言葉が飛び交い、米側に譲りに譲ったものとなった。日本政府のTPP交渉担当者が「なんとしても7月中には交渉に加わりたいのだが……」とあせりの色を隠せない中での事前協議であり、交渉に入る前から通商条件で大幅な譲歩を迫られる可能性があったが、現実のものとなった。焦点の自動車・保険分野では双方とも大幅譲歩であり、自動車分野では自動車関税について当面は乗用車・トラックの関税を維持した上、撤廃時期はTPPが認める範囲で最大限遅らせることで決着、保険分野ではかんぽ生命のがん保険など新商品の申請を事実上凍結したため、投資家に訴える新規事業への参入が不可欠な2015年秋までの株式上場は計画の見直しが不可避となり、政府が復興財源として期待していた日本郵政株式の売却収入4兆円が見通せなくなってしまった。のみならず、非関税措置について9つの分野で日米間で継続協議とされたため、1990年代に経験した日米構造協議、包括経済協議と同様に2国間の枠組みを使って日本に市場開放の圧力をかける構図が繰り返されることになった。

労働市場の構造改革(日本版「ワッセナー合意」)

企業が賃上げを促進し、政府は賃上げ企業への優遇や失業者対策を進め、労働者は労働市場流動化に同意し失業増を受け入れるという日本版「ワッセナー合意」が構想されていることが明らかになった。ただし、オランダで起こったワッセナー合意は「労組は賃金の抑制」「政府は企業の社会保障負担を低減し労働者のための減税を実施」「経営者は仕事を分かち合い雇用を確保」という内容的には逆とも言えるものである。

日本版「ワッセナー合意」は、むしろ第1次安倍内閣で提唱された日本版オランダ革命に近いものであり、日本維新の会のブレーンで小泉構造改革の中心人物であった産業競争力会議メンバー竹中平蔵の主張である「再就職支援金の支払いを条件に従業員の解雇を認めるといった解雇ルール」や「正規と非正規の中間的な雇用形態の導入」などが盛り込まれている。これについては、失業増を受け入れる労働組合はもちろん経済界も難色を示しているとされる。竹中平蔵第1次安倍内閣の際には、著書の中で「既得権益を失う労働組合や、保険や年金の負担増を嫌う財界の反対で頓挫した」と述べていた。

日台漁業交渉問題

2013年4月に台湾との間で尖閣諸島沖の漁業範囲に関する取り決めを行った。この協定は官邸の独断で成立が決定されたため、水産庁や外務省などと事前協議を行っていた地元の漁協は強く反発し、「いずれこの漁業範囲から日本船が締め出され中国船や台湾船しかいなくなる」、と強い懸念を出している。実際に台湾漁船は当協定の成立が決定すると、協定の発行前から認められる予定の漁業範囲さえ超えた範囲で操業を開始した。

参議院議員選挙での勝利

2013年7月21日、同月28日の任期満了に伴う第23回参議院議員通常選挙が行われた。自民党が政権を奪還し、第2次安倍内閣になってから初めての大型国政選挙となった。第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙(参議院議員選挙での敗北)以降、参議院では政権与党が過半数を下回るねじれ国会が続いており(2009年の第45回衆議院議員総選挙から2010年の第22回参議院議員通常選挙までの期間を除く)、非改選議員と合わせて与党が過半数を確保できるかが最大の焦点とされていた。投開票の結果、前年12月の衆院選で大勝し政権与党に返り咲いた自民・公明両党が合わせて過半数を超える議席を獲得して大勝をおさめ、「ねじれ」を解消させることに成功。ここに安倍自身にとってもかつての雪辱を果たすことが叶った。

2020年東京オリンピック招致

2013年9月7日、ブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会において東京都2020年夏季オリンピックの開催地に選ばれた。安倍は前年12月の首相就任以降、東京招致委員会の最高顧問として各国首脳との会談や国際会議の際に東京招致をアピールした。さらに、2013年3月に来日したIOC評価委員会との公式歓迎行事では演説を行い、歌を披露する場面も見られた。安倍は首相就任後、1964年東京オリンピックの開催が決定した当時の首相が祖父である岸信介であることを持ち合いに、自らがIOC総会に出席してプレゼンテーションを行う意欲を見せていた。これにより開催地決定の直前である9月5日と6日にロシアサンクトペテルブルクで開催されたG20を途中で切り上げ、6日にブエノスアイレスに到着しIOC委員へ東京支持を呼びかけた。

7日の総会では東京のプレゼンターの1人として演説を行った。演説後の質疑応答では総会直前に明らかとなった福島第一原子力発電所の汚染水漏れに関する質問が出た。これに対し安倍は「結論から言うと、まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」、「健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない。完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している」と答え、さらには首相として子供たちの将来や日本にやってくるアスリートに対する責任を完全に果たしていくと述べた。開催決定後、安倍は文部科学大臣下村博文を「東京オリンピック・パラリンピック担当大臣」に任命し、内閣官房に推進室を設置して各省庁との調整を行う組織を新設することを固めた。

なお、9月19日に福島第一原子力発電所を視察した際、東電幹部に「0.3(平方キロ)は(どこか)」と尋ね、実際の範囲がどの程度か理解しないまま発言していた可能性があると共同通信に報じられた。

特定秘密の保護に関する法律

2013年中旬から安全保障などの情報のうち「特に秘匿するが必要あるもの」を「特定秘密」と指定し、情報にアクセス出来る者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めた特定秘密保護法の検討を開始した。当法案には国内外で議論を呼び、報道各社が行った世論調査では廃案・見送りが多数を占めるものが大勢を占めたが、一部賛成が反対を上回るものもあった。法案は、2013年11月に衆議院で、12月に参議院で採決された。衆議院では与党に加えみんなの党も賛成したが、参院では直前の与党議員の発言などを受け全ての野党が賛成しなかった。その後、安倍政権の支持率は急落した。この法案に対しては国連が重大な懸念を表明し、海外メディアからは「報道の自由及び民主主義の根本を脅かす悪法」、「日本で内部告発者を弾圧する立法が成立した」、「日本が報道の自由を制限」などと報じられた。元アメリカ国防次官補のモートン・ハルペリンは「知る権利と秘密保護のバランスを定めた国際基準を逸脱している」と法案を批判した。一方で、アメリカ合衆国国務省副報道官のハーフは記者会見で、日本で特定秘密保護法案が成立したことについて「情報の保護は同盟における協力関係で重要な役割があり、機密情報の保護に関する政策などの強化が前進することを歓迎する」と述べ、AP通信は「中国の軍事力増強に対抗するために強い日本を望む米国は、法案可決を歓迎している」と報じた。

同法案の詳細は以下を参照。

普天間基地移設問題

2013年12月25日、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設に向け、沖縄県知事仲井真弘多と会談し、日米地位協定に関し環境面を補足する協定を締結するための日米協議開始などの基地負担軽減策を示した。仲井真は「驚くべき立派な内容だ」と評価して移設先である名護市辺野古沖の埋め立て申請を承認する方針を固め。

略歴

  • 1954年9月21日: 東京都に生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。
  • 1977年3月: 成蹊大学法学部政治学科卒業
  • 1977年4月: 米国カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に入学。その後、ロングビーチの語学学校に転校した。
  • 1978年4月: 南カリフォルニア大学に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修し、1979年に中退。
  • 1979年4月: 株式会社神戸製鋼所入社
  • 1982年11月: 神戸製鋼所退社、外務大臣(安倍晋太郎)秘書官に就任
  • 1993年7月: 衆議院議員初当選(旧・山口1区)
  • 1999年10月: 衆議院厚生委員会理事
  • 2000年7月: 第2次森内閣で内閣官房副長官に就任
  • 2001年4月: 引き続き第1次小泉内閣で内閣官房副長官に就任
  • 2003年9月: 自由民主党幹事長に就任
  • 2004年9月: 自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任
  • 2005年10月: 第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任
  • 2006年9月: 自由民主党総裁に選出、第90代内閣総理大臣に就任
  • 2007年9月: 自由民主党総裁及び内閣総理大臣を辞任
  • 2012年9月: 自由民主党総裁に選出
  • 2012年12月: 第96代内閣総理大臣に就任

国家像

美しい国
総裁戦直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行するベストセラーになった。政権スローガンも「美しい国日本を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。
これまでの日本の歴史認識を自虐的な東京裁判史観とする保守層からは好意的に迎えられる一方、左派からは内閣発足当初から集団的自衛権を容認しアメリカに追従する軍国主義的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う目標として掲げたものであったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと現在進行形の問題を持ってくる報道も少なからず存在していた。
アジア・ゲートウェイ構想
第165回国会所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166回国会施政方針演説では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言したが、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官塩崎恭久内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)大田弘子、特命担当大臣(規制改革担当)渡辺喜美内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)根本匠の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かる など混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。
地方自治
構造改革の推進者であり、地方分権改革(道州制)を推進している。

中国からの公費留学生の大幅拡充

2005年に都内の専修大学講演の中で「中国からの公費留学生の数がまだまだ少ない。思い切って増やして、反日にならずに日本を知ってもらうよう、我々も努力をしていかねばならない」と発言し、以後、公費留学生受け入れの大幅拡充を推進している。

道州制特区法の制定・道州制推進

2006年(平成18年)に北海道地方等の特別区域で道州制を導入できる道州制特別区域における広域行政の推進に関する法律を成立、公布・施行した。道州制導入についても2007年の所信表明演説で「道州制は地方分権の総仕上げ」と表明し、道州制が地方分権の最終形態として好ましいとの見解である。

憲法

総裁選では施行60周年を迎えた日本国憲法を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、21世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた。

外交

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第1次安倍内閣においては、「価値観外交」と「主張する外交」を外交の基本路線とした。このうち、「価値観外交」は、自由、民主主義、基本的人権法の支配という普遍的な価値観を共有する国の輪を世界、アジアに拡大して行くことを目指す外交戦略であるが、第1次安倍内閣で外務大臣を務めた麻生太郎が、「自由と繁栄の弧」として初めて提唱したものである。自由と繁栄の弧は、民主主義や法の支配などの価値について、日本が非欧米圏における先駆者としての地位にあることに着目した上、北東アジアから、東南アジアを経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという構想といえる。

2012年12月28日に発足した第2次安倍内閣も、麻生太郎を副首相兼財務大臣としたほか、第1次安倍内閣当時に外務事務次官として「自由と繁栄の弧」の企画・立案を行ったとされる谷内正太郎を内閣官房参与としており、改めて自由と繁栄の弧を基本とした外交政策を打ち出すと指摘されている、安倍が、平成24年12月28日にロシア、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、インドなどの首脳と相次いで電話会談を行ったのもその表れと指摘されている。またプラハに本拠を置く国際NPO団体「PROJECT SYNDICATE」のウェブサイトに、12月27日付けで安倍晋三首相の英語論文が掲載され、そこで「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド構想」を世界に向けて主張している。

第2次安倍内閣における「価値観外交」の特色は、中国やインドの間という地政学的優位性が高い上、経済や安全保障での重要性も高まる東南アジアを重視する点である。第2次安倍内閣最初の閣僚外遊は、麻生太郎副総理兼財務相・金融相のミャンマー訪問であった。この点、麻生副総理は、「閣僚の最初の訪問先がミャンマーとなったこと自体、政権としてのメッセージである。」と述べている。安倍晋三首相も、就任後最初の外遊先として、2013年1月16日から18日にかけ、ベトナムタイインドネシアを訪問。アジア太平洋地域の戦略環境が変化する中で、地域の平和と繁栄を確保していくため、自由民主主義基本的人権法の支配など普遍的価値の実現と経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本はASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、対ASEAN外交5原則を発表した。

日本の価値観外交においては、港や道路などハードのインフラの整備だけでなく、投資環境整備にもつながる法整備支援や、人材育成といったソフトのインフラ整備への協力を、日本の役割として位置付けることが重要と指摘されている。

アメリカ合衆国
小泉政権により強化された日米安全保障条約をさらに充実させるため在日米軍自衛隊の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。
安倍政権の外交方針について、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」や沖縄タイムスなどからは対米追従であるという批判や懸念があるが、2013年3月の施政方針演説によれば「日米同盟をより強固にしたい。わが国の安全確保の観点から当然の取り組みであり、地域の平和と安全に資する。対米追随外交との指摘はまったくあたらない」としている。
東南アジア
第2次安倍内閣は、経済や安全保障での存在感が高まる東南アジアを重視している。就任後1ヶ月以内に、自身のベトナムタイインドネシア訪問、麻生太郎副総理のミャンマー訪問など、閣僚がアセアン主要国を次々と訪問した。自由民主主義基本的人権法の支配など普遍的価値の実現と経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本はASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、2013年1月18日には、訪問先のインドネシアにおいて、以下の対ASEAN外交5原則を発表した。
中華人民共和国
2006年の総裁選は、ありのままの日本を知ってもらうために多くの中国人留学生を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して胡錦濤国家主席と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅(破氷之旅)」と呼ばれて評価された。
中華民国台湾
祖父である岸信介や父・晋太郎も親台派であり、自身も台湾などとの交流強化を目指している亜東親善協会の会長を2012年の首相就任まで務めていたほか、第一次安倍内閣の際には羽田空港松山機場との間の直行便を推進したり、野党時代には台湾を訪問し馬英九総統、李登輝元総統などと会談を行うなど、筋金入りの親台派と言える。また、中華民国政府も安倍のことを親台派であると評価している。
大韓民国
かつて1960~70年代に韓国が親日・親米保守軍事独裁政権(朴正煕政権。現在セヌリ党)だった頃、父・晋太郎が親韓派であったため、その影響からか第一次安倍内閣時には「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っている」と親韓的発言が見られたが、近年、竹島問題や韓国大統領による天皇への土下座要求問題などが持ち上がって以降は強硬姿勢を見せている。
2013年の韓国の保守系有力メディア「月刊朝鮮」(2013年4月号)による安倍へのインタビューでは安倍は日韓関係はじめ歴史問題や憲法改正などについて語っている。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
2007年2月12日に来日したチェイニー米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除をしないように要請した。3月1日、6者協議の日朝国交正常化に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が(拉致問題で)納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。
オーストラリア
オーストラリアとは「基本的価値観を共有する国家として連帯強化を目指している。日豪FTAの交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年3月13日には安全保障協力に関する日豪共同宣言ジョン・ハワード首相とともに署名した。この宣言にはPKOなどの海外活動や対テロ対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした。
インド
日印両国を基本的価値と利益を共有するアジアの二大民主主義国家とし、更なる関係強化を目指している。2007年8月に日印首脳会談を行い、政治・安全保障、経済、環境とエネルギーなど多岐に渡って合意した。また、インドの国会において、日印間の更なる関係強化について「二つの海の交わり」と題する政策演説を行った。外務省は「この演説内容はインドに非常に高く評価され、スピーチ終了後は総立ちとなるスタンディングオベーションとなった」と発表している。
アフリカ
アフリカ諸国との関係も重視している。2014年1月にはオマーンを訪問し、さらにコートジボワールを訪れた。

安全保障

日本版「国家安全保障会議」(NSC) 構想を推進した。総理就任以前から憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出してきた。2006年に総理就任後は、防衛庁を防衛省へ格上げした。これは「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。また2007年には安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会を開催、集団的自衛権の行使は日本国憲法第9条に反しないとの報告書を得て、宮崎礼壹内閣法制局長官に対し、解釈変更の指示を行ったが、職員の総辞職の可能性を示される抵抗を受け頓挫した。2013年の第2次安倍内閣では、懇談会の立案実務を担当した小松一郎元外務省国際法局長を、内閣法制局長官に就任させる運びであることが報道されている。

2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての鈴木宗男質問主意書に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との答弁書を出した。

尖閣諸島問題

「歴史と国際法によって、尖閣諸島(中国側:釣魚島)が日本の領土であり、中国と交渉の余地はない」と明言している。

教育

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2006年12月に教育基本法を改正し、教育の目標の一つとして愛国心という言葉を盛り込んだ他、義務教育9年の規定や男女共学の項を削除した。内閣府直属の「教育再生会議」を立ち上げ、2007年6月には教員免許更新制を導入した。その他、学校週五日制の見直しや大学進学の条件として社会奉仕活動の義務化を提唱した。その他の政策としては、教育バウチャー制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の山谷えり子らとともにジェンダーフリー教育に対する批判等を行った。

改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている、2月23日の衆院予算委員会において「時代が変わってきて親子関係はDNA鑑定ですぐにわかる」と回答し、民法第772条の改正に積極的な姿勢を示した(ただし与党内の諸事情により改正に至らず)。

婚外子の遺産相続分を嫡出子の半分とする規定を削除する民法改正に関しては、2013年10月18日の参院本会議において「不合理な差別は、解消に向けて真摯に取り組む必要がある」と回答し、民法第900条を早期改正する姿勢を示した。

公務員改革

内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に渡辺喜美を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、天下り、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて (1) 官民人材交流センター(人材バンク)の制度設計 (2) キャリア制度の見直し、という2つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も成田空港社長に官僚OBがなることを却下したり、東京証券取引所への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起きるようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしないなどの抵抗が見られた。

この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革(社保庁民営化)に力を入れていた。年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いからだったが、ここでも激しい抵抗にあった。田原総一朗は、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘した。

労働政策

再チャレンジ政策
小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定雇用の増加やいわゆる経済的不平等の是正を掲げ、再チャレンジ政策の一環としてフリーター正社員として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の 経団連が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「ワーキングプアと言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も非正規雇用者が正規社員へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、偽装請負等に関しても、「法令労働基準法に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている。
ホワイトカラーエグゼンプション(事務職残業手当適用除外制度)
メディアで「残業代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、2007年1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。
最低賃金
最低賃金の抜本的引き上げは、「中小企業を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした。2007年3月の参議院の予算委員会では、「最低賃金制度を生活保護以上にしていくという改正を行い、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した。
地域間格差
格差はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている。

治安政策

組織犯罪処罰法(いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「国際組織犯罪防止法条約」を批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の通常国会で成立を図るよう指示したが、世論や自民党内からの反発が強く、継続審議となった。

党運営

郵政民営化時の造反議員を復党させた(郵政造反組復党問題)。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。

社会保障

中国残留孤児
中国残留孤児問題における訴訟では請求を取り下げられた原告団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。
慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」
2007年2月23日に、熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポストの設置を計画していることについて、「ポスト」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した。
年金問題
年金記録問題では民主党の小沢一郎との党首討論で「消えた年金はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」と各地で演説した。
メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた。社会保険庁は年金記録の照合作業を進めたものの、2008年3月末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された(人数や件数は2007年12月時点での推計値)。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。福田は「(当時の)安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」 と安倍を擁護したが、内閣官房長官の町村信孝は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」。
なお、国民皆年金制度は祖父・岸信介が首相時代に策定したものである。

経済政策

アベノミクスといわれる以下の3政策からなる経済政策を行っている(詳細はアベノミクス参照)。

  • 大胆な金融政策
  • 機動的な財政政策
  • 民間投資を喚起する成長戦略

アベノミクスの「第1の矢」とされる大胆な金融緩和政策により速いスピードで円安が進み、野田佳彦が衆議院解散の意向を表明してから、5ヶ月で20円円安が進んだ。また、2013年5月15日には5年4ヶ月ぶりに日経平均株価が15,000円台を回復した。

それ以降の日経平均株価は大きく下げた後伸び悩み、ほぼ14,000円台の状態が長期間続いたが、同年11月15日には再び15,000円台まで回復した。第2次安倍内閣発足から1年が経った2013年12月27日の日経平均株価終値は16,178円となり、リーマン・ショック前の2007年11月6日以来6年2カ月ぶりの高値水準となった。

財政再建

財政について安倍は「成長せずに財政再建できるかというとそれは無理で、絶対に有り得ない」と述べている。

消費税について安倍は「デフレーション下で増税をするのは、景気を冷やしていく危険性もあり、よりデフレが進んでいく危険性もある。これは明らかに間違っている。財政赤字はさらに悪化していく危険性すらある。税収はそんなに伸びないどころか、ダウンするかもしれない」「財政規律ばかりが強調されているが、これはわれわれにも責任がある。消費税を橋本政権下で上げたときに、財政危機を国民に強く訴え、このままでは大変なことになるという、不安を喚起した。これが効き過ぎてしまった」と述べている。

2013年10月1日、消費税増税の判断をこれまで保留してきた安倍は、「国の信認を維持し、持続可能な社会保障制度を次の世代にしっかりと引き渡していくため、14年4月1日に消費税を5%から8%に引き上げる判断をした」と言明した。

  • 増税反対の代表的見解
    • 内閣官房参与の浜田宏一は「消費税率を引き上げても景気が減速して歳入面ではマイナスになる」と述べ、増税実施の1年延期の案などを主張していた。
    • 日銀副総裁の岩田規久男は「近い将来、税金が重くなることが分かっていながら、消費をどんどん増やすことなど、考えられない。現在(2012年)のように景気が低迷している時に財政再建を急ぐと、景気にとっては逆効果をもたらす」「名目GDPが増加するにつれて、国税の名目成長率弾力性は低下するかもしれない。しかし、その点を考慮しても、増税は名目成長率を4%程度に上げてもなお財政再建の目途が立たない場合にとっておくべき、最後の手段である」と述べた。
    • ノーベル経済学賞受賞のポール・クルーグマンは「'97年に消費税を3%から5%に引き上げた際、景気が後退したことはみなさん知っているでしょう。本来なら、デフレを完全に脱却してからやったほうが安全です。いま、ちょうど光が見えかけていたのに、増税によって消費が落ち込む可能性がある。」と述べた。
  • 増税賛成の代表的見解

戦争責任・村山談話

総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「村山首相談話」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院予算委員会で、A級戦犯について戦争責任については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた。2006年10月5日、衆院予算委員会で、東条内閣商工大臣だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている。

東京裁判については、第1次政権時代、「受諾しており異議を述べる立場にない」としていた。第2次政権では、2013年2月12日の衆議院予算委員会にて、「大戦の総括は日本人自身の手でなく、いわば連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と述べ、懐疑的な見方を示した。

慰安婦問題・河野談話

日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援して来た自民党内部の議員連盟日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長を務めた(現在は顧問)。同会は特に「侵略戦争」や「慰安婦」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」を発表した河野洋平を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た吉田清治の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「従軍慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている。。

社民党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書に対して、2007年3月16日に「河野談話をこれからも継承していく」としつつ、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」とし、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定し提出した。

「従軍慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志で作る「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」による河野談話見直し発言が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した世耕弘成首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言し鎮静化を図ったが、中国・韓国を中心に非難が巻き起こった。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言をしたと報じられ、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が『強制的に』置かれたことについて大変申し訳なく思う」、「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを『強制された』方々に責任を感じている」 とお詫びを表明したと米国で報道された。

第2次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して「河野談話の見直し・改変」を唱えているが、2013年5月24日、「安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる」と辻元清美の質問主意書には応えている。

日米首脳会談での言及

ブッシュ大統領との日米首脳会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪したと伝えられた。しかし、「強制された」という言葉は、日本メディアは総じて報道しておらず、また安倍のそれまでの考え方と大きく違う発言でもあるため、産経新聞記者の阿比留瑠比などは英訳する際の「誤訳」とした。

安倍自身はこの問題に関し、「会談で従軍慰安婦問題は全く出なかった。そもそも日本が米国に謝罪する筋合いの話ではない」とアメリカメディアの報道は事実無根だと主張したが、2013年5月に主張を修正し、実際には日米首脳会談で「元慰安婦の方々に、首相として心から同情し、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と発言したことは認める答弁書を決定した。

靖国神社参拝

首相の靖国神社参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている。また、歴史認識を巡って反日騒動が起こった中国と韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは内政干渉だという見解を持っている。

安倍は幹事長在任中の2004年・幹事長代理在任中の2005年には終戦の日(8月15日)に参拝を行ったが、官房長官在任中の2006年は4月15日朝、秘密裏に参拝を行った(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉串料を収めた)。

第2次安倍内閣発足による首相再任後、2013年の春季および秋季例大祭終戦記念日の参拝はいずれも見送った。

首相在任中の初参拝

内閣発足からちょうど1年となる2013年12月26日、第1次時代も含め首相在任中としては自身初の参拝を、中国アメリカに外交ルートを通じて参拝の連絡をした上で参拝した。安倍はモーニング姿で本殿に参拝し、「内閣総理大臣 安倍晋三」名で白い菊を献花した。靖国神社境内にある世界の全ての戦没者を慰霊する「鎮霊社」にも参拝した。その後、「恒久平和への誓い」と題した「首相の談話」を発表。談話を英訳し、世界に向けてメッセージを発信した。

この参拝について、人民日報中国共産党中央委員会機関紙)系の新華経済日本新聞網の記事を引用し『安倍首相は外交ルートを通じて中韓首脳との会談を模索しており、(2013年)12月28日訪中のスケジュールで調整が進められていたそうだ。だが、これを「単なる政治的パフォーマンスであり、尖閣問題の解決策の提示はない」と判断した中国側が(2013年12月)20日に安倍首相の訪中を拒否。中国に続いて韓国も否定的な返答を寄せたという。今回の靖国参拝はこれに対する“報復”ではないか』と報じた。

世論調査・ネット調査

安倍の2013年12月26日の靖国神社参拝について、以下の様な世論調査結果が報じられている。

  • 朝日新聞は2013年12月30日の朝刊30面で、安倍のこの靖国参拝後の世論調査「日本の首相が靖国神社に参拝することに賛成ですか。反対ですか。」の質問に対し、20歳〜29歳の回答者で支持60%・不支持15%、30歳以上の回答者で支持59%・不支持22%という結果であったと報じた。また、同調査における内閣支持率調査「安倍内閣を支持しますか。しませんか。」の質問に対し、20歳〜29歳の回答者で支持53%・不支持33%、30歳以上の回答者で支持55%・不支持33%という結果であったと報じた。
  • 共同通信社は2013年12月28・29日に全国緊急電話世論調査を実施し、安倍の参拝について「よかった」43.2%、「よくなかった」47.1%であり、内閣支持率は55.2%(前月比1.0%増)、不支持率は32.6%(前月比0.4%減)であったと報じた。
  • テレビ朝日は2014年1月1日元旦放送の『朝まで生テレビ』において「安倍首相の靖国参拝を支持するか否か」という視聴者アンケートを行い、結果は「支持」71%、「不支持」29%であった。
  • TBSテレビは2013年12月28日放送の『情報7days ニュースキャスター』において「今回の安倍首相の靖国参拝。あなたはどう思う?」という視聴者アンケートを行い、結果は「良い」71.2%(28,977票)、「不味い」28.8%(11,740票)であった。
  • 産経新聞社FNNの合同世論調査では、靖国神社参拝について、「評価しない」(53,0%)との回答が「評価する」(38.1%)を上回った。ただし、20代と30代では、「評価する」という回答が、「評価しない」という回答を上回っている。
批判

安倍の2013年12月26日の靖国神社参拝に対し、以下の様な批判が各所から上がっている。

  • 米国ホワイトハウスは安倍のこの靖国神社参拝について声明などを一切発表しなかったが、米国大使館は2013年12月26日に「日本は大切な同盟国であり友好国であるが、近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」との声明を出した。
  • 米国国務省サキ報道官は「靖国参拝に関する声明を出すかどうか」の質問に「在日米国大使館の声明をみてほしい」と答えた、『意見の相違がある時に互いに正直に発言できるのは、緊密な関係の証し』、『日本は大切な同盟国で友好国であり、(今回の安倍の靖国神社参拝は)日米関係全体に影響はない』などと述べた。
  • EU(欧州連合)の報道官は、靖国参拝に対して懸念を表明し、各国に対し「EUは、緊張を高める行動を避け、外交で争いを解決する必要性を常に強調してきた」と訴え、地域の長期的な安定に向け建設的な関係を築くよう促した。
  • 中国と韓国の駐日大使も安倍の参拝に抗議した。
  • 韓国最大手新聞の朝鮮日報は『日本の大手6紙のうち、朝日毎日日本経済東京の4紙は社説で安倍首相を批判した。「平和主義」を守ろうとする日本国民と安倍首相を切り離し、日本国内で良心的な声を高めるには、韓国は自らの対応を単なる反日で終わらせるのではなく、より高度な次元に高める必要がある。日本の国内外で安倍首相の批判を高めその立場を失わせれば、この脱線にも必ずブレーキがかかるだろう。』と批判した。
  • 台湾の馬英九総統は「中華民族の一人として、日本政府が周辺国の歴史の傷を顧みず、こうした行動をとったことは理解しがたく失望した」と自らのフェイスブックに投稿した。その後も馬暁光報道官が「第2次大戦後の国際秩序に対する挑戦で、平和を愛する全ての人が断固反対するのは当然だ」などと述べている。
  • 共同通信社は、米国ウォール・ストリート・ジャーナルが「日本の軍国主義復活の恐怖を、自国の権益拡大の口実に使いたい中国への贈り物」と批判したと報じた。
  • 民主党代表海江田万里は「過去の日本の歴史の負の側面とは一線を画すべきだ。日本の主体的な判断として大局的な立場にたって参拝を自重すべきだ」と述べ、靖国神社が日本の歴史の負の面であるとの認識を示し安倍を批判した。
  • ロシア外務省情報局長のルカシェビッチは26日、声明を出し、「このような行動には遺憾の意を抱かざるを得ない」と批判した。中国外相の王毅とロシア外相のセルゲイ・ラブロフは12月30日、電話会談し、靖国神社参拝を共に批判した上で、歴史問題で共闘する方針を確認した。王は31日に韓国外相の尹炳世、米国国務長官のジョン・ケリーとも相次いで電話会談。各国外相との会談で、参拝批判の国際世論づくりを展開しているとみられる。ラブロフは「靖国神社の問題ではロシアの立場は中国と完全に一致する」と応じ、日本に対し「誤った歴史観を正すよう促す」と主張した。王は30日、ドイツ外相のフランク=ヴァルター・シュタインマイアーベトナム副首相兼外相のファム・ビン・ミンとも電話会談、「日本の問題」を取り上げたという。
  • 韓国外務省報道官は2004年1月23日の定例記者会見で、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席した総理大臣の安倍晋三が靖国参拝に理解を求めたことについて「参拝しない韓日友好を語るのがいかに矛盾しているか、韓国だけでなく、全世界のメディアと知識人、良識ある人が声を上げている。この声が聞こえないのが理解しがたい」と改めて批判した。報道官は「参拝は、帝国主義時代に日本が犯した過ちを反省しないのと同じだ。首相ら指導者が靖国神社を参拝しないことが、韓日友好、地域の安定の出発点だ」と強調した。
  • コロンビア大学教授ジェラルド・カーティスは講演で、安倍晋三の参拝について「日本の国益にとても高いコストを生む」と批判するいっぽう、再度参拝するかどうかは「中国との取引材料となる」と語った。カーティスは「安倍首相は1年間参拝を自制したが、中韓両国からなにも得られなかった。参拝したから関係がさらに悪化するわけではない」と指摘。今回の参拝に対し、中国の態度は比較的抑制されていると述べ、再参拝の可否を対中関係の改善次第とすることで、局面のてこにできるとの考え方をしめした。参拝に対する米国政府の「失望」表明について、「安倍首相はショックだったかもしれないが、世界は変化している。中国台頭という新たな現実に取り組まなければならない」とした。
  • 米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は23日、複数の米政府当局者の話として、安倍晋三が靖国神社参拝を繰り返さない保証を、米政府が日本政府に非公式に求めていると伝えた。日中、日韓関係がさらに悪化することを懸念しているとみられる。同紙によると、米政府は参拝後にワシントンと東京で開かれた日本側との「一連の会談」を通じ、近隣諸国をいら立たせるさらなる言動を首相は控えるよう要請。日米韓の連携を阻害している日韓関係の改善に向けて韓国に働きかけるよう促し、従軍慰安婦問題に対処することも求めた。さらに今後、過去の侵略と植民地支配に対する「おわび」を再確認することを検討するよう首相に求める考えだという。米国務省副報道官のハーフは23日の記者会見で、同紙の報道について問われ、「事実かどうか分からない」と述べた。

利益団体との関係、人脈

統一協会国際勝共連合
官房長官当時の2006年、統一協会系列の団体である「天宙平和連合」 (UPF) の集会のイベントに祝電を寄せた(保岡興治やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ、この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。
四半世紀を超えて統一教会と闘ってきたジャーナリストで民主党参議院議員有田芳生は安倍晋三本人に直接取材を行い、「安倍事務所が官房長官名で統一教会系の「天宙平和連合」に祝電を打ったことで本人を批判することには無理がある。国会議員の事務所は、祝電でも弔電でも、関係者から依頼があれば、その事務所レベルで判断する。いちいち「議員先生」本人に問い合わせることなどしない。安倍には統一教会への対応方針がある。それは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである」、「安倍晋三は北朝鮮への強行姿勢ゆえに、祖父の岸信介や父の安倍晋太郎が親密だった統一教会に対し、距離を置くだけではなく厳しい対応を取っているのである」と述べている。また、「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している。
公明党・創価学会
父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、大石寺正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、池田大作と何度も面会したという。
晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入されて二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「四月会」(代表幹事:俵孝太郎)の集会などに参加したこともあった。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという「『産経新聞』を除く」をはじめ各種メディアが伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の戸田城聖が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った。
その後、国会で池田と面会した事実があったかという野党の質問に対して、安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した。2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した。
在日本朝鮮人総聯合会
2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口でのオフレコ懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」と指摘している。
なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の公設秘書が山田と朝日新聞社を東京地方裁判所に訴え3400万円の損害賠償謝罪広告の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした和解が成立した。
アサリ輸入業者
現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする怪文書が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父、晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、晋三との関係は無かったとされる。
安晋会
国会で、 小嶋進 ヒューザー社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の政策秘書を紹介してもらい、「耐震偽装問題」に関して国土交通省への対応を働きかけてもらったことを証人喚問で認めたことでその存在が知られることになった。

脱税疑惑

『週刊現代』は2007年9月29日号(9月15日発売)において、安倍が相続税脱税していたとの記事を掲載した。内容は「父・晋太郎が生前、自身の指定政治団体に「安倍晋太郎」名義で寄付した6億円以上の政治資金を、66の政治団体に分散させて引継ぎ、3億円を脱税した」というものである。 『週刊現代』は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、発行元の講談社に対して、当該記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、「父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか」との質問が『週刊現代』側からあったという。同事務所は、安倍の辞意表明当日の『毎日新聞』夕刊がこの一件について報じたことを受け、自民党本部の記者クラブ(本部平河クラブ)にて、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎず、個人献金ではないので相続税の問題はない」とする内容の文書を配布し、疑惑を全面的に否定した。これに先立つ同月14日には同事務所近くにある催事場駐車場の壁、同月17日には安倍の自宅(同市内)の倉庫兼車庫にそれぞれ火炎瓶が投げられ、自宅の事件では車2台が焼ける被害もあった。同事件では、主犯格の組長に懲役20年、実行犯らに懲役8年から13年の判決が確定した。なお、同事件では、1999年(平成11年)に行われた下関市長選挙に際して安倍が推した候補者を支援した土地ブローカーが、被告人の一人となっている。公判の検察側立証で、この被告人は、安倍が推した候補者の支援活動に当たって当時の安倍の秘書が300万円を工面したため、さらに安倍本人に金を要求したところ、これに応じなかったことから、暴力団と共謀して報復したと証言している。

危機管理

えひめ丸事故
2001年2月10日、アメリカ合衆国ハワイ州沖にて、愛媛県立宇和島水産高等学校所属練習船「えひめ丸」がアメリカ海軍所属原子力潜水艦グリーンヴィル」に衝突され沈没する事故が発生した。森政権では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、内閣官房長官、内閣官房副長官のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事故発生時には、内閣総理大臣森喜朗、防災担当大臣(危機管理担当兼務)伊吹文明と内閣官房長官福田康夫は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事故発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた森喜朗に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった。
能登半島地震
2007年3月25日石川県輪島市沖の日本海でマグニチュード6.9の能登半島地震(最大震度6強)が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の江田憲司は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」。
新潟県中越沖地震
2007年7月16日新潟県沖の日本海でマグニチュード6.8の新潟県中越沖地震(最大震度6強)が発生した。第21回参議院議員通常選挙の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。
経済企画庁長官堺屋太一は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」と指摘し、衆議院議員の加藤紘一は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」との指摘もなされている。

福島第一原発事故

2006年12月13日、日本共産党吉井英勝から「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を内閣に提出され、後の福島第一原子力発電所事故で現実のものとなる電源喪失のケースなどの対策に注意を促された。当時内閣総理大臣であった安倍は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」「原子炉施設の安全を図る上で重要な設備については、法令に基づく審査、検査等を厳正に行っている」とし、今後も原子力の安全確保に万全をつくすことを回答したものの、。その後の麻生内閣において運転を中断したうえでのメンテナンスが検討され予算計上されたが、民主党政権により仕分けされている。

2011年5月20日、自身が発行するメールマガジンにて、東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所事故における海水注入対応について当時の総理大臣・菅直人に対し「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。」と発信し、「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」と退陣を要求した。しかし、、菅から中止の指示があったという指摘についても、翌2012年の国会の東京電力福島原発事故調査委員会において、中止の指示を出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだったと武黒本人が主張している。これに関し、菅は安倍に嘘の情報を流されたとして、謝罪と訂正を要求していたが、安倍はこれに応じずメルマガの掲載を続けたため、2013年7月16日、菅は東京地裁への提訴に踏み切った。

また、当時安倍は情報の出所として「(経産省の)柳瀬か(保安院の)寺坂に聞けば分かる」と記者達に話していたため、柳瀬唯夫に対して多くの記者達から「注水を止めたのは総理の指示か?」という問い合わせがあったという。柳瀬にとってその問い合わせは寝耳に水であり「ありえません」「安倍さんの言っていることは嘘です」と返答したという。

汚染水流出

2013年に福島第一原発の汚染水が大量に土壌や海洋に流出していることが判明した。これについてイギリスのタイムズ紙は「安倍は政府として介入し流出を防ぐと言うだけで、具体的には何もしていない」と批判した。

発言

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原子爆弾の保有・使用
2002年2月早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」、と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と記事内容を否定し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した。
民主党を「中国の拡声器」
2002年5月19日中国・瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件に関して、日本国外務省の不手際を調査するため中国を訪問した民主党を、テレビ番組において「中国の拡声器」と批判した。安倍は2日後の5月21日、参議院外交防衛委員会において、民主党の激しい反発に遭い、発言を撤回した。
土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」
2002年10月19日広島市岡山市の講演において「1985年に韓国入国を図り逮捕された辛光洙(シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」「この2人は、スパイで原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した。
なお、父・晋太郎は外務大臣在任中の1984年4月25日、衆院外務委員会において、日本社会党の土井たか子議員が、韓国の在日韓国人政治犯の釈放に向け日本政府の尽力を求めたことに対し、「私も外務大臣となって2年近く、韓国の外務大臣や要人と会うたびに、この政治犯の取り扱いについて人道的な配慮を加えてほしいということをしばしば申し入れて、今日に至っている」と述べ、「内政干渉にわたらない範囲内で人道的配慮を韓国政府に絶えず求めていきたい」「この7月に行われる外相会談でも、(土井)委員の要請を十分踏まえて対応する」と答弁している。
『ジェンダーフリー推進論者はポルポト』
2005年5月、ジェンダーフリー推進論者について、「カンボジアで大虐殺を行ったポルポトを思い出す」と発言した。
ときわ台駅での警察官の殉職
東武東上線ときわ台駅で自殺しようとした女性を救おうとして殉職した、警視庁板橋署の巡査部長を2007年2月12日夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた。首相公邸連絡調整官(妻・昭恵の補佐員)と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の吉川潮は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判している。
長崎市長射殺事件
2007年4月17日長崎市長射殺事件が発生し長崎市市長伊藤一長が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。国際連合事務総長や与野党の党首・幹事長らが民主主義に対するテロ暴力を強く非難する声明を発表する中、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。
一方で、安倍サイドからメディアへの批判もなされている。『WiLL』によれば射殺事件について『週刊朝日』が2007年5月4日・10日合併号の広告で「長崎市長射殺事件と安倍晋三首相秘書との『接点』」という大見出しを掲載した。射殺犯と秘書に関係があるとするものであるとして、安倍は直ちに「言論テロ」と抗議し、朝日新聞は夕刊社会面に同誌山口一臣編集長の訂正記事を掲載したが、安倍は誠意の不足を理由として追及を止めず、週刊朝日は全国紙4紙に謝罪広告を出すことになった。この件について森喜朗は次のように述べている。
石川遼
2007年5月23日、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」 ていた杉並学院高等学校石川遼との会談が実現し、安倍は総理大臣官邸にて揮毫を手渡したが、石川は5月25日から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。さらに、参議院議員選挙に向けた話題づくりとして、投票権すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、直木賞を受賞した作家重松清は「『教育』を政策の柱に掲げる首相が、平日に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」と批判し、安倍が「真実一路」と記された色紙を石川に渡したことについて「この言葉を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。
2008年の衆議院補欠選挙
2008年4月、山口県第2区の衆議院議員補欠選挙にて、岩国市で自民党公認候補の山本繁太郎を支援する演説を行った際に、光市母子殺害事件の被害者家族について「光市の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さんを応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです。」 と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの遺影を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです。」と発言した。
しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。(山本候補を応援した事実は)まったくありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した文藝春秋に対し抗議文を送付した。
『民主党は息を吐く様に嘘をつく』
2013年6月、田中均元外務審議官が安倍の外交姿勢を批判するツイートをしたことに対し、フェイスブックで「彼に外交を語る資格はありません」と述べた。これに対し民主党の細野豪志が、一民間人への批判は、強い権力を持つ内閣総理大臣として自重すべきだとツイッターに書き込んだが、安倍は田中が「外務省元幹部」の肩書きでメディアに露出していることを挙げ、「一個人との認識は全く的外れ」として、「『民主党は息を吐く様に嘘をつく』との批評が聞こえて来そうです」と結んだ。内閣総理大臣が、野党議員をここまではっきりと批判するのは異例である。

人物像

身体
身長175cm、体重70kg、血液型B型
座右の銘
吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」。「初心忘るべからず」。
愛読書
古川薫の『留魂録の世界』(留魂録は吉田松陰の著作である)。
現在では非常に親しい間柄である(後述)アグネス・チャンは、2、30代のころファンだった。
好物
安倍の好物は焼き肉ラーメンアイスクリームスイカ。子供の頃から変わらない好みらしい。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「百識〜百で知るひとつの知識〜」によれば、ナポリアイスクリームの PUPU と、東京の両国の洋菓子店 MARRY'S のマンゴープリンが好物だという(MARRY'S のパティシエは安倍の同級生)。
2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談した際、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけはハヤシライスであった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った。
ファッション

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寒がりであるため、環境大臣・小池百合子の音頭でスタートしたクール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初は背広で通していた。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第2位となった。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門でベストドレッサー賞を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした。一族では大叔父の佐藤栄作が1973年、兄嫁の父である牛尾治朗が1981年に受賞している。
アーチェリー
大学時代にアーチェリーをしていた安倍は、2005年に全日本アーチェリー連盟の第6代会長に就任している(前任は同じく首相経験者の海部俊樹、父の安倍晋太郎も第4代会長である)。2007年3月25日に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている。
2006年4月28日のフジテレビのバラエティ番組では、明石家さんまとアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した。
ゴルフ
ゴルフも趣味の一つであり、アメリカ留学中も、現地で知り合った友人とプレーしていた。そのころともにプレーした友人には、のちに加計学園理事長に就任する加計孝太郎などがおり、交遊を深めるきっかけとなった。
アグネス・チャン
アグネス・チャンは20年も親交がある友人で、よく食事をともにする。2、30代の頃に彼女の熱心なファンであり、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ。ロイはこのことが非常に辛いようである。
岸信夫
実弟の岸信夫が第20回参議院議員通常選挙に立候補した際、安倍は秘書に対して岸の出馬に反対する発言をしたと報道された。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」として筆者であるジャーナリストの松田賢弥を訴えたが、山口地方裁判所下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」。
祖父の安倍寛が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった。
「共同通信社」出身のジャーナリスト古沢襄によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家のルーツは岩手県(安倍氏 (奥州))であり、安倍宗任の末裔だと言っていたという。安倍宗任は1051年前九年の役にて源頼義源義家率いる源氏に破れ、大宰府に配流された奥州(陸奥国)の豪族である。『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』216-217頁に「家系図をひもとくと安倍家は、鎌倉時代以前の奥州征伐などで名高い阿倍比羅夫、前九年の役の安倍貞任にまで繋がる歴史ある名門である」とある。安倍家の元家政婦は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる家系図を調べ歩いた。その結果、油谷町に住み着いた一族が宗任の流れをくむ者たちであること、青森県五所川原の石搭山荒覇吐(あらはばき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げたという。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は昭和62年(1987年)7月末、出馬表明した総裁選の全国遊説の折、妻洋子と晋三夫妻を伴い同神社に出向き、参拝した。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の岡本太郎であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという。だが、この石搭山荒覇吐神社は偽書東日流外三郡誌』に基づいて、同書の「発見者」・和田喜八郎が昭和55年(1980年)に創建した神社であり、同社所蔵の安倍頼時の遺骨と称する物は後に鑑定の結果、クジラの骨の化石と判明した。平成元年(1989年)に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「宗任」』と題する、次の序文を寄せている。“宗任より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら、と願うことしきりです”。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は平氏であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父 岸信介、佐藤栄作兄弟は源義経の郎党 佐藤忠信の末裔とされる。家紋は「丸に立梶の葉」。

┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇(明仁)

明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫

┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王

┃     ┏彬子女王

┣━━━━━┫

麻生太賀吉  ┃     ┗瑶子女王

┃  ┏信子

┣━━┫

┃  ┗麻生太郎

┏和子

吉田茂━━━━┫

┗桜子

吉田祥朔     ┃

┣━━━━━吉田寛

┏さわ

┣佐藤松介  ┏寛子(佐藤栄作夫人)

┃  ┣━━━┫ 

┃ ┏藤枝  ┗正子

┃ ┃

┃ ┗松岡洋右

佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造

┃(池上)

┣佐藤作造

┗茂世          安倍晋太郎  ┏安倍寛信

‖             ┃    ┃

┣━━┳佐藤市郎      ┣━━━━╋安倍晋三

‖  ┃          ┃    ┃

(岸/婿養子) ‖  ┃(佐藤)      ┃    ┗岸信夫

┏佐藤秀助 ┣岸信介━┳岸信和  ┃

┃     ┃    ┃     ┃

┃     ┃    ┗━━━━━洋子

┃     ┃

岸要蔵━━┫     ┗佐藤栄作   ┏佐藤龍太郎━━佐藤栄治

┃        ┣━━━━┫

┃        寛子   ┗佐藤信二

┗岸信政━━良子

(岸信介夫人)

(婿養子/信政養子)

┏佐藤秀助━━岸信介 ┏岸信和==岸信夫(安倍/養子)

┃      ‖   ┃

┃      ┣━━━┫

岸要蔵━┫      ‖   ┃

┃      ‖   ┗洋子

┃      ‖    ┃

┗岸信政━━━良子   ┃

┃   ┏安倍寛信

┏安倍慎太郎           ┃   ┃

安倍宗任・・・・・・・・・・・安倍某━┫                ┃   ┃

┗タメ              ┃   ┃ 

┣━━━━━安倍寛       ┣━━━╋安倍晋三

安倍彪助  ┃         ┃   ┃  ┃

(婿養子)   ┣━━━━━━━安倍晋太郎 ┃  昭恵

┃             ┃

本堂恒次郎 ┃             ┗岸信夫

┣━━━━━静子

大島義昌━━━秀子    ┃

┣━━━━━━━西村正雄

西村謙三

著書

  • 『吾が心は世界の架け橋-安倍外交の全記録』 (安倍晋太郎外交対象, 新外交研究会, 1992年4月)
  • 『この国を守る決意』(岡崎久彦との共著 2004年1月 扶桑社 ISBN 4-594-04331-3
  • 『安倍晋三対論集 日本を語る』 (PHP研究所 2006年4月 ISBN 4569643639)
  • 『美しい国へ』(文藝春秋 2006年7月 ISBN 4166605240)
  • 『日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- 有識者の主張』 (言論NPO 2006年12月 ISBN 9784903743011)

論文

出演

森田一義アワー 笑っていいとも!」(2014/3/21 『テレフォンショッキング』コーナー)

参考文献

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米軍と人民解放軍 米国防総省の対中戦略

本書の「おわりに」には、現在の自衛隊戦力、殊に航空自衛隊のF15戦闘機の旧式(アナログ性)をして、ハード・ソフト面において「最新の戦い方においては通用しない『ガラパゴス化』した」もの等と手厳しい指摘がある(304〜306頁)。これは航空自衛隊の(戦闘戦術も含む)装備につき、ロジスティクスやネットワークなどの投資が(人民解放軍や米軍に比して)出遅れている「アナログ機」であること、特に米国空軍が主宰する大規模多国間演習「レッド・フラッグ」では、相互のネットワーク化された演習に参加できない等といった防衛上の重大弱点を揶揄したものである。

私自身は戦闘機や兵器には全くの素人ではあるが、本書では公開された米国の公式情報だけでなく、軍事系シンクタンクの研究や論文などの豊富な技術資料に基づいて、米国はもちろん自衛隊と中国人民解放軍の戦力・戦略を詳細に分析し、米国の東アジアにおける戦略並びに軍事的プレゼンスの方向性に注目しながら、対中(人民解放軍)の日本の防衛戦略・装備の在り方を志向・分析するものと理解できる。前述のように私個人は兵器に関しては素人であるから、本書における具体的兵器・装備・統合システムなどの評価について、明確な判断は差し控えるが、東アジアにおける米中日の軍事的戦略、米国の軍事的プレゼンスがもたらすパワーバランスの重大性は抽象的には理解できるところである。本書は、米中の戦術兵器、艦船・ミサイル・航空機といったミクロな領域だけでなく、「グローバル・コモンズ」と称する海上、航空、サイバー空間、宇宙の4つの「ドメイン」(37頁以下)を総合的に解析しながら、米中の戦略と軍備を考察する。かかる米中の総合的戦略比較から、日本の防衛戦略・装備を志向する本書はユニークであり、また日本の現状を悲観的に観ながら単に批判に終わらず、(些か抽象的ではあるが)限られた防衛財政からあるべき戦略・装備を指摘するものである(306頁以下)。このページの上の「商品の説明」にも一部が見えるが、第4章では台湾を巡る米中(日)衝突のシミュレーションが展開され、人民解放軍有利の戦況が綴られている。米軍空母の2個艦隊の惨敗や西日本地域の米軍・自衛隊基地の壊滅など、素人ながら個人的には“まさか!”といった悲観的な展開も観られるが、裏を返せば決して人民解放軍を侮ることはできないという現実でもある。同前「商品の説明」には、「アジアの将来を決めるのは米国と中国である……日本はその米国に国家安全保障を依存し……経済的、軍事的に膨張する中国のパワーと最前線で対峙している……日本が単独で中国のパワーと対峙できる局面はとっくに過ぎ、米国の軍事力や影響力を日本のパワーとして取り込んでいくことが死活的な利益」とあるのが、前叙第4章の米中日の紛争シミュレーションの趣旨でもあろう。本書の構成・内容は、「登録情報」最下段の「目次を見る」をクリックすると、トピック詳細が表示されるので本稿では取り上げない。本書で中心となるのは、第2章の人民解放軍の戦略「A2/AD」であり、これは空・海軍等の機動力・装備力、地理的、地勢的、物理的な面で米国に劣る人民解放軍が、(弾道・対鑑などの移動型)ミサイル、サイバー攻撃、電子戦、機雷といった安価な兵器で米国空母艦隊(戦闘機)などの高価で貴重なターゲットを無力化するという、経済効率性の高い手法を指すものである(79〜96頁)。その代表的装備がASBM(122頁以下)で、著者は第2章で右弾道ミサイルに注目する。これに対抗する米国の「対中軍事作戦のコンセプト」が「エア・シー・バトル」(ASB)であるとして(160頁以下)、第3章では先のASBMと比較しながらASBについての戦術性など、日本を含めた優劣を検証する。これらを前提に第4章のシミュレーションが展開されるが、シミュレーション自体の当否よりも、本稿初段で述べたように、右の多少悲観的予測に基づく「おわりに」の日本の防衛戦略・装備の方向性が本書の結論と言って良いだろう。本書は方向性は異なるが『』などより具体的分析的で、中国の東アジア戦略の指向性と対中軍事プレゼンスの対抗を考える上で読み応えがある一冊と言えよう。

日本に求められる役割とは何か

(参考になった人 2/3 人)

この本には特筆に値する点が3つある。 (1)安全保障を学問として学んだ(防衛大学修士課程履修)、(2)若い新聞記者(74年生の朝日新聞)が、(3)米中日での取材と公式資料に基づいて著していることだ。 尖閣諸島の領有を巡る対立が続き、習金平政権が強硬な周辺外交を進めるなかで、いわゆる「対中本」が多数出版されている。 とりわけ、安全保障(軍事)をテーマにした本は雨後のタケノコの勢いだが、それらの対中本は大きく二つのグループに分けられる。「膨大な資金と人員を投入した中国人民軍(特に海空軍)は新たな東アジアの軍事的リーダーになる」として、対米盲従を見直そうという『悲観的守勢論』「そんなことはない、数は膨張しても質は悪いから(特に海空軍)は自衛隊にもかなわない」とする『楽観的攻勢論』 90年代から尖閣問題がエスカレートするまで、対中戦略に関する書籍は『悲観的守勢論』がほとんどだったが、尖閣以後は『楽観的攻勢論』を唱える威勢のいいタイトルばかりが目立つようになった。

悲観的守勢論は元海自の軍事専門家が主に唱えていたが、楽観的攻勢論は(軍事が専門ではない)作家や大衆誌までが唱えている。 時勢というものだろうが、本作はどちらにも属さない『客観的傍観論』といってよい。 そもそも日中問題ではなく米中問題について論じている点が素晴らしい。 冒頭で東アジア外交の主役は米中であり日本は脇役でしかないと看破している。 日本の安全保障にアメリカの存在が不可欠であることと、中国が安全保障上の脅威であることはすでに常識だ。 その上で東アジアを巡る主役の一方がどのような戦略を描き、脇役の日本にどんな役目を求めているのか。 著者は極めて客観的かつ冷静に分析している。第4章の米中開戦シミュレーションは、類著に比べても劇的な展開だが、極めて現実的だ。 安全保障を巡っては一時期「ショー・ザ・フラッグ」という言葉が取り沙汰されたが、「ショー・ザ・ブラッド」こそ安全保障の根本だと思い知らされる一冊だ。

国際政治と安全保障。その両分野へ的確に目を配った本は少ない。 国際政治分野では、妄想に基づいた与太話。 安全保障分野では、ミリタリーオタクによるトリビアルな情報の羅列。 そんな本が多いというのが現状だろう。本書は、国際政治と安全保障、極めて冷静にバランス良く目を配り、日本が巻き込まれるかもしれない危機についてアメリカによるシミレーションを基に予想される事態を鮮やかに描き出した好著である。 この種の新書では珍しく、丁寧な註も随所に付されており、著者の苦労と細心の注意が特に印象に残る。著者はテレビ朝日の政治記者。

防衛大学校で修士号を取得し、米CSBAでの客員フェローの経験を持つ。 ゆえに、調査研究能力と取材能力、そして日米の安全保障分野において通常では接することの出来ない人脈を有する。 この調査研究能力と取材能力、そして人脈が融合することで、 主に公開情報を基にしつつも、そこでは示されていない情報については独自の取材で補うことが可能となり、アメリカと中国が衝突する際のシミレーションについて極めてリアルな記述を行うことが出来ている。そのシミレーションは本書第4章に示されるところであるが、まさにこの章が本書の読みどころ。 先の国会では集団的自衛権の議論がなされたことは記憶に新しいが、その議論がいかにピント外れのものであったのか本書を読むと痛感させられる。地政学的に日本が置かれた状況。 台頭する隣国の中国と同盟国のアメリカ。 その間に挟まれ、日本が否応なく巻き込まれていく極めて厳しい事態。 この事態に対して、政治家はもちろん、大半の日本国民は少なくとも心の準備くらいはしておきたい。 (自衛隊の装備もきちんと整えないと、彼らの犠牲が増えるばかりであり、この点、きちんとした対応が必要だとは思うが)

安倍晋三』by Google Search

安倍晋三』の解説 by はてなキーワード

政治家山口県長門市(旧・油谷町)出身。自由民主党総裁内閣総理大臣(90,96代)。

父は安倍晋太郎。また、母方の祖父は岸信介首相。弟は岸信夫衆議院議員

兄、寛信の舅は知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会の座長、牛尾治朗(source)

妻は森永製菓相談役の娘で、地方局のラジオDJとして人気があった。

政治家

出典: フリー百科事典ウィキペディア (Wikipedia)』

衆議院議員 安倍晋三 生年月日 1954年9月21日


安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本の政治家自由民主党に所属する衆議院議員。「晋三」という名前であるが、安倍晋太郎の次男である。岸信介の外孫で、佐藤栄作は大叔父に当たる。参議院議員岸信夫は実弟。

成蹊大学法学部政治学科卒。自由民主党幹事長。第一次小泉内閣の前内閣官房副長官

神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て1993年に衆議院議員として初当選を果たす。2003年9月から自民党幹事長を務めた。


出身地 山口県大津

最終学歴 成蹊大学法学部

前職 神戸製鋼所

外務大臣秘書官

父の議員秘書

役職 元・内閣官房副長官

世襲の有無 3世

祖父・安倍寛岸信介

父・安倍晋太郎

選挙区 山口4区

当選回数 4回

所属党派 自由民主党

党の役職 幹事長

会館号室 衆・第一議員会館602号室

ウェブサイト http://www.s-abe.or.jp/

語録

  • 「今年を漢字一文字で表わすと、"責任"ですかね」
  • ホワイトカラーエグゼンプション残業代ゼロになるから、残業がなくなり少子化対策につながる」
  • フリーター派遣は働き方の多様性の問題。彼らが正規雇用になりたいとは限らない」
  • 「私は、コップの水が減ったとは考えず、まだこんなにあると考える」
  • そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はこういうものだ」
  • 「私はミヤタさん、いやミヤケさんを誇りに思う」(注:電車にはねられた宮本巡査部長に対して)
  • 「私はいま権力の頂点にいる」
  • 「松岡さんが亡くなって慙愧に耐えない」(注:「残念」といいたかった?「慙愧」なら「恥じ入る」ことだが)
  • 年金問題菅直人の責任」
  • コムスンは一生懸命やっておられる」

amazon:安倍晋三

国民年金保険料の納付未納期間について、回答を留保。http://f40.aaacafe.ne.jp/~matome/

日本会議国会議員懇談会」・副幹事長

真・保守政策研究会の中心メンバー→創生「日本」会長

合同結婚式に祝辞を送るなど、カルト団体である統一協会統一教会)と縁が深く、一部では「壺三安倍壺三)」という渾名で呼ばれている。

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