安倍晋三のまとめ情報

安倍晋三』の解説

安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年昭和29年)9月21日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、第96・97代内閣総理大臣(再登板)、第25代自由民主党総裁(同)。

内閣官房副長官内閣官房長官内閣総理大臣(第90代)、自由民主党幹事長自由民主党総裁(第21代)を歴任した。

概要

成蹊大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。内閣官房副長官自由民主党幹事長(第37代)、同幹事長代理、内閣官房長官第72代)などを歴任。2006年平成18年)9月26日に戦後最年少の52歳で自由民主党総裁(第21代)、内閣総理大臣第90代)に就任するも、2007年(平成19年)に第21回参議院議員通常選挙での敗北と、体調の悪化を理由に同職を退任。2012年(平成24年)9月、自由民主党総裁に就任、同年12月26日に内閣総理大臣に就任した(他の内閣をまたいで再度就任した事例は、1948年(昭和23年)の吉田茂以来64年ぶり)。

政界入りまで

生い立ち

1954年(昭和29年)9月21日、当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎と、その妻・洋子の次男として東京都で生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)である。 父方の祖父は衆議院議員安倍寛、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と回想している。幼い頃は野球選手刑事になることに憧れていた。

学生時代

成蹊小学校成蹊中学校、成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科を卒業した。

小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間は平沢勝栄家庭教師についていた。高校ではクラブ地理研究部に所属。高校卒業後成蹊大学に進み、佐藤竺教授のゼミに所属して行政学を学ぶ。大学ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され、1978年から1979年まで。

会社員時代

1979年(昭和54年)4月に帰国し、神戸製鋼に入社。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。

政界入り

秘書時代

神戸製鋼に3年間勤務した後、1982年(昭和57年)から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務める。1987年(昭和62年)6月9日、当時森永製菓社長だった松崎昭雄の長女で電通社員の昭恵と新高輪プリンスホテルで結婚式を挙げた。媒酌人福田赳夫夫妻が務めた。

1987年、参議院議員・江島淳の死去に伴う補欠選挙に立候補する意思を示したが、宇部市長・二木秀夫が出馬を表明したことから晋太郎に断念するよう説得され立候補を見送った。

衆議院議員

1991年(平成3年)に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。1993年(平成5年)に父の地盤を受け継ぎ、第40回衆議院議員総選挙山口1区から出馬し初当選。当選後はかつて父・晋太郎が会長を務めた清和政策研究会に所属する(当時の会長は三塚博)。1995年(平成7年)の自民党総裁選では荒井広幸石原伸晃と共に小泉純一郎選対の中核になった。1997年(平成9年)自民党青年局長に就任。1998年(平成10年)に政策集団NAISの会を結成。

内閣官房副長官

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派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年(平成12年)の第2次森内閣で、小泉純一郎の推薦を受け、政務担当の内閣官房副長官に就任。第1次小泉内閣でも再任した。

2002年(平成14年)、水野賢一外務大臣政務官在任中に台湾訪問拒否され同辞任した際も理解を示し擁護、小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣参与中山恭子と共に北朝鮮に対する経済制裁を主張し、拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針にも中山と共に頑強に反対した(この拉致問題への対応により、内閣官房長官だった福田康夫との関係に亀裂が入ったといわれる)。

また、北朝鮮対策として通信傍受法の要件緩和・対象拡大を主張した。

自民党幹事長

2003年(平成15年)9月、小泉によって自民党幹事長に抜擢された。事前には筆頭副幹事長への就任が有力視されていたため、小泉の「サプライズ人事」として注目を集めた。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の大平正芳総裁時代の斎藤邦吉幹事長以来24年ぶりであった。大臣経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは前代未聞。総選挙で与党は安定多数の確保に成功したが、自民党の単独過半数はならなかった。

幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。2004年(平成16年)4月の埼玉8区補欠選挙では、自民党史上初の全国的な候補者公募を実施した(公募に合格した柴山昌彦が当選)。

同年夏の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任した。

内閣官房長官

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小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣。

2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。憲法改正教育改革、庶民増税を極力控えた財政健全化、小泉政権聖域なき構造改革に引き続き取り組む方針を示す。また、総裁選に当選した場合、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。

最初の内閣総理大臣就任

2006年9月20日、小泉の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。就任2ヵ月目の11月26日に公邸に入居した。

第1次安倍内閣

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就任表明では、冒頭に小泉構造改革を引継ぎ加速させる方針を示し、「美しい国」というテーマの下に「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などのカタカナ語を多く用いた。

安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途えていた中国韓国への訪問を表明。2006年10月に就任後の初外遊先となった中国・北京胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。11月3日に行われた日米野球では、第1戦の始球式を務めた。

北朝鮮が核実験を実施したことに対しては「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、対北強硬派のジョン・ボルトンらと連携して国連の対北制裁決議である国際連合安全保障理事会決議1718を可決させ、個別でより厳しい経済制裁措置も実施した。

同年9月から11月にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える郵政造反組復党問題が政治問題化する。12月には、懸案だった教育基本法改正と防衛庁昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝煎りで任命した本間正明税制会長が公務員宿舎への入居と愛人問題で、佐田玄一郎国・地方行政改革担当特命担当大臣(規制改革大臣)が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任。この後、閣内でスキャンダルが続いた。

2007年3月の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、4月下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続き日米関係が強固なものであることをアピールした。参議院沖縄県選挙区補欠選挙に絡み、日米関係や基地移設問題が複雑に絡む沖縄県特有の問題があったため、多くの側近の反対を退け2回にわたり沖縄県を訪れて自民系無所属候補の島尻安伊子の応援演説を行うなどのバックアップおこなった(島尻は当選し、その後自民党に入党)。

5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣議員宿舎内で、首を吊って自殺。また年金記録問題が大きく浮上した。

こうした中、6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアで大きく報じられた。同月6日 - 8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。また、議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた。7月3日には久間章生防衛大臣原爆投下を巡る「しょうがない」発言が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりを受け久間に厳重注意を行った。久間は直後に辞任し、後任には小池百合子が就任した。

参議院議員選挙(2007年)での敗北

2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。同年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたとも言われるが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を下回る大敗であった。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、東北地方四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。

体調の悪化と総辞職

安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する批判が出た。

参院選直後の7月31日自民党総務会において、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)。

同日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた。翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と自民党内からも批判された。

広島平和記念式典に行く前日の8月5日から、胃と腸に痛みを感じ、食欲の衰えを感じるようになる。そして、8月19日から8月25日インドネシアインドマレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。しかし、慶應義塾大学病院の主治医によると、潰瘍性大腸炎の血液反応はなく、機能性胃腸障害という検査結果であったという。

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選挙結果や批判を受け、8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(第1次安倍改造内閣)。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日オーストラリアシドニーで開催された APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良により APEC の諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。

2007年9月10日に第168回国会が開催され、安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」という趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。

2007年9月12日午後2時(JST)、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を急遽行った。また、理由についてはテロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断したとした。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。

退陣表明の翌日(9月13日)、慶應義塾大学病院に緊急入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。

安倍内閣メールマガジン9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージの下、これをもって最終号を迎えた。

なお、病院側は、安倍首相の容体は回復してきているものの退院できる状態ではないとした。9月21日は安倍の53歳となる誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。9月23日に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁としてのあいさつは谷川秀善両院議員総会長が代読した。

9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては、毎日新聞により、政府内でも批判の声があると報じられた。

9月25日安倍内閣最後の閣議に出席し、その後国会へ登院して、衆議院本会議での首班指名選挙にも出席した。安倍内閣最後の閣議で、閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。安倍は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には皇居で行われた福田康夫首相の親任式に出席し正式に辞職、その後、再び病院へと戻った。なお、第1次安倍内閣の在職日数は1年余りとなる366日であった。第1次安倍改造内閣はわずか31日の短命に終わった。

突然の辞任への反応

小川栄太郎によると、多くの国会議員は、記者から安倍が退陣表明をすると聞かされた。亀井静香が記者に向かって「えっ嘘でしょ。これから代表質問だよ。何かの間違いでしょう」と驚く映像は、繰り返し放送されたという。

安倍は辞任の理由として「テロ特措法の再延長について議論するため民主党小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢は記者会見で「打診を受けたことは1回もない」と否定し、以降も「意見を変える気はない」と明言)。一方、自身の健康への不安のためとする理由も、与謝野馨(当時、内閣官房長官)が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。

もともと胃腸に持病を抱えており、辞意表明当日の読売新聞・特別号外でも持病に触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。この「胃腸の持病」について、安倍は辞任後の2011年に掲載された『週刊現代』へのインタビューで、特定疾患である「潰瘍性大腸炎」であったことを明かしているが、辞任表明当時は病名等が認知されておらず、過去に脳梗塞のために首相を辞任した石橋湛山小渕恵三などと比較して「命に関わらない程度の健康問題」を理由にした退陣とみなされた。そのため、立花隆をはじめとして辞任に追い込まれた実質的原因が(本人が記者会見をこなしていることなどを理由に)健康問題ではないとする見方をする論者も存在するなど、批判にさらされることとなった。

臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明について、野党側は「無責任の極み」であるなどと批判した。与党側でも驚きや批判の声が上がったほか、地方の自民党幹部からも批判が出た。

9月13日に朝日新聞社が行った緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。

安倍の突然の辞意表明は、日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカCNN)などと報じた。欧米諸国の報道でも批判的な意見が多かった。

辞任の原因 
潰瘍性大腸炎の病状
17歳のときに、潰瘍性大腸炎を発症す。自民党国体副委員長となり、食事ができずに三ヶ月入院して点滴の日々で体重激減した頃が、最も症状が重かった。このとき、「癌でこの先長くない」という噂も流れる。妻の昭恵をはじめ、潰瘍性大腸炎という病名を公表するべきだと、訴える者もいた。しかし、安倍は、官房副長官時代の2000年に、症状を出たのを最後に、幹事長、官房長官などの激務にも体調は万全だったため、2007年8月の段階までは、病気を克服できたものと判断していた。
麻生・与謝野クーデター説
安倍の辞任において、幹事長の麻生太郎と官房長官の与謝野が安倍を辞任表明に追い込んだとする「麻生・与謝野クーデター説」が自民党の新人議員の一部によってメディアを通じて広められた。
また、遠藤武彦農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを与謝野馨内閣官房長官と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる。
この「麻生・与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、9月18日の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。。

内閣総理大臣退任後

体調回復と活動の再開

その後、入院していた慶應義塾大学病院から仮退院し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。

11月13日新テロ特措法案の採決を行う衆議院本会議に出席し、賛成票を投じた後、福田康夫首相や公明党の太田昭宏代表へ体調が回復したことを伝えた。

2007年末、『産経新聞』のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」

2008年3月5日、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や世耕弘成らが入会した。設立総会において、安倍は「北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。3月6日、清和政策研究会(町村派)の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」 と述べて所属議員に謝罪した。。

第45回衆議院議員総選挙直後に行われた2009年自由民主党総裁選挙では、麻生太郎とともに、平沼赳夫の自民党への復党と総裁選挙への立候補を画策したが、平沼が難色を示したため実現せず、西村康稔を支援した。

2010年4月義家弘介が初代塾長の信州維新塾開講式や6月(後に最高顧問に就任する)J-NSC自民党ネットサポーターズクラブ設立総会にゲスト参加。10月25日、インドのマンモハン・シン首相を来賓として迎えて開かれた日印友好議員連盟の会合で「(日印両国は)民主主義と法の統治を共有する同盟に近い関係だ」と述べた。

2度目の総裁就任

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2012年9月12日、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる2012年自由民主党総裁選挙への出馬を表明。自らが所属する清和会の会長である町村信孝の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった石破茂、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった石原伸晃の後塵を拝していると見られていた。しかし、麻生派高村派が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、9月26日に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決戦投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は1956年12月自由民主党総裁選挙以来となった。。

内閣総理大臣に再就任

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、政権与党に復帰。同年12月26日、安倍が第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足した。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では吉田茂以来2人目である。

首相再登板後は、デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定した上で、日本銀行法改正も視野に入れた大胆な金融緩和措置を講じ、多年に渡って続くデフレからの脱却に強い意欲を示す。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略を三本の矢と称した一連の経済対策は、アベノミクスと称される。「アベノミクス」は2013年新語・流行語大賞のトップテンに入賞し、安倍が受賞した。

TPP問題

2012年11月14日の野田佳彦首相の解散表明により選挙の争点として浮上した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)について、当初の自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていたが、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談で交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の米倉弘昌も「いいことだ」と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協(JA)系の政治団体から推薦を受け当選した。

しかし、農水大臣に農政になじみの薄い林芳正を起用し、甘利明、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置。さらに外交政策に関して助言を行う内閣官房参与には、日本はTPPに参加すべきとの発言をおこなっていた谷内正太郎を起用した。また、TPP賛成派の岡素之大田弘子をそれぞれ内閣府規制改革会議議長及び議長代理とし、さらに新設の日本経済再生本部に設置された産業競争力会議のメンバーにも日本維新の会と関係の深いTPP賛成派の竹中平蔵や、TPP早期実現要請を行なっていた三木谷浩史を加えた。経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、高橋進は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物。伊藤元重にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった。

2013年2月23日、日米首脳会談後に共同声明を出した。それまでの関税に関する見解(カークUSTR代表と玄葉外務大臣との会談)は「物品関税の最終的な扱いについてはTPP交渉プロセスのなかで決まっていくもの」であったが、今回の共同声明は「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との表現になった。この会談の結果、主要全メディアにおいてTPP賛成が増加し、共同通信63%、FNN53%、テレビ朝日51%、日本経済新聞47%などとなった一方、ニコニコ動画では46.5%が反対と回答した。

2013年3月8日、日本政府が野田佳彦内閣当時の昨年3月の段階から『TPP交渉参加後発組に出された3条件』を把握していたにもかかわらず、国民に条件を告知することなく交渉参加を推進していたことが判明した。安倍はこの問題に関して衆院予算委員会で答弁を拒否し、質問した日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長が「政府が交渉参加のルールを探って議会に説明するのは当然の責任だ」と批判した。また岸田文雄外相は「少なくともわが国には、そうした条件の提示は全くない。引き続き情報収集に全力を挙げる」と答弁していたが、9日になって安倍は「ルールを作っていく上で、最初に入った人たちが後から入った人に議論を覆されたら困るというのは、それはそうだろうと思う」と述べた。安倍政権はこの3条件を政権移行直後に把握したが公表はしていなかった。

2013年3月14日、自民党のTPP対策委員会が「重要5品目等や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先」し、それが確保できないと判断した場合は「脱退も辞さない」とする決議をまとめた。ただ自民党執行部はこの決議に関して「彼らも地元に帰って反対してきたと言えるだろう」と慎重派のガス抜きであることを認めており、政府高官は今後の政府の交渉を縛らないと明言している。

「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」との発言からちょうど120日目にあたる2013年3月15日、TPP交渉参加という形で決着が図られることとなった。

2013年4月12日に決着したTPP交渉参加に向けた日米事前協議は大手各紙上でも『高い「入場料」』という言葉が飛び交い、米側に譲りに譲ったものとなった。日本政府のTPP交渉担当者が「なんとしても7月中には交渉に加わりたいのだが……」とあせりの色を隠せない中での事前協議であり、交渉に入る前から通商条件で大幅な譲歩を迫られる可能性があったが、現実のものとなった。焦点の自動車・保険分野では双方とも大幅譲歩であり、自動車分野では自動車関税について当面は乗用車・トラックの関税を維持した上、撤廃時期はTPPが認める範囲で最大限遅らせることで決着、保険分野ではかんぽ生命のがん保険など新商品の申請を事実上凍結したため、投資家に訴える新規事業への参入が不可欠な2015年秋までの株式上場は計画の見直しが不可避となり、政府が復興財源として期待していた日本郵政株式の売却収入4兆円が見通せなくなってしまった。のみならず、非関税措置について9つの分野で日米間で継続協議とされたため、1990年代に経験した日米構造協議、包括経済協議と同様に2国間の枠組みを使って日本に市場開放の圧力をかける構図が繰り返されることになった。

2013年9月25日、ニューヨーク証券取引所で行った講演で、「もはや国境国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。世界の成長センターであるアジア太平洋。その中にあって、日本とアメリカは、自由基本的人権法の支配といった価値観を共有し、共に経済発展してきました。その両国が、TPPをつくるのは、歴史の必然です。」との見解を示した。

日本版「ワッセナー合意」は、むしろ第1次安倍内閣で提唱された労働ビッグバン(日本版オランダ革命)に近いものであり、日本維新の会のブレーンで小泉構造改革の中心人物であった産業競争力会議メンバー竹中平蔵の主張である「再就職支援金の支払いを条件に従業員の解雇を認めるといった解雇ルール」や「正規と非正規の中間的な雇用形態の導入」などが盛り込まれている。これについては、失業増を受け入れる労働組合はもちろん経済界も難色を示しているとされる。竹中平蔵第1次安倍内閣の際には、著書の中で「既得権益を失う労働組合や、保険や年金の負担増を嫌う財界の反対で頓挫した」と述べていた。

日台漁業交渉問題

2013年4月に台湾との間で尖閣諸島沖の漁業範囲に関する取り決めを行った。この協定は官邸の独断で成立が決定されたため、水産庁や外務省などと事前協議を行っていた地元の漁協は強く反発し、「いずれこの漁業範囲から日本船が締め出され中国船や台湾船しかいなくなる」、と強い懸念を出している。実際に台湾漁船は当協定の成立が決定すると、協定の発行前から認められる予定の漁業範囲さえ超えた範囲で操業を開始した。

参議院議員選挙(2013年)での勝利

第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙(参議院議員選挙での敗北)以降、参議院では政権与党が過半数を下回るねじれ国会が続いていた(2009年の第45回衆議院議員総選挙から2010年の第22回参議院議員通常選挙までの期間を除く)。2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙で、政権与党の自民・公明両党が合わせて過半数を超える議席を獲得し、「ねじれ」は解消した。

2020年東京オリンピック招致

2013年9月7日、ブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会において東京都2020年夏季オリンピックの開催地に選ばれた。安倍は前年12月の首相就任以降、東京招致委員会の最高顧問として各国首脳との会談や国際会議の際に東京招致をアピールした。さらに、2013年3月に来日したIOC評価委員会との公式歓迎行事では演説を行い、歌を披露する場面も見られた。安倍は首相就任後、1964年東京オリンピックの開催が決定した当時の首相が祖父である岸信介であることを持ち合いに、自らがIOC総会に出席してプレゼンテーションを行う意欲を見せていた。これにより開催地決定の直前である9月5日と6日にロシアサンクトペテルブルクで開催されたG20を途中で切り上げ、6日にブエノスアイレスに到着しIOC委員へ東京支持を呼びかけた。

7日の総会では東京のプレゼンターの1人として演説を行い、「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」と発言。演説後の質疑応答では総会直前に明らかとなった福島第一原子力発電所の汚染水漏れに関する質問が出た。これに対し安倍は「結論から言うと、まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」、「健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない。完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している」と答え、「子供たちの将来や日本にやってくるアスリートに対する責任を完全に果たしていく」と述べた。しかし、その後の汚染水漏れのニュースは後を絶たず、安倍の発言が東電の公表している状況とも異なっているなど、状況は統御されていない事実が明らかになった。このことは国会でも追及されており、安倍は追及に対して「事態は掌握しているし、対応はしている、という意味でコントロールと発言した」と抗弁している。

なお、9月19日に福島第一原子力発電所を視察した際、安倍は東電幹部に「0.3(平方キロ)は(どこか)」と尋ね、実際の範囲がどの程度か理解しないまま発言していた可能性があると共同通信に報じられた。

ちなみに、開催決定後、文部科学大臣下村博文を「東京オリンピック・パラリンピック担当大臣」に任命し、内閣官房に推進室を設置して各省庁との調整を行う組織を新設することを固めている。

特定秘密の保護に関する法律

2013年中旬から安全保障などの情報のうち「特に秘匿するが必要あるもの」を「特定秘密」と指定し、情報にアクセス出来る者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めた特定秘密保護法の検討を開始した。当法案には国内外で議論を呼び、報道各社が行った世論調査では廃案・見送りが多数を占めるものが大勢を占めたが、一部賛成が反対を上回るものもあった。法案は、2013年11月に衆議院で、12月に参議院で採決された。衆議院では与党に加えみんなの党も賛成したが、参院では直前の与党議員の発言などを受け全ての野党が賛成しなかった。その後、安倍政権の支持率は急落した。この法案に対しては国連が重大な懸念を表明し、海外メディアからは「報道の自由及び民主主義の根本を脅かす悪法」、「日本で内部告発者を弾圧する立法が成立した」、「日本が報道の自由を制限」などと報じられた。元アメリカ国防次官補のモートン・ハルペリンは「知る権利と秘密保護のバランスを定めた国際基準を逸脱している」と法案を批判した。一方で、アメリカ合衆国国務省副報道官のハーフは記者会見で、日本で特定秘密保護法案が成立したことについて「情報の保護は同盟における協力関係で重要な役割があり、機密情報の保護に関する政策などの強化が前進することを歓迎する」と述べ、AP通信は「中国の軍事力増強に対抗するために強い日本を望む米国は、法案可決を歓迎している」と報じた。

普天間基地移設問題

2013年12月25日、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設に向け、沖縄県知事仲井真弘多と会談し、日米地位協定に関し環境面を補足する協定を締結するための日米協議開始などの基地負担軽減策を示した。仲井真は「驚くべき立派な内容だ」と評価して移設先である名護市辺野古沖の埋め立て申請を承認する方針を固め。

消費税増税

2012年自由民主党総裁選挙に立候補した5人による日本記者クラブ主催の公開討論会でも「時期を間違えると結果として経済の腰を折ってしまう。デフレがずっと今と同じままなら上げるべきでない」と言明した。しかし、首相就任後に自身が指名した日本銀行総裁の黒田東彦が「現行計画の消費税率の引き上げでも成長は大きく損なわれず」と増税実施を主張したことなどもあり、増税実施へ徐々に傾いていった。2013年8月26日より、内閣府で集中点検会合が開かれたが、有識者60人の大半が増税実施を主張。2013年10月1日に正式に税率の8%への引き上げを表明した。なお、日本銀行は2013年10月の時点で、消費税率を8%にアップさせた際の2014年(平成26年度)の実質GDPが前年比1.5%増に達するとしており、元日銀調査統計局長である早川英男は、「(1997年の消費税増税後の景気低迷はアジア経済危機等が主因で)別に消費税のところで景気が大きく落ちたわけではない」「短期の景気見通しは、当たり前ですけれども明るい」と語っていた。

再増税が実施される場合は2015年10月に予定されているが、2014年6月24日のインタビューで安倍は「やっとつかんだ(デフレ脱却の)チャンスを逃してしまうかもしれないなら、引き上げることはできない」と述べ、11月発表の7〜9月期の実質国内総生産を待って最終判断を下す考えを示した。また2014年4月の増税以降、大幅に悪化する指標が相次いでいる。7月10日に発表された5月機械受注は、官公需が22.4%増だったにもかかわらずリーマンショックを越える前月比19.5%減と過去最大の減少幅(ロイターの事前予測調査0.7%増)。6月27日に発表された5月の実質消費支出は、実質前年比で8.0%減(ロイターの事前予測調査2.0%減)と東日本大震災以来の落ち込み。7月30日に発表された6月の鉱工業生産も東日本大震災以来の落ち込みとなる前月比3.3%減で、経済産業省は「総じてみれば、生産は弱含みで推移している」と判断を下方修正。経済産業省関係者は「過去にもなかなかない」ほどの低下幅だと語った。しかし7月10日には、公益社団法人である日本経済研究センターが、7-9月期の実質成長率予測を季調済み前期比年率2.65%と主張。この予測が「15年10月からの消費増税“第2弾”(2%の追加増税)を後押しする」とした(この予測を行ったエコノミスト40人には菅野雅明熊谷亮丸武田洋子といった集中点検会合。なお、8月13日に発表された4-6月期の実質GDPは前期比1.7%減、年率6.8%減と東日本大震災以来の大きな落ち込みとなり、「谷深ければ山高し」との理由から日本経済研究センターは7-9月期実質成長予測を前期比年率4.08%増と修正。その報告の中で、景気の「1月ピーク説」との見方がにわかに台頭し、消費増税でもアベノミクス景気は腰折れしないとの見方が覆るかもしれないとした。8月9日発売の「文芸春秋」において、安倍は「経済成長こそが安倍政権の最優先課題であることを明言する」とデフレ脱却への決意を語った。

2014年10月7日の参議院予算委員会で、安倍は「今の社会保障制度を次世代に引き渡し、子育て支援のために資金を国民に負担してもらうための消費税だ。仮に消費税率を10%に引き上げなかった場合、社会保障の予算は減ることになる」と述べた。また、同日にIMFは、2015年10月に予定される10%への消費税率引き上げを予定通り実施するべきとの見解を示した。これについては、IMFには財務官出身の副専務理事や財務省からの出向職員が多数いるため、ロイター東京支局の記者がIMF(または財務省)に取材して書き込んだといった意見もある。ロイターは論説で、民間エコノミストの間では7-9月期成長率が当初の4%台の見通しから2%台に下方修正されており、政府内には成長率の数字が低くても消費税の再増税を認めるという「ハードル引き下げ論」が浮上していると報じた。国債に関しては、衆議院財務金融委員会において日銀総裁の黒田東彦と財務大臣の麻生太郎が、「(増税先送りをすると、日本国債への信認低下によって)対応が極めて困難になる」と足並みをそろえた。一方で、財務省は国債入札に上限制を設ける検討に入っており、2015年度にも証券会社や銀行が応募できる金額を発行予定額の2分の1に制限する方向となった。10月17日には、いわゆる「札割れ(日銀の国債の買い入れに対して、民間金融機関による応札額が買い入れ予定額に届かないこと)」が発生し、金融機関が安全資産とされる日本国債を手元に置く動きをしていることが分かった。

2014年10月17日、安倍はフィナンシャルタイムズのインタビューに応じ、増税で景気後退すれば歳入も減少して施策自体が無意味になると述べた。10月21日、政府は10月の月例経済報告を2ヶ月連続で下方修正し、消費の足踏みが生産に波及してきたとの見方を示した。また、コアコアCPIの上昇が止まっており「緩やかに上昇している」から「このところ上昇テンポが鈍化している」に修正した。10月22日、自民党内の慎重派の議員連盟が勉強会を開き、議連会長の山本幸三は「消費増税はマイナスの影響しかない。慎重にタイミングを計るべきだ」と述べた。

安倍は11月13日、消費税率の再引き上げの先送りを決めた上、次週に衆議院を解散する方針を固めた。1年半延期して2017年4月からとする。

参議院議員選挙(2016年)での勝利

任期満了に伴う2016年7月10日の第24回参議院議員通常選挙では、前回を上回る議席を獲得した。安倍はこの結果を受けて、アベノミクスが信任を得たものと主張した。

皇室

皇室典範解釈
「皇統の継承は男系でつないでいくと皇室典範に書いてある」とし「女性宮家はそういう役割を担うことができない」と述べている。

国家観

美しい国
総裁選直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行するベストセラーになった。政権スローガンも「美しい国日本を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。小泉構造改革について好意的に捉え、安倍政権においても引継ぎ加速させる見解を総理就任記者会見で表明している、「(日米)両国が、TPPをつくるのは、歴史の必然です。」という見解を示し、グローバル企業活動の国境の撤廃を目指している。2014年4月、安倍が内閣総理大臣時代の首相官邸ホームページには、「企業活動の国境、なくす」「グローバル企業は、関税の障壁など、国内外の市場にまたがる制度面の障害をクリアし、より自由に活動できるようになります。」と書かれていると述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166回国会施政方針演説では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言している。

地方自治

構造改革の推進者であり、地方分権改革(道州制)を推進している。
道州制特区法の制定・道州制推進
2006年(平成18年)に北海道地方等の特別区域で道州制を導入できる道州制特別区域における広域行政の推進に関する法律を成立、公布・施行した。道州制導入についても2007年の所信表明演説で「道州制は地方分権の総仕上げ」と表明し、道州制が地方分権の最終形態として好ましいとの見解である。

外国人政策

実質的な移民政策

移民は母国以外の国へ移住し、長期滞在する者を意味し、外国人労働者受け入れの規制緩和は「移民の大量受け入れ」と軌を一にし、安倍内閣は、中国からの公費留学生の大量受け入れや、高度人材認定外国人の長期滞在環境を整えるなど。

中国からの公費留学生の大幅拡充

2005年に都内の専修大学講演の中で「中国からの公費留学生の数がまだまだ少ない。思い切って増やして、反日にならずに日本を知ってもらうよう、我々も努力をしていかねばならない」との見解を示し。外国人労働者受け入れの規制緩和と「移民の大量受け入れ」は軌を一にし、外国人労働者受け入れの規制緩和により入ってくる移民の大半は中国人になるだろうといった見方が出ている事や、「移民を受け入れてきた多くの国々が、様々な摩擦が起こって、入ってきた人々も、そこにいる人々も不幸な出来事がたくさん起こっている」と述べる。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた。現行憲法の前文については「敗戦国のいじましい詫び証文」「みっともない」と主張している。

外交

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第1次安倍内閣においては、「価値観外交」と「主張する外交」を外交の基本路線とした。このうち、「価値観外交」は、自由、民主主義、基本的人権法の支配という普遍的な価値観を共有する国の輪を世界、アジアに拡大して行くことを目指す外交戦略であるが、第1次安倍内閣で外務大臣を務めた麻生太郎が、「自由と繁栄の弧」として初めて提唱したものである。自由と繁栄の弧は、民主主義や法の支配などの価値について、日本が非欧米圏における先駆者としての地位にあることに着目した上、北東アジアから、東南アジアを経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという構想といえる。

2012年12月28日に発足した第2次安倍内閣も、麻生太郎を副首相兼財務大臣としたほか、第1次安倍内閣当時に外務事務次官として「自由と繁栄の弧」の企画・立案を行ったとされる谷内正太郎を内閣官房参与としており、改めて自由と繁栄の弧を基本とした外交政策を打ち出すと指摘されている、安倍が、平成24年12月28日にベトナム、インドネシア、オーストラリア、インドなどの首脳と相次いで電話会談を行ったのもその表れと指摘されている。またプラハに本拠を置く国際NPO団体「PROJECT SYNDICATE」のウェブサイトに、12月27日付けで安倍晋三首相の英語論文が掲載され、そこで「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド構想」を世界に向けて主張している。

第2次安倍内閣における「価値観外交」の特色は、中国やインドの間という地政学的優位性が高い上、経済や安全保障での重要性も高まる東南アジアを重視する点である。第2次安倍内閣最初の閣僚外遊は、民政移管を進めていたミャンマーへの麻生太郎副総理兼財務相・金融相の訪問であった。この点、麻生副総理は、「閣僚の最初の訪問先がミャンマーとなったこと自体、政権としてのメッセージである。」と述べている。安倍晋三首相も、就任後最初の外遊先として、2013年1月16日から18日にかけ、まずベトナムを訪れ、次にタイインドネシアを訪問。アジア太平洋地域の戦略環境が変化する中で、地域の平和と繁栄を確保していくため、自由民主主義基本的人権法の支配など普遍的価値の実現と経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本はASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、対ASEAN外交5原則を発表した。

日本の価値観外交においては、港や道路などハードのインフラの整備だけでなく、投資環境整備にもつながる法整備支援や、人材育成といったソフトのインフラ整備への協力を、日本の役割として位置付けることが重要と主張されている。

アメリカ合衆国
小泉政権により強化された日米安全保障条約をさらに充実させるため在日米軍自衛隊の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。
安倍政権の外交方針について、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」や沖縄タイムスなどからは対米追従であるという批判や懸念があるが、2013年3月の施政方針演説によれば「日米同盟をより強固にしたい。わが国の安全確保の観点から当然の取り組みであり、地域の平和と安全に資する。対米追随外交との指摘はまったくあたらない」としている。
2014年4月24日の日米首脳会談で、日本の超電導リニア新幹線の技術をアメリカへ無償提供すると表明する。2013年2月の首脳会談でも「日米同盟の象徴」と技術提供を提案していた。2013年3月には、日本企業が米軍のF-35開発に参加することを提言した。
イギリス
2014年7月17日国家安全保障会議で、戦闘機用のミサイルをイギリスと共同研究することを決めた。。この研究は現状日本のシーカー技術を適用した場合どの程度の性能になるかをシミュレーションするもので部品などをやり取りすることはないという。
東南アジア
第2次安倍内閣は、経済や安全保障での存在感が高まる東南アジアを重視している。就任後1ヶ月以内に、自身のベトナムタイインドネシア訪問、麻生太郎副総理のミャンマー訪問など、閣僚がアセアン主要国を次々と訪問した。自由民主主義基本的人権法の支配など普遍的価値の実現と経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本はASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、2013年1月18日には、訪問先のインドネシアにおいて、以下の対ASEAN外交5原則を発表した。
中華民国台湾
祖父である岸信介や父・晋太郎も親台派であり、自身も台湾などとの交流強化を目指している亜東親善協会の会長を2012年の首相就任まで務めていたほか、第一次安倍内閣の際には羽田空港松山機場との間の直行便を推進したり、野党時代には台湾を訪問し馬英九総統、李登輝元総統などと会談を行うなど、筋金入りの親台派と言える。また、中華民国政府も安倍のことを親台派であると評価している。また、第三次安倍内閣では国会答弁のなかで「日本の友人である台湾」と同答弁内で述べられた中国、韓国、北朝鮮、ロシアとは別格の表現をしているほか、同年7月29日に行われた参議院の我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会において、「台湾は、基本的な価値観を共有する重要なパートナーであり、大切な友人であります」と答弁している。
中華人民共和国
2006年の総裁選は、ありのままの日本を知ってもらうために多くの中国人留学生を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して胡錦濤国家主席と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅(破氷之旅)」と呼ばれて評価された。
大韓民国
かつて1960 - 1970年代に韓国が親日・親米保守軍事独裁政権(朴正煕政権。現在セヌリ党)だった頃、父・晋太郎が親韓派であったため、その影響からか第一次安倍内閣時には「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っている」と親韓的な発言をしている。軍艦島(端島)など明治日本の産業革命遺産世界文化遺産登録をめぐる韓国との交渉では、朝鮮半島出身者の徴用について、韓国側の要求を受け入れるように外務省に歩み寄りを指示している。その一方、第三次安倍政権下では外務省による二国間関係を紹介するウェブページの韓国に関する記載から「基本的な価値を共有する」を削除した。
2013年の韓国の保守系有力メディア「月刊朝鮮」(2013年4月号)による安倍へのインタビューでは安倍は日韓関係はじめ歴史問題や憲法改正などについて語っている。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
2007年2月12日に来日したチェイニー米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除をしないように要請した。。
2016年北朝鮮が5回目の核実験を行ったことについて「厳重に抗議し、最も強い言葉で非難する」とした声明を発表した。
オーストラリア
オーストラリアとは「基本的価値観を共有する」としている。日豪FTAの交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年3月13日には安全保障協力に関する日豪共同宣言ジョン・ハワード首相とともに署名した。この宣言にはPKOなどの海外活動や対テロ対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした。
インド
2007年8月に日印首脳会談を行い、政治・安全保障、経済、環境とエネルギーなど多岐に渡って合意した。また、インドの国会において、日印間の更なる関係強化について「二つの海の交わり」と題する政策演説を行った。外務省は「この演説内容はインドに非常に高く評価され、スピーチ終了後は総立ちとなるスタンディングオベーションとなった」と発表している。
中東アフリカ
2014年1月にオマーンを訪問し、さらにコートジボワールを訪れた。

安全保障

日本版「国家安全保障会議」(NSC) 構想を推進した。総理就任以前から憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出してきた。2007年には安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会を開催、集団的自衛権の行使は日本国憲法第9条に反しないとの報告書を得て、宮崎礼壹内閣法制局長官に対し、解釈変更の指示を行ったが、職員の総辞職の可能性を示される抵抗を受け頓挫した。。

2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての鈴木宗男質問主意書に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との答弁書を出した。

第2次安倍内閣においては武器輸出三原則の撤廃を含めた根本的な見直しに着手。2013年9月28日小野寺五典防衛大臣は、最先端の兵器は国際開発が主流であり、日本はその流れから取り残されているとして、武器輸出三原則を抜本的に見直す考えを示した。

2014年3月、武器輸出三原則に代わる「防衛装備移転三原則」の原案が与党のプロジェクトチームに示され、同年4月1日に武器輸出三原則に代わる防衛装備移転三原則が閣議決定された。

尖閣諸島問題

「歴史と国際法によって、尖閣諸島(中国側:釣魚島)が日本の領土であり、中国と交渉の余地はない」と明言しており、「日本と中国の間が異なる見解を有している」ことを認めている。

教育

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2006年12月に教育基本法を改正し、教育の目標の一つとして愛国心という言葉を盛り込んだ他、義務教育9年の規定や男女共学の項を削除した。内閣府直属の「教育再生会議」を立ち上げ、2007年6月には教員免許更新制を導入した。その他、学校週五日制の見直しや大学進学の条件として社会奉仕活動の義務化を提唱した。その他の政策としては、教育バウチャー制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務める。

改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている。

第二次政権時においては、教育再生実行会議の第一次提言や2013年3月の施政方針演説より、

  • 6・3・3・4制の見直しによる「平成の学制大改革」を始める
  • 道徳の教科化
  • いじめ対策の法制化

などが主たる教育政策である。

第一次政権時の教育政策については教育再生会議第二次政権時については教育再生実行会議も参考のこと。

民法論議

夫婦同姓規定

現行の民法規定で定められている夫婦同姓を支持しており、夫婦別姓について「夫婦別姓は家族の解体を意味する。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという左翼的かつ共産主義のドグマだ」と述べている。2016年2月29日に衆議院予算委員会で、岡田克也から、この発言の真意について説明を求められ、「(夫婦別姓を認めない民法の規定を合憲とした)最高裁判決における指摘や国民的議論の動向を踏まえながら慎重に対応する必要がある」と答弁している。野田聖子自民党)や菊田真紀子民主党)は、安倍が「夫婦別姓反対の急先鋒」であるとしている。

離婚後300日規定

女性が離婚後300日以内に出産した場合、子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になるという民法の規定に関しては、2007年2月15日の参院厚生労働委員会の少子化問題に関する集中審議において「見直しの要否を含めて、慎重に検討する」と回答し、2月23日の衆院予算委員会において「時代が変わってきて親子関係はDNA鑑定ですぐにわかる」と答弁している。

婚外子規定

婚外子の遺産相続分を嫡出子の半分とする規定を削除する民法改正に関しては、2013年10月18日の参院本会議において「不合理な差別は、解消に向けて真摯に取り組む必要がある」と答弁している。

公務員改革

内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に渡辺喜美を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、天下り、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて (1) 官民人材交流センター(人材バンク)の制度設計 (2) キャリア制度の見直し、という2つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も成田空港社長に官僚OBがなることを却下したり、東京証券取引所への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起きるようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒアリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしないなどの抵抗が見られた。

この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革(社保庁民営化)に力を入れていた。年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いからだったが、ここでも激しい抵抗にあった。田原総一朗は、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と主張した。

労働政策

再チャレンジ政策
小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定雇用の増加やいわゆる経済的不平等の是正を掲げ、再チャレンジ政策の一環としてフリーター正社員として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の 経団連が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「ワーキングプアと言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も非正規雇用者が正規社員へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、偽装請負等に関しても、「法令労働基準法に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている。
最低賃金
最低賃金の抜本的引き上げは、「中小企業を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした。2007年3月の参議院の予算委員会では、「最低賃金制度を生活保護以上にしていくという改正を行い、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した。
男女共同参画
2005年5月26日に開催された「過激な性教育・ジェンダーフリー教育を考えるシンポジウム」で自民党プロジェクトチーム座長を務めた安倍は、「男女の性別による差別は決して許されるものではない。」としながらも、ジェンダーフリーは、家族の破壊をもたらす概念であり、明らかに間違いと主張した。ジェンダーフリーの言葉の間違いについては、党内政府内でも見解の一致が見られるとし、男女共同参画社会基本法の検討の必要性を述べた。。

治安政策

組織犯罪処罰法(いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「国際組織犯罪防止法条約」を批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の通常国会で成立を図るよう指示したが、世論や自民党内からの反発が強く、継続審議となった。

社会保障

中国残留孤児
中国残留孤児問題における訴訟では請求を取り下げられた原告団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。
慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」
2007年2月23日に、熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポストの設置を計画していることについて、「ポスト」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると述べている。
年金問題
年金記録問題では民主党の小沢一郎との党首討論で「消えた年金はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」と各地で演説した。
メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた。社会保険庁は年金記録の照合作業を進めたものの、2008年3月末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された(人数や件数は2007年12月時点での推計値)。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。福田は「(当時の)安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」 と安倍を擁護したが、内閣官房長官の町村信孝は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」。
なお、国民皆年金制度は祖父・岸信介が首相時代に策定したものである。

経済政策

経済財政諮問会議第2次安倍内閣で再開した。

現在、アベノミクスといわれる以下の3政策からなる経済政策を行っている。

  • 大胆な金融政策
  • 機動的な財政政策。
  • 民間投資を喚起する成長戦略

アベノミクスの「第1の矢」とされる大胆な金融緩和政策により速いスピードで円安が進み、野田佳彦が衆議院解散の意向を表明してから、5ヶ月で20円円安が進んだ。また、2013年5月15日には5年4ヶ月ぶりに日経平均株価が15,000円台を回復した。

それ以降の日経平均株価は大きく下げた後伸び悩み、ほぼ14,000円台の状態が長期間続いたが、同年11月15日には再び15,000円台まで回復した。第2次安倍内閣発足から1年が経った2013年12月27日の日経平均株価終値は16,178円となり、リーマン・ショック前の2007年11月6日以来6年2カ月ぶりの高値水準となった。

また、大胆な金融緩和政策による円安により、政権発足以来史上最大の貿易赤字を更新し続けている。

同時に「不動産市場における国際展開戦略」は円安を受け好調に展開し、外国人による日本の不動産買いが着々と進行している。

原発政策

福島第一原子力発電所事故の影響で停止している、日本各地の原子力発電所について、2014年5月1日にシティ・オブ・ロンドンでおこなった演説の中で、安全基準を満たしたところから順次稼働させていく方針を表明した。

経済産業省外局総合資源エネルギー調査会の原子力小委員会は差額決済契約という制度を検討している。

2014年10月8日、原子力規制委員会原子力発電所の重大事故での住民の避難範囲を決める際、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの計算結果は利用しないと決めた。

2014年10月24日、原子力損害の補完的補償に関する条約の承認案と関連法の改正案を閣議決定した。

日本共産党の機関紙しんぶん赤旗は、安倍内閣は原子力の安全確保に万全をつくすとしていたものの、安倍内閣以降の政権では具体的な対策はなされていないとし、「反省なき原発推進」であるなどと報じている。

財政再建

財政について、「成長せずに財政再建できるかというとそれは無理で、絶対に有り得ない」と述べている。

消費税について安倍は「デフレーション下で増税をするのは、景気を冷やしていく危険性もあり、よりデフレが進んでいく危険性もある。これは明らかに間違っている。財政赤字はさらに悪化していく危険性すらある。税収はそんなに伸びないどころか、ダウンするかもしれない」「財政規律ばかりが強調されているが、これはわれわれにも責任がある。消費税を橋本政権下で上げたときに、財政危機を国民に強く訴え、このままでは大変なことになるという、不安を喚起した。これが効き過ぎてしまった」と述べている。

村山談話

総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「村山首相談話」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院予算委員会で、A級戦犯について戦争責任については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた。2006年10月5日、衆院予算委員会で、東条内閣商工大臣だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている。

東京裁判については、第1次政権時代、「受諾しており異議を述べる立場にない」としていた。第2次政権では、2013年2月12日の衆議院予算委員会にて、「大戦の総括は日本人自身の手でなく、いわば連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と述べ、懐疑的な見方を示した。

慰安婦問題

河野談話

日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援して来た自民党内部の議員連盟日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長を務めた(現在は顧問)。同会は特に「侵略戦争」や「慰安婦」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」を発表した河野洋平を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た吉田清治の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「従軍慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。2007年3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「この決議案は客観的な事実に基づいていません」「これは、別に決議があったからといって我々は謝罪するということはないということは、まず申し上げておかなければいけないと思います」との見解を述べた。

社民党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書に対して、2007年3月16日に「河野談話をこれからも継承していく」としつつ、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」とし、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定し提出した。

「従軍慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志で作る「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」による河野談話見直し発言が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した世耕弘成首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言し鎮静化を図ったが、中国・韓国を中心に非難が巻き起こった。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言をしたと報じられ、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が『強制的に』置かれたことについて大変申し訳なく思う」、「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを『強制された』方々に責任を感じている」 と述べたと米国で報道された。

第2次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して「河野談話の見直し・改変」を唱えているが、2013年5月24日、「安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる」と辻元清美の質問主意書には応えている。

日米首脳会談での言及

ブッシュ大統領との2007年4月28日の日米首脳会談後の共同記者会見で、「慰安婦の方々にとって非常に困難な状況のなかで辛酸を舐められた、苦しい思いをされたことに対し、人間としてまた、総理大臣として心から同情しておりますし、またそういう状況におかれていたと言うことに対して、申し訳ない、と言う思いでございます」とあらためて謝罪の意を示した。ブッシュ大統領は「安倍総理の謝罪を受け入れた」と応じた。。

安倍は2011年11月、この問題に関して「会談で従軍慰安婦問題は全く出なかった。そもそも日本が米国に謝罪する筋合いの話ではない」とアメリカメディアの報道は事実無根だと主張したが、2013年5月に主張を修正し、実際には日米首脳会談で「元慰安婦の方々に、首相として心から同情し、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と発言したことは認める答弁書を決定した。

日韓合意

2015年12月28日の日韓外相会談にて、日本側は従軍慰安婦への日本軍の関与と日本政府の責任を認めて謝罪した上、日本側が元慰安婦を支援する財団に10億円を拠出する事で「最終的かつ不可逆的な解決」とする合意に至った。これについて、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせる訳にはいかない」「今回の合意を踏まえ、日韓両国で力を合わせて、日韓新時代を開いていきたい」と発言した。

靖国神社参拝

首相の靖国神社参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている。また、歴史認識を巡って反日騒動が起こった中国と韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは内政干渉だという見解を持っている。

安倍は幹事長在任中の2004年・幹事長代理在任中の2005年には終戦の日(8月15日)に参拝を行ったが、官房長官在任中の2006年は4月15日朝、秘密裏に参拝を行った(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉串料を収めた)。

第2次安倍内閣発足による首相再任後、2013年の春季および秋季例大祭終戦記念日の参拝はいずれも見送った。

首相在任中の靖国神社初参拝

内閣発足からちょうど1年となる2013年12月26日、第1次時代も含め首相在任中としては自身初の参拝を、中国アメリカに外交ルートを通じて参拝の連絡をした上で参拝した。安倍はモーニング姿で本殿に参拝し、「内閣総理大臣 安倍晋三」名で白い菊を献花した。靖国神社境内にある世界の全ての戦没者を慰霊する「鎮霊社」にも参拝した。その後、「恒久平和への誓い」と題した「首相の談話」を発表。談話を英訳し、世界に向けてメッセージを発信した。

この参拝について、人民日報中国共産党中央委員会機関紙)系の新華経済日本新聞網の記事を引用し『安倍首相は外交ルートを通じて中韓首脳との会談を模索しており、(2013年)12月28日訪中のスケジュールで調整が進められていたそうだ。だが、これを「単なる政治的パフォーマンスであり、尖閣問題の解決策の提示はない」と判断した中国側が(2013年12月)20日に安倍首相の訪中を拒否。中国に続いて韓国も否定的な返答を寄せたという。今回の靖国参拝はこれに対する“報復”ではないか』と報じた。

世論調査・ネット調査

安倍の2013年12月26日の靖国神社参拝について、以下の様な世論調査結果が報じられている。

  • 朝日新聞は2013年12月30日の朝刊30面で、安倍のこの靖国参拝後の世論調査「日本の首相が靖国神社に参拝することに賛成ですか。反対ですか。」の質問に対し、20歳?29歳の回答者で支持60%・不支持15%、30歳以上の回答者で支持59%・不支持22%という結果であったと報じた。また、同調査における内閣支持率調査「安倍内閣を支持しますか。しませんか。」の質問に対し、20歳?29歳の回答者で支持53%・不支持33%、30歳以上の回答者で支持55%・不支持33%という結果であったと報じた。
  • 共同通信社は2013年12月28・29日に全国緊急電話世論調査を実施し、安倍の参拝について「よかった」43.2%、「よくなかった」47.1%であり、内閣支持率は55.2%(前月比1.0%増)、不支持率は32.6%(前月比0.4%減)であったと報じた。
  • 産経新聞社FNNの合同世論調査では、靖国神社参拝について、「評価しない」(53,0%)との回答が「評価する」(38.1%)を上回った。ただし、20代と30代では、「評価する」という回答が、「評価しない」という回答を上回っている。

批判

安倍の2013年12月26日の靖国神社参拝に対し、以下の様な批判がある。

  • 米国ホワイトハウスは安倍のこの靖国神社参拝について声明などを一切発表しなかったが、米国大使館は2013年12月26日に「日本は大切な同盟国であり友好国であるが、近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」との声明を出した。
  • 米国国務省サキ報道官は「靖国参拝に関する声明を出すかどうか」の質問に「在日米国大使館の声明をみてほしい」と答えた、『意見の相違がある時に互いに正直に発言できるのは、緊密な関係の証し』、『日本は大切な同盟国で友好国であり、(今回の安倍の靖国神社参拝は)日米関係全体に影響はない』などと述べた。
  • EU(欧州連合)の報道官は、靖国参拝に対して懸念を表明し、各国に対し「EUは、緊張を高める行動を避け、外交で争いを解決する必要性を常に強調してきた」と訴え、地域の長期的な安定に向け建設的な関係を築くよう促した。
  • 中国と韓国の駐日大使も安倍の参拝に抗議した。
  • 韓国最大手新聞の朝鮮日報は『日本の大手6紙のうち、朝日毎日日本経済東京の4紙は社説で安倍首相を批判した。「平和主義」を守ろうとする日本国民と安倍首相を切り離し、日本国内で良心的な声を高めるには、韓国は自らの対応を単なる反日で終わらせるのではなく、より高度な次元に高める必要がある。日本の国内外で安倍首相の批判を高めその立場を失わせれば、この脱線にも必ずブレーキがかかるだろう。』と批判した。
  • 台湾の馬英九総統は「中華民族の一人として、日本政府が周辺国の歴史の傷を顧みず、こうした行動をとったことは理解しがたく失望した」と自らのフェイスブックに投稿した。その後も馬暁光報道官が「第2次大戦後の国際秩序に対する挑戦で、平和を愛する全ての人が断固反対するのは当然だ」などと述べている。
  • 共同通信社は、米国ウォール・ストリート・ジャーナルが「日本の軍国主義復活の恐怖を、自国の権益拡大の口実に使いたい中国への贈り物」と批判したと報じた。
  • 民主党代表海江田万里は「過去の日本の歴史の負の側面とは一線を画すべきだ。日本の主体的な判断として大局的な立場にたって参拝を自重すべきだ」と述べ、靖国神社が日本の歴史の負の面であるとの認識を示し安倍を批判した。中国外相の王毅とロシア外相のセルゲイ・ラブロフは12月30日、電話会談し、靖国神社参拝を共に批判した上で、歴史問題で共闘する方針を確認した。王は31日に韓国外相の尹炳世、米国国務長官のジョン・ケリーとも相次いで電話会談。各国外相との会談で、参拝批判の国際世論づくりを展開しているとみられる。ラブロフは「靖国神社の問題ではロシアの立場は中国と完全に一致する」と応じ、日本に対し「誤った歴史観を正すよう促す」と主張した。王は30日、ドイツ外相のフランク=ヴァルター・シュタインマイアーベトナム副首相兼外相のファム・ビン・ミンとも電話会談、「日本の問題」を取り上げたという。
  • 韓国外務省報道官は2004年1月23日の定例記者会見で、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席した総理大臣の安倍晋三が靖国参拝に理解を求めたことについて「参拝しない韓日友好を語るのがいかに矛盾しているか、韓国だけでなく、全世界のメディアと知識人、良識ある人が声を上げている。この声が聞こえないのが理解しがたい」と改めて批判した。報道官は「参拝は、帝国主義時代に日本が犯した過ちを反省しないのと同じだ。首相ら指導者が靖国神社を参拝しないことが、韓日友好、地域の安定の出発点だ」と強調した。
  • コロンビア大学教授ジェラルド・カーティスは講演で、安倍晋三の参拝について「日本の国益にとても高いコストを生む」と批判するいっぽう、再度参拝するかどうかは「中国との取引材料となる」と語った。カーティスは「安倍首相は1年間参拝を自制したが、中韓両国からなにも得られなかった。参拝したから関係がさらに悪化するわけではない」と指摘。今回の参拝に対し、中国の態度は比較的抑制されていると述べ、再参拝の可否を対中関係の改善次第とすることで、局面のてこにできるとの考え方をしめした。参拝に対する米国政府の「失望」表明について、「安倍首相はショックだったかもしれないが、世界は変化している。中国台頭という新たな現実に取り組まなければならない」とした。
  • 米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は23日、複数の米政府当局者の話として、安倍晋三が靖国神社参拝を繰り返さない保証を、米政府が日本政府に非公式に求めていると伝えた。日中、日韓関係がさらに悪化することを懸念しているとみられる。同紙によると、米政府は参拝後にワシントンと東京で開かれた日本側との「一連の会談」を通じ、近隣諸国をいら立たせるさらなる言動を首相は控えるよう要請。日米韓の連携を阻害している日韓関係の改善に向けて韓国に働きかけるよう促し、従軍慰安婦問題に対処することも求めた。さらに今後、過去の侵略と植民地支配に対する「おわび」を再確認することを検討するよう首相に求める考えだという。米国務省副報道官のハーフは23日の記者会見で、同紙の報道について問われ、「事実かどうか分からない」と述べた。

政治資金

2015年に、政治資金規正法で禁止されている、国の補助金をもらった企業からの1年以内の献金(寄付)を受けた可能性があることが、明らかとなった。それに対し、安倍は「当該会社が国から補助金を受けていたことは知らなかった。まず事実関係を調査する」とし、政治資金規正法改正も視野に入れた検討の必要性について言及した。献金をした企業は、それぞれ、「お答えを差し控える(東西化学産業)」、「(補助金の性質から)政治資金規正法に抵触しない(電通)」、「例外規定の『試験研究』に該当し、法的問題はない(宇部興産)」とコメントしている。同種の献金は、与野党の党首以下、多くの政治家や企業が意図せず違反していた可能性が明らかとなっているが、献金禁止規定の見直しの必要性が言及されている。

『週刊現代』による脱税疑惑報道
『週刊現代』は2007年9月29日号(9月15日発売)において、安倍が相続税脱税していたとの記事を掲載した。内容は「父・晋太郎が生前、自身の指定政治団体に「安倍晋太郎」名義で寄付した6億円以上の政治資金を、66の政治団体に分散させて引継ぎ、3億円を脱税した」というものである。『週刊現代』は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした。
安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、発行元の講談社に対して、当該記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、「父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか」との質問が『週刊現代』側からあったという。同事務所は、安倍の辞意表明当日の『毎日新聞』夕刊がこの一件について報じたことを受け、自民党本部の記者クラブ(本部平河クラブ)にて、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎず、個人献金ではないので相続税の問題はない」とする内容の文書を配布し、疑惑を全面的に否定した。
安倍は首相再任後の2014年11月4日、社民党党首の吉田忠智が参議院予算委員会で本件に言及し、自発的納税を促したことに対し、重大な名誉棄損に当たるとして、吉田を非難した。

後援会事務所等への被害

2000年(平成12年)6月28日、安倍の後援会事務所(山口県下関市)の窓ガラスが割られ、屋内外に火炎瓶2本が置かれた。これに先立つ同月14日には同事務所近くにある催事場駐車場の壁、同月17日には安倍の自宅(同市内)の倉庫兼車庫にそれぞれ火炎瓶が投げられ、自宅の事件では車2台が焼ける被害もあった。同事件では、主犯格の組長に懲役20年、実行犯らに懲役8年から13年の判決が確定した。なお、朝日新聞は、同事件では、1999年(平成11年)に行われた下関市長選挙に際して安倍が推した候補者を支援した土地ブローカーが、被告人の一人となっていると報じている。公判の検察側立証で、この被告人は、安倍が推した候補者の支援活動に当たって当時の安倍の秘書に現金を要求して300万円を工面させ、その後も金を要求したが、安倍側が応じなかったことから、暴力団と共謀して報復したという証言を報じている。

災害への対応について

新潟県中越沖地震
2007年7月16日新潟県沖の日本海でマグニチュード6.8の新潟県中越沖地震(最大震度6強)が発生した。第21回参議院議員通常選挙の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。
経済企画庁長官堺屋太一は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」と指摘し、衆議院議員の加藤紘一は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」との論評も報じている。
平成26年豪雪
2014年2月に雪害が発生。政府は降雪が厳しくなる前の14日に災害警戒会議を開いて対応し、15-16日には、山梨・長野両県知事の要請に基づき、自衛隊を派遣した。しかし、17日に大雪で車が立ち往生したまま除雪車が進入できない状況となり、産経新聞では「政府の対応が後手に回った」と報じられた。野党の批判を受け、安倍は、同日の衆院予算委員会で、「関係自治体と連携を密にし、関係省庁一体となって国民の生命、財産を守るため、対応に万全を期す」と述べているにて、東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所事故における海水注入対応について当時の首相・菅直人に対し「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。」と発信し、「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」と退陣を要求した。しかし、事故当時の福島第一原発所長・吉田昌郎の判断により実際には海水注入は中止しておらず、菅から中止の指示があったという指摘についても、翌2012年の国会の東京電力福島原発事故調査委員会において、中止の指示を出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだったと武黒本人が主張している。これに関し、菅は安倍に嘘の情報を流されたとして、謝罪と訂正を要求していたが、安倍はこれに応じずメルマガの掲載を続けたため、2013年7月16日、菅は東京地裁への提訴に踏み切った。2015年12月3日、東京地裁は「記事は重要な部分で事実であった」としてその請求を棄却した。裁判長の永谷典雄は、「菅氏に東電の海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」「(当時)野党議員であった安倍氏が首相の責任を追及したものであり、人身攻撃とは言えない」と指摘した。翌日、菅はこの判決を不服として東京高裁に控訴した。

また、当時安倍は情報の出所として「(経済産業省の)柳瀬か(保安院の)寺坂に聞けば分かる」と記者達に話していたため、柳瀬唯夫に対して多くの記者達から「注水を止めたのは総理の指示か?」という問い合わせがあったという。柳瀬にとってその問い合わせは寝耳に水であり「ありえません」「安倍さんの言っていることは嘘です」と返答したという。

タイムズは、首相再就任後の2013年、福島第一原発の汚染水が大量に土壌や海洋に流出していることが判明したことに関して、具体策の提言はないが政府の介入により対策を行う意向を安倍が示したと報じている。

発言

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原子爆弾の保有・使用
2002年2月早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」、と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じたが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と記事内容を否定し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した。2016年4月には鈴木貴子の質問主意書に対し「憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない。しかし核拡散防止条約及び非核三原則に基づき、一切の核兵器を保有し得ない」とする答弁を閣議決定した。
民主党を「中国の拡声器」
2002年5月19日中国・瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件に関して、日本国外務省の不手際を調査するため中国を訪問した民主党を、テレビ番組において「中国の拡声器」と批判した。安倍は2日後の5月21日、参議院外交防衛委員会において、民主党の激しい反発に遭い、発言を撤回した。
辛光洙の保釈署名者の土井たか子と菅直人に対する不適切発言
2002年10月19日広島市岡山市の講演において「1985年に韓国入国を図り逮捕された辛光洙(シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」「この2人は、スパイで原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した。
日韓図書協定

2011年日韓図書協定について、「国民や歴史に対する重大な背信だ」と批判した。

最高責任者に関する発言
2014年2月13日、自民党の総務会において「最高責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても、私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ」と発言した。この発言について、自民党の村上誠一郎は「総理の発言は、選挙で勝ったら、拡大解釈で憲法を改正しても、何をしても良いのかと理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と、自民党の船田元は「拡大解釈を自由にやるなら、憲法改正は必要ないと言われてしまう」と、それぞれ意見した。
自衛隊について「わが軍」と発言
2015年3月20日、参議院予算委員会で自衛隊訓練の目的を尋ねられた際、「我が軍の透明性を上げていく、ということにおいては、大きな成果を上げているんだろうと思います」と語った。30日の衆院予算委員会で後藤祐一の質問に対し、安倍は「共同訓練の相手である他国軍と対比するイメージで自衛隊を『わが軍』と述べたわけで、それ以上でもそれ以下でもない」と改めて説明し、「自衛隊の位置づけに関するこれまでの政府見解を変更するものではないし、そのような意図はない」、「軍と呼ぶことは基本的にない」と主張した。また、「言葉尻をとりあげて議論をする意味はあまりない。もう少し防衛政策そのものを議論した方が生産的だ」、「こうした答弁により大切な予算委員会の時間がこんなに使われるならば、いちいちそういう言葉は使わない。ただそれを使ったからどうこういうものではない」と述べた。。

マスコミ報道への反論

長崎市長射殺事件をめぐる報道
『週刊朝日』が2007年5月4日・10日合併号の広告で「長崎市長射殺事件と安倍晋三首相秘書との『接点』」という大見出しを掲載した。射殺犯と秘書に関係があるとするものであるとして、安倍は直ちに「言論テロ」と抗議し、朝日新聞は夕刊社会面に同誌山口一臣編集長の訂正記事を掲載したが、安倍は誠意の不足を理由として追及を止めず、週刊朝日は全国紙4紙に謝罪広告を出すことになった。この件について森喜朗は次のように述べている。
『週刊文春』による2008年の衆議院補欠選挙における報道
2008年4月、山口県第2区の衆議院議員補欠選挙にて、岩国市で自民党公認候補の山本繁太郎を支援する演説を行った際に、光市母子殺害事件の被害者家族について「光市の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さんを応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです。」 と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの遺影を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです。」と発言した。
しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。(山本候補を応援した事実は)まったくありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した文藝春秋に対し抗議文を送付した。
朝日新聞の報道

2005年1月12日の朝日新聞で、当時内閣官房副長官であった安倍らがNHKに圧力を加えたと報じたが、安倍は各社の報道番組に出演するなどして、朝日新聞の報道を全面否定した。

2007年9月の第一次安倍政権崩壊に際し、東海新報は同年9月14日付のコラムで、「安倍首相辞任で一番ガッカリしているのは朝日新聞だろう。なにせ毎日いじめていた相手が突然転校してしまったのだから。むろんこれは逆説だ。しかし同紙の安倍政権に対するネガティブ(否定)キャンペーンはすさまじく、これにはいくら強靱な神経の持ち主でも参るだろう。」と評した。

2007年9月24日付の朝日新聞に掲載された安倍に関する石原壮一郎コラムに関し、翌25日放送の日本文化チャンネル桜の番組で朝日新聞を批判したことに端を発して、朝日新聞が事実を捏造してまで安倍を執拗に攻撃する様を表現した「アサヒる」という新語が流行し、『ネット流行語大賞2007』で年間大賞金賞に選ばれた。新語辞典『現代用語の基礎知識2008』(自由国民社)にも収録されている。

小川榮太郎は、三宅久之が朝日新聞社論説主幹の若宮啓文に、同紙が安倍を叩く報道ばかりする理由について尋ねたところ、若宮が「社是であるからと語った」と主張しており、第一次安倍政権時代に、ある朝日新聞幹部が「安倍の葬式はうちで出す」と語っていたと述べている。しかし、これらの発言に対して、朝日新聞は「安倍政権を倒すという社是はなく、主筆が話したこともありません。」とコメントしており、、また、小川自身も当人たちである三宅と若宮に事実確認をしていないことを認めているため、このエピソード自体が安倍応援団による朝日新聞を攻撃するためのデマとする見解もある。

田母神俊雄は、自著『なぜ朝日新聞はかくも安倍晋三を憎むのか』において、安倍が提唱する「戦後レジームからの脱却」という理念が、安倍叩きの原動力となった最大の要因であると主張している。

人物像

座右の銘
  • 吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」。「初心忘るべからず」。
愛読書
ファッション

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寒がりである。クール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初は背広で通していたが、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第2位となった。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門でベストドレッサー賞を受賞。安倍は「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした。
アーチェリー
大学時代にアーチェリーをしていた安倍は、2005年に全日本アーチェリー連盟の第6代会長に就任している(前任は同じく首相経験者の海部俊樹、父の安倍晋太郎も第4代会長である)。2007年3月25日、連盟から再び会長に推薦され、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている。
2006年4月28日のフジテレビのバラエティ番組では、明石家さんまとアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した。
ゴルフ
ゴルフも趣味の一つであり、アメリカ留学中も、現地で知り合った友人とプレーしていた。
野球
プロ野球東京ヤクルトスワローズファンである。一方で、神戸製鋼に勤務していたことから「あの会社は阪神ファンじゃなきゃ生きていけない」と冗談めかして語るように、阪神タイガースにも愛着がある。また、アンチ巨人であることも公言している。
アグネス・チャン
アグネス・チャンは20年も親交がある友人で、よく食事をともにする。2、30代の頃に彼女の熱心なファンであり、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ。これもあり、自らと考えが一部異なる爆笑問題の番組に出演したり、桜を見る会で一緒に写真を撮ったりもしている。

関係団体

安晋会
日本会議国会議員懇談会
右派」「保守系」とされる団体では国内最大級の組織であり、安倍と思想的にも近いと朝日新聞で報道された。事務総長の椛島有三、政策委員の伊藤哲夫、役員の高橋史朗は、朝日新聞で安倍のブレーンであると報道されている。安倍は日本会議国会議員懇談会の特別顧問である。

交流関係

天宙平和連合
官房長官当時の2006年、統一協会系列の団体である「天宙平和連合」 (UPF) の集会のイベントに安倍を含む数人の自民党議員が祝電を寄せたことが新聞、雑誌等で伝えられた。後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。
公明党・創価学会
『聖教新聞』によると、父の晋太郎は1985年、大石寺正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、池田大作と何度も面会したという。
『アエラ』によると、晋三は、小選挙区制度が導入されて二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「四月会」(代表幹事:俵孝太郎)の集会などに参加したこともあったと報じられている。また、創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという「『産経新聞』を除く」をはじめ各種メディアが伝えた。安倍は池田に父との生前のつきあいについて感謝の意を表し、「参院選での公明党や創価学会の協力を要請」し、池田は「協力を約束した」という。
その後、国会で池田と面会した事実があったかという野党の質問に対して、安倍は「そういうことはございません。」と答弁した。2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した。
七洋物産
『朝鮮日報』は、パチンコ事業を行う七洋物産(東洋エンタープライズ)の社長(帰化日本人)と晋太郎が密な関係であったことや、安倍の下関事務所は社長の妻が保有するビルを賃借していると報じている。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」として筆者であるジャーナリストの松田賢弥を訴えたが、山口地方裁判所下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」。平成元年(1989年)に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「宗任」』と題する、次の序文を寄せている。“宗任より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら、と願うことしきりです”。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は平氏であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父 岸信介、佐藤栄作兄弟は源義経の郎党 佐藤忠信の末裔とされる。家紋は「丸に立梶の葉」。

┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇(明仁)

明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫

┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王

┃     ┏彬子女王

┣━━━━━┫

麻生太賀吉  ┃     ┗瑶子女王

┃  ┏信子

┣━━┫

┃  ┗麻生太郎

┏和子

吉田茂━━━━┫

┗桜子

吉田祥朔     ┃

┣━━━━━吉田寛

┏さわ

┣佐藤松介  ┏寛子(佐藤栄作夫人)

┃  ┣━━━┫ 

┃ ┏藤枝  ┗正子

┃ ┃

┃ ┗松岡洋右

佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造

┃(池上)

┣佐藤作造

┗茂世          安倍晋太郎  ┏安倍寛信

┃             ┃    ┃

┣━━┳佐藤市郎      ┣━━━━╋安倍晋三

┃  ┃          ┃    ┃

(岸/婿養子) ┃  ┃(佐藤)      ┃    ┗岸信夫

┏佐藤秀助 ┣岸信介━┳岸信和  ┃

┃     ┃    ┃     ┃

┃     ┃    ┗━━━━━洋子

┃     ┃

岸要蔵━━┫     ┗佐藤栄作   ┏佐藤龍太郎━━佐藤栄治

┃        ┣━━━━┫

┃        寛子   ┗佐藤信二

┗岸信政━━良子

(岸信介夫人)

(婿養子/信政養子)

┏佐藤秀助━━岸信介 ┏岸信和==岸信夫(安倍/養子)

┃      ┃   ┃

┃      ┣━━━┫

岸要蔵━┫      ┃   ┃

┃      ┃   ┗洋子

┃      ┃    ┃

┗岸信政━━━良子   ┃

┃   ┏安倍寛信

┏安倍慎太郎           ┃   ┃

安倍宗任……………安倍某━┫                ┃   ┃

┗タメ              ┃   ┃ 

┣━━━━━安倍寛       ┣━━━╋安倍晋三

安倍彪助  ┃         ┃   ┃  ┃

(婿養子)   ┣━━━━━━━安倍晋太郎 ┃  昭恵

┃             ┃

本堂恒次郎 ┃             ┗岸信夫

┣━━━━━静子

大島義昌━━━秀子    ┃

┣━━━━━━━西村正雄

西村謙三

略歴

  • 1954年9月21日 - 東京都に生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。
  • 1977年3月 - 成蹊大学法学部政治学科卒業
  • 1977年4月 - 米国カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に入学。その後、ロングビーチの語学学校に転校した。
  • 1978年4月 - 南カリフォルニア大学に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修し、1979年に中退。
  • 1979年4月 - 株式会社神戸製鋼所入社
  • 1982年11月 - 神戸製鋼所退社、外務大臣(実父・安倍晋太郎)秘書官に就任
  • 1993年7月 - 衆議院議員初当選(旧・山口1区)
  • 1999年10月 - 衆議院厚生委員会理事
  • 2000年7月 - 第2次森内閣で内閣官房副長官に就任
  • 2001年4月 - 引き続き第1次小泉内閣で内閣官房副長官に就任
  • 2003年9月 - 自由民主党幹事長に就任
  • 2004年9月 - 自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任
  • 2005年10月 - 第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任
  • 2006年9月 - 自由民主党総裁に選出、第90代内閣総理大臣に就任
  • 2007年9月 - 自由民主党総裁及び内閣総理大臣を辞任
  • 2009年11月 - 所属団体会長に就任
  • 2012年9月 - 自由民主党総裁に選出
  • 2012年12月 - 第96代内閣総理大臣に就任
  • 2014年12月 - 第97代内閣総理大臣に就任

受賞・栄典

受賞

栄典

著作

主著

共著・編著

論文

テレビ

安倍晋三』の解説 by はてなキーワード

政治家山口県長門市(旧・油谷町)出身。自由民主党総裁内閣総理大臣(90,96代)。

父は安倍晋太郎。また、母方の祖父は岸信介元首相。弟は岸信夫衆議院議員

兄、寛信の舅は知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会の座長、牛尾治朗(source)

妻は森永製菓相談役の娘で、地方局のラジオDJとして人気があった。

政治家

出典: フリー百科事典ウィキペディア (Wikipedia)』

衆議院議員 安倍晋三 生年月日 1954年9月21日


安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党に所属する衆議院議員。「晋三」という名前であるが、安倍晋太郎の次男である。岸信介の外孫で、佐藤栄作は大叔父に当たる。参議院議員岸信夫は実弟。

成蹊大学法学部政治学科卒。自由民主党幹事長。第一次小泉内閣の前内閣官房副長官

神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て1993年衆議院議員として初当選を果たす。2003年9月から自民党幹事長を務めた。


出身地 山口県大津郡

最終学歴 成蹊大学法学部

前職 神戸製鋼所

外務大臣秘書官

父の議員秘書

役職 元・内閣官房副長官

世襲の有無 3世

祖父・安倍寛岸信介

父・安倍晋太郎

選挙区 山口4区

当選回数 4回

所属党派 自由民主党

党の役職 幹事長

会館号室 衆・第一議員会館602号室

ウェブサイト http://www.s-abe.or.jp/

語録

  • 「今年を漢字一文字で表わすと、"責任"ですかね」
  • ホワイトカラーエグゼンプション残業代ゼロになるから、残業がなくなり少子化対策につながる」
  • フリーター派遣は働き方の多様性の問題。彼らが正規雇用になりたいとは限らない」
  • 「私は、コップの水が減ったとは考えず、まだこんなにあると考える」
  • そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はこういうものだ」
  • 「私はミヤタさん、いやミヤケさんを誇りに思う」(注:電車にはねられた宮本巡査部長に対して)
  • 「私はいま権力の頂点にいる」
  • 「松岡さんが亡くなって慙愧に耐えない」(注:「残念」といいたかった?「慙愧」なら「恥じ入る」ことだが)
  • 年金問題菅直人の責任」
  • コムスンは一生懸命やっておられる」

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国民年金保険料の納付未納期間について、回答を留保。http://f40.aaacafe.ne.jp/~matome/

日本会議国会議員懇談会」・副幹事長

真・保守政策研究会の中心メンバー→創生「日本」会長

「安倍官房長官保岡興治法相らが、統一教会のダミー団体が5月に福岡県で開催した集会に祝電を送っていた。統一教会の宣伝として利用される恐れがある」などとして、両氏に祝電を送った経緯などを問う質問状と抗議文を送付したことを明らかにした。

http://web.archive.org/web/20060703063630/http://www.zakzak.co.jp/top/2006_06/t2006062044.html

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