安倍晋三のまとめ情報

安倍晋三』の解説

安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年昭和29年〉9月21日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、内閣総理大臣(第909697代)、自由民主党総裁(第21・25代)。

概要

成蹊大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。内閣官房副長官自由民主党幹事長(第37代)、同幹事長代理、内閣官房長官第72代)などを歴任。2006年平成18年)9月26日に戦後最年少の52歳で自由民主党総裁(第21代)、内閣総理大臣第90代)に就任するも、2007年(平成19年)に第21回参議院議員通常選挙での敗北と、体調の悪化を理由に同職を退任。2012年(平成24年)9月、自由民主党総裁に再就任、同年12月26日に内閣総理大臣に再就任した。内閣総理大臣を辞職して期間を置いて再登板した事例は、1948年(昭和23年)の吉田茂以来64年ぶりのことであった。

政界入りまで

生い立ち

1954年(昭和29年)9月21日、当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎と、その妻・洋子の次男として東京都で生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)である。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と回想している。幼い頃は野球選手刑事になることに憧れていた。

学生時代

成蹊小学校成蹊中学校成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科を卒業した。

小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間は平沢勝栄家庭教師についていた。高校ではクラブ地理研究部に所属。高校卒業後成蹊大学に進み、佐藤竺教授のゼミに所属して行政学を学ぶ。大学ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され1978年に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、1979年中退した。

会社員時代

1979年(昭和54年)4月に帰国し、神戸製鋼に入社。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。

政界入り

秘書時代

神戸製鋼に3年間勤務した後、1982年(昭和57年)から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務める。1987年(昭和62年)6月9日、当時森永製菓社長だった松崎昭雄の長女で電通社員の昭恵と新高輪プリンスホテルで結婚式を挙げた。媒酌人福田赳夫夫妻が務めた。

1987年、参議院議員・江島淳の死去に伴う補欠選挙に立候補する意思を示したが、宇部市長・二木秀夫が出馬を表明したことから晋太郎に断念するよう説得され立候補を見送った。

衆議院議員に

1991年(平成3年)に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。1993年(平成5年)に父の地盤を受け継ぎ、第40回衆議院議員総選挙山口1区から出馬し初当選。当選後はかつて父・晋太郎が会長を務めた清和政策研究会に所属する(当時の会長は三塚博)。1995年(平成7年)の自民党総裁選では荒井広幸石原伸晃と共に小泉純一郎選対の中核になった。1997年(平成9年)自民党青年局長に就任。1998年(平成10年)に政策集団NAISの会を結成。

内閣官房副長官

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派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年(平成12年)の第2次森内閣で、小泉純一郎の推薦を受け、政務担当の内閣官房副長官に就任。第1次小泉内閣でも再任した。

2002年(平成14年)、水野賢一外務大臣政務官在任中に台湾訪問拒否され同辞任した際も理解を示し擁護、小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣参与中山恭子と共に北朝鮮に対する経済制裁を主張し、拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針にも中山と共に頑強に反対した(この拉致問題への対応により、内閣官房長官だった福田康夫との関係に亀裂が入ったといわれる)。西村眞悟上田清司とも拉致問題・教科書問題・日本における外国人参政権問題を通して親しくなった。また、北朝鮮対策として通信傍受法の要件緩和・対象拡大を主張した。

自民党幹事長

2003年(平成15年)9月、小泉によって自民党幹事長に抜擢された。事前には筆頭副幹事長への就任が有力視されていたため、小泉の「サプライズ人事」として注目を集めた。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の大平正芳総裁時代の斎藤邦吉幹事長以来24年ぶりであった。大臣経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは前代未聞。総選挙で与党は安定多数の確保に成功したが、自民党の単独過半数はならなかった。

幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。2004年(平成16年)4月の埼玉8区補欠選挙では、自民党史上初の全国的な候補者公募を実施した(公募に合格した柴山昌彦が当選)。

同年夏の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任した。

内閣官房長官

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小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣。

2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。憲法改正教育改革、庶民増税を極力控えた財政健全化、小泉政権聖域なき構造改革に引き続き取り組む方針を示す。また、総裁選に当選した場合、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。

最初の内閣総理大臣就任

2006年9月20日、小泉の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。就任2ヵ月目の11月26日に公邸に入居した。

第1次安倍内閣

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就任表明では、冒頭に小泉構造改革を引継ぎ加速させる方針を示し、「美しい国」というテーマの下に「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などのカタカナ語を多く用いた。

安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途えていた中国韓国への訪問を表明。2006年10月に就任後の初外遊先となった中国・北京胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。11月3日に行われた日米野球では、第1戦の始球式を務めた。

北朝鮮が核実験を実施したことに対しては「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。

同年9月から11月にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える郵政造反組復党問題が政治問題化する。12月には、懸案だった教育基本法改正と防衛庁昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝煎りで任命した本間正明税制会長が公務員宿舎への入居と愛人問題で、佐田玄一郎行改担当大臣が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任。この後、閣内でスキャンダルが続いた。

2007年3月の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、4月下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続き日米関係が強固なものであることをアピールした。参議院沖縄県選挙区補欠選挙に絡み、日米関係や基地移設問題が複雑に絡む沖縄県特有の問題があったため、多くの側近の反対を退け2回にわたり沖縄県を訪れて自民系無所属候補の島尻安伊子の応援演説を行うなどのバックアップを行い、当選させた(島尻はその後で自民党に入党)。

5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣議員宿舎内で、首を吊って自殺。また年金記録問題が大きく浮上した。

こうした中、6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアで大きく報じられた。同月6日 - 8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。また、議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた。7月3日には久間章生防衛大臣原爆投下を巡る「しょうがない」発言が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりを受け久間に厳重注意を行った。久間は直後に辞任し、後任には小池百合子が就任した。

参議院議員選挙での敗北

2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。同年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたとも言われるが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を下回る大敗であった。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、東北地方四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。詳しくは「第21回参議院議員通常選挙」を参照。

体調の悪化と総辞職

安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する批判が出た。

参院選直後の7月31日自民党総務会において、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)。

同日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた。翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と自民党内からも批判された。

広島平和記念式典に行く前日の8月5日から、胃と腸に痛みを感じ、食欲の衰えを感じるようになる。そして、8月19日から8月25日インドネシアインドマレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。しかし、慶應義塾大学病院の主治医によると、潰瘍性大腸炎の血液反応はなく、機能性胃腸障害という検査結果であったという。

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選挙結果や批判を受け、8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(第1次安倍改造内閣)。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日オーストラリアシドニーで開催された APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良により APEC の諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。

2007年9月10日に第168回国会が開催され、安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」という趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。

2007年9月12日午後2時(JST)、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を急遽行った。また、理由についてはテロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断したとした。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。

退陣表明の翌日(9月13日)、慶應義塾大学病院に緊急入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。

安倍内閣メールマガジン9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージの下、これをもって最終号を迎えた。

なお、病院側は、安倍首相の容体は回復してきているものの退院できる状態ではないとした。9月21日は安倍の53歳となる誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。9月23日に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁としてのあいさつは谷川秀善両院議員総会長が代読した。

9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。

9月25日安倍内閣最後の閣議に出席し、その後国会へ登院して、衆議院本会議での首班指名選挙にも出席した。安倍内閣最後の閣議で、閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。安倍は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には皇居で行われた福田康夫首相の親任式に出席し正式に辞職、その後、再び病院へと戻った。なお、第1次安倍内閣の在職日数は1年余りとなる366日であった。第1次安倍改造内閣はわずか31日の短命に終わった。

突然の辞任への反応

多くの国会議員は、記者から安倍が退陣表明をすると聞かされた。亀井静香が記者に向かって「えっ嘘でしょ。これから代表質問だよ。何かの間違いでしょう」と驚く映像は、繰り返し放送された。

安倍は辞任の理由として「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢は記者会見で「打診を受けたことは1回もない」と否定し、以降も「意見を変える気はない」と明言)。一方、自身の健康への不安のためとする理由も、与謝野馨(当時、内閣官房長官)が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。

もともと胃腸に持病を抱えており、辞意表明当日の読売新聞・特別号外でも持病に触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。この「胃腸の持病」について、安倍は辞任後の2011年に掲載された『週刊現代』へのインタビューで、特定疾患である「潰瘍性大腸炎」であったことを明かしているが、辞任表明当時は病名等が認知されておらず、過去に脳梗塞のために首相を辞任した石橋湛山小渕恵三などと比較して「命に関わらない程度の健康問題」を理由にした退陣とみなされた。そのため、立花隆をはじめとして辞任に追い込まれた実質的原因が(本人が記者会見をこなしていることなどを理由に)健康問題ではないとする見方をする論者も存在するなど、批判にさらされることとなった。

臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から驚きの声や批判を浴びた。安倍の辞意表明について、野党側は「無責任の極み」であるなどと批判した。与党側でも驚きや批判の声が上がったほか、地方の自民党幹部からも批判が出た。

9月13日に朝日新聞社が行った緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。

安倍の突然の辞意表明は、日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカCNN)などと報じた。欧米諸国の報道でも批判的な意見が多かった。

辞任の原因について 

潰瘍性大腸炎の病状
17歳のときに、潰瘍性大腸炎を発症す。自民党国体副委員長となり、食事ができずに三ヶ月入院して点滴の日々で体重激減した頃が、最も症状が重かった。このとき、「癌でこの先長くない」という噂も流れる。妻の昭恵をはじめ、潰瘍性大腸炎という病名を公表するべきだと、訴える者もいた。しかし、安倍は、官房副長官時代の2000年に、症状を出たのを最後に、幹事長、官房長官などの激務にも体調は万全だったため、2007年8月の段階までは、病気を克服できたものと判断していた。
麻生・与謝野クーデター説
安倍の辞任において、幹事長の麻生太郎と官房長官の与謝野が安倍を辞任表明に追い込んだとする「麻生・与謝野クーデター説」が自民党の新人議員の一部によってメディアを通じて広められた。
また、遠藤武彦農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを与謝野馨内閣官房長官と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる。
この「麻生・与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、9月18日の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。また安倍が9月24日に行った記者会見の中で本人の口から改めて否定している。

内閣総理大臣退任後

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健康の回復

その後、入院していた慶應義塾大学病院から仮退院し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。

11月13日新テロ特措法案の採決を行う衆議院本会議には「這ってでも出たい」と出席し、白票(賛成票)を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は(小沢は)賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と非難した。

2008年1月、『文藝春秋』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。

政治活動の再開

2007年末、『産経新聞』のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」。また、「本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべき」と主張し、政府に頼る風潮に疑問を呈した。設立総会において、安倍は「北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。

3月6日、清和政策研究会(町村派)の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」 と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。4月28日に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、4月30日には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。8月15日朝には、首相在任中に果たせなかった終戦の日靖国神社参拝を行った。

第45回衆議院議員総選挙直後に行われた2009年自由民主党総裁選挙では、麻生太郎とともに、平沼赳夫の自民党への復党と総裁選挙への立候補を画策したが、平沼が難色を示したため実現せず、西村康稔を支援した。

2010年4月義家弘介が初代塾長の信州維新塾開講式や6月(後に最高顧問に就任する)J-NSC自民党ネットサポーターズクラブ設立総会にゲスト参加。10月25日、インドのマンモハン・シン首相を来賓として迎えて開かれた日印友好議員連盟の会合で「(日印両国は)民主主義と法の統治を共有する同盟に近い関係だ」と述べた。

2度目の総裁就任

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2012年9月12日、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる2012年自由民主党総裁選挙への出馬を表明。自らが所属する清和会の会長である町村信孝の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった石破茂、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった石原伸晃の後塵を拝していると見られていた。しかし、麻生派高村派が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、9月26日に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決戦投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は1956年12月自由民主党総裁選挙以来となった。なお、安倍はこの時、自身の体調に関して前回の総理大臣辞任後に発売された特効薬によりほぼ寛解したと説明している。

内閣総理大臣に再就任

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙で自民党が294議席を獲得して圧勝、政権与党に復帰。同年12月26日に第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では吉田茂以来2人目である。

首相再登板後は、デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定した上で、日本銀行法改正も視野に入れた大胆な金融緩和措置を講じ、多年に渡って続くデフレからの脱却に強い意欲を示す。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略を三本の矢と称した一連の経済対策は、マスメディア等からアベノミクスと称され、話題となった。

TPP問題

2012年11月14日の野田佳彦首相の解散表明により選挙の争点として浮上した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)について、当初の自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていたが、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談で交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の米倉弘昌も「いいことだ」と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協(JA)系の政治団体から推薦を受け当選した。

しかし、農水大臣に農政になじみの薄い林芳正を起用し、甘利明、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置。さらに外交政策に関して助言を行う内閣官房参与には「(東日本大震災に対して)日本がんばれと言っているのではないかと思う。こうした声援に応えるためにも、日本は積極的にTPPに参加すべきである。」(2011年12月)「(TPPは)日本が飛び乗るべきバス」(2010年12月)との発言をしている谷内正太郎を起用した。また、TPP賛成派の岡素之大田弘子をそれぞれ内閣府規制改革会議議長及び議長代理とし、さらに新設の日本経済再生本部に設置された産業競争力会議のメンバーにも日本維新の会と関係の深いTPP賛成派の竹中平蔵や、TPP早期実現要請を行なっていた三木谷浩史を加えた。経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、高橋進は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物。伊藤元重にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった。

2013年2月23日、日米首脳会談後に共同声明を出した。それまでの関税に関する見解(カークUSTR代表と玄葉外務大臣との会談)は「物品関税の最終的な扱いについてはTPP交渉プロセスのなかで決まっていくもの」であったが、今回の共同声明は「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との表現になった。この会談の結果、主要全メディアにおいてTPP賛成が増加し、共同通信63%、FNN53%、テレビ朝日51%、日本経済新聞47%などとなった一方、ニコニコ動画では46.5%が反対と回答した。

2013年3月8日、日本政府が野田佳彦内閣当時の昨年3月の段階から『TPP交渉参加後発組に出された3条件』を把握していたにもかかわらず、国民に条件を告知することなく交渉参加を推進していたことが判明した。安倍はこの問題に関して衆院予算委員会で答弁を拒否し、質問した日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長が「政府が交渉参加のルールを探って議会に説明するのは当然の責任だ」と批判した。また岸田文雄外相は「少なくともわが国には、そうした条件の提示は全くない。引き続き情報収集に全力を挙げる」と答弁していたが、9日になって安倍は「ルールを作っていく上で、最初に入った人たちが後から入った人に議論を覆されたら困るというのは、それはそうだろうと思う」と述べた。安倍政権はこの3条件を政権移行直後に把握したが公表はしていなかった。

2013年3月14日、自民党のTPP対策委員会が「重要5品目等や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先」し、それが確保できないと判断した場合は「脱退も辞さない」とする決議をまとめた。ただ自民党執行部はこの決議に関して「彼らも地元に帰って反対してきたと言えるだろう」と慎重派のガス抜きであることを認めており、政府高官は今後の政府の交渉を縛らないと明言している。

「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」との発言からちょうど120日目にあたる2013年3月15日、TPP交渉参加という形で決着が図られることとなった。

2013年4月12日に決着したTPP交渉参加に向けた日米事前協議は大手各紙上でも『高い「入場料」』という言葉が飛び交い、米側に譲りに譲ったものとなった。日本政府のTPP交渉担当者が「なんとしても7月中には交渉に加わりたいのだが……」とあせりの色を隠せない中での事前協議であり、交渉に入る前から通商条件で大幅な譲歩を迫られる可能性があったが、現実のものとなった。焦点の自動車・保険分野では双方とも大幅譲歩であり、自動車分野では自動車関税について当面は乗用車・トラックの関税を維持した上、撤廃時期はTPPが認める範囲で最大限遅らせることで決着、保険分野ではかんぽ生命のがん保険など新商品の申請を事実上凍結したため、投資家に訴える新規事業への参入が不可欠な2015年秋までの株式上場は計画の見直しが不可避となり、政府が復興財源として期待していた日本郵政株式の売却収入4兆円が見通せなくなってしまった。のみならず、非関税措置について9つの分野で日米間で継続協議とされたため、1990年代に経験した日米構造協議、包括経済協議と同様に2国間の枠組みを使って日本に市場開放の圧力をかける構図が繰り返されることになった。

2013年9月25日、ニューヨーク証券取引所で行った講演で、「もはや国境国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。世界の成長センターであるアジア太平洋。その中にあって、日本とアメリカは、自由基本的人権法の支配といった価値観を共有し、共に経済発展してきました。その両国が、TPPをつくるのは、歴史の必然です。」との見解を示した。

日本版「ワッセナー合意」は、むしろ第1次安倍内閣で提唱された労働ビッグバン(日本版オランダ革命)に近いものであり、日本維新の会のブレーンで小泉構造改革の中心人物であった産業競争力会議メンバー竹中平蔵の主張である「再就職支援金の支払いを条件に従業員の解雇を認めるといった解雇ルール」や「正規と非正規の中間的な雇用形態の導入」などが盛り込まれている。これについては、失業増を受け入れる労働組合はもちろん経済界も難色を示しているとされる。竹中平蔵第1次安倍内閣の際には、著書の中で「既得権益を失う労働組合や、保険や年金の負担増を嫌う財界の反対で頓挫した」と述べていた。

日台漁業交渉問題

2013年4月に台湾との間で尖閣諸島沖の漁業範囲に関する取り決めを行った。この協定は官邸の独断で成立が決定されたため、水産庁や外務省などと事前協議を行っていた地元の漁協は強く反発し、「いずれこの漁業範囲から日本船が締め出され中国船や台湾船しかいなくなる」、と強い懸念を出している。実際に台湾漁船は当協定の成立が決定すると、協定の発行前から認められる予定の漁業範囲さえ超えた範囲で操業を開始した。

参議院議員選挙での勝利

2013年7月21日、同月28日の任期満了に伴う第23回参議院議員通常選挙が行われた。自民党が政権を奪還し、第2次安倍内閣になってから初めての大型国政選挙となった。第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙(参議院議員選挙での敗北)以降、参議院では政権与党が過半数を下回るねじれ国会が続いており(2009年の第45回衆議院議員総選挙から2010年の第22回参議院議員通常選挙までの期間を除く)、非改選議員と合わせて与党が過半数を確保できるかが最大の焦点とされていた。投開票の結果、前年12月の衆院選で大勝し政権与党に返り咲いた自民・公明両党が合わせて過半数を超える議席を獲得して大勝をおさめ、「ねじれ」を解消させた。

2020年東京オリンピック招致

2013年9月7日、ブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会において東京都2020年夏季オリンピックの開催地に選ばれた。安倍は前年12月の首相就任以降、東京招致委員会の最高顧問として各国首脳との会談や国際会議の際に東京招致をアピールした。さらに、2013年3月に来日したIOC評価委員会との公式歓迎行事では演説を行い、歌を披露する場面も見られた。安倍は首相就任後、1964年東京オリンピックの開催が決定した当時の首相が祖父である岸信介であることを持ち合いに、自らがIOC総会に出席してプレゼンテーションを行う意欲を見せていた。これにより開催地決定の直前である9月5日と6日にロシアサンクトペテルブルクで開催されたG20を途中で切り上げ、6日にブエノスアイレスに到着しIOC委員へ東京支持を呼びかけた。

7日の総会では東京のプレゼンターの1人として演説を行い、「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」と発言。演説後の質疑応答では総会直前に明らかとなった福島第一原子力発電所の汚染水漏れに関する質問が出た。これに対し安倍は「結論から言うと、まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」、「健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない。完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している」と答え、「子供たちの将来や日本にやってくるアスリートに対する責任を完全に果たしていく」と述べた。しかし、その後の汚染水漏れのニュースは後を絶たず、安倍の発言が東電の公表している状況とも異なっているなど、状況は統御されていない事実が明らかになった。このことは国会でも追及されており、安倍は追及に対して「事態は掌握しているし、対応はしている、という意味でコントロールと発言した」と抗弁している。

なお、9月19日に福島第一原子力発電所を視察した際、安倍は東電幹部に「0.3(平方キロ)は(どこか)」と尋ね、実際の範囲がどの程度か理解しないまま発言していた可能性があると共同通信に報じられた。

ちなみに、開催決定後、文部科学大臣下村博文を「東京オリンピック・パラリンピック担当大臣」に任命し、内閣官房に推進室を設置して各省庁との調整を行う組織を新設することを固めている。

特定秘密の保護に関する法律

2013年中旬から安全保障などの情報のうち「特に秘匿するが必要あるもの」を「特定秘密」と指定し、情報にアクセス出来る者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めた特定秘密保護法の検討を開始した。当法案には国内外で議論を呼び、報道各社が行った世論調査では廃案・見送りが多数を占めるものが大勢を占めたが、一部賛成が反対を上回るものもあった。法案は、2013年11月に衆議院で、12月に参議院で採決された。衆議院では与党に加えみんなの党も賛成したが、参院では直前の与党議員の発言などを受け全ての野党が賛成しなかった。その後、安倍政権の支持率は急落した。この法案に対しては国連が重大な懸念を表明し、海外メディアからは「報道の自由及び民主主義の根本を脅かす悪法」、「日本で内部告発者を弾圧する立法が成立した」、「日本が報道の自由を制限」などと報じられた。元アメリカ国防次官補のモートン・ハルペリンは「知る権利と秘密保護のバランスを定めた国際基準を逸脱している」と法案を批判した。一方で、アメリカ合衆国国務省副報道官のハーフは記者会見で、日本で特定秘密保護法案が成立したことについて「情報の保護は同盟における協力関係で重要な役割があり、機密情報の保護に関する政策などの強化が前進することを歓迎する」と述べ、AP通信は「中国の軍事力増強に対抗するために強い日本を望む米国は、法案可決を歓迎している」と報じた。

同法案の詳細は以下を参照。

普天間基地移設問題

2013年12月25日、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設に向け、沖縄県知事仲井真弘多と会談し、日米地位協定に関し環境面を補足する協定を締結するための日米協議開始などの基地負担軽減策を示した。仲井真は「驚くべき立派な内容だ」と評価して移設先である名護市辺野古沖の埋め立て申請を承認する方針を固め。

消費税増税

安倍は元来消費税増税には慎重であるとされ、2012年自由民主党総裁選挙に立候補した5人による日本記者クラブ主催の公開討論会でも「時期を間違えると結果として経済の腰を折ってしまう。デフレがずっと今と同じままなら上げるべきでない」と言明した。しかし、首相就任後に自身が指名した日本銀行総裁の黒田東彦が「現行計画の消費税率の引き上げでも成長は大きく損なわれず」と増税実施を主張したことなどもあり、増税実施へ徐々に傾いていった。2013年8月26日より、内閣府で集中点検会合が開かれたが、有識者60人の大半が増税実施を主張。2013年10月1日に正式に税率の8%への引き上げを表明した。なお、日本銀行は2013年10月の時点で、消費税率を8%にアップさせた際の2014年(平成26年度)の実質GDPが前年比1.5%増に達するとしており、元日銀調査統計局長である早川英男は、「(1997年の消費税増税後の景気低迷はアジア経済危機等が主因で)別に消費税のところで景気が大きく落ちたわけではない」「短期の景気見通しは、当たり前ですけれども明るい」と語っていた。

再増税が実施される場合は2015年10月に予定されているが、2014年6月24日のインタビューで安倍は「やっとつかんだ(デフレ脱却の)チャンスを逃してしまうかもしれないなら、引き上げることはできない」と述べ、11月発表の7~9月期の実質国内総生産を待って最終判断を下す考えを示した。また2014年4月の増税以降、大幅に悪化する指標が相次いでいる。7月10日に発表された5月機械受注は、官公需が22.4%増だったにもかかわらずリーマンショックを越える前月比19.5%減と過去最大の減少幅(ロイターの事前予測調査0.7%増)。6月27日に発表された5月の実質消費支出は、実質前年比で8.0%減(ロイターの事前予測調査2.0%減)と東日本大震災以来の落ち込み。7月30日に発表された6月の鉱工業生産も東日本大震災以来の落ち込みとなる前月比3.3%減で、経済産業省は「総じてみれば、生産は弱含みで推移している」と判断を下方修正。経産省関係者は「過去にもなかなかない」ほどの低下幅だと語った。しかし7月10日には、公益社団法人である日本経済研究センターが、7-9月期の実質成長率予測を季調済み前期比年率2.65%と主張。この予測が「15年10月からの消費増税“第2弾”(2%の追加増税)を後押しする」とした(この予測を行ったエコノミスト40人には菅野雅明熊谷亮丸武田洋子といった集中点検会合。なお、8月13日に発表された4-6月期の実質GDPは前期比1.7%減、年率6.8%減と東日本大震災以来の大きな落ち込みとなり、「谷深ければ山高し」との理由から日本経済研究センターは7-9月期実質成長予測を前期比年率4.08%増と修正。その報告の中で、景気の「1月ピーク説」との見方がにわかに台頭し、消費増税でもアベノミクス景気は腰折れしないとの見方が覆るかもしれないとした。8月9日発売の「文芸春秋」において、安倍は「経済成長こそが安倍政権の最優先課題であることを明言する」とデフレ脱却への決意を語った。

2014年10月7日の参議院予算委員会で、安倍は「今の社会保障制度を次世代に引き渡し、子育て支援のために資金を国民に負担してもらうための消費税だ。仮に消費税率を10%に引き上げなかった場合、社会保障の予算は減ることになる」と述べた。また、同日にIMFは、2015年10月に予定される10%への消費税率引き上げを予定通り実施するべきとの見解を示した。これについては、IMFには財務官出身の副専務理事や財務省からの出向職員が多数いるため、ロイター東京支局の記者がIMF(または財務省)に取材して書き込んだといった意見もある。ロイターは論説で、民間エコノミストの間では7-9月期成長率が当初の4%台の見通しから2%台に下方修正されており、政府内には成長率の数字が低くても消費税の再増税を認めるという「ハードル引き下げ論」が浮上していると報じた。国債に関しては、衆議院財務金融委員会において日銀総裁の黒田東彦と財務大臣の麻生太郎が、「(増税先送りをすると、日本国債への信認低下によって)対応が極めて困難になる」と足並みをそろえた。一方で、財務省は国債入札に上限制を設ける検討に入っており、2015年度にも証券会社や銀行が応募できる金額を発行予定額の2分の1に制限する方向となった。10月17日には、いわゆる「札割れ(日銀の国債の買い入れに対して、民間金融機関による応札額が買い入れ予定額に届かないこと)」が発生し、金融機関が安全資産とされる日本国債を手元に置く動きをしていることが分かった。

2014年10月17日、安倍はフィナンシャルタイムズのインタビューに応じ、増税で景気後退すれば歳入も減少して施策自体が無意味になると述べた。10月21日、政府は10月の月例経済報告を2ヶ月連続で下方修正し、消費の足踏みが生産に波及してきたとの見方を示した。また、コアコアCPIの上昇が止まっており「緩やかに上昇している」から「このところ上昇テンポが鈍化している」に修正した。10月22日、自民党内の慎重派の議員連盟が勉強会を開き、議連会長の山本幸三は「消費増税はマイナスの影響しかない。慎重にタイミングを計るべきだ」と述べた。

安倍は11月13日、消費税率の再引き上げの先送りを決めた上、次週に衆議院を解散する方針を固めた。1年半延期して2017年4月からとする。

皇室

女性宮家反対

皇統の継承は男系でつないでいくと皇室典範に書いてあり、女性宮家はそういう役割を担うことができない」と女性宮家の創設に反対している。

国家観

美しい国
総裁戦直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行するベストセラーになった。政権スローガンも「美しい国日本を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。小泉構造改革について好意的に捉え、安倍政権においても引継ぎ加速させる見解を総理就任記者会見で表明している。
グローバリゼーション展開
政治家となって以来、日本の市場を、オープンにして国を開く事を自分の中に流れる一貫した哲学とし、安倍内閣成長戦略の方針の一つに、「人材や産業を始めとする徹底したグローバル化」を示し、「もはや、国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。、「(日米)両国が、TPPをつくるのは、歴史の必然です。」という見解を示し、グローバル企業活動の国境の撤廃を目指している。2014年4月、安倍が内閣総理大臣時代の首相官邸ホームページには、「企業活動の国境、なくす」「グローバル企業は、関税の障壁など、国内外の市場にまたがる制度面の障害をクリアし、より自由に活動できるようになります。」と書かれていると述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166回国会施政方針演説では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言したが、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官塩崎恭久内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)大田弘子、特命担当大臣(規制改革担当)渡辺喜美内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)根本匠の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かる など混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。

地方自治

構造改革の推進者であり、地方分権改革(道州制)を推進している。
道州制特区法の制定・道州制推進
2006年(平成18年)に北海道地方等の特別区域で道州制を導入できる道州制特別区域における広域行政の推進に関する法律を成立、公布・施行した。道州制導入についても2007年の所信表明演説で「道州制は地方分権の総仕上げ」と表明し、道州制が地方分権の最終形態として好ましいとの見解である。

外国人政策

実質的な移民政策

移民は母国以外の国へ移住し、長期滞在する者を意味し、外国人労働者受け入れの規制緩和は「移民の大量受け入れ」と軌を一にし、安倍内閣は、中国からの公費留学生の大量受け入れや、高度人材認定外国人の長期滞在環境を整えるなど。

中国からの公費留学生の大幅拡充

2005年に都内の専修大学講演の中で「中国からの公費留学生の数がまだまだ少ない。思い切って増やして、反日にならずに日本を知ってもらうよう、我々も努力をしていかねばならない」との見解を示し。外国人労働者受け入れの規制緩和と「移民の大量受け入れ」は軌を一にし、外国人労働者受け入れの規制緩和により入ってくる移民の大半は中国人になるだろうといった見方が出ている事や、「移民を受け入れてきた多くの国々が、様々な摩擦が起こって、入ってきた人々も、そこにいる人々も不幸な出来事がたくさん起こっている」と述べる。

憲法

総裁選では施行60周年を迎えた日本国憲法を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、21世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた。

2013年3月29日の参院予算委員会で、小西洋之議員の「芦部信喜さんという憲法学者ご存じですか」という質問に対して、「私は存じ上げておりません」と答えた。

立憲主義について、憲法は国家権力を縛るものだという通説的な理解に対し、「それは国王が王権を握っていた時代の考え方であり、現代の民主国家において憲法は国家観を書き込むべきもの」という見解を繰り返し述べている。尚、王権の時代に憲法は存在しない。

外交

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第1次安倍内閣においては、「価値観外交」と「主張する外交」を外交の基本路線とした。このうち、「価値観外交」は、自由、民主主義、基本的人権法の支配という普遍的な価値観を共有する国の輪を世界、アジアに拡大して行くことを目指す外交戦略であるが、第1次安倍内閣で外務大臣を務めた麻生太郎が、「自由と繁栄の弧」として初めて提唱したものである。自由と繁栄の弧は、民主主義や法の支配などの価値について、日本が非欧米圏における先駆者としての地位にあることに着目した上、北東アジアから、東南アジアを経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという構想といえる。

2012年12月28日に発足した第2次安倍内閣も、麻生太郎を副首相兼財務大臣としたほか、第1次安倍内閣当時に外務事務次官として「自由と繁栄の弧」の企画・立案を行ったとされる谷内正太郎を内閣官房参与としており、改めて自由と繁栄の弧を基本とした外交政策を打ち出すと指摘されている、安倍が、平成24年12月28日にロシア、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、インドなどの首脳と相次いで電話会談を行ったのもその表れと指摘されている。またプラハに本拠を置く国際NPO団体「PROJECT SYNDICATE」のウェブサイトに、12月27日付けで安倍晋三首相の英語論文が掲載され、そこで「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド構想」を世界に向けて主張している。

第2次安倍内閣における「価値観外交」の特色は、中国やインドの間という地政学的優位性が高い上、経済や安全保障での重要性も高まる東南アジアを重視する点である。第2次安倍内閣最初の閣僚外遊は、民政移管を進めていたミャンマーへの麻生太郎副総理兼財務相・金融相の訪問であった。この点、麻生副総理は、「閣僚の最初の訪問先がミャンマーとなったこと自体、政権としてのメッセージである。」と述べている。安倍晋三首相も、就任後最初の外遊先として、2013年1月16日から18日にかけ、まずベトナムを訪れ、次にタイインドネシアを訪問。アジア太平洋地域の戦略環境が変化する中で、地域の平和と繁栄を確保していくため、自由民主主義基本的人権法の支配など普遍的価値の実現と経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本はASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、対ASEAN外交5原則を発表した。

日本の価値観外交においては、港や道路などハードのインフラの整備だけでなく、投資環境整備にもつながる法整備支援や、人材育成といったソフトのインフラ整備への協力を、日本の役割として位置付けることが重要と指摘されている。

アメリカ合衆国
小泉政権により強化された日米安全保障条約をさらに充実させるため在日米軍自衛隊の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。
安倍政権の外交方針について、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」や沖縄タイムスなどからは対米追従であるという批判や懸念があるが、2013年3月の施政方針演説によれば「日米同盟をより強固にしたい。わが国の安全確保の観点から当然の取り組みであり、地域の平和と安全に資する。対米追随外交との指摘はまったくあたらない」としている。
2014年4月24日の日米首脳会談で、日本の超電導リニア新幹線の技術をアメリカへ無償提供すると表明する。2013年2月の首脳会談でも「日米同盟の象徴」と技術提供を提案していた。2013年3月には、日本企業が米軍のF-35開発に参加することを提言した。
イギリス
2014年7月17日国家安全保障会議で、戦闘機用のミサイルをイギリスと共同研究することを決めた。。この研究は現状日本のシーカー技術を適用した場合どの程度の性能になるかをシミュレーションするもので部品などをやり取りすることはないという。
東南アジア
第2次安倍内閣は、経済や安全保障での存在感が高まる東南アジアを重視している。就任後1ヶ月以内に、自身のベトナムタイインドネシア訪問、麻生太郎副総理のミャンマー訪問など、閣僚がアセアン主要国を次々と訪問した。自由民主主義基本的人権法の支配など普遍的価値の実現と経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本はASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、2013年1月18日には、訪問先のインドネシアにおいて、以下の対ASEAN外交5原則を発表した。
中華民国台湾
祖父である岸信介や父・晋太郎も親台派であり、自身も台湾などとの交流強化を目指している亜東親善協会の会長を2012年の首相就任まで務めていたほか、第一次安倍内閣の際には羽田空港松山機場との間の直行便を推進したり、野党時代には台湾を訪問し馬英九総統、李登輝元総統などと会談を行うなど、筋金入りの親台派と言える。また、中華民国政府も安倍のことを親台派であると評価している。また、第三次安倍内閣では国会答弁のなかで「日本の友人である台湾」と同答弁内で述べられた中国、韓国、北朝鮮、ロシアとは別格の表現をしているほか、同年7月29日に行われた参議院の我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会において、「台湾は、基本的な価値観を共有する重要なパートナーであり、大切な友人であります」と答弁している。なお、台湾との党内窓口機関は自由民主党青年局だけである。ここで毎年日台相互訪問を実施している。
中華人民共和国
2006年の総裁選は、ありのままの日本を知ってもらうために多くの中国人留学生を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して胡錦濤国家主席と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅(破氷之旅)」と呼ばれて評価された。
大韓民国
かつて1960 - 1970年代に韓国が親日・親米保守軍事独裁政権(朴正煕政権。現在セヌリ党)だった頃、父・晋太郎が親韓派であったため、その影響からか第一次安倍内閣時には「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っている」と親韓的な発言をしている。軍艦島(端島)など明治日本の産業革命遺産世界文化遺産登録をめぐる韓国との交渉では、朝鮮半島出身者の徴用について、韓国側の要求を受け入れるように外務省に歩み寄りを指示している。その一方、第三次安倍政権下では外務省による二国間関係を紹介するウェブページの韓国に関する記載から「基本的な価値を共有する」を削除するなど、強硬姿勢も見せている。
2013年の韓国の保守系有力メディア「月刊朝鮮」(2013年4月号)による安倍へのインタビューでは安倍は日韓関係はじめ歴史問題や憲法改正などについて語っている。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
2007年2月12日に来日したチェイニー米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除をしないように要請した。3月1日、6者協議の日朝国交正常化に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が(拉致問題で)納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。
オーストラリア
オーストラリアとは「基本的価値観を共有する国家として連帯強化を目指している。日豪FTAの交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年3月13日には安全保障協力に関する日豪共同宣言ジョン・ハワード首相とともに署名した。この宣言にはPKOなどの海外活動や対テロ対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした。
インド
日印両国を基本的価値と利益を共有するアジアの二大民主主義国家とし、更なる関係強化を目指している。2007年8月に日印首脳会談を行い、政治・安全保障、経済、環境とエネルギーなど多岐に渡って合意した。また、インドの国会において、日印間の更なる関係強化について「二つの海の交わり」と題する政策演説を行った。外務省は「この演説内容はインドに非常に高く評価され、スピーチ終了後は総立ちとなるスタンディングオベーションとなった」と発表している。
アフリカ
アフリカ諸国との関係も重視している。2014年1月にはオマーンを訪問し、さらにコートジボワールを訪れた。

安全保障

日本版「国家安全保障会議」(NSC) 構想を推進した。総理就任以前から憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出してきた。2007年には安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会を開催、集団的自衛権の行使は日本国憲法第9条に反しないとの報告書を得て、宮崎礼壹内閣法制局長官に対し、解釈変更の指示を行ったが、職員の総辞職の可能性を示される抵抗を受け頓挫した。。

2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての鈴木宗男質問主意書に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との答弁書を出した。

第2次安倍内閣においては武器輸出三原則の撤廃を含めた根本的な見直しに着手。2013年9月28日小野寺五典防衛大臣は、最先端の兵器は国際開発が主流であり、日本はその流れから取り残されているとして、武器輸出三原則を抜本的に見直す考えを示した。

2014年3月、武器輸出三原則に代わる「防衛装備移転三原則」の原案が与党のプロジェクトチームに示され、同年4月1日に武器輸出三原則に代わる防衛装備移転三原則が閣議決定された。

尖閣諸島問題

「歴史と国際法によって、尖閣諸島(中国側:釣魚島)が日本の領土であり、中国と交渉の余地はない」と明言しているが、「日本と中国の間が異なる見解を有している」ことを認めている。

教育

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2006年12月に教育基本法を改正し、教育の目標の一つとして愛国心という言葉を盛り込んだ他、義務教育9年の規定や男女共学の項を削除した。内閣府直属の「教育再生会議」を立ち上げ、2007年6月には教員免許更新制を導入した。その他、学校週五日制の見直しや大学進学の条件として社会奉仕活動の義務化を提唱した。その他の政策としては、教育バウチャー制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の山谷えり子らとともにジェンダーフリー教育に対する批判等を行った。

改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている。

第二次政権時においては、教育再生実行会議の第一次提言や2013年3月の施政方針演説より、

  • 6・3・3・4制の見直しによる「平成の学制大改革」を始める
  • 道徳の教科化
  • いじめ対策の法制化

などが主たる教育政策である。

第一次政権時の教育政策については教育再生会議第二次政権時については教育再生実行会議も参考のこと。

民法改正

選択的夫婦別姓

選択的夫婦別姓制度導入に関する民法改正については、「夫婦別姓は家族の解体を意味」「夫婦別姓は左翼的かつ共産主義のドグマ」などと述べるなど、反対を表明している。さらに、2016年2月29日には、これらの発言について衆議院予算委員会で野党から撤回するべきではないか、と問いただされたが、撤回しなかった。安倍は「夫婦別姓反対の急先鋒」であると、野田聖子自民党)や菊田真紀子民主党)から指摘されている。

離婚後300日問題

女性が離婚後300日以内に出産した場合、子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になるという民法の規定に関しては、2007年2月15日の参院厚生労働委員会の少子化問題に関する集中審議において「見直しの要否を含めて、慎重に検討する」と回答、2月23日の衆院予算委員会において「時代が変わってきて親子関係はDNA鑑定ですぐにわかる」と回答し、民法第772条の改正に積極的な姿勢を示した(ただし与党内の諸事情により改正に至らず)。

婚外子問題

婚外子の遺産相続分を嫡出子の半分とする規定を削除する民法改正に関しては、2013年10月18日の参院本会議において「不合理な差別は、解消に向けて真摯に取り組む必要がある」と回答し、民法第900条を早期改正する姿勢を示した。

公務員改革

内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に渡辺喜美を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、天下り、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて (1) 官民人材交流センター(人材バンク)の制度設計 (2) キャリア制度の見直し、という2つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も成田空港社長に官僚OBがなることを却下したり、東京証券取引所への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起きるようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしないなどの抵抗が見られた。

この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革(社保庁民営化)に力を入れていた。年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いからだったが、ここでも激しい抵抗にあった。田原総一朗は、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘した。

労働政策

再チャレンジ政策
小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定雇用の増加やいわゆる経済的不平等の是正を掲げ、再チャレンジ政策の一環としてフリーター正社員として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の 経団連が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「ワーキングプアと言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も非正規雇用者が正規社員へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、偽装請負等に関しても、「法令労働基準法に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている。
ホワイトカラーエグゼンプション(事務職残業手当適用除外制度)
メディアで「残業代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、2007年1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。
最低賃金
最低賃金の抜本的引き上げは、「中小企業を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした。2007年3月の参議院の予算委員会では、「最低賃金制度を生活保護以上にしていくという改正を行い、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した。
地域間格差
格差はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている。
男女共同参画
2005年5月26日に開催された「過激な性教育・ジェンダーフリー教育を考えるシンポジウム」で自民党プロジェクトチーム座長を務めた安倍は、「男女の性別による差別は決して許されるものではない。」としながらも、ジェンダーフリーは、家族の破壊をもたらす概念であり、明らかに間違いと主張した。ジェンダーフリーの言葉の間違いについては、党内政府内でも見解の一致が見られるとし、男女共同参画社会基本法の検討の必要性を述べた。。

治安政策

組織犯罪処罰法(いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「国際組織犯罪防止法条約」を批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の通常国会で成立を図るよう指示したが、世論や自民党内からの反発が強く、継続審議となった。

党運営

郵政民営化時の造反議員を復党させた(郵政造反組復党問題)。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。

社会保障

中国残留孤児
中国残留孤児問題における訴訟では請求を取り下げられた原告団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。
慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」
2007年2月23日に、熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポストの設置を計画していることについて、「ポスト」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した。
年金問題
年金記録問題では民主党の小沢一郎との党首討論で「消えた年金はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」と各地で演説した。
メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた。社会保険庁は年金記録の照合作業を進めたものの、2008年3月末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された(人数や件数は2007年12月時点での推計値)。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。福田は「(当時の)安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」 と安倍を擁護したが、内閣官房長官の町村信孝は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」。
なお、国民皆年金制度は祖父・岸信介が首相時代に策定したものである。

経済政策

経済財政諮問会議第2次安倍内閣で再開した。

現在、アベノミクスといわれる以下の3政策からなる経済政策を行っている。

  • 大胆な金融政策
  • 機動的な財政政策。
  • 民間投資を喚起する成長戦略

アベノミクスの「第1の矢」とされる大胆な金融緩和政策により速いスピードで円安が進み、野田佳彦が衆議院解散の意向を表明してから、5ヶ月で20円円安が進んだ。また、2013年5月15日には5年4ヶ月ぶりに日経平均株価が15,000円台を回復した。

それ以降の日経平均株価は大きく下げた後伸び悩み、ほぼ14,000円台の状態が長期間続いたが、同年11月15日には再び15,000円台まで回復した。第2次安倍内閣発足から1年が経った2013年12月27日の日経平均株価終値は16,178円となり、リーマン・ショック前の2007年11月6日以来6年2カ月ぶりの高値水準となった。

また、大胆な金融緩和政策による円安により、政権発足以来史上最大の貿易赤字を更新し続けている。

同時に「不動産市場における国際展開戦略」は円安を受け好調に展開し、外国人による日本の不動産買いが着々と進行している。

京都大学教授の佐伯啓思は安倍は日本の伝統を守り、道徳教育を重視する点は、心情的には保守に見えるがアベノミクスを見る限り保守とはいえないととし、経済改革の進め方は急激であり地域格差や所得格差を広げ、社会の安定を崩している。第1次安倍内閣組閣時も、進歩を疑い歴史に学ぼうとするヨーロッパ流の保守と、進歩を信じ革新を目指す米国流の思想が混在しているという見方をしている。

原発政策

安倍首相は2014年5月1日、シティ・オブ・ロンドンで次のように演説した。

「世界のどこにも劣らないレベルの厳しい安全基準を満たしたところから、目下ひとつとして動いていない原子力発電所を、ひとつ、ひとつ、慎重な手順を踏んで稼働させていくことにしました。原子力における協力で、英国と日本は、長い関わり合いをもっています。原発事業会社、ホライズン・ニュークリア・パワー社は、ご承知のように、日立製作所の子会社です。また、東芝は、本年1月、原発事業会社ニュージェン社の全株式の6割を取得することを発表しました。フクシマの教訓を、英国と共有し、より優れた技術の開発に取り組めればよいと願っています。」

経産省外局総合資源エネルギー調査会の原子力小委員会は差額決済契約という制度を検討している。

2014年10月8日、原子力規制委員会原子力発電所の重大事故での住民の避難範囲を決める際、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの計算結果は利用しないと決めた。

2014年10月24日、原子力損害の補完的補償に関する条約の承認案と関連法の改正案を閣議決定した。

財政再建

財政について安倍は「成長せずに財政再建できるかというとそれは無理で、絶対に有り得ない」と述べている。

消費税について安倍は「デフレーション下で増税をするのは、景気を冷やしていく危険性もあり、よりデフレが進んでいく危険性もある。これは明らかに間違っている。財政赤字はさらに悪化していく危険性すらある。税収はそんなに伸びないどころか、ダウンするかもしれない」「財政規律ばかりが強調されているが、これはわれわれにも責任がある。消費税を橋本政権下で上げたときに、財政危機を国民に強く訴え、このままでは大変なことになるという、不安を喚起した。これが効き過ぎてしまった」と述べている。

2013年10月1日、消費税増税の判断をこれまで保留してきた安倍は、「国の信認を維持し、持続可能な社会保障制度を次の世代にしっかりと引き渡していくため、14年4月1日に消費税を5%から8%に引き上げる判断をした」と言明した。

  • 増税反対の代表的見解
    • 内閣官房参与の浜田宏一は「消費税率を引き上げても景気が減速して歳入面ではマイナスになる」と述べ、増税実施の1年延期の案などを主張していた。
    • ノーベル経済学賞受賞のポール・クルーグマンは「'97年に消費税を3%から5%に引き上げた際、景気が後退したことはみなさん知っているでしょう。本来なら、デフレを完全に脱却してからやったほうが安全です。いま、ちょうど光が見えかけていたのに、増税によって消費が落ち込む可能性がある。」と述べた。
  • 増税賛成の代表的見解

村山談話

総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「村山首相談話」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院予算委員会で、A級戦犯について戦争責任については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた。2006年10月5日、衆院予算委員会で、東条内閣商工大臣だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている。

東京裁判については、第1次政権時代、「受諾しており異議を述べる立場にない」としていた。第2次政権では、2013年2月12日の衆議院予算委員会にて、「大戦の総括は日本人自身の手でなく、いわば連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と述べ、懐疑的な見方を示した。

慰安婦問題

河野談話

日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援して来た自民党内部の議員連盟日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長を務めた(現在は顧問)。同会は特に「侵略戦争」や「慰安婦」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」を発表した河野洋平を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た吉田清治の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「従軍慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。2007年3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「この決議案は客観的な事実に基づいていません」「これは、別に決議があったからといって我々は謝罪するということはないということは、まず申し上げておかなければいけないと思います」との見解を述べた。

社民党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書に対して、2007年3月16日に「河野談話をこれからも継承していく」としつつ、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」とし、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定し提出した。

「従軍慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志で作る「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」による河野談話見直し発言が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した世耕弘成首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言し鎮静化を図ったが、中国・韓国を中心に非難が巻き起こった。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言をしたと報じられ、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が『強制的に』置かれたことについて大変申し訳なく思う」、「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを『強制された』方々に責任を感じている」 とお詫びを表明したと米国で報道された。

第2次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して「河野談話の見直し・改変」を唱えているが、2013年5月24日、「安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる」と辻元清美の質問主意書には応えている。

日米首脳会談での言及

ブッシュ大統領との2007年4月28日の日米首脳会談後の共同記者会見で、「慰安婦の方々にとって非常に困難な状況のなかで辛酸を舐められた、苦しい思いをされたことに対し、人間としてまた、総理大臣として心から同情しておりますし、またそういう状況におかれていたと言うことに対して、申し訳ない、と言う思いでございます」とあらためて謝罪の意を示した。ブッシュ大統領は「安倍総理の謝罪を受け入れた」と応じた。。しかし、「強制された」という言葉は、日本メディアは総じて報道しておらず、また安倍のそれまでの考え方と大きく違う発言でもあるため、産経新聞記者の阿比留瑠比などは英訳する際の「誤訳」とした。

安倍自身はこの問題に関し、「会談で従軍慰安婦問題は全く出なかった。そもそも日本が米国に謝罪する筋合いの話ではない」とアメリカメディアの報道は事実無根だと主張したが、2013年5月に主張を修正し、実際には日米首脳会談で「元慰安婦の方々に、首相として心から同情し、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と発言したことは認める答弁書を決定した。

日韓合意

2015年12月28日に朴槿恵政権下で行われた従軍慰安婦に関する話し合いにて日本軍の関与と日本政府の責任を認めて謝罪した上、日本側が元慰安婦を支援する財団に10億円を拠出する事で「最終的かつ不可逆的な解決」とする日韓の合意を果たした。これについて、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせる訳にはいかない」「今回の合意を踏まえ、日韓両国で力を合わせて、日韓新時代を開いていきたい」と宣言している。ロイター通信によると、アメリカのライス国家安全保障担当大統領補佐官は、28日月曜、声明の中で、「アメリカ政府は従軍慰安婦問題に関する日韓の合意を歓迎し、その実行を支持する」と述べた。

靖国神社参拝

首相の靖国神社参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている。また、歴史認識を巡って反日騒動が起こった中国と韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは内政干渉だという見解を持っている。

安倍は幹事長在任中の2004年・幹事長代理在任中の2005年には終戦の日(8月15日)に参拝を行ったが、官房長官在任中の2006年は4月15日朝、秘密裏に参拝を行った(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉串料を収めた)。

第2次安倍内閣発足による首相再任後、2013年の春季および秋季例大祭終戦記念日の参拝はいずれも見送った。

首相在任中の靖国神社初参拝

内閣発足からちょうど1年となる2013年12月26日、第1次時代も含め首相在任中としては自身初の参拝を、中国アメリカに外交ルートを通じて参拝の連絡をした上で参拝した。安倍はモーニング姿で本殿に参拝し、「内閣総理大臣 安倍晋三」名で白い菊を献花した。靖国神社境内にある世界の全ての戦没者を慰霊する「鎮霊社」にも参拝した。その後、「恒久平和への誓い」と題した「首相の談話」を発表。談話を英訳し、世界に向けてメッセージを発信した。

この参拝について、人民日報中国共産党中央委員会機関紙)系の新華経済日本新聞網の記事を引用し『安倍首相は外交ルートを通じて中韓首脳との会談を模索しており、(2013年)12月28日訪中のスケジュールで調整が進められていたそうだ。だが、これを「単なる政治的パフォーマンスであり、尖閣問題の解決策の提示はない」と判断した中国側が(2013年12月)20日に安倍首相の訪中を拒否。中国に続いて韓国も否定的な返答を寄せたという。今回の靖国参拝はこれに対する“報復”ではないか』と報じた。

世論調査・ネット調査

安倍の2013年12月26日の靖国神社参拝について、以下の様な世論調査結果が報じられている。

  • 朝日新聞は2013年12月30日の朝刊30面で、安倍のこの靖国参拝後の世論調査「日本の首相が靖国神社に参拝することに賛成ですか。反対ですか。」の質問に対し、20歳?29歳の回答者で支持60%・不支持15%、30歳以上の回答者で支持59%・不支持22%という結果であったと報じた。また、同調査における内閣支持率調査「安倍内閣を支持しますか。しませんか。」の質問に対し、20歳?29歳の回答者で支持53%・不支持33%、30歳以上の回答者で支持55%・不支持33%という結果であったと報じた。
  • 共同通信社は2013年12月28・29日に全国緊急電話世論調査を実施し、安倍の参拝について「よかった」43.2%、「よくなかった」47.1%であり、内閣支持率は55.2%(前月比1.0%増)、不支持率は32.6%(前月比0.4%減)であったと報じた。
  • テレビ朝日は2014年1月1日元旦放送の『朝まで生テレビ』において「安倍首相の靖国参拝を支持するか否か」という視聴者アンケートを行い、結果は「支持」71%、「不支持」29%であった。
  • TBSテレビは2013年12月28日放送の『情報7days ニュースキャスター』において「今回の安倍首相の靖国参拝。あなたはどう思う?」という視聴者アンケートを行い、結果は「良い」71.2%(28,977票)、「不味い」28.8%(11,740票)であった。
  • 産経新聞社FNNの合同世論調査では、靖国神社参拝について、「評価しない」(53,0%)との回答が「評価する」(38.1%)を上回った。ただし、20代と30代では、「評価する」という回答が、「評価しない」という回答を上回っている。

批判

安倍の2013年12月26日の靖国神社参拝に対し、以下の様な批判が各所から上がっている。

  • 米国ホワイトハウスは安倍のこの靖国神社参拝について声明などを一切発表しなかったが、米国大使館は2013年12月26日に「日本は大切な同盟国であり友好国であるが、近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」との声明を出した。
  • 米国国務省サキ報道官は「靖国参拝に関する声明を出すかどうか」の質問に「在日米国大使館の声明をみてほしい」と答えた、『意見の相違がある時に互いに正直に発言できるのは、緊密な関係の証し』、『日本は大切な同盟国で友好国であり、(今回の安倍の靖国神社参拝は)日米関係全体に影響はない』などと述べた。
  • EU(欧州連合)の報道官は、靖国参拝に対して懸念を表明し、各国に対し「EUは、緊張を高める行動を避け、外交で争いを解決する必要性を常に強調してきた」と訴え、地域の長期的な安定に向け建設的な関係を築くよう促した。
  • 中国と韓国の駐日大使も安倍の参拝に抗議した。
  • 韓国最大手新聞の朝鮮日報は『日本の大手6紙のうち、朝日毎日日本経済東京の4紙は社説で安倍首相を批判した。「平和主義」を守ろうとする日本国民と安倍首相を切り離し、日本国内で良心的な声を高めるには、韓国は自らの対応を単なる反日で終わらせるのではなく、より高度な次元に高める必要がある。日本の国内外で安倍首相の批判を高めその立場を失わせれば、この脱線にも必ずブレーキがかかるだろう。』と批判した。
  • 台湾の馬英九総統は「中華民族の一人として、日本政府が周辺国の歴史の傷を顧みず、こうした行動をとったことは理解しがたく失望した」と自らのフェイスブックに投稿した。その後も馬暁光報道官が「第2次大戦後の国際秩序に対する挑戦で、平和を愛する全ての人が断固反対するのは当然だ」などと述べている。
  • 共同通信社は、米国ウォール・ストリート・ジャーナルが「日本の軍国主義復活の恐怖を、自国の権益拡大の口実に使いたい中国への贈り物」と批判したと報じた。
  • 民主党代表海江田万里は「過去の日本の歴史の負の側面とは一線を画すべきだ。日本の主体的な判断として大局的な立場にたって参拝を自重すべきだ」と述べ、靖国神社が日本の歴史の負の面であるとの認識を示し安倍を批判した。中国外相の王毅とロシア外相のセルゲイ・ラブロフは12月30日、電話会談し、靖国神社参拝を共に批判した上で、歴史問題で共闘する方針を確認した。王は31日に韓国外相の尹炳世、米国国務長官のジョン・ケリーとも相次いで電話会談。各国外相との会談で、参拝批判の国際世論づくりを展開しているとみられる。ラブロフは「靖国神社の問題ではロシアの立場は中国と完全に一致する」と応じ、日本に対し「誤った歴史観を正すよう促す」と主張した。王は30日、ドイツ外相のフランク=ヴァルター・シュタインマイアーベトナム副首相兼外相のファム・ビン・ミンとも電話会談、「日本の問題」を取り上げたという。
  • 韓国外務省報道官は2004年1月23日の定例記者会見で、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席した総理大臣の安倍晋三が靖国参拝に理解を求めたことについて「参拝しない韓日友好を語るのがいかに矛盾しているか、韓国だけでなく、全世界のメディアと知識人、良識ある人が声を上げている。この声が聞こえないのが理解しがたい」と改めて批判した。報道官は「参拝は、帝国主義時代に日本が犯した過ちを反省しないのと同じだ。首相ら指導者が靖国神社を参拝しないことが、韓日友好、地域の安定の出発点だ」と強調した。
  • コロンビア大学教授ジェラルド・カーティスは講演で、安倍晋三の参拝について「日本の国益にとても高いコストを生む」と批判するいっぽう、再度参拝するかどうかは「中国との取引材料となる」と語った。カーティスは「安倍首相は1年間参拝を自制したが、中韓両国からなにも得られなかった。参拝したから関係がさらに悪化するわけではない」と指摘。今回の参拝に対し、中国の態度は比較的抑制されていると述べ、再参拝の可否を対中関係の改善次第とすることで、局面のてこにできるとの考え方をしめした。参拝に対する米国政府の「失望」表明について、「安倍首相はショックだったかもしれないが、世界は変化している。中国台頭という新たな現実に取り組まなければならない」とした。
  • 米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は23日、複数の米政府当局者の話として、安倍晋三が靖国神社参拝を繰り返さない保証を、米政府が日本政府に非公式に求めていると伝えた。日中、日韓関係がさらに悪化することを懸念しているとみられる。同紙によると、米政府は参拝後にワシントンと東京で開かれた日本側との「一連の会談」を通じ、近隣諸国をいら立たせるさらなる言動を首相は控えるよう要請。日米韓の連携を阻害している日韓関係の改善に向けて韓国に働きかけるよう促し、従軍慰安婦問題に対処することも求めた。さらに今後、過去の侵略と植民地支配に対する「おわび」を再確認することを検討するよう首相に求める考えだという。米国務省副報道官のハーフは23日の記者会見で、同紙の報道について問われ、「事実かどうか分からない」と述べた。

政治資金

2015年に、政治資金規正法で禁止されている、国の補助金をもらった企業からの1年以内の献金(寄付)を受けた可能性があることが、明らかとなった。それに対し、安倍は「当該会社が国から補助金を受けていたことは知らなかった。まず事実関係を調査する」とし、政治資金規正法改正も視野に入れた検討の必要性について言及した。献金をした企業は、それぞれ、「お答えを差し控える(東西化学産業)」、「(補助金の性質から)政治資金規正法に抵触しない(電通)」、「例外規定の『試験研究』に該当し、法的問題はない(宇部興産)」とコメントしている。同種の献金は、与野党の党首以下、多くの政治家や企業が意図せず違反していた可能性が明らかとなっているが、献金禁止規定の見直しの必要性が言及されている。

メディアとの関係

  • NHKへの圧力疑惑
  • 『週刊現代』による脱税疑惑の報道
『週刊現代』は2007年9月29日号(9月15日発売)において、安倍が相続税脱税していたとの記事を掲載した。内容は「父・晋太郎が生前、自身の指定政治団体に「安倍晋太郎」名義で寄付した6億円以上の政治資金を、66の政治団体に分散させて引継ぎ、3億円を脱税した」というものである。『週刊現代』は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした。
安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、発行元の講談社に対して、当該記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、「父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか」との質問が『週刊現代』側からあったという。同事務所は、安倍の辞意表明当日の『毎日新聞』夕刊がこの一件について報じたことを受け、自民党本部の記者クラブ(本部平河クラブ)にて、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎず、個人献金ではないので相続税の問題はない」とする内容の文書を配布し、疑惑を全面的に否定した。安倍は9月12日午後2時に会見を開いて辞任を表明したが、『週刊現代』の記事が原因になったとの見方もある。
『週刊朝日』が2007年5月4日・10日合併号の広告で「長崎市長射殺事件と安倍晋三首相秘書との『接点』」という大見出しを掲載した。射殺犯と秘書に関係があるとするものであるとして、安倍は直ちに「言論テロ」と抗議し、朝日新聞は夕刊社会面に同誌山口一臣編集長の訂正記事を掲載したが、安倍は誠意の不足を理由として追及を止めず、週刊朝日は全国紙4紙に謝罪広告を出すことになった。この件について森喜朗は次のように述べている。
  • 『週刊文春』による2008年の衆議院補欠選挙における報道
2008年4月、山口県第2区の衆議院議員補欠選挙にて、岩国市で自民党公認候補の山本繁太郎を支援する演説を行った際に、光市母子殺害事件の被害者家族について「光市の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さんを応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです。」 と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの遺影を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです。」と発言した。
しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。(山本候補を応援した事実は)まったくありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した文藝春秋に対し抗議文を送付した。
  • 朝日新聞
朝日新聞が安倍を叩く報道ばかりすることについて、三宅久之が同新聞社論説主幹の若宮啓文に理由を尋ねたところ、「社是であるからと語った」と証言したという。また、第一次安倍政権の時代に、ある朝日新聞幹部が、ジャーナリストの小川栄太郎に「安倍の葬式はうちで出す」と語っていた。小川は、実際に、朝日の記事全てが「社是」に則って激しい倒閣への意思をもって「報道」をしていたと評している。

後援会事務所等襲撃被害

2000年(平成12年)6月28日、安倍の後援会事務所(山口県下関市)の窓ガラスが割られ、屋内外に火炎瓶2本が置かれた。これに先立つ同月14日には同事務所近くにある催事場駐車場の壁、同月17日には安倍の自宅(同市内)の倉庫兼車庫にそれぞれ火炎瓶が投げられ、自宅の事件では車2台が焼ける被害もあった。同事件では、主犯格の組長に懲役20年、実行犯らに懲役8年から13年の判決が確定した。なお、同事件では、1999年(平成11年)に行われた下関市長選挙に際して安倍が推した候補者を支援した土地ブローカーが、被告人の一人となっている。公判の検察側立証で、この被告人は、安倍が推した候補者の支援活動に当たって当時の安倍の秘書が300万円を工面したため、さらに安倍本人に金を要求したところ、これに応じなかったことから、暴力団と共謀して報復したと証言している。

危機管理

えひめ丸事故
2001年2月10日、アメリカ合衆国ハワイ州沖にて、愛媛県立宇和島水産高等学校所属練習船「えひめ丸」がアメリカ海軍所属原子力潜水艦グリーンビル」に衝突され沈没する事故が発生した。森政権では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、内閣官房長官、内閣官房副長官のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事故発生時には、内閣総理大臣森喜朗、防災担当大臣(危機管理担当兼務)伊吹文明と内閣官房長官福田康夫は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事故発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた森喜朗に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった。
能登半島地震
2007年3月25日石川県輪島市沖の日本海でマグニチュード6.9の能登半島地震(最大震度6強)が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の江田憲司は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」。
新潟県中越沖地震
2007年7月16日新潟県沖の日本海でマグニチュード6.8の新潟県中越沖地震(最大震度6強)が発生した。第21回参議院議員通常選挙の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。
経済企画庁長官堺屋太一は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」と指摘し、衆議院議員の加藤紘一は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」との指摘もなされている。
平成26年豪雪
2014年2月に雪害が発生。豪雪非常災害対策本部では、降雪の激しかった14日から16日まで、被害の取りまとめや対処が行われている。首相は16日、午前中を自宅ですごした上、午後5時49分から支援者らと食事をしていたが、Twitterでは「陣頭指揮に立っていなければいかんな」と非難された。首相を擁護する意見に、断食させるような非難の仕方はおかしいというものがあったが、会食でなくても食事はできる。一方、会食と被害増加の因果関係を否定する意見が出ており、これは肯定論・否定論ともに証拠の提出が難しい問題としてくすぶっている。また、首相は17日になって政府調査団を山梨県に派遣したことを明らかにしている。その遅さを山梨大学教授の鈴木猛康が指摘し、Twitterでは対応への批判が起きた。

福島第一原発事故

2006年12月13日、日本共産党吉井英勝から「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を内閣に提出され、後の福島第一原子力発電所事故で現実のものとなる電源喪失のケースなどの対策に注意を促された。当時内閣総理大臣であった安倍は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」「原子炉施設の安全を図る上で重要な設備については、法令に基づく審査、検査等を厳正に行っている」「地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全の確保に万全を期している」「経済産業省としては、原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期している」とし、今後も原子力の安全確保に万全をつくすことを回答したものの、安倍内閣以降の政権では具体的な対策はなされず、福島第一原子力発電所事故を回避できなかった原因として「しんぶん赤旗」の林信誠・ネットジャーナリストの団藤保晴・誠ブログの「あいだ・たかを」に指摘されている。

2011年5月20日、自身が発行するメールマガジンにて、東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所事故における海水注入対応について当時の首相・菅直人に対し「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。」と発信し、「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」と退陣を要求した。しかし、事故当時の福島第一原発所長・吉田昌郎の判断により実際には海水注入は中止しておらず、菅から中止の指示があったという指摘についても、翌2012年の国会の東京電力福島原発事故調査委員会において、中止の指示を出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだったと武黒本人が主張している。これに関し、菅は安倍に嘘の情報を流されたとして、謝罪と訂正を要求していたが、安倍はこれに応じずメルマガの掲載を続けたため、2013年7月16日、菅は東京地裁への提訴に踏み切った。

また、当時安倍は情報の出所として「(経産省の)柳瀬か(保安院の)寺坂に聞けば分かる」と記者達に話していたため、柳瀬唯夫に対して多くの記者達から「注水を止めたのは総理の指示か?」という問い合わせがあったという。柳瀬にとってその問い合わせは寝耳に水であり「ありえません」「安倍さんの言っていることは嘘です」と返答したという。

首相再就任後の2013年、福島第一原発の汚染水が大量に土壌や海洋に流出していることが判明した。これについてイギリスのタイムズ紙は「安倍は政府として介入し流出を防ぐと言うだけで、具体的には何もしていない」と批判した。

発言

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原子爆弾の保有・使用
2002年2月早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」、と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じたが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と記事内容を否定し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した。
民主党を「中国の拡声器」
2002年5月19日中国・瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件に関して、日本国外務省の不手際を調査するため中国を訪問した民主党を、テレビ番組において「中国の拡声器」と批判した。安倍は2日後の5月21日、参議院外交防衛委員会において、民主党の激しい反発に遭い、発言を撤回した。
土井たか子と菅直人に対する不適切発言
2002年10月19日広島市岡山市の講演において「1985年に韓国入国を図り逮捕された辛光洙(シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」「この2人は、スパイで原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した。
なお、父・晋太郎は外務大臣在任中の1984年4月25日、衆院外務委員会において、日本社会党の土井たか子議員が、韓国の在日韓国人政治犯の釈放に向け日本政府の尽力を求めたことに対し、「私も外務大臣となって2年近く、韓国の外務大臣や要人と会うたびに、この政治犯の取り扱いについて人道的な配慮を加えてほしいということをしばしば申し入れて、今日に至っている」と述べ、「内政干渉にわたらない範囲内で人道的配慮を韓国政府に絶えず求めていきたい」「この7月に行われる外相会談でも、(土井)委員の要請を十分踏まえて対応する」と答弁している。
長崎市長射殺事件における総理談話
2007年4月17日長崎市長射殺事件が発生し長崎市市長伊藤一長が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。国際連合事務総長や与野党の党首・幹事長らが民主主義に対するテロ暴力を強く非難する声明を発表する中、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。
自衛隊について「わが軍」と発言
2015年3月20日、参議院予算委員会で自衛隊に関する質問への回答の中で自衛隊について「わが軍」と発言した。30日の衆院予算委員会で後藤祐一の質問に対し、安倍は「共同訓練の相手である他国軍と対比するイメージで自衛隊を『わが軍』と述べたわけで、それ以上でもそれ以下でもない」と改めて説明し、「自衛隊の位置づけに関するこれまでの政府見解を変更するものではないし、そのような意図はない」、「軍と呼ぶことは基本的にない」と主張した。また、「言葉尻をとりあげて議論をする意味はあまりない。もう少し防衛政策そのものを議論した方が生産的だ」、「こうした答弁により大切な予算委員会の時間がこんなに使われるならば、いちいちそういう言葉は使わない。ただそれを使ったからどうこういうものではない」と述べた。。

関係団体や人脈

生長の家
安倍の「ブレーン」として衛藤晟一(首相補佐官)、伊藤哲夫日本政策研究センター)、椛島有三日本会議事務総長)、百地章(日本大学教授)、高橋史朗日本会議役員)らが挙げられるが、これらの5人はいずれも学生時代に宗教法人生長の家の政治運動に参加していた。なお、生長の家は、現在では路線変更を行い政治活動は行っておらず、元生長の家活動家で現在も活動している流派は「生長の家原理主義」あるいは「生長の家本流運動」といった呼び方がなされる。
統一協会
官房長官当時の2006年、統一協会系列の団体である「天宙平和連合」 (UPF) の集会のイベントに祝電を寄せた(保岡興治やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ、この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。
公明党・創価学会
、晋太郎は1985年、大石寺正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、池田大作と何度も面会したという。
晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入されて二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「四月会」(代表幹事:俵孝太郎)の集会などに参加したこともあった。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという「『産経新聞』を除く」をはじめ各種メディアが伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の戸田城聖が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った。
その後、国会で池田と面会した事実があったかという野党の質問に対して、安倍は「そういうことはございません。」と答弁した。2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した。
在日韓国人実業家
韓国の親米保守勢力(現在はセヌリ党)とは韓国が朴正煕軍事独裁政権だった頃から国際勝共連合などを通じ代々親しく、父、晋太郎も日本政界きっての親韓派だった。その繋がりのため、安倍の下関事務所は、日本でパチンコ事業を展開する在日韓国人系の七洋物産(東洋エンタープライズ)関連のビルを借りていることでその存在が知られることになった。
日本会議
右派」「保守系」とされる団体では国内最大級の組織であり、安倍晋三と思想的にも近いと朝日新聞で報道された。また安倍は日本会議国会議員懇談会の副会長である。

人物像

座右の銘
吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」。「初心忘るべからず」。
愛読書
古川薫の『留魂録の世界』(留魂録は吉田松陰の著作である)。
現在では非常に親しい間柄である(後述)アグネス・チャンは、2、30代のころファンだったため、環境大臣・小池百合子の音頭でスタートしたクール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初は背広で通していた。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第2位となった。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門でベストドレッサー賞を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした。一族では大叔父の佐藤栄作が1973年、兄嫁の父である牛尾治朗が1981年に受賞している。
アーチェリー
大学時代にアーチェリーをしていた安倍は、2005年に全日本アーチェリー連盟の第6代会長に就任している(前任は同じく首相経験者の海部俊樹、父の安倍晋太郎も第4代会長である)。2007年3月25日に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている。
2006年4月28日のフジテレビのバラエティ番組では、明石家さんまとアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した。
ゴルフ
ゴルフも趣味の一つであり、アメリカ留学中も、現地で知り合った友人とプレーしていた。
アグネス・チャン
アグネス・チャンは20年も親交がある友人で、よく食事をともにする。2、30代の頃に彼女の熱心なファンであり、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」として筆者であるジャーナリストの松田賢弥を訴えたが、山口地方裁判所下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」。平成元年(1989年)に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「宗任」』と題する、次の序文を寄せている。“宗任より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら、と願うことしきりです”。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は平氏であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父 岸信介、佐藤栄作兄弟は源義経の郎党 佐藤忠信の末裔とされる。家紋は「丸に立梶の葉」。

┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇(明仁)

明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫

┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王

┃     ┏彬子女王

┣━━━━━┫

麻生太賀吉  ┃     ┗瑶子女王

┃  ┏信子

┣━━┫

┃  ┗麻生太郎

┏和子

吉田茂━━━━┫

┗桜子

吉田祥朔     ┃

┣━━━━━吉田寛

┏さわ

┣佐藤松介  ┏寛子(佐藤栄作夫人)

┃  ┣━━━┫ 

┃ ┏藤枝  ┗正子

┃ ┃

┃ ┗松岡洋右

佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造

┃(池上)

┣佐藤作造

┗茂世          安倍晋太郎  ┏安倍寛信

┃             ┃    ┃

┣━━┳佐藤市郎      ┣━━━━╋安倍晋三

┃  ┃          ┃    ┃

(岸/婿養子) ┃  ┃(佐藤)      ┃    ┗岸信夫

┏佐藤秀助 ┣岸信介━┳岸信和  ┃

┃     ┃    ┃     ┃

┃     ┃    ┗━━━━━洋子

┃     ┃

岸要蔵━━┫     ┗佐藤栄作   ┏佐藤龍太郎━━佐藤栄治

┃        ┣━━━━┫

┃        寛子   ┗佐藤信二

┗岸信政━━良子

(岸信介夫人)

(婿養子/信政養子)

┏佐藤秀助━━岸信介 ┏岸信和==岸信夫(安倍/養子)

┃      ┃   ┃

┃      ┣━━━┫

岸要蔵━┫      ┃   ┃

┃      ┃   ┗洋子

┃      ┃    ┃

┗岸信政━━━良子   ┃

┃   ┏安倍寛信

┏安倍慎太郎           ┃   ┃

安倍宗任・・・・・・・・・・・安倍某━┫                ┃   ┃

┗タメ              ┃   ┃ 

┣━━━━━安倍寛       ┣━━━╋安倍晋三

安倍彪助  ┃         ┃   ┃  ┃

(婿養子)   ┣━━━━━━━安倍晋太郎 ┃  昭恵

┃             ┃

本堂恒次郎 ┃             ┗岸信夫

┣━━━━━静子

大島義昌━━━秀子    ┃

┣━━━━━━━西村正雄

西村謙三

略歴

  • 1954年9月21日 - 東京都に生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。
  • 1977年3月 - 成蹊大学法学部政治学科卒業
  • 1977年4月 - 米国カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に入学。その後、ロングビーチの語学学校に転校した。
  • 1978年4月 - 南カリフォルニア大学に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修し、1979年に中退。
  • 1979年4月 - 株式会社神戸製鋼所入社
  • 1982年11月 - 神戸製鋼所退社、外務大臣(実父・安倍晋太郎)秘書官に就任
  • 1993年7月 - 衆議院議員初当選(旧・山口1区)
  • 1999年10月 - 衆議院厚生委員会理事
  • 2000年7月 - 第2次森内閣で内閣官房副長官に就任
  • 2001年4月 - 引き続き第1次小泉内閣で内閣官房副長官に就任
  • 2003年9月 - 自由民主党幹事長に就任
  • 2004年9月 - 自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任
  • 2005年10月 - 第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任
  • 2006年9月 - 自由民主党総裁に選出、第90代内閣総理大臣に就任
  • 2007年9月 - 自由民主党総裁及び内閣総理大臣を辞任
  • 2009年11月 - 所属団体会長に就任
  • 2012年9月 - 自由民主党総裁に選出
  • 2012年12月 - 第96代内閣総理大臣に就任
  • 2014年12月 - 第97代内閣総理大臣に就任

受賞・栄典

受賞

栄典

著作

主著

共著・編著

論文

出演

安倍晋三』に 関連する人気アイテム

拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々

北朝鮮拉致被害者蓮池薫氏の実兄の蓮池透氏の著作。
題名が過激で2016年1月の国会でも取り上げられ話題となった。
当初いわゆるトンデモ本なのかと疑いすら持った事を覚えている。
しかし世間に少しでも注目してもらう為にあえてこういった題名にしたのだなと読後は思った。

拉致事件の報道の裏側で何があったのかがよく分かる。
驚いたのは5人が帰国する際の対応する参与室に人員が居なさすぎで
蓮池透氏が事務業務をおこなっていた。
また5人を迎えるにあたり花束が必要だというので購入しようとしても
参与室に予算がなく家族達が自分たちで用意したものだった・・

薫氏が拉致された1978年7月31日から書かれている。


警察に届け出たものの全く動きがない。

結局、国に対して大きな期待は出来ないということだろうか。
自己責任などとは言いたくない。しかし自分の身は自分で守るしかない。
悪質なのは北陸で捕まった北朝鮮の工作員と思われる在日朝鮮人(李秋吉)を
釈放してしまうなどの致命的ミスを犯した石川県警。(宇出津事件)
この1977年に起きた事件情報をマスコミが報道し各県警が共有していたら
拉致被害者数はもっと少なく済んだのは間違いない。
北朝鮮による拉致事件は人災の面もあるのだ。

蓮池薫氏は北朝鮮で生き抜く為に指導員達への読心術、
相手が何を望んでいるのかを推測する力が向上したのだという。
いわれる前に行動すると非常に受けが良い。この辺の能力は日本でも
役立つことは間違いない。

もちろん全ての項目に対して著者に同意しているわけではない。
例えばP132の家計に対する補助の融通が効かない点。
税金、公的資金を入れる都合上、厳密な区分け(薫氏の分だけ)が必要なのは
やむを得ない。政治資金とこの点は似ている。
また巻末の青木理氏との対談もやたらと北朝鮮に甘い青木氏の言動に違和感を覚えた。
日本の自称リベラル派は拉致問題が無かったとしても力を失っていたと思う。

社会運動を行うことの難しさを改めて痛感した。
小林よしのり氏の薬害エイズ問題の運動について著した脱正義論や
新しい歴史教科書をつくる会の運動、それに伴う内部での権力争いを描いた
作品をかつて読んだけれどもそれと似たことが拉致事件の運動でもあったのだ。

蓮池透氏もかつで過激派、右派的な言説が目立った。しかし今は当時と
ずいぶん考えも変わり柔軟になった。また当時の過激発言に対し赤面の思いを
持っていると述べているなど素直に反省している点は好感を持った。
右派の欺瞞に気付いた事もあったのだろう。

蓮池薫氏の母校が甲子園に出場し見に行った際にTVカメラが薫氏をとらえだすと
地元の国会議員がこぞってカメラにうつるために薫氏の近くに陣取ろうとする姿は確かに醜悪だ。
安倍総理の近くでいつも映ろうと努力している世耕弘成内閣官房副長官への批判でもある。
本書には傾聴に値する指摘は数々あった。

安倍晋三氏、中山恭子氏は薫氏達を当初北朝鮮に戻すつもりであった。
拉致事件は政治利用され尽くしてきた。
ブルーリボンバッチ、各種選挙での講演の依頼。
日本政府・外務省の手柄にならないことは全て排除する。
(非公式ルートの死滅、山崎拓、藤本健二)
家族会は救う会のオルグにより右翼的な主張をするようになった。
増元照明氏は2004年参議院選挙に立候補、落選。
その後事務局専従となり手当てをもらっている。
増元氏の結婚や子供の誕生がある度に扶養手当を増額している。
*蓮池透氏も事務局長を勤めた。しかし著者は一切報酬は受け取っていない。
増元照明氏は自分の一存で飯田橋の一等地に20坪、家賃20万円の事務所を
借りて家族会事務所を構えあとで承認を得るということをしている。
2014年には次世代の党公認で宮城二区から衆議院選挙立候補。落選。
拉致被害者へのカンパ金は横田滋ファンドに渡り本人に渡らない。
全ては家族会、活動費にあてられる。
家族会の収支は不明確。不明朗な支出がある可能性高し。
著者が横田滋氏に何度も収支決算書など透明性を図ることを提案しても
お金の出入りは家族会の預金通帳を見れば一目瞭然との説明があるだけ。

2004年6月に蓮池薫氏が上京し横田一家に伝えた内容
1 めぐみさんは精神的にかなり病んでいた
2 めぐみさんのDVが激しく、娘のウンギョンさんは、たびたび同じ招待所に住む蓮池薫氏の
家に非難してきた。薫氏はウンギョンさんを歓待した。
3 めぐみさんは、自分の髪の毛を自身の手で切る、洋服を燃やすなどの奇行を繰り返していた。
4 めぐみさんは何度かの自殺未遂をしている。
5 めぐみさんは、北朝鮮当局に対して「早く日本に帰して」「お母さんに会わせて」と盛んに
訴えていた。薫氏は何度も止めるように促したが、めぐみさんは受け入れなかった。
6 夫の金英男氏は、めぐみさんとの結婚については、当局に騙されたといっていた。
7 めぐみさんは2回、招待所からの脱走を試みた。1回は平壌空港を目指し、もう1回は
万景峰号が係留される港を目指した。その際、北朝鮮当局に発見され、拘束された。
8 このため、薫氏一家や同じ招待所に居住する地村さん一家は連帯責任を問われ、
「山送り(強制収容所行き)」の危機に晒された。だが、薫さんたちの必死の請願により、
それは免れた。その代わり、めぐみさんは、義州(ウィジュ)という場所にある
四十九号予防院(精神科病院)へ送られることとなった。
9 その際、夫の金氏は、「何があっても一切の異議を申し立てない」という誓約書を書かされた。
10 1994年3月病院に向かうめぐみさんが乗ったクルマを見送った。それ以降、めぐみさんに
会うことはなかった。
11 夫の金氏は、数年後に再婚し、息子をもうけた。

読後感の悪い1冊

(参考になった人 9/12 人)

本のタイトルについては、過激な題目で話題を集めたい出版社の意向から付けられたのだと思いたいですが容認した著者の蓮池透さんには失望しました。長きに渡りご苦労された拉致被害者とご家族を思うとその心情は私たち国民などには到底想像すらできないものだと考えます。政治家に裏切られ、マスコミに振り回され、移り気な世論にも思うところがあるのだろうと思います。しかしこのような本は出して欲しくなかったのが正直な読後感でした。失礼ながらこんな陳腐な本を出して(理由はともあれ)かつての家族会や支える会まで罵り蓮池透さんは結局何を訴え、どこに向かいたいのかとすら思えてしまいました。

その答えが巻末のあの現政権批判に執着している青木理氏との対談なのでしょうか?この本はいわば蓮池薫さんの自分史だとして読めばむしろ良いのかもしれません。まるで熱病のごとく憑かれたように学生運動に身を投じていた若者が、年を重ね歩んできた道のりを全否定するがごとく思想転向するが、自分だけは正しかったと肯定し続けているような違和感というか。。2002年以降の拉致問題の低迷には、蓮池薫さんご自身の行動や言動も間違いなく大きな影響を与えておりそれを逃れることはできないと言っても言い過ぎではないのに。人間であれば全てが善ということも無ければ、同様に悪ということもありません。自分の考えと異なる人々を一方的に否定、罵倒する主張については最後までどうしても受け入れることができませんでした。初めはメデイアを通してあれだけ強硬派のような言動をしていたのに。本書を最後まで読了することを何度も断念しそうになったことを書き記しておきます。

家族会の方々はみなさん高齢になられました。普通に生活していくだけでしんどい年齢に入られているのではないかと思います。そのうえに、辛く切なく哀しい拉致事件で何十年も娘さんや息子さん、兄弟姉妹の安否を気遣い願い、ただひとつひたすら北朝鮮から救出し無事帰国させたいとの希望を励みにしながら毎日を一生懸命生きてこられていると思います。
ご家族のみなさんの夢、目的をかなえていくためには、感情的な思い、やる気が第一ですが、被害者を無事帰国救出するための冷静で客観的に見極める理性をもって方法、対策を打ち立てることが非常に重要になると思います。


蓮池透氏はとても理性的な方に見えます。こういう方が家族会には必要なのだと思っています。経済的な制裁の方法は失敗して十五年近くなりますがこのまま同じやり方を続けても意味がないと思います。問題解決のためにいろいろやってみる必要がありと思います。戦後補償問題もそのひとつでしょう。文化交流もさかんに展開していくのもそのひとつでしょう。思いつくことやれることは何でもやった方がよいと思います。このままでは、いつまでたっても進展がないでしょうから。そんなことを考えさせてくれました。
蓮池氏が自称ジャーナリスト、ドキュメンタリー映画監督のエセな方々の誘いに振り回されませんように。右も左も同じ穴のむじなでそっくりどころか裏表のむじなです。いつか気づかれますように。そしてもう一度家族会の事務局長を務めていただきたい。

日本人が知らない集団的自衛権

メディアが安保法制をネガティブに報じており、あたかも昨年の安保関連法案や集団的自衛権を憲法から違憲だ戦争法案だと連日のように、それが国民の総意かの誤解を受けかねない加熱報道を連日行っていたが、この本で多少なりとも真の答えが判るかと思える入り口を示した本といえよう。

現在の日本国憲法と憲法9条、平和憲法とか崇高な理念に基づく戦争の放棄と憲法9条

この憲法は日本政府が作った憲法ではないという史実を知ってるのかな、終戦後、GHQマッカーサーがたったの1週間で憲法草案を作成し、日本弱体化(日本洗脳計画)のために、日本の国家主権、国民主権をないがしろにするような出来の悪い憲法を二度と日本が立ち上がれないよう、時の日本政府(吉田茂元首相)に押し付けた。

吉田茂元首相、白洲次郎さんらは泣く泣くこの憲法原案を呑み、現在の憲法へと至る、ご存知の通り、前文の2条、9条、2/3条項などなど、日本国憲法は作りがメチャクチャな憲法の典型となってしまった。米国がこの改正を困難にするために盛り込んだ2/3条項のおかげで、終戦後、現在に至るまで、現実に即して憲法を改正しようにも殆ど不可能な状況が続いている。2/3条項のせいで。

世界の他の多くの国で、憲法を改正していない国など日本くらいのものだ。現実に即した形に何処の国も改正している。オーストラリアでは5〜60回も憲法を現実に沿うよう改正している。

米国の政府高官は、日本が憲法を一度も改正していないことを知り、逆にえらく驚いたらしい。終戦後、米国が日本政府に無理矢理押し付けた出来の悪い日本国憲法と、特に出来の悪い憲法第9条。憲法第9条はどうにでも解釈出来る条項の典型。

集団的自衛権が違憲だなんて憲法学者が言ってるけど、実態は、既に集団的自衛権を行使した例は過去にある。こんなことも知らないとは、呆れた左翼系の憲法学者がふんぞり返っていやがる。GHQは保守本道の憲法学者を日本弱体化のためパージし、左翼系の憲法学者だけを残し、現在の出来の非常に悪い日本国憲法をそのまま日本政府に護らせようとしている。

日本を取り巻く現在の安全保障の問題、特に北朝鮮の核の問題、無差別テロ、など恐いほどの脅威に日本は晒されており、憲法9条の改正が急務となっている。

北朝鮮が核ミサイルを日本に向けて発射したらどうなる???憲法9条なんて日本の国内法である憲法の中の条項だから、対外的に何の効力もない。飛んで来るミサイルに憲法9条があると声高に叫んだら、その核ミサイルは日本に着弾しないのか???

戦争というのはな、宣戦布告さえすれば、相手の国の憲法の中に9条のような条項があろうがなかろうが、国際法上何の問題もなく、相手の国に攻め入ることが出来る、憲法9条なんて何の役にも立たない。

ご存知の通り、米国の次期大統領候補のトランプ氏は、アジアにおける米国の軍事負担を軽減するた、韓国と日本にもう米国に頼ることなくこの2国の核武装が必要だと先日意見を表明した。韓国はいざしらず、高い技術力を持つ日本は、半年でおよそ6000発の核をあっという間に保有し核武装することが出来る試算となっている。米国、ロシアに次ぐ世界第3位の核保有国になれる。

日本の安全保障の強化を考えると、憲法9条を早急に改正することが急務であり、さらには、核武装についても真剣にその必要性について議論を並行して行うことも必要なのではないか。

まだ何も始まっていない(part4)

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集団的自衛権を実戦的側面から考察する上で、現状の安保条約と個別的自衛権で考えると初動対応は自衛隊で次がアメリカに全面的に防衛を委ねる。だが自国防衛を他国任せにする日本に対し、彼等は本当に日本の為に命を張ってまで戦うのか。アメリカも馬鹿ではない。そこまで危険を冒す以上それ相応の見返りを要求する。つまり想定外の事態となれば戦力補充は必至で、日本は特例として徴兵制を認めざるを得ない。これは安保条約が片務契約である事が負い目となって疑心暗鬼となり、万全な信頼関係が保てず何らかの不安が付き纏う。
更に安保条約と自衛隊だけに頼るのは防衛費の増大を招く。

それは中国に対し軍事力を増強させる口実を与える事になり抜本的解決とはならない。それより集団的自衛権を行使する方が同盟国との連携強化による自衛力が全体を包括した抑止力となって作用し侵略を断念させる。また危機が分散され防衛費の負担も軽減でき、徴兵制も同盟国による派兵で賄う事が可能。誰が見ても集団的自衛権が利に適っており、現状の安保条約では全幅の信頼が置けない。
日本を取り巻く環境を見ても、北朝鮮は日本海にミサイルを撃ち込むのが常態化しているが日本のような技術立国ではない。制御不能となったミサイルが誤って日本に着弾し偶発戦争となる可能性は排除できない。そして未だ中国や韓国に向けて発射した事が無い。中国のミサイルも日本を照準に定めている。その中国も東南アジアと領有権問題を抱えており尖閣諸島も視野に入れている。相手の自衛力が低下すれば必ず奪おうとするのが中国である。将来的に東南アジアを助ける名目で集団的自衛権を行使する可能性は考えられる。
その時は日本独自の条件が付く。それは 『我が国の存立が脅かされ、国民の生命財産や幸福追求権が根底から覆される明白な危険がある場合』 に限定される。つまり他国防衛の戦争であっても日本が直接攻撃される状況なら自国防衛の手段として集団的自衛権を行使できる。あくまで自国防衛を優先して考え、それに該当しない場合は必ずしもアメリカの要請に従う義務は無い。これが国民の知りたい最も重要な核心部分のはずだがマスコミは殆ど伝えようとせず、野党も枝葉末節な質問ばかりで焦点を反らしている。
集団的自衛権を含めて将来的には憲法改正を視野に入れ、独立国家としての様々な法整備をしなければ中国や北朝鮮そして突発的テロ行為などの国際法を無視した無法行為には対処できないという現状を理解しなければならない。

【雑感】
集団的自衛権を独断と偏見による解釈で自分なりに検討してきたが完全に理解している訳ではない。やはり行使する段階で全体像が見える。大事なのは違憲か合憲かを争う事ではない。如何にして現実の脅威に対峙するかである。現状に合わない憲法を集団的自衛権で補完し、不測の事態も含めて将来的な安全保障体制を万全なものとする。
これを疎かにする反対派や護憲派は単に安全体制の面から日本の弱体化を図るだけでなく、国際社会での貢献が認められると日本の地位向上や発言力が高まるのを抑えたい意味もあり、その為の実績や成果を無くしたい。その先にあるのは国連への常任理事国入りを阻止する事ではないのか。

分りやすい解説が特徴でしょうか。

(参考になった人 4/9 人)

軍事の専門家が集団的自衛権と我が国の安全保障を解説する。専門軍事の用語を使わず
分りやすい解説が特徴でしょうか。集団的自衛権ってなんだ?そんな疑問にも対応しています。

集団的自衛権を放棄することは簡単だ。武装中立国で生きればよい。日米安全保障は、日本に取っては
格安の軍事同盟、安全保障であるが、武装中立国で生きる場合のコストとリスクを詳しく解説しています。
理想にはコストが必要だが、集団的自衛権を反対している方々も、天文学的な金が必要なことが分れば
黙ってしまいそう。

大増税は嫌ですからね。

日米軍事同盟に置いて、日本の過大なる貢献度も解説されている。米国にとって日本は絶対的な必要国なのだ。
集団的自衛権に神経を尖らせている国民は、世界では少ないと思うが、軍事アレルギーの方でも本書を読んでみる
価値はありそうです。「集団的自衛権」と「集団的安全保障」類似されて扱われることが多いが、その辺の違いも
詳しく網羅。

影の権力者 内閣官房長官菅義偉

読む時間と金がもったいない。

(参考になった人 2/4 人)

週刊誌に掲載された程度、つまり菅官房長官の経歴程度をご承知の方は読む必要ない。
それ以上の情報はこの本に入っていないし、対象との手に汗握るインタビューのたぐいもない。
インタビューはしているらしい形跡は随所にみられるが、「柳に風」というふうに相手にされていないのが明らか。
なので、「政治家 菅義偉」に全く迫れていない消化不良を起こしている。
手詰まりを自覚したのか、お得意の小沢一郎と比してみたり田中角栄とくらべるのだが、いかんせん成功していない。
なぜなら、権力闘争という側面からのみしか見ていないから。


菅が「権力闘争好き」というなら、それはそうなのだろうと思う。
しかし、なぜ石破でなくダークホースの安倍だったのか? おそらく泡沫すれすれの梶山についたのか? 自民党内の菅評は?など、論を確立させるための試みがゼロ。
しかも、手前味噌。
小沢の政治生命は筆者のスクープした婦人の離縁状だった、ことさら協調するが、そうではないだろう。
菅直人に負け民主党を分裂させた時に終わったのであって、離縁状はだめ押しにすぎない。
安保法制に関する筆者の考えも一部開陳しているが、非常に浅薄で残念なものだ。
この程度で「ベテランジャーナリスト」をうたえる業界というものは何なんのだろう。

権力者の権力を国民にあえて見せる

(参考になった人 0/1 人)

「安倍政治をゆるさない」という、それらしいものを掲げて、さも正義を叫ぼうとしている残念な人が多々見られるが、
これらの人は完全に安倍政権の術中、特に菅義偉官房長官に「釣られた」人々だ。
菅官房長官は「これが権力です」とこちらがドキっとしてしまうような発言をすることがあります。
総理大臣や官房長官は正式な手続きを通過した権力者です。最近の政治に求めるのは「庶民性」やら「カップ麺の値段」とかであり、
権力者が権力を持っている事実から逃げる姿勢を求めるようです。本当に怖いのは「権力者が権力ではないと無責任に放言すること」ではないでしょうか。

前民主党政権で権力者が権力を行使し、決断する責任から逃げてとんでもないことになったことは誰もが知る事実です。
菅官房長官の物言いは「はい、みなさん、ここで権力が行使されますよ!注目してください!」という権力の行使、政治決断を国民に分かりやすく教えてくれているのではないでしょうか?ゆえに文句を言う人も「安倍ゆるさない」といまだかつてこのように明確に反対運動することも出来なかったはずです。
賛成派にも反対派にもフェアーにわかりやすく安倍政権の方向性を語るスポークスマンとして、活躍される菅義偉長官の思考のルーツを追う同書の狙いにも賛同したい。

菅義偉に焦点を絞ってほしい

(参考になった人 4/7 人)

ジャーナリストによる、現代の政治家論。 菅官房長官のことというより、田中角栄、小沢一郎、梶山静六、野中広務など、いろいろな政治家について、知っていることを脈絡なく説明している。 菅義偉についてしっかり焦点を当て、研究してほしかった。 また、左翼的意見が多く、歴史や安全保障に関する基本的知識に欠けているため、本質がわからず浅はかな内容になっている。 論理的でもなく学術的でもない、得ることの少ない本であった。

「文系学部廃止」の衝撃

はじめに
レビューアーは、特に気にしていなかったし「そんなことがあったかな~」くらいの記憶しかないのであるが、文系学部の教官諸氏は2015年6月8日の文科省通達で、肝を冷やし、大いに慌てふためいた様子がよく書かれた本である。
文系と言っても、法学部、経済学部、政治学部、社会学部などは、特にこの通達であわてることもないと思われる。上を下への大騒ぎとなったのは、文学部や一般教養学部であろう。理工系のものからすると、常々この2つの学部は、「いったい何をやっているのであろうか」と見えないこともない学部である。


あえて極論すれば、この2つの学部は「大學」にあるべきなのかと考えさせられるときがある。まあ、これらの学部は「物心ついた頃から、大学内に当たり前のようにあったのだから、あり続けるのかな」くらいの認識しかない学部である。

教養学部について
まず、簡単な方の一般教養といわれる(この本の著者によると「リベラルアーツ」と標榜する)学部については、大学でなく、高校か高専などに所属した方がこれらの学部の教官たちも気楽なのではないだろうか。
大學が教育と研究の場であるとするならば、この学部はほとんど「研究」はやっていないと言っても過言ではない。1,2年生を対象に、それぞれの学生が将来専門としようというところとはあまり一致しない分野の勉強の講義をするだけであるから、その学部の教官に何か自分の専門を持ち、それに関する最先端の研究をしろといってもまず無理としたものである。この学部は、教育・研究のうちの教育しかできないシステムになっているである。にもかかわらず、大學と言う教育・研究の府に属しているのであるから、彼らとしては肩身が狭い思いをしているのではないかと思われる。
彼らには「教育」のためだけの比較的少ない予算と職場のスペースとしての「職員室」くらいしか与えられなくても仕方がない状態なのである。研究のための実験室などは、なかなか認められづらいことはぞう像に難くない。
にもかかわらず、ラディカルな「教養の先生」と言う方がおられ「教養学部と他学部を比べると、予算や一人当たりの室面積が小さいから是正せよ」などと主張することがある。当然、このような主張は多くの場合退けられてしまい「教養の先生」としてはフラストレーションが溜まっているものと思われる。
そのようなことになる原因は、この種の先生が大学にいるからであって、高校にいればそのような不満は起きないはずである。なぜならば、高校の先生方は、原則、教育専門であるからである。

文学部について
文学が音楽、美術などと並ぶ「芸術」ではあるが、果たしてこれは「学術」であろうかと言う素朴な疑問がわいてくる。学術とは、つまるところ「真理の探究」であろう。しかし、芸術は、 真理と言うよりは「美」、「感動」、「癒し」などと言ったものを追求しているのではないだろうか。
もちろん、芸術であっても真理の追究と全く無関係ではないことも確かであるが、理工学や法学、経済学、社会学などが追求している「真理」は、芸術が対象としている真理に比べれば、レベルとか深さとか、大きさとかいった点で、質量とも格段に高いものである。そして、それは当然のことである。なぜならば、学術は真理の探求しかしていないからである。もちろん、すばらしい学術研究に「感動」する人がいたりすることはあるが、それは、その学術研究の単なる派生効果のひとつであって、本来の目的ではない。何だかわからないけれど感動的ではあってもそこに真理の姿がないような研究では「学術研究」とはいえないのである。
その点、多くの芸術作品は、人を「感動」させたり、傷ついて心を「癒したり」することが、最高の目的であるはずである。そこに「真理」があるかどうかはあまり関係ないであろう。岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言って様々な作品を世に送り出したが、それらは、多くの人に、驚きや感動や共感を与えたかもしれないが、それを「真理」であると思う人はいないであろう。
彼の作品は「爆発」が起こったような「感動」を与えるとしても「爆発」そのものではないことは誰の目にも明らかである。彼の主張、「芸術が爆発である」が真理であるならば、「爆発」でないものは芸術ではないことになってしまうのであろうか。
このように、芸術的な文学を「扱う」学部、文学部が大學と言う組織にあることで、文学部の教官は、昔からある意味「ひけ目」を感じていたのではないであろうか。これは「教養の先生」が大學で何となく肩身の狭い思いをしていたのと共通のところがあるのではなかろうか。
文学の場合、「研究」するとはいかなることかを考えるとき、そもそも「文学」における学術研究」なるものが存在するのかという基本的な疑問にぶち当たる。文学における真理とはなにかと言われても答えは出てこないのではないだろうか。あえて答えでそうなテーマを考えれば、「感動を与えられる文学作品とは」などといったものが考えられなくもない。実際、コンピューターを使って様々な人気小説の中の文章を網羅的に抽出し、組み合わせ、何か「小説」ようなものを仕上げ、それを世に問うてみるなどと言う試みもなくはないであろうが、そのようなことが文学研究の重要課題とはとても思えない。
文学研究の主流は、いまだに、「○○の作品に関する考察」などといったものであろう。この種の「研究」では、他の学部の研究に比べ、何か浅くて普遍性のないもの、そして「役に立ちにくい」ものしか出来ないのは、仕方がないのである。例えば「芥川龍之介論」などといった「論文」を出したところで、所詮は芥川作品の感想文でしかない。
この辺の事情を、最も深刻に受け止めているのは当該学部の教官諸氏であろうから、今回のような問題がそれらの人の間で起こったのであって、理工系の人間には記憶に残るほどの「事件」とは言えなかったと言ってよいであろう。
文学が芸術の1ジャンルであるとしたら、大学から出たらよいのではなかろうか。世の中には、大學に残っている文学、音楽(古典音楽)、美術以外に、演劇、書道、華道など様々な芸術的な活動がなされており、多くの大衆からの支持を得ている。大学という象牙の塔にこもっているから、後ろめたさを感じたり、民衆との乖離を感じたりするのではないだろうか。

著者の理系学部批判について
著者はこの通達のショックでかなり取り乱したのか、「文系学部(実質的には文学部と一般教養)は役に立たず、理系学部は役に立つ」と言う通念を何とか覆したいと苦慮した挙句、理系学部を誹謗するとしか言いようのない記述をいくつもしている。いちいち指摘するのは煩雑であるので、1つだけ例を挙げる。
本書の32ページの後半部分に「戦時日本は、・・・・理系の応用的な学問を中心に戦争遂行に総力を挙げて、大學の知を動員し、・・・その結果全てが灰燼に帰し、・・・」と記している。まるで、理系の人間が、文系人間が押しとどめるのを振り切って、無謀なアメリカとの戦争に邁進し、その結果敗れ、すべてが灰燼に帰してしまったが、それを改めて新しい価値観を文系人間が与えたとでも言いたげな記述である。これは著者による理系に対するとんでもない誹謗である。
対米戦争を発案し、推し進めたのは、当時の日本国政府であり、その構成員の恐らく9割以上は文系人間であったはずである。即ち文系人間が実権を持ち全てを支配していたのである。中には冷静に状況を判断する理系人間もいたはずであるが、それらの主張は「天皇陛下万歳」「鬼畜米英」「満蒙はわが国の命綱」などといった文系支配者の声にかき消されたのである。そのような状況で、理系の研究者や技術者は命令に従いその範囲で出来ることに努力しただけである。命令に背けば「非国民」と言う何とも文系的「称号」が与えられ、社会的に抹殺され、戦地に送られたのである。理系が太平洋戦争を押し進めたなどということは絶対に無い。

理系は短く役立ち文系は長く役立つ?
このフレーズも、この本の中にはしばしば出てくる。しかしながら、何を根拠にそういえるのかが全く言及されていない。「文系は短くは役立たない」と言う主張は了解するが、「短くは役立たないもの」が何故「長くなら役に立つ」ことになるのであろうか。また、「短く役立つのが、理系」であるとするならば、何故、そちらの方は「長くは役立たなく」なるのか理解しがたい。「短く役立たないものは、長くも役立たない」とか、「短く役立つなら長くも役立つ」とか言うならそれなりに理解しやすいのであるが。要は、「文系人間としては、そう思いたい」と言うことだけであろう。

結論
この本で扱われている事柄は、日ごろ後ろめたい思いをしているものが、その後ろめたさゆえに、何でもない風の音を聞いて驚天動地し、青天の霹靂とばかりに冷静さを失い醜態を曝したと言うことであろう。
文系、特に、文学部と一般教養学部を大學から切り離し、前者は専門学校に、後者は高等学校か高専に移管すると言う社会実験をしてみるのはひとつの興味深い試みとレビューアーは考えるが、そのようになることは、絶対無いであろう。「文学部や一般教養の先生方、安心してください。あなた方の支持者は少なくないですよ!」。なぜなら、世の中の多くの人は「文系」であるからである。理系対文系と言うことで比率をとったら、3:7から1:9くらいになりそうである(もちろん、一人ひとりの人は完全にどちらかに色分けできると言うものではないが)。その証拠は、本屋の本棚を見れば、多くの本の割合が上記のようになっているように見えるからである。理系の本が全くない本屋も少なくない。新書本のシリーズを見ても、岩波新書、中公新書など文系の新書は山ほどあるが、理系の新書はブルーバックスくらいである。
でも、今までのようなふやけた気持ちで安心ばかりしていると、いつか本当に「文学部再検討案」などが出てくるかもね。「文学は学術か」「文学における学術研究とは」などと言った問題に真摯に立ち向かうべきである。焦り狂って理系を誹謗中傷している暇があったら。

文部科学省通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」をきっかけとする、いわゆる「文系学部廃止騒動」がタイトルになっているが、著者は、この「騒動」自体については「『文系学部廃止』論を増殖させていったのはマスコミである」「『教員養成系、人文社会系の廃止を視野に入れた組織の転換』という課題は数年前から示されており、二〇一五年六月に突然示されたものではない(p.57)」として、正面切っては議論しない。
著者が俎上に乗せるのは、この「騒動」の背景に存在する「『理系は役に立ち、文系は役に立たない』との通念(p.57)」―著者の紹介する「背後仮説(p.201)」に当たりそうだ―であり、そこから著者は、本書で「『文系は役に立たないから要らない』という議論ばかりでなく、『文系は役に立たないけれども価値がある』という議論を批判(p.250)」し、そのうえでこれからの日本の大学のあり方を展望する。

そこで著者が導きの糸とするのは、中世以来の大学や学問の歴史である。
「騒動」そのものではなく「騒動」の基底にある考えを批判する、その批判の方法や、批判そして提言の「切れ味」は鮮やかで、まさにそれ自体「文系の有用性」を示していると言えそうだ。
個別具体的にも、おそらくは著者が副学長として深く関わったであろう大学改革の困難など興味深い叙述が多い。「日本の大規模総合大学はトップダウンの仕組みが弱く大学全体の統治の仕組みは『封建的』(様々な荘園がそれぞれ自治権を持って縄張りを守っている)と呼んだほうがいい体制で(p.141)」といった文章を読むと、著者の苦労が偲ばれる。
著者は、「実証の妥当性」「論理の整合性」「結論の有用性(pp.200-201)」の3つの基準で論文等を批判するトレーニングを大学院生に課していると述べているだけあって、本書の叙述も実証的かつ論理的で、結論も有用だ。

ありがとう、だがもう一歩欲しい

(参考になった人 5/6 人)

著者は東大副学長を経験しているだけあって学問と教育の状況をよく認識して論を進めている。文系軽視は今始まったものではないこと、問題は文系だけにあるのではなくて大学の在り方というより大きな問題なのだということを歴史的におよび現状分析的に丁寧に論述している。そういう資料として大いに参考になった。
「「文系学部」廃止の衝撃」という最近よくあるミーハーなタイトル(おそらく著者が付けたものではないだろう)は著者の論旨と違っている。買わせんがための出版社の戦略タイトルであること歴然だ。
著者の論旨を簡単にすると、理系は当面の目的を実現することを行うが、文系は目的や価値自体を問うものであるということにおいて存在理由がある(役に立つ)ということだろう。

それはよく分かるし新しい論点ではない。宮本武蔵の二刀流になぞらえたり人生で三回大学に入る論などを取り付けたところが目新しいと云えるかもしれないが、(結局これまでと同じく)理系と文系が対置的なものとして扱われ、多様化し混迷していく社会を私たちが泳ぐノウハウみたいな主張になっていく。
現代の学問の及び教育の問題を論じるには、おそらくそれは十分ではない。(なんだかんだ云っても)理系と文系が結局切り離されたフィールドとして存在させられていることが根幹的な問題だという認識が欠けている。例えば工学倫理、環境倫理、生命倫理・・・とほとんど全てのフィールドに“倫理”の重要性を主張する問題意識があるにも関わらず、ほとんど成功していないのは、理系と文系が一体となって動いていない(それぞれ個別に動いている)ためではないだろうか?今必要なのは、何事であれ一つの営みの中に理系と文系が同時に存在して統合されていることではないだろうか? そういうところまで掘り下げないと、著者の云う“価値創造”には達しないように思う。

小泉純一郎独白

福島原発事故を機に、ドイツ政府は脱原発を決めました。
原発大国フランスも脱原発に舵をきってます。アメリカは1979年のスリーマイル島の原発事故以降、原子力発電所の建設を止めました。
なぜ、フランスやドイツが脱原発に舵をきったかというと、1986年のチェルノブイリ原発事故の際、ヨーロッパ諸国は多大な被害を受けたからです。
ソ連の旧式な原発ならまだしも、技術立国の日本でレベル7の過酷な原発事故が起きるようでは、原発推進するのは、もう無理だと。国民が納得しないと。
ドイツのメルケル首相は右寄りのキリスト教民主同盟 (CDU)党首です。

それでも、政権を握り続ける為には脱原発政策を打ち出すしかなかった。
小泉純一郎氏は70歳の爺さんです。政治家を引退した人です。それでも、この危機には声を上げるしかないと思った。
首相時代には原発の安全神話に洗脳されていたが「過ちを改むるに憚ることなかれ」と言って立ち上がった。立派です。
多くの人が誤解していると思うのですが、原発は二酸化炭素を出さないから地球温暖化に役立つ。これは真っ赤なウソです。
日本にある55基の原発は年間1000億トンの水を7度温めて海に戻します。 これを温排水と呼び、日本の全河川の水量は4000億トンです。 二酸化炭素 を出さなくても、原発は地球温暖化を加速させます。
原発がなくなると地元の雇用が安心してください。
原発を廃炉にするには数十年かかります。その間、地元の雇用は確保されます。
いつ東南海大地震が起きてもおかしくない今の日本で、建設から40年以上過ぎた危険な原発を再稼働させるメリットがどこにあるでしょうか?
そして、世界中のどの国でも核廃棄物、核のゴミの最終処分場は決まっていない。核のゴミは原子が崩壊して安全になるまで10万年保管しなければならない。10万年後の未来まで子々孫々、負の遺産を残す。それが原子力発電所です。
いま日本には福島第一原発で事故を起こしたのと同じGE社のマークI型原子炉が10基あります。津波に襲われれば全電源喪失する危険な原子炉です。
車でも飛行機でも危険なものはリコールしますよね?それを再稼働させるつもりですか?
いま福島第一原発では溶けた核燃料が原子炉を突き抜け、床のコンクリートも突き抜け、どこにあるか判らない。今でも事故を起こした原子炉の炉心近くに行くと人間は1時間以内に死んでしまうため、調べることすら叶わない。そんな危険な原発を再稼働させるつもりですか?そこにどんなメリットがあるのですか?リスク以外にないじゃありませんか?

小泉純一郎が4時間半、率直に語った

(参考になった人 4/7 人)

小泉純一郎のワンフレーズを否定的に捉える人もいますが、自分の考えのエッセンスをあのように短い言葉で表現できるというのは、リーダーとして素晴らしい才能だと考えています。『小泉純一郎独白』(常井健一著、文藝春秋)では、4時間半に亘るインタヴューを通じて、小泉の考え方、生き方が率直に語られています。

「原発は安全、安い、クリーン。これ全部ウソだ」。小泉は、原発の問題点を、●地震国に原発は適さない、●原発には多額の税金がかかる、●核廃棄物の捨て場所がない――の3点に絞り、「原発をゼロにする」ことを主張しているのです。



「安倍さんは全部強引、先急いでいるね」。

「自民党は総理に何を言おうが自由だったんだよ。言いたい放題言った。ただ、決まれば従う。今は決まる前から総理のご意向に黙っちゃうから、おかしいよね」。

「あいさつは3分以内に終われ。聞くほうには3分は長いんだよ。結婚式でも短いほどいいんだ。つまらない話をする人ほど『簡単ですがこれで終わります』と言う。あと、間が大事。早口は駄目なんだ」。

「歴史時代小説を読むとわかるよ。俺、大好きなんだ。卑怯な行動とはどういうものか、勇気ある行動とはこういうものか、一冊読めば、実在した人物の人生から学べる。現代小説を読んでも、そういうことわからない。戦国時代でも幕末でも源平の時代でも、人間、裏切ったり裏切られたりというのは当たり前なんだ。信長、秀吉、家康見たってわかるじゃねえか」。

小泉を好きな人だけでなく、嫌いな人にも読んでもらいたい一冊です。

小泉氏のいま

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ノンフィクションライター常井健一氏による4時間半にわたる本人インタビューと3か月もの
間の入念な取材をもとに、小泉純一郎という人物に迫ったルポルタージュが本書。常井氏
は小泉進次郎氏の密着取材も敢行しており、小泉純一郎本人のみならず、息子進次郎氏
について父純一郎氏がどのように見ているのかといった内容にも、ごく自然な形で触れら
れている。やや親バカにも見えるが
もっとも本題は、小泉氏自身の過去の総括と未来の日本についての考え方。角福戦争、
郵政民営化、靖国参拝、抵抗勢力との暗闘といった過去、安倍政権、野党再編、原発ゼロ
といった現在から未来。

これらを、誰に遠慮することもなく、気負いも衒いもなく、自らの主張
見解を披露している。
メッセージは、現役首相時さながら、いたってシンプルである。
言語明瞭、意味不明瞭な日本の政治家の中での、極めつけの異端 小泉純一郎。主張と
その表現の方法。国民を熱狂させた理由が垣間見られて面白い。

安倍晋三』の解説 by はてなキーワード

政治家山口県長門市(旧・油谷町)出身。自由民主党総裁内閣総理大臣(90,96代)。

父は安倍晋太郎。また、母方の祖父は岸信介元首相。弟は岸信夫衆議院議員

兄、寛信の舅は知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会の座長、牛尾治朗(source)

妻は森永製菓相談役の娘で、地方局のラジオDJとして人気があった。

政治家

出典: フリー百科事典ウィキペディア (Wikipedia)』

衆議院議員 安倍晋三 生年月日 1954年9月21日


安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党に所属する衆議院議員。「晋三」という名前であるが、安倍晋太郎の次男である。岸信介の外孫で、佐藤栄作は大叔父に当たる。参議院議員岸信夫は実弟。

成蹊大学法学部政治学科卒。自由民主党幹事長。第一次小泉内閣の前内閣官房副長官

神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て1993年衆議院議員として初当選を果たす。2003年9月から自民党幹事長を務めた。


出身地 山口県大津郡

最終学歴 成蹊大学法学部

前職 神戸製鋼所

外務大臣秘書官

父の議員秘書

役職 元・内閣官房副長官

世襲の有無 3世

祖父・安倍寛岸信介

父・安倍晋太郎

選挙区 山口4区

当選回数 4回

所属党派 自由民主党

党の役職 幹事長

会館号室 衆・第一議員会館602号室

ウェブサイト http://www.s-abe.or.jp/

語録

  • 「今年を漢字一文字で表わすと、"責任"ですかね」
  • ホワイトカラーエグゼンプション残業代ゼロになるから、残業がなくなり少子化対策につながる」
  • フリーター派遣は働き方の多様性の問題。彼らが正規雇用になりたいとは限らない」
  • 「私は、コップの水が減ったとは考えず、まだこんなにあると考える」
  • そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はこういうものだ」
  • 「私はミヤタさん、いやミヤケさんを誇りに思う」(注:電車にはねられた宮本巡査部長に対して)
  • 「私はいま権力の頂点にいる」
  • 「松岡さんが亡くなって慙愧に耐えない」(注:「残念」といいたかった?「慙愧」なら「恥じ入る」ことだが)
  • 年金問題菅直人の責任」
  • コムスンは一生懸命やっておられる」

amazon:安倍晋三

国民年金保険料の納付未納期間について、回答を留保。http://f40.aaacafe.ne.jp/~matome/

日本会議国会議員懇談会」・副幹事長

真・保守政策研究会の中心メンバー→創生「日本」会長

「安倍官房長官保岡興治法相らが、統一教会のダミー団体が5月に福岡県で開催した集会に祝電を送っていた。統一教会の宣伝として利用される恐れがある」などとして、両氏に祝電を送った経緯などを問う質問状と抗議文を送付したことを明らかにした。

http://web.archive.org/web/20060703063630/http://www.zakzak.co.jp/top/2006_06/t2006062044.html

安倍晋三』by Google Search

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