国境のまとめ情報

国境』の解説

国境

  1. くにざかいくにさかい):
    1. 近代以前の日本における地方行政区分であった同士の境目。
    2. 滋賀県高島市地名。読みは「くにざかい」。
  2. こっきょう):国家の領域を分ける境目。本項で解説する

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国境(こっきょう)とは、国家領域の境目、境界のことである。

概説

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地球は絶対的空間の広がりとして連続しており、自然地理学的な障害を別にすれば、本来人間物体の自由な移動を許容するものである。古来より、国家領域の周囲はフロンティアとして曖昧にされていたが、1648年のヴェストファーレン条約以降、主権国家は明確な領域を持つこととされ、地球の連続的な広がりを有界化して、バウンダリーとしての国境線が地表上にひかれることとなった。

位置を規定する根拠

国境は、陸上にある場合もあれば海上、湖上にある場合もある。国境は大きく自然的国境と人為的国境に二分される。

自然的国境
自然的国境は山脈河川、湖水、海洋などの自然物によって定めたもの。
例:中国朝鮮民主主義人民共和国鴨緑江豆満江を国境としている)
  • 川を国境とする場合、国際河川上においては、川床の最深部をつないだ線(航路の中央線ともなる)が国境となる。
人為的国境
条約経線緯線道路民族などの人為によって定めたもの。
例:アメリカ合衆国ミネソタ州以西)とカナダマニトバ州以西)(北緯49度の緯線を国境としている)

いずれもこれを境として、国の領土または領海を分ける。

海上の国境

海上においては、海に面した領土を持つ国家の領海の縁辺が国境となる。海を隔てながらも領海が接している国家の場合、両者はその境界ラインで国境を接することになる。ただし、国際法上、領海の範囲は領土の基線から最大12海里(約22.2km)までという範囲に限られるため、幅44.4km以上の海によって隔てられる国家同士は、。

ただし、領海の外側には接続水域排他的経済水域が存在しており、特に後者は通例として200海里(約370km)という広大な範囲を占めるため、複数の国家の排他的経済水域が直接に接することは多く見られ、この接触ラインが国同士の経済的権益の境界線となる。

また、大洋に散在する島々からなる島嶼国家同士の場合、世界地図では両国の領土の中間ラインに境界線を描いている。

国境の透過性

陸上の国境には、標柱、遮断機などが設置され、柵などの障害物によって往来を困難にし、往来を特定の国境検問所のみに制限することが多い。また国際空港や陸上の国境検問所では、出入国管理パスポート・コントロール、イミグレーション・コントロール)を行ない、多国間との財物や人の透過性を制御する。国境にどの程度の透過性を与えるかは、それぞれの国の主権者が決定する事項であり、国家がグローバルな競争の領域単位である状況の下では、労働力や財の市場を最適化するように透過性が操作される。査証在留資格の許可数や、非合法で入国した労働者取締の強度がこの透過性操作に当たる。

国境の物理的な強度は、この社会的透過性の程度によって規定される。透過性が低い国境は、壁や地雷原などにより、二重三重に封鎖され、人の往来が許されないだけでなく、人の自由や権利にとっても国境であるといわれることもある。ドイツが東西に分割されていた当時の境界などがその例である。

国境を開放している地域

国境閉鎖

二国間の主義主張の違い及びそれに伴う紛争、戦争、経済格差などを理由にして国境を封鎖し、物資や人的往来を禁止、大きく制限している地域も存在する。代表例では、旧東西ドイツ国境(ベルリン封鎖ベルリンの壁)など)。珍しい例では、リベリア2014年の西アフリカエボラ出血熱流行に伴い、自ら国境を封鎖した事例がある。

三国国境

三国国境(tripoint)は3ヵ国の国境が一点で交わる場所である。

その他

  • アンドラはシェンゲン協定に加盟していないため、ヨーロッパのミニ国家の中で唯一、道路上で出入国管理が行われている。
  • リトアニアポーランドと、ロシアカリーニングラードベラルーシとの国境には、道路上に国境検問所が設けられている。しかし、それ以外の場所の国境は、低いフェンスや単管バリケードなど、簡易的なものになっている場合もある。
  • オーストリアの、、、などはオーストリアと地続きだが、山に囲まれておりオーストリア国内から直接アクセスできず、ドイツからしかアクセスできない。

国境』に 関連する人気アイテム

千年の田んぼ

名探偵コナン的(?)な推理力と行動力で、離島に残る貴重な田んぼの歴史をひもといていくのが面白く、ぐいぐい引き込まれていく本でした。地方豪族や大陸との関係、また、地元の人たちや学者をたくさん取材して、仮説を検証していく展開は、まさに謎解きです。よく考えると、田んぼや畑などはきっとどこも何世代も受け継がれているわけで、自分のまわりはどうなんだろうと興味もわきます。
ただ、千年以上も前から変わらない景色が残る貴重な見島でも、やっぱり過疎がすすみ、田んぼを受け継ぐのが難しくなっているという現実。

稲作文化の歴史を掘り下げて、日本の成り立ち、想像力を刺激してくれる本でしたが、これからの日本はどうなっていくのかも同じように考えさせてくれる本だと思います。おすすめです。

著者は離島の水田と古墳の関係を探りながらその歴史的価値をあきらかにしていく。 読んで思うのは、田んぼというものに、日本人はどれだけの知恵と技術と情熱を注いできたのか、ということ。 たぶん想像もつかない。 どんなに製造業がすごいと言ったって、千年分の知恵にはまるでかなわないわけだから。 でも、今やそれがだんだんに荒れ果て、土地によっては無機質なソーラーパネルがのっているわけで、あれを見たら古代人はどう思うんだろうか。 。 。 読んでとてもおもしろかった。 田んぼの泥なんかさわったことないという人こそ、読むべき本だと思う

おもしろかった。 稲の話が、古代朝廷の国防の話にまでつながる。 テーマがあちこち飛ぶけど、自分的には読み応えのあるよい本だった。 いま、農業は時代おくれだと思われて、働いている人も自信を失っている。 でも、そもそも食べモノをつくることがどれだけ大変で、大切なことだったか。 まさに命のつな、国力なのだ。 でも実は今だって同じで、自分たちが作らないだけで、田舎のお年寄りが作ったり、外国の人たちが作った食べ物を食べている。 そんなこといつまで続く? 1000年後も日本人は米を作っている? いろいろ考えさせられた

国境 上 疫病神シリーズ

疫病神の続編で、桑原・二宮コンビの北朝鮮を舞台にした大立ち回りが描かれています。北朝鮮元山におけるカジノ事業を餌にパチンコ店主だけではなく、暴力団組織からも金を詐取した、豊田商事生き残りのサギグループに対して、桑原・二宮が追い込みをかけていきます。

北朝鮮へ逃げたサギ師を朝鮮族中国人、在日朝鮮人、北朝鮮内のアウトローグループの助けを借りながら追い詰めていくストーリー展開は大活劇であると同時に、北朝鮮を扱う政治社会小説にもなっています。北朝鮮の政治ステム、朝鮮総連の役割などをリアルに抉り出してもいます。

とても良く調べてあります。ストーリーも荒唐無稽ですが、スリル抜群です。例の主人公同志の軽妙な会話の中にも、「国境は縄張りだ。力に応じて動く」というヤクザらしい解釈が語られとても面白かったです。

エンターテイメント小説としては秀逸だ。 北朝鮮を小説の舞台に選んだことに、この作家の並々ならぬ気概をみた。 実際のところ、北朝鮮の現状が豊富な参考文献を基に、リアルに詳細に描かれており、 数十冊の専門書を読破して得られる知識が、この小説一冊に集約されている。 本書は北朝鮮関連の学術書といっても差し支えないだろう。 しかし、人物描写にもう少し奥行きを持たせてほしかった。 登場人物が総じて、底が浅く、人物描写が型どおりで、軽いエンターテインメント小説の域をでていない。

黒川博行の本を読んでて思うことは言葉の応酬が面白い。 これが大阪人なのだろうか。 こう言ったらこう返すと漫才のようにクスッと笑わせてくれる。 だから、この北朝鮮を舞台にした場所でもシリアスな感じがほとんどしなかった。 でも、よく北朝鮮を舞台にしたなと感心した、詐欺師を追いかけてやって来た二宮と桑原がいつも監視員がそばについているこの国でどう立ち回るのかが想像できずに夢中になって読むことができた。 北朝鮮という国を垣間見ることができるしお勧めします。

紛争地の看護師

著者の白川氏は、国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres = MSF)、に所属する看護師である。白川氏の記述は率直で、息を呑むような悲惨さと、憤りを覚えるような戦争の理不尽さを描いている。経験した当事者のみが伝えることのできる真実だと思った。そして読者は、著者の崇高で勇気ある行動力に強い感銘を受けるのだった。世界にはこういう現実があって、それを救おうとしている多くの人々がいるのだ、ということを伝えてくれた白川氏に感謝したい。

ここで書かれている国々、即ち、白川氏が赴いたのは、シリア、南スーダン、イエメン、パレスチナであるが、実際にはもっと多くの国に行っている。

シリアには三回も行っていた。

中でもわたしが注目したのは、白川氏が南スーダンに赴任した時の話である。第一回目の南スーダンの紛争は、2013年12月16日に発生した。私は同国の首都・ジュバでJICAによる道路の維持管理の技術移転の仕事をしていて、12月15日は日曜日だったので自衛隊のPKOの隊員も交えてソフトボールをした後に、南スーダンではめったに入ることのできない自衛隊の風呂に招ばれてくつろいでいた。日記には、「風呂に入って気が遠くなるほど気持ちが良かった」と記してあった。翌朝16日には、副大統領派の兵士達が大統領派の兵士と銃撃を交わして、市内の一部は戦闘状態になった。私達の住むホテルには、銃や機関銃の音が聞こえていて、JICAからは外出しないように、との指示があった。すぐに日本国大使館から避難勧告が出て、日本人は民間や国際機関の飛行機で、私達の場合は12月20日に民間機で、割と悠々と、ナイロビに出ることができた。

12月20日にジュバを離れるまでの市内は、主要地点に兵士が検問していたものの、少なくとも日本人は、まったくと言っていいほど危険な事態に遭遇しなかったし、怖さも感じなかった。私は事件の起きた16日からマラリヤに罹ってしまい、18日には、治療のために診療所にも行ったが(技術移転を受けていた南スーダン人の護衛で)、既に銃撃戦は終わったような感じがあり、さすがに人影はまばらだったが、通常と変わらない町の様子だった。

話を元に戻すと、著者は2014年2月に地方都市のマラカルに行っている。私達が2013年12月に退避した後で、マラカルが政府軍と反政府軍の大規模戦闘の場になったということは聞いていたが、まさか白川氏がそのマラカルに行ったとは、という思いでその記述を読んだ。多くの日本人や外国人が12月に退避した後で、白川氏は戦闘に追われてきた人たちを助けていたのである。私達は日の丸の旗を背負っての国際貢献であるが、MSFの人達が国連軍からも十分な保護を受けられないままで、人命救助を命がけで行っていた様子がこの著作の中で生々しく語られている。

こういう方達が世の中に居る、ということを知るだけでも、自分が何をすべきか、何のために生きているのかを、改めて考えさせられ、そして勇気をもらう。頑張れMSF、という気持ちである。

5つ星のうち 5.0紛争地の医療の現実

(参考になった人 11/12 人)

国境なき医師団の手術室看護師として、数々の紛争地を訪れた白川優子さんが紛争地の医療の現実を書き下ろしたもの。
2010年に国境なき医師団に参加登録し、8年間に活動した紛争地は9カ国、特に難民を大量に出しているシリア・イエメン・イラクなど中東への派遣回数が多い。運び込まれる患者達の被害状況がすさまじい、病院すら爆撃の危機に遭う。手術中にチームリーダーから「撤退」の命令があっても、次から次に手術をしなければならい患者を見捨てることが出来ずに手術は続行される。
イエメンの山岳地帯では、空爆により診療所が崩壊し医療器具の使い回しさえ行われている。

「どう改善したらよいのか」途方に暮れる中、同僚から「だから私たちが来たんだよ」といわれる
パレスチナでは、パレスチナ民の封じ込め作戦の中、行き場の亡くなった若者達が、自らイスラエル兵に打たれに行く現実を知る。
医療という人の命を助けなければならない、もっとも根源的な人道支援の現場から見えてくる紛争地の様は私たちに戦争の無益・無意味さを伝えてくる。
この現実を知らせたい思いで、白川さんはジャーナリストの道へ進むことも考える。
しかし、その道は諦め、再び被災地・紛争地で看護師として活躍されている。
命がけの仕事を著わした白川さん。おそらく執筆という労力は、平時に行われ、本来であれば、激務を癒やさなければならない時期におこなわれたのだろう。帰国後の紛争地のフラッシュバック、PTSDに悩まされたことも告白している。しかし、あえて白川さんはつらい作業をのりこえ本書を著わした。白川さんの問いかけを私たちは受け止める事が必要だ。
紛争はなぜ起こるのか、紛争や戦争をこの地球上からなくしていこう。無関心は加担だ。

国境なき医師団って具体的にどんな活動をしているんだろう?
と、気になり、軽い気持ちで読み始めました。
わたしが見て見ぬふりをしてきた現実と、そこに飛び込んでいって一人一人の傷口をふさぎ、笑顔を取り戻そうとしている白川さんたちの姿が描かれていました。
国境なき医師団の活動内容はもちろんのこと、派遣先の国々の歴史や現在の様子、そこにいる人々、そこで交わされた言葉、白川さんがどのようにして国境なき医師団に入ったのか、その時々の白川さんの心境
それらがわかりやすく簡潔に書かれています。


白川さんは特別な人だ、わたしは無力だ、と線引きをするのではなくて
わたしにはなにができるのか?
と、もっと真剣に考え、実際に行動を起こしていきたい、と思いました。
ひとりでも多くの方に読んでほしい本です。

村上春樹の100曲

5つ星のうち 5.0DJ村上クロニクル

(参考になった人 4/4 人)

村上春樹がラジオのディスクジョッキーをすると聞いて頭にクエスチョンマークが浮かんだ人は2種類に分かれると思う。作家がDJをすることへの疑問がひとつ。そして今回が初めてのDJという事実に対して抱く意外さだ。軽いハルキストを患う筆者に向けられた家人の反応は前者であった。もちろん熱心な読者であれば村上春樹が小澤征爾が驚くほど「正気の範囲をはるかに超え」る音楽愛好家であることは周知の事実である。なにせ作家になる前はジャズバーのマスターだったのだ。DJをしても不思議ではない。

村上春樹の描く小説世界において音楽は重要な要素を占める。

単なる小道具やBGMにとどまらず、なんらかの意図のもと作家に選び取られた楽曲群は登場人物の運命を暗示し、新しい世界へと導き入れる。創作過程における作家の任務はターンテーブルを回しプレイリストを調合するDJにもたとえられるだろう。
本著は2010年に刊行された「村上春樹を音楽で読み解く」を改題し全面的に手を加えたもの。ジャンル、年代別に100曲を厳選し、各分野の評者がそれぞれ20曲を解説する。最新長編「騎士団長殺し」まで網羅する作品別の楽曲リストもファンにはうれしい。

“80年代以降”“ロック”“ポップス”“クラシック”“ジャズ”に章立てされた内容を読み進んでいくと、ジャズの章に入ったとたん選曲がマニアックになることに気づく。これは評者・大谷能生のセレクトによるというより村上春樹自身のセンスに負うところが大きい。たとえば「国境の南、太陽の西」に登場するデューク・エリントンの「スタークロスト・ラヴァーズ」は数あるエリントンナンバーのなかでは比較的地味な部類だが、小説の発表当時、国内盤のCDは発売されておらずアナログで探すしかなかった。またナット・キング・コールの歌う「国境の南」は音源そのものが存在しないなど。たちが悪いのは(ほめ言葉です)、それらの楽曲が単純にマニアックなだけでなく、曲のテーマや音源がないという事実そのものが小説世界を構成する重要なピースになっていることである。

小説に音楽という位相の異なる表現を持ち込むことの効用は意味の多義性と文脈の立体化に集約される。人物の内面に傾倒せず文体に語らせる作風で音楽は登場人物の外側から物語を駆動するボイスとして機能する。ゆえに村上春樹作品において文芸批評的な“構造に還元する”解釈を行おうとした場合、音楽に対する分析を避けることはできない。そのありようはヒップホップでサンプリングされた音源からアフロアメリカンの歴史と文化を理解することに似ている。どちらもレファレンスがメタファーの役割を兼ねている。

リスナーとしての作家自身について言えば、言語感覚をベースに楽器の響きや演奏者の個性を聞き分ける聴取方法はジャズリスナーのそれであり、クラシックやロックでも同じ姿勢が貫かれている。
本著で紹介された楽曲の多くは執筆の途上で折に触れて作家が耳にしたものであり、DJ村上春樹によるターンテーブルの年代記ともいえるだろう。
5人の評者によるレビューには作品への愛があふれ、つかみどころのない小説世界を異なるカッティングで切り取る。なかでも、時系列の錯綜するパラレルワールドを音楽との関係から解き明かす大和田俊之の仕事は本著の白眉である。

「海辺のカフカ」で旅に出る主人公はレディオヘッドを聴いていた。レディオヘッドのボーカル、トム・ヨークは「ねじまき鳥クロニクル」の影響を語っている。小説世界の入口を開く音楽が現実を経由して新たなストーリーを立ち上げる。反転する現実が生み出すパラレルワールド。そこには音楽が鳴っているのだ。

村上春樹氏のファンである事はもとより目次にサザンやB'zの曲名があり、私は両アーティストのファンでもあるので「え、作中にこの曲出てたっけ?」と思いつつ購入しました。
そしたら「アーティストの名前だけ作中に出てました。曲目は代表曲にしときますね。」という事でした。しかも作中ではかなりぞんざいな扱いを受けているので、「ま、(村上春樹氏は)興味ないんでしょうね(笑)」という感じで締めくくられています。
いや、じゃあなんでわざわざ取り上げたんだろう?
作中に出たアーティストは全て取り上げますという方針の本でもないのに。


というか、村上春樹氏が興味ないアーティストの、作中で曲名が出てもいない曲を含めて何が『村上春樹の100曲』なんだろう?含めないでくださいよ。

村上春樹氏にぞんざいに扱われるだけならともかく、それをわざわざ取り上げて本に載せる必要なんてありますか?
しかもちょっと小馬鹿にした感じで。
本の素材として使うなら素材となるアーティストには敬意を払うべきではないでしょうか。
他通販サイトのジュンク堂書店福岡店スタッフの書店員レビューによれば、「サザンオールスターズもB`zも村上春樹作品には登場します。」だそうです。
少なくともそうやって「サザンやB'zの名前を出してこの本に興味を持ってもらおう!」みたいな宣伝手法をやっていい内容では絶対にありません。
村上春樹氏関連では邦楽はスガシカオさんだけで十分じゃないですか。
まあそのスガシカオさんに関する項も、既に他の著者の方々が散々解説してきた内容の焼き直しみたいな解説でしたが。

自分はクラシックにはとても疎いので、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でリストが取り上げられて初めて調べて聞いてみた
本書を手に取る方は似たような経験をした人が多いのではないでしょうか?

結論から言うと、本書で曲やミュージシャンを知るきっかけにはなります。
ただ、ある程度の知識を持った人にはプラスになるでしょうが、ほとんど知識が無い方にはちょっと厳しいかと思います。
「コレをきっかけに調べてね?」くらいなものでしょうか。
まあ、春樹作品の読者は置いてきぼりを喰らうのは慣れっこなので、どうってことはないレベルですが。



で、最も面白かったのは曲紹介ではなく「あとがき 座談会」(笑)
言いたい放題な感じですが、最近の春樹作品に感じる冗長さとマンネリズムを的確に表現しています。

他の方も指摘しているアルファベット表記がないのは確かに痛いです。
基本、右開きの縦書きなのに、巻末にわざわざ曲リストを左開きの横書きで載せた意味がないでしょう。
ここで資料的価値を大きく損なっているのが勿体無いなあと思いました。

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