台湾角川のまとめ情報

台湾角川』の解説

台湾角川股份有限公司(たいわんかどかわこふんゆうげんこうじ)は、日本の出版社KADOKAWA台湾における現地法人。通常は「台湾角川」ないし「台角」の略称が用いられる。本社は台北市に所在。

沿革

1999年4月、角川書店・第一勧業銀行(現みずほ銀行)及び現地の大手印刷事業者である秋雨印刷が共同出資して設立。但し、現在はKADOKAWAの出資比率は21%に留まっている。代表者は角川歴彦

概要

台湾角川』に 関連する人気アイテム

この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡

根本中将による義の行動が、現在にまで至っているとは知らなかった‼️台湾海峡が日本にとっての生命線である、シーレーンに直接に関連することであることを考えれば、真に日本を守るために闘ったひとりの日本人、真のサムライの物語だろう‼️本書は、門田隆将氏の精緻な取材・執筆活動の結実であり、日本と台湾の密接な関係を知ることができる良書のひとつだ。金門島は、大陸の目前2km、廈門(アモイ)市も目の前だが、台湾より180kmもの距離がありながら現在でも台湾領である。その金門島を、根本博元中将が「厦門は捨てて、金門島を守る」よう蒋介石の軍に強く進言。

蒋介石率いる中華民国軍(台湾軍)がその結果、防衛に成功。それ以来、中華民国(台湾)が一貫して統治下においている。

その根本博中将は、内蒙古の司令官として、1945年8月15日、玉音放送に続き、「自らの身を賭して在留邦人を守る」ことを放送で知らせた。武装解除はせず、四万人にのぼる在留邦人と35万人の将兵の救出を決意した捨て身の勇気と英断だった。

それに比べ、隣りの満州の関東軍は、武装解除命令に、唯々諾々と従い、何十万人もの同胞を、不実なソ連軍の傍若無人ぶりの犠牲者にしてしまった。「形だけの忠節」に堕した隣の関東軍との違いを想うと、犠牲の歴史が痛々しい。根本博中将が「陣地に侵入するソ連軍は断固撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う」と言明。

武装解除を拒絶して闘った際、蒋介石の国府軍から受けた恩義に報うため台湾に向かったのだった。これらの詳細が半世紀以上を経て明かされる。これが日本人の生きざまか、と感動した‼️

金門島の激戦から50周年記念の追悼式典で馬英九総統が、根本元中将の訪台に尽力した人たちの家族に、親しく言葉をかけた逸話にも心から感動する‼️

軍閥、極右、報道の偏向性、優柔不断、色々な点で他を批判する文章は多い。 本書は一切を批判することなく、日本人の誠、志を脚色なくストレートに読者に伝えてくれる、巻紙に書かれた文を一気に読み終え、誠の士の死に様を魂に刻みつけてくれた。 作者には感謝しかない。

5つ星のうち 5.0ぜひとも映画化を

(参考になった人 0/0 人)

金門島の戦いは、まさに奇跡のなせる業。 しかしてその実態は無敗の将軍の緻密な 作戦のなせる業。 来年は70年。 ぜひとも映画化を期待したい。 60周年の時は フジテレビがドキュメントとして放映したのだから、可能と思う。

この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡

根本中将による義の行動が、現在にまで至っているとは知らなかった‼️台湾海峡が日本にとっての生命線である、シーレーンに直接に関連することであることを考えれば、真に日本を守るために闘ったひとりの日本人、真のサムライの物語だろう‼️本書は、門田隆将氏の精緻な取材・執筆活動の結実であり、日本と台湾の密接な関係を知ることができる良書のひとつだ。金門島は、大陸の目前2km、廈門(アモイ)市も目の前だが、台湾より180kmもの距離がありながら現在でも台湾領である。その金門島を、根本博元中将が「厦門は捨てて、金門島を守る」よう蒋介石の軍に強く進言。

蒋介石率いる中華民国軍(台湾軍)がその結果、防衛に成功。それ以来、中華民国(台湾)が一貫して統治下においている。

その根本博中将は、内蒙古の司令官として、1945年8月15日、玉音放送に続き、「自らの身を賭して在留邦人を守る」ことを放送で知らせた。武装解除はせず、四万人にのぼる在留邦人と35万人の将兵の救出を決意した捨て身の勇気と英断だった。

それに比べ、隣りの満州の関東軍は、武装解除命令に、唯々諾々と従い、何十万人もの同胞を、不実なソ連軍の傍若無人ぶりの犠牲者にしてしまった。「形だけの忠節」に堕した隣の関東軍との違いを想うと、犠牲の歴史が痛々しい。根本博中将が「陣地に侵入するソ連軍は断固撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う」と言明。

武装解除を拒絶して闘った際、蒋介石の国府軍から受けた恩義に報うため台湾に向かったのだった。これらの詳細が半世紀以上を経て明かされる。これが日本人の生きざまか、と感動した‼️

金門島の激戦から50周年記念の追悼式典で馬英九総統が、根本元中将の訪台に尽力した人たちの家族に、親しく言葉をかけた逸話にも心から感動する‼️

軍閥、極右、報道の偏向性、優柔不断、色々な点で他を批判する文章は多い。 本書は一切を批判することなく、日本人の誠、志を脚色なくストレートに読者に伝えてくれる、巻紙に書かれた文を一気に読み終え、誠の士の死に様を魂に刻みつけてくれた。 作者には感謝しかない。

5つ星のうち 5.0ぜひとも映画化を

(参考になった人 0/0 人)

金門島の戦いは、まさに奇跡のなせる業。 しかしてその実態は無敗の将軍の緻密な 作戦のなせる業。 来年は70年。 ぜひとも映画化を期待したい。 60周年の時は フジテレビがドキュメントとして放映したのだから、可能と思う。

アメリカの鏡・日本 完全版

5つ星のうち 5.0アネゴの心配

(参考になった人 2/2 人)

本書の記述で興味深いのは、引用符の使い方です。
英語圏には、顔の両側に両手でVサインを作り第2関節から先を屈伸するしぐさがあります。“ ”をかたどったもので、エアクオートとかいうらしいのですが、発話のタイミングでそのしぐさをすることで、日本語でいう「括弧付きの何々」という言い方と同じ機能をするものです。
言葉の意味を強調したり皮肉を表わしたりするのですが、本書はエアクオートふうの引用符が頻用され(見た目は「 」ですが)、文章に躍動感を与えています。

本書は、パクス・トクガワーナを高く評価します。

また、豊臣秀吉による朝鮮侵略を、同時代のスペインなどによる拡張主義的な侵略に比べればかわいいものだと言います。
戦時中の米国では大日本帝国が“歴史的に侵略的な民族”だとする反日プロパガンダが行なわれていたようで、その反日プロパガンダのナンセンスさを歴史的に明らかにする目的で、秀吉の朝鮮出兵の影響を矮小に、パクス・トクガワーナを過大に評価するというレトリックです。

しかし、明治以降の近代日本について本書は、帝国主義に感染した国家として捉えます。
もちろん感染源である欧米列強についても本書は厳しい目を向けますが、明治以降の近代日本を“凶暴で貪欲な”帝国主義的略奪国家として捉えます(引用符がいい味を出しています。「凶暴で貪欲」は米国による反日プロパガンダからの引用らしいのですが、それがそのまま米国に向けられています)

近代日本は、欧米列強が教える帝国主義の勤勉な生徒だったわけです。日本は帝国主義に感染することによって生き延びました。
しかし、本書が見落としている大きなフレームがあると思います。欧米にはギリシャ哲学の分厚い背景があります。アリストテレスなくして自然科学はなかったという意味でのギリシャ哲学の伝統です。
ギリシャ哲学は認識論の基本に質料と形相の2つのレイヤを設けます(哲学者廣松渉の言葉を不正確に借用すれば二肢的な構造。梶井基次郎「筧の話」の主人公が体験する、可視世界に重なる不可視の世界)
本書はギリシャ哲学の伝統があまりに当然である文化の中で書かれたために、近代日本も当然のことにギリシャ哲学の背景の上に帝国主義を受け入れたものとしているように見受けられます。
しかし、近代化を急ぐ日本が受け入れたのが実利一辺倒の(ある意味、凝縮された)帝国主義であったことは本書も指摘しています。近代日本が学んだのは「領土の併合、あるいは力による経済的優位の獲得も、超大国がつくり出したルールに従って『合法的にやりさえすれば』正当な行為と見なされる」という、テクニックとしての「合法的術策」だったと言います(p287)
日本は欧米の複写というよりは、むしろある意味、欧米以上に欧米的だったのかもしれません(ただし、アニミズム、自然との一体感というコスモロジーを日本人は持っていました)
「日本は1895年以来、西洋列強とみなされてきた」(p290)と、皮肉な注を本書は記しています。1895年は日清戦争に勝った年です。

本書の歴史的考察は、近代日本は帝国主義において欧米と同じ歴史的罪を負っているという視点が基本になります。
本書が描く構図は{欧米・日本}vs{植民地・アジア}です。決して{欧米}vs{日本・植民地・アジア}ではありません。
つまり、帝国主義において欧米も日本も悪いのです。その前提があって初めて、日本を同じように悪い欧米が裁くことのはおかしいという認識が生まれてきます。
ただ、本書の主題は米国の占領政策の批判ですから、コントラストを付けるため勢い欧米にはマイナスに、日本にはプラスに利くデータを使います。自分の主張に都合のよいレトリックを使っている印象は否めません。

本書の最初の日本語訳(原百代訳)は『アメリカの反省』と題されたとのことです。マッカーサーは日本語訳の出版を禁じたようです(内容自体も不都合な上、誤読の可能性も大きい。また、玉砕や特攻を「ヒステリーと絶望の結果」と言ったり満洲“独立”を「法的擬制」とする指摘は、屈辱を忍んでいる国粋主義者の心情を逆なでするもので、米国人に対する刃傷沙汰を誘発するかもしれない)
ソフィア文庫の邦題は『アメリカの鏡・日本』。
日本語として、しっくりきません。助詞「の」は所有や所属のときに使うと思うのですが、占領下とはいえ日本が米国に帰属するというのは言い過ぎで変です。訳題として日本が米国に隷属していた事実をことさら強調する必要があるのでしょうか。
字は違いますが、「鑑」なら「係長の鑑」「自衛官の鑑」など自然に使えます。
本邦題はその意味ではないはずです。でもアメリカ「のカガミ」という音の響きは、あたかも日本がアメリカにとってのロールモデルであるかのような印象を暗黙のうちに与えます。それは本書の趣旨を全く誤解させるものです。

ところで、本書が1948年に刊行されたことは意味深です。
その頃マッカーサーと米国政府の亀裂が深まり、何か手を打たねばならないという状態だったのではないでしょうか。1948年はマッカーサーが大統領予備選出馬を表明した年でもありました。
国務省のケナンがマッカーサーの所に来たのは、いわばネコの首に鈴を付けるためでした。
ケナンは「東西冷戦だから、日本の非武装・民主化政策は転換すべき」という米国政府の意向についてマッカーサーの同意を得ようとしますが、マッカーサーはそれを一蹴します。マ元帥は非武装・民主化という、書生っぽい、青臭い考えで占領を進めたかったようです。
マッカーサーは米国陸軍の元帥であると同時に連合国軍最高司令官でもあるという地位を使い分け、トルーマンにとっては扱いづらい部下だったようです(とはいえ、マ元帥は日本でこそネロでしたが、トルーマンにとってはポンテオ・ピラトでした)
穿って考えれば、占領政策批判には刺客としての意味もあったのでは?(マ元帥が大統領になれなかったのもそのせい? まさか)
もっともマ元帥は朝鮮戦争で考えを変え、日本の武装化を目指します。が、メンツからでしょうか、軍隊ではなく警察の強化だと言いました。憲法とは関係なく、自衛隊はそもそもの生い立ちから曖昧な存在だったのです。

本書は、欧米列強は日本と同じくらい悪い、その欧米列強が善人ぶって日本を裁くのは筋が通らないと主張します。あたかも映画「けものみち」(1965年・須川栄三監督)のように、たった一人の善人も登場しない世界です。
そんなのは嫌だ、このままでは米国も日本もだめになると本書は言うのですが、今のところ。日本も米国も生き延びています。人口こそ減りましたが、それは本書が懸念した占領政策の失敗が原因ではありません(むしろ成功しすぎて米国流格差社会のミニ版が出来上がったから?)

「民主主義、民主主義って、キレイゴト言ってんじゃないわよ。自分の顔、よォっく見てごらん、この鏡で」ってアネゴが言ってる本。
アネゴは「私たちの外交政策の指導者(ほとんどが職業軍人とザイバツ)は、力と栄光の夢にまどわされて、日本軍部がアジア支配の妄想にとりつかれたように、現実が見えなくなっている」(p449)と心配します。
そこでアネゴは、本書を書きました。

ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』(原題=Mirror for Americans: JAPAN)を読み終えた。
本書カバー裏に、著者が1900年生まれで没年が1989年としてあった。
本書が書かれた1948年(昭和23年)には、まだ蒋介石と毛沢東が覇権を争っていた時なのである。
本書刊行後まもなく毛沢東が中華人民共和国を建国し、その後朝鮮戦争が勃発したことなどを、著者はどのように眺めていたのだろう。
著者は、1989年没だから、ひょとしたらベルリンの壁崩壊も知っていたかも知れない。


これらの因果関係を考えると、米英が日本を敵視し、ソ連を味方にした結果であるのは歴史の皮肉だろうか。
本書を貶めるような言葉かもしれないが、短く卑近な言葉で要約すれば、戦争も「喧嘩両成敗」という論理を語っているようである。
勝てもしない喧嘩を買ってしまった日本が本当に情けないと感じてしまったのですが・・・。
ヘレン・ミアーズという歴史学者の歴史というものに対しての平衡感覚には感動すら覚えてしまった。
本書が昭和23年(1948年)に書かれたのが信じられない気持ちで感銘深く読み終えたのです。

戦前の日本を弁護する向きがこの本を紹介していたが、これはそのような本ではない。
欧米と同じだといってるだけで、日本が悪いなら列強も悪いし、アメリカが正しいなら日本がやったのも同じことだと指摘している。
要するに、連合国が日本を指弾するのは偽善だと指摘しているだけだ。

倫理的にどうのと繰り返すので、議論の進展が非常に遅い。
同胞への警告や論難を繰り返すのはポジショントークに見えても仕方ない。
誰をどうさせたいのか分からない。聖人君子になれと言っているのか、公正なルールの中でゲームをしろと言っているのか。


現実問題として、建前と国益のバランスを取り続けることだけが、現実的に人間ごときに到達できる解なのではないか。
と言うところも含めていい味だと思うが、グジグジと話が長い。惜しい。前半の紀行文が後半に無くなるのも残念。

盧溝橋以来のアメリカの態度についてまとまっているのは、調査の起点としてとてもありがたい。

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