共和制のまとめ情報

共和制』の解説

共和政(きょうわせい、)は、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体で、政体のとる制度を共和制(きょうわせい、)という 。現代の一般的な定義では、「君主ではない元首を持っている政体」「君主制ではない政体」である。

共和制では政府の大半の意思決定が元首の裁量によらず制定を参照して行われることから、現在では君主制は共和制では無いとされる場合が多い。

語源・用法

英語で共和制や共和国を意味する「republic」の語源はラテン語の「res publica」で、「公共の事」との意味を持ち、更には「公共の政府を持つ国家」の意味で使用された。特定の個人や階級のためにではなく、全構成員の共通の利益のために存在するものとされる政治体制を指した。

制度を指す抽象名詞(共和制)も、そのような制度を持つ組織体(共和国)もともに「republic(リパブリック)」であり、用語上区別しないが、日本では通常、制度の場合は「共和制」、特に政体の場合は「共和政」、国家の場合は「共和国」と訳している。また思想の場合は「共和主義」である。それぞれの対比語は、君主制、君主政、君主国、君主主義である。

漢語の「共和」は中国史上の「共和」と呼ばれる期間に由来する。大槻磐渓の示唆により箕作省吾がその著『坤輿図識』(1845年)で「republic」の訳語として初めて用いた。

中国史の「共和」時代は、西周厲王が暴政を行って国人(諸侯と都市住民)に追放された後の14年間で、『史記・周本紀』によれば、宰相召公周公が共同して(共に和して)統治に当たったとされた。一方、これは誤りで、共伯和(共という国の伯爵の和という人物)が諸侯に推戴されて王の職務を代行したこと(『古本竹書紀年』の記述)からそう呼ぶという説もある。いずれにしても、中国歴代王朝が支配した歴史の中で、この時期は世襲の君主がおらず、有力者の合議による政治が行われていたと考えられていたため、「共和」の語が「君主のいない政体」を指すものとして用いられることになった。

概要

共和政とは、一般には君主を持たない政体であり、より正確には主権が君主以外にある政体である。このため多くの「共和国」は、君主制を廃止した形で成立し、その過程が革命と呼ばれた場合もある。

近代までは「共和政」や「共和国」という用語や概念は、明確な意味を持たなかった。しかしいくつかの国家政体は現在では「共和政」や「共和国」と呼ばれている。古代に共和制を取った共和政国家としては、アテナイなど一部の古代ギリシア都市や、インドのいくつかの国家があげられる。インドの古代共和制国家はガナ・サンガ国とも呼ばれ、有力者の集会によって指導・統治される国制を取っていた。紀元前6世紀頃から紀元前5世紀頃に北インドに割拠していた十六大国のうち、ヴァッジ共和国(リッチャヴィ国)やマッラ共和国、シューラセーナ共和国は共和制を取っていた。古代ローマは紀元前6世紀に王政ローマから共和政ローマに移行したが、変遷を経て、後世においてローマ皇帝と呼ばれる統治者による支配へと移行し、帝政に移行した。

ローマ帝国が衰退していく中、301年にはイタリア半島中部のティターノ山にキリスト教徒の一団が立てこもり、現存する最古の共和制国家であるサンマリノ共和国を建国した。中世に入ると、ヨーロッパでは神聖ローマ帝国の統治下にあるイタリア半島およびドイツにおいて、多くの都市国家が共和制を採用した。イタリア半島においては神聖ローマ帝国の統治権が弱く、各地に小領主や小都市国家が乱立する中で、共和制を採用する都市国家も多く存在した。ヴェネツィア共和国ジェノヴァ共和国フィレンツェ共和国などのように経済力を高め大いに繁栄した共和制国家も存在したが、ヴェネツィアを除いてはそれほど安定した国家体制を構築することはできず、フィレンツェのように国内の有力者が王となるなどして王制に移行する国家もあった。ドイツにおいては自由都市や帝国都市(帝国自由都市)は領主を持っていなかったが、神聖ローマ帝国の統治権の衰退とともに政体はそのままで独自性を高めていき、事実上共和制を取る国家となっていった。ただしこうした帝国自由都市の多くはナポレオン戦争時に独立を失い、近隣の領邦に併合されて、ブレーメンハンブルクフランクフルト・アム・マインリューベックの4都市以外は独立して存続することができなかった。ただし、やはり同様の帝国自由都市・帝国農村の連合に起源をもつスイス誓約同盟は結びつきを強め国家化しながら存続し、現代でもスイス連邦として共和制を取りつづけている。これ以外にも、ロシアにおいては北部の有力国家であるノヴゴロド公国が、君主として公がいるものの権力を持たず、貴族による民会によって国制が運営されていたために事実上共和制となっていた。このため、この国をノヴゴロド共和国と呼ぶこともある。ノヴゴロドの南にあるプスコフも、やはり同様の政治体制を取っていた。

近代以降では、まず16世紀後半に入るとネーデルラント北部の7州が連合して独立し、ネーデルラント連邦共和国を建国した。1649年には清教徒革命によってイングランドで王制が廃止されイングランド共和国が成立したものの、1660年には王政が復古された。1688年名誉革命では王政は継続したが立憲君主制の基礎が構築された。

民主共和制の成立

こうした共和制の歴史の転換点となったのは、アメリカ独立革命である。それまでの各国に比べ、アメリカ合衆国は制度としての共和制を明確に志向して建国され、後世に大きな影響をもたらした。また、それまでの共和政は貴族共和政の色彩が強く、民主主義と共和主義は対立する概念だったのに対し、アメリカは貴族が存在しなかったために民主制の色合いがかなり強い共和制となり、さらに新たに開拓された地域においてはより民主制が強化されていったため、民主制と共和制が結合されて民主共和政という新たな政体が生まれた。以後、共和制は徐々に他国においても民主制と結合していき、民主共和政は共和政の一大潮流となっていった。

ついで、1789年にはフランス革命が勃発し、フランスが共和制を敷いた。この共和政国家はナポレオン・ボナパルトが帝位につくまでの短い期間しか持続しなかったが、フランスおよび世界各国に非常に大きな影響を及ぼした。19世紀初頭にはラテンアメリカ諸国が相次いで独立戦争を起こし次々と独立していくが、シモン・ボリバルをはじめとする指導者の多くは共和主義を信奉しており、ポルトガルから王を迎えたブラジルと、独立時に一時帝政を敷いたメキシコを除くすべての国が共和制を採用した。その後も、とくに19世紀から20世紀中ごろにかけては各国で革命が多発して王制が廃止され、共和制が導入される国家が増加した。辛亥革命ロシア革命ドイツ革命などはその一例である。

またアメリカ独立革命では、君主制のイギリスから独立した形で共和制を採用した共和国が建国された。一方でそれ以外のイギリスの植民地の多くにおいては、イギリス国王を元首として推戴する形で独立し、立憲君主国として建国した。第二次世界大戦後のアジア・アフリカ諸国の独立においては、植民地時代に保護国間接統治として王政が残っていた国家を除き、ほとんどの国が共和政国家として独立を果たした。新たに王制を導入する国がほとんどないのに引き換え、王制を廃止して共和制を導入する国家は少しずつ増加しており、20世紀中盤以降は君主制国家より共和政国家のほうが国家数が多くなっている。21世紀に入ってもこの流れはわずかながら続いており、2008年にはネパールが王制を廃止して共和政国家となった。

国家が標榜する思想や宗教による共和国の分類では、社会主義国社会主義を標榜する共和国であり、多くの国は「社会主義共和国」や「人民共和国」を名乗り、プロレタリア独裁の立場から共産党による指導を定めた。

また1977年から2011年までのリビアは「大衆による共和国」を意味するジャマーヒリーヤを名乗り、イラン革命以後のイランは宗教指導者による指導を重視しイスラム共和国を名乗っている。

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周―理想化された古代王朝

まず最初に文句で申し訳ないが言わなければならない。
とにかく長文なので御許しを。

ここで本書レビューしている「美しい夏」や「スカラベ」という
トップ〇〇レビュアーというレッテルが付いている人達。

こういう輩は、専門外のくせにお役立ち度やレッテル維持
のために無理して読んで点数稼ぎしている典型でしょうか、
そのため全く的外れなことを言っていて参考にならない
レビューの見本です。見苦しい。

特に「美しい夏」というレビュアーは、
重要キーワードをポンポンネタバレするなど悪質。


この二人に対して順に抗議します。

◎まず「美しい夏」への抗議

感想を言うのが難しすぎて書く事があまりない全くの専門外だから、
とりあえず概略を書いたのでしょう。無知蒙昧な人のよくある行為です。
それとネタバレをするな!
後この人の感想を以下抜粋

私的感想
●知らなかったことをたくさん教えていただき、大変勉強になった。
●まことに、幼稚な連想で恐縮だが、「会同型儀礼」というのは、
会社の創立記念日パーティーのビンゴゲームで、社長からもらえる商品で、
「冊命儀礼」というのは、
昇進の時、社長室で手渡される辞令(物品はないが)のようなものかと思った。

⇒トップ〇〇レビュアーの感想なんてこんなもので、
点数稼ぎのためにやってる如何に参考にならないかがわかります。
こういう例えしかできない自分の学のなさ、レベルの低さを露呈しているだけです。

一番問題なのが次の意見

●編集者からは「できるだけ物語性を」という要望があり、
著者もその方向で努力したとする。しかし、これは実現していない。
「祭祀」の歴史という、現代では地味で馴染みの薄い内容であって、
スラスラ読める本ではない。

⇒自分の立ち位置すらも分かっていない素人が、
何故こんな上から目線で思慮の浅い物言いを出来るのか?
あきれ返ります(失笑)。
物語性の実現は著者なりにある程度は出来ていますよ(失笑)

宮城谷昌光氏の小説ようなエンタメ的なモノと勘違いしていません?
学術的な物語性というものだって存在しますよ。

例えば、本書の章、小タイトルや小見出しを抜粋すると
(本当はネタバレなので恐縮しますが、逆に多くの人への宣伝となれば・・・)

「創業の時代」
「農耕民、非農耕民-二つのアイデンティティ」
「殷周革命」
「「天命」を受けた文王」
「武王、殷を倒す-牧野の戦い」
「歴史から伝承へ」
「反逆する殷の遺民」
「諸侯ら統合する手段」
「受け継がれた殷の制度」
「南征に斃れた昭王」
「攻勢から守勢へ」
「追放された暴君」
「共伯和は簒奪者か」
「中興の光と闇」
「周王朝を取り戻す」
「玁狁との「百年戦争」」
「周の東遷」
「二人の王」
「小伯から覇者へ」
「覇者、斉の桓公と晋の文公」
「春秋の五覇」
「晋による覇者体制」
「縮小再生産される王位継承争い」
「天王の号」
「継承と変容」
「礼制と再編、孔子の登場」
「天子を称する諸侯」
「王朝の終焉」
「西周君と東周君」
「赧王の死と周王朝の滅亡」
「周の後裔」
「王莽は周公の夢を見たか」

など、挙げるとキリがないですが、
著者も言うように二つのストーリーライン(簡単に言うと軍事と祭祀)
で進めた内の軍事がまず中心にあります。
これだけ見てもワクワクするタイトルや見出しが多いと思います。
普通に歴史小説へも転用できるモノです。
それと軍事は、比較的に素人でも入りやすい内容と思います。

たぶんこの人の中では「祭祀」という
難しい概念ばかりが頭にあったのでしょうが、
祭祀ばかりが中心の話ではなくその大元にある軍事(戎)の流れが
バックボーンにあって、そこで祭祀(祀)の話をちりばめて
難しさを緩和させるという、著者の努力の跡が伺えます。
そして最後に孔子の話と後の世の時代の話に
持って行っているということで、
二つのストーリーラインは見事に完結しています。

この人、どこを見てどう読んでいるのでしょう?

あと「祭祀」の歴史という、現代では、
地味で、馴染みの薄い内容であって、スラスラ読める本ではない

⇒学術新書なので当たり前です。タイトルからしてもわかるでしょう。
小説のようにスラスラ読めるのならば、学術書の存在意義が問われます。
点数稼ぎのために背伸びして無理して読もうとするからですよ(失笑)
なら近づくなです。

少なくともこのレビュアーよりは素養のある編集者なりの
先入観や春秋の五覇が勇猛に活躍するような思い込みに近い
期待がかなり強かったと思いますが、
著者が安易に編集者のいいなりにならなかったことで、
本書が多くの読者から客観的に高い評価を受けることになったことが、
今回勉強になったことでしょう。

本書は、古代中国史ファンなどをはじめとする民間に
なかなか最新研究がコンスタントに降りてこない中、
大きく立ちふさがった闇や謎に光を当てた
確実に前進となる素晴らしい名著です。

◎「スカラベ」への抗議

まずこの人の感想も以下抜粋すると

でも最近の考古学的発見で掘り出された多くの甲骨文や青銅器銘文(金文)
からはその存在がだんだんに明らかになっている。この本はそのあたりの最近の知見を
教えてくれる。英雄豪傑は出てこないけれど西周に焦点を当てた当書は貴重である。

⇒初歩的知識もなさそうなあなたに貴重であるとそもそも判断できるのか?
何故それなら手に取って買ってまでしたのか私には分かりません。
チラ見して難しくて興味持てない本は私なら買いませんよ。
自分が研究者もしくは学徒でどうしても避けられない研究書物なら別だけど。
アマゾントップレビュアーの地位を守りたいからなんでしょうね(失笑)

金文をそのまま記述し、その訳文を書き、それから解説を加えるという構成だが正直
私のような素人にはきつかった。「新書ぎりぎりだね。<学術より>過ぎるでしょ。」
と、とりあえず率直な感想を書く。でも、それはこの本の著者が悪いのではなく、
私の周に関する基本知識がないためであることも付け加えておく。

⇒当たり前です。学術書であろうが著者や出版者にとっては、
新書は手に取ってもらえやすい一番大きなビジネスカテゴリーです。
ならなぜ読むのが苦痛なのに無理して買ったのですか?不思議。
そうです、あなたが悪いんです。

本格的な学術書は、素人が見たら文や図も現地中国の漢字だらけの
無味乾燥なモノもたくさんありもっと辟易しますよ。

著者はふたつのキーワード、祀(祭祀)と戎(軍事)を切り口として、

○ 政治軍事の主役は国王及び邦君から外地を治める諸侯に移っていったこと。
○ 東周人が西周の礼制を受容し理想化していったこと。

というふたつのストーリーを浮かび上がらそうと試みているようだが、なにしろ金文と
いう細かなピースを使っておおきなジグソーパズルの絵を作っていくのだから私なんか
ついていくのに精いっぱい。知らない漢字もたくさん出てくるし・・。なんとか読み
終えて、私のあたまに残っていることは著者の意図に反して次のことぐらい。

⇒確かに全く何もない素人には難しいでしょう。
ですが、予備知識や素養ががいくらかある人なら、
その難しい漢字を使った文章でも読み方に慣れており
すでにお気づきだと思いますが、このテーマの学術書
にしては、それでもかなり平易な文体やなじみやすい内容が多いと
感じられたことだと思います。
難しい漢字なんて読み飛ばせばいい。大事なのは読めることではない。
こういった書物に関心がある人は、何度も読んでいくうちに書けるようにまでなるんです。

この間抜けなお二人さんに言えるのは、
基礎的予備知識もおそらくないまま無謀に挑んで自分には難しいから
結果愚痴という返り討ちにあったような短絡的な発想。
じゃあ何故わざわざ買ってまで無理して読もうとするのか?
恥さらしもいいところです。
ただひと通り読んで「とにかくレビューしたいだけ病」なんですね。

こういうトップレビュアーの意見なんて本の良さの参考にまるでなりません。
たいしたことも書いていない。そもそも何のために本を読んでいるのか?
やはりレビュー点数稼ぎするために下心で読んでいるとしか思えない。
こういう人たちが跋扈していて情けない限りです。

せめて古代中国史の入門書「史記」を読んでから
もう一回本書を読んでみては?意識や理解がガラっと変わりますよ。
良くも悪くも「史記」です。それから「春秋左氏伝」や孔子の「論語」です。

難しければ陳舜臣氏の「中国の歴史」から入るとか。
今となっては情報は不正確ですが、
いきいきとしたわかりやすい文体で書かれていますので
入門書としては最適だと思います。

読んで損することはないです。今に通ずる教訓が盛り沢山。
あなた方の人格再形成や教養の一助にも。
出直してください。

宮城谷昌光氏のいいとこ取りを読んだっからって
楽に理解できると思うのが甘いです。
私も大学で中国史に近いことをしましたが、未だ未熟な学問の徒。
古代中国史研究を舐めないでいただきたい。

その点、リトルフェスタ島主というレビュアーさんは素晴らしいの一言。
ほとんどネタバレせずに、深い教養からくる論評が出来ていて清々しい。
本書にはない興味深いおまけまで解説して引き立たせてくれて頭が下がります。
レビューのお手本のような存在です。
圧倒的なお役立ち度見てもわかるように、わかる方にはわかりるんです。

◎そしてようやくここで私の感想を述べたいと思います
(ここまでお付き合いいただき恐縮です)w

正直ここまで来たかという印象。
中国当局は、まだ未公表の周原甲骨文や青銅器銘文(金文)
を多く所持しているだろうから、もったいぶらず出して欲しい。
これだけ文字記録を残すことで国家の体裁を整えていった殷周文化は、
他の世界では類を見ない程群を抜いた高度な文明であったのは間違いなく
、まだまだ研究によって分かってくることが無尽蔵に有り興味が尽きない。
それに引き換え今の中国は、先人達の偉業に泥を塗り続けており情けない。

断定的な物言いをする中国・台湾の研究者が多い中、
日本のこの若手研究者はいたって冷静な分析である。

ご本人のツイッターを見ていても、広い見地がありエンタメ情報もお持ちで、
こういった簡素でスマートさも感じられしかし大胆ななタイトルで
読者を引き込む文の進め方は、大御所研究者ではできぬ
さすが若手気鋭研究者の視点と切り口だと感嘆した。

やはり春秋後期戦国期以後に成立した歴史書は、
孔子の儒教といった思想権威のフィルターを強く受けていて、
古代の大歴史家司馬遷さえも抗えなかった。

参考程度にはなるが史実の補完という意味では、
同時代の一次史料である甲骨文や金文には敵わないし
その威力を本書で見せつけられた感じ。
所詮後代の二次史料。

ただし、甲骨文や金文では足りない情報を、
本書では戦国時代の楚が出土地と思われる竹簡(通称、清華簡など)等
も信憑性の高さから適宜一次史料と二次史料の間の意味合い
で補正的に引用されている。

周王朝を理解する上でこれまで限りなく史実に近く
貴重な史料であるとされてきた「詩経」、「春秋左氏伝」や「古本竹書紀年」
等も伝世文献の域を超えず色褪せた感があるが、
それでも比較研究で逆に見えてくることもあるので
やはりおろそかにはできない。

本書を読んでいて気づいたことがいくつかあった。
西周がなぜここまで数ある古代中国史でも先の時代である殷に比べても
はるかに長く謎であったかというと、宮崎市定の影響も多少はあろうが、
まずは発掘された考古学資料がこれまで少なかったため研究自体が進まなかったこと。
近年は文物が多く出土しているので急速に判明したことが多く、
研究体制がなかなか整わず追いつかなかった。
たぶん殷人と周人の性格、国家観の違いといった基礎研究さえごく最近だと思う。

殷は、占卜を常としたシャーマニズムの神権政治国家であり、
当然シャーマニズムのトランスと酒からくる酔いは親和性があり強く結びつく。
とにかく酒を愛した国家でありそのため気が大きくなっていたのではないか。
だから本来国家機密である占卜による大量の甲骨文字情報も
外部に容易に漏れる程のかなりおおざっぱな杜撰管理であったのかもしれない。

それに比べ周は酒により殷が滅亡したとも思っており、
その教訓も生かしより現実的な国家運営をした。
当然それまでに各地域の部族と情報のやりとりをして
綿密な計画の元殷を追い詰めたのであるが・・・
それでも殷人の口から酒の影響で周に有利な情報がかなり漏れたのではないか。
だから周は、その経験から国家機密に関わる情報を統制し厳重管理したため、
あまり下にまで漏れなかったのではないか。
民衆には貴重な銘文が刻まれた青銅器なんて
まず一生見ることさえなかっただろうから。

この時代から礼制改革に伴って官職や軍など具体的な官僚機構
の発達萌芽が見え始める。殷はまだまだ部族性社会だった。

それと、後代の東周・春秋時代やその後に比べ
圧倒的に総人口や人の往来が少なかったことも予想される。
それは西周時代の周王室や各諸侯国が点のような都市国家であって、
国境同士が接する後の領域国家のように安定的な情報網も未発達だった。
そのため王朝や諸侯の情報は、限られたごく一部の人で管理されていた。
当然春秋時代以降の諸子百家ような民間での学術交流活動もなかった。
学者もいなかった。

だから孔子も、周公旦に一方的な憧れはあっても
民間伝承や思い込みに頼り、西周の礼制を正確には再現できなかった。
後の新王朝の王莽も孔子と然り。今の時代の500年前のことを知るのと、
当時でさらに500年前のことを知ろうとするのは、
全く意味合いが違うので仕方ないが・・・
春秋戦国当時の人でも、数百年前周が主役であった情報の少ない時代は、
既に馴染みのない伝説時代となっていたのだろう。

さらに言えば、周でも本家の殷に劣らず青銅器銘文も大量に生産されたわけだが、
後に春秋期以後発明された竹簡に比べれば、圧倒的にでかいし重い。
字を掘る加工も大変だ。それに比べ竹簡は安易に大量生産でき、
加工も容易だし載せる情報量も格段に違う。整理や持ち運びも容易い。

つまりは情報流通でも決定的な違いがあり、これが何よりも大きい。
だから東周・春秋期以後、民官問わず情報の扱いが爆発的に増えた。

それらの発達規模に比例して、ひいては後の厳密かつ長大な官僚機構を搭載し
強力な軍を保有した巨大中央集権国家秦・漢のような世界帝国に発展していった。

あともう一つ気づいたことは、これは私の推論の域を出ない雑感だが、
周が東遷しなければならなかった本当の理由は、
従来言われていた12代幽王が太子伯服と共に驪山の麓で
平王の祖父である申侯と異民族犬戎の連合軍に殺されて、
そのあと破壊されたであろう周都鎬京(宗周)一帯で陣を張った
携王勢力に混乱状況で追われるように平王勢力が洛邑(成周)へ東遷して
以後敵対したという流れであるが、
本書を読んだ上で実情はこうだったのではないか?

まず申侯と犬戎とのつながりは史記など文献史料で簡単な記述のみで、
今のところ考古学的つながりは見られないという。
本書では幽王と申侯と犬戎それぞれの対立争いは本来別個の事案で、
後に一緒にされたのではという。平王や携王それぞれの陣営にも、
その後明確なのつながりは見いだせない。

幽王在世当時、その最側近に虢(カクおそらく西虢)国の君主らが、
王室の権限を掌握するほどの権臣となって強大な力を有する存在となっていた。
虢も周の王都鎬京近くに存在し、衛星のような役割を有した。

幽王の祖父で晋に亡命して死んだ第10代厲王は、
晋の君主と昵懇だったことが金文からも分かっており、
厲王不在以後の王朝内で虢派と晋派(共に周と同族だが爵位では
虢が一つ上の最高位の公)による権力闘争が起き、
その延長上にあったことがまず東遷の遠因だったのではないか。
その後申侯との後継者問題が発端による幽王と諸権臣との分裂、
そこに重なるように起きた長年戦争相手の犬戎(後の匈奴のなど遊牧民族
ではない定住性も半分持った民族だと個人的には思っている)による王都侵攻。
あと考古学的にも証明されつつある関中平野で当時起きた大地震など自然災害。
などなど不測の王朝的危機が偶然集中して起きた。

しかし幽王死後のそれでも王朝内での混乱・権臣同士の対立は収まらず、
晋侯派が推す東の平王軍、虢公派が推す西の携王軍に別れ戦乱は続いた。

やがて携王は、前750年、晋の文侯に殺され西軍は瓦解、
そののち都市国家的小国の西虢は国内統一してさらに強大国化した晋に
前7世紀前半に滅ぼされることになる。
つまりは御印をそれぞれ掲げた一種の代理戦争だったわけである。

その後、西軍を滅ぼした平王は、20年以上経て祖先や自分達の故郷
周原や鎬京がある関中平原に戻ろうとしたが、そこに待っていたのは犬戎と同盟
(もしくは秦そのものが犬戎の一派で馬を専門に扱った集団だったようだ)
した強力な秦軍に占有されていて、彼らを追い払うほどの力も消失していて
結局戻って国土復帰することができず、
悲願を果たせなかったのが実情ではないかと私は推論する。
勿論、東軍、西軍、犬戎軍 三つ巴の状況だって考えられるが・・・
とにかく不明なことが多い。

周王が王室東西分裂による戦乱の功績で秦を旧王領に封じたのではなく、
いない間に乗っ取られたのが真相ではないかと紹介する本書に賛成だ。
もうこの時から周王室は自力では何もできないほど権威や実力は失墜し始めていた。
この過程は、まさに我が国の戦国大名に翻弄される室町将軍の姿に状況が似ている。

それとついでだが、歴代西周王の墓は関中平野では1基も見つかっておらず、
考古学的にも鎬京や豊京は都城遺跡としての残存状況が極めて悪いという。
私はこの旧王領を乗っ取った秦が、周王の権威を消すために東遷直後から
ゆかりのものを徹底的に破壊し、周王墓を取り壊した上に歴代秦公の墓を新たに建造した
のではないかと見ている。春秋時代初期から秦は、
天子を自称するようにもなっていたというので、後の子孫である始皇帝ならなおさらありうる話。
そのあとも楚漢戦争の過程で 一帯は戦火にあっていることも証明されているし。
もしくはあまり可能性と思うが、周王朝が国家機密たる王陵の建造を極秘裡厳重に進めたため、
現代の今も発見には至っていないとか。
いずれにせよ今後王陵や都の発掘可能性は、限りなく低いと個人的には感じる。

やはり多くの著書でも問題されているとおり、
西周滅亡から東遷再興の過程はよくわからないことが多い。
まあ、それより先に詩経、古本竹書紀年や、春秋左氏伝等
の書物の成立過程はもっと分からないのだが(笑)

最後に、本書を何度か読み終わった後でも、
疑問は沢山残るがそれが当たり前の古代史なので。
なんを少しだけ言えば、難しい字は初出だけではなく、
何度もルビを振ってもいいのではないか。
あともう少し分かりやすい図面を入れても良かったかも。
それでも驚きを持って夢中に読ませてくれた本書には大満足。
しばらく中国史から離れていた別の時代に興味があった人などにも
オススメしたいが、内容から史記の解説本くらいでも
今後いろんな本に躊躇せず出会うために読まれたほうがいいのかも。

考古発掘史料も多く出土する分、
幾歴の戦乱や盗掘で消失した文物もまた然り。
自分が元気なうちにどれだけの顔を見せてくれるのか、
次世代の研究者の成果に大いに期待したいですね。終わり

『周――理想化された古代王朝』(佐藤信弥著、中公新書)によって、周王朝の歴史と、この時代に活躍した多彩な人物たちについて学ぶことができました。

本書は、近年、陸族と発掘される金文と甲骨文などの当時の史料に基づき、周王朝の実像に迫ろうとしています。「金文」とは、青銅器の銘文のことです。

「周は、紀元前11世紀後半頃に殷王朝を倒すことで成立し、およそ800年後の前256年に滅んだ中国古代の王朝である。この間の時代は2つの時期に分けられる。前771年までの前半部を『西周』といい、動乱によって西周最後の幽王が敗死して以降の後半部を、『東周』と呼ぶ。

東周の時代はまた通常春秋期と戦国期とに二分される」。

西周では、太公望や周公旦などの建国の功臣、東周では、孔子、孟子、老子といった諸子百家、斉の桓公や晋の文公ら春秋の五覇などが、よく知られています。

「周王朝のあり方を示すキーワードとなるのが『祀(し)』と『戎(じゅう)』である。・・・『戎』とは軍事を指す。もう一つの『祀』とは『まつり』、すなわち祖先の霊や天神地祇に対する祭祀を指す。祀はまた政(まつりごと)に通じる。当時の祭祀儀礼は政治と一体化しており、主君と臣下、あるいは一族間の関係を取り結ぶという役割を担っていた。そのため、軍事とともに『祀』もゆるがせにできない国家の大事と見なされていたのである」。

孔子は、夢に見るほど周公旦に憧れる一方で、その周公旦が生きた西周の世を、『論語』に見えるように『郁郁乎文哉』(盛大で華やかである)と評価し、『吾従周』(私は周に従おう』と述べています。孔子とその弟子たち儒家は、自分たちが生きる東周の世に西周の礼制を再現しようとしたのです。「ただし、西周の世やその礼制を理想としたとはいっても、既に西周の滅亡より数百年を経ており(孔子が亡くなったとされるのは前479年、西周の滅亡よりおよそ300年後のことである)、西周の礼制を忠実に再現し、取り入れることができたわけではない。・・・儒家の提示した礼制とは、当時の東周の礼制に、彼らが西周のものと信じる要素(その中には本当に西周に由来するものも多少は含まれていただろうが)を加えて復古的なものに仕立て上げ、体系化したものだったのである」。

やがて時代は移り、「秦王政すなわち始皇帝の時代に、他の諸侯国も秦によって滅ぼされ、前221年に秦による統一が成立」します。

殷から周へ、周から秦へという、栄枯盛衰の歴史の流れを俯瞰できる一冊です。

中国古代史といえば史記のイメージが強いだろう。もしくは小説では司馬遼太郎や宮城谷昌光、あとは漫画にもなった封神演義だろうか。
これらは全て文字史料を元に作られたイメージである。
本書のテーマとなる周、それも西周は当時書かれたまとまった書物はない。
史記ですら数百年後の著作であり、諸子百家や五経の記述も当時の状況を反映してはいるがそもそも歴史を記述するための書ではないので扱いには注意が必要である。

となれば実態を知るには出土資料によるしかない。
本書では出土資料である金文の記述を元に祭祀を中心とした西周の礼制や政治制度の実態に迫ろうとしている。


類書もあまりなく、正直あまり注目されない時代を題材にした野心的な著作であると言えるだろう。
馴染みのない時代であるだけにすっと読めたわけではないし、史料の解釈も後代の「漢文」とはかなり様相が異なりわかりやすくはない。
それだけに出土資料を元した西周の実像が後代に美化された理想の礼制の時代ではなく、王と諸侯の緊張感を持った関係や時代ごとの礼制の変遷、周王朝の盛衰などの生の姿が浮かび上がっているように思える。

くどくはなるが、中国史の中でももっとも注目されない時代と言える西周についてまとまった書物は近年出版されていなかった。
中国史理解の空白を埋める書といって良いだろう。

興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国

わかっていたことだけど、『ローマ帝国』について一冊で何かを述べることが出来る訳無いのは仕方ないよね。 それでも、通史でもやはり面白さは伝わるし、新たな発見もある。 三頭政治のクラッスス、お前どっから出てきたんや?つうか誰や?って疑問について、一部なりとも回答が得られた感あり。 そして、どうしてもローマ帝国の終焉として受けとってしまう時期についても、地方には豊かな部分もあり、新しい時代の序章でもある。 そこら辺は気をつけたいなと。 長いローマ帝国の時代を経て、別々の世界は別々の世界に戻っていったと。

代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す

レビューで非常に高評価なので読んでみたが、抱いている疑問は解消されなかった。
かえってモヤモヤした(苦笑)。
一言で言うと、現場に即した議論ではなく、比較政治学的なエッセイの印象を受けた。

本書での論の柱のひとつとして「委任と責任の連鎖」で述べている「説明責任」については、残念ながらヴァン・ウォルフレン元アムステルダム大学教授が『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』でも繰り返し強調しているように「日本人には説明責任を求める習慣がない」と私見でも思う。


ゆえにそれが欠けた今の日本で「委任と責任の連鎖」の図式(図0-1)での説明は難しいのではないか?

また、一次情報(生データや大規模な公的な統計、などなど)をもとにせず、主観的な判断ですませているところが非常に多いと思う。
議会無用論については、例えば高橋亮平氏(中央大学特任准教授、NPO法人Rights代表理事)によると、地方議会の原案通過率は2002~2013年ではずっと98.7%越えであり、チェック機能が果たされていない。
著者も「地方自治は民主主義の学校」という言葉を引用しているが、その「モデルたるべき、学ぶべき場」と位置づけられている地方行政でもそうなのだから・・

むろん、議会に上がる前に担当部局が(国ならば担当省庁が)議員のキーマンに説明に出向く。
そこでのやりとりは当然あるはずだが、それは一般人には見えない。
そこでの議論は透明性も公開性も無く、議場に上がったときはすでに結論は決まっていて、パフォーマンス(出来レース)になりがちである。

なぜそれほど原案のまま通過してしまうのか。
本書ではあまり触れていないが、いまの大多数である職業議員は生活のために支持母体の意見を代弁し続けるという縛りがある。支持母体もむろん国民であるわけだが、組織票が政治を動かしていて、そこにつながっていない多くの国民は諦めを感じている(それも組織票側の戦略ではあろうが)。

例えば、ある地方議会で当落ラインが二千票であるとしよう。すると、その二千票を持っている組織(企業、組合、宗教団体などなど)からは代弁者が出せるし、その代弁者(代議士)によって自分たちに利益は来てなるべく不利益は来ないように期待するのが自然である。
更にそれを有利に強固にするために、会派や党が形成されている。

その中で、ある案件を成立させたいと思ったら、議員や会派は多数派工作を行う。それこそ政治でもあろう。「今回、こちらの案件に賛成してくれたら次回はそちらの案件に賛成する」という取引きである。
そしてそれは、議員(~会派)と首長(~担当部局)の間でも行われる。
なぜなら、議員は首長と正面衝突すると、議員の期待されている案件も成立しにくくなるからである。
そのために、地方議会はオール与党体制に近くなる。

国政では、既に結論が分かっていても野党は支持基盤の主張を少なくともアピールしなければならない。
それで国会でもパフォーマンスが行われ、心ある国民は残念に思う、ということが続いてしまう。

著者は冒頭で代議制民主主義および議員について、不信感が出てくる理由のひとつに議員の不祥事を挙げているが、トンデモな人はどこにでも少しは居るものであろう。
地方議会での原案通過率が極端に高いことを示したが、国政でも政府提出や与党提出の法案が通過する率は非常に高いはずである。寡聞にして近年それらが否決されたものをすぐに思い出せない。

著者は代議制民主主義を長年続いてきたことをもって擁護しているが、社会は常に変化し続ける。
ルソーが社会契約説を1962年に記してから250年余、日本で維新後150年に過ぎない。
しかもそのルソーは当時から「間接民主制は民主主義を形骸化する」と喝破していたのである・・
(ルソーは全否定していた訳ではなく、警告していたと捉えるべきかもしれないが)

そもそも選挙では、支持母体や公約や人物などを比較して、60点か50点かの究極の選択となる。100点の候補者は無いとしても、80点くらい付けられる候補者が欲しいものだ、、
また、選挙の際に選ぶのは「全権委任」しているわけではない。
全ての案件については不可能ではあるが、重要な案件や変更については、その都度情報の公開と市民(主権者)との対話があるべきである。

代議制民主主義の代替の一つとして「熟議民主主義」についてサラリとふれているが、もう少しエビデンスベースト ポリシーメイキング(evidence-based policy making: EBPM)も論じて欲しかった。

根回し、取引き、多数派工作は、政治には起こるものなのである。むしろそれが政治の本質とも言える。
ではそれだけに振り回されないようにするにはどうするか?

その有力な方法の一つが「根拠ある政策決定(EBPM)」であろう。「こうすればこうなる」という根拠を、合理的・客観的に示せる政策・施策が必要である。まずは政策形成に関わる人たちにその能力の向上を求めたい。
参考にするケースの因果関係をちゃんと分析して、本当に効果の予想される方策を作るべき。
その際、決定する因子としては、どれだけ多くの人がどれだけ切実に望んでいるかという民主的側面、その施策での負担や利益がどうかという経済的側面、そのほか環境的側面や将来のビジョンからみて妥当なのか、など多面的に考察されねばならない。
多面的というのは「総合的判断」というごまかしの言い逃れでなく、真に各方面から検討されたのちにそれらを包括して判断することである。

著者が論じているように、代議制というのは、ある程度民主的でもあるのだが、
著者も懸念しているように、民主的に偏重すると、ポピュリズムや衆愚政治になる危険もはらんでいる。
一方、熟議民主主義に専門家が関与すると専門家の牽引力が強すぎる恐れや、時間がかかりすぎるとしている。

それらを対症的でなく根本的に改善する方策としては、議論や対話によって他者の立場も理解できること、自分の頭で考えること、情報リテラシーを持つこと、といった、多くの長い歴史のある民主主義国で行われている教育(≒シチズンシップ教育)を充実させることではなかろうか。
自分の頭で考える、情報リテラシーを身につける、という事が要るだろうし、対話する、そして相互理解したり、第3案を考え出したりという相乗効果も得られるものとしてワークショップは有効性を示してきた。
更に、情報公開(透明性)、議論に参加したいと思った時には参加し得る仕組み(公開性)が前提だろう。

本書のレビューに、レビュー歴数冊のレビューアーのものがいくつかあるのも気になる。
現場で政治に直面した経験から見ると、殆ど現場に出たことがない先生の「講義ノート」的な話に感じる。

ツッコミどころばかり書いてしまったが、考える機会を与えてくれたところは有難い、というべきだろうか?
これらの疑問を解消してくれる著作を期待しつつ。(それには現場に立脚する必要があると考える)


最初に、本書に関連して、主要国における国会議員(下院)1人当たりの人口(単位は人)を見てみたい。まず、日本は475人の議員定数(以下同じ)に対して26万8000人、次に、英国は650人に対して9万8000人、イタリアは630人に対して9万6000人、ドイツは598人に対して13万5000人、最後に、米国は435人に対して72万2000人となっているようだ(2016/3/21付「北海道新聞」)。米国を除き、他の西欧先進国と比較し、日本は人口に対する議員数が突出して多いわけではない。にもかかわらず、我が国は、そうした国会議員を生み出している「代議制民主主義」というものに関する不信感などが根強いように思われ、それは国政選挙における投票率を見ても明らかであろう。

特に昨今、上は大臣から下は陣笠までの自民党国会議員の行状、言動を見聞きするとき、「政治」というものへの否定感、嫌厭感が増幅するのは間違いないところではあるのだが。

それはさておいて、まず当著の主題となっている「代議制民主主義」について、著者である待鳥聡史さん(京都大学大学院法学研究科教授)の解説を見てみよう。まず、本書の主題となっている「代議制民主主義」とは「民主主義の具体的な仕組みの一つ」(p.12)であり、この場合における「民主主義」とは、端的に言って「有権者の意思を反映した政策決定の方法」(同前)と措定される。そして、「代議制民主主義の下では、有権者が選挙を通じて政治家を選び、政治家が実際の政策決定」を行い、「政治家が決めた政策を実施するよう任されているのが官僚である」(同上)。この関係で大事な点は、《有権者→政治家→官僚》の「委任の連鎖」と、逆向きの「(説明)責任の連鎖」であろう。さらにもう一つ、近代民主主義の前提に「治者と被治者の同質性」がある。「この前提が、代議制民主主義の下での委任と責任の連鎖関係を正当化している」(p.13)と言ってよいだろう。

これらの前提などを踏まえた上で、待鳥さんは「代議制民主主義を自由主義的要素と民主主義的要素の組み合わせ」と捉える立場を取る。私たちは通常、「自由主義」というものと「民主主義」というものをコインの裏表として見ている。だが、本書を貫く論理は、それらの淵源の違いから導き出されている。例えば、「代議制民主主義」における「自由主義」とは、第4代アメリカ合衆国大統領であったJ.マディソンの多元的政治観に基づく権力分立の考え方(マディソン的自由主義)が起源となっているのだが、その意図は「共和主義」に代わる「多数者の専制」の抑止にあったことが背景にあったのである。他方、「民主主義」は、その内実はともかく、「議会がなくとも存在していた」のであり、議会と民主主義が常に等号で結ばれていたわけではなかった。従って、「自由主義と民主主義は、理想とする政策決定のあり方が大きく異なる」(p.19)ということも認識しておきたい。

こうした「代議制民主主義」における「自由主義的要素と民主主義的要素の組み合わせ」によって、「基幹的政治制度」としての「執政制度(大統領制・議院内閣制・半大統領制など)」と「選挙制度(多数代表制・比例代表制など)」の組み立てや色合いも、当然違ってくる。そこには「代議制民主主義においては元来、エリート間の競争や相互抑制を重視する自由主義的要素と、有権者の意思(民意)が政策に反映されることを重視する民主主義的要素の間に緊張関係が存在する」(p.123)からである。この「緊張関係」の影響や結果などについては、本書を熟読吟味願いたいと思う。ただ一点述べておきたいのは、待鳥さんが最後に結んでいるように「代議制民主主義の弱点を語ることはたやすい。だが、人類の巨大知的プロジェクトである代議制民主主義が持つしなやかさとしたたかさを知った上で、それを使いこなせることこそが、現代を生きる私たちに不可欠な政治リテラシーなのである」(p.256)ということだ。

国籍と年齢以外に要件を持たない選挙権・被選挙権に基づいて、広く平等に選挙された代表者による政治体制は、よく民主主義の典型的な事例として説明される。なかでも代表的なものが、議会である。しかし、本書で説明されるように、この選挙による議会という仕組みは、民主主義だけの論理では動いていない。
本書では、この点を「民主主義」と「自由主義」と対立として明晰に説明している。ゆえに、たとえば選挙制度を議論する場合に、それが民主的であればよいというものではなく、どこまで(自由主義を犠牲にしてでも)民主主義の側に寄せるか、または逆に、どこまで(民主的でない部分が出てくるとしても)自由主義を重んじるか、という議論が必要になる。

したがって、単純な「民意が反映されていない=ダメな制度」という議論から脱し、きちんとした議論をする上での基本を説明したものと言えるだろう。

ただ、内容がやや専門的であり、この分野をまったく勉強したことがない状態で読むにはわかりづらいかもしれない。少しかじったことのある人が、気合を入れて読むととても学ぶところの多い本だと思う。

徳の政治 小説フランス革命16

5つ星のうち 5.0よかった

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18巻長かった。 15巻まで読みました。 あと少しで全部読めます。

ジロンド派の興亡 小説フランス革命10

文庫本の第9巻まで発行されてから、しばらく続刊が出なかったので、 どんな話で中断いていたのか忘れてしまいそうになったが、読んでいて だんだん思い出してきた。 ロラン夫人が聞き、考え、話すことが中心になっているが、このへんの 書き方が面白い。 コミックのベルサイユのばら などでは愚鈍に描かれているルイ16世が、 ここではなかなかしたたかに描かれている。 まったくのバカでは、この 時代の王は勤まらないであろう。 この時代の歴史にも疎かったが、本書を読んで、だんだんわかってきた のもうれしい。 続編を読むのが楽しみである。

共和制』の解説 by はてなキーワード

世襲による君主又は選挙による君主が統治しない統治形態・政体。

君主制と対置される。

共和制』by Google Search

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