ラテン文字のまとめ情報

ラテン文字』の解説

ラテン文字(ラテンもじ、、、ラテンアルファベット)は、表音文字音素文字アルファベット)の一つである。ローマ文字ローマ字(、)とも呼ばれる。

文字を右書きで横に並べることで単語を表記し、単語間を分かち書きで区切って並べることで文章を構成する。それぞれの文字は子音か母音を表す。

今日、人類社会で最も解読者人口が多い文字である。

元来ラテン語の文字で、古くから西欧中欧の諸言語で使われているが、近代以降はこれら以外にも使用言語が多い。ただし発音の文字への表記方法は各言語ごとに異なっており、同じ綴りでも言語によって違う発音をすることはラテン文字においては全く珍しくない。英語など、古い時代に表記法が定められた言語においては表記と発音の間の乖離も大きなものとなってきている。

日本語における呼称

日本語で単に「アルファベット」と言うとラテン文字のことを指すことが多い。

ローマ字」はラテン文字の別名だが、日本語をラテン文字で表記する表記法もローマ字と呼ぶ。

基本26文字を英語の表記に使ったとき、「英字」と呼び、特に「英字新聞」という語でよく使われる。他の言語に対し同様の表現(「仏字」など)が使われることはまれである。

欧字」という表現が、日本工業規格(JIS)の規格票に見られる。

19世紀以前

本来は、ラテン語のための文字である。このため、ラテン語を公用語とするローマ帝国の勢力伸長とともにラテン文字の使用圏も拡大していったが、ギリシア語を使用する帝国東部においては文字もギリシア文字が主流となっていた。395年のローマ帝国の東西分裂後、東ローマ帝国はギリシア語化していったが、西ローマ帝国はラテン語を使用し続け、文字もラテン文字を引き続き使用していた。西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動などによって衰退していき476年に滅亡するが、この地域に侵入したゲルマン人たちはラテン語とラテン文字を行政言語として使用するようになり、やがて彼らの祖語であるゲルマン諸語もラテン文字によって表記するようになっていった。またこのころから力を強めていったローマ教会はラテン語を典礼用語としており、それを表記するためのラテン文字も西方教会圏全域に広まっていき、西方教会圏の諸言語を表記するためにラテン文字が転用されるようになった。こうして中世以降は、俗ラテン語に由来するロマンス諸語のみならず、西欧中欧西方教会カトリックプロテスタント)地域のほぼ全ての言語でラテン文字が使われるようになった。ゲルマン語派スラヴ語派の一部、バルト語派ケルト語派バスク語ウラル語族の一部などである。

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19世紀以降のラテン文字化

近代以降、西ヨーロッパの諸国が勢力を強めていき、19世紀には世界の大半を植民地化するようになった。この植民地列強はロシア日本を除きすべてがラテン文字の使用国であり、このためラテン文字は世界で最も使用される文字となった。この西欧の覇権の影響を受け、19世紀には西方教会圏の諸言語以外の言語においてもラテン文字を採用する言語が多く表れるようになった。このラテン文字化には、もともと文字を持たない言語が新たに文字を採用するものと、すでにもっていた文字をラテン文字に切り替えたものの2つのパターンがあった。

特に文字を持たない言語が新たに正書法を定める場合、ほとんどの場合ラテン文字が採用された。こうした無文字言語社会に積極的に接触する者にはカトリック・プロテスタントのキリスト教宣教師が多く、彼らは布教のために現地語のラテン文字表記の正書法および文法を整備したからである。ラテン文字が表音文字であり、各地の言語を表記しやすかったこともこの変化を進める一因となった。ラテン文字は文字数が26文字と他の文字に比べて非常に少なく、簡便であったことも導入を後押しした。もっとも文字数が少ないことは表記できる発音が少ないことと表裏一体であり、こうした発音を文字としてあらわすために各言語は新しい文字や声調記号などを新たに開発してラテン文字表記につけ加えるようになった。無文字言語のラテン文字化はアフリカオセアニアなどで特に広く行われ、多くの言語がラテン文字による正書法を定められるようになった。

ヨーロッパ以外の地域においてもともと文字を持っていた言語がラテン文字に切り替えた場合、多くは西洋列強による植民地化を経た地域の言語において行われた。こうした言語においてもカトリック・プロテスタントの宣教師によって各言語に相当するラテン文字表記の正書法が開発されたことは同じであるが、その後西欧列強の支配をうける中で支配層の言語であるラテン文字の表記が広まり、従来の言語においてもラテン文字で表記するようにしたほうが便利となったためである。ただし宗主国がラテン文字化を推進したわけでは必ずしもなく、インドやアラブ圏などのように植民地支配を受けても使用文字を変更しなかった地域も多い。

こうして近代以降にラテン文字に切り替えた言語には、インドネシア語ジャウィ文字)、ベトナム語漢字チュノム)、タガログ語(アラビア文字・アリバタ)、マレー語(ジャウィ文字)、スワヒリ語(アラビア文字)などがある(カッコ内はラテン文字化以前の文字)。この例外はトルコ語であり、オスマン帝国は植民地化を受けていなかったものの、これに代わってトルコ共和国を建国したケマル・アタチュルクが近代化を目指して使用文字の変更を決定し、1928年アラビア文字から置き換えられたものである。

またヨーロッパでも、18世紀以降になると西方教会地域でない地域においてもラテン文字化が一部で進められるようになった。ルーマニア語正教会圏であったためにキリル文字を使用していたが、18世紀以降民族主義の高まりによりラテン文字化運動が広がっていき、1859年から1860年にかけて正式にラテン文字が採用されることとなった。アルバニア語においてはラテン文字をはじめギリシア文字やアラビア文字など各種表記法が混在していたが、1908年にラテン文字による表記が正式に決定した。

旧ソ連地域におけるラテン文字化

ソ連の諸言語の表記は当初ラテン文字を採用していたものの、1940年にキリル文字が採用され、ソ連内の多くの言語でキリル文字が使用されていた。しかしソ連崩壊後、これら諸言語のいくつかにおいてふたたびラテン文字を導入する動きか活発になった。ウズベク語トルクメン語アゼルバイジャン語では、ソ連初期にアラビア文字からラテン文字に切り替えられ、その後1940年にソ連政府の言語政策の変化によりキリル文字に切り替えられたが、ソ連崩壊後、ウズベク語・トルクメン語においてラテン文字表記の導入が決定され、再びラテン文字への切り替えが進行中である(ただし以前定められたものと同一ではない)。モルドバ語においても同様にラテン文字から1940年にキリル文字化されたものの、1989年には再度表記をラテン文字に改めることが決定され、ふたたびラテン文字使用国となった。カザフスタンにおいてはソ連崩壊後もキリル文字の使用が続いてきたが、同国のヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は2017年4月に、カザフ語の表記をラテン文字に改め、2018年には学校教育においてラテン文字の使用を開始し、2025年には完全にカザフ語表記をラテン文字に移行することを表明した。

日本におけるローマ字論

日本においても、漢字廃止論の一環としてのラテン文字化、いわゆるローマ字論明治時代初期から唱えられており、第二次世界大戦後には、1946年の第一次アメリカ教育使節団報告書によって、漢字・平仮名片仮名を廃止し、日本語表記をローマ字表記に一本化することが提言された。

これを受け、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のもとで「日本語表記は複雑であるため識字率が低く、識字率を高めるために簡便なローマ字表記への切り替えが必要」との意見が強まり、実態を調査するため1948年に全国各地で文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)とGHQの共催による漢字テストが行われた。しかし、その結果はGHQの予想とは異なり、識字率はほぼ100%に近いという結果が出たため、このローマ字表記化計画は頓挫、事実上撤回されることになった。

他文字使用言語のラテン文字表記法の成立

独自の文字を使用する言語でも、ほとんどはラテン文字による表記法が確立されており、借用語略語などでもラテン文字を用いることが多い。日本語においては、1867年にアメリカ人のジェームス・カーティス・ヘボンがヘボン式ローマ字の表記法を考案し、さらに1885年田中舘愛橘日本式ローマ字を考案、さらにこれを発展させて1937年に発表された訓令式ローマ字があり、実際には訓令式とヘボン式の二つの表記法が並立している形となっている。訓令式は一字または二字で多くの音を表記できるため使用しやすい一方、英語の発音からやや離れた表記となっており外国人からは正しく発音されにくいという欠点がある。となっており外国人からも正しく発音されやすい半面、表記が長くやや使用しにくい面がある。文部省は1954年に訓令式に基づいた「ローマ字のつづり方」を定め、事情がある場合に限りヘボン式での表記を認めるというスタンスを取った。これに沿って、日本の教育現場においては訓令式での表記を教えている。しかし実際のローマ字表記は外国人にわかりやすいヘボン式での表記が圧倒的であり、統一を求める声も上がっている。

成立

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イタリア半島に、ラテン人と呼ばれる部族 (後にローマ人と呼ばれるようになる) が棲みついていた。紀元前7世紀頃、ラテン人はやはりこの地に棲みついていたエトルリア人 (紀元前1千年紀イタリア中部に棲みついた) とギリシア人から文字を採り入れた。

古ラテン語の時代に、このふたつの種族から文字を採り入れる際に、ラテン人は西方ギリシア文字クマエ文字)のうち4字を捨てた。また、エトルリア文字F (/v/ の発音) を採り入れて /f/ の音に使い、エトルリア文字の S (3 箇所の屈曲がある) を採り入れて、現在の S の形にした。ギリシア語の G 音とエトルリア語K 音を表すのにはガンマ(字形はC)を用いた。こうして生まれたアルファベット21文字は、GJUWYZ がないなど、現代のラテン文字とは多少の違いがある(→古ラテン語)。

ローマ人のアルファベットでは、CKQ のいずれでも /k/ 音を表記できた。C は /g/ 音の表記にもなった。ローマ人は G を作りだし、彼らが用いない Z の代わりに、 FH の間に置いた。数世紀を経て、紀元前3世紀アレクサンドロス3世が地中海沿岸地域東部とその周辺を征服した後、ローマ人はギリシア語の語彙を借用するようになり、アルファベットをこれらの語彙の表記に再適合させる必要に迫られた。そこで、東方ギリシア文字から Y と Z を借用し、今度は文字表の最後に置いた。この2字はギリシア語彙を表記するときしか使わなかったためである。

アングロサクソン語は、11世紀ブリテンノルマン人の征服を受けた後、ラテン文字でも表記されるようになった。/w/ 音を表すのに当初ルーン文字の Ƿ (wynn, ウィン) を使ったが、P に似ていたために混同されやすく、/w/ 音は現在の U を二つ書いて表すようになった。この頃の U は V の形だったのでこれは VV となり、WV の次に置かれた。さらに、丸みのある U で母音を表し、子音のときは V を用いるようになった。J は当初 I の異体で、I が幾つか並ぶときに最後の I に長い尾をつけたものだった。15世紀頃から、J を子音に、I を母音に用いるようになり、17世紀半ばにはこれが一般的になった。

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リスト::文字と記号

ギリシャ文字からエトルリア文字?を経て派生した文字で、ラテン語表記用の文字。ローマ字とも。英語では“Latin alphabet”又は“Roman alphabet?”、“Latin script?”と呼ばれる。

なお、単にこの文字のことをアルファベットと呼ばれることがあり、この場合は英語で使用される26文字を指す。

本来のラテン文字から C から G が作り出されたり、 I から J に分岐したり、V から U や W が派生したりして、現在の26文字となった。

のちに英語フランス語ドイツ語などヨーロッパ諸言語からアジアアフリカ少数民族言語まで広がっていった。ダイアクリティカルマークエスツェットなどの拡張文字の追加によって、言語表記を補う。

日本語の各種ローマ字中国語ピンインなど、補助文字として使用される例もある。

この文字からドイツ文字?(フラクトゥール?或いは亀甲文字?とも)やゲール文字?が派生した。

2008年現在、ユニコードではラテン拡張-Dまでが使用可能である。

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