ペンシルヴァニアのまとめ情報

ペンシルベニア州』の解説

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ペンシルベニア州(、 )は、アメリカ合衆国北東部、また大西洋岸中部に分類されるである。五大湖地方に含められることもある。「要石の州」()とも呼ばれる。日本語ではペンシルヴェニア州、ペンシルバニア州、あるいはペンシルヴァニア州と表記される場合もある。ペンシルベニア州は、州(“State”)の代わりにコモンウェルス(“Commonwealth”)を用いる4つの州の1つである。ただし、日本語ではどちらも「州」と訳されている。なお、地質時代の区分の一つであるペンシルベニア紀石炭紀の一部)は、ペンシルベニア州にちなんで付けられた名前である。名前の後半「シルベニア」は(「森」の意)から取ったものであり、実際に自然が豊富である。

アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第33位、人口では第6位であり、人口密度が第9位と高い。南東はデラウェア州、南はメリーランド州、南西はウェストバージニア州、西はオハイオ州、北西はエリー湖カナダオンタリオ州、北はニューヨーク州、東はニュージャージー州と接している。アパラチア山脈が州の中央を斜めに走り、東西に長い州である。

ヨーロッパ人として最初にペンシルベニアに入ってきたのはスウェーデンオランダの入植者であったが、ペンシルベニアと命名したのは、イングランドチャールズ2世である。クエーカーイギリス人のウィリアム・ペンが「シルベニア」と名付けたものをウィリアム・ペンの父ウィリアム・ペン卿に敬意を表して改称した。ペンシルベニア州には、自由の鐘独立記念館で有名なフィラデルフィア市と、重要な河港を持つピッツバーグ市の、2つの主要都市がある。州都はハリスバーグ市である。

ペンシルベニア州はアメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つである。フィラデルフィアはアメリカ合衆国発祥の地と呼ばれることもある。フィラデルフィアは、独立宣言や合衆国憲法が立案された場所でもある。ゲティスバーグ南北戦争の激戦地であり、今も多数の大砲が保存されている古戦場跡として有名である。ブリンマーはフィラデルフィア郊外の閑静な住宅街として全米でもよく知られる。ポコノ山脈デラウェア・ウォーター峡谷は保養地として有名である。

歴史

主要記事:ペンシルベニア州の歴史

ペンシルベニア州となった地域にヨーロッパ人が入植する以前、この地域にはデラウェア族サスケハノック族、イロコイ族、エリー族、ショーニー族などのインディアンが住んでいた。オランダとイギリスがデラウェア川の両岸をアメリカにおけるそれぞれの植民地の一部と主張していた。オランダが最初に領有し、ペンシルベニアの歴史に大きく影響した。

1631年6月3日、オランダは現在のデラウェア州ルイスの地にツヴァーネンデール植民地を造り、デルマーバ半島への入植を始めた。1638年、スウェーデンが現在のウィルミントンの地に造ったフォートクリスチーナを中心とするニュースウェーデン植民地を設立することで、領有問題が加熱された。ニュースウェーデンはデラウェア川下流域(現在のデラウェア州、ニュージャージー州、ペンシルベニア州に跨る)の領有を主張し支配したが、植民者の数は少なかった。

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1664年3月12日、イングランド王チャールズ2世ヨーク公ジェームズに、プリマスバージニア会社が当初持っていた勅許地全てに他の土地を含めた土地の勅許を与えた。この勅許は、現在のペンシルベニア州の一部を含むオランダ領ニューネーデルラントの主張する領有権と競合した。

1664年6月24日、ヨーク公は現在のニュージャージー州を含む広大な領土の一部を、ジョン・バークレーとジョージ・カートレットに売却し、領主植民地とした。その土地はこのときもイギリス領だったが、デラウェア川の西岸にあるニューネーデルラントの一部と重複した。同年8月29日にイギリスによるニューネーデルラント征服が始まり、ニューヨーク港に浮かぶイギリス艦船の大砲を面前にして、ニューアムステルダムが降伏を強いられた。この征服が継続し、同年10月には現在のデラウェア州ニューキャッスルにあったカシミア砦を占領することで、完成した。

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1667年7月21日、イギリス、フランスおよびオランダの間に結ばれたブレダの和約により、イギリスの征服が確認されたが、一時的な反動も起きた。

1672年9月12日、第三次英蘭戦争の一部として、オランダはニューヨーク植民地とニューアムステルダムを再征服し、現在のデラウェア州とペンシルベニア州に当初の3郡となる郡政府を設立した。後にペンシルベニアに移管された部分がアップランドだった。1674年2月9日、第三次英蘭戦争を終わらせるウェストミンスター条約が結ばれ、政治的な状況を「戦前に元あった状態」に戻された。イギリスはオランダの郡をオランダの名称で保持した。同年6月11日までに、ニューヨーク植民地がアップランドを含め外郭の植民地に対する支配を再度主張したが、その名称は1674年11月11日までにイギリス名に変えられていった。同年11月12日、アップランドが分離し、現在のペンシルベニア州とデラウェア州の州境が概略生みだされた。

1681年2月28日、チャールズ2世がウィリアム・ペンの父ウィリアム・ペン提督から借りていた16,000ポンド(2008年のインフレ換算で210万ポンド)の借金のかたにウィリアム・ペンに土地の勅許を与えた。これは史上でも最大級の特定個人に対する勅許だった。その土地はペンシルベニアと呼ばれた。ウィリアム・ペン自身はニューウェールズあるいはシルベニアと呼ぶことを望んだが、この名称変更で人々がペン自身に因んで名付けたと考えることを怖れ当惑した。しかしチャールズ2世は名称を変えようとはしなかった。ペンは郡政委員会と信教の自由という2つの革新的な性格を持つ政府を樹立し、これは新世界の多くの国で真似されることになった。クエーカー教徒の指導者であるウィリアム・ペンは、デラウェア族の指導者タマニーと平和条約を結び、クエーカー教徒とインディアンの長い友好的関係の時代が始まった。クエーカー教徒とは、他の部族との条約も結ばれた。ウィリアム・ペンが結んだ条約は侵犯されることが無かった。

18世紀

1730年から通貨法に伴いイギリスの議会によって停止された1764年まで、ペンシルベニア植民地は金や銀の保有量不足に対応して独自の通貨を持っていた。この紙幣は「コロニアル・スクリップ」と呼ばれていた。この植民地では「信用証券」を発行し、その法定通貨としての位置づけ故に、金貨や銀貨と同等だった。政府が発行しており、銀行が発行したものではなかったので、利子が付かず、政府支出の支払に使われたので、大衆の税金だった。政府がその裁量で発行し、インフレを招かないよう大量に発行しなかったので雇用と繁栄を助長した。ベンジャミン・フランクリンがこの通貨創設に関与し、その有用性は決して侵されないと言っており、アダム・スミスの「慎重な承認」にも合致していた。

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1765年の印紙法会議の後、フィラデルフィアの代議員ジョン・ディキンソンは「権利と抗議の宣言」を書いた。この会議は、マサチューセッツ植民地会議の要請で13植民地が集まった最初の会議だったが、実際には9植民地しか代議員を送らなかった。ディキンソンは続いて、「ペンシルベニアの農民からイギリス領植民地の住人に宛てた手紙」を書き、1767年12月2日から1768年2月15日のペンシルベニア・クロニクルに掲載された。

1774年にフィラデルフィアで開催された第一次大陸会議には、12植民地が代表を派遣した。1775年5月、やはりフィラデルフィアで開催された第二次大陸会議では、アメリカ独立宣言を起草し、署名を行った。フィラデルフィア市がイギリス軍に占領されると、大陸会議は1777年9月27日はランカスターの郡庁舎で開催され、その後ヨークに移った。そこでは13植民地が1つの国になるという連合規約が書き上げられた。後にはアメリカ合衆国憲法が起草され、フィラデルフィアは新生アメリカの誕生地に再度選ばれた。

ペンシルベニア州は1787年12月12日にアメリカ合衆国憲法を批准し、そのことで第2の州になった。デラウェア州の批准から遅れること5日だった。

カーライルのディキンソン・カレッジは1773年に設立され、国内初のカレッジとなった。このカレッジはパリ条約が批准された5日後の1783年9月9日に批准された。ベンジャミン・ラッシュが設立し、ジョン・ディキンソンに因んで名付けた。

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ペンシルベニア州議会は半世紀の間フィラデルフィア地域の様々な場所で開催されたが、インディペンデンスホールで定期的に開催されるようになり、63年間続いた。しかしもっと中央に近い場所で開催する必要性が出てきた。例えば1763年のパクストンボーイズ虐殺がそれに気付く機会になった。1799年、州議会はランカスター郡庁舎に移動し、最後は1812年にハリスバーグに移転した。1897年2月2日、猛吹雪の日にヒルズキャピトルは焼失した。煙道に欠陥があったためと考えられている、ペンシルベニア州出身としても唯一の大統領である。南北戦争の転換点となったゲティスバーグの戦いは、州内ゲティスバーグの近くで起こった。推計で35万人のペンシルベニア州民が北軍に従軍し、その中には8,600人のアフリカ系アメリカ人志願民兵もいた。

ペンシルベニア州では初めて事業的に成功した油井もあった。1859年、タイタスビル近くで、エドウィン・L・ドレイクが油井を掘り当て、国内最初の石油ブームをもたらした。

地理

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ペンシルベニア州は北東部の州と南部の州、大西洋岸と中西部を結ぶ地点にあることから、キーストーン・ステートと呼ばれている。北側及び北東側はニューヨーク州に隣接しており、東側はデラウェア川をはさんでニュージャージー州に隣接している。南側はデラウェア州メリーランド州ウェストバージニア州に隣接しており、西側はオハイオ州、北西側はエリー湖に隣接している。アメリカ合衆国最初の13州の中で、ペンシルベニア州のみが大西洋に面していない。ペンシルベニア州を流れるデラウェア川サスケハナ川モノンガヒラ川アレゲニー川オハイオ川はアメリカ合衆国の主要な河川である。州都ハリスバーグ市である。

ペンシルベニア州は南北の長さ170 マイル (274 km)、東西の幅283 マイル (455 km) 程である。総面積は46,055 平方マイル (119,282 km²)、陸地面積は44,817 平方マイル (116,075 km²)、水域面積は内陸部に 490 平方マイル (1,269 km²)、エリー湖で 749 平方マイル (1,940 km²) である。アメリカ合衆国内で33番目に大きな州となっている。エリー湖の湖岸線は 57マイル (82 km)、デラウェア川に沿った海岸線は 57マイル (92 km) ある。マウントデイビスが海抜3,213 フィート (979 m) で州内最高地点である。最低地点はデラウェア川の海面である。ペンシルベニア州は東部標準時内に位置している。

州境の中で、南のメリーランド州とはメイソン=ディクソン線(北緯39度43分)、デラウェア州とは12マイル円、東はデラウェア川、西のオハイオ州とは西経80度31分、北のニューヨーク州とは北緯42度線が基本となってほぼ長方形をしており、北の三角形がエリー湖まで伸びた地域が唯一飛び出した形になっている。

地理的に州内は5つの地域に区分される。すなわちアリゲイニー高原、リッジ・アンド・バレー地域、大西洋岸平原、ピードモント台地、およびエリー平原である。

気候

ペンシルベニア州の多様な地形により気候も様々であるが、総体的に冬は寒く、夏は降水量が多い。州南東の隅を除いて大部分は湿潤大陸性気候ケッペンの気候区分Dfa)にある。フィラデルフィア大都市圏のみが温暖湿潤気候(ケッペンの気候区分Cfa)にあり、南のデラウェア州やメリーランド州に似ている。

内陸の山岳部に動くと冬は著しく寒くなり、曇りの日が増え、降雪量が多くなる。州の西部、特にエリー湖に近い地域は年間100インチ (250 cm) 以上の降雪があり、また降水量は州の全体で年間を通じて豊富である。春から夏、さらに秋にかけて異常気象が起こりやすく、竜巻は年間平均10個が発生している。

人口動勢

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2012年7月1日時点で、ペンシルベニア州人口は12,763,536人と推計され、2010年国勢調査からは0.5%増加した。

2006年時点での推計では、人口12,440,621人、前年から35,273人の増加、2000年国勢調査からは159,567人の増加だった。国内他州への移住で27,718人が減少し、国外からの移民で127,007人が増加し、純増は98,289人だった。

人口の中で74.5%はペンシルベニア州生まれ、18.4%は国内他州の生まれ、1.5%はプエルトリコ、アメリカ合衆国領島嶼部あるいは国外でアメリカ人の親から生まれた者、5.6%は外国生まれである。

1970年代から1980年代、ペンシルベニア州人口はゆるやかに増加した。1990年代から2000年代に入ると、他の州(移住民)から多くの人々がペンシルベニア州に移動し始めた。

年齢層で見ると5歳未満が5.9%、18歳未満が23.8%、65歳以上が15.6%となっている。2005年時点で高齢者人口比率は50州の中の第3位だった。女性が人口の51.7%を占めている。2005年時点で貧困線以下の住民比率は11.9%だった。

人種及び祖先

2010年国勢調査に拠れば、ペンシルベニア州の人種による人口構成は次のようになっている。

2011年時点で1歳未満の州民の32.1%は少数民族の子供である。

州内のヒスパニック系人口は、2000年から2010年の間に82.6%増加し、国内でも最大級の増加率となっている。主にアメリカ合衆国領であるプエルトリコからの移民が多いが、他にもドミニカ共和国メキシコなど中南米諸国からの移民や、ニューヨーク州やニュージャージー州など国内他州から、より安全で生活費が適度な環境を求めるヒスパニック系移住者が増えている。ヒスパニック系人口はアレンタウン、ランカスター、レディング、ヘイゼルトン、およびフィラデルフィア周辺で多く、その比率は20%以上となっている。2010年時点で、フィラデルフィア市から半径150マイル (240 km) 以内に85%が、またフィラデルフィア市内に約20%が住んでいる推計されている。

アジア系移民も約60%増加しており、特にインド系ベトナム系中国系の移民が多い。またニューヨーク州からフィラデルフィア市に移住するアジア系住民も多い。アジア系人口の絶対数で、フィラデルフィアは国内最大級の都市になっている。アフリカ系アメリカ人人口は13%成長した。白人は0.7%減少したが、この傾向は反転しつつある。

外国生まれの構成では、アジア系36.0%、ヨーロッパ系35.9%、ラテンアメリカ系30.6%、アフリカ系5%、北アメリカ系3.1%、オセアニア系0.4%となっている。

2006年から2008年の調査で、ペンシルベニア州で申告された祖先による構成比は、以下の通りだった。

ドイツ系祖先のペンシルベニア州民は、フィラデルフィア以外のこの州の多くの地域に住んでいる。ペンシルベニア州北東部はニューヨーク州境付近にイギリス系祖先の住民が暮らしており、スクラントン地域内に多くのポーランド系アメリカ人が住んでいる。フィラデルフィアは黒人の大多数が暮らしていて、少数の黒人住民がピッツバーグ及びハリスバーグに住んでいる。また、近代文明的生活を行わないアーミッシュと呼ばれるドイツ・スイス系の人々が住んでいる。

ペンシルベニア・ダッチ

ペンシルベニア・ダッチと呼ばれる人々と言語がある。この「ダッチ」はオランダ人ではなく「ドイツ人」あるいは「チュートン」を意味している。ドイツ人はドイツ語で「ドイッツェ」であり、これが英語で「ダッチ」に変わったと見なされている。ペンシルベニアドイツ語は、西中部ドイツ語方言を受け継いでいる。アーミッシュメノナイトの社会では第一言語として話されているが、幾つかの言葉が英語化した以外、日常語として絶滅に近くなっている。

宗教

ペンシルベニア州の州の住民の宗教宗派別構成比は次のようになっている。

当初の植民地の中で、ロードアイランドとペンシルベニアのみが信教の自由を謳っており、その結果今日まで宗教的な多様性が続いている。

2000年時点で、州民の約69%は何らかの宗教組織に属していると推計された。ペンシルベニア州立大学の宗教データ・アーカイブ協会に拠れば、58%が115の宗教会派に属していた。ペンシルベニア州にはアーミッシュが多いが、オハイオ州ホームズ郡に世界最大のアーミッシュ人口がいる。ペンシルベニア植民地の設立時にはクエーカー教徒が多く活躍したが、現在では少数派となっている。

2012年ギャラップ調査では、州民の40%は大変信仰心篤く、28%は中庸であり、32%は無宗教であるとなっていた。

インディアン部族

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デラウェア族、チェロキー族、イロコイ族ハンニアソント族サスケハンナ族ウェンローロノン族など、10を超えるインディアン部族がかつてこの州に先住していたが、19世紀までにすべて西側の他州に強制移住させられた。残るインディアンは「絶滅した」とみなされ、部族単位では存在しないことになっている。

ペンシルベニア州は、1879年に「インディアンを殺し、人間を助ける」(野蛮人の心を殺し、善良なキリスト教徒として救済する)の標語のもと、インディアンの児童を強制的に収容し、民族浄化の方針に沿って言語も文化も奪って白人に同化させる「インディアン寄宿学校」の第一号「カーライル・インディアン工業学校」が全米で初めて開校された地である。

≪アメリカ連邦政府に公式認定を要求中の部族と団体≫

インディアン・カジノ

ペンシルベニア州は近年、カジノ・ギャンブルを合法化させた州であり、現在9つのカジノが営業され、今後も増える傾向にある。しかし、この州のインディアンが運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。

≪ペンシルベニア州のインディアン・カジノと経営部族≫

州内の自治体と主要都市

関連項目:ペンシルベニア州の郡一覧

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州内の自治体:

ペンシルベニア州はアルファベット順にアダムズ郡からヨーク郡まで67のから成り立っている。アレゲニー郡ピッツバーグがある)、フィラデルフィア郡フィラデルフィアがある)などである。フィラデルフィア郡は1854年にフィラデルフィア市と統合されている。郡の中は、市、ボロ、タウンシップという、総数2,562の自治体に区分される。

州内には56の市があり、人口によって第1級、第2級、第3級に区分されている。フィラデルフィア市が唯一の第1級市であり、人口は150万人を超えている。第2級の場合、人口密度が300人/平方マイル (120 /km) を超え、住民投票で支持された場合に第1級になることができる。1975年、アレゲニー郡のマッカンドレス・タウンシップが自治憲章の下に「マッカンドレス町」となったが、法的には現在も第1級タウンシップのままである。

州政府

ペンシルベニア州は州になってから5代の憲法を持ってきた。1776年、1790年、1838年、1874年、および1968年に制定されたものである。それ以前の植民地時代には1世紀にわたって「政府の枠組み」で統治され、1682年、1683年、1696年、1701年の版があった。しかし2016年は共和党のドナルド・トランプが民主党のヒラリー・クリントンを接戦の末破っており24年ぶりに共和党候補が勝利した。

アメリカ合衆国上院議員の場合は共和党議員を選んできた歴史がある。2009年から2011年、2人の上院議員が共に民主党という時期があったが、これは1947年以来のことだった。2010年に共和党が上院の1議席を取り戻し、アメリカ合衆国下院議員数で多数派となり、州議会では両院で多数派となり、知事も当選させた。民主党のコンサルタント、ジェイムズ・カービルは、ペンシルベニア州のことを「東にフィラデルフィア、西にピッツバーグ市、その中間にアラバマ州」と皮肉を交えて語った。

州知事

現在の知事は、トム・ウルフである。選挙で選ばれる他の行政官は、副知事、検事総長、監査総監、州財務官である。

関連項目:

州議会

ペンシルベニア州は1790年憲法で制定した両院制議会を採っている。ウィリアム・ペンが採用した当初の議会は一院制だった。州議会には定数50人の上院と定数203人の下院がある。2012年に行われた州議会議員選挙の結果、共和党が上下両院の多数派となっている。

司法府

ペンシルベニア州は60の司法区に分かれており、その大半には地区判事がおり、重犯罪と軽犯罪、小さな刑事事件と民事事件の第一審を裁く。州民が払う税の総額は年平均で837億米ドルであり、一人当たりでは6,640米ドルである。州民は税総額の76%を負担している。多くの州政治家は州外からの税収を増やそうと務めている。たとえば、天然ガスの掘削に課税していなかったので、これに対する課税などである。州間高速道路の有料化も考えられている。特に州間高速道路80号線は州外からの通勤者が多く利用し、維持費用が嵩んでいる。

消費税は歳入の39%を挙げている。個人所得税が34%、自動車税が約12%、タバコとアルコール飲料の税が5%である。個人の所得税は、年金(給与)、利子、配当、事業等の純利益、処分資産の純利益、賃貸、ロイヤリティ、特許、著作権からの純収入、資産や信託資産からの収入、ギャンブルや宝くじの収入の8種類が課税対象である。

郡、自治体、教育学区は不動産に課税している。さらに幾つかの地方政体は個人収入に所得税を課している。一般に所得税の総額は収入の1%だが、自治憲章を持っている自治体は1%以上を課することも可能である。67郡のうち32郡は株式、債券などに個人資産税を課している。

連邦議会への代表

アメリカ合衆国上院議員は、他州同様2人を選出しており、2013年時点では民主党、共和党各1人である。

アメリカ合衆国下院議員は、18人を選出しており、2013年時点では民主党5人、共和党13人である。

経済

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ペンシルベニア州の2010年総生産は5,700億米ドルであり、合衆国内で6番目だった。もし、ペンシルベニア州が独立した国であれば、この州の経済は第18位に相当する。2010年の一人当たりの収入は、合衆国内で29番目に位置する39,830米ドルだった。キングオブプルシアなど郊外部にはさらに多くの会社がある。金融保険業では指導的存在である。

ピッツバーグ市にはフォーチュン500に入っている会社が8社ある、USスチールPPGインダストリーズHJハインツなどである。

農業生産品は乳製品、鳥肉、牛、苗床、キノコ、豚、及び干し草である。工業生産品は食品加工、化学製品、機械及び電気設備である。観光業は合衆国内で最も訪れた州の7番目に位置し、159億米ドルの収入となり、大変大きな産業である。カリフォルニア州、フロリダ州、ニューヨーク州、テキサス州、イリノイ州、及びネバダ州に続く。

最近、ニューヨーク州からペンシルベニア州に広がるMarcellus Shale地層に含まれる天然ガスの生産が活況を呈している。

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主な会社など

ペンシルベニア州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。

金融業

国内で最初に認定された銀行は、1781年にフィラデルフィア市に設立されたバンク・オブ・ノースアメリカだった。この銀行は何度か合併を繰り返し、現在はウェルズ・ファーゴの一部となり、国内認定第1号の称号を使っている。

1963年国定銀行法の下で最初に認定された銀行もある。ピッツバーグ・セイビングス・アンド・トラスト社が認定を受け、ピッツバーグ第一国定銀行と改名した。この銀行は現在もPNCフィナンシャル・サービスとして存続しており、ピッツバーグ市を本拠にしている。PNCは州内最大の銀行であり、国内でも第6位である。

農業

ペンシルベニア州の農業生産高は国内19位だが、マッシュルームでは第1位、リンゴでは第2位、クリスマスツリーと産卵鶏では第3位、苗と芝、牛乳、サイレージ用トウモロコシ、ブドウ(ジュース用を含む)、馬では第4位である。またワインの生産量では国内第8位である。

ギャンブル

カジノが2004年に合法化された。州内に9か所のカジノがあり、建設中または計画中のものが3か所ある。競馬、スロットマシン、電子テーブルゲームが合法だが、テーブルゲームを合法化する議案が2009年秋に審議された。ポーカー、ルーレット、ブラックジャック、ダイスなどのテーブルゲームが2010年1月に議会で承認され1月7日に州知事の署名により法制化された。スポーツに係わる賭博は違法である。

エド・レンデル州知事は2009年にバーや民間クラブでのビデオ・ポーカー・マシンの合法化を検討した。これは推計で17,000台のマシンが運営されているからだった。この計画では、アルコール販売を許可された施設が5台までのマシンを置くことを認められるはずだった。すべてのマシンはカジノと同様に州のコンピュータ・システムに繋がれることになっていた。ギャンブルの売り上げは、勝者に支払った後の50%を州に税として支払い、残り50%は経営者に残ることになっている。

映画産業

ペンシルベニア州映画制作税額控除が2004年に始まり、州内の映画産業発展を促している。

交通

ペンシルベニア州交通省は州内121,770マイル (195,970 km) の道路の内、39,861マイル (64,150 km) を所有しており、その長さは国内第5位となっている。ペンシルベニア・ターンパイク体系は全長535マイル (861 km) あり、本線はオハイオ州からフィラデルフィア市やニュージャージー州に伸びている。

都市間旅客鉄道はアムトラックが運行し、高速運転が行われるキーストーン回廊には「キーストーン号」を走らせている。これはハリスバーグとフィラデルフィアの30番通り駅を繋ぎ、その後はニューヨーク市に向かう。また1日1往復運転の「ペンシルベニアン号」(Pennsylvanian)も同様にニューヨーク市からハリスバーグを走るが、ピッツバーグ市まで伸びている。これらの列車が通る路線はかつてのペンシルバニア鉄道の本線にあたり、アルトゥーナには著名な鉄道史跡である「ホースシューカーブ」がある。「キャピトル・リミテッド」はシカゴワシントンD.C.を結び、途中でピッツバーグ市、コネルズビル市を通る。

主要空港は7つある。フィラデルフィア国際空港 (PHL)、ピッツバーグ国際空港 (PIT)、リーハイバレー国際空港、ハリスバーグ国際空港、エリー国際空港、ユニバーシティパーク空港、ウィルクスバリ・スクラントン国際空港である。公共用途空港は全部で134ある。エリー湖すなわち五大湖には唯一の港、エリー港がある。

アリゲイニー川閘門とダム第2号は、アメリカ陸軍工兵司令部が運営する国内255か所の閘門の中でも使用頻度が高いものである。このダムがピッツバーグ市中心街近くでアリゲイニー川の水を溜めている。

教育

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州内には500の公共教育学区、数多い私立学校、公立のカレッジと大学、また100以上の私立高等教育機関がある。

初等中等教育

州法により州内に住む8歳から17歳の子供は学校への入学が義務づけられており、認証された高校を卒業すれば17歳より前でも義務は無くなる。2005年時点で18歳から24歳の州民の83.8%が高校を卒業している。25歳以上では86.7%が高校卒である。さらに25.7%は学士以上の取得のために進学している。標準試験の結果は常に良好である。2007年の8年生の試験では、数学で第14位、読みで第12位、書きで第10位だった。

1988年、ペンシルベニア州州議会は法第169を成立させ、義務教育の代わりに両親または保護者が子供の家庭内教育を行うことを認めた。この法では両親とその居住する教育学区の任務と責任を規定している。

単科及び総合大学

ペンシルベニア州高等教育体系は14の州立大学を擁する公立大学体系である。コモンウェルス高等教育体系は、4つの州が係わる学校を組織する主体であり、これらの学校は州の予算をうける独立した機関である。さらに公的予算による15の2年制コミュニティ・カレッジと工業学校があり、ペンシルベニア州高等教育体系とは別に管理されている。これに加えて多くの私立2年制または4年制工業学校、カレッジ、大学がある。

カーネギーメロン大学ペンシルベニア州立大学ペンシルベニア大学ピッツバーグ大学は、先端的研究大学のみが参加を認められるアメリカ大学協会のメンバーである。ペンシルベニア州立大学はランドグラント大学、シーグラント・カレッジ、スペースグラント・カレッジでもある。フィラデルフィア市にあるペンシルベニア大学国内初の大学と見なされ、また初の医学校でもある。アイビー・リーグに入る大学ではペンシルベニア州で唯一、かつ最南端の大学である。ペンシルベニア芸術アカデミーは国内初かつ最古の芸術学校である。フィラデルフィア薬科カレッジは現在フィラデルフィア科学大学に属しており、国内初の薬科学校だった。

USニューズ&ワールド・レポートの総合大学ランキングでトップ100に入るペンシルベニア州内の大学は以下の6校である。

レクリエーション

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州内に国内初の動物園であるフィラデルフィア動物園がある。他にも歴史の長いエリー動物園やピッツバーグ動物園 & PPG水族館があり、またリーハイバレー動物園やズーアメリカもある。ピッツバーグ市のカーネギー博物館フィラデルフィア美術館などは国内有数の美術館である。スクラントンにあるハウディニ博物館は伝説的なマジシャンに特化していることで、世界でも唯一の博物館である。ピッツバーグ市にはナショナル・アビアリー(鳥類園)もある。

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州内に121ある州立公園は入場無料である。

アミューズメントパークとしては、キャメルビーチ、コンノート・レイクパーク、ドーニーパーク & ワイルドウォーター・キングダム、ダッチワンダーランド、デルグロッソ・アミューズメントパーク、ハーシーパーク、アイドルワイルドパーク、ケニーウッド、ノーベルズ、レイクモントパーク、サンドキャッスル・ウォーターパーク、セサミプレース、グレートウルフ・ロッジ、ウォルダミアパークがある。エリー市にあるスプラッシュ・ラグーンは東海岸最大の屋内ウォーターパークである。

州内では多くの音楽祭も開催されている。ベスレヘムのミュージックフェストとニアフェスト、フィラデルフィア・フォーク祭、クリエーション・フェスティバル、グレートアレンタウン祭、パープルドアが著名である。

州内には100万人に近い免許狩猟者がいる。オジロシカ、ワタオウサギ、リス、シチメンチョウ、ライチョウなどが狩猟対象である。スポーツハンティングは州経済にも大きな影響を及ぼしている。センター・フォー・ルーラル・ペンシルベニアの報告では、狩猟、釣り、毛皮採取で96億米ドルを上げている。

食品

著作家シャロン・ハーンズ・シルバーマンはその著作『ママはヤンキーのように料理する』で、ペンシルベニア州を世界のスナック食品首都と呼んでいる。プレッツェルポテトチップスの生産量では国内第1位である。スタージス・プレッツェル・ハウスがアメリカにプレッツェルを紹介し、アンダーソン・ベイカリー、インターコース・プレッツェル・ファクトリー、スナイダーズ・オブ・ハノーバーなどの会社が、生産高の多い会社である。1921年にハノーバーでポテトチップス生産を始めたユッツ・クオリティ・フーズ、同じく1921年にバーウィックでポテトチップス生産を始めたワイズ・スナック・フーズが、ポテトチップスの主要生産会社である。

アメリカ合衆国のチョコレート製造はハーシー市が中心である。マースゴディバ、ウィルバーなどがある。サウダートンのアッシャーズやダンモアのガートルード・ホークもある。他にもベスレヘムのジャストボーン、アルトゥーナのボイアーブラザーズなどがある。アンティ・アンズ・プレッツェルズはダウニングタウンの市場屋台で始まり、現在はランカスターに本社を置く会社になっている。ペンシルベニア・ダッチの伝統的な料理は、チキン・ポットパイ、ハム・ポットパイ、シュニッツ・アン・ネップ、ファスナハツ、スクラップル、プレッツェル、ボローニャ、チョウチョウ、シューフライ・パイである。チェンバーズバーグに本社を置くマーティンズ・フェイマス・パストリー・ショップはポテト・パンなど伝統的なペンシルベニア・ダッチ料理に特化している。国内最古のビール醸造社D・G・ユエンリング & サンは、1829年からポッツビルでビールを生産している。

フィラデルフィアでよく見られる地方料理は、チーズステーキ、ホージー、ソフトプレッツェル、イタリアン・ウォーターアイス、スクラップル、テイスティケイク、ストロンボリなどである。ピッツバーグでは、1876年から20世紀初期に、ヘンリー・ジョン・ハインツがトマトケチャップを改良した。ハインツのケチャップより規模は劣るが、ピッツバーグのプリマンティ・ブラザーズ・レストランはサンドウィッチ、ピエロギ、シティチキンで著名である。スクラントン郊外のオールドフォージには、ピザに特化したイタリア・レストランが多い。エリー市ではギリシャソースとスポンジキャンディが特徴のあるものである。元日にはザワークラウトと豚肉、マッシュルームがよく食される料理である。

その他

2008年5月24日に、で、97度の角度を持つジェットコースターFahrenheitがオープンした。

州のシンボル

ペンシルヴァニア』に 関連する人気アイテム

ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学

本書は、動的な集団ネットワークにおけるアイデアの流れや社会規範がどう生まれるのかを観察することによって得られる新たなモデルを構築しようとする「社会物理学」について解説した本である。 人間行動にかかるビッグデータの分析もこの分野による成果であることがよく分かる。

では、本書から印象に残った部分を抜粋していく。
「社会物理学は経済学と違い、アイデアの流れがどのようにして行動に結びついていくのかを明らかにすることだ。」
「常に創造的で深い洞察力を持つ人々は探求者なのだ。

探求者はその活動を通じてさまざまな人物と出会うことになるが、新しく見つけたアイデアを出会った人々すべてにぶつけてみるのだ。多様な視点や経験を持つことは革新的なアイデアを生む際に重要な要素となる。そうしたアイデアが拡張され世界を説明する新たなモデルの一部となり行動や意思決定を導くようになるのだ。」
「トレーダーがソーシャルネットワークを通じて多様なアイデアをバランスよく手に入れる場合は個人で取引を行っている場合に比べて投資利益率が上昇する。この群衆の英知という概念が企業や都市社会制度に応用されている。」
「この、探求については留意しておくべきポイントが3つある。『社会的学習が極めて重要』、『多様性が重要』、『他人と反対の行動をとる人物が重要』、の3つである。」
「ソーシャルネットワークインセンティブは従来型の個人に対する市場型インセンティブに比べておよそ4倍の効果を持っている。たとえば、節電の呼びかけに対して一般的な経済的インセンティブではなくSNSを使ったインセンティブによって電力消費量を17%抑えることに成功した。」 「休憩時間に従業員同士が話しをするようになることで個々のチーム内で行われる交流の量が増え従業員のエンゲージメントも高まる。その結果、従業員の生産性が大幅に向上した。」
「ソーシャルネットワーク内の誰に取っても新しい経験は彼らがほとんど訪れていない場所からもたらされることが多い。新しいアイデアを探求する場合、遠くに行けば行くほど成果が得られる傾向にあり、一方で日常生活において得られる共通の経験は、ローカルコミュニティ内でのエンゲージメントを通じて社会規範にまで昇格する傾向にある。」
「個人ごとの違いと個人間のつながりの両方を扱い、社会を数学的に捉えて予測可能にする科学は、政府の役人や企業のマネージャー、そして市民たちが考え、行動する形を劇的に変える可能性がある。」
などなど、印象深いコメントが数多くある。

人と人とのつながりについて多くの実証実験を使って得られる本書のようなアプローチは、これからの社会にとって大きなインパクトを持っていることを感じる。

個人の交流度を測定するソシオメトリックバッジ(移動量、会話の量、相手、時間、頻度などを計測する)から得られたデータを数値解析し、行動の基となる動機と交流度(著者はアイデアの流れと表現しています)の相関を分析したまとめです。 創造的な生産性はメンバー全員の均等な発言がある場合最大化されるという部分は意外でしたが、インフルエンザに罹患する可能性の高い地域の予測は「風邪が流行っているから人混みではマスクをしよう」という常識からでもたどり着ける結論もあります。 ビッグデータの活用によるインフラの最適化に至ってはなんだか空恐ろしいような印象を受けました。

「アイデアの流れ」を取り扱うのを社会物理学として,様々なビッグデータ解析を紹介. 成功例の数々が挙げられるが,基本的に自分の研究室の事例という驚異的な内容になっている. 一方で,考察がとにかく軽い. 物理との類似性,社会科学的視点の導入,これらはさらっと援用されるのみで,本質に迫る 姿勢は見られない.物理の文脈で例えるなら,応用物理分野のノリに近い. とはいえ,本書の知名度が低い理由が分からないほどの必読書. 自問自答しながら読めば,様々な世界が広がる気がする.

レジリエンスの教科書: 逆境をはね返す世界最強トレーニング

刹那の快楽主義をなんとかしたくて、メンタルを鍛える本とのことでこちらを購入・・・が!意味がわかりません! わけわからんカタカナが多いし、サンプルとして紹介される人の話も興味ない。 だって長いんだもん。 出だしだけでここまで読む気がしなくなった本なんて初めてですよ(笑) この本を高く評価している人がいますが、本当に尊敬しますよ。 色んな意味で。 それぐらい、意味がわからんのです。 出だしで捨てたから、参考になったことなんて何1つ無いです。 古本屋行き最速記録を見事に更新した点は、大変評価します。 この手はやっぱり立ち読みしないとダメですね・・・。 反省!

PRP、レジリエンス、世界最高峰、本邦初公開の言葉に惹かれれて購入したが、ただの読みにくい認知行動療法の本だった。 認知行動療法は何度も試したことがあるので効果があるのは間違いないが、どうせ読むなら もっとわかりやすく読みやすい本がある。 デビッド・D・バーンズの本は20年以上前から訳出されていて今なおロングセラーである。 バーンズの「いやな気分よさようなら」はうつ患者を対象に書かれたものだがそうでない人が読んでも大いに得るものがある。 同じく「フィーリンググッド」も良書。 両書ともセルフヘルプの本としては最高で絶対にこちらの方をおススメする。

まだいくらも読んでいないのですが、kindle版の原著 (The Resilience Factor) に照らすと省略されている部分がかなりあるようです。 これからさらに読み進むととそのような部分がさらに目につくのかどうかわかりませんが、 好意的に解釈すれば、翻訳者は冗長を省いてこの本のエッセンス(精髄)が読者に伝わればそれで良いと考えたのでしょうか? まだ10分の1 ほどしか読んでいませんが、翻訳文は明瞭な日本語文だと思います。

ポジティブ・リーダーシップ: Profit from the Positive

旦那がすごく良かった!といっていた、ポジティブリーダシッップの本だと間違えて読んだのがこのポジティブ・リーダーシップ: Profit from the Positive。最近読んだ本の中で、最も時間を無駄にしたと思った書籍。

言っていることは特に悪くないと思うし、その通りだと思う。「ポジティブ心理学はポジティブ思考とは違う」など重要な点から始まり、アドバイスの「時間をかけて1日、一週間、一ヶ月の計画を立てよう。また計画を立てる際には、トリガーを設定する」から始まり、その本文に流れるアドバイスは、重要な視点だろう。



苦しみながらとりあえず、最後まで読んだが、読み進めたいと思えなかった珍しい指南本。それは、訳のせいなのか、それとも原作を直訳したせいなのかわからない、ただ、一つ言えるのは、訳の言葉の選び方(原語に忠実なのかもしれない)が、理解に苦しむものだったからだ。「自分を騙して」「儲ける「リーダ」って」「相手を変えるか、ダメにするか」「あえて裏口を利用する」など、読みようによってはどうとでも取れるコンサルが執筆したものと思えない曖昧な言い回し、推敲されたんだろうかと思わされる洗練されない用語の選択。

ポジティブ・リーダーシップの概念自体には賛同するものの、より理解が深まり、実践につなげられるだけの心に刺さる参考図書がほしい。

ペンシルヴァニア』by Google Search

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