プラトーのまとめ情報

プラトー』の解説

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プラトー

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千のプラトー 上 ---資本主義と分裂症

私のように学生時代を80年代で過ごした人は、どっかで浅田彰さんとかの紹介する本をファッションのように持っていたように思います。 理解も適当に。 手にとると今でも同じ感覚が甦ってきます。 ドゥルーズという響きをちりばめながら、この本の話をしてみたい、といった感覚でしょうか。 後の世代からは共感されないとは思います。 が、ぜひ一読を。

色々といいたいことはありますが、一言で言うとこれは
響きが良い本、でした。

まず内容はともかくとして、文章のリズムが良いです。訳者のセンスが良いのでしょう。本の訳者の一人は宇野邦一さんで、wikiによればかつて彼はドゥルーズの指導をじかに受けたようです。宇野邦一さん訳の本を初めて読んだのは、アントナン・アルトー「神の裁きと訣別するため」でしたが、これも大変にリズム感が良い文章で書かれていました。脳内で文章を読むイメージを心地よく出来る文章です。

この本はドゥルーズ、ガタリの表情がじかに伝わる様な、陽気な文章から始まります。


「・・・それにみんなと同じようにお喋りして、日が昇る、などということは楽しいからだ、みんながそんなのは話の糸口にすぎないと承知しているときに。・・・」
アンチ・オイディプスの時のようにやたら批判的な雰囲気はありません。この本は読みやすいです。私は千のプラトーを読む気にはなりますが、アンチ・オイディプスを同じような軽い気持ちで読む気にはなりません。この本では学術的な場での発言や研究の成果が示されている、というよりは比較的穏やかな、むしろブログ的な文章、日記的な文章、或いは個展のようなものに思います。(千のプラトーから成る、というこの本の構成自体が本の一般的な強い一方向性を弱めているので、とくに読みやすい)

私は工学部の人間つまり世間一般に理系なのですが、よく居るタイプの理系こそこういった本を読んでいただきたいと思います。
(一部の)理系人間にはまず数学と科学と論理に関する信心深いドグマがありますから、この本を読んで思考自体が揺さぶられることで、それらに対する信仰を
アンチ・オイディプスがオイディプス信仰を打ち砕くようにして、打ち砕かれて欲しいのです。
一方で数学においてその概念と感受性が直接に結びつくような体験をしている人間(ベルンハルト・リーマンのような多様体に対する洞察がある人間)には
この本は不要かも知れません。この本は要するに自己の洞察に色々な示唆を与えてくれること思います。

自分が学生のとき(約10年前)では邦訳があの分厚い二段組のもの(千のプラトー―資本主義と分裂症)しかなく、 読むのが非常に遅いため、一度借りてもほとんど進まずに返却する羽目になっていて、 学生時代はこの本をほとんど読めませんでした。 また、貧乏学生でしたので、 本を購入するようなお金も持ち合わせておらず、 興味はあるんだけど…で終わっていました。 たった10年で時代は進み、文庫本で手に入れられるご時勢になりました。 書店で発見したのですが、すぐに手にとってしまいました。 これはなんだろうと興味心いっぱいにして読んでいます。

千のプラトー 上 資本主義と分裂症

私のように学生時代を80年代で過ごした人は、どっかで浅田彰さんとかの紹介する本をファッションのように持っていたように思います。 理解も適当に。 手にとると今でも同じ感覚が甦ってきます。 ドゥルーズという響きをちりばめながら、この本の話をしてみたい、といった感覚でしょうか。 後の世代からは共感されないとは思います。 が、ぜひ一読を。

色々といいたいことはありますが、一言で言うとこれは
響きが良い本、でした。

まず内容はともかくとして、文章のリズムが良いです。訳者のセンスが良いのでしょう。本の訳者の一人は宇野邦一さんで、wikiによればかつて彼はドゥルーズの指導をじかに受けたようです。宇野邦一さん訳の本を初めて読んだのは、アントナン・アルトー「神の裁きと訣別するため」でしたが、これも大変にリズム感が良い文章で書かれていました。脳内で文章を読むイメージを心地よく出来る文章です。

この本はドゥルーズ、ガタリの表情がじかに伝わる様な、陽気な文章から始まります。


「・・・それにみんなと同じようにお喋りして、日が昇る、などということは楽しいからだ、みんながそんなのは話の糸口にすぎないと承知しているときに。・・・」
アンチ・オイディプスの時のようにやたら批判的な雰囲気はありません。この本は読みやすいです。私は千のプラトーを読む気にはなりますが、アンチ・オイディプスを同じような軽い気持ちで読む気にはなりません。この本では学術的な場での発言や研究の成果が示されている、というよりは比較的穏やかな、むしろブログ的な文章、日記的な文章、或いは個展のようなものに思います。(千のプラトーから成る、というこの本の構成自体が本の一般的な強い一方向性を弱めているので、とくに読みやすい)

私は工学部の人間つまり世間一般に理系なのですが、よく居るタイプの理系こそこういった本を読んでいただきたいと思います。
(一部の)理系人間にはまず数学と科学と論理に関する信心深いドグマがありますから、この本を読んで思考自体が揺さぶられることで、それらに対する信仰を
アンチ・オイディプスがオイディプス信仰を打ち砕くようにして、打ち砕かれて欲しいのです。
一方で数学においてその概念と感受性が直接に結びつくような体験をしている人間(ベルンハルト・リーマンのような多様体に対する洞察がある人間)には
この本は不要かも知れません。この本は要するに自己の洞察に色々な示唆を与えてくれること思います。

自分が学生のとき(約10年前)では邦訳があの分厚い二段組のもの(千のプラトー―資本主義と分裂症)しかなく、 読むのが非常に遅いため、一度借りてもほとんど進まずに返却する羽目になっていて、 学生時代はこの本をほとんど読めませんでした。 また、貧乏学生でしたので、 本を購入するようなお金も持ち合わせておらず、 興味はあるんだけど…で終わっていました。 たった10年で時代は進み、文庫本で手に入れられるご時勢になりました。 書店で発見したのですが、すぐに手にとってしまいました。 これはなんだろうと興味心いっぱいにして読んでいます。

千のプラトー―資本主義と分裂症

このミル・プラトーでそれぞれの年代とそれぞれの固有名詞を表題とした平滑空間における彼ら固有の概念群の開示は見事と言うほかない。
あえて言うならミル・プラトーに足りなかったものとは開示された平滑空間上のそれぞれの機械圏がその力動の極限に達する時、高速の自動性を得て一点に折り重なり臨界を造るということだろう。
臨界とは限界ではない。
それはある一点に集約重合したものがまた果てしなく微分化されていく通過点にすぎない。
この宇宙はある特異点から始まり、また特異点で終わるだろう。

その特異点、それはまた始まりとなる。
ミル・プラトーの野望とはこの宇宙の内在的な機械とその力動性を表記すること。
ならば概念群=自動制御の機械圏がその力動性の臨界に達した様をもっと描いて欲しかった。
主観も客観も無い光速の力動性の自動制御の世界。
そこでは精神は瞬時に物質に生成し、物質もまた瞬時に精神に生成する。
ミル・プラトーとはドゥルーズ/ガタリをもって最強最速にアップデートされたスピノザの「エチカ」なのだから
今でも盲信されて止まない唯心/唯物の2元論を軽々と越境する。平滑空間における運動とは概念=カテゴリーを越境して止まない運動だからである。
しかし、このミル・プラトーはアンチ・オイディプスほど反響を得なかった。
それはアンチ・オイディプスよりも余りにも抽象性/抽出性の高い概念表現を具体化しているが故に現実の政治的な野心は欠いたものと受け取られたからだ。
勿論、そんなことは無い。
未来の最強最速のエチカを得る為の基礎理論を見事に構成し終えているのだから
スピノザの構成した強固な内在平面の運動を現実の平滑空間に延長展開したこと、その哲学的な偉業は揺るぎない
ミル・プラトーを何かリジットな哲学の為の哲学内における哲学書として捉えるならそれは大いに間違うことになる
表記されているのはあくまで現働化された平滑空間においての運動と生成変化なのだから

5つ星のうち 5.0類稀な言語の交錯

(参考になった人 13/20 人)

この本が「千のプラトー」と銘打たれたのにはさまざまな理由がある。
ここでいう「1000」という数は、無限に多いという意味の比喩として使われている。
なぜ規定の文字数しかない一冊の本が無限を生産するかといえば、
「抽象機械」という言語のある側面を抽象的に抜き出して使用しそれを連結させることで読み手自身にさまざまな意味の拡大を促すという「言語の自動生産装置」
によってこの本のすべての言葉が書かれており、それは無限に多くの意味の敷衍を可能にするからである。
この本は、著者たちが述べているように複数の書き手によって成立しており、
さまざまな分野の専門家からの手紙や文章を引用して織り成された複雑な編み物は、クロスオーバー的にさまざまな学問領域をひとつの文章の中で行き来する。


マラルメが「さいころの一振り」という詩で無限の数のフレーズを生み出したように、この本も読み手の使用の仕方によってさまざまに色を変える。
「強度」というキーワードは、著者たちの十八番なのだが、
張り詰めた糸の緊張状態、それ以上力を加えると崩壊し、限界まで力を加えなければまさに意味をなさない、という極限状態とあらわす。
「プラトー」とは地理学用語で平坦な高台という特殊な地形のことを指す。
つまり、言語の高台は先鋭化することも崩れ落ちることもなく、「強度的」に維持されている。
極限へ近づくということは微分的に漸近し続けている状態である。
クロスオーバーする言葉たちには読者が定位すべき場所を自ら作らなければ無限に運動を続ける。この著作に意味を求めるのであればそうする必要があるが、言葉の明滅を楽しむのであればその必要はない。
10年前に購入したが読み返すたびにさまざまな楽しみを生産してくれる。

5つ星のうち 5.0永久運動、永久革命の書

(参考になった人 16/22 人)

「アンチ・オイディプス」において、古代から封建制を経て資本主義に至る欲望の流れを描いたとすれば、「千のプラトー」は、様々な文化現象や歴史を具体的に分析した書物と言えるだろう。言語学、音楽、絵画、政治体制などを分析しながら、それらの中に潜む運動性の原理を抉りだし、その運動性を更に徹底させようとする。永久運動、そして永久革命の書!
この書の文体は、見かけの均衡を破り、破壊にまで導き、そして新たな概念へと次々と接続していく創造的なものである。文体にはリズムと革新が満ちている。度々ヘンリー・ミラーが引用されることからも、破壊と創造と同時にやってのけるような迫力に満ちている。


「差異と反復」以来、ドゥルーズは常に一貫している。彼にとって、固定したものは何一つなく、全てが動き、流動している。全てがプロセスなのである。その過程を解放し、更に解放を推し進めていこうとする所に、この書の独創性と開放性がある。次から次へと諸説の引用がなされ、ドゥルーズとガタリの博識ぶりに圧倒されるが、一つ一つの意味にこだわらず、とりあえず読み進めてもらいたい。新しい概念がいくつも導入されているが、常に言っていることは同一のことであり、ワンパターンと言っても良いかもしれない。
とにかく、この書物の怒涛のリズムに身を任せ、新たな世界へと身を浸してもらいたい。

プラトー』の解説 by はてなキーワード

Plateau

 英語。高原・大地を意味する言葉で、一時的な停滞状態のこと。何かを習得する際に進歩が一時的に止まって、横ばいの状態になること。停滞期。

 ダイエットにおいては、人体が体の状態を一定に保とうとする働きによって代謝が落ち、体重が落ちにくくなる一時期、筋トレでは、様々な要因で筋肉が付きにくくなる一時期を指す。

プラトー』by Google Search

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