パラドックスのまとめ情報

パラドックス』の解説

パラドックス()とは、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。逆説背理逆理とも言われる。

パラドックスとは

「妥当に思える推論」は狭義には(とりわけ数学分野においては)形式的妥当性をもった推論、つまり演繹のみに限られる。しかし一般的にはより広く帰納など含んだ様々な推論が利用される。また「受け入れがたい結論」は、「論理的な矛盾」と「直観的には受け入れがたいが、別に矛盾はしていないもの」に分けることができる。狭義には前者の場合のみをパラドックスと言い、広義には後者もパラドックスという。こうした区分は主に数学分野を中心に行われるもので、結論が直感的に受け入れやすいかどうかではなく、公理系無矛盾性をより重視する所から来る区分である。論理学者のハスケル・カリーは、単に直感に反しているだけで矛盾は含んでいないパラドックスのことを、擬似パラドックス(pseudoparadox)、と呼び、矛盾を含むパラドックスと区別した。

数学以外の分野では「パラドックス」という言葉はよりラフに用いられ、「ジレンマ」、「矛盾」、「意図に反した結果」、「理論と現実のギャップ」等、文脈により様々な意味に用いられる。

日本語では逆説、逆理、背理と訳される。語源はギリシャ語(παράδοξον < παρα-, para-:反対の + δόξα, dóxa: 意見)。有名なものに、自己言及のパラドックスリシャールのパラドックスベリーのパラドックスがある。

以下、辞書における定義を引用する:

数学における概要

数学はその発展の中で、「正しそうに見える推論」の中から「本当に正しい推論」を選り分けてきた。こうしてまず最初に整数や幾何図形のような対象が数学で扱えるようになったが、その後集合無限のような深遠な対象を取り扱ったり、自己言及のような複雑な推論を扱ったりするようになると、どれが「本当に正しい推論」でどれが「正しそうに見えるが実は間違っている推論」なのかが分からなくなってしまった。パラドックスはこのように、仮定、推論、定義等がよく理解されていない状況で発生してしまうものである。

したがって、パラドックスは単なる矛盾とは区別される。例えば有名な「嘘つきパラドックス」は、「嘘つき」とは何かがはっきりしないからこそ「パラドックス」なのである。これらがはっきり定義された暁には、「嘘つきパラドックス」は単なる「背理法」や「間違った推論」に化ける。このようにパラドックスに適切な解釈を与えて「背理法」や「間違った推論」に変える事を、パラドックスを解消するという。

数学は矛盾を含まないよう注意深く設計されており、パラドックスの起こる命題はうまく避けたり、あるいはパラドックスを解消した上で取り込んでしまったりしている。従って昔はパラドックスを内包してしまっていた集合無限のような対象も現在では取り扱う事ができる。

なお、上で説明したようなパラドックスと違い、

  • 正しい仮定と正しい推論から正しい結論を導いたにも拘らず、結論が直観に反する

ものも「パラドックス」と呼ばれる。

これは擬似パラドックスと呼ばれ、前述した「真の」パラドックスとは別物である。

例えば誕生日のパラドックスは擬似パラドックスとして知られる。これは「23人のクラスの中に誕生日が同じである2人がいる確率は50%以上」というもので、数学的には正しい事実だが、多くの人は50%よりもずっと低い確率を想像する。他にもヘンペルのカラスバナッハ・タルスキの逆理などが擬似パラドックスとして知られる。

一方、

  • 正しそうに見えた仮定や推論が実は間違っていた

場合は単なる「勘違い」である。なお、(実は間違っている)仮定「Aではない」と正しい推論から矛盾した結論を得るのは背理法と呼ばれ、Aという結論を得る為に数学でよく使われる論法である。特殊な場合として、(公理以外に)何も仮定を置いていないにもかかわらず、正しい推論から矛盾した結論を得たとすると、これは「数学自身が矛盾を含んでいた」事になってしまうが、そのような事はないと予想されている。

哲学

ゼノンのパラドックス
無限とその分割に関するパラドックス。最も有名なものは下記の「アキレウスとカメのパラドックス」。他のものについてはリンク先記事を参照。
カメを追いかけてカメのいた地点にたどり着いても、その時点でカメはさらに先に進んでいるため永久にカメに追いつくことはできない。
探求のパラドックス
探求の対象が何であるかを知っていなければ探求はできない(さもなくばそれは顔も名前も知らない人を探すようなものである)。しかし、それを知っているならば既に答えは出ているので探求の必要はない。プラトンメノンにて指摘した。
グルーのパラドックス
アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンの考えた帰納にまつわるパラドックス。同じデータからは複数の帰納が可能である。
全能の逆説
全能者は自分が持ち上げることができないほど重い石を作る事ができるか?
砂山のパラドックス(ソリテス・パラドックス)
砂山から数粒の砂を取り除いても砂山だが、数粒取り除く操作を何度もくり返し、最終的に一粒だけ残ったものも「砂山」と呼べるか。
ハゲ頭のパラドックス
ハゲ(ここでは「髪の薄い人」の意)に数本の毛を追加してもハゲである。毛を追加する操作を何度も繰り返す事で、全ての人がハゲだと分かる。砂山のパラドックスの起源とされる。
テセウスの船
度重なる船の修理で部品交換を繰り返しているうちに、船ができた当初あった部品は全て無くなった。現在の船は最初の船と同一のものか。
現象判断のパラドックス
心身問題に関わるパラドックス。ルネ・デカルトの時代以来続く、心的なものと物理的なものとの間の相互作用に関わる困難についてのパラドックスの現代版。

数学・記号論理学

ルイス・キャロルのパラドックス
推論の正当化に関する無限後退を扱ったパラドックス。推論規則公理の位置付けを考えるのに使われる。
バナッハ=タルスキーのパラドックス
球をある方法で有限個(5個以上)に分割して組み立てなおすと、もとの球と同じ大きさの球が2個できる、というもの。
ヘンペルのカラス
カラスを1羽も見る事無く「カラスは黒い」を証明できる、というもの。
抜き打ちテストのパラドックス
「期間内に抜き打ちテストを行う」という特に間違ってなさそうな言説から矛盾を導く。このパラドックスを解消するには様相論理を必要とする。
トムソンのランプ
今から1秒後にランプをつけ、その 秒後にランプを消し、さらにその 秒後にランプをつけ……というように 秒毎にランプのオンとオフを切替えると、全部で2秒経過したときランプはついているか。
すべての馬は同じ色
数学的帰納法をもとにしたパラドックス。
ベルトランのパラドックス
一見簡単な問題が「無作為」という言葉の解釈次第で結論が変わってしまうというもの。

自己言及パラドックス関連

ラッセルのパラドックス
自分自身を要素としない集合の集合は、自分自身を含んでいるか。
ベリーのパラドックス
「19文字以内で記述できない最小の自然数」は何か?(「」内の文章自体が19文字であることに注意)
嘘つきのパラドックス
「この文章は嘘である」。ゲーデルはこれを「この命題は証明出来ない」という命題に改めて、第一不完全性定理を導いた。
カリーのパラドックス
「この文章が正しいならばAである」
床屋のパラドックス
ある村の床屋は自分で髭を剃らない村人全員の髭だけを剃ることになっている。それではこの床屋自身の髭は誰が剃るのか。
市長のパラドックス
自分が市長をやっている市に住んでいないような、不在市長ばかりを集めた不在市長市を作る場合、不在市長市の市長はどこに住むのか。
例外のパラドックス
例外のない規則はない」という規則に例外はあるか。(例外があると仮定しても、無いと仮定しても自己矛盾する)
張り紙禁止のパラドックス
「この壁に張り紙をしてはならない」という張り紙は許容されるか。
落書きのパラドックス
落書き禁止の壁に、「落書きするべからず」と書くことは許容されるのか。(張り紙禁止のパラドックスと同じ意)
リシャールのパラドックス
ブラリ=フォルティのパラドックス
「全ての順序数の集合」を仮定すると、それ自身が順序数であることから矛盾が生じる。
ワニのパラドックス
「自分の行動を当ててみろ」という襲撃者に対し、たった一言でその動きを完ぺきに制御してしまう。自己言及型のパラドックスの1つ。
自動点灯ライトのパラドックス
相対主義のパラドックス
相対主義は「相対主義を認めない」も許容するのか。あるいは「どの主張も絶対的に正しくない」という相対主義の主張は絶対的なのか。

「無限」

ガリレオのパラドックス
ほとんどの自然数平方数ではないにもかかわらず、自然数 n を平方数 n2に対応させると、自然数全体と平方数全体とは1対1対応する。
ヒルベルト無限ホテルのパラドックス
無限に部屋のあるホテルは、満室であってもそれぞれ n 番目の客室の客に n + m 番目の客室に移ってもらうことにより、さらに m 人の客を泊めることができる。無限の客がやってきても、元いた客に 2n 番目の客室に移ってもらうことにより入室可能である。

以上二つは(他にも数学や物理関係には同様のものが多いが)、無限というものが一見直感に反する、ということを述べているだけのことで、論理でいうところの矛盾ではない。濃度の記事などを参照。

スコーレムのパラドックス
下降型レーヴェンハイム-スコーレムの定理によると、ZF 集合論も可算モデルを持つことになるが、ZF 集合論の中には非可算集合が存在する。このことは一見不合理のように見えるので、スコーレムのパラドックスと呼ばれる。これは、形式体系内での集合概念と、メタ理論内の集合概念の違いをはっきり認識していないと不可解に見えるというに過ぎない。

確率論関連

物理

宇宙論関連

right

オルバースのパラドックス
宇宙が一様かつ十分に大きければ、一つの星の光は僅かでも総和として夜空は太陽面のように明るく輝くはずだというパラドックスである。光の速度が有限であり、また宇宙やその年齢が夜空を星で埋め尽くすほどには大きくないため、前提が成立しないことが明らかとなった。
ゼーリガーのパラドックス
宇宙が一様かつ無限であれば1つの星の重力は僅かでも総和として地球はあらゆる方向から無限に強く引かれるはずだというパラドックスだが膨張宇宙の発見により回避された。
フェルミのパラドックス

相対性理論関連

ガレージのパラドックス
物体が高速で動けば、その長さは縮む(特殊相対論ローレンツ収縮)。ガレージとともに静止している人の立場では、高速で走る車は長さが縮み、車と同じ長さのガレージに収まる。高速で走る車内の立場では、高速で動くのは前方のガレージを初めとする周りのもの全てであり(物理現象の相対性の原則より)、そちら側が空間ごと縮んでいて、同じガレージのはずなのに収まらない。なお、この現象は相対論に問題があることを意味しない。「ガレージに車が収まる」ということは、ガレージの中央を車が通過した瞬間と「同時」における、それぞれの前後端の位置関係と定義できるが、ガレージと車で「同時」が違うためである。もしそのガレージの両端にシャッターが付いていたら、「物理的な」矛盾を起こせるのではないか、という疑問があるかもしれないが、次のように説明できる。ガレージ側から、ある時刻に「同時」に前後のシャッターが閉まっていたとしても、車側からは先に前方のシャッターが開き、後から後方のシャッターが閉まった、というように世界が異なっていて、車側からはある時刻に「同時」に前後のシャッターが開いているのである。この問題を、ガレージに「駐車できるか否か」と言い換えると加減速と伸び縮みについて扱うことになるが、似ているが、また別の一見不可思議に見える思考実験として考察されており、ここでは述べない。
双子のパラドックス
双子の片方が光速に近い速度で宇宙を旅行してから地球に帰ってきたときに、彼は地球に残してきた兄弟よりも若くなっているか年をとっているか(ウラシマ効果)。
ゲーデル解
一般相対性理論におけるアインシュタイン方程式の厳密解の一つ。時空の回転と宇宙項を仮定した場合に得られるもので、時間旅行が理論的に可能になる。

量子力学関連

経済学・社会科学

サイエンス・フィクション

親殺しのパラドックス
タイムマシンで過去に行き、自分が生まれる前の自分の親を殺したとき、自分は産まれてこないことになる。またそうなると自分が居ないために親が殺されない。さらに、親は殺されないため自分は生まれてくる。という循環ができる(タイムトラベル参照)。

また、これを含めてタイムマシンなど時間移動や過去を操作することが可能な方法を想定することで生じる矛盾を総じてタイムパラドックスという。

医療・健康

フレンチパラドックス
フランス人は喫煙率が高く、脂肪分が多い食事をしている(とされる)にも関わらず、心筋梗塞が少ない事から。
ジャパニーズパラドックス
日本人喫煙率は他国よりも圧倒的に多いにもかかわらず、喫煙によって生じる筈である心筋梗塞発症率は欧米諸国に比べて10分の1から5分1と、実際には心筋梗塞の発症が日本人には少なくなる事から。

未分類

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食のパラドックス 6週間で体がよみがえる食事法

全363ページで前半197ページが理論の展開で、
後半に、何を食べて、何を食べないかを書いた食生活の指導が記載されています
342からは日々のメニュー

「体に良いものを食べる」より、「悪いものを食べない」とことが体にとって重要というのは新鮮な提言でした。
果物や全粒粉も、悪いものに分類されていて、食べないことが推奨されています。
腸内微生物を大事にすることも推奨しています。
カロリーは気にしなくても、腸内微生物がカロリーを消化するので大丈夫とも書かれています。


初耳な内容満載です

実践はたいへんです。
まず食材の入手がたいへんです。
食材は、品揃えの良いスーパーと、自然食品店から入手できると書いてありますが、
近所のお店で売っている肉が、牧草で育った、配合飼料を食べていたかを見極める方法がありません。
鶏肉はケージでなく放牧鶏というのも近くでは買えません。
養殖魚は避け天然魚にすることはできますが、外食すると、天然限定は難しいです。

食材とメニューへの言及はありますが、料理のレシピは無いので、料理スキルがいります。
例えば、「セロリのスープ」とか「グリーンスムージー」というメニューがかかれていますが、どうやって美味しく作るのかは自分で考えて頑張ることになります。
1日のタンパク質を100g以下にして野菜中心の食事で、時々断食する食生活は、お腹がすきます。

実践は、食材を入手できる店を探す、レシピの考案、外食を避けるなど、気合いが必要です。
ちょこっと食生活改善的とか、時々健康食を食べる的な軽い気持ちでは、継続的実践は難しいです。

ここ二年間くらい、腹痛・関節痛・体の痒みに悩まされ、皮膚科、胃腸科、アレルギー科で診てもらったが不明。
昨年、低FODMAP食というのを知り実践したら、腹痛は劇的改善。小麦や豆類は腹痛の原因だとわかりました。回転寿司、スーパーやコンビニのお惣菜は必ず腹痛になるので避けていました。梅おにぎりすらダメで、ほんと何が入ってるんでしょうね。
ところが夏になり腹痛が再発し、おかしいなぁと思っていた矢先にこの本と出会いました!!
腹痛の原因はトウモロコシやナス科の夏野菜でした!生の茄子やトマトは喉や口の中が痛く腫れたりすることもあったので、加熱して食べていました。

今思うと、口の中が痛くなるのにお腹の中が痛くならないわけないと思うのですが、当時の私はまったく疑ってなかったです。

さらに、この夏橋本病の甲状腺の腫れがひどくなって、喉の違和感や痛み、飲込み辛さがあったのですが、ナス科やめてしばらくしたら、甲状腺がどれかわからないほど普通のサイズに。自己免疫疾患とも関係ありそうです。

もうこの本が私の主治医です。

この本を読んで、どうして食べることができないのか理解できたので、すっきりしました。パンや豆類を食べたい気持ちがさらに減りました。
歯みがき粉や化粧品、洗濯洗剤や柔軟剤、シャンプーや整髪料が無理になったのは、自然な拒否反応だったのかなと思えました。
食事が関節痛に関係あるとわかり驚きです。

この本を知らないで苦しんでいる人が減りますように。

ひとことで言ってしまえば、とても面白い本でした。こんなに簡潔に感想を表現することは、自分としてもあまりないことで。途中、続く説明にちょっと退屈することもあるかもしれませんが、おすすめです。

ここのところ「最強」もしくは「最高」の食事術本たちが世の中に氾濫していますが、読んだ結果を脳内で戦わせてみると、ほとんど海外の著者の書籍のほうに説得されていることに気付きます。植物が身を守る仕組みや動物の体内での反応など、本書の説明も丁寧で説得力もあり、とても興味深い内容です。

話の本筋ではありませんが、胃や腸の内容物があるところは「体外」であるということ、あらためてそう説明されてなるほどと思いました。

私たちの体の構造は複雑に入り組んで見えますが、極端に言えば大きなチクワのようなもので、微生物ともそう違わない。そして、「私たちが食べたもの」で私たちができているということ、本書を手に取る前よりもより実感できている気がします。

わたしは不思議の環

著者のホフスタッターが20代で世に衝撃を与えた『ゲーデル、エッシャー、バッハ』は、80年代の人工知能ブームの火付け役と言われている。
そして、新たなAIブームのいま、『サピエンス全史』で知られるハラリが近著『ホモ・デウス』の最後で、データとアルゴリズムが人間の知能を代替していくとき、意識とは何かという大きな問いを投げかけている。その問いをもって、本書を読むと興味深い。

物理的存在にすぎない私たち人間に、なぜ<意識>が生まれるのか?

この問いに挑む本書にはいくつもの驚きがあるのだけれど、これはどうだろうか。



ひとつの魂はひとつの脳に、というのは自明ではない

同書から引用するとこうだ。ちなみに、この第16章は、ホフスタッターが人生における喪失の中で、研究から希望を見出す珠玉の一編だ。

”人の意識は主としてある特定の人の脳に存在しているけれども、他の人々の脳にも存在していて、主たる脳が破壊されても、生存する他の人の脳にごく小さな断片が残る。(中略)また、外部にある記憶も一人の人間の記憶の一部を実際に担う”(第16章 何よりも深い謎に対するあがき)

第18章人間のアイデンティティのにじんだ光の最初の見出しはこうだ。

わたしは他人を迎え入れ、他人に迎え入れられる

ちなみに、ホフスタッターは「ひとつの魂にひとつの脳」というのは「一つの円に一つの中心」というくらい自明なことで、いまは、古典的な理論を覆した量子力学理論が確立する前夜のような、不安定な時期だと言っている。

それでも、近い将来に「あなたは僕の中で生きている」ということが比喩ではなくて、しっかりした事実として受け入れられるのだろう。
さらに想像を広げると、ハラリが示した「データとアルゴリズムが、人間にとって代わる社会」とは少し違う、人間の意識が拡張され、分散しつつ協調した社会が見えてくる。

5つ星のうち 1.0期待はずれ

(参考になった人 4/7 人)

GEBの核心にあった「命をもたない物質からどうやって〈私〉は生まれるのか?」という難攻不落の謎に真正面から挑みます。 という謳い文句に惹かれて購入したが、残念ながら意識の謎について特に新しい知見はなかった。 高額な買い物をして損したというのが正直な感想だ。

100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか

昔あった,白熱教室で最初に出てくるトロッコ問題というものがある.
電車の運転手で,ブレーキが故障した.このまま進むと保線工事をしている5人に突っ込む.
自分にできるのは二つそのまま突っ込むか,待避線にそれるか,しかし待避線にも1人作業している.
どっちを選択するのが正しいかという問いである.
よく考えれば分かると思うが,実はこの問題に答えはない.
(例えば1人の方が自分の親類だったら,5人は仲のよい一緒のチームだったらなど細かい項目も判断に効いてきてしまう.

)
きっと,現実的には自分が暮らすコミュニティの合意事項として正しさが決まっていくのだと思う.
(例えば,私たちから考えるとグロテスクだが鳥葬が一般的な国もあるし,多妻が普通の国もある.)
このような答えのない問題を考えていくという事が実は重要でその中から本質的なものを
取り出せる可能性があるからだ.(ただ結局,個々の事情を考えていくしかないという事なってしまうのだが...)
この本を読んで100個思考実験の答えが得られると考えるのは誤りで,
100個の答えのない問題を知り,それぞれにどんなアプローチがあり得るかを知ることができるというのが正しい.
特に気になった問題は,自分が自分であるという事はどういうことかという問題.これは,いくつかの類題ともの語られている.
"脳だけの存在だが,感覚などはそのままの状態になったら,それは自分といえるのか."
"クローンで双子を作り,(全く同じと仮定する.)そのとき自分はどっちなのか."
"自分の記憶が消え,別人として生きた場合,自分はどこに行ったのか."・・・
これらは,やはり答えがない,これにはいろんな考えがあり得て
コミュニティ内での合意も取れそうないようにに思える.
それだからこそ,このようなテーマを考え続ける必要があるだと思った.

『時間の観念から解き放たれないと向き合えない戯れのような存在』
残念ながら、我慢して読んでいたが断念。
それは、難しいという表現はあたらない。
「読み進める意欲を醸し出してくれない」
大学時代の授業でこういう感覚を味わったのを思い出した。高名な教授で受講生も多いのだけど、まったく授業に惹きつけられない。単位も欲しいし、必修だからなおさら辛かった。
あの感覚。
100のテーマ自体(特に副題)には惹きつけられるけど、【設問】を読んで、【解説】となると、なんか雲を掴むような感覚。

この感覚を楽しめというのか、この感覚の奥にあるものを探り当てろというのか?【設問】立ち上げた問いを、蹴散らされて、取り乱されて、再度新たな問いを浴びせられた感じがすることが何度かあった。新たな問いを与えられるのは読書の喜びのひとつだけど、地に足がついていない状態で更に、大きな風船🎈を持たされた感じた。
最初の数テーマは、「自分の力不足?」「哲学は深さはどんなんだ⁉︎」なんて戒めていたけれど。

この本を読んで人に薦める人はある意味凄い。
何故、今手にしているこの本が18刷なのか、その市場の反応が自分の想像を超えている。

本書は平易な言葉で書かれた哲学的哲学的思考実験の本である。全 100 問あるが、どれもコンパクトにまとまっている。また問いの内容は多岐にわたるため、読者次第でそれぞれ合う合わないもあるだろう。どこから読んでも大丈夫な構成になっていて、どこを読むか読者側で取捨選択できる。そのため大変とっつきやすく、「最初から通しで全て読まねば!」的なプレッシャーを感じずに済むのが良い。時おり既視感のある問いが用意されているのも面白い。私は Ph.D. (Philosophiae Doctor; 直訳は哲学博士) であるのだが、実は哲学を体系的に学んだことがない。

そんな折に本書の良いうわさを聞いて早速手にしてみた。本書が提案する思考実験は大変面白く、若い頃に哲学を学んでおけば良かったと思った。

☆ 4 の理由であるが、本書は平易な言葉で書かれてはいるものの、必ずしも全体を通じてが読み易い訳ではない。題材そのものが分かりにくいこともあるし、和訳に難儀していそうな部分もある。本書の性質としてやむを得ない部分だろうとは思う。

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

経済を政府の干渉なく自由競争で行えば「神の見えざる手」によって、規制といった人為的な経済政策より、よりよい結果を導き出せるとアメリカや日本の経営者は盛んにメディア発信をしています。政策的な保護を受けない最下層が保護を受ける貧困層を攻撃させる、憎悪を煽るといったメディア戦略はおおむね成功し、日本もハイパーグローバリゼーションへの道をひた走っているように感じます。

それゆえ、新聞、テレビといったひも付きメディアにはグローバリゼーション論者と対等に議論できる論客は声がかからない。きちんとした対案を知るのはやはり、身銭を切って情報をとりに行かなければなりません。

その意味で本書は投資に値するグローバリゼーションへの対案を提示しているといえましょう。

現在のところ私たちの選択肢はグローバリゼーションの流れに乗るか、孤立主義をとって貧しくなるかの二つしか提示されていません。TPPの交渉に参加するかどうか揉めていたときはまさにこの二者択一を迫られていました。しかしこの選択肢だとグローバリゼーションに乗るという選択しかなく、それ以外を選ぶことは抵抗勢力になる覚悟を決めなければなりません。本書ではそこに「世界経済の政治的トリレンマ」という新しい視点を提示して私たちの選択とその運営についてのヒントを提示してくれています。

著者は、日本の社会政策的な独自性を生かしながらグローバル市場とどう折り合いをつけていくか
(1)国際的な取引費用を最小化する代わりに民主主義を制限して、グローバル経済が生み出す経済的・社会的損害を無視する
(2)グローバリゼーションを制限して、民主主義的な正当性を確立する
(3)国家主権を犠牲にしてグローバル民主主義を選択する
という三つの選択肢を持っていると言います。つまり私たちはグローバリゼーションと民主主義と国民国家という三つの仕組みを持っており、そのうちの2つしか選択することができません。

著者は(2)の選択をやんわりと推奨していますが、なかなか難しい選択です。ただグローバリゼーションか孤立かといった原理主義的な選択肢より妥当な概念だと思いました。今後の私たちの選択が、グローバリゼーションしかないと思っている人も、懐疑的な人も一読に値すると思います。

世界経済の政治的トリレンマ(ハイパーグローバリゼーションと国民国家と民主政治の3つを同時に満たすことはできない)は、世界の現状を見る際に明快な補助線になる。
民主政治と統治が市場に優先しなければならないと確認した上で、筆者はグローバルな民主主義・統治ではなく、国民国家に基礎を置いた民主主義・統治をするべきだと述べる。
グローバルな民主主義・統治の理想は、世界の発展段階と文化があまりに多様であるために、困難なだけでなく望ましいものでもないとする。
それを逆に見れば、民主主義を成り立たせるには、ある程度の同質性をもった国民が(むろん作られたものであれ)存在していなければならないということも感じさせられた。

5つ星のうち 5.0読んで良かった

(参考になった人 2/2 人)

グローバリズムと国民国家と民主政治が3つとも満たされる世界は無いとの主張を日経新聞で読み、この本を買った。 分厚い本で、翻訳文であることから読みづらい箇所もあったが、読んで良かった。 資本主義3.0及び、健全なグローバリゼーションに進む為の手段が、幾つか示されている。 グローバル経済の放任主義は持続しないこと、特に金融のグローバル化には害が多い点等、経済学の視点から丁寧に説明されている。

パラドックス』の解説 by はてなキーワード

paradox

逆説、論理的な矛盾。また、ジレンマ。

  • 矛盾しているようで正しいこと
  • 正しいようで矛盾していること

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