ドイツのまとめ情報

ドイツ』の解説

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、)、通称ドイツ()は、ヨーロッパ中西部に位置する連邦制共和国である。もともと「ドイツ連邦共和国」という国は西欧に分類されているが、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の民主化と東西ドイツの統一により、「中欧」または「中西欧」として再び分類されるようになっている。

概要

ドイツは限定的統治権を保有する16のから成り、総面積は357,021km2で、主に温暖な季節的気候に属する。首都及びはベルリンである。ヨーロッパ大陸における経済的及び政治的な主要国であり、多くの文化、理論、技術分野における歴史上重要な指導国である。人口は8,060万人で、欧州連合では最大の人口を有する。

ドイツは名目GDPで世界第4位かつ購買力平価で世界第5位である。産業及び技術分野における世界的なリーダーとして、かつである。世界最古のユニバーサルヘルスケア制度を含む包括的な社会保障を特色とする非常に高い生活水準先進国である。豊かな及び政治歴史で知られ、多くの影響力のある、、、映画人、、の故国である。ドイツは、1993年に欧州連合になった1957年の欧州諸共同体原加盟国である。同国はシェンゲン圏の一部であり、1999年以来ユーロ圏の一員である。また、国際連合北大西洋条約機構G7G20OECD欧州評議会加盟国である。アメリカ合衆国に次ぎ、ドイツは世界第2位のである。

国名

ドイツ語での正式名称は、 Bundesrepublik Deutschlandブンデスレプブリーク・ドイチュラント)。通称は Deutschlandドイチュラント)、略称は BRD(ベーエルデー)。Bund は「連邦」の、Republik は「共和国」の意である。

在日大使館や日本の外務省が用いる日本語表記はドイツ連邦共和国。通称はドイツ漢字で独逸獨乙などと表記され、(獨)と略される。中国語では徳意志徳国となる。英語表記は Federal Republic of Germanyフェデラル・リパブリク・オヴ・ジャーマニ)。通称は (ジャーマニ)。略称は FRG 。は「連邦の」、は「共和国」を意味し、 はラテン語の Germania(ゲルマニア:「ゲルマン人の地」の意味)に由来し、地名としてのドイツを指す。フランス語やスペイン語、ポルトガル語ではそれぞれ Allemagne(アルマーニュ)、Alemania(アレマニア)、Alemanha(アレマーニャ)と呼ばれるが、これらは本来は「(ゲルマン人の一派である)アレマン人の地」を意味する。

「ドイツ」という言葉の由来は、原語若しくはオランダ語の「Duits」が起源だといわれている。

「ドイツ(Deutsch)」の語源は、北部で話されていたゲルマン語の「」、「」、「」などの名詞に由来し、いずれも「民衆」や「大衆」を意味している 。意味も使われた時代も同じだが、綴りは地域によって異なる。フランク王国時代に、ラテン系言語ではなくゲルマン系言語を用いるゲルマン人の一般大衆をこう呼んだことから、同地域を指す呼称として用いられ始めた。「」はのちに「」という発音と綴りになったため「」に変わった。さらに古高ドイツ語では形容詞化するための接尾辞「」が付加されて「」と変わった。意味も「大衆の、民衆の」という形容詞になり、その後「」に変わり、現代ドイツ語では「deutsch」となった。

形容詞形の「deutsch」には上記の意味はなく、単に「ドイツの」という意味だけである。代わりに「völkisch」という形容詞が「大衆の、民衆の」という意味で使われたが、ナチスが自らの理念や政策を表現するのに好んで用いたため、戦後はナチズムを連想させるとして用いられなくなり、現在は「des Volkes」が主に使われる。

先史時代から東フランク王国まで

現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは、石器などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。

紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルガリア遠征などを経て、ゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んでいった。しかし紀元後9年にトイトブルク森の戦いが起こり、ゲルマン人が勝利してライン右岸を守った。この流域南部において83年にドミティアヌス帝がリメス・ゲルマニクスの建設を打ち出し、マイン川からドナウ川へとつながる長城が建設された。これによってライン中・上流域ではリメスが前進した。これは二千年にわたるドイツ史の将来を規定する伏線となった。すなわち、ローマ帝国内にあるドイツ南部と、外にあるドイツ北部である。以後三百年をかけてローマ帝国の解体が進む。コロナートゥス化とテトラルキアを経て、375年には西ゴート族が黒海沿岸から地中海に沿って、コロナートゥス化の進んだ西部へ移動した。

476年、西ローマ帝国が滅亡した。代わって西ヨーロッパを支配したフランク王国では各地に分王国が興り、その一つアウストラシア(英語版の地図が正確)が北方でライン両岸を占めた。843年ヴェルダン条約によってフランク王国が三分割された。そのうちの1つである東フランク王国が、後のドイツの原型となった。東フランク王国の国王オットー1世ザクセン朝)は962年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれる連合体を形成した。

シュヴァーベン同盟の分解

帝国のイタリア政策教会大分裂で競り負け頓挫した。各領邦は近隣諸国に比べて弱体であったがバイエルン公国は強かった。1487年6月26日に皇帝フリードリヒ3世の発した勅令はの結成につながった。これは長命であったが、1512年の更新でヴュルテンベルク公国ウルリヒが調印を拒んだ。ウルリヒが反ハプスブルクを志向してロイトリンゲンを攻撃しようとしたとき、同盟は総力を挙げてウルリヒを破り、1534年まで亡命させた。皇帝マクシミリアン1世のとき、「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と国名を称した。彼はヴュルテンベルクとインディアスの経済力を背景に、ドイツに対して搾取的な教皇庁から自立しようとしたのである。

そうした混乱期にレオ10世による贖宥状が発売された。宗教改革ではドイツの諸侯が新旧両教に分かれて互いに争った。1528年オットー・フォン・パック(Otto von Pack)が計り、ヴュルツブルク司教領が新教諸侯に脅かされた。そこでカトリック諸侯はシュヴァーベン同盟軍を強いて派遣しようとした。ルター派であったニュルンベルクは大反対した。これ以降、同盟都市は同盟参事に重要な決定を委ねないようになった。1561年、ポーランド王国ドイツ騎士団領の大部分を占領し壊滅させた。

三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊され、なかんずくニュルンベルクは惨状を極めた。1,600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したと言われる。ドイツはヴェストファーレン条約アルザスを失った。ストラスブールはドイツ時代に貨幣鋳造権をもっていたが、ドイツ側と交易できなくなって利益をスイスに奪われた。さてバイエルンは焦土化したニュルンベルクへ向かって北へ領土を広げた。ブランデンブルク辺境伯領マクデブルクを攻めたスウェーデンは、帝国郵便の営業圏を奪い、ハンブルクからブレーメンまでを領土に加えた。フランスは戦争でアクセスを確保した。フランシュ=コンテから南下するスペイン軍サヴォイアから駆逐、スイスを独立させ、ボヘミア・バイエルンと通じ帝国郵便のルーツであるインスブルックに対する圧力を確保し、ヴェネツィア共和国を港にオスマン帝国と交流できるようにしたのである。この点は図表の確認を推奨する。

帝国自由都市の自治権が奪われ、ドイツは領邦主権体制となった。1667年ザムエル・フォン・プーフェンドルフ (Samuel von Pufendorf) が著した書「ドイツ帝国憲法について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) 」において初めて、ドイツ国という呼称が確定できる。彼は世俗的自然法論により諸侯に有利な国家論を基礎付けた。

プロイセン王国の台頭、ドイツ帝国の興亡、ヴァイマル共和政の混乱とナチス・ドイツ

シュヴァーベンにあるホーエンツォレルン城一帯から台頭したプロイセン領邦君主ホーエンツォレルン家は、17世紀半ばからオランダと共に勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国を形成した。一方、スペイン継承戦争でバイエルンが自由都市アウクスブルクを占領した。この戦争でフランスがヴュルテンベルクを執拗に攻撃、シュトゥットガルトの王立銀行を手中に収めた。

フランス革命の動乱は全ヨーロッパに波及し、ドイツもナポレオンの侵略を免れなかった。対仏大同盟がナポレオンを破り、ドイツは帝国代表者会議主要決議の枠内で国家統一を志向するようになった。ホーエンツォレルン家とオーストリアのハプスブルク家はドイツ統一の役割を争ったが、前者は対米貿易とメリノ種量産に成功した。後者は地中海へのアクセスを維持するためフランスに接近するしかなかった。北ドイツ連邦を作り普墺戦争普仏戦争に勝利したプロイセン国王ヴィルヘルム1世は、ドイツ系オーストリアを除くドイツ帝国を創建し、ベルリンを首都とした。

ヴィルヘルム2世の治世では同盟政策を東方問題に左右された。イギリス・フランス・ロシアと対立し、第一次世界大戦協商国と激しい消耗戦を繰り広げた。1918年には戦力の限界とドイツ革命の勃発によってヴェルサイユ条約に調印し、帝政も終了した。

ドイツは共和国として再出発した(ヴァイマル共和政)。これは連邦制が小党を乱立させて政局を不安定にした。ヴェルサイユ条約がドイツに課した巨額の戦争賠償は経済や政治に悪影響を与えたが、1920年代中頃から米仏の外資による相対的な安定期を迎え、国際社会にも復帰しつつあった。成長は1930年代の世界恐慌に挫かれた。

経済の破綻を背景に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が台頭した。アドルフ・ヒトラーの指導下で、極右的民族主義、差別ともいえる人種政策、さらに拡張的な領土政策を唱えた。1933年ヒトラーが首相に任命されると、ナチ党は国内の政敵を次々に制圧し、ナチ党一党独裁体制を築き上げた(ナチス・ドイツ)。ヒトラーはヴェルサイユ条約の軍備制限を破棄し、オーストリアチェコスロバキアの領土を獲得していった(ミュンヘン会談)。次第に英仏との緊張関係が高まった。ポーランド回廊を寸断すべく、ドイツは1939年9月ポーランドへ侵攻した。これが英仏の宣戦を招き、第二次世界大戦が始まった。一時はフランスを打倒してヴィシー政権を樹立し、ヨーロッパの大半を勢力下に置いた。しかし独ソ戦で形勢を崩した。連合国軍の侵攻によりドイツは無条件降伏した。そしてニュルンベルク裁判がナチスを断罪した。

連合国による占領と東西分断、そして再統一へ

1945年、ドイツは第二次世界大戦に敗北した。そしてオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンシュレジェン地域を完全に喪失した。これにより戦前の領土の25%を失った。さらにアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領された(連合軍軍政期)。1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国西ドイツ)と、ベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国東ドイツ)に分裂した。

ドイツとフランスが交流を深めた結果、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体が誕生した。

冷戦の時代を通じ、東西ドイツは資本主義共産主義が対立する最前線となった。

1989年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌1990年、再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリン再開発・インフラ整備と、連邦政府機関移転を進め、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転を完了させた。2002年にドイツ連邦銀行の政策が欧州中央銀行と加盟国の中央銀行で構成される欧州中央銀行制度に移管された。

ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差や統一税がそれまでの順調な成長を妨げている。それでも統一ドイツはフランスと共に欧州連合の中核国として発言力を増している。

近年のユーロ危機では、競争力の高いドイツが域内から黒字を吸い上げる一人勝ち構造が批判されるとともに、これまで合理化に耐えてきた国民からは援助支出への不満の声が高まるなど政府は難しい舵取りを迫られている。

地理

ドイツは西欧および中欧に属し、北にデンマーク、東にポーランドとチェコ、南にオーストリアとスイス、南西にフランスとルクセンブルク、そして北西にベルギーとオランダと各々国境を接しており、国土はおおよそ北緯47°から55°(ジルト島の北端が丁度55°)、東経5°から16°の範囲に位置している。総面積は357,021km2に及び、領土349223km2、領海7,798km2から成る。この面積はヨーロッパ第7位、世界第62位である。

ドイツの地形は北から南へ、大きく5つの地域に分けられる。北ドイツ低地、中部山岳地帯、南西ドイツ中部山岳階段状地域、南ドイツアルプス前縁地帯、バイエルン・アルプスである。

北ドイツ低地は全体的に標高100m以下の平坦な地域で、エルベ川などの川沿いにはリューネブルクハイデと呼ばれる大きな丘陵地がある。バルト海沿岸は平坦な砂浜や、断崖をなす岩石海岸となっている。中部山岳地帯は、おおよそ北はハノーファーの辺りから南はマイン川におよぶ地域で、ドイツの西部と中部に広がり、ドイツを南北に分けている。地形的に峡谷や低い山々、盆地など変化にとんでおり、山地としては西部のアイフェル丘陵フンスリュック山地、中央部のハルツ山地、東部のエルツ山脈がある。南西ドイツ中部山岳階段状地域にはオーデンヴァルトや、ドイツ語で「黒い森」を意味するシュヴァルツヴァルトの標高1000mを超える広大な森林がある。アルプスはドイツ国内ではもっとも標高が高い地域で、南部の丘陵や大きな湖の多いシュヴァーベン=バイルン高原に加えて、広大な堆石平野とウンターバイエルン丘陵地、そしてドナウ低地を包括している。ここにはアルプスの山々に囲まれた絵のように美しい数々の湖や観光地があり、オーストリアとの国境地帯にはドイツの最高峰ツークシュピッツェ(標高2962m)がそびえ立つ。

ドイツにおける火山活動は先カンブリア代に収束している。先カンブリア代末から始まったカレドニア変動や、後期古生代におこったバリスカン(ヘルシニアン)変動はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000kmにおよぶ規模の大陸間の変動であった。現在のドイツの地形を決定したのは新生代における褶曲運動である。アルプス変動帯の活動により、最南部は標高1200mにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、ライン地溝を形成する。ライン地溝は、約500kmに渡って南北に伸びる。

ドイツ北部(北ヨーロッパ平野)の地表は氷河地形の典型例である。最終氷期においては北緯51度線に至るまで氷河が発達し、ヨーロッパを横切る数千km規模の末端堆石堤を残した。その100から200kmの海岸線方面にはモレーンが残る。末端堆石堤とモレーンの北側にそっていずれも氷食性のレスが堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。いっぽう、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドのヴィスワ川、ポーランド国境に伸びるオーデル川、エルベ川、ドイツ西部のヴェーザー川が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。

気候

ドイツの大部分は温暖な偏西風とメキシコ湾流の北延である北大西洋海流の暖流によって比較的温和である。温かい海流が北海に隣接する地域に影響を与え、北西部および北部の気候は海洋性気候となっている。降雨は年間を通してあり、特に夏季に多い。冬季は温暖で夏季は(30℃を越えることもあるが)冷涼になる傾向がある。

東部はより大陸性気候的で、冬季はやや寒冷になる。2008年時点ではドイツの過半が耕地(34%)と森林・疎林(30.1%)に占められており、13.4% が放牧地で11.8%が定住地・道路となっている。

動植物は中央ヨーロッパにおいて一般的なものである。ブナ、カシ、およびその他の落葉樹が森林の3分の1を構成しており、また針葉樹が植林の結果、増加傾向にある。トウヒとモミの木が高地山脈を占めている一方で松やカラマツを砂質土で見出だせる。シダ、花、菌類、そしてコケの多くの種がある。野生動物にはシカ、イノシシ、ムフロン、狐、アナグマ、ノウサギ、そして少数のビーバーが含まれている。

ドイツには、、、、、、、などの国立公園がある。ドイツ国内では400以上の動物園が運営されており、世界最多とされる。ベルリン動物園はドイツ最古の動物園であり、ここには世界で最も多くの動植物種が収集されている。

地方行政区分

ドイツには16の連邦州がある。ベルリンとハンブルクは都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。ブレーメンブレーマーハーフェンも合わせて都市州となる。

主要都市

ドイツは小邦分立による地方分権の歴史が長いため、ロンドンパリ東京の様な首都への一極集中はしていない。人口は2008年のデータを使用。

File:Berlin Mitte by night.JPG|ベルリン

File:Hamburger Skyline - panoramio (1).jpg|ハンブルク

File:Stadtbild München.jpg|ミュンヘン

File:Kölnpanorama bei Abenddämmerung (2).JPG|ケルン

File:Frankfurt Am Main-Stadtansicht von der Deutschherrnbruecke am fruehen Abend-20110808.jpg|フランクフルト

政治

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ドイツは連邦制議院内閣制代表民主制の共和国である。ドイツの政治システムは1949年に発効されたドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz)の枠組みに基づいて運営されている。基本法改正には両院の2/3の賛成を必要としており、 このうち「人間の尊厳の保証」「権力の分割」「連邦制」そして「法による支配」といった基本法諸原則は「永久化」され侵害は許されない。

連邦大統領Bundespräsident)は国家元首であり、主に儀礼的な権能のみが与えられている。大統領は任期5年で、連邦議会議員と各州議会代表とで構成される連邦会議によって選出される。大統領は連邦議会の解散権を有する。

大統領に次ぐ序列は(Bundestagspräsident)であり、連邦議会によって選出され、議会運営の監督責任を持つ。

序列第三位であり、政府の長となる地位が連邦首相Bundeskanzler)であり、連邦議会で選出された後に、議長によって任命される。首相は任期4年で、行政府の長として行政権を執行する。内閣の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命する。

連邦の立法権連邦議会Bundestag)と連邦参議院Bundesrat)が有し、この両院で立法府を構成する。連邦議会議員は小選挙区比例代表併用制による直接選挙によって選ばれ(ただし選挙制度の関係でが出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わり、2013年現在は630議席)で任期4年。連邦参議院議員は定数69議席で16州政府の代表であり、また州政府内閣の閣僚でもある。他に連邦議会に議席を有する主要政党として、左翼・社会主義の左翼党(2005年以降)、環境政党同盟90/緑の党(1983年以降)がある。

過激派の政党としては極左のドイツ共産党と極右のドイツ国家民主党が存在するが、国政レベルの影響を持つには至っていない。近年は欧州懐疑主義と反移民を掲げるドイツのための選択肢が急速に党勢を伸ばしている。

警察・司法

ドイツはゲルマン法の要素を加えたローマ法を基礎とする大陸法を法律において採用している(ドイツ法)。憲法に関しては第二次世界大戦後の1949年西ドイツドイツ連邦共和国基本法Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland)が暫定的な憲法(基本法)として定められたが、ドイツ民主共和国憲法を制定していた東ドイツとの統合後(ドイツ再統一)も正式憲法は制定されず、共和国基本法が継続している。

司法機関については連邦憲法裁判所Bundesverfassungsgericht)が違憲審査権を有する憲法に関する事項の最高裁判所として機能している。Oberste Gerichtshöfe des Bundesと呼ばれるドイツの最高裁判所制度は専門化がなされており、民事および刑事に関する裁判所は連邦通常裁判所、それ以外の事項に関しては連邦労働裁判所連邦社会裁判所連邦財政裁判所連邦行政裁判所などがそれぞれ担当する。刑法民法刑法典Strafgesetzbuch)と民法典Bürgerliches Gesetzbuch)に成文化されている。ドイツの刑法制度は犯罪者の更生と一般大衆の保護を主眼としている。

治安維持については他国と同じく、基本的には警察(Polizei)によって行われる。その警察組織はナチスドイツ時代に設置されていた集権的な秩序警察(Ordnungspolizei)を廃止し、それぞれの州政府によって地方警察 (Landespolizei)が運営され、警察とは別に都市や地区レベルの治安組織もある。連邦全体の組織としては連邦刑事局 (BKA) 及び連邦警察局 (BPOL) があり、前者は複数の州や他国が関係する事件に介入して調整を行い、後者は国境警備やカウンターテロリズムを担当する。世界的に知られる特殊部隊であるGSG-9はBPOLの指揮下にある。集団警備が必要な場合は機動隊(Bereitschaftspolizei)が動員されるが、これについてはBPOLと地方警察がそれぞれ部隊を持ち、内務省が全体を管轄している。

他に警察組織以外の特殊な治安機関としては内務省直属の連邦憲法擁護庁(BfV)が存在し、政府直属の連邦情報局(BND)、軍直属の軍事保安局(MAD)と並んで諜報機関としても機能している。

軍事

ドイツには在欧アメリカ軍が常駐する。作戦指揮はアメリカ欧州軍から受ける。第二次世界大戦以降ドイツのラムシュタイン空軍基地に司令部を置いていて、ドイツ国内に何ヶ所か基地がある。ドイツはニュークリア・シェアリングのための核兵器を装備している。

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ドイツ連邦軍Bundeswehr)は陸軍Heer)、海軍Marine)、空軍Luftwaffe)、救護業務軍Zentraler Sanitätsdienst)そして戦力基盤軍Streitkräftebasis)に分けられる。2005年時点においてドイツの軍事支出はGDP比1.5%で対GDP比としては世界99位だが。平時において連邦軍は国防大臣の指揮下に置かれる。ドイツが戦時に入れば(基本法は自衛のみを容認している)、首相が連邦軍の総司令官となる。2011年の軍事支出も467億ドルと低めに抑えられている。

2011年5月現在、ドイツ連邦軍は職業軍人188,000と兵役最低6か月の18-25歳からなる徴集兵31,000を擁している。ドイツ政府は職業軍人170,000、短期志願兵15,000へ縮小することを計画している。各軍には予備役兵がおり、軍事訓練や海外派兵に参加している。予備役の将来の兵力や機能に関する新たなコンセプトが2011年に発表された。以来、各地の戦争に参加しており、2011年現在、ドイツ兵約6,900人が国際平和維持活動に参加して国外に駐留しており、この中にはNATO主導の国際治安支援部隊(ISAF)に参加してアフガニスタンウズベキスタンに駐留する4,900人、コソボ駐留の1,150人、国際連合レバノン暫定駐留軍の300人が含まれる。

2011年まで、ドイツには18歳以上の男性に対する徴兵制度が存在し6か月の兵役期間が課せられていた。しかし、良心的兵役拒否者は同期間の(Zivildienst)と呼ばれる老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動、または消防団赤十字に対する6年間のボランティア活動を選択することができた。兵役拒否者は年々増加し、近年では兵役を選択する者は2割に過ぎなくなっていた。しかし、徴兵制の廃止により、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまい、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念が持たれており、ドイツ政府は補充対策を検討している。

2001年以降、女性軍人に対する制限が廃止されて全ての軍務に従事できるようになったが、女性は徴兵制の対象ではなかった。2011年現在で約17,500人の女性の現役兵と予備役兵がいる。

ドイツはアメリカロシアに次ぐ世界第3位の武器輸出国である。人権弾圧国家や紛争地への武器輸出は禁止しているとされるが、実際にはサウジアラビアのような人権弾圧の疑いのある国や、イスラエルのように核保有の疑いがあり、パレスチナ問題のような不和を抱える国にも輸出されている。ドイツの武器輸出は伸びており、2013年に輸出した武器の総額は、前年比24%増の58億5000万ユーロ(約8015億)であった。一方、ドイツ国民の間には武器輸出に反対する声が強く、2012年の世論調査では、ドイツ人の3分の2が武器輸出に反対しているとする調査もある。

画像:Leopard 2 A5 der Bundeswehr.jpg|ドイツ陸軍のレオパルト2主力戦車

画像:Eurofighter 9803 5.jpg|ドイツ空軍のユーロファイター戦闘機

画像:Fregatte Karlsruhe.jpg|「不朽の自由」作戦に参加したドイツ海軍のブレーメン級フリゲート艦「カールスルーエ」がソマリア沖で難民の乗った船を保護している

国際関係

ドイツは190カ国以上との外交関係を結び、229ヵ所の在外公館を有している。2011年現在、ドイツは欧州連合への最大の分担金拠出国であり(拠出額20%)、国連に対しては第三位の分担金拠出国である(拠出額8%)。ドイツはNATO経済協力開発機構(OECD)、主要国首脳会議(G8)、G20、世界銀行そして国際通貨基金(IMF)に加盟している。ドイツは欧州連合発足当初から主要な役割を果たしており、また第二次世界大戦以降はフランスとの緊密な同盟関係を保っている。ドイツは欧州の政治および安全保障面での統合を推進する努力を続けて来た。

ドイツの開発援助政策は外交政策における独立した分野となっている。政策は(BMZ)が策定し、関係各機関が遂行する。ドイツ政府は開発援助政策を国際社会における共同責任と位置つけている。ドイツの開発援助支出額は米国、フランスに次ぐ世界第三位である。

冷戦の時代、鉄のカーテンにより分断されたドイツは東西緊張の象徴となり、欧州における政治的戦場となっていた。しかしながら、東方外交を行ったヴィリー・ブラント首相は1970年代におけるデタント成功の鍵となった。1999年にゲアハルト・シュレーダー首相がNATOのコソボ派兵への参加を決めたことにより、ドイツ外交の新たな基礎が定められ、第二次世界大戦以後、初めてドイツ兵が戦場へ送られた。ドイツと米国は緊密な政治的同盟関係にある。1948年のマーシャル・プランと強い文化的な結びつきが両国の絆を強めたが、シュレーダー首相のイラク戦争に対する強い反対意見は大西洋主義の終焉を示唆し、独米関係を冷却化させた。両国は経済的に相互依存関係にあり、ドイツの対米輸出は8.8%であり、輸入は6.6%である。

中華人民共和国

中華人民共和国アジアにおける一番の貿易相手国である。

ドイツの武器輸出額は中国に次ぐ世界4位。

日本との関係

1603年-1870年

江戸時代に来日したドイツ人の一人に、徳川綱吉とも会見した博物学者エンゲルベルト・ケンペルがいる。ケンペルが著した浩瀚(こうかん)な『日本誌』は詳細な紀行文にして博物誌であり、ゲーテも愛読したと伝えられる。日本に西洋医学を伝えたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもドイツ人であり、徳川幕府が崩壊した後も、日本人は盛んにドイツから医学を学んだ。

直接の外交関係は、1850年代にプロイセン王国の軍艦品川沖に来航した事に始まり、アメリカ合衆国のマシュー・ペリーのように武力で外交を開こうとした。このため、1911年まで(即ち幕末から明治まで)の日独関係は、不平等条約で結ばれていた。しかし、後述のように文化交流では重要な国となった。さらに、歴史的経過を見ると、ドイツ帝国成立(1871年)と明治維新1868年)が、ほぼ同じ時期に起こった点も大きい。

1871年-1945年

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1873年に岩倉使節団はベルリン、ハンブルク、ミュンヘンを歴訪しており、その当時の様子は「米欧回覧実記」にも詳しく記載されている。明治維新を経た1870年代から1880年代までの日本では、ドイツ帝国の文化や制度が熱心に学ばれ、近代化の過程に大きな影響を与えた。この為、日本の近代化は「ドイツ的近代化」であるとも言われている。伊藤博文は、大日本帝国憲法の作成にあたってベルリン大学憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストウィーン大学シュタインに師事し、歴史法学を研究している。当時の東京帝国大学がヨーロッパから招聘した教員にはドイツ人が多く、明治9年(1876年)にエルヴィン・フォン・ベルツが来日したのを初め、哲学では夏目漱石もその教えを受けて「ケーベル博士」と親しまれたラファエル・フォン・ケーベル、化学ではゴットフリード・ワグネルなどがいる。工学においては、大久保利通の命を受けた井上省三が、ザガン市(現・ポーランド領ジャガン)のカール・ウルブリヒト工場で紡績の生産技術を学び、日本に伝えている。その知識は現代の日本の製造業の礎となった。軍事においても、大日本帝国陸軍は、普仏戦争後、軍制をフランス式からプロイセン式へと変え、その制度と理論による近代化に努め、日露戦争の勝利に繋がった。

日清戦争後には、ドイツは、ロシア帝国や、フランスとともに、日本に対し三国干渉を行った。さらに第一次世界大戦が勃発すると日本が日英同盟により連合国側に与したため、ついにドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など中央同盟国側とは山東半島ミクロネシア地中海などで戦火を交えるに至った(→第一次世界大戦下の日本)。

第一次世界大戦敗戦後、ドイツ帝国は崩壊しヴァイマル共和制が成立し、ヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課され、全植民地の喪失とともに、国内での軍事産業が制限された。そのためドイツは、ソ連や中国との密貿易関係を構築した。特に中国はタングステンを産出したため、中独合作を行い、日中戦争支那事変)では蒋介石政権に最新の兵器と軍事顧問団を送り込み、日本軍を苦しめた。当時日本が高度に軍事成長を果たすのに対して、ドイツは黄禍論も背景にあり、脅威を感じていた。その後国際情勢の変動により、1936年には日独防共協定を締結、その後利害を共有する日独両国は親近感を深め、1940年には日独伊三国軍事同盟へと発展、第二次世界大戦では枢軸国(同盟国)として共に戦うこととなった。

1945年-現在

技術・経済面での交流は活発で、日本にとってヨーロッパ最大の貿易相手国となっている。特にドイツの自動車は日本でも高い人気を誇り、日本の輸入車の販売数上位3つはメルセデス・ベンツBMWフォルクスワーゲンが占めている。文化や制度の面では第二次世界大戦前ほどの影響力を持たなくなったものの、クラシック音楽ではバッハベートーヴェンをはじめとするドイツ(およびオーストリア)の作曲家の楽曲が愛好されている。

欧州連合が設立されてからは、欧州連合の中心国として交流してきた。

ドイツでは、1999年1月から2000年9月までは「ドイツにおける日本年」と定められて日本が総合的に紹介され、また日本では2005年2006年に「日本におけるドイツ年」の諸企画が行われ、新しい形の日独交流が形成されている。

経済

2013年のドイツのGDPは3兆6359億ドルであり、アメリカ中国、日本に次ぐ世界第4位の経済大国である。EU加盟国では最大の経済力を持つ。工業製品輸出額などでは世界一である。アメリカ資本を1907年恐慌以前から集中投下された結果である。

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ドイツ経済主要産業は工業である(自動車・化学機械金属電気製品)。大企業より中小企業の割合が他の先進国より高い。ドイツは戦前から科学技術に優れており、ガソリン自動車やディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人であった。また現在見られる液体燃料ロケットスペースシャトルソユーズアリアンH-IIAなど、固体ロケットM-Vロケット等を除く)は戦時中にナチスが開発した技術が基礎となっている。現在でも技術力があり、自動車はメルセデス・ベンツ、ポルシェ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンといったブランドが世界的に有名である。その他、化学・薬品大手のバイエルベーリンガーインゲルハイム、電機大手のシーメンスボッシュ、航空会社のルフトハンザドイツ航空、金融のドイツ銀行コメルツ銀行、経営管理ソフトウェア大手のSAP、光学機器メーカーのカール・ツァイスライカ、世界最大の映画用カメラメーカーであるアーノルド&リヒター、人工透析で世界シェア40%のフレゼニウス、化学メーカーのBASF、建設機械メーカーのリープヘルなど、世界的に活動している大企業は多い。近年は再生可能エネルギー産業が急成長している。

また生活用品や日用品においても、家庭用・業務用洗剤のヘンケル、清掃機器のケルヒャー、高級キッチンのミーレ、電気シェーバーや電動歯ブラシのブラウン、スポーツ用品のアディダスプーマ、高級時計のランゲ・アンド・ゾーネや軍用時計のチュチマ、世界最初の電波時計を作ったユンハンス、筆記用具のモンブランペリカンロットリングラミーファーバーカステルステッドラー、音響機器のゼンハイザーベリンガーや世界初のステレオヘッドフォンを発売したベイヤー、ぬいぐるみのテディベアで知られるシュタイフなど世界的に著名な企業が多い。

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繁栄の基礎となるアメリカ資本をひきつけることができたのは、戦前にコンツェルンができるほど充実した保険制度のおかげかもしれない。

ドイツの医療は世界で初めて公的年金、公的医療保険制度を導入した。日本を含む多くの諸外国がこれを取り入れている。1883年にオットー・フォン・ビスマルクが成立させた疾病保険法に遡る世界最古の国民皆保険制度を有している。現在、全住民には国家によって提供される基礎健康保険が適用され、保険者は公的・私的の中から自由に選択できる。世界保健機関によれば、2005年のドイツ国民医療費は77%が公費負担、23%が私費負担である。GDPに占める医療費は11%であった。平均寿命は男性が77歳、女性が82歳で世界第20位であり、乳児死亡率は出生児1,000人当たり4人と非常に低い数値である。2008年現在、82,000人がHIV/AIDSに感染しており、1982年以降、合計26,000人がこの病気で死亡している。2005年の統計では成人の27%が喫煙者である。

旧西ドイツは日本同様、第二次世界大戦後に急速な経済発展を成し遂げたが、1990年の東西統一以降旧東ドイツへの援助コストの増大、社会保障のためのコスト増大などが重荷となって経済が低迷。また旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業の倒産などで失業が増え、旧東側では失業率が17.2%に達し、深刻な問題となっていた。また企業が人件費の安いポーランドやチェコなどへ生産拠点を移転させようとしているために、ますます失業が増えるのではないかとの懸念もある。しかしこの数年はGDPは増加傾向であり、失業率も減少して2011年の時点では1991年以来の低水準となっている。

かつてはすべての州で、「閉店法」(Ladenöffnungszeit)により、(空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く)小売店は平日(月曜日から土曜日まで)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、2006年のFIFAワールドカップ開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。

インフラストラクチャー

ヨーロッパの中央部に位置するドイツは輸送機関の中枢となっている。このことは密集化され、かつ近代化された輸送ネットワークに反映されている。自動車大国であるだけに道路網も発達しており、アウトバーンと呼ばれる高速道路が主要都市を結んでおり、総延長は世界第三位である。鉄道ドイツ鉄道DB, Deutsche Bahn)が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車ICEや都市間を結ぶインターシティ、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている。また、都市部では近郊電車のSバーンや地下鉄(Uバーン)、路面電車の路線網が発達している。なおヴッパータールには、現在運行している世界最古のモノレールがある。トランスラピッド世界金融危機で建設が断念された。

航空では、欧州でも屈指の大手航空会社ルフトハンザドイツ航空が世界各国に航空路線を持っている。また、などの格安航空会社もある。ドイツ最大のフランクフルト空港ミュンヘン国際空港はルフトハンザの国際ハブ空港となっており、とりわけフランクフルト空港は欧州で三番目に利用旅客数の多い空港となっている。その他の主要空港にはベルリン・テーゲルベルリン・シェーネフェルトデュッセルドルフハンブルクケルン・ボンライプツィヒ・ハレがある。

2008年現在、ドイツは世界第6位のエネルギー消費国であり、主要エネルギーの60%を輸入に依存している。政府はエネルギー効率改善と再生可能エネルギー活用を推進している。エネルギー効率は1970年前半以降改善しており、政府は2050年までに国内電力需要を再生可能エネルギーのみで賄うことを目標に掲げている。2010年時点でのエネルギー源は石油(33.8%)、褐炭を含む石炭(22.8%)、天然ガス(21.8%)、原子力(10.8%)、水力発電や風力発電(1.5%)、そしてその他の再生可能エネルギー(7.9%)となっている。2000年、政府と原子力産業は2021年までに全ての原子力発電所を閉鎖することに合意した。

ドイツは京都議定書や生物多様性、排出量規制、リサイクリングそして再生可能エネルギーの利用などを推進するその他の諸条約に係わっており、世界レベルでの持続可能な開発を支持している。ドイツ政府は大幅な排出量削減運動に着手しており、国内の排出量は低下している。しかしながら、2007年時点でのドイツの温室効果ガス排出量は依然としてEU最大である。

特に電力系統において、1990年から固定価格買い取り制度を採用、スマートグリッドを構築中である。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任という面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、

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1998年に同盟90/緑の党が連立政権に参加した。

1986年 廃棄物発生防止・処理規正法

産業廃棄物等の発生源によって規制する規則

1991年6月 包装材廃棄物政令

1994年10月 「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)

1996年10月 同法施行

製造業者の関与を深める法体系を作った

2002年1月 デポジット制の制定

環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される

2011年7月 脱原発法の成立

2011年3月の福島第一原子力発電所事故の発生を機に反原発の声が高まり、2022年までに国内17基の原発を全て停止することになった。2015年3月現在、9基の原子力発電所が稼動中。

科学技術

科学におけるドイツの業績は非常に大きく、研究開発活動はドイツ経済にとって不可欠な分野となっている。これまでに103人のノーベル賞受賞者を輩出しており、20世紀においては、物理学賞化学賞生理学・医学賞といった科学の分野で他のどの国よりも多くの受賞をしている。非英語圏では群を抜いた受賞者数となっている。

アルベルト・アインシュタインマックス・プランクの業績が現代物理学確立への重要な役割を果たし、ヴェルナー・ハイゼンベルクマックス・ボルンがこれをより一層発展させた。彼らの仕事はヘルマン・フォン・ヘルムホルツヨゼフ・フォン・フラウンホーファーといった物理学者たちに引き継がれている。ヴィルヘルム・レントゲンX線を発見し、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した。また、カール・フリードリヒ・ガウスダフィット・ヒルベルトベルンハルト・リーマンゴットフリート・ライプニッツカール・ワイエルシュトラスヘルマン・ワイルそしてフェリックス・クラインといった数多くの数学者たちがドイツから生まれている。ドイツにおける研究機関にはマックス・プランク研究所ドイツ研究センターヘルムホルツ協会フラウンホーファー協会がある。毎年、10人の研究者にゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞が授与されており、最大250万ユーロの賞金は最も高額な学術賞の一つである。

諸科学の中でも医学、薬学、化学はとりわけドイツが世界の先進的立場を占める分野であり、特に日本では徹底してドイツ医学に学ぶ傾向が強かったため、戦後かなり遅い時期まで日本の医師はドイツ語を学びカルテをドイツ語で書くことが常識とされていたぐらいである。森鴎外北杜夫手塚治虫といった医学者出身文化人がそろってドイツ文学に傾倒しているのもこの影響である。

ドイツは多数の著名な発明家や技術者の出身国であり、その中にはヨーロッパで初めて活版印刷を発明したとされるヨハネス・グーテンベルクガイガー=ミュラー計数管を開発したハンス・ガイガーそして初めて全自動デジタルコンピュータを製作したコンラート・ツーゼがいる。フェルディナント・フォン・ツェッペリンオットー・リリエンタールゴットリープ・ダイムラールドルフ・ディーゼルフーゴー・ユンカースそしてカール・ベンツといったドイツの発明家、技術者、企業家たちが現代の自動車や航空輸送技術を形づくった。史上初の宇宙ロケット(V2ロケット)を開発した航空宇宙工学技術者ヴェルナー・フォン・ブラウンは、後にNASAの主要メンバーとなり、サターンV型ロケットを開発してアポロ計画の成功に貢献している。ハインリヒ・ヘルツ電磁波分野での業績は現代の遠距離通信の発展にとって極めて重要である。

また、ドイツは環境技術の開発と利用に関する主要国の一つである。環境技術を専門とする企業の総売上高は2005年時点で再生エネルギー分野で164億ユーロ、廃棄物処理分野は500億ユーロにのぼる。ドイツ環境技術業界の重要市場は、発電、サステイナブル・モビリティ、材料能率差、エネルギー効率、廃棄物管理とリサイクル、持続可能なである。

画像:Johannes Gutenberg.jpg|グーテンベルク

画像:WilhelmRöntgen.JPG|レントゲン

画像:Einstein 1921 by F Schmutzer - restoration.jpg|アインシュタイン

画像:Dr. Wernher von Braun and Saturn IB.jpg|ブラウン

画像:Hermann Weyl ETH-Bib Portr 00890.jpg|ヘルマン・ワイル

国民

少子高齢化が進み、1人の高齢者を2.9人で支える高齢社会に突入しており(2012年)、OECD各国では日本の次に少子高齢化が進行している。2010年1月現在のドイツの人口は8,180万人であり、EU域内では最大、世界第15位である。平均人口密度は229.4人/km²である。平均寿命は79.9歳。2009年の合計特殊出生率は女性一人当たり1.4人または1000人当たりでは7.9人となり、世界で最も低率の国のひとつである。1990年代以降、死亡率出生率を上回る状態が続いている。ドイツは2060年までに人口は6,500万人から7,000万人に減少すると予測している(移民の程度による)。

主要民族・少数民族

国民の8割はゲルマン系ドイツ語母語とするドイツ民族である。ドイツ民族は欧州諸民族の例にもれず地域毎に文化的差異が大きいが、概ねゲルマン系の民族として認識されている。しかし南部のバイエルン地方については自己をドイツ民族ではなくバイエルン民族と定義する場合も多く、エスニックジョークの題材にもされる。他に北東部のラウジッツ地方には西スラヴ語群系の言語を話すソルブ人バルト海沿岸部のフリースラント地方にはアングロ・フリジア語系の言語を話すフリジア人がそれぞれ存在する。またシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州には隣接するデンマーク王国の主要民族であるデンマーク人の居住区が広がる他、ポーランドと国境を接する歴史からポーランド系ドイツ人の定住も長い歴史を持っている。

1987年以降は約300万人の主に東ヨーロッパや旧ソ連から移民した民族ドイツ人(Aussiedler)がドイツに再定住する動きも起きている。2000年以降、亡命と移民に対して無制限だった以前の法律が改正された結果、亡命地を求める移民や民族ドイツ人を主張する者たち(主に旧ソ連圏)の移住は減少している。

これら少数民族の権利獲得や自治権を求める動きは様々な形で実施されており、ドイツ国家からの独立が主張される場合もある。2017年、国内最大の日刊紙ビルトとイギリスの調査会社はドイツ全土で「自分が住む州はドイツから独立するべきか」について世論調査を行い、バイエルン自由州で32%、ザールラント州テューリンゲン州ザクセン州メクレンブルク=フォアポンメルン州の6州で20%の州民が「ドイツから独立すべき」と回答した。

移民・難民

は、移民としての背景を持つ者の定義を「1949年以降にドイツ連邦共和国の領域に移民した者」「国内で出生した外国国籍者」「少なくとも一方の親が移民または国内で生まれた外国国籍者で、国籍保持者として生まれた者」としている。

2009年時点で連邦政府に登録されている外国人居住者は約700万人で、国内居住者の19%が外国人または両親の一方が外国人(送還された民族ドイツ人を含む)であり、これらの96%が西ドイツまたベルリンに居住している。ドイツへのは、戦後復興期の西ドイツにおける外国人労働者の受け入れに始まり、ドイツ再統一、欧州連合のシェンゲン条約欧州難民危機なども影響して2010年代も増加が続いている。近年では移民の総数はドイツ国民の約2割に達しつつあり、1945年以降最も移民の割合が高くなっている。2012年の時点では、OECD加盟国中、ドイツは米国に次いで2番目の移民大国となっている。国際連合人口基金の統計によれば、ドイツは全世界の1億9,100万人の移民人口のうち、約5%に相当する1,000万人を受け入れており、移民受け入れ数では世界第3位である。

移民集団の規模は統計データによって異なるが、最大の移民集団はロシア人(350万名)であり、ポーランド人(285万名)、トルコ人(280万名)、アラブ人(100万名)がこれに続いている。100万名以下の移民集団としてはイタリア人(830,000名)、ルーマニア人(489,000名)、ギリシャ人(283,684名) 、オランダ人(350,000名)などがある。

ロシア系移民は大部分が旧東ドイツ領に相当する東部ドイツに定住しており、ドイツ再統一ソヴィエト連邦崩壊という冷戦終結に伴う混乱が重なった事によって大量に増加した。また同じく旧東側諸国からの移民としてポーランド系移民も冷戦後に急増したが、こちらは東部ドイツに限らず南部や西部にも移り住んでいる。かつては最大の移民集団であったトルコ系移民(クルド人と自認する者も含む)は1960年代の西ドイツが労働力不足を補う為、トルコ共和国と移民協定を結んだ事で流入し、現在でも第3位の規模を持つ移民集団を形成している。2010年代にはシリア内戦など中東の政情不安によってドイツへの難民申請が続き、シリア人を筆頭とするアラブ系移民が100万名以上に膨れ上がっている。

東欧やトルコからの安価な労働力の流入がドイツ人の雇用悪化を招き、失業者の中には暴動に走る者も現れ、ネオナチなどの外国人排斥運動に賛同して外国人を襲撃するなど深刻な問題となっている。欧州難民危機以後は中東からの難民にも警戒感が広がり、PEGIDAドイツのための選択肢などネオナチに代わる新たな排外運動が勢力を拡大している。

言語

ドイツ語は、ドイツの公用語であり支配的な言語である

標準ドイツ語は西ゲルマン語群であり、英語、低地ドイツ語、オランダ語、そしてフリジア語と密接に関連し、分類されている。低い割合ではあるが、東ゲルマン語群(死語)と北ゲルマン語群とも関係する。ほとんどのドイツ語の語彙は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン分岐から派生している。

単語の相当数がラテン語ギリシャ語からの派生であり、またフランス語そして最近の英語(デングリッシュとして知られる)からも含まれる。ドイツ語はラテン・アルファベットを使用して書かれる。ドイツ語方言(ゲルマン諸民族の伝統的な地方亜種にまで遡る)はその語彙音韻文法規則で標準ドイツ語からの言語変種に分類される。

また、2011年現在、少数言語の研究団体エスノローグはドイツ連邦共和国内に以下を含む28言語の存在を認めている。

人名

18世紀ドイツにおいては、洗礼の際にミドルネームが与えられることがあった。また、女性のファミリーネームを記録する際には元の名前の最後に-inを付す習慣があった(例えば「Hahn」が「Hahnin」と書かれる)。また、一家で最初に生まれた男の子には父方の祖父の名を、一家で最初に生まれた女の子には母方の祖母の名をつけることがしばしば見られた。

また、伝統的には夫婦は同姓が原則で、日本の夫婦同姓のお手本になったとされる(1957年までのドイツの条文は、妻は夫の氏を称するとされており、日本の明治民法案(明治31年制定、それまでは日本は夫婦別姓)はそれと全く同じ。)。しかし、1957年、妻が出生氏を二重氏として付加できるとする改正が行われた。さらに、1976年の改正で、婚氏選択制を導入し、婚氏として妻の氏を選択する可能性を認め、決定されない場合は夫の氏を婚氏とするとされた。しかし、連邦憲法裁判所1991年3月5日決定が両性の平等違反としてこの条文も無効とし、人間の出生氏が個性又は同一性の現れとして尊重され保護されるべきことを明言した。その結果、1993年の民法改正で、夫婦の姓を定めない場合は別姓になるという形で、現在は完全な選択的夫婦別姓制度を実現している(ドイツ民法1355条)。

宗教

ドイツにおける最大の宗教はキリスト教で2008年現在で信者数5,150万人(62.8%)である 。この内30%がカトリック、29.9%がドイツ福音主義教会(EKD)に属する福音主義信徒であり、ドイツ福音主義教会には20の州教会が加盟しており、常議員会議長がドイツ福音主義教会 (EKD) を代表する。その他は小宗派(各々0.5%以下)である。福音主義教会信徒は北部と東部、ローマ・カトリック教会信徒は南部と西部に多い。南部であっても、バイエルン州北部ニュルンベルクとその周辺やバーデン=ヴュルテンベルク州北部シュトゥットガルトとその周辺では福音主義教会信徒も多い。また、1.6%は正教会である。400万人のイスラム教徒のほとんどはトルコからのスンニ派またはアレヴィー派であるが、少数のシーア派や小分派も存在する。ドイツのユダヤ人人口はフランス、イギリスに次いでヨーロッパで3番目である。仏教徒の50%はアジアからの移民である。34.1%が無宗教であり、旧東ドイツ地域と大都市圏に多い。

教育

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教育課程は初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育進学向けの学校とに厳格に分けられている。前者の進路がいわゆる「マイスター制」である。12歳までは基礎学校義務教育)で、子供の能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合は、ギムナジウムという進学校に進学し、大学進学に必要なアビトゥア資格の取得を目指す。

日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多くの子供たちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政(教育費)を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育からアビトゥア資格取得まで一貫した中等教育を行うシュタイナー学校総合学校が広まっている。

大学においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが州立大学で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。

しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。

文化

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歴史的にドイツは「詩人と思想家の国」(Das Land der Dichter und Denker)と呼ばれてきた。連邦各州が文化施設を担当しており、ドイツには助成を受けた240の劇場、数百の交響楽団、数千の博物館そして25,000以上の図書館がある。これらの文化施設は多くの人々に利用されており、毎年延べ9,100万人のドイツ人が博物館を訪れ、20万人が劇場やオペラ、3,600万人が交響楽団を鑑賞している。国際連合教育科学文化機関はドイツでは36件を世界遺産リストに登録している。

ドイツは高いレベルの男女平等、障害者の権利促進そして同性愛者に対する法的社会的寛容を確立している。ゲイとレズビアンはパートナーの遺伝的子供を養子とすることができ、2001年以降にはシビル・ユニオン(結婚に準じる権利)が認められた。1990年代半ば以降ドイツは移民に対する態度を変えており、ドイツ政府とドイツ人の過半数が移民の管理は資格基準に基づいて許可されねばならないと認識するようになった。ドイツは2010年に世界で最も賞賛される国の統計で50カ国中第2位にあげられた。2013年のBBCの世論調査によれば、ドイツは世界で最も肯定的な影響を与えている国と認められている。

ドイツの祝日啓蒙思想の犠牲となった歴史をもち、ドイツ連邦制を象徴する文化である。

ドイツはカトリック・プロテスタントが混在しているため、元日ドイツ統一の日のようにドイツ全土で祝日とされている日の他に、カトリック信者の多い州だけ、あるいはプロテスタント信者の多い州だけ祝われる日が存在するため、州によって祝日は異なっている。

美術

ドイツ・ロマン派カスパー・ダーヴィト・フリードリヒフィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。

第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義新即物主義を生み出し、デザイン建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。バウハウスに集ったヴァルター・グロピウスハンネス・マイヤーミース・ファン・デル・ローエヨハネス・イッテンピエト・モンドリアンヴァシリー・カンディンスキーモホリ・ナギといった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・構成主義といった美術観・建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。

しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「退廃芸術」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は壊滅的打撃を受けた。

1960年代以降、フルクサスヨーゼフ・ボイスアンゼルム・キーファーゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。

文学

ドイツ文学は中世のヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの作品にまで遡ることができる。著名なドイツ人作家にはかの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテフリードリヒ・フォン・シラーハインリヒ・ハイネがいる。グリム兄弟によって編纂出版された民話集はドイツ民話を国際レベルにまで知らしめた。20世紀の有力作家にはトーマス・マンベルトルト・ブレヒトヘルマン・ヘッセハインリヒ・ベルそしてギュンター・グラスがいる。ノーベル文学賞にはテオドール・モムゼン(1902年)、ルドルフ・クリストフ・オイケン (1908年)、パウル・フォン・ハイゼ (1910年)、ゲアハルト・ハウプトマン(1912年)、トーマス・マン (1929年)、ヘルマン・ヘッセ(1946年)、ハインリヒ・ベル(1972年)、 ギュンター・グラス(1999年)そして、ヘルタ・ミュラー (2009年)が選ばれている。エーリッヒ・ケストナーオトフリート・プロイスラーミヒャエル・エンデなど児童文学界に影響を与えた人も多い。

ドイツ語圏の出版社は年間7億部を発行しており、出版タイトルは約8万で、その内6万が新刊である。ドイツ語書籍は英語圏市場や中華人民共和国に次ぐ第3位の市場規模を誇っている。500年に及ぶ伝統を持つフランクフルト・ブックフェアは国際取引市場で最も重要な書籍見本市である。ドイツは人口10万人当たりの図書館数がG7で一番多く、10万人当たり14.78館が存在する。2005年にはドイツ語長編小説を対象とするドイツ書籍賞が創設された。

哲学

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ドイツ哲学は歴史的に重要である。とりわけ影響力があったものには合理主義哲学に対するゴットフリート・ライプニッツの貢献、イマヌエル・カントヨハン・ゴットリープ・フィヒテゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルフリードリヒ・シェリングによる古典的ドイツ観念論の確立、アルトゥル・ショーペンハウアーの形而上学的厭世論の著作、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによる共産主義思想の理論化、フリードリヒ・ニーチェによるの展開、分析哲学黎明期におけるゴットロープ・フレーゲの功績、存在(Being)に関するマルティン・ハイデッガーの著作そしてマックス・ホルクハイマーテオドール・アドルノヘルベルト・マルクーゼユルゲン・ハーバーマスによるフランクフルト学派の発展がある。21世紀においてドイツはフランス、オーストリア、スイスそしてスカンジナビア諸国とともにヨーロッパ大陸における現代分析哲学の発達に貢献してきた。

音楽 ・演劇 

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ドイツは、18世紀後半以降の音楽史で、同系国家であるオーストリア(1866年まではドイツ連邦議長国)とともに独占的ともいえる地位を築き、今日もヨーロッパの歌劇場の過半数、全世界のオーケストラの1/4以上がドイツにあるといわれる。現在のドイツ連邦共和国の領域に限ってもヨハン・ゼバスティアン・バッハルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンヨハネス・ブラームスの「ドイツ三大B」を初めとして、ロベルト・シューマンフェリックス・メンデルスゾーンリヒャルト・ワーグナーリヒャルト・シュトラウスなどクラシック音楽史上に名を残す作曲家や演奏家を多数輩出した。今日のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする世界クラスのオーケストラ音楽祭も多い。オーストリアからはフランツ・ヨーゼフ・ハイドンヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトフランツ・シューベルトアントン・ブルックナーグスタフ・マーラーらが有名だが、マーラーを除いては完全にドイツ諸邦の盟主と見なされていた時代の出身であり、文学と同じく同言語同民族圏ひと括りで語られることが多い(相互の移動や各時代における国民意識など分離して考えることが困難なため、ベートーヴェンがドイツ音楽でブルックナーはオーストリア音楽というような分け方はほとんどされない。フランツ・リストら東欧植民ドイツ人から帰還活躍しドイツ楽派と呼ばれる存在もいる)。世界最大のクラシック音楽大国とされている。指揮者も同様に著名な人物を多数輩出している。

オペラコンサート演劇への関心も強く、ある程度の規模の街には州立(国立と呼ばれる場合もある)ないし市立の劇場、オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラ(バイエルン放送交響楽団北ドイツ放送交響楽団等)も総じてレベルが高い。オペラは、年間上演数がオーストリアとスイスのドイツ語圏をあわせるとイタリアの4倍近く、世界でも群を抜く中心国であり、諸外国からドイツ語を学んだ歌手が多く集まっている。逆にいえばドイツ人だけでは陣容を維持できない規模になっているともいえ、ポピュラー系のショービジネスや野球におけるアメリカに似た地位にある。その他、オペレッタ、ミュージカル、バレエ、ストレートプレイの上演も盛んである。特にストレートプレイについては、先進国では希少な、公務員並の待遇の俳優が存在する国であり(他にオーストリアなど)、自国語を捨ててでも安定した身分で演劇に専心できる生活を目指して入国してくる外国人も少なくない。バレエも、オーストリアを含めても目ぼしい歴史的作品を生んでいないにもかかわらず、上演活動に関してはロシアと並ぶ二大国となっている。

ポピュラー音楽については、1979年ジンギスカンの『Dschinghis Khan(ジンギスカン)』『めざせモスクワ(Moskau)』や、1980年代にNENAネーナ)がアメリカ合衆国などでもヒットさせた『99 Luftballons』(ロックバルーンは99)などが知られている。

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また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成されたDie Prinzenディー・プリンツェン)が、2002年サッカーFIFAワールドカップ日韓大会」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーであるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。

ロック音楽では、主なミュージシャンとしてプログレッシヴ・ロックタンジェリン・ドリームテクノの元祖クラフトヴェルクハード・ロックスコーピオンズマイケル・シェンカー・グループフェア・ウォーニングヘヴィ・メタルアクセプトハロウィンガンマ・レイブラインド・ガーディアンエドガイレイジプライマル・フィアラムシュタインなどの名が挙げられる。

テクノやトランスなどのクラブ系は、野外レイヴラブパレード』や屋内レイヴ『メーデー』が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノではベルリンのトレゾアやケルンのコンパクトなどのレーベルから世界中のアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、東ベルリン出身のDJ・Paul van Dykが「DJ Magazine」誌の人気投票で1位を獲得している。

電子音楽エレクトロニカサウンドアートなども盛んであり、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるAlva Notoが主催するレーベルRaster-Notonなど注目度が高い。

映画とテレビ

ドイツ映画は草創期のに遡り、ロベルト・ヴィーネフリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウといったドイツ表現主義映画が影響力を持っていた。1927年にはフリッツ・ラング監督によるSF映画の先駆たる大作『メトロポリス』が公開された。1930年に公開されたオーストリア系アメリカ人のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督『嘆きの天使』がドイツ初の大作トーキー映画である。戦後はユダヤ系、反ナチ系の才能が多く流出したことや、巨大なウーファ撮影所が東ドイツの所属となったこともあり低迷。日本で紹介されるのもポルノ映画やB級西部劇ばかりという状態が続いた。1970年代から80年代にかけて、フォルカー・シュレンドルフヴェルナー・ヘルツォークヴィム・ヴェンダースライナー・ヴェルナー・ファスビンダーといったニュー・ジャーマン・シネマ監督たちが西ドイツ映画を国際的な舞台へと押し上げた。毎年のヨーロッパ映画賞は隔年で(EFA)の本部のあるドイツで開催される。1951年以来、毎年開催されるベルリン国際映画祭は世界で最も重要な映画祭の一つである。

近年では『グッバイ、レーニン!』(Good Bye, Lenin!;2003年)、『愛より強く』(Gegen die Wand;2004年)、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(Der Untergang;2004年)、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(Der Baader Meinhof Komplex;2008年)が国際的な成功を収めている。ニュージャーマンシネマ勃興期と比べると、平明なエンタテインメント映画も豊富になってきた。また、1979年に『ブリキの太鼓』(Die Blechtrommel)、2002年に『名もなきアフリカの地で』(Nirgendwo in Afrika)、2007年に『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen)がアカデミー外国語映画賞を受賞している 。

3400万世帯のドイツのテレビ市場はヨーロッパ最大であり、ドイツ世帯の90%がケーブルテレビまたは衛星放送を視聴している。放送局はドイツ公共放送連盟(ARD)加盟の各地の公共放送局、第二の公共放送ネットワークである第2ドイツテレビ(ZDF)などがある。

食文化

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料理は火を使わずに用意できるカルテス・エッセン (kaltes Essen、冷たい食事) と、調理してから出されるヴァルメス・エッセン (warmes Essen、温かい食事) とに大別される。よく知られているものとしては、前者にソーセージ (Wurst) 、ハム (Schinken) 、チーズ (Käse) などの冷製食品、後者に塩漬け肉アイスバインEisbein)、キャベツの塩漬けザワークラウトSauerkraut)、肉や魚の団子クネーデルKnödel)などがある。

ビールは16歳以上(保護者同伴ならば14歳から)の国民が飲めるアルコール飲料である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。ミュンヘンのオクトーバー・フェストは世界最大のビール祭りだといわれる。ドイツのワイン白ワインが主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。蒸留酒は18歳以上の国民が飲むことが出来る。

ドイツ料理は地域ごとに特色があり、バイエルンやシュバーヴェンといった南部はスイスやオーストリアと食文化が共通している。全ての地域で肉はしばしばソーセージのかたちで食べられる。有機農産物が市場の約2%を占めており、今後も増加する見込みである。ドイツの多くの部分でワインが親しまれているが、国民的酒類はビールである。ドイツ人のビール消費量は減少傾向にあるが、依然として年間一人当たり116リットルが消費されており、世界最大である。

また、ビールの醸造では世界最古のヴァイエンシュテファン醸造所がミュンヘンから北東のフライジングにある。

ミシュランガイドは9件のレストランに三つ星を、15件に二つ星をつけている。ドイツのレストランはフランスに次いで世界で二番目に賞を受けている。

世界遺産

ドイツ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が39件、自然遺産が4件で合計43件の世界遺産が現存する。イタリア・中国・スペイン・フランスに次ぎ5番目の登録件数である。

ファイル:Aachen Germany Imperial-Cathedral-01.jpg|アーヘン大聖堂

ファイル:2004-06-27-Germany-Wuerzburg-Lutz Marten-Residenz side view 1.jpg|ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場

ファイル:0 Dom Speyer Suedwest.jpg|シュパイアー大聖堂

ファイル:Berlin GS Siemensstadt Panzerkreuzer.jpg|ベルリンのモダニズム集合住宅群

ファイル:Grube Messel fg04.jpg|メッセル採掘場の化石発掘現場

スポーツ

近代オリンピックにおいて歴代ドイツ選手団は優秀な成績を収めており、獲得メダル数は旧東西ドイツ時代を含めるとアメリカ、ロシア旧ソ連含む)に次いで世界第3位となる。2016年夏季オリンピックにおいてドイツはメダル獲得数第5位であったが、2018年冬季オリンピックでは第2位である。ドイツは夏季オリンピックを1936年のベルリンオリンピックと1972年のミュンヘンオリンピックの2回主催しており、冬季オリンピックは1936年にガルミッシュ=パルテンキルヒェンオリンピックを主催している。アディダスのホルスト・ダスラー(Horst Dassler)は金権政治でオリンピックを冒涜した。その後アディダスはベルナール・タピの手にわたった。

サッカー

ドイツはサッカーが非常に盛んな国である。通常ドイツのスポーツ競技団体はドイツスポーツ連盟(DSB)に加盟しているが、ドイツサッカー連盟(DFB)は会員数630万人以上を数え、他の団体に比しても規模が大きい事で知られる。

FIFAワールドカップにおいてはドイツ代表が4度の優勝と4度の準優勝(旧西ドイツ時代を含む)をしており、現在も安定した強さを持つヨーロッパ屈指の強豪国である。優勝回数4回は、5回のブラジルに次ぎ、イタリアと並ぶ第2位の記録である。UEFA欧州選手権ではスペインと並ぶ最多の3度の優勝と3度の準優勝(旧西ドイツ時代を含む)をしている。2006年には1974年のワールドカップ・西ドイツ大会以来32年ぶりにワールドカップが地元開催され、3位入賞を果たした。ゼップ・マイヤーから始まり、ハラルト・シューマッハーアンドレアス・ケプケボド・イルクナーオリバー・カーンマヌエル・ノイアーなど、どの時代にもゴールキーパーに名選手が多いことから、PK戦では驚異的な強さである。女子代表も2003年、2007年のFIFA女子ワールドカップを連覇、UEFA欧州女子選手権では6連覇をしている強豪である。

国内のクラブチームの活動も盛んで、トップリーグであるフースバル・ブンデスリーガ(連邦リーグ)は欧州屈指のレベルを誇り、バイエルン・ミュンヘン等の名門クラブが鎬を削っている。

バイエルン・ミュンヘンはチャンピオンズリーグでもドイツ最多の5回の優勝を果たしている。日本の選手ではマインツ武藤嘉紀ハンブルガー酒井高徳ドルトムント香川真司フランクフルト長谷部誠ヘルタ原口元気ケルン大迫勇也シャルケ内田篤人アウクスブルク宇佐美貴史、2部シュツットガルト細貝萌浅野拓磨、2部ザンクトパウリ宮市亮、2部フォルトゥナ・デュッセルドルフ金城ジャスティン俊樹カールスルーエ山田大記らの多数の日本人選手らが在籍している(2016年現在)。

ウィンタースポーツ

寒さが厳しい地方ではウィンタースポーツが盛んで、冬季オリンピックにも毎回多数のすぐれた選手を輩出している。なお、1936年にはオーストリアとの国境付近の町ガルミッシュパルテンキルヒェンで冬季オリンピックが開催されている(ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック)。また、西ドイツと東ドイツを含んだ冬季オリンピックでのメダル獲得数が1番であることでも知られている。

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モータースポーツ

古くから自動車産業が盛んなことからモータースポーツの伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻し、近年F1の世界でも再び活躍するメルセデス・ベンツ、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、ル・マン24時間レースにおいては最多勝のポルシェ(近年ではアウディも)、1960年代から2000年代にかけヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなどツーリングカーの分野において圧倒的な強さを持つBMWの4社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。

二輪モータースポーツにおいてもその活動は顕著であり、古くはNSUや、ツェンダップクライドラー、旧東ドイツのMZモトラッド等が世界選手権を席巻した。その時代の代表格ともいえる選手がエルンスト・デグナーである。近年においては実力のある選手を輩出するもののドイツのメーカーがWGPに参戦していない時期が長かった関係から日本製オートバイでの活躍が目立つ。WGP通算42勝のアントン・マンクスズキにタイトルをもたらしたハンス=ゲオルグ・アンシャイトダーク・ラウディスステファン・ブラドルヘルムート・ブラドルのブラドル親子、タイトルには縁が無かったもののマーチン・ウィマーラルフ・ウォルドマンラインハルト・ロススティーブ・イェンクナーなど個性派が多い。

また、近年はBMWがスーパーバイク世界選手権に参戦し好成績を収めている。

F1ドライバーのミハエル・シューマッハセバスチャン・ベッテルDTMベルント・シュナイダーを筆頭に優秀なレーシングドライバーを数多く輩出している国でもある。特に近年では多数のF1ドライバーを輩出している。また世界的に有名な難関コースを持つサーキットニュルブルクリンクがあるのはドイツである。

競泳

ドイツは1900年パリオリンピックから競泳のドイツ人選手が参加しており、メダルを取り続けている。

平泳ぎエルビン・ジータスバタフライミヒャエル・グロス、自由形のパウル・ビーデルマンなどが有名。

参考文献

  • ドイツの実情 2010/2011』-ドイツ政府刊行物のオンライン版、編集:Frankfurter Societäts-Medien GmbH, Frankfurt am Main

外部リンク

本国政府
観光

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Category:連邦制国家

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夜と霧 新版

霜山訳と池田訳と原文とを読みました。原文はかならずしも分かりやすい文章ではありませんし、その内容も西洋文化の深い素養に基づく文章です。
霜山旧訳は原文に忠実です。硬い訳ですが、格調があります。それに対して池田新訳は分かりやすい訳文です。ただし、やや意訳のようなところもあります。わたしにはどちらもすばらしい訳です。どちらを選ぶかは、その人の好みでしょう。わたしは若いころに霜山訳に親しみ、深く感銘を受けました。特に印象深い2箇所を以下にそれぞれ並べてみます。比較してみてください。
・・・・・・・・・・
元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。

なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。(霜山徳爾訳)

もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人びとが、その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にはそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。(池田香代子訳)
・・・・・・・・・・・
あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持ったままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めるのであった。・・・
感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた。(霜山徳爾訳)

あるいはまた、ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急(せ)きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。・・・
わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」(池田香代子訳)

この本を読んだのは2回目ですが、最初に読んだ時以上の感動を得ることができました。著者の言葉の一つ一つには、深い重みと含蓄があります。それは、あまりにも深すぎて、一度読んだだけでは、著者の崇高な精神に近づくのは困難と言えます。それを自分なりに理解をしようとすると、読んでいる途中で立ち止まり、考える時間が必要です。

一番考えた箇所は、次の一文です。
「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」

つまり、生きていれば何かいいことがある、などと受動的に期待しても、「生きる意味」には到達はできない。

わたしたちがこの世に生かされているのは、わたしたちがなにかを能動的に行うことを期待されているのだ。それを行うことこそが「生きる意味」なのである。私はこのように解釈をしました。

このことを具体的に示すかのように、著者は、収容所の二人の事例を挙げています。一人は愛する子供のことを想い、それを生きる力にかえた例です。二人目は、自分のやるべき仕事を完遂させるというミッションを持ち続け生き抜いた例です。それぞれ、「生きる意味」を、愛する家族と成し遂げるべき仕事に見出していると言えます。

さらに、著者は、「生きる意味」を不幸な体験や苦しみの中から見出すことについても言及しています。それは強制収容所で亡くなった若い女性の話で示されています。彼女は、死と隣り合わせの極限の状態の中で、自分の境遇を悲観せずに内面性を深めていきました。そしてその行為は、普通にくらしていてはできないことで、だからこそ、この不幸な運命にさえ感謝の気持ちをもつことができた、と彼女は言います。

人生は、苦しいこと・不幸なことがいつ舞い降りてくるかわかりません。そのときに、そこにどんな意味を見いだせるのか? それを「天の賜物」と思えるかどうか? 少しでもこのような崇高な精神に近づくことができたら、人生が前向きに変わるのだと考えます。

とても素晴らしい作品でした。作者の文章は美しく、何度も心を打たれました。
私が特に心惹かれた箇所は第二段階 収容所生活の「精神の自由」「運命ー賜物」です。
「精神の自由」ではドストエフスキーの「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」という言葉が引用されており、人間の精神的自由や生きる意味を説いています。
「運命ー賜物」の最後、ある若い女性の話があります。その女性は死ぬ直前であるのに晴れやかであった。「運命に感謝しています。だってこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神のがどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」と、女性は語ります。

死ぬ間際になって、その女性は完全になったのです。
作者は、楽しさや美しさだけが生に意味をもたらすのでなく、収容所での生活、苦しみや死があってこそ人間は完全になるのです と書いています。
すべての人間にこれは当てはまります。過去の辛い経験、苦い思い出にも意味があるのです。もちろん、ただ過去を美化し肯定するというわけではありません。それもあなたの人生の一部だということです。

今の世の中、多くの人が目に見える物だけを見て、自分にとって都合の良いものしか受け入れようとしません。非合理的なものにもコミットし、自身の内面性を深め新しい世界に足を踏み入れるべきです。

この本から受ける感動は日常生活では味わえるものではありません。ぜひ手にとって読んで欲しいです。性別関係なくどんな年代の人にも薦めます。

モモ)

5つ星のうち 4.0まあ児童文学

(参考になった人 0/0 人)

灰色の男たちがだんだんとモモたちの生活に迫ってくるのはドキドキしたし
友達を失っていくモモの苦しみ、特にジジを想うが故に「一緒にいてくれ」という懇願を涙を流しながら拒絶するところはドラマとして最高だった
しかし人間たちの時間についての問題は、あくまで問題提起で終わっていて。作中での解決は児童文学的な物語に過ぎないからねぇ

作中ではニコニコハッピーエンドだけれど、現実には時間泥棒はいないわけで。時間貯蓄銀行をぶっ壊せ!な物理的解決なんかできないんですよね
しかし世界の現状は作中で書かれてるのとなんら変わらない。

この絶望
作中でいくらニコニコ良かったねされても、読んでるこっちとしてはやってらんねえよですよ

灰色の男たちは恐ろしい恐ろしいって書かれて、実際それなりに強大なわけですが
目に見える明らかな「敵」がいるという幸福がそこにはあるんですよね
現実は小説よりも恐ろしい

何十万年もの間、人間が狩猟と採集で生きていた時代は、一日のうち働くのは数時間だけだったといいます。 現在では、雨風や飢えに困ることもなく生活が便利になった代わりに、人生の大半を仕事に費やしています。 果たして豊かさとは何か、今読み返すとモモはそう問いかけているような気がしました。

この本は子供向けなのでしょうけど、これがどこまで子供に分かるだろうかと思ったりもしました。 内容が深いです。 またAI時代の今を見通したような驚くべき洞察力です。 私はこれを読んで良かったのですが、お勧めできるかどうかは迷います。 この本はまさに毒にも薬にもなる本なのです。

Nikon デジタルカメラ COOLPIX W100 防水 W100BL クールピクス ブルー

5つ星のうち 5.0次はマリンは無いかも

(参考になった人 4/4 人)

子供用と馬鹿にする人が多いようだがれっきとしたタフネス系カメラ、現場監督も交番のお巡りさんもブルーのP33とか持ってた。 すごいことはないけれど十分綺麗に写るし、ぶつけようが落とそうが濡れようが関係ない。 マリン柄を買ったけれど、この手のカメラで唯一の「カワイイ」カメラだろう。 ただ、夏はいいけれど冬はちょっとこの柄ではなあ。 でもタフネス系カメラと言う点とキッチリ写ると言う点と価格の安さでこれを超えるものは無いかもね。 レンズは直進式ズーム、保護ガラスの奥で出たり入ったりしている。 故障やバッテリー問題もなし、コスパ最高。

5つ星のうち 5.0全く問題無し

(参考になった人 1/1 人)

通常のカメラを子供が使うと、手がズームの可動部分に掛かり、すぐに故障してしまいますが、この製品はズーム機構がケース内に入っているために、手が掛からず安心して預けられます。 防水機能もあるし、マクロ機能もあります。 釣りをやるので、海水でも大丈夫なのはすごい助かります。 子供とプールに行った時も大活躍しました。 スマホ+水中でも大丈夫なケースで試しましたが、静電スイッチなので、水中ではボタンが押せなくてNGでした。 この製品は悪い所が見当たりません。 通信機能は、電池が減るらしいので、OFFで使っています。

1世代前のモデルS33はアウトドア志向の北米では馬鹿売れして、北米アマゾンでは千件以上の レビューついたヒット作ですが、残念なことに現世代機のこれはほとんど改良 されてる点はないのに、逆に一部ロットに初期不良問題を抱えてるようで 日本でも北米でも賛否両論ですね。 かと言って前世代機を買うのも馬鹿らしいし 他社のコンデジで安い耐衝撃防水なんてないし(ケンコーから出てるけど、ズームもないおもちゃ) まあ、仕方がないのでこれを買いました 競争がないと進化もないので他メーカーには頑張って欲しいところですな

ドイツ』の解説 by はてなキーワード

Deutsch(ドイツ語)

  1. ヨーロッパの国名。→ドイツ連邦共和国
  2. ドイツ的なものの総称。
  3. 現在のドイツが存在する地域の名。古代ではゲルマニアと呼ばれていた。

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