スキージャンプ週間のまとめ情報

スキージャンプ週間』の解説

スキージャンプ週間(スキージャンプしゅうかん、Vierschanzentournee (4ジャンプ台ツアー)/ Four Hills Tournament)とは、毎年の年末年始8日間にドイツオーストリアで集中開催される4試合で争われる、スキージャンプの大会である。

スキージャンプ・ワールドカップよりも古い、1952-1953シーズンから始まる歴史を有している。

日本人では船木和喜が1997-98シーズンに総合優勝を飾っている。

スキージャンプ週間に開催される4大会はワールドカップを兼ねており、この4大会で得た順位ポイントは、ワールドカップの総合ポイントにも組み込まれる。

歴史

長年の間、4連勝で総合優勝を成し遂げるジャンパーは存在しなかった。日本人では笠谷幸生が1971-72シーズンのジャンプ週間を3連勝しながら、4戦目を札幌オリンピックの国内選考大会のため欠場しており、また船木和喜も総合優勝した年は3連勝しながら4戦目は8位に沈んでいる。また、冬季五輪開催シーズンのジャンプ週間を制した者はそのシーズンの五輪の個人種目で金メダルを獲得する、というジンクスが1984年のサラエボオリンピックから長く続いた。2001-2002年シーズンのジャンプ週間では、ドイツのスヴェン・ハンナバルトが史上初の4連勝を果たした。しかしその年のソルトレイクシティオリンピックではノーマルヒルで銀メダル、ラージヒルで4位と後者のジンクスも破れてしまう。が、団体戦ではドイツがフィンランドをわずか0.1点差で制し、金メダルの獲得はかろうじて継続されたが、この大会以来2014年12月現在、五輪開催年のジャンプ週間総合王者は五輪の個人金メダルを獲得していない。

2005-2006年シーズンのジャンプ週間では、史上初めてヤクブ・ヤンダチェコ)とヤンネ・アホネン(フィンランド)が同点で総合優勝を分け合った。しかし同シーズンのトリノオリンピックでは両者共に個人・団体とも金メダルの獲得はならなかった。

総合優勝

ワールドカップの総合優勝は各試合の順位点の合計で争われるのに対し、ジャンプ週間の総合優勝は各試合のジャンプで取った得点、すなわち4試合8本のジャンプの飛距離点と飛型点の総合計で争われる。よって後述「記録」の項にもあるとおり、たとえ7本まで良いジャンプをして3勝していても最後に失敗すると得点が足りずに総合優勝を逃すこともある。

ノックアウトシステム

この4大会の特殊性の一つは、伝統的な勝敗の決定法である。他の大会で、1本目の上位30選手が2本目に進めるのに対して、ジャンプ週間の大会では1996/97年のシーズンからノックアウト方式を採用している。1本目の参加者50人は2人ずつ25組に分かれ、勝者25人と敗者のうち成績上位5人が2本目に進む。

ジャンプ週間の記録

2007-2008年シーズンヤンネ・アホネンフィンランド)が史上最多の通算5回目の総合優勝を果たしており、イェンス・バイスフロク東ドイツ/ドイツ)が通算4回の総合優勝でこれに次いでいる。

総合優勝3回はヘルムート・レクナゲル(東ドイツ)とビョルン・ヴィルコラノルウェー)の2人で、ヴィルコラは3連覇した。

第54回大会では、史上初めて2人の総合優勝者が出た。ヤンネ・アホネン(フィンランド)とヤクブ・ヤンダチェコ)は4戦で獲得した得点の合計が同じだった。

ドイツは、統合前を合わせて16回優勝している。これに次ぐのがフィンランドの15回、ノルウェーの10回、オーストリアの9回である。チェコスロバキアはチェコと合わせて2回、日本、スロベニア、ポーランド、ソビエト連邦がそれぞれ1回の優勝である。

このうちモルク、笠谷、シュナーブル、インナウアーは総合優勝を逃した。

イェンス・バイスフロクとビョルン・ヴィルコラは通算10勝を記録した。これに次ぐのは9勝のアホネンとシュリーレンツァウアーである。

歴代優勝者

  • 1952-53は第1戦がガルミッシュ=パルテンキルヒェン、第2戦がオーベルストドルフで行われた。
  • 1956-57,1961-62、1962-63は第2戦がインスブルック、第3戦がガルミッシュ=パルテンキルヒェンで行われた。
  • 1971-72は第1戦がインスブルック、第3戦がオーベルストドルフで行われた。
  • 2007-08はインスブルックが悪天候のため中止となり、ビショフスホーフェンで2戦行われた。

スキージャンプ週間』by Google Search

This page is provided by Matome Project.
Contact information.