ジャーナリストのまとめ情報

ジャーナリスト』の解説

ジャーナリスト()とは、新聞雑誌など、あらゆるメディア報道用の記事や素材を提供する人、または職業である。明治時代には「操觚者(そうこしゃ)」と訳された。

発祥

19世紀はじめごろはチャールズ・ディケンズのような、ジャーナル (journal) に記事を書く人を指した。

これが転じて新聞やジャーナルの記事を書く人を指すようになった。ジャーナリストとは、新聞社テレビ局など報道機関に所属して取材活動を行う者もいれば、特定の報道機関に所属しないでフリーランスとして取材活動を行う者もいる。前者に関しては、報道機関に所属しているという点で、ジャーナリストとしての一定の資質能力が推定される。フリーランスのジャーナリストにおける資質や能力に関しては下記を参照のこと。

定義

マスメディアに報道記事を寄稿する人の事を指す。ただし、写真、動画を専門にメディアに提供する人や職業の事は通常はカメラマンと呼び、ジャーナリストとは呼ばれない。 また、報道以外(小説、漫画、宣伝広告、読者欄など)へ寄稿する人もジャーナリストとは呼ばれない。類似の活動として野次馬が有るが、ジャーナリストとの違いは報道記事として寄稿しない、本人の興味や利害に影響されることである。

欧米諸国では大学ないし大学院におけるジャーナリズム教育も盛んに行われており、オンブズマン制度が浸透しており、政府機関が記者会見に参加するためのメディアパスを発行の基準が存在している。フリーのジャーナリストは新聞社、テレビ局、(まれに専門出版社)でジャーナリズムの実務経験を積んだ後で転身するケースがほとんどである。

一方で日本の法律においては「ジャーナリスト」と自称する際の特別な基準は存在していないが、日本自動車ジャーナリスト協会の様に業界独自の基準を定めている場合も有る。ジャーナリストとなるために教育システムや制度は整備されていない。このため、教育は報道機関の社員教育、経験者に教えてもらう、独学で覚えるなど行う必要がある。誰でも「ジャーナリスト」と自称することが可能であり、ジャーナリストとしての資質や実績が全くない者が「ジャーナリスト」と自称しても法的に詐称にはならない。また、より専門的な分野を得意としていることを示すために、“**ジャーナリスト”(例:国際ジャーナリスト、軍事ジャーナリスト、経済ジャーナリスト、教育ジャーナリスト、芸能ジャーナリスト、中東ジャーナリストなど)を自称することもある。ただし、日本における「ジャーナリスト」は文章を採用するメディアが取捨選択する過程で自然淘汰されることに任せている状態であり、資質や能力に問題がある者がジャーナリストに相応しくないとして強制的に排除されるシステムは存在しない。そのため、文章作成を初めとする能力、資質、倫理観などが欠如している者でも何らかのメディアに寄稿さえしていれば「ジャーナリスト」と自称しても間違いとまでは言えないが、ジャーナリストと呼ぶに値するかの点では議論の対象になる。

ジャーナリストは事実に対する現状や意義、展望を報道する専門家であるとされるが、ジャーナリストの倫理観や政治的態度に基づいて左右され、ジャーナリスト自身の経済的基盤、個人的利害関係が記事の内容に大きく影響を与えるケースもある。特定の団体に所属していないジャーナリストの中には「フリージャーナリスト」と自称する者も多いが、出稿媒体や取材対象、ジャーナリストの取材対象及びその隣接分野を研究している研究者との利害関係がないことを示すものではない。

ジャーナリストとして社会的に高い評価を受けるには、報道の正確性・客観性のみならず、報道対象の選定も重要となる。例えば、犯罪や社会的不祥事とは全く無関係の無名の私人について報道したところで、いかに内容が正確であっても単なるプライバシーの侵害にしかならないとも解釈できる。適切な報道対象の選定を行う能力、正確かつ客観的な報道を行う能力を兼ね備えなければ、ジャーナリストとして評価を受ける事は出来ないのである。

社会的評価を受けているジャーナリストの書いた記事や報道(ジャーナリズム)は影響が大きい。フリージャーナリストの草分けである黒田清のように「ジャーナリズムの基本は伝えることではなく弱者の訴えを代弁する事」を信念とするものもいるように、日本独自に発展したジャーナリズム観も生まれている。

ニュース雑誌の巻頭を飾るような記事を、雑誌社に売り込むことを仕事にしているフリージャーナリストのことを「トップ屋」と呼ばれる。

なお、ゴシップ誌に代表される芸能人の結婚・離婚などのスキャンダル情報を主に扱うジャーナリズムは、イエロージャーナリズムと呼ばれる。イエロージャーナリズムをジャーナリズムに含めるべきかどうかは常に論争となる点ではあるが、報道価値の点から見ると、社会的には評価されない傾向にある。

また、ジャーナリストは他の職業と比較すると非常に身の危険が伴い殉職する者も少なくない。特に、戦場ジャーナリストは、紛争地を取材中に死亡したり、負傷する者も少なくない。ジャーナリストの危険性は紛争地の取材だけではなく、戦後日本においても公式には自殺事故死などとして処理されるが極めて不審な死を遂げたジャーナリストもいる。日本平和学会は特定秘密保護法により、特にフリージャーナリストは同法に違反した容疑逮捕される可能性が高まると主張している。

また、日本では政治活動家が「ジャーナリスト」と自称する者が少なくはないが、個々のジャーナリスト若しくは政治活動家の活動領域にもよるが、ジャーナリストと政治活動家との活動領域は非常に密接に重なりあうこともある。

分業制

ジャーナリストの中でも、特に記事執筆のために必要なデータ収集を専門とする人間を「データマン」、そしてデータマンの集めてきたデータを元に記事を執筆する人間を「アンカーマン」と呼ぶ。

いわばデータマンはアンカーマンのアシスタント的な役割を果たしており、多くのジャーナリストはまずデータマンとして経歴をスタートし、経験を積んだ上でアンカーマンとなるのが一般的である。テレビのニュース番組司会者ニュースキャスター)のことを「アンカーマン」と呼ぶのは、この用法が転じたものである。

研究や評価

社会に広く情報を提供する役割を担っているため、ジャーナリスト自身がしばしば研究の対象ともなる。 ジャーナリストという呼称自体が人物に対する社会的評価であるという見方もある。

ジャーナリストにどのような偏りがあるか、それがどのようなバイアスに結びつくか、といった研究や、個々のジャーナリストの活動や判断についての評論などが存在する。これらの評論は、ジャーナリストの信頼性等を評価する意味で有用であったり、そもそもジャーナリストと呼ぶに値しない者を排除するシステムとしても機能している。ジャーナリストとして活動を行い始めた時点で、彼らは公人とならざるを得ない宿命があり彼ら自身の態度ならびに態度変容にいたるまで観察ならびに研究対象とされる。例えば、前科前歴のある者がジャーナリストを名乗った場合、ジャーナリストの公人性により前科等の言及は名誉毀損とはならず、むしろ積極的な研究の対象となるのである。

国際的に情報技術の高度な発展により、一般人でも、個人のウェブサイトブログなどを用いて「ジャーナリスト」と名乗るか否かはともかく容易に情報発信活動を行うことが技術的に可能になっている。情報を受信する者にとっては、一定の時間内で「無意味な」情報を捨てて「有意義な」情報を収集するという、情報の価値や真贋を見抜くリテラシー能力がより一層求められているが、各個人の情報リテラシーにはおのずと限界がある。そのため、ジャーナリストによって発信される情報は、情報収集の過程で重要な意味を持つ。情報発信者は「ジャーナリスト」と名乗ることで情報発信力を強める事が出来るため、「ジャーナリスト」の肩書きは濫用される傾向にある。

企業等の対応

近年のインターネットの発達により、ブログなどのメディアを主な発表の場として活動するジャーナリストが増加しているが、それらのジャーナリストに対する対応は企業によってまちまちである。個人ジャーナリストに対しても積極的に情報提供を行い企業の広報活動に利用しようとする企業がある反面、個人ジャーナリストを警戒し、新聞社等の紹介があった場合のみ対応する、あるいは個人の取材を受け付けないという方針を持つ企業も存在する。

多くの企業では、社会的評価を得ていない個人ジャーナリストへの対応は、原則として一般個人の活動として扱う実務が定着してきた。

関連著作

  • 『職業としてのジャーナリスト』 本多勝一 朝日文庫 1984年 ISBN 4022608137
  • 『メディアの海を漂流して』 筑紫哲也 朝日文庫 1985年 ISBN 4022603402
  • 『時代を読むノート』 田原総一朗 講談社文庫 1986年 ISBN 4061838830
  • 『オトナのメディア・リテラシー』 渡辺真由子 リベルタ出版 2007年 ISBN 4903724077
  • 『現代世界を斬る!ジャーナリスティックな地図 世界・日本』 帝国書院 2008年 ISBN 4807157914
  • 『「個」としてのジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2008)花田達朗編 早稲田大学出版部 2008年 ISBN 9784657089076
  • 『「可視化」のジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2009)花田達朗編 早稲田大学出版部 2009年 ISBN 9784657099129
  • 『超入門ジャーナリズム』 小黒 純・李 相哲・西村 敏雄・松浦 哲郎 晃洋書房 2010年 ISBN 9784771021617
  • 『「境界」に立つジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2010)花田達朗編 早稲田大学出版部 2010年 ISBN 9784657102201
  • 『「対話」のジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2011)花田達朗編 早稲田大学出版部 2011年 ISBN 9784657110138

ジャーナリスト』に 関連する人気アイテム

記者ハンドブック 第13版 新聞用字用語集

本書には60年の伝統があります。大手新聞社の記者やデスクなら必ず持って参照している共同通信の「記者ハンドブック」です。
記者やデスクや校閲担当者にとっては座右の書ですが、原稿を書く人間ならば参照しながら書けば校正の手間が著しく省けるでしょう。
レビュアーがよく参照するのは「送り仮名の付け方」。
「合間」なのか「合い間」なのか、「当たる」なのか「当る」なのか、
「悔やむ」なのか「悔む」なのか、「交じる」なのか「交る」なのか、・・・
ありとあらゆる、間違えやすい「送り仮名」の正誤例が載っています。


「主なる計量単位」も役に立ちます。
たとえば「船舶のトン数」ですが、
実際、船舶のトン数には5種類もあります。
「総トン」、「純トン」、「容積トン」、「排水トン」、「積貨重量トン」、
発表相手がどれで言っているのか確認せずに原稿にしたら誤報のもとになってしまいます。
あと、記者でさえもよく間違えるのが距離「マイル」の「キロメートル」への変換。陸上マイルなのか、海上マイルなのか、航空マイルなのか、混同している記者やデスクも多く、レビュアーも日本の新聞記事でたまに間違いを見つけます。
「登録商標と言い換え」も面白いです。たとえば「キャタピラー」は「無限軌道」または「走行用ベルト」と言い換えなければなりません。
「誤りやすい語句」も必見です。たとえば、「被害をこうむる」は間違い。こうむるは「被る」なので「被」がかぶってしまうのでNGなのです。
これは「被害に遭う」、または「被害を受ける」と書かなければなりません。
「交通止め」も間違い。「通行止め」が正解です。
「煙に巻く」も間違い。「けむに巻く」と書かなければなりません。
レビュアーにとっても本書は座右の書です。
本書は、毎年新版が出るわけではなく、6年くらいごとに新版が出ます。

新聞社に務める友人に勧められて購入しました。 新聞記者以外にも、広告、出版などに関わる職業には必須だと教えられたそうです。 ・新聞漢字かな使いの章では、 わかる(判る・解る)は「分かる」と統一表記するなど分かりやすく書いてあります。 その他、間違いやすい表記、地名、商品名や、差別語・不快用語など分かりやすく書いてあります。 こちらの本と出会う前にも様々な印刷物・制作物を作ってきましたが、読んでから考えると恐ろしいです。 WEBや、印刷など仕事で1行でも文章を書く人はもっておいて損はない一冊です。

「~して下さい」なのか「してください」なのか、お願い致しますなのか、お願いいたしますなのか、 ライターや記者ではありませんが、会社での文章作成の時にとても役に立ってます。 本当にいろんなことが書いてあって、「一本締め」など「1本なのか、一本なのか」と悩む言葉もたくさん収録されてます。

英語の品格

5つ星のうち 2.0ちょっと題名負け!

(参考になった人 6/8 人)

昨今、話すだけでなく書くことにおいてもブロークン英語で許されるような空気蔓延している中、この本の題名に惹かれて読んでみました。
以下、感じたこと3点。
1、全般においては、「直接な物言いは下品、同じ意味のことを間接に柔らかく、相手の感情を害しないように言えるなら上品という」コンセプトで、易しい例文で解説も適切でよい。でも、この程度の要旨の本なら他にもあり、何もこの本一冊が特別にいい本とは云えない。よって、帯の言葉「こんな本なかった」は過大広告で、品格を問う本の紹介なのに下品な言い回しでは、、、笑。


2、例文が同じ文型のものばかりで、つまらない。例えば、p.156の「成果を上げた時にほめる表現」では、全て主語がWhat you didになっているが、You が主語になる文章も表してくれたら、よりネイテイヴに近い言い回しになったのではないか。
3、「Thank you」の使用法がちょっと疑問です。例えば、p.157、158の「ほめられたときの答え方」で、Thanksが連発されているが、「Thanks」はThank youを略した言い方、「ありがとうございます」と訳すものではないだろう。確かめるために友人のイギリス人に聞いたら、それは上司が部下に、先輩が後輩に、家族や友人など親しい間柄で軽くありがとうと言う時などに使うねとのこと。決して品格ある言い方ではないのでは?
そんなこんなの疑問がわく本であった。「英語の品格」とまで題するべき本ではないです。

5つ星のうち 2.0品格にかける本

(参考になった人 2/3 人)

タイトル中の「品格」は編集者の発案なのかもしれませんが、内容は「品格」とは関係ありません。正しくは「米国人の(ビジネス)パートナーと良い関係を築くための話法」という感じでしょうか? 他のレビューにもありますが、著者(米国人)の傲慢さが窺える記述が散見されます。「自然な英語を身につけるには、英語を素直に受け入れることが大切です。頭よりも耳を使って、つまり論理的に考えるよりも感覚的に覚えるほうが効果的です。」母国語の習得過程はまさにそのとおりですが、英語を母国語としない人にとってはどうでしょうか?「読み書きできなくてもよい、話すことができればよい」という植民地支配の常套手段を連想してしまいました。

本書が、英語(米語)で困っている属国人を助けてあげたい、という著者の善意の発露であることは間違いないのでしょうが、もしも日本が戦争に勝っていて、本書と同じような「日本語の品格」という本を米国人が読んだとしたらどんな感想を持つであろうかと想像してみることは無益ではないと思います。星1つにしたいところですが、いくつかの内容は参考になりましたので星2つにしました。

5つ星のうち 5.0ネイティブ目線で

(参考になった人 6/7 人)

2000語で十分などという英語教育者もいらっしゃる中、そういう低レベルの語彙を使っているようでは、ネイティブとまともに仕事できません、とばっさりの一作。英語ドラマや映画を使った学習法にも一口グサリ。TVドラマや映画には普段やビジネスの会話で使わない表現が含まれてる場合も多いので気をつけた方がいいとのこと。この辺のことはあまり誰も教えてくれない。無批判にネイティブが使っているから、というのではだめなのだ。Why~?という聞き方が、きつい口調に聞こえることもあるとか、勉強になりました。また語彙制限をしてあるような本で多読していても、力がつきにくい、というのも役に立ちました。

沢山、こういう場面ではこういう英語を使いましょう、という例文が多数掲載されているのだが、これらを本当に使いこなすのは、とても難しいと思った。丸暗記するわけでもないだろうし、どのように覚えていったらいいのかな、とは思った。基本的には英語を学ぶ姿勢として、まっとうなことが書かれていると思うので、その意味で、読んだ意味は十分ありました。

真実の10メートル手前 太刀洗万智シリーズ

表題作の他、「正義漢」、「恋累心中」、「名を刻む死」、「ナイフを失われた思い出の中に」及び「綱渡りの成功例」の全6つの短編から構成される太刀洗シリーズの連作短編集。私は太刀洗シリーズを読むのは初めての上に、「満願」の充実度及び多彩さを体験しているが故に、本作の軽さを覚えずにはいられなかった。

太刀洗の推理はホームズ流(奇矯な性格設定もホームズに似ている)で、例えば、ズボンに泥が付いた依頼人に、「あなたは馬車でなく歩いて来ましたね」、という風な当り前かつ他の可能性もある当て推量をするだけで、全く重みがない。

加えて、全体的に短編ミステリとして練れていないという印象が強い。表題作は太刀洗の屋上屋を重ねた当て推量が的を得てい過ぎる上に、結末がこれでは、太刀洗の当て推量が完全にムダという意図不明の短編。「正義漢」はショート・ショートの様で短編として物足りない上に流石に短絡過ぎるだろう。「恋累心中」は、高校生の男女の"心中"事件を扱った短編だが、作者が「今時の高校生は『***』くらいでは自殺しない」、と言っているにも関わらず、事件の動機の追求が甘過ぎる。「名を刻む死」及び「ナイフを失われた思い出の中に」はミステリとしての意味を成さないお粗末な短編。掉尾の「綱渡りの成功例」は事件でさえ無い。

作者としては「社会問題+女性版ホームズ」を目指した様だが、虚しい読後感しか残らなかった。どうも、「社会問題」及びそれに係わった人間心理に比重を置いている印象を受けた。太刀洗はその案内人という立ち位置で、本格ミステリを期待する私の様な読者にとっては凡作という他はない。

ミステリではあるけれど、謎解きより、孤高の女性ジャーナリスト大刀洗のストイックな仕事への向き合い方が印象的な連作集。性別も作品の雰囲気も全然違うのだけれど、ハードボイルドの王者フィリップ・マーロウを想起した。
表題作以外は大刀洗でない人物の1人称で、基本彼女の心理描写はなく、他人から見た大刀洗を描く趣向。頭は回るが不親切で、説明が足りない印象を与えるのが大刀洗のスタイルで、余計な事を省略するのが結果的に正解だったと後からわかるストイックさ。自己主張が強い一般的な名探偵とハッキリ一線を画しているが、作品自体まで説明不足気味なのは残念なところ。

例えば、「ナイフを失われた思い出の中に」は、「さよなら妖精」を読んでいないと理解し難いと思う。
非常に内省的な心理ミステリなので、万人向けとは言い難いが、いかにも作者らしい内容を堪能した。謎解きが主体のミステリではないと言っておく。

『さよなら妖精』(これはシリーズに含まれるのか?)、『王とサーカス』に続く太刀洗シリーズ三作目。
このシリーズの魅力は、トリック以上にその雰囲気にあると感じる。
太刀洗は「名探偵」の側面をもちつつ、しかし同時にたんなる無力な一個人にすぎない。
推理はできても、そこで起こっている問題の全てを解決できる実効的な力を持っているわけではない。
その歯がゆさが作品の独特な湿っぽい読後感を醸成しているのではないか。
だからトリックなどはどうでもよいのだ、というわけではないけれども。



軽く読める作品なので、シリーズファンが次作を期待しつつ読むには、丁度よい。
逆にこの作品からシリーズを読み進めるのは、正直お薦めできない。
他の方も書かれているように、ミステリとしてのパンチの弱さは否めないと感じる為。

Black Box

5つ星のうち 1.0私刑執行人

(参考になった人 416/706 人)

事実として山口氏は検察、検察審査会によって不起訴が確定している。
よって、公には山口氏はレイプ加害者ではなく、詩織さんはレイプ被害者ではない。
本書は不起訴確定後に発売されている。

そのような状況下で、特定個人をレイプ犯として発信し続ける行為は私刑であり、個人の社会的抹殺を計り、名誉を著しく毀損し続けている。
不起訴になった人間を一方的に攻撃するような私刑が許されるならば、社会秩序が崩壊してしまいますぜ。

この本を読んで、山口氏が加害者、詩織さんが被害者だと感じた人は、既に検察、検察審査会よって否定された内容であることを受け入れるべきであろう。


それは本書の内容が事実ではない、もしくは、事実であっても起訴に至るような証拠にはならなかったことを意味する。
もし異論があるならば、洗脳された同情心ではなく、具体的な事実(新証拠)をもって反論する必要がある。

「記憶はありません、証拠もありません、でも、レイプされました」
って女が言ったら強姦罪になる世の中の方が怖いわ。

【以下は、本書の内容について気になったところを追記した。】
(時系列が前後しますが、基本的に本書の記述通りの順番に準処しています。)

全体の印象としては、詩織さんは思い込みが非常に強く、論理性も欠けていると思われる。
若くして海外生活が長いことによってか、日本人としての常識や機微にも欠けているようにも感じられる。
(その言動の不自然さから国籍を疑われているが、ただの難癖程度で信憑性のある情報ではない。ただ、海外生活者ほど日本人としてのアイデンティティーが強かったりするのだが、詩織さんからそれは全く感じられない。むしろ欧米至上主義という印象。)
また、ジャーナリストを自称しながら個人の感情的な描写に終始し、客観性も欠如している。
それらが単に人間性の問題なのか、それとも文章構成能力の無さによるものなのかは判別できないが、その両方にあるのでは?と感じた。

『 性被害についてオープンに話せる社会にしたい 』
何の定義付けもされてなくて、言葉として非常に軽くて中身がない。
一歩間違えば、被害者をさらしものにして傷つけるだけの主張。
自分のレイプネタを使って、ジャーナリストとして名前を売り、本を売りたいと考えるひとは普通いないということを自覚した方がいい。

ことあるごとに親の所得の低さを書いてるが、余程根に持ってる模様。

同棲のパートナーが意味なく何度か登場するが、それなりの性的経験はありますよアピール?

『 弟は小学校入学直前になっても言葉を発しなかった 』という記述以降、弟は一切登場しない。両親と妹は何度か登場するにもかかわらず。実際はどうだか知らないが、弟君は『 話せない子 』で終わってる。かわいそう。

中学の時に入院したことが詩織さんの転機となっているわけだが、その割に病名、症状が一切書かれていない。何か不自然。

詩織さんが山口氏と最初に出会ったニューヨークのピアノバーは日本でいうところのキャバクラである。キャバ嬢と客という2人の関係性を理解していると本件の本質が見えてくる。
また、詩織さんは就労ビザを持っていたとは思えないが、キャバ嬢として給金を得ていたことが事実であれば、不法就労していたことを本書でバラしていることになる。
本書ではビザが重要なキーワードになるわけだが、自身のビザの不備に疑念を持たれるようでは話にならない。

山口氏との食事の際、すでにTBSのプロデューサーに内定していたと詩織さんは思っていたようだが、本書の中にそれを想起させるような山口氏とのやり取りは書かれていない。恥ずかしいどころか非常識レベルの思い込みで勘違い。
このことだけでも自意識過剰な詩織さんの人間性がよくわかる。
また、山口氏以外の他の誰かと同席すると勝手に思い込んでいたとのことだが、2人きりで食事するつもりはなかったという言い訳か、思い込みが激しいかのどちらか。

1軒目の店を出るときに外が暖かかったからコートを忘れたというどうでもいいエピソードを入れたのは、酔っ払って忘れたわけではないというアリバイづくり?

ノートパソコンが置いてあったから盗撮されたと思う感覚は普通に変。そもそもカメラは付いていなかった(押収されたパソコンには)。
逮捕状が発行された理由の1つにこのパソコン内の動画にあると言及しているが、どっから出てきたのそんな話。妄想?捏造?

パニックで頭が真っ白と言っておきながら、使われていないベットをはっきり覚えているなどの矛盾点は後付け感ががある。
週刊誌情報で従業員の証言として片方のベットが使われなかった、血が付いていたとあったが、信憑性にとぼしく調書にとられなかった(何で詩織さんが調書の内容を知っているかはさておき)。それを補完するために記憶を捏造したとも考えられる。

医者にレイプされたことを伝えていないのに、私に気を遣えっていうのは傲慢なだけでしょ。
こんなにもかわいそうな私の思い通りにならないから相手を非難するというのが本書の主張の大半。

NPOに電話した際、面接しなければ情報提供は出来ないと言われたことに対して不満ばかり書いているが、なぜ面接しなければならないかを取材したらどうだろうか? ジャーナリストなら。

唐突に膝が痛いのを山口氏のせいにしているが、根拠は一切書かれていない。
と思っていたら、何の脈略もなく、揉み合いになった際に負傷したことにしている。トイレでの話はスルーですか?

私はお酒に強いはずという根拠のない根拠でデートレイプドラッグを使われたと吹聴するのはいかがなものか。常識的にはアルコール性健忘の可能性が疑われるわけだが、本書にそのような内容は一切書かれていない。わざとか無知か?

自分から「女性の方をお願いします」と言ったから女性の警官が対応してあげたのに刑事課じゃないと文句を言うのは筋違い。

事件について警察や弁護士に何度も同じ話をしなければならなかったということに対して何度も愚痴が書かれているが、1回で済んだ方がいいのか?
むしろ何度も何度も同じ話をすべきだろ。1回の証言で事実認定されて相手を有罪にできるとしたら、そんなに世の中は狂ってる。

頻繁に出てくる捜査員A氏だが、実在の人物かどうかはあやしい。仮に実在するとしたら、こんなに捜査情報、内部事情を当事者にバラすようなヤツは警察官失格。どちらにしても正義面したKYなかなりイケてない人種であることは間違いない。空港での逮捕未遂も含めて茶番の連続。「いま川に人が落ちた」とかもはやギャグ。ドラマとかなら愛されキャラかもしれない。というかA氏が詩織さんに恋しちゃったとしか思えない言動の数々。そういう脚本?
非常識発言を繰り返すM検事、K検事も実在するかどうかは怪しい。というか実在するならイニシャルにする必要はないんじゃない?
まあ、弁護士が同席してるわけでもないのに事細かに彼らの発言を覚えてるって時点で信憑性は薄い。つまり、かなりの部分で創作が入っているから実名を出せないのでは?
M検事については、山口氏が空港で逮捕されなかった直後に詩織さんが電話しているが、書類送検前、警察の案件であるのに、当事者が検事に直接電話するって嘘くせー 事実であるなら、なぜそういうことが出来たのかをきちんと記述すべき。ていうか、その時点での担当検事って何よ? 捏造臭がプンプンするけど。捏造するにしても警察と検察の区別がついているか怪しい。
K検事が前任?のM検事の対応を詩織さんに謝っているが、それによると、M検事が山口氏の逮捕と詩織さんの帰国、そして逮捕しないことまでお膳立てしていたらしい。もはやギャグ。

妹がレイプされたと想定した内容が書かれているが、すげーありがた迷惑だろ。姉による妄想レイプ。口をきいてもらえないほど妹に嫌われたのは自業自得でしかない。

レイプされたはずの相手の山口氏と仕事についてメールをやり取りしているわけだが、友達と協力して文面を考えたとか言い訳しても、レイプはなく、仕事上の付き合いが出来る程度の関係であったという証拠にしかならない。

証拠として取り上げられることの多い防犯カメラ映像だが、詩織さん自身の描写としても
『 歩くこともできず抱えられて運ばれる 』
『 山口氏に抱えられた私は、足が地についておらず、前のめりのまま、力なく引きずられ 』
『 引きずられるようにしてホテルに入った 』
『 意識のない状態で部屋に引きずり込まれた 』
とそれぞれ全く違う印象を受ける。
また、タクシー運転手の証言では
『 男性に抱きかかえられるような感じでホテルに入って行った 』
常識として、
・意識のない人間を運ぶことは不可能に近いほど非常に重労働である。
・そのような状態で一流?ホテルのフロント、ロビーを通過することは不自然極まりない。

山口氏が詩織さんを職権を使って口説こうとはしていないと認めたことが、詩織さん自らホテルについて行ったわけではないことに勝手に変換されている。論理が破綻している。
(何のことだかわからないでしょうが、そのままのことが本書に書かれている)

山口氏の携帯に電話をかけたが繋がらず、携帯は手元にないからとメールで返事が来たことを矛盾していると捉えているが、会社の携帯であるなら、現在の携帯の持ち主(会社の同僚)から、山口氏に連絡がいったと考えるのが常識的判断だと思う。というか、そんなことが気になるなら、本書に記す前に山口氏本人に直接聞けよって話。
このあたりは読んでいても非常にイライラさせられるが、まあ、本書の内容は一事が万事そんな感じである。

『 準強姦 』という単語を山口氏が使ったことに驚いているみたいだけど、そんな単語を知ってるなんてのは常識レベルだけどな。ジャーナリストなら。
詩織さん自身がメールで意識がなかった、レイプされたと書いてるわけで、単純に言い換えれば準強姦。

ホテルの部屋のゲロを清掃員が掃除しなかったとわざわざ書いてあるが、山口氏が掃除したというメールの内容をそこで引用しない嫌らしさ。

警察で人形を使ってレイプの再現をしたことに不満を述べているが、なぜそういう再現が必要なのか、無知なら取材してみてはどうだろうか?

警察が示談のために弁護士を紹介した(と詩織さんは思い込んでいる)のが悪いみたいな記述があるが、仮にそうだとしてもそれの何が問題だというのか?
まさか、逮捕状の行方を捜すために弁護士が必要なんて突拍子もないことを意思表示もせずに伝わると思う方がイカれている。真実が知りたいと(心の中で)言っておきながら、3ヶ月もまともな弁護士をつけなかった人間の心情なんて誰も推しはかれませんて。

家宅捜索前に警視庁からTBSに電話が入ったとあるが、内容については一切触れていない。こういうのを印象操作って言うんだろうな。

詩織さんが説明も受けていないし目録も見ていないから(パソコンの)データ復旧を警視庁がやっていないかもしれないと書かれているが、あんたいったい何様?

(山口氏に)「万が一(住んでいる)場所が知られたら」とあるが、知られたら何だというのであろうか? ただの被害妄想?
山口氏の声も聞けない、本に書かれた名前を読んだだけで体が硬直したとあるが、記者会見に山口氏を呼んでいたはず。
そのあたりの心境の変化が書かれていない。というかヤラセ?

タクシー運転手による「駅で降ろして下さい」発言が捜査報告書に入っていなかったと情報を得たとあるが、誰から情報を得たのか? 具体的な人物名がないなら何でも捏造できちゃうよ。

『 総理 』の出版が山口氏をスターダムに押し上げたとはずいぶん過大評価するもんだ。

『 北村さま 』=北村滋 と一切の証拠を示していないのに事実と断言しているのはジャーナリスト失格では?

政府サイドが報道自粛を勧めているという記述だが、なんでこんなすごいスクープを取材しないんだ? まさかデマではないよね?

突如身に危険を感じて、自宅周辺で不審な動きがあったとあるが、具体的な描写が何もないんだが? 被害妄想?
ちなみにBBCのなんちゃってドキュメンタリー番組の中では、ただ家の前にとまっている黒い車を怪しいとし、当たり前のように誤反応する簡易探知機で部屋の中の盗聴器の有無を調べたら反応があったという場面を映している。盗聴器自体は映っていない(実際にあったかどうか不明)のに、さも盗聴器が仕掛けられていたことに落胆しているかのような演出。

「ここまで政権と深く繋がっているTBSのワシントン支局長に物申すのだから」って、どっから出てきたのその話。政権の話なんて全然書かれてないじゃん。

ボタンをとめず、胸元の開いたシャツを着て会見をしたことに対してカッコつけた言い訳を書いているが、単純にだらしない恰好なだけだから。

【以下、本書の内容と公表されている事実(真実とは限らない)を踏まえての考察。】

詩織さんは自身が酒に強いという自信からデートレイプドラッグを使われたと主張している。しかしながら、デートレイプドラッグが使われたという証拠は一切存在しない。証拠が出てこない限りは山口氏の罪を問うことは不可能である。
一方で、相当量の酒を飲んだという証拠はある。泥酔していたということであれば、山口氏の証言、タクシー運転手の証言等々で辻褄が合うのだが、詩織さん自身がそれを否定してしまっている。根拠は、酒を覚えたての学生が言いそうな「私は酒に強い」、、以上。むしろ泥酔していたということにすれば、ワンチャンあったかもしれない。にしても、勝手に酒飲んで酔っ払ったのは詩織さん自身の責任であるのだが、本人のしょーもないプライドがそれを許さないのであろう。

ホテルの防犯カメラの映像という証拠に基づいた両者の見解は食い違っている。
映像を観た両者の主張は
・詩織さん:詩織さんの意識はなく、山口氏に抱えられたか引きずられたかして部屋に連れ込まれる。
・山口氏:詩織さん自身の足で歩いて移動。(←当然意識はある)
つまりはどちらかがハッタリをカマしているわけであるが、既に述べた通り、常識では意識のない人間を運ぶことは不可能に近いため、山口氏の主張に分があると考えられる。
詩織さんが自分の主張を通したいのであれば、山口氏がどのようにして詩織さんを運んだか、ホテルの従業員や利用客の様子を含め、ロビーやフロントをどのようにして通過したかを映像に基づいて詳細に描写するのが筋であると思うのだが、そのような内容は本書を含めて一切公表されていない。
仮にホテルに入ったときに意識のない状態であっても、この映像にどれほどの証拠能力があるのかは疑問である。準強姦とするには行為があったときに意識がなかったことを証明しなければならない。行為に及ぶのはホテルに入ってから数時間後であると考えられるため、ずっと意識がなかったのか、一時意識は戻ったがまた意識を失ったか、いずれにせよ行為に及ぶときに意識がなかったことを明確にしなければならない。
また、この件に関して、ホテルの従業員の証言が一切表に出ていないのは不可解でもある。

逮捕状が出ているにも限らず、山口氏が逮捕されなかったのは異例の事態であることは間違いない。それは当時の刑事部長である中村格氏が逮捕寸前で山口氏が有名ジャーナリストであることと、総理のお友達だと気付いて忖度した結果であろう。山口氏のように一般人と言えないような人物は本庁主導で捜査して然るべきであるのだが、所轄の勇み足で逮捕にかこつけてしまったのかもしれない(詩織さんに恋しちゃった捜査員A氏の言動を鑑みるに、それが真実なような気もする。本書の中では本庁ではなくて検察庁が逮捕前から捜査を主導するというとんでも内容になっているが)。仮にこれが事実であってもレイプが実際にあったかどうかは別問題である。詩織さん擁護派は逮捕しなかったことをことさら問題視しているが、逮捕した場合に起訴までどのようにして持ち込むのかというストーリーが欠けている。逮捕による拘留と任意捜査との違い、つまり、逮捕により起訴に足る決定的な新証拠が出てくる必要性があるが、誰もその可能性を示していない。逮捕されれば、山口氏が証拠隠滅する余裕を与えなかったという意見もあるが、裁判闘争になる可能性をすでに示しているのに、山口氏がその時まで証拠を残しておくとするのは無理がある(証拠があればだが)。
結果論で言えば、新証拠はなく、不起訴になったことからも、そもそも逮捕の必要性はなかったという結論になる。
逮捕状そのものに関して言えば、あくまで犯罪の疑いがあるから捜査のために逮捕することを裁判所が許可しただけあり、逮捕しなければならないという強制力はない。逮捕状の根拠たる証拠も、この時点で裁判所が真偽を判断したものではなし、有罪性を立証するものでもない。そもそも逮捕=犯罪者とするのはただの偏見である。
また、この件に関して、安倍総理(もしくはその周辺)の関与を疑う主張も散見されるが、一切の証拠がないのに延々と難癖を付けている構図はモリカケ問題と全く一緒である。つまり、アベガーによる計略にすぎない。

仮にレイプが真実であったとしても起訴、有罪になるかどうかは証拠次第である。詩織さんは最後の店から翌朝までの記憶がないわけであるから、具体的な証拠をもってレイプを立証しなければならない。
証拠がなければ起訴も有罪もないのは理の当然である。なぜなら日本は法治国家であるから。

「あなたは、どう考えるだろうか」
元TBSの男性記者が、Date Rape Drug (DRD)で意識を奪い、タクシーを使って運び、ホテルに連れ込み、意識の無いままの詩織さんをレイプした、という主張は正しいのか。その主張は「正しくない」というのが、警視庁、検察、そして検察審査会が出した結論から言えることです。その結論に至る判断を覆すに足る、新たな証言証拠を、彼女がここに記述、展開しているのかと言えば、残念ながら答えはNOです。客観的確定事実、彼女が事実と思う事実、彼女が懐く疑念、彼女がもつ確信等々の、様々な要素をありのままに提示しながら、最後に、「あなたは、どう考えるだろうか」と詩織さんが読者に問いかけるのが、本書BlackBoxのスタイルです。



「ある解釈」
詩織さん自身による記述をベースに、彼女と元TBSの男性記者の双方が、露骨な嘘はついていないとの前提にたてば、DRDなどは使われておらず、タクシーで運ばれたのでもなく、タクシーに彼と一緒に乗車し、「おすしが美味しかった」などと会話を交わし、連れ込まれたのではなく、おぼつかない足どりではあったけれども、彼に支えられながら、シェラトンの、あの広いロビー階を、誰に咎められることもなく奥へと進み、室内で彼との性交に及ぶに至ったが、その時点では、未(ま)だ詩織さんの記憶機能は、言わば機能不全の状態にあったが為に、それまでのeventの流れは、彼女にとって起き「なかった」事としてのみ、後々(のちのち)認識されることになり、早朝の5時20分ごろ、彼女にとって何か気になることが起きたことをきっかけに、記億機能が回復したが、性的行為は既に開始されており、彼から暴力も振るわれず、脅迫的暴言を浴びることもなく、逆に、わざわざ母国語でもない英語を交えて、彼が避妊具を使わなかったことを非難し、彼から借りたTシャツを着て部屋を出て、タクシーを拾ってアパートへ帰り、シャワーを浴びて下着も洗濯してしまった、という一連の流れのみが、彼女にとって、2015年4月4日の早朝に起きた、唯一記憶され認識され得る現実になった、との解釈も一概に不合理だとは言えないと思われます。もっともこれは、本書内の彼女による記述だけに基づいた解釈の一つであって、他のソースにある彼女の発言を対象にすれば、別の解釈になる可能性も、言下に否定できないことは論を待ちません。

「奇妙な話」
DVD版のTVプログラム(BBC_TWO)には、詩織さんが実際にタクシーで「夜」のシェラトンへ行き、あの夜のことを思い出そうとする、というシーンがあります。
映像では、シェラトン前の目黒通り上に停車したタクシーのドアが開き、
詩織さんが降りてきます。そして女性の英語ナレーションが始まります。
「あの夜に起きた事を、もっと思い出せるかもしれないと、
2年以上を経た今、詩織さんがそのホテルへと戻ります」
ここで映像は、隣接のサービスヤードから見るシェラトンの建物へと変わり、
詩織さんの声が聞こえます
「ただ、向き合ってみたいというか」
詩織さんのアップの映像です
「何と向き合うかっていうのは分からないんですが
体の方は、もうリアクションしている感じです」
映像では、詩織さんは両手をコートのポケットにいれたまま、
ホーマットキャピタル側を背に、シェラトンの建物を
わずかに見上げる姿勢をとります。そして詩織さんの
アップの映像となり、再度詩織さんが語ります
「あの灯(あか)りです、覚えています
ねっこれ、この灯り」
上階の客室の中でカーテンを引く人物の映像がインサートされ、
同映像に詩織さんの声がオーバーラップします
「うん変わっ変わってません」
(部屋の灯りなのか、構内の照明なのかは不明です)

日本国内のみで発売されている、本書BlackBoxの記述では、記憶機能が回復したのは、4日で、シェラトンの部屋の中であったはずです。ですから、彼女がシェラトンの光景を覚えているにしても、それは3日の夜では「なく」、翌4日にタクシーに乗ろうとした、午前5時50分頃に見えた光景のはずです(日出時刻: 5時24分、天候: 曇り)。にもかかわらず、夜、照明の点灯した建物を見て、事件当日を思い出そうとし、「あの灯り、覚えています」と言うことは、3日の夜、タクシーで到着後に、ロビーに入るまでに目に入った夜の光景を「覚えている」ということになり、詩織さんは2015年4月3日の夜、シェラトン車寄せでのタクシー降車前後に、少なくとも一時的には、記憶が回復していたということになってしまうのですが。それとも、実際に彼女が建物の外観を目にし、それを記憶にとどめたのは、4日の朝シェラトンを出る時であったけれど、番組の中での劇的効果を狙って、意図的に夜のシーンにしたのでしょうか。

「ある話法」(ジャーナリストならば絶対に落ちてはならない罠)
彼の行為がレイプでないことは知っていました。でも、自分にとっては納得のいかない性的行為であったのは事実です。納得のいかない性的行為と言うより、望まない性行為と言った方がわかりやすいと思います。でも、望まない性行為って、言わば自分の意思に反した性行為ですよね。意思に反した性行為は、強制された性行為でしょう。この、強制された性行為って、ほとんどレイプのような行為ですよね。しかし、「レイプのような」って言う日本語もおかしいですよね。外国では「レイプはレイプだ」というのが常識ですよ。

詩織さんが、自分は元TBSの男性記者による行為の被害者である、という思いから本書を著したのなら、そして、その彼の行為が犯罪行為なのだという「信念」を、市民活動家ではない、一人の「ジャーナリスト」として伝えたいのであれば、重複表現による錯覚という、cheapなトリックに依存するのではなく、後々(のちのち)の検証と批判に耐え得る、確固とした証言証拠を提示し、かつ自己検証という、時として苦痛を伴う知的作業を平行させつつも、わかりやすく、そして説得力のある話法で、読者である多くの「普通の人々」に語る手法を、無条件に選択すべきであったと評価せざるを得ません。残念です。

5つ星のうち 5.0怖い!怖い!

(参考になった人 59/65 人)

日本はやっぱり弱者にはきつい国だと思います。

まず、「あなたに隙はなかったか」という人がいますが、よくある言い方ですね。
強盗に入られた家の人に「気の毒に。でも隙はなかったのですか?」と聞きますか?
もし聞いたとしても、隙があったら犯罪が減じられるわけではありません。
よく痴漢にあった人に言われる言い方です。傷ついた人をもっと傷つける言い方。
日本は男社会なんだなと思います。男が酒を飲んで性犯罪にあってもそんな言い方はされないでしょう。



そもそも性犯罪をわたしは、性欲の発露以上に、パワーゲーム的なものがあると思います。
自分の力で、制圧したいという自分のパワーを見せつけたり確認したりするもの。

パワーと言えば最近のスポーツ界でも問題になっています。
権力の在る者が、立場の弱い者に振るうパワーです。
日本はつくづく、パワーに弱い社会です。

またかよ、と思ったのは、それだけではありません。
なんとレイプをした山口敬之氏は、安部首相のおかかえジャーナリストだったのです。
名前で引いたら本が出てきます。
また、お友達を大事にする安部さんの力が働いたのだな、ということです。
モリカケ問題も同じ時期で、山口氏まで不祥事をおこしたらやばいと思ったのでしょうか。
逮捕状まで出たのに、逮捕されない。その事件を捜査した警察官は、任務を解かれて、別の担当者に替わってしまう。怪しいですね。
そういうやり方をするんですね。

山口氏は、こんなに大事になると思ってなかったのでしょう。
これまでも、同じようなことをしてパワーで握りつぶしてきたのでしょうから。
ところが、詩織さんは泣き寝入りするような人ではなかった。

「隙がなかったのか」という言葉が、どれだけ多くの人を傷つけて泣き寝入りさせてきたかと思うと、使ってはいけない言葉だと思います。セカンドレイプです。
以前は子どもへの性的虐待にも、「娘が父を誘惑したのではないか」、娘にも責任があるのではないか、などの意見があったと思う。そんな、あほな。

信頼してたら、隙ぐらいありますよ。
もし、気をつけていても、物理的に力の強い男が女性を騙して襲おうとおもったら、できてしまいます。
いつまで、こんなことがおきるのだ?

座間の連続殺人、津久井やまゆり園の事件、弱っている人や弱い立場にある人は隙だらけです。その隙を狙って、攻めてやろうなんて人は、考え方が犯罪者と同じです。
一歩も隙を見せられない「人を見たら泥棒と思え」というような社会は悲しいじゃないですか。
人を信用しても大丈夫な社会になってほしい。

有名国立大学生の集団レイプも、毎年のように聞きます。
山口敬之氏もその大学生も、心が育ってないんだよ。
調子に乗って全能感丸出しなんだよ。
反撃されたら逃げるしかない、お子様並みの態度を取るのもそういう人たちの行動パターンだ。

しかし、マスコミではなかなか取り上げられないね。
政治の裏の力って怖い!

王とサーカス 太刀洗万智シリーズ

ネパールにプレ取材に行った万智は、おりしも起こった国王以下多数の
王族殺人事件に遭遇する。
早速、ガイドの少年サガルとともに王宮に向かい、町の様子や人びとの
インタビューなど取材を進めるうち、万智のまわりで新たな殺人事件が
勃発した。

新聞記者歴5年の若い万智がベテラン並の行動力と推理で真相に迫る。
彼女は記事の書き方にも一家言持っている。
「わたしの仕事には、他人の悲劇を見せ物にしているという側面がある。
問題は、それにもかかわらず伝えねばならないという哲学を持ち得るか
どうかにある。

」というところだ。

しかし、その前にこんなことも言っている。
「わたしは情報を選別する。何かを書くことは、同時に、何かを
書かないことだ。」
言い換えれば、ニュースになる事件と、ならない事件がある、という
ことだ。
うけるネタだけがニュースになって、本当に知らなければいけないことを
わたしたちは知らされていないかも知れない。
都合の良いことは伝え、都合の悪いことは伝えないメディアだって時として
ある。
万智がいうとおり、メデイアには「無限の時間と紙幅があるわけではない」
からだ、という理由で、それが正当化されてはいないか。

米澤さんのファンではないので、本書を含めて数作品しか読んでいません。 たまたま主人公を追いかける形でこの本にたどり着きました。 古い言葉ですが、推理小説的な仕掛けもあり、なるほどとうならされました。 ただ今時のミステリーは、事件を解決して大団円とはならない作品が数多く、本書もその類だと感じました。 私の好みとは少し異なります。 500ページ近くありますが、物語が始まるのが中盤以降という点もマイナスポイントでした。

5つ星のうち 3.0好みじゃなかった

(参考になった人 1/1 人)

多分好みじゃないと分かっていたので 手をつけていなかったが、思わず古本屋で 買ってしまいました。 すっげーくそ真面目な小説でした。 なんか冗長過ぎて読み疲れました。 てか460ページもいらないだろ!

ジャーナリスト』by Google Search

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