サリンのまとめ情報

サリン』の解説

サリン()は、有機リン化合物神経ガスの一種。正式名称はイソプロピルメチルフルオロホスホネート

歴史

1902年ドイツ帝国で初めて合成された。その毒性に最初に着目したのはナチス・ドイツであり、第二次世界大戦中に量産を計画し、敗戦までに7000トン以上のサリンを貯蔵していたにもかかわらず、終戦まで一度も使うことはなかった。なお、「サリン」の名称は、ナチスでサリン開発に携わったシュラーダー ()、アンブローズ()、 ()、フォン・デア・リンデ () の名前から取られた。

第二次世界大戦末期、アドルフ・ヒトラーの側近でナチ・ドイツの宣伝大臣であったヨーゼフ・ゲッベルスは、連合国ドレスデン爆撃への報復として、「サリン」を実戦に投入することを主張した。しかし、第一次世界大戦毒ガスによって視神経脳神経に一過性の障害を負い喉や眼を負傷したという経験を持つヒトラーは毒ガス使用には消極的で、その結果、ドイツ軍がサリンを戦争に使用することはなかった。また、同じ枢軸国であった大日本帝国に対してさえ、サリンの技術は提供されなかった。

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人体への機序

サリンは神経伝達物質アセチルコリンと似た構造を持つ。サリンはアセチルコリンを加水分解するアセチルコリンエステラーゼ(AChE)の活性部位に不可逆的に結合することで、AChEを失活させる。それによりアセチルコリンの分解を阻害し、神経伝達を麻痺させる作用が働く。

症状

サリンに曝露すると1分と経たずに以下のような症状が出る。曝露量が多い場合、即座に重症となり死亡する場合もある。

毒性

殺傷能力が非常に強く、吸収した量によっては数分で症状が現れる。また、呼吸器系からだけでなく皮膚からも吸収されるため、ガスマスクだけではなく対応する防護服を着用しなければ防護できない

経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである。

しかし、サリンは合成過程における中間生成物の段階で既に極めて毒性が高く、廃棄物もまた高い毒性を持つ。さらに生成過程で使用される化学物質は腐食性も高くガラスを腐食させるので、通常のフラスコなどでは合成できず、高度に専門的な知識と技術、設備が必要となる。これら設備を持たない者が合成を試みたところで、その合成過程で負傷・死亡する危険性が高い。

日本では、かつて長野県警察が市販の農薬からサリンの合成が可能であると主張していたが、これは完全に誤りである。確かにイソプロピルアルコールは工業原料・有機溶剤などとして一般に広く市販されており、前駆体であるリン塩化物についても法規制が敷かれているものの、化学工業や化学実験などで汎用される物質であることから入手が比較的容易なのは事実である。しかし、サリンは熱や水で容易に分解する上、合成段階では極めて不安定になる性質を持つため、サリンに至る製造工程では様々な化学用機材や高度な脱水技術のほか多段階の反応制御・精製技術・温度管理が必要であり、また多くの危険を伴う作業となる。上述した通り、オウム真理教もサリン製造にあたっては、それを目的とした研究室や大掛かりなサリンプラントを建造し、化学方面の高度な専門的知識に知悉した土谷正実らの信者が携わり、長谷川ケミカルなどのダミー会社を経由して原料を取得している。オウム真理教に対する査察においてオウム真理教の施設からは三塩化リン・フッ化ナトリウム(メチルホスホン酸ジメチル・メチルホスホン酸ジクロライドからメチルホスホン酸ジフルオリドを合成する段階で使用)などが発見され、それまではあくまで疑惑であったオウム真理教のサリン製造を裏付ける強力な物証となった。

日本ではオウム真理教以外では唯一、化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に関する法律及び施行令により、陸上自衛隊化学学校さいたま市北区日進町、陸自大宮駐屯地所在)において、殺傷能力が高いサリンを含む複数の毒ガスの製造・保管を行っていた。サリンも年間でグラム単位の合成を行っている。

対策

自然環境中には存在しない。加水分解によってフッ素が水分子の水素原子と結びつき、それが同じ水分子の水酸基と入れ替わることにより、サリンはフッ化水素メチルホスホン酸イソプロピルに変化し、さらに後者はメチルホスホン酸イソプロピルアルコールに分解する。したがって水源地や浄水場にサリンを投げ込んだところで直ちに加水分解されるほか、活性炭処理やオゾンによる高度浄水処理の工程を通ればほぼ完全に無毒化される。また、塩基性条件下で加水分解が加速されることを利用して、サリンの除染には塩基性水溶液が用いられる。北朝鮮は日本列島を攻撃可能な弾道ミサイルを保有しており、弾頭に化学兵器類を搭載して発射できるとされる。ただし、熱に弱い性質のサリンを大気圏再突入時の高熱から防ぐ技術が必要となる。

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サリン事件死刑囚 中川智正との対話

僕は元オウムだ。オウムの犯した諸々の犯罪の被害者の方々にお詫びします。自分自身は犯罪に関わることはなかったけれど、オウムを支えた道義的な責任はあると思う。本書のようなオウム事件に関わる書籍をレビューすることで、当時のオウムのことや現在から見た総括などを残したいと思う。

1994年の後半から1995年前半までのいつだったか、僕は山梨県上九一色村の、確か第六サティアン3階だったと思うが、医務室にいた。そこは壁などで仕切られておらず、カウンターがありその内側に机などがあった。左手に中川智正と遠藤誠一が立っていた。

僕が行く直前に誰か女性がわめきながら去って行ったので、その対応をしていたのかもしれない。きっとPSIを受けに来た信徒さんだろうと思った。
僕は目の痛みを訴え、いつ症状が出たかの説明を始めた。第七サティアンの方から吹いてくる風に当たると涙が出て目が刺すように痛むと言ったとたん、中川はぎょっとしてその表情のまま、彼から見て右に立っていた遠藤の方を向き、まじまじとその顔を見た。絶句したままの中川に代わって遠藤は何事もないかのように、ペンライトを使って僕の瞳を覗いてから、血液検査のサンプルを採るので腕を出すように言った。「外が騒がしいから、今回結果が出るのは時間が掛かるかもしれない。」と付け加えたのを憶えている。第七サティアンで悪臭騒ぎがあり、それ以来交通に支障があるらしかった。

確かに結果が出るのは遅れた。彼らとはそれきり会っていない。2人ともその後逮捕され死刑囚となって、2018年7月にそれは執行された。結果を聞くことはできていない。しかし今振り返れば原因は推測できる。第七サティアンがサリンの大量生産のための工場だったと分かったからだ。運転手たちはその辺りが季節に関わりなく、いつも草が枯れたようになっていて、緑色に茂らないことを不審がっていた。

僕は一般に入手できるオウム裁判関連の本をほとんど読んでいて、本書にあることも大体は知っていたけれど、オウムの中央部がいかに多くの人を殺すための研究に時を費やしていたかと、改めてため息が出る想いだった。一体ハルマゲドンを自作自演してどうしようというのだろう。ストラテジーゲームレベルの僕の脳ミソでさえ、何か東京でハルマゲドンと称する大殺戮でパニックを起こしても、その後民衆を制圧し人心を掌握しない限り、その後の展開はあり得ないことくらいわかる。大殺戮の原因がオウムであることが分かれば、当然人心を得ることなどあり得ないし、そのようなことをして生まれた政権を国際社会が認めるわけがない。だからそもそも最初から破綻している戦略なのだ。というより、そういうのは戦略とは言わない。
とにかくハルマゲドンを起こせば、運命が味方をして思わぬ所から援助があるとでも思ったのか。仮にそのためのロシア布教であったとして、上手くいってもロシア頼みの傀儡政権になるしかないが、その前に自衛隊と在日米軍が黙っていないだろう。リスクを考えてロシアは動かず、鎮圧されるのがオチである。なにか狭い視野で思い込みに捕らわれていたとしか思えない。

本書はオウム真理教によるサリン事件の解決に大きく貢献した台湾出身の化学・生化学・毒性学の専門家でコロラド州立大学名誉教授のアンソニー・トゥー氏によるもの。あとがきがないため分からないが、同じ説明が何度も出てくるので、月刊誌か何かに書かれた短い文章をまとめたものではないかと思う。特に序盤は文章の中で過去の出来事に触れようとして頻繁に時間が前後するので読みづらさを感じた。写真の説明など小さなところに間違いが残っている。中川の処刑に合わせようとしてよほど慌てて出版したのだろうと思う。生もののように少しでも遅れれば売れなくなる、という焦りから、いかにオウム事件が風化したかを実感する。

僕自身13人が死刑執行され、これで本当に終わったと思った。もちろん賠償問題も解明すべきことも残っている。しかし今まで以上の速さで人々の記憶から消えていくことは避けられない。

本書の中で麻原が悪かったのは間違いないけれど、オウムは悪かったのかについての結論は出ていない。麻原とオウムとを分割して語ることができるなら、僕は悪の種を蒔いたのは麻原だが、それを大きくしたのは僕たちオウムだったと思う。逆に麻原が善の種を蒔いたなら、僕たちはそれを大きくしたはずだ。(麻原は部署によって悪の種を蒔いたところもあるし、蒔かなかったところもある。たまたま僕は蒔かれなかった部署にいた。実際に悪に関わっていた人は、全体から見て一部であることは覚えておいてほしい。詳しく知りたい方はオウム裁判関連の書籍を読めばよく分かると思う。)

オウムのことを「全体主義」と評価する人がいる。僕もそれに同意見だ。オウムを含めたカルト宗教を原始的な専制国家に例えることができると思う。「全体主義」とは個人の自由や権利を重要とする「個人主義」の対義語だ。つまり「全体主義」は組織や共同体全体の利益のためには個人の意志や権利を無視する考え方だ。気を付けなければならないのは、「全体主義」をファシズムやナチズムと同義と捉えてしまいがちだということだ。それだと「全体主義」を狭く解釈してしまうことになる。
僕は群れを発展させ社会を営む「ヒト」の生態から見て「全体主義」はごく当たり前の意識ではないかと思う。むしろ「個人主義」は得難くそれゆえに、より大切にしなければならないのだ。貧しさや自然の脅威など条件によっては「全体主義」でなければ生きられない人々もいるはずだ。

ハンナ・アーレントはナチ党幹部のアイヒマンの裁判で、彼が普通の男で役人としての役職を全うしただけと弁明したことから「悪の陳腐さ」もしくは「凡庸なる悪」という言葉を使っているが、あの時代に悪を凡庸たらしめたのが「全体主義」なのだと思う。数と意志の力で悪なるもの、善なるもの、そのどちらでもあるもの、どちらでもないものなど、リーダーが強調する考え方を増幅するのが「全体主義」の特徴なのだ。
ヒトラーがユダヤ人を諸悪の根源として強調したために、ナチ党を中心としたドイツ人にユダヤ人差別が当たり前のように横行した。逆にユダヤ人をかくまった者は犯罪者として訴えられた。本心ではユダヤ人を悪く思わない人たちでさえ、世間体のためにユダヤ人を侮辱した。今の僕たちには理解しがたい世界観だが、ヒトラーがリーダーとなっている全体主義社会だったために、人々は自ら反ユダヤ主義に合わせていったほうが生きやすかったのだろう。そのような世界ではアイヒマンのようなどこにでもいる有能な役人が、仕事としてユダヤ人を絶滅収容所に送る手続きをすることは、特別なことではなかったのだ。このように「悪」は増幅して市民に浸透し「凡庸なるもの」になった。

僕のオウムでの肌感覚で言うならば、全体主義社会でリーダーの強調する考え方が増幅するスピードは、それを実践する者たちのリーダーに対する思慕の強さによるのではないかと思う。「オウム事件 17年目の告白」で上祐氏が述べたように、オウムの出家制度は特徴的な効果を現した。オウムの教えは、実際にはグルへの完全な帰依とグルによるイニシエーションであり、普通はそのような教えを好む者でなければ出家までは至らない。元アレフ代表の村岡達子は7月7日配信のデイリー新潮のインタビューで「私にとっては尊師(麻原)も王様のような存在でした。全身全霊で奉仕するのが私の生きがいなんだ、ということが改めて分かりました。」と語っているが、僕自身も思春期の頃、自分の人生をかけられる尊敬すべき対象を探して苦悩していた。上祐氏も母子家庭だったために、自らに欠如していた父性を満たす対象として麻原を求めた。本書には土屋が遠藤の管理下に入ったために、麻原に会えないことに耐えられなくなったという記述がある。麻原のカリスマ性がオウムを支えたことは明らかだが、それだけでは犯罪を犯すほど先鋭化した理由を説明できない。やはり麻原がヴァジラヤーナの教えを説き、犯罪行為を指示するといった「悪」の種を蒔かない限り、地下鉄サリン事件までの結果には至らなかったと言っていいだろう。サリン70トンを目標とする第七サティアンのプラントの製造に至らせたのは、土屋の存在と麻原のカリスマ性と言えるが、その計画を動かせたのも麻原による指示があったからである。地下鉄サリン事件の裁判で第6サティアン3Fのシールドルームで村井が計画の概要を説明した時、麻原の指示であると明かしたか否か証言がわかれたが、どちらにせよ麻原の弟子の本懐としては、グルの指示と認識しなければ事件を起こす動機にはならなかったはずだ。

弟子達のなかでも、自己顕示欲の強いものは麻原の寵愛を得んがために、先鋭化しやすい傾向にあったかもしれない。僕の印象では、後半の時代に行くほど、霊性や神秘性と関係なく、オウムでした仕事に対して、成就というステージが報酬のように与えられていた印象が強い。麻原に成果主義的な目論見があったとするならば、ヴァジラヤーナの説法も影響して、弟子たちの手段を選ばず結果を得ようとする意識にも影響したと考えられる。それらが「弟子たちによる忖度説」を唱える余地を与えてしまっているのだろう。

僕はオウムにいた。そしてオウムから外へ出てきて裁判の記録からオウムの「悪なる全体主義」の一面を知った。そして逆位相で社会全体を覆っていた「反オウムという全体主義」に目を見張った。「オウムは殺していい」という言葉、「村井が殺されたのは最高に面白かった」オウムは残酷な言葉をぶつけていい対象になっていた。起こした事件の深刻さを考えれば、大多数の人がそのように見るのは仕方がない。
日本社会全体が、それ以外の視点で見ることを許さない空気であることに、底知れぬ恐ろしさを感じた。そこに「個人主義」はなかった。事件は麻原というレンズを中心として、オウムの内側にも外側にも日本人の全体主義的傾向を映し出した。あの時代、オウムを別の言葉と視点で表現しようとしたのは、僕の知る限り、唯一森達也氏であったように思う。森氏が正しいかどうかより、立ち止まって考え、発言することの意義を発信したことを評価したい。僕たちにはまだまだ課題が残されている。その時一人ひとりが立ち止まって考え、話し合うことができなければ、情報量と感情に流されてしまう。
日本では何かのグループや、レッテルを張られた人たちが、ひとたび悪人認定されたとき、オウムと同じことが起きうるのだ。それはその人たちの人生に致命的な一撃を与えるかもしれない。
僕はオウムを通して、隠された日本の全体主義志向の闇の側面を見た、と思っている。

7月26日、一連のオウム真理教事件で、従属的立場にあったと見られている、6人の死刑が執行された。AERA2018年8月10日号によれば、その一人、豊田亨は大学院時代の同級生、伊東乾氏との最期の二回の会見で、以下のように繰り返し語ったという。
「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」

前作、『サリン事件: 科学者の目でテロの真相に迫る』は、科学者の目で見たサリン事件という事で、本書中の高橋シズエさんと同様、非常に目新しい情報が多いという感想を得た。
前作の詳細な内容を失念してしまったので、本書との比較は再読しなければはっきりと言えないが、本書は、目新しい部分より、中川智正を切り口にして、オウム関連事件をもう一度振り返るという部分に価値があると思う。
トゥー氏は毒物、生物兵器、化学兵器の専門家で、確か前作は、中川とのかなり詳細な兵器の製造・使用についての考察を行ったと記憶しているが、今作は、どちらかというと事件そのもの、有罪となったオウム信者各人の役割や性質、試験周辺の人々や制度(弁護士、検事、拘置所、裁判官、被害者、ジャーナリスト、警察、学会)などに軸足を置いているように感じた。



印象的なのは、以下。
1、一部の事件と加害者について、事件毎の判決を把握している事。
複数の事件で起訴、有罪判決を受けた元オウム信徒について、個々の事件別の判決について、wikiはじめ他のオウム関連の本で記載されているのを記憶していない。しかし、本書では、例えば土谷が松本サリンでは殺人ほう助罪、地下鉄サリンでは殺人罪になっているなどの記載が出てくる(p109)。個々人の詳細な判決文には出てくるのか。司法があの事件群をどう裁いたのか。それを知るために入手するすべを知りたいものである。

2、中川に対する、冷静な目
文中に、トゥー氏が高橋シズエさんと話す場面がある。中川が遠藤を評し「しゃべっても何も変わらないから遠藤は喋らない」と言ってたのをシズエさんへ伝えると、シズエさんは「中川が遠藤のことをそういう風に言うのは、うんとしゃべったら自分は助かると思っているからですか」と聞き、トゥー氏が驚くのだ。(p77)
オウムには、「世界の平和のためには、優秀なオウム信徒以外の一部の犠牲はやむを得ない」という選民思想がある。よく、「何故、あんな優秀な若者がオウムで犯罪に?」と言われるが、私は、彼らが優秀で、自分が選民である、選民になるべき人物であるという意識があったからこそ、それを見抜かれ、麻原に使われたと思う。
強制捜査直後のマスコミも、上祐含めオウム幹部達をアイドルスターのように追っていた。やもすれば、トゥー氏も中川に対し、親愛の念を深めていたのだと思う。しかし、冷静なシズエさんの言葉に我に返った瞬間がこのシーンだった。どれほど彼らが好人物であり、優秀であっても、殺人含む膨大かつ重大な犯罪の加害者であり、今も家族を失った悲しみや後遺症に苦しんでいる被害者の事を忘れてはならないと、読んでいてハッとさせられた一文である。

3、土谷を通して知る、信者の麻原への強い思慕
中川が土谷の事を語る一節に、麻原が土谷と直接やりとりしている事が気に入らなかった上司の遠藤が、土谷の麻原との直接面会を禁じ、最初は従っていた土谷だったが「土谷君は麻原氏に会えない事が耐えられなくなり」、とある。(p138)
何という強い愛情なのだ、と思う。恋人より、親子よりも、もしかすると強い愛情なのかもしれない。片や、かっては監禁して迄、息子を取り戻そうとした土谷の親は、今は、土谷を見捨て、彼が願っても会いすらしないとの事。(p111)
直接会えない事が耐えられなくなるほどの強い思慕。それは、ほとんどのオウムの元信者たちが裁判等で口にしていた。皆、麻原を絶対的に信じ、揺らぐことのない愛情関係に結ばれていたのだ。まるで、幼児と親のように。いや、それ以上に。絶対的な信頼と愛情を持つことによる安心感と喜び。それが、オウムの魅力、魔力だったのだろう、と思わせた。

4、VX
中川が最後に成し遂げたこと、それが金正男のVX暗殺手法の解明だった。(p215)短い新聞記事だけでは分からなかったし、本書にも、そんなに長く書いてはいないが、中川が、的確な着眼点で手口を推測した様子は見て取れる。過去に生きていた中川が、現在と交差した事、彼がもういない事を強く印象付けた。

別のレビューにもあるように、この本には、重複記述がいくつか見られる。編集、校正がおいつかなかったのだろう。
しかし、それでも、このタイミングで出版した事に、大きな意義を感じている。
7人の死刑執行から1ヵ月。6名の死刑執行から2週間しか経っていないが、多くのマスコミは、無責任かつ不勉強なコメントの一過性ニュース又は特番で、オウム事件の報道は終わってしまった。多くのマスコミが「もっと考察されるべきだったと思います」と結んでいたが、今からでも遅くない。考察の最初に、この本を読んでみてはいかがだろう。
高齢のトゥー氏が、中川との長い対話に基づき、日本人が書けなかった本を出版してくれた。それに感謝し、あの事件をきちんと振り返ろう。

5つ星のうち 3.0商魂たくましいな

(参考になった人 4/6 人)

タイトル、 そして「死刑執行されたら出版してください」という中川元死刑囚の言葉から 重大な新事実が書かれていると思う向きも多いと思われるが、 新事実はほとんど無い。 また、対話についても化学的な事柄ばかりである。 15回も面会したのに化学的な事柄ばかりになった理由は 「中川元死刑囚に面会を拒否されたら困る」という理由からである。 それから、台湾人がこれだけ流ちょうに日本語を操るのは驚きではあるが、 完璧ではない。 おかしい所もある。 中川元死刑囚は中学校の先輩ということもあり、 以前より気になっていた。 もっと生々しい声が聞きたかったところである。

サリン事件死刑囚 中川智正との対話

僕は元オウムだ。オウムの犯した諸々の犯罪の被害者の方々にお詫びします。自分自身は犯罪に関わることはなかったけれど、オウムを支えた道義的な責任はあると思う。本書のようなオウム事件に関わる書籍をレビューすることで、当時のオウムのことや現在から見た総括などを残したいと思う。

1994年の後半から1995年前半までのいつだったか、僕は山梨県上九一色村の、確か第六サティアン3階だったと思うが、医務室にいた。そこは壁などで仕切られておらず、カウンターがありその内側に机などがあった。左手に中川智正と遠藤誠一が立っていた。

僕が行く直前に誰か女性がわめきながら去って行ったので、その対応をしていたのかもしれない。きっとPSIを受けに来た信徒さんだろうと思った。
僕は目の痛みを訴え、いつ症状が出たかの説明を始めた。第七サティアンの方から吹いてくる風に当たると涙が出て目が刺すように痛むと言ったとたん、中川はぎょっとしてその表情のまま、彼から見て右に立っていた遠藤の方を向き、まじまじとその顔を見た。絶句したままの中川に代わって遠藤は何事もないかのように、ペンライトを使って僕の瞳を覗いてから、血液検査のサンプルを採るので腕を出すように言った。「外が騒がしいから、今回結果が出るのは時間が掛かるかもしれない。」と付け加えたのを憶えている。第七サティアンで悪臭騒ぎがあり、それ以来交通に支障があるらしかった。

確かに結果が出るのは遅れた。彼らとはそれきり会っていない。2人ともその後逮捕され死刑囚となって、2018年7月にそれは執行された。結果を聞くことはできていない。しかし今振り返れば原因は推測できる。第七サティアンがサリンの大量生産のための工場だったと分かったからだ。運転手たちはその辺りが季節に関わりなく、いつも草が枯れたようになっていて、緑色に茂らないことを不審がっていた。

僕は一般に入手できるオウム裁判関連の本をほとんど読んでいて、本書にあることも大体は知っていたけれど、オウムの中央部がいかに多くの人を殺すための研究に時を費やしていたかと、改めてため息が出る想いだった。一体ハルマゲドンを自作自演してどうしようというのだろう。ストラテジーゲームレベルの僕の脳ミソでさえ、何か東京でハルマゲドンと称する大殺戮でパニックを起こしても、その後民衆を制圧し人心を掌握しない限り、その後の展開はあり得ないことくらいわかる。大殺戮の原因がオウムであることが分かれば、当然人心を得ることなどあり得ないし、そのようなことをして生まれた政権を国際社会が認めるわけがない。だからそもそも最初から破綻している戦略なのだ。というより、そういうのは戦略とは言わない。
とにかくハルマゲドンを起こせば、運命が味方をして思わぬ所から援助があるとでも思ったのか。仮にそのためのロシア布教であったとして、上手くいってもロシア頼みの傀儡政権になるしかないが、その前に自衛隊と在日米軍が黙っていないだろう。リスクを考えてロシアは動かず、鎮圧されるのがオチである。なにか狭い視野で思い込みに捕らわれていたとしか思えない。

本書はオウム真理教によるサリン事件の解決に大きく貢献した台湾出身の化学・生化学・毒性学の専門家でコロラド州立大学名誉教授のアンソニー・トゥー氏によるもの。あとがきがないため分からないが、同じ説明が何度も出てくるので、月刊誌か何かに書かれた短い文章をまとめたものではないかと思う。特に序盤は文章の中で過去の出来事に触れようとして頻繁に時間が前後するので読みづらさを感じた。写真の説明など小さなところに間違いが残っている。中川の処刑に合わせようとしてよほど慌てて出版したのだろうと思う。生もののように少しでも遅れれば売れなくなる、という焦りから、いかにオウム事件が風化したかを実感する。

僕自身13人が死刑執行され、これで本当に終わったと思った。もちろん賠償問題も解明すべきことも残っている。しかし今まで以上の速さで人々の記憶から消えていくことは避けられない。

本書の中で麻原が悪かったのは間違いないけれど、オウムは悪かったのかについての結論は出ていない。麻原とオウムとを分割して語ることができるなら、僕は悪の種を蒔いたのは麻原だが、それを大きくしたのは僕たちオウムだったと思う。逆に麻原が善の種を蒔いたなら、僕たちはそれを大きくしたはずだ。(麻原は部署によって悪の種を蒔いたところもあるし、蒔かなかったところもある。たまたま僕は蒔かれなかった部署にいた。実際に悪に関わっていた人は、全体から見て一部であることは覚えておいてほしい。詳しく知りたい方はオウム裁判関連の書籍を読めばよく分かると思う。)

オウムのことを「全体主義」と評価する人がいる。僕もそれに同意見だ。オウムを含めたカルト宗教を原始的な専制国家に例えることができると思う。「全体主義」とは個人の自由や権利を重要とする「個人主義」の対義語だ。つまり「全体主義」は組織や共同体全体の利益のためには個人の意志や権利を無視する考え方だ。気を付けなければならないのは、「全体主義」をファシズムやナチズムと同義と捉えてしまいがちだということだ。それだと「全体主義」を狭く解釈してしまうことになる。
僕は群れを発展させ社会を営む「ヒト」の生態から見て「全体主義」はごく当たり前の意識ではないかと思う。むしろ「個人主義」は得難くそれゆえに、より大切にしなければならないのだ。貧しさや自然の脅威など条件によっては「全体主義」でなければ生きられない人々もいるはずだ。

ハンナ・アーレントはナチ党幹部のアイヒマンの裁判で、彼が普通の男で役人としての役職を全うしただけと弁明したことから「悪の陳腐さ」もしくは「凡庸なる悪」という言葉を使っているが、あの時代に悪を凡庸たらしめたのが「全体主義」なのだと思う。数と意志の力で悪なるもの、善なるもの、そのどちらでもあるもの、どちらでもないものなど、リーダーが強調する考え方を増幅するのが「全体主義」の特徴なのだ。
ヒトラーがユダヤ人を諸悪の根源として強調したために、ナチ党を中心としたドイツ人にユダヤ人差別が当たり前のように横行した。逆にユダヤ人をかくまった者は犯罪者として訴えられた。本心ではユダヤ人を悪く思わない人たちでさえ、世間体のためにユダヤ人を侮辱した。今の僕たちには理解しがたい世界観だが、ヒトラーがリーダーとなっている全体主義社会だったために、人々は自ら反ユダヤ主義に合わせていったほうが生きやすかったのだろう。そのような世界ではアイヒマンのようなどこにでもいる有能な役人が、仕事としてユダヤ人を絶滅収容所に送る手続きをすることは、特別なことではなかったのだ。このように「悪」は増幅して市民に浸透し「凡庸なるもの」になった。

僕のオウムでの肌感覚で言うならば、全体主義社会でリーダーの強調する考え方が増幅するスピードは、それを実践する者たちのリーダーに対する思慕の強さによるのではないかと思う。「オウム事件 17年目の告白」で上祐氏が述べたように、オウムの出家制度は特徴的な効果を現した。オウムの教えは、実際にはグルへの完全な帰依とグルによるイニシエーションであり、普通はそのような教えを好む者でなければ出家までは至らない。元アレフ代表の村岡達子は7月7日配信のデイリー新潮のインタビューで「私にとっては尊師(麻原)も王様のような存在でした。全身全霊で奉仕するのが私の生きがいなんだ、ということが改めて分かりました。」と語っているが、僕自身も思春期の頃、自分の人生をかけられる尊敬すべき対象を探して苦悩していた。上祐氏も母子家庭だったために、自らに欠如していた父性を満たす対象として麻原を求めた。本書には土屋が遠藤の管理下に入ったために、麻原に会えないことに耐えられなくなったという記述がある。麻原のカリスマ性がオウムを支えたことは明らかだが、それだけでは犯罪を犯すほど先鋭化した理由を説明できない。やはり麻原がヴァジラヤーナの教えを説き、犯罪行為を指示するといった「悪」の種を蒔かない限り、地下鉄サリン事件までの結果には至らなかったと言っていいだろう。サリン70トンを目標とする第七サティアンのプラントの製造に至らせたのは、土屋の存在と麻原のカリスマ性と言えるが、その計画を動かせたのも麻原による指示があったからである。地下鉄サリン事件の裁判で第6サティアン3Fのシールドルームで村井が計画の概要を説明した時、麻原の指示であると明かしたか否か証言がわかれたが、どちらにせよ麻原の弟子の本懐としては、グルの指示と認識しなければ事件を起こす動機にはならなかったはずだ。

弟子達のなかでも、自己顕示欲の強いものは麻原の寵愛を得んがために、先鋭化しやすい傾向にあったかもしれない。僕の印象では、後半の時代に行くほど、霊性や神秘性と関係なく、オウムでした仕事に対して、成就というステージが報酬のように与えられていた印象が強い。麻原に成果主義的な目論見があったとするならば、ヴァジラヤーナの説法も影響して、弟子たちの手段を選ばず結果を得ようとする意識にも影響したと考えられる。それらが「弟子たちによる忖度説」を唱える余地を与えてしまっているのだろう。

僕はオウムにいた。そしてオウムから外へ出てきて裁判の記録からオウムの「悪なる全体主義」の一面を知った。そして逆位相で社会全体を覆っていた「反オウムという全体主義」に目を見張った。「オウムは殺していい」という言葉、「村井が殺されたのは最高に面白かった」オウムは残酷な言葉をぶつけていい対象になっていた。起こした事件の深刻さを考えれば、大多数の人がそのように見るのは仕方がない。
日本社会全体が、それ以外の視点で見ることを許さない空気であることに、底知れぬ恐ろしさを感じた。そこに「個人主義」はなかった。事件は麻原というレンズを中心として、オウムの内側にも外側にも日本人の全体主義的傾向を映し出した。あの時代、オウムを別の言葉と視点で表現しようとしたのは、僕の知る限り、唯一森達也氏であったように思う。森氏が正しいかどうかより、立ち止まって考え、発言することの意義を発信したことを評価したい。僕たちにはまだまだ課題が残されている。その時一人ひとりが立ち止まって考え、話し合うことができなければ、情報量と感情に流されてしまう。
日本では何かのグループや、レッテルを張られた人たちが、ひとたび悪人認定されたとき、オウムと同じことが起きうるのだ。それはその人たちの人生に致命的な一撃を与えるかもしれない。
僕はオウムを通して、隠された日本の全体主義志向の闇の側面を見た、と思っている。

7月26日、一連のオウム真理教事件で、従属的立場にあったと見られている、6人の死刑が執行された。AERA2018年8月10日号によれば、その一人、豊田亨は大学院時代の同級生、伊東乾氏との最期の二回の会見で、以下のように繰り返し語ったという。
「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」

前作、『サリン事件: 科学者の目でテロの真相に迫る』は、科学者の目で見たサリン事件という事で、本書中の高橋シズエさんと同様、非常に目新しい情報が多いという感想を得た。
前作の詳細な内容を失念してしまったので、本書との比較は再読しなければはっきりと言えないが、本書は、目新しい部分より、中川智正を切り口にして、オウム関連事件をもう一度振り返るという部分に価値があると思う。
トゥー氏は毒物、生物兵器、化学兵器の専門家で、確か前作は、中川とのかなり詳細な兵器の製造・使用についての考察を行ったと記憶しているが、今作は、どちらかというと事件そのもの、有罪となったオウム信者各人の役割や性質、試験周辺の人々や制度(弁護士、検事、拘置所、裁判官、被害者、ジャーナリスト、警察、学会)などに軸足を置いているように感じた。



印象的なのは、以下。
1、一部の事件と加害者について、事件毎の判決を把握している事。
複数の事件で起訴、有罪判決を受けた元オウム信徒について、個々の事件別の判決について、wikiはじめ他のオウム関連の本で記載されているのを記憶していない。しかし、本書では、例えば土谷が松本サリンでは殺人ほう助罪、地下鉄サリンでは殺人罪になっているなどの記載が出てくる(p109)。個々人の詳細な判決文には出てくるのか。司法があの事件群をどう裁いたのか。それを知るために入手するすべを知りたいものである。

2、中川に対する、冷静な目
文中に、トゥー氏が高橋シズエさんと話す場面がある。中川が遠藤を評し「しゃべっても何も変わらないから遠藤は喋らない」と言ってたのをシズエさんへ伝えると、シズエさんは「中川が遠藤のことをそういう風に言うのは、うんとしゃべったら自分は助かると思っているからですか」と聞き、トゥー氏が驚くのだ。(p77)
オウムには、「世界の平和のためには、優秀なオウム信徒以外の一部の犠牲はやむを得ない」という選民思想がある。よく、「何故、あんな優秀な若者がオウムで犯罪に?」と言われるが、私は、彼らが優秀で、自分が選民である、選民になるべき人物であるという意識があったからこそ、それを見抜かれ、麻原に使われたと思う。
強制捜査直後のマスコミも、上祐含めオウム幹部達をアイドルスターのように追っていた。やもすれば、トゥー氏も中川に対し、親愛の念を深めていたのだと思う。しかし、冷静なシズエさんの言葉に我に返った瞬間がこのシーンだった。どれほど彼らが好人物であり、優秀であっても、殺人含む膨大かつ重大な犯罪の加害者であり、今も家族を失った悲しみや後遺症に苦しんでいる被害者の事を忘れてはならないと、読んでいてハッとさせられた一文である。

3、土谷を通して知る、信者の麻原への強い思慕
中川が土谷の事を語る一節に、麻原が土谷と直接やりとりしている事が気に入らなかった上司の遠藤が、土谷の麻原との直接面会を禁じ、最初は従っていた土谷だったが「土谷君は麻原氏に会えない事が耐えられなくなり」、とある。(p138)
何という強い愛情なのだ、と思う。恋人より、親子よりも、もしかすると強い愛情なのかもしれない。片や、かっては監禁して迄、息子を取り戻そうとした土谷の親は、今は、土谷を見捨て、彼が願っても会いすらしないとの事。(p111)
直接会えない事が耐えられなくなるほどの強い思慕。それは、ほとんどのオウムの元信者たちが裁判等で口にしていた。皆、麻原を絶対的に信じ、揺らぐことのない愛情関係に結ばれていたのだ。まるで、幼児と親のように。いや、それ以上に。絶対的な信頼と愛情を持つことによる安心感と喜び。それが、オウムの魅力、魔力だったのだろう、と思わせた。

4、VX
中川が最後に成し遂げたこと、それが金正男のVX暗殺手法の解明だった。(p215)短い新聞記事だけでは分からなかったし、本書にも、そんなに長く書いてはいないが、中川が、的確な着眼点で手口を推測した様子は見て取れる。過去に生きていた中川が、現在と交差した事、彼がもういない事を強く印象付けた。

別のレビューにもあるように、この本には、重複記述がいくつか見られる。編集、校正がおいつかなかったのだろう。
しかし、それでも、このタイミングで出版した事に、大きな意義を感じている。
7人の死刑執行から1ヵ月。6名の死刑執行から2週間しか経っていないが、多くのマスコミは、無責任かつ不勉強なコメントの一過性ニュース又は特番で、オウム事件の報道は終わってしまった。多くのマスコミが「もっと考察されるべきだったと思います」と結んでいたが、今からでも遅くない。考察の最初に、この本を読んでみてはいかがだろう。
高齢のトゥー氏が、中川との長い対話に基づき、日本人が書けなかった本を出版してくれた。それに感謝し、あの事件をきちんと振り返ろう。

5つ星のうち 3.0商魂たくましいな

(参考になった人 5/7 人)

タイトル、 そして「死刑執行されたら出版してください」という中川元死刑囚の言葉から 重大な新事実が書かれていると思う向きも多いと思われるが、 新事実はほとんど無い。 また、対話についても化学的な事柄ばかりである。 15回も面会したのに化学的な事柄ばかりになった理由は 「中川元死刑囚に面会を拒否されたら困る」という理由からである。 それから、台湾人がこれだけ流ちょうに日本語を操るのは驚きではあるが、 完璧ではない。 おかしい所もある。 中川元死刑囚は中学校の先輩ということもあり、 以前より気になっていた。 もっと生々しい声が聞きたかったところである。

慟哭 小説・林郁夫裁判

林郁夫の「オウムと私」も読みましたが、一般的にはこちらの方が読みやすいかと思います。

佐木隆三は、もちろん林郁夫と違いプロの作家ですから、もっとサクサク話が進んでいくので。

でも、泣きそうになるのは「オウムと私」の方なんですけどね。

この「慟哭」では、「オウムと私」では語られていない林郁夫の女性問題や、DVについても触れられています。

妻や元愛人の看護師も、出廷して証言します。

それにしても、慟哭裁判と言われただけあって本当に林は泣きっぱなし笑

「泣いてる場合じゃないんじゃないですか」
と検察に咎められたり、
鳴咽が止まらず話せないので、一時休廷したり。



中川智正が「林郁夫は口が上手いから一人だけ無期懲役になったと思う」というだけあって(苦笑)
頭脳明晰で、心打たれる発言も多い。

もちろん、実行犯で彼一人無期懲役の判決にはいまだに賛否両論あります。

地下鉄サリンだけではない。
洗脳されていたとはいえ、温熱療法、ナルコ、ニューナルコ、監禁、暴力、非医療行為のオンパレード。
マッドサイエンティストさながらの相当むごいことをしています。

でももしこの場にいたら、
私も多くのもらい泣きした遺族や傍聴人と同じ気持ちになっただろうと思う。

そして、弁護士だったくせに、のらりくらりとした証言しかせず、ふざけた態度の青山、
全く話にならない麻原、この二人は本当に本当に最低。

「アイ キャン ノット」などと言っている麻原に向かって、さめざめと泣いていた林が、突如
「私は非常に不満です!」
「あなたは英語をバカにしていたじゃないですか!」
などと怒りをあらわにするシーンが、この裁判のハイライト?だと思う。
(いわゆる師弟対決)

こういう場合、普通は発言を止められますが、
「被告人は立って発言して下さい」
と言った裁判官グッジョブです。

まあ、林は見かけによらず感情の起伏が激しいのでしょう。

あらゆる凶悪犯罪の裁判を傍聴してきた佐木隆三が、
「一番印象深かった裁判は?」
「林郁夫の裁判ですね」
と答えたほどです。
読み応えあります。

すでに死刑となった実行犯達と、一人生き長らえてしまった林郁夫(71歳)に、いろんな思いをはせてしまう。

そして彼自身は、刑務所で被害者の名前を念仏で唱え祈るだけでなく(それはもちろん尊いことですが)
カルト宗教の悲劇が繰り返されないよう、ぜひ生き証人として尽力していただきたいです。

私は以前から地下鉄で撒かれたのはサリンではない。とブログ等で主張した。サリンなら300人以上死ぬだろ。
イラクでフセインがクルド人に航空機で散布したのかな?5000人位死亡数は誇張してるかも。地下鉄は密閉空間である。死亡者が少ない。三浦さんという早稲田卒業の人も化学的データを示して疑問を呈していた。アメリカの毒ガス戦の専門家も犠牲者が少ない。サリン特有の医学的反応を示さない人がいる。まいた犯人が中毒症状を示さない。サリンではない。とコメントしていた。オウムのサリン製造責任者土谷正実が俺が製造したサリンと成分が違うと主張。

死刑は覚悟してるから嘘でないだろ。サリンでなければ何だろう?戦後戦争で毒ガスを使用したのは朝鮮戦争、ベトナム戦争でアメリカ。イランイラク戦争でイラク。提供したのは米軍である。自衛隊も保有。米軍からプレゼント。そもそもオウムにサリン製造能力設備があるか大いに疑問大体サリンという発想は誰が言ったのだろ?石川公一官房長官は何故起訴されないのか?共謀容疑者で麻原の側近幹部なのに何故検察は石川に寛容なんだろう?公安のスパイとしか考えられない。全部死刑にすれば済む問題ではない。あの莫大な金は信者から巻き上げただけでは説明つかない。スポンサーがいるはず。覚醒剤の密売でも不可能な金額だ。謎だらけ。CIA東京ブランチは何やってたんだろ?

佐木隆三の傍聴記なのだが、著者はあまり前面に出てこなくて、林郁夫から直接話しかけられているような、そんな感じのする作品である。裁判では、林が慟哭する場面も実際にあったようだが、そんなシーンの描写とは関わりなく、彼の選ぶ言葉そのもの、彼の紡ぐ悔悟の情理、彼が明らかにする犯行の情景それ自体が、心の奥底から絞り出されたものであると感じた。それはまさに慟哭と呼ぶにふさわしいものだ。

林の手記による『オウムと私』を、出版された頃(7年前)読んだが、そこでの林は、純粋な真理なるものがこの世に存在し、オウムにそれがあると一度は信じたのものの、浅はかな間違いであると気づいた。

しかし、まだどこか別のところにその真理があると信じていて、それを探し続けている脆さがあるように私は感じた。その得体の知れない頑迷さに恐怖したものだ。だが、この本での林は(佐木の目を通したものでもあるのだが)、世界の混濁をそのまま受け入れる図太さ、と言って悪ければ成熟を、身につけているように思った。

私自身は、林を殺人鬼だと思っている。死刑でもおかしくない罪を犯したと。だから彼に同情する気持ちはまったく起きない。だが読んでいて、彼の心情に入り込み、いつの間にか涙が出ていたのは事実だ。それは慟哭なんかではなかったと書きおくけれど。

アンダーグラウンド

麻原をはじめとする、『地下鉄サリン事件』に関わった教団幹部たちの死刑執行によって、
事件を巡る一連の報道は、司法的な手続きによって幕引きを迎えようとしています。
改めて事件が残した教訓がいったい何だったのか考えるために、本書を手に取りました。

【東京の地下で何が起こったのか】
62名の被害者の証言から浮かび上がるのは、事件がもたらした「圧倒的な暴力」であり、
事件後もなお、心の内側から吹き出す「悪夢」が多くの人々を苦しめた事実でした。

【オウム真理教とは何か】
私たちの成長の過程で、時として自我のバランスを欠損させてしまう事があります。


麻原は欠損したはずの自我を、「独自の閉鎖的回路」に閉じ込めたのだと著者は分析します。

【安全装置としての物語】
証言された人々の記憶の背景は、奥深く、多様性に富んで、本物の人生の質感が漂います。
一人ひとりが抱えるそのような物語は、人間性を養うと共に「安全装置」になり得るといいます。

【目じるしのない悪夢】
本書には、心躍るような明快な答えや、刺激的な正義と悪の対立などは用意されていません。
また読み通す為には、人々の語る多様な物語を多様なままに受け止める努力が求められます。
それでも日々都心へ向かう通勤電車で、ふと心に残った証言が思い起こされてきて胸が熱くなります。

5つ星のうち 5.0理不尽が押し寄せる

(参考になった人 2/2 人)

オウム事件の死刑囚に死刑が執行されたのを機に再読しました。
1995年に起きた地下鉄サリン事件に遭った人たち62人に村上春樹がインタビューしたノンフィクション。
オウム=加害者、市民=被害者の構図をひとまず措いて、それぞれの生い立ち、あの日のことが淡々と語られます。
口を開いた人のなかには、寝たきり状態になってしまった妹に寄り添う兄、夫が事件の犠牲になったときは妊娠中だった妻やその親族もおられました。なぜ自分たちが。とりわけその章は理不尽に押しつぶされるようで読むのが辛かった。


巻末では、私たちはなぜオウムを毛嫌いし、目を背けようとしたのか、オウムと我々は合わせ鏡のようなものではないかと考察。「普通」とは何か、考えるヒントが隠されているような気がします。

「慟哭 小説・林郁夫裁判 」を先に読み、これを読みました。きっかけは、先日、オウムの死刑囚の刑が執行され、なんとなく気になり、色々調べているうちにこの二冊にたどり着きました。

地下鉄サリン事件実行犯としてただひとり、死刑にならなかった林郁夫。彼は今、何を思い日々を過ごしているのか。そのようなことを考えているうち、どうしても被害にあわれた方々の言い分も聞いてみたくなりました。

途中、胸がつまり、読めなくなりそうになりましたが、最後まで読んで思うことは、亡くなられた方々に心から哀悼の意を表したいということと、被害にあわれた方々、そのご家族にはただただ、少しでも穏やかな人生を歩んでいかれることを願ってやみません。

サリン』の解説 by はてなキーワード

化学兵器のなかの神経剤に区分される有機リン系化合物。神経ガス。Sarin。

1938年、ナチス・ドイツの下で開発された。

概要

作用機序は全身の神経末端のシナプスに存在するコリンエステラーゼを阻害することであり、その結果アセチルコリン(ACh)が分解されず神経内に過度に蓄積され、全身の臓器に影響を及ぼすものである。

臨床症状等は同一機序をもつ有機リン系・カーバメート系農薬中毒に類似するが、症状の程度や出現様式、治療の反応性などが異なる。

ガス状の場合は呼吸器や眼結膜から吸収される。

神経剤にはサリン(GB)のほかタブン(GA)、ソマン(GD)、GF、VXなどがある。

なお、急性サリン中毒では呼吸停止を来たすが、この病態生理的原因は未だ不明。

化学式CH3-P(=O)(-F)(-OCH(CH33)2)

日本

日本においては「毒劇物取締法」における規定はない*1が、「サリン取締法」にて中間生成物質ならびにサリンの生成・保持一切を禁じている。

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