サッカー日本女子代表のまとめ情報

サッカー日本女子代表』の解説

サッカー日本女子代表(サッカーにっぽんじょしだいひょう、サッカーにほんじょしだいひょう)は、日本サッカー協会 (JFA) により編成される女子サッカー日本代表チーム(年齢制限のないベストメンバーによる代表)。愛称は「なでしこジャパン」。

FIFA女子ワールドカップには全7大会に、オリンピックには6大会中4回に出場している。2011年のFIFA女子ワールドカップではアジア勢の代表チームとして初優勝した。

黎明期〜鈴木良平監督時代

1977年、台湾台北市開催のアジア女子選手権に、FCジンナンの選手たちが「日本代表」として参加した。この大会が日本女子サッカーにおける初の国際試合である。1981年の1981 AFC女子選手権において、全国各地のチームから選手を選抜して結成した初の日本代表チームが結成され、当時京都府所在の西山高等学校教諭であった市原聖基が監督となった。同年9月にはポートピア81関連事業として日本代表とイングランド代表およびイタリア代表による試合が行われ、イングランドとの試合では0-4。

上田栄治監督時代

2002年8月、マカオ男子代表の監督を務めていた上田栄治が代表監督に就任。10月に韓国で行なわれた第14回アジア競技大会では3位となった。

2003年6月にタイバンコクで開催された2003 AFC女子選手権に出場。第4回FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会のアジア地区予選を兼ねたこの大会では準決勝で北朝鮮に、3位決定戦で韓国に敗れて4位となり、残る出場枠を賭けてメキシコ(北中米カリブ海地区)との大陸間プレーオフホーム・アンド・アウェー方式)に回ることとなった。7月5日にメキシコシティエスタディオ・アステカで行なわれたアウェー戦は2-2の引き分けに終わったが、7日後の7月12日に12,743人の観客を集めて国立競技場で行われたホーム戦は澤穂希丸山桂里奈のゴールにより2-0で勝利しワールドカップ出場権を獲得。この試合はマスメディアに大きく取り上げられ、女子サッカーが再び注目されるきっかけとなった。本大会ではアルゼンチンとの初戦でFW大谷未央ハットトリックを決め6-0で勝利したもののドイツに0-3、カナダに1-3で敗れグループリーグ敗退となった。

2004年4月に出場チームが10に拡大したアテネオリンピックのアジア枠2を決める大会「AFC女子サッカー予選大会2004」が日本で開催され、日本は1次リーグでベトナムに7-0、タイに6-0で圧勝して1位で通過。北朝鮮との準決勝は国立競技場に31,324人の観客を集めて行なわれ、荒川恵理子や大谷未央がゴールを決めて3-0で勝利し2大会ぶり2度目のオリンピック出場を決める。なお、決勝は中国に0-1で敗戦し準優勝となった。

オリンピック本大会前の7月にはチームの愛称がなでしこジャパンに決定した。そして、8月に開催されたオリンピック本大会ではグループステージ初戦でスウェーデンに1-0で勝って本大会初勝利を収め、続くナイジェリア戦では0-1で敗れたが、他グループ3位との総得点差で初の決勝トーナメント進出を果たした。準々決勝でアメリカと対戦し1-2で敗れベスト8に終わったが、チームは3試合を通して「警告・退場者ゼロ」により「フェアプレー賞」を受賞した。

アテネオリンピックにおけるなでしこジャパンの活躍によって女子サッカーは広く認知されるようになり、国内トップリーグの日本女子サッカーリーグの人気も再上昇した。また、オリンピック後にはリーグ名の新愛称「なでしこリーグ」が採用され、2005年より「なでしこスーパーカップ」、2007年より「なでしこリーグカップ」が開催されるなど、「なでしこ」は女子サッカーのブランド名として活用されている。

また、ユニバーシアード日本女子代表はユニバーシアード2003年大邱大会で銀メダル、2005年イズミル大会で銅メダルを獲得した。このイズミル大会では本田美登里が男女・各年代通じて日本初の「女性代表監督」として采配をとった。

大橋浩司監督時代

2004年10月に前月に退任した上田の後任に大橋浩司が新監督として就任。就任後初の試合となった12月18日チャイニーズタイペイ戦は11-0で勝利と上々のスタートを切った。なおこの試合のチラシやプログラム、応援用のブルーシートにはナデシコの花をイメージした模様がはじめて描かれた。

2006年7月にオーストラリアで開催された2006 AFC女子アジアカップに出場。翌年に開催される2007 FIFA女子ワールドカップのアジア予選をかねたこの大会で準決勝で地元オーストラリアに、3位決定戦で北朝鮮に敗れて4位に終わり、出場権をこの時点で獲得できず大陸間プレーオフに回ることとなった。その一方で12月にカタール首都ドーハで行われた第15回アジア競技大会では阪口夢穂永里優季ら新戦力が活躍し、グループリーグで中国を破り決勝トーナメント進出。決勝の北朝鮮戦では0-0のままPK戦に突入するも敗れて準優勝となった。

2007年3月にFIFA女子ワールドカップの出場権をかけた大陸間プレーオフで2003年と同様にメキシコとホーム・アンド・アウェーで対戦。ホームで行なわれた第1戦は2-0で勝利し、アウェーで行なわれた第2戦は1-2で敗れたものの2試合合計3-2で勝利し出場権を獲得。また、4月から8月に行われた北京オリンピックアジア予選では5勝1分の1位でオリンピック出場権を獲得した。

9月、中国で開催されたFIFA女子ワールドカップではグループリーグA組となり、初戦でイングランドと引き分け、続くアルゼンチン戦には勝利したものの最後のドイツ戦で敗北しグループリーグ敗退となった。この大会では日中関係の問題から日本選手に対し会場のブーイングが多かったが、ドイツ戦終了後には「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕を揚げ、中国メディアから称賛された。

佐々木則夫監督時代

2008年

2007年12月7日、大橋の任期満了による退任に伴い、コーチを務めていた佐々木則夫が監督に就任した。2008年2月に行われた東アジアサッカー女子選手権2008では3戦全勝で初優勝し、日本女子代表にとって初めての公式大会タイトル獲得となった。続く5月末から6月初めにベトナムで行なわれた2008 AFC女子アジアカップでは準決勝で中国に敗れたものの、3位決定戦でオーストラリアに快勝して3位となった(澤穂希が大会MVP、チームはフェアプレー賞を受賞した)。

8月に行なわれた北京オリンピックは、グループリーグ初戦でニュージーランドに2-2で引き分け、続くアメリカ戦では0-1で敗北したが、第3戦のノルウェー戦で5-1の勝利で2大会連続でグループリーグを突破。準々決勝の中国戦は2-0で勝利し初のオリンピックベスト4進出を果たすも、準決勝でアメリカに2-4で敗れ、3位決定戦ではドイツに0-2で敗れて4位に終わりメダルを逃した。

2010年

2010年1月チリで行われたコパ・ビセンテナリオ2010に参戦。5カ国による総当たり戦を3勝1分の成績で優勝した。

東アジア女子サッカー選手権2010は前大会に続き3戦全勝で2連覇を達成。5月に中国で開催された2010 AFC女子アジアカップでは準決勝でオーストラリアに敗れたものの3位決定戦で地元中国に勝利し翌年のFIFA女子ワールドカップの出場権を獲得(安藤梢が大会得点王を獲得)。11月に中国の広州で行われた第16回アジア競技大会では無失点で決勝へ進出し、前大会王者の北朝鮮を1-0で下し初優勝した。

2011年

2011年3月、ポルトガルで開催された女子ナショナルチームの国際大会「アルガルヴェ・カップ2011」に参加。グループリーグ初戦でアメリカに1-2で敗北したもののフィンランドとノルウェーに勝利してグループリーグ2位となり、3位決定戦でスウェーデンに2-1で勝利し3位となった。

6月末よりドイツで開催されたFIFA女子ワールドカップでは、グループリーグB組でイングランドには敗れたもののニュージーランドとメキシコに勝利し、2位で決勝トーナメント進出を決めると、準々決勝で開催国ドイツに延長戦の末1-0で、準決勝でスウェーデンに3-1で勝利して初の決勝進出を果たす。アメリカとの決勝戦は延長戦終了時点で2-2の同点でPK戦に突入し、3-1で勝利して大会初優勝(男女を通じてもアジア勢では初)を果たす(チームはフェアプレー賞を、澤が大会最優秀選手賞と大会得点王を受賞)。FIFA主催の世界大会で日本代表が優勝したのは男女・年代別通じてこれが初めてとなった。決勝戦はフジテレビ系列およびNHK-BS1で生放送され、フジテレビの視聴率は前半部分(午前3時35分 - 5時)が平均11.8%、後半部分(午前5時 - 6時30分)は平均21.8%(瞬間最高27.7%)、NHK-BS1では関東地区において平均10.7%を記録した。

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大会中チームは試合後に同年3月11日に発生した東日本大震災に対する世界からの支援へ感謝を表す横断幕を掲げて会場より拍手を受けたが、各国メディアは復興への思いも勝利へのモチベーションとなっていると分析、なでしこジャパンの素早いパスサッカー とともに、その戦いぶりを賞賛した。なでしこジャパンはこの優勝により、国際Aマッチの代表ユニフォーム左胸エンブレム上にワールドカップ優勝回数を示す「星」を、そして右胸には直近のワールドカップ優勝国であることを示すチャンピオンエンブレム(2015年ワールドカップ開催まで)を付け加える栄誉も獲得した。8月2日には日本政府から国民栄誉賞授与(団体に対しては初)と女子サッカー支援充実の検討も発表された。

9月、中国で行われたロンドンオリンピックアジア予選では4勝1分の1位でロンドンオリンピック出場権を獲得、11月3日には女子団体スポーツでは初の紫綬褒章が授与され、12月1日には愛称の「なでしこジャパン」が新語・流行語大賞年間大賞を受賞した。アメリカのスポーツサイト・FOXスポーツが発表した「FOX Soccer 2011: Top 10 Teams of 2011(2011年サッカーベストチームTOP10)」において第1位に選ばれた。

2012年

2011年度のFIFA年間表彰式において澤がFIFA女子最優秀選手賞を、佐々木監督がFIFA女子最優秀監督賞を受賞した(どちらもアジア人が受賞するのは初めて)。

3月のアルガルヴェ・カップ2012ではグループリーグでノルウェーとデンマークに勝利し、アメリカとの最終戦でも勝利して初の決勝進出を果たすも、決勝でドイツに3-4で敗れ準優勝となった。

7月のロンドンオリンピックではグループリーグ初戦でカナダに2-1で勝利し、続くスウェーデンと南アフリカ相手にはいずれも0-0の引き分けであったが1勝2分の2位で3大会連続でグループリーグを突破。準々決勝でブラジルに2-0、準決勝でフランスに2-1で競り勝って初の決勝進出を果たし、決勝でアメリカに1-2で敗れたものの銀メダルを獲得した。男女通じてオリンピックのサッカー競技で日本がメダルを獲得したのはメキシコシティオリンピック1968年)で獲得した銅メダル以来44年ぶりとなった。

2014年

2014年5月、ベトナムで開催された2014 AFC女子アジアカップでは、海外組の主力選手を招集できず国内組中心の選手構成で出場、グループリーグを2勝1分で突破し翌年のワールドカップ出場権を得ると、準決勝の中国戦では延長戦を制し5大会ぶりに決勝に進出。決勝では前回王者のオーストラリアを破り、15回目の出場でアジアカップ初優勝を成し遂げた(宮間あやが大会MVPを受賞)。

2015年

2015年3月、ポルトガルで開催されたアルガルヴェ・カップ2015に出場、グループCのリーグ戦では1勝2敗となりグループ3位となったため9位決定戦に回り、アイスランド戦に2-0と勝って9位となった。

2015年6月、カナダで開催された2015 FIFA女子ワールドカップに出場、グループリーグではスイスカメルーンエクアドルと対戦し3戦全勝で決勝トーナメントに進出、ノックアウトステージ1回戦でオランダに2-1で勝利、準々決勝のオーストラリア戦は1-0で勝利してベスト4に進出、準決勝でイングランドを2-1で破り決勝へと進んだ。決勝ではアメリカに前半16分までに0-4とリードされ、2-5で敗れて準優勝で大会を終えた。

2016年

2月から3月にかけて大阪で行われたリオデジャネイロオリンピックサッカーアジア最終予選で初戦のオーストラリアに1-3で敗れると。その後も韓国中国にも勝利をすることができず、結局2勝1分2敗の3位となり、2位以内に与えられるリオデジャネイロオリンピック出場を逃すこととなった。オリンピック出場を逃すのは2000年のシドニーオリンピック以来4大会ぶりとなった。そして佐々木則夫監督は3月10日で監督退任となった。

高倉麻子監督時代

2016年4月27日、佐々木前監督の退任に伴い、後任にU-20サッカー日本女子代表監督の高倉麻子が就任、日本のA代表では男女通じて初の女性監督となった。

2017年12月、日本で開催されたEAFF E-1サッカー選手権2017 決勝大会で第1戦の韓国、第2戦の中国に勝利したものの、第3戦の朝鮮民主主義人民共和国に敗れ、通算成績2勝1敗の準優勝で大会を終えた。

2018年3月に発表されたFIFAランキングでは11位に後退し、2007年12月以来約10年ぶりにトップ10から外れた。同年4月、ヨルダンで開催された2018 AFC女子アジアカップ2019 FIFA女子ワールドカップ予選)ではグループリーグを2位で通過して準決勝に進出し、規定により5位までに与えられるワールドカップの出場権を獲得した。

愛称

2004年から採用されているなでしこジャパンの由来は、アテネオリンピックアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際に「大和撫子」(やまとなでしこ)という言葉がよく使われたことと、その大和撫子が「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「大和」が「ジャパン」となったものである。

採用のきっかけは日本サッカー協会(JFA)の女性スタッフ の提案で、「日本代表という呼称は男子のイメージ。オーストラリア女子代表はMatildas(マティルダス)の愛称で親しまれており、日本女子代表も愛称を使えば認知度も高まり女子サッカー発展につながる」というものであった。JFAでも日本サッカーの発展には女子サッカーの発展が必須との考えで、キャプテン・ヘッドクオーターズ (CHQ) において女子サッカー活性化に積極的に取り組み、2004年5月14日に女子代表愛称の募集を開始した。約2,700通の応募から2回の予備選考を経て下記の審査委員会による最終選考が行なわれ、その結果7月5日に愛称が「なでしこジャパン」に決定(発表は7月7日)、7月30日のキリンチャレンジカップカナダ戦(国立霞ヶ丘競技場)から採用された。なお、なでしこジャパンはアテネオリンピック終了後の2005年3月11日商標登録されたほか、2004年と2011年には新語・流行語大賞候補にノミネートされ、2011年には年間大賞に選ばれた。

愛称の候補として次点(優秀賞)には日本サッカー協会のシンボル八咫烏(やたがらす、やたのからす)にちなんだ「ヤタガールズ」、またユニフォームカラーのブルーにladyの頭文字エル (L) やドリーム(夢)を組み合わせた「エルブルー」や「ドリームブルー」があった。

女子代表の現在のユニフォームデザインは男子代表と共通だが、男子代表では赤が使用されている首下や脇下のラインなどの部分にナデシコの花の色であるピンクが使用されている。

成績

国際大会におけるトーナメント戦などでPK戦まで突入した場合は、勝敗関わらず公式記録上では引き分けとして扱われる。

オリンピック

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1996年アトランタ大会より女子サッカーがオリンピックの正式種目となった。男子サッカーは1992年バルセロナ大会より23歳以下(U-23)の大会となったが、女子はワールドカップと同じくA代表が参加する。

1996年アトランタ大会と2000年シドニー大会は、開催国と前年のFIFA女子世界選手権の上位7チームが参加するものとされ、1995年世界選手権でベスト8入りしたことで1996年アトランタオリンピックの出場権を得たものの、1999年世界選手権ではベスト8入りを逃し2000年シドニーオリンピックの出場権は得られなかった。2004年アテネ大会以降は各地区の予選を突破したチーム(2004年アテネ大会は10チーム、2008年北京大会以降は12チーム)が参加する。

各大会の試合詳細

アルガルヴェ・カップ

日本は第18回大会(2011年)で初参加となった。

トーナメント・オブ・ネイションズ

日本は第1回大会(2017年)で初参加。

AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)

日本は第4回大会(1981年)で初参加。第6回大会(1986年)以降は全てベスト4以上の成績を残している。

国別対戦成績

2018年8月21日ベトナム戦終了時

実績

世界レベル

大陸レベル

地域レベル

記録

2018年8月21日ベトナム戦終了時:(#)は現役選手。

出場数

16px フルランキングはサッカー日本女子代表出場選手参照。

歴代監督

なでしこジャパンを題材にした作品

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マンガでたのしく学ぶ! ジュニアサッカー 世界一わかりやすいポジションの授業

ふつー。 参考になるのかな、これは?まあ入門や子どもが読むにはいいかもしれないが、役に立つかはこれを読んで次に何をするか?ではないか。 西部さんの戦術クロニクルの方が良いと思います。

5つ星のうち 5.0熱心に読んでいる

(参考になった人 2/2 人)

今までサッカー関連の本を含め本を読むように言っても読まない小学生の息子が、この本だけは、真剣に読んでいます。 マンガと分かりやすい文章の解説が適切に盛り込まれているようです。

5つ星のうち 5.0とてもわかりやすい。

(参考になった人 2/2 人)

小学生には必ず読ませたい本だと思います。 おすすめです。 漫画なので抵抗なく読めます。

ジュニアサッカーを応援しよう 2012年 10月号

5つ星のうち 4.0基本の基本

(参考になった人 0/0 人)

中学生の子供に基本に帰ってできるよう、プレゼントしました。 良かったようです。

サポーター席からスポンサー席から: 女子サッカー 僕の反省と情熱

5つ星のうち 5.0愛ある限り

(参考になった人 1/3 人)

女子サッカーの熱心なファンというわけではない自分が、初めて女子サッカーの国内リーグを観戦したのは、モックなでしこリーグの発足がきっかけだった。男子にはないひたむきさに目を奪われたが、正直、興行としての難しさも感じた。結局、2年間の間に観戦したのは両手で足りる程度だった。だがその裏で、筆者は人知れず奮闘していたわけである。

男子のJ1でもなかなか一面にはならないのに、女子サッカーの話題作りがいかに困難なミッションであったかは、想像するしかない。一つ言えることは、たとえ業務命令とはいえ、女子サッカーへの愛がなければできないということ。

そして、当時のモックに販路拡大という計算があったにせよ、応援する気持ちはあったはずである。

サポーター編に入ると、スポンサーという立場から解き放たれ、筆者の本性が剥き出しになる。グループリーグで敗退した2007年女子W杯中国大会は、個人的には結果をチェックした程度で、多くの日本人同様、まったく注目していなかった。しかし、現地では熱く熱く戦っていたのだった。

それから4年後、東日本大震災の爪痕が残る2011年のドイツ大会。優勝はまったくの予想外であった。決勝戦は早朝の生中継に観入っていたが、ここでも筆者は行動力を発揮。急遽現地へ渡航したのだ。自分もそれなりにサッカーファンのつもりだけれど、この熱意は真似できない。

モックなでしこリーグが種をまき、世界の頂点に立った、なでしこジャパン。あれから早くも4年。優勝直後の大フィーバーは過ぎ去った。若手は台頭せず、結局代表には4年前の主力が並んだ。ライバル国は着実に進化しており、極めて厳しい戦いになる。一時代の終わりが近づいている中、本書に目を通しておくのも一興だろう。

黄金世代は最後の一花を咲かせられるか。見届けよう。テレビだけど。

なでしこリーグが(一時的にせよ)盛り上がるきっかけとなった株式会社mocによるスポンサード。
その立役者ともいえるのが著者である石井和裕さんです。
彼は同時に横浜F・マリノスの最古参チーム「マリーシア」の創設に関わった熱狂的サポーターであります。

日本リーグ時代からJリーグを通して培ったサポーターとしての視点と、
mocなでしこリーグ時代に培ったスポンサーとしての視点。
この視点をもった著者が、一旦は「宣伝効果が見えない」と反対をした「リーグへのスポンサード」に対して、
「お互いにとって最も効果のある仕掛け」は何かを追いかけ、
苦闘し続けた経過がとてもわかりやすい文体でつづられています。



一般の人間が分かっているようでわかっていない「スポーツチームのスポンサー」の活動を知る上では、
最適の「入門書」かと思います。

そして、後半は「サポーター石井和裕」として、ドイツワールドカップに「参戦」した記録がつづられていきます。
メインスタンドからの「孤軍奮闘」を通して、なでしこジャパンがどう地元の人間を掴んでいったかが分かると思います。

昨今スポーツチームとスポンサー企業の関係で「お互いにとって不幸になる」出来事が多くありますが、
その多くが「お互いを知らない誤解」が問題を大きくしていると感じています。
スポーツを愛するファン・サポーターだけでなく、スポーツなどに対して「スポンサードをしたい」企業経営者の方にも、
この本を一度手に取っていただきたいと思います。

5つ星のうち 5.0情熱と俯瞰する眼

(参考になった人 1/3 人)

前半部分は筆者が企業人の立場、仕事でサッカーに携わる話だが、私は寡聞にしてこういう立場から書かれたサッカー本は初めてだったので、極めて興味深く読めました。 そして後半部分では、筆者が会社に退社届を出し、上海の女子ワールドカップの観戦に赴き、一人の熱狂的サポーターとして弾けることになるのですが、このギャップが面白い。 ただし、著者は某Jリーグのチームのサポーターとして、全体を俯瞰できるバックスタンド2階で観戦しているが、この本に於いてもサッカーを俯瞰する眼を最後まで失っていない。 面白くて、一気に読んでしまいました。

サッカー日本女子代表』の解説 by はてなキーワード

日本サッカー協会が編成する日本の女子サッカーナショナルチーム

2004年のアテネオリンピック出場にあたり、一般公募で「なでしこジャパン」の愛称が付けられた。

2008年の北京オリンピックでは4位に入り、メダルまであと一歩に迫った。AFC女子アジアカップでは2位が最高で優勝はないが、2010年のアジア競技大会で初優勝を果たした。東アジアサッカー選手権では2回優勝している。

2011年 FIFA女子ワールドカップドイツ大会)において、大会時点でFIFA女子ランキング1位のアメリカ合衆国代表を下し優勝した。日本代表FIFA主催大会優勝は男女含めて史上初の快挙。この優勝が評されて、サッカー日本女子代表チームの国民栄誉賞受賞が決定した。国民栄誉賞の19例目で、団体が受賞するのは初めて。

2012年のロンドンオリンピックでは、銀メダルを獲得。

FIFA女子ランキングは、2011年9月に史上最高の3位にランクされた。

主な戦跡

FIFA女子ワールドカップ

オリンピックサッカー競技

歴代監督

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