コムーネのまとめ情報

コムーネ』の解説

コムーネ()は、イタリア語で「共同体」を指す語であり、現代ではイタリアの自治体の最小単位(基礎自治体)である。また、スイスのイタリア語圏でも基礎自治体をコムーネと呼ぶ(詳細はスイスの基礎自治体を参照)。

解説

イタリアの自治体には、日本の市町村のような規模による区別はなく、人口100万人を超えるナポリのような都市も、バローロのような1,000人以下の村もすべて「コムーネ」である。そのため日本語に訳す場合には「ナポリ市」や「バローロ村」のように日本の自治体の規模に合わせて翻訳される。この点はフランスコミューンと同様である。コムーネの代表(首長)は、シンダコ(sindaco)と呼ばれる。

2011年10月9日時点のイタリアのコムーネの数は、イタリア国立統計研究所によると8,092である。

中世近世では、イタリア中部・北部に存在した自治都市の都市共同体が存在し、コムーネと呼ばれた。自治都市コムーネは都市の有力市民、地区やギルドの代表によって運営され、都市とその郊外農村地域を統治していた。現代イタリアのコムーネ自治は自治都市の伝統を基礎としているといわれる。

成立要素

イタリアの中世都市はその大部分がローマ都市を起源としており、大多数の都市には地中海商業(ただし、古代のものと中世のそれは異なる。詳しくは後述)が伝統としてあった。しかし中世初期のそれがビザンティウム中心の東地中海の商業網と地中海の南岸及び西地中海を覆うイスラム商業網があったが、時代が進むにつれて商業の動脈が内陸へと移って行った。10世紀にアマルフィ、パレルモ、ヴェネツィアは商業圏の発展に伴って成長した。このようにして都市には経済的中心地としての機能が備わり、これには帝国崩壊後の支配者たちも着目した。やがて都市は城砦を持つ中心地となった。これらの中世都市の中枢機関が過去のローマ市内の範囲であり、都市発展の連続性が暗示されている。また支配者が頻繁に変わったにもかかわらず司教とその信徒の関係性に大きな変化が起きなかったため、9-10世紀、特に東方のマジャール人と南方のイスラーム勢力から身を守るために司教の周りに人々が集結し、司教は精神だけではなく都市の秩序を守る存在となった。

コムーネの成立には教会の権威が権力者の没落により上昇し、銀貨の品位が司教によって決められるようになった。また、司教権力の増大で都市市民の発言力が増大した。コムーネが出てきたのは11世紀末から12世紀初期で、平和団体であったものが恒常的統治機関となり、その際農村、都市に社会的変容を齎した民衆的宗教運動が重要な役割を果たした。特に積極的に動いたのが商人的市民と周辺の土地所有者層であった。領有国家の概念としてコムーネの発展に重要であったのが「コンタード」という概念で、伯の支配領域という意味であったが、これは伯にとっての伯領と同様都市コムーネにとっても司教区の範囲は支配下に入るという考え方である。

人口

2011年時点の統計データに基づく、人口上位20位のコムーネは以下の通り(Comuni d'Italia per popolazioneも参照)。

同データに基づく、人口下位10位は以下の通り

面積

2011年時点の統計データに基づく、面積上位20位のコムーネは以下の通り

同データに基づく、面積下位10位は以下の通り

人口密度

2011年時点の統計データに基づく、人口密度上位20位のコムーネは以下の通り

同データに基づく、人口密度下位10位は以下の通り

参考文献

  • 淸水廣一郎『イタリア中世の都市社会』岩波書店、1990年。

Category:行政区画の単位

*

コムーネ』に 関連する人気アイテム

中世シチリア王国

以前、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世について読んだことがあり、いかにもドイツ的な名前のこの皇帝が、実はイタリア生まれのシチリア育ちで、イタリアではフェデリーコと呼ばれ、その生涯をほとんどシチリアで過ごしたと知ってびっくりしたことがありました。彼の治世中、シチリアは神聖ローマ帝国の領土であったわけですが、その間、宮廷ではイスラム教徒の官僚が重用され、多文化の華が開いたということでした。そんなシチリアの歴史を知りたくて、この本を手に取りました。

フェデリーコが生きたのは1194ー1250年で、この本に描かれた時代のすぐ後のことです。

この本は、まず、ローマ帝国分裂のあたりから始まり、1000~1150年の南イタリアを中心に記述されています。西洋史に関して日本では西ヨーロッパ(イギリス、ドイツ、フランス中心)から見た歴史観をそのまま受け入れてきました。そうなると中世期は暗黒時代ということになり、このシチリアなど辺境扱いされてしまうのですが、その間、地中海世界では、様々な文化が入り混じって栄え、国際色豊かな黄金時代であったということが見過ごされてきました。視点や立場を変えれば、物事がまるで違ったように見えてくるという点で、とても興味深いと思います。

著者は、フランス北部ノルマンディ地方のオートヴィル・ラ・ギシャールという小村を訪れた時のことを書いておられます。地中海世界に進出していったノルマン人たちの中で南イタリアの支配者となり、代々王を輩出したオートヴィル家はこの村から出発して行ったそうです。今はとりたてて見るものもなく、観光客などまず見ない場所で、タクシー運転手がどうしてそんな所へ行くのかと怪訝な顔をしたそうですが、そのような歴史を知っていれば、感無量だったことでしょう。
私は実は、頭の中でヴァイキングとノルマン人をごっちゃにしていたのですが(汗)、この本を読んでノルマン人がどのようにして進出していったかがよくわかりました。そして、この南イタリアでは、ノルマン人(ラテン、キリスト教)、ギリシャ人(ビザンチン、東方文化)、アラブ人(またはサラセン人、イスラム教)が混じりあって文化や国を作り上げていったのですね。王はノルマン人だったけれど、ギリシャ人やアラブ人が宰相になったこともあり、王も信頼して統治をまかせていたとか。土地台帳や農民名簿もアラビア語とギリシャ語で書かれていたそうで、興味深いことが多かったです。

また、ランペドゥーサ原作でヴィスコンティによって映画化された「山猫」にタンクレディという青年が出てきます。近世、近代を通して常に他国に支配され続けたシチリアで、イタリア的でないこの名前が、シチリア人にとって過去の栄光を思い出させるもの、ということだったのですが、それがなぜかがわかりました。オートヴィル家から地中海に進出し、王や伯になった息子たちの父親、その名がタンクレドゥスでした。後世に何人もの王が、この同じ名前を名乗っているそうです。

個人的なことで恐縮ですが、もうすぐシチリアに隣接するカラブリア、バジリカータ、プーリアの各州へ行くことになっています。ビザンチンとラテン、イスラムの狭間だったこの興味深い土地を見に行くのに、この本は大変参考になりました。シチリアへ行く前にも読んでおけば、さらに感じることも多く、違った目で現地を見ることができると思います。ぜひおすすめします。

5つ星のうち 5.0異文化の共存と混淆

(参考になった人 18/21 人)

1956年に生まれた中世イタリア史研究者が1999年に刊行した本。中世南イタリアは西欧カトリック、ギリシャ・東方正教、アラブ・イスラムという3つの文化圏の接点であり、小君主国が分立して争っていた。これらの勢力に傭兵として雇われたノルマン人たちは、アヴェルサとメルフィを拠点として次第に勢力を伸ばした。このうち後者の指導者に選ばれたのがオートヴィル家のロベルトゥス・グイスカルドゥスであり、彼はときに教皇や皇帝を敵に回しながら諸勢力を軍事力で制圧した。その弟ロゲリウス1世は、兄と協力しながらシチリアを制圧し、シチリアと南イタリアを支配する後のシチリア王国(1130年建国)の基礎を築いた。

名目上教皇の封主権下にあるこの王国では、ノルマン人が世俗貴族をほぼ占める一方、よく整備された行政機構にギリシャ系(最高顧問団など)・イスラム系(最高顧問団・宮内官僚・土地文書管理官など)の高級官僚が多数登用され、イスラム教徒の国王軍も存在した。このように王国住民の構成から、国王は宗教的「寛容」政策を採用せざるを得ず、それを反映して王宮やラ・マルトラーナ教会等には文化混淆の形跡が見られる。ギリシャ語・アラビア語文献のラテン語訳も数多くなされ、ここは12世紀ルネサンスの拠点となった。まもなく初代国王の娘婿である神聖ローマ皇帝ヘンリクスが王位を継ぎ、その子フレデリクス2世が破門されたまま、第五回十字軍で武力を用いずイスラムとの外交交渉によってイェルサレムを回復したことは有名であるが、その背景にはこうした王国の現実が存在したのである。とはいえ、彼の代に異文化併存は崩壊し始め、シチリア王国の繁栄は徐々に失われていくことになる。以上のように、本書ではシチリア王国における異文化の共存と混淆のありようが、具体的かつ簡潔に論じられている。

11世紀から12世紀にかけてシチリア王国があったなんて初めて知った。しかも王はノルマン人っていうから、なおさら驚いた。

ノルマンディ半島の田舎村から一旗揚げようとやって来た傭兵達は、次第に力をつけ、いつの間にかその一派がシチリアと南イタリアにまたがる王国を築いちゃったってのが非常識その1。
この王国設立以前、南イタリアはビザンツ帝国の影響下にあり、シチリアはアラブ・ムスリム人の入植地であり、さらにシチリア王国はローマ教皇により戴冠したので、3つの文明が入り交じる不思議な国だった。

キリスト教不倶戴天の敵であるムスリムが高度な灌漑技術で豊かな農業を営み、宮廷はムスリムやギリシャ人が役人として取り仕切り、王妃は西欧から嫁いできていたと言う非常識その2。

しかし、その非常識のお陰で、ゲルマン蛮族にギリシャ哲学やアラブ数学が伝えられていく。まさに3つの文明の接点だったシチリア王国。やっぱりイタリアは面白い。

ルネサンスとは何であったのか

ルネサンスを正しく把握するのに必要なグローバルかつ広範な時代に
またがる全知識量を100とすれば、著者の主たる知識はローマであり、
そこでの美術館、博物館での美術鑑賞経験なので、まあ10という
ところでしょう。
ところがまずいことに、著者は見たいと思う事実しかその知識の中に
見ないので、8はフィルタリングされて消えて無くなり、残っているのは
2だけです。
実は8の中には、自身がお持ちでない90の知識の片鱗も紛れこんでいるの
ですが。


その2からルネサンス解釈を好きに行っているので、その結果は「歴史で
はない」となってしまいます。
まずルネサンス人の選定からして間違っています。これはルネサンス解釈が
間違いなので当然の帰結ではあります。
まずコペルニクス、ガリレオ、トリチェリ、ケプラーなどまともな自然科学
者が皆無です。
トスカネリが唯一自然科学者として挙げられていますが、専門は数学と地理
でありこれらは自然科学ではありません。彗星の位置観測は行ないましたが
ケプラーのようにそこから天体運動の法則を導き出した訳でも無くアマチュア
の天体観測レベルです。この書にはハレー彗星を4回観測したらしいと書いて
ありますが、長寿の世界新記録となり凄いですね。
この人物の選定理由は、コロンブスにヒントを与えたからですが、この男の
計算の緻密さのお蔭で、それを検算する能力のないコロンブスはアメリカを
インド東岸と勘違いさせられました。

本書の特徴をなすのが、アシジのフランチェスコをルネサンス人に入れて
いることですが、このことだけでもルネサンス解釈が根本的に間違っている
のが分かります。
著者が言うような、ローマ法王庁や教会のやり方に盾突くことが、ルネサンス
精神ではありません。そう解釈するから、フランチェスコやフリードリヒ二世
果ては、ルネサンスに幕引きを図った張本人の一人であるルターまでがルネサンス
人になってしまうのです。
ルネサンス精神が疑念と批判の鉾先を向けているのは、キリスト教自体、ソクラテス
に始まりプラトン、アリストテレスに至るギリシャ腐敗哲学、それと、キリスト教
と腐敗哲学はともに二元論で相性が非常に良いことに着目したアクイナスが両者を
野合させてでっち上げたスコラ哲学なのです。

ルネサンス期のローマ法王庁に横溢していたのは、キリスト教でも聖書でもなく
ソクラテス以前のギリシャ精神、キリスト教が蔓延る以前のローマ精神だったの
です。つまりその時点でローマ法王庁はキリスト教の仮面のもと、内実はすでに
キリスト教を克服していたのです。
それに反旗を翻したのがキリスト教原理主義者達で、アンチルネサンスの宗教改革
及び反宗教改革を引き起こすことになりました。

また著者が言うような、ルネサンスの後世に及ぼした影響は、おつむの少し弱い
船乗りの冒険譚なんかではありません。そんなものはイスラム圏にもありました。
最も重要な影響は、ルネサンスを経験しなかったイスラム文化圏には起こらなかった、
自然科学と技術の驚異的な発展です。このお蔭で、良し悪しは別としてその後の
植民地化政策も達成できたのです。

おそらく本書のルネサンス解釈は、世界最低レベルであり、一体どんなレベルな
のか、怖いもの見たさの読者には格好の書です。
また「ローマ人の物語」を読んで、著者の歴史認識に疑念や違和感を覚えた方は、
本書を読むことで疑念は確信に変わり、違和感を解消できます。
そう言う意味で、優良可で判定すればお情けで良とし、三点を献上しました。
巻尾の太鼓持ちの文芸評論家との対談も、根本的な誤解が前提ではあるものの
意外とまともですし。

塩野七生の本はほとんど翻訳されたことがない。

英語に翻訳されているのは、「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」、そして「レパントの海戦」の三冊だけで、「ローマ人の物語」も「海の都の物語」もない。まして全く翻訳のないイタリアで塩野七生の名を知っている者などほとんどいないだろう。
さて、新潮社と塩野七生はなぜ翻訳に乗り気ではないのだろうか?それを解き明かしていこう。

この本の構成はルネサンスと打ち出しているが、実際にはそれより前、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世(1194~1250)と聖フランチェスコ(1182~1230)から記述を始めている。

ルネサンスの萌芽について彼ら二人の影響を挙げる学者もいるため別に驚くべきことではない。またイタリアルネサンスに限った歴史書も著名なものがいくつもあり、この点からも非難されるべきではない。

しかし、この本をイタリア語に翻訳すればたちまち非難轟々となるは必至なのである。

改めてこの本の時間的、地理的構成を眺めてみよう。意図としては、ルネサンスにおける3つの重要な都市、フィレンチェ、ローマ、そしてヴェネチアについて書いていき、そこからルネサンスとは何だったのか明らかにしようというものである。
この順番には明らかに意図があって、まず最初に繁栄したフィレンチェはロレンツォ(1449~1492)の死によってメディチ家が没落したことにより衰退期を迎える、そしてローマも1527年にローマ略奪によって衰退する。そして唯一攻略されることの無かったヴェネチアは繁栄し、18世紀の終りまでその繁栄は続くことになる。

という印象を塩野七生は与えたいわけである。

ところが、実際にはルネサンスによって繁栄したイタリアは16世紀から崩壊していくのである。
その最大の原因は新大陸の発見などではない(原因の一部ではあるが)。最大の原因はヨーロッパの他の国、フランス・スペイン・イギリス・オーストリア・オランダなどが一つの強大な国家として成立した16世紀に、イタリアは各都市の利害と教皇の介入によって分裂した都市国家の集まりにすぎなかったことである。そのため、弱小の兵しかもたないイタリアは各国の侵攻を招き、最終的に強国の分割統治下におかれることになった。
政治的に見れば、ルネサンスのイタリアは苦難でしかなかった。各国の頚木から脱するのは1862年、ルネサンスから3世紀後のことになる。

この悲劇をもたらした原因の大部分は塩野七生が絶賛するイタリアの政治体制にある。結局のところ、イタリアの都市国家の政治体制は塩野七生が語ることと違い、軍事も外交も財政も三流でしかなかった。それどころか、ルネサンス期に最先端だったありとあらゆる文化も学問も技術も、反宗教改革による反動政治でルネサンスからたった1世紀でヨーロッパでの三流にすぎなくなった。
唯一、独立した都市国家であったヴェネチアでさえ状況は同様であった。ヴェネチアは単なる「ルネサンスのテーマパーク」に過ぎなかった。「占領してもなんのメリットもない都市」であったからこそ、ヴェネチアは独立を保てたのである。

こうして、ルネサンスのイタリアは終焉した。
それから3世紀後、現在のイタリアが様々な苦悩の末に独立を勝ち取るのだが、政治的にはルネサンス時代の政治体制と全く関係ない。それどころか、イタリアの今の政治体制は市民革命によってルネサンス以来続く貴族の政治体制を革命で潰すことによって成立した。
しかも、彼ら無能な貴族たちが残した時代遅れの国を立て直すために、彼らは本当に大変な苦労をした。

これでは翻訳できないのも当然であろう。

ルネサンスに関心を持った方が入門書として読む本としては最適の一冊とお勧めしたい。ただ、この種の「歴史もの」を読むときに私自身、心がけていることがある。
それは、著者も紹介しているカエサルの言葉「人は見たいものだけが見える」を、いつも頭の片隅においておくことだ。
司馬遼太郎が創り上げた坂本龍馬像や幕末・明治の姿は極めて明快であるが、それはあくまでも「司馬遼太郎の『見た』坂本像、歴史観」であってすべてではない。
この書も同様に、当然のことながら「塩野七生ルネサンス観」の域を出ない。


歴史を「すべて」理解すること自体が不可能なのだから、結局は各人が自分自身の歴史観をもち、それに基づいて今の時代を見、自身の生き方の参考にすることが大切ではないだろうか。
この書を入門書として読んだ方には、次に読む本として「ルネサンスの歴史」(モンタネッリ.ジェルヴァーゾ著 藤沢道郎訳 中公新書)をお勧めしたい。本書はルネサンスに関わる「超一流の巨人たちの列伝」で巻頭にフリードリッヒ2世が登場する。

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡

5つ星のうち 5.0愛をこめて

(参考になった人 24/26 人)

塩野七生という作家は 自分が女性であることを縦横無尽に使って

いる点では 特筆すべき作家である。好きな男に肩入れしている時の

塩野は 「だって好きだからしょうがないじゃない」と言い切って

いる。これに反論することは難しい。塩野自身が それを分かって

いて そう言っている。これを確信犯と言うのである。

そんな塩野の想い人の一人が マキアヴェッリである。彼は

「君主論」で 日本でもよく知られている。

マキアベリズムという言葉

は 日本でも悪い響きを持って言われる。そんな彼の悪評に我慢が

ならないのが 深情けをしてしまっている塩野である。

本書で マキアヴェッリの生涯に親しく触れることが出来た。

そこで描かれる彼は 幾分が滑稽味を帯びた 我々と等身大の男で

ある。塩野は 彼を我々の目線に下げた上で その稀代の現実主義を

説く。

実際 「君主論」を読んで見ると 彼は 科学者の視点で人間を

語っているだけのように思えてしかたない。善悪を超えて 実態を

冷静に叙述する彼は 正しく科学者である。

そんな彼を 愛をこめて塩野七生が描き出す。面白くないわけがない。

イタリアの都市国家、なかでもルネサンスの中心となった共和国として、フィレンツェとヴェネツィアの歴史はおさえておきたいところです。後者に関しては同じ作者に「海の都の物語」という大作・好著があり、それがカバーしてくれますが、前者、特にコシモ・メディチが実質的に支配するようになって以降の歴史は、501ページに及ぶ本作がカバーしてくれます。というのは、本書はマキアヴェッリがフィレンツェ共和国の官僚として、そして失脚して以降の本人の言動を中心にすえて彼が活躍した時代を生き生きと描くとともに、その前後の歴史、つまりマキアヴェッリが生まれる前、生まれてから官僚に登用されるまで、そして死後フィレンツェ共和国がトスカーナ大公国になってしまうまでの歴史も簡潔に記してくれているからです。

この構成が素晴しい。

マキアヴェッリ本人は有能だが、決して権謀術策の人ではなく、まさに「わが友」と呼びかけたくなる人間味あふれる人物だったことが本書でよくわかります。特に失脚中に、夜書斎で読書、つまり古の人と対話をするときにわざわざ官服を身につけていたという冒頭のエピソードが感動的です。わが国の漢詩に「一穂の青燈万古の心」という読書の醍醐味を集約した名句がありますが、それに通じます。歴史ものの読書を愛する人にとって、このエピソード一つとっても「わが友」と呼びかけたくなる人物にマキアヴェッリが思えてきませんか。

『わが友マキアヴェッリ』(塩野七生著、新潮社)の著者は、マキアヴェッリの本質は、仕事が面白くてたまらない有能なノン・キャリアの中間管理職であったというのである。彼が生きたのは、都市国家フィレンツェの国内外でさまざまな勢力が興亡し、合従連衡を繰り返した激動の時代であった。因みに、レオナルド・ダ・ヴィンチは彼より17歳年上、ミケランジェロは彼より6歳年下である。

『わが友マキアヴェッリ』に登場するマキアヴェッリは、肖像画に描かれた気難しそうなマキアヴェッリではなく、私たちの周囲にもいそうな仕事熱心な中間管理職のマキアヴェッリである。

常に経費不足に悩みながらも、過密な仕事のスケジュールを前向きにこなしていく姿には、誰もが共感と親近感を覚えてしまうことだろう。やはり、どの時代であろうと、人間にとって一番幸せなことは、自分の能力を最大限に発揮できることなのだ。

海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉

かつて地中海世界に燦然と君臨した都市国家、ヴェネチア共和国。その1000年余の歴史を丹念に追った傑作歴史文学。

フランク族の侵入から逃れた人々が、干潟に移住したのがヴェネチアの起源。以来、その歴史は、常にとどまることのない不断の努力によって支えられていた。

海運と交易をもって歴史に名乗りを上げた創成期。
海軍力をもって十字軍に参戦、コンスタンティノープルを占領し、ライバルのジェノヴァを抑えて地中海の制海権を握った成長期。
無敵の海軍で地中海を我が海とし、芸術の繁栄も極めたルネサンス期の全盛期。


新興国オスマン・トルコとの闘いに苦しみながらも、工業国家、そして農業国家へと構造転換することに成功した後期。
国家としては小さなものになりながらも、観光都市として最後まで輝き続けた晩期。
そして18世紀末、ナポレオンに占領される事で、国家は静かにその終わりを迎える。

本書の面白さは、国家をあたかも一つの人生のように眺め、国家体制や産業構造の変遷も含め、国自体を一つの人格としてトータルに描いている事。人間と同じように、国家における幼年期〜青年期〜中年期〜晩期がつまびらかに描写される。そしてその歴史は、素晴らしい人生がいつの時期も輝き続けるように、時代ごとに異なった輝きをもって、1000年の時を刻み続けた。

本書は人物本意のありがちな歴史本ではない。むしろ個人より組織というものが大事にされていたヴェネチア共和国を描くにあたっては、過剰な人物への思い入れは正確な描写の妨げとなる。国家自体を一つの人格として描くというこの手法、ヴェネチアを描写するのに最適な手法と感じさせられる。

本書を読んで、筆者塩野氏のヴェネチアへの限り無い愛情を感じると共に、かつてこのような奇跡のような国が存在したことを知って、自分自身へのかけがえのない財産となった。日本では知名度の低いヴェネチア共和国であるが、その歴史はまさに人間の可能性を感じさせられるたいへん素晴らしいものだ。もっと多くの人に知られてよい歴史だと思う。

本書は通算2回読んでいる。一回目は10年以上前に日本で、二回目はヴェネチア旅行の際に旅のおともとして。本書を読んでから、私もすっかりヴェネチアびいきである。

塩野氏の歴史文学では”ローマ人の物語”と並ぶ双璧だと思う。一生を共にしていけるような素晴らしい本に出会えた事に感謝して5点満点献上。

これまでこのレビュー・タイトルで、「神聖ローマ帝国」と「ビザンツ帝国」の本について書きましたが、ローマ人の物語シリーズが大団円を迎えた後、お薦めする作品の大本命は同じ作者による本作ということになるでしょう。残念ながら文庫本は品切れのようですが、私が持っている文庫本版で上下巻併せて千頁を超す大作。ゲルマン民族に追われ、撃退して独立を保ってから、ナポレオンに滅ぼされるまでの、ヴェネツィア共和国(いかに徹底して君主制を排除したかも丁寧に書かれています。)の悠久の千年の歴史は、必ずや読者を惹きつけてやまないでしょう。

ヴェネツィアを中心に、ライヴァル国(例えば同じイタリアならジェノヴァ等の他の海洋国家、イタリア外ではビザンツ帝国やオスマン・トルコ)との抗争、他のイタリア都市国家や法王との集合離散など、イタリア千年の歴史を俯瞰するのに格好の本です。作者には「レパントの海戦」等、本書に取り上げられた1エピソードに焦点を合わせた一連の好著がありますが、まずは本書でマクロ的にヴェネツィアを中心とするイタリアの通史を抑えてから、個々のエピソードの本を読むとよいのではないでしょうか。聖地巡礼パック旅行やヴェネツィアの女たちといった章もあり、本書は当時の人々の生活に目を配ることも忘れていません。これだけ充実した内容でこの分量、一度読み始めるとまさに巻を置くこと能わず、読書の醍醐味を味わうことができるでしょう。

これまでこのレビュー・タイトルで、「神聖ローマ帝国」と「ビザンツ帝国」の本について書きましたが、ローマ人の物語シリーズが大団円を迎えた後、お薦めする作品の大本命は同じ作者による本作ということになるでしょう。文庫本の上下巻併せて千頁を超す大作。ゲルマン民族に追われ、撃退して独立を保ってから、ナポレオンに滅ぼされるまでの、ヴェネツィア共和国(いかに徹底して君主制を排除したかも丁寧に書かれています。)の悠久の千年の歴史は、必ずや読者を惹きつけてやまないでしょう。ヴェネツィアを中心に、ライヴァル国(例えば同じイタリアならジェノヴァ等の他の海洋国家、イタリア外ではビザンツ帝国やオスマン・トルコ)との抗争、他のイタリア都市国家や法王との集合離散など、イタリア千年の歴史を俯瞰するのに格好の本です。

作者には「レパントの海戦」等、本書に取り上げられた1エピソードに焦点を合わせた一連の好著がありますが、まずは本書でマクロ的にヴェネツィアを中心とするイタリアの通史を抑えてから、個々のエピソードの本を読むとよいのではないでしょうか。聖地巡礼パック旅行やヴェネツィアの女たちといった章もあり、本書は当時の人々の生活に目を配ることも忘れていません。これだけ充実した内容でこの分量、一度読み始めるとまさに巻を置くこと能わず、読書の醍醐味を味わうことができるでしょう。

コムーネ』by Google Search

This page is provided by Matome Project.
Contact information.