アリストテレスのまとめ情報

アリストテレス』の解説

アリストテレス(アリストテレース、 - 、、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシア哲学者である。

プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。

アリストテレスは、人間本性が「する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィア()と呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学倫理学論理学といった哲学関係のほか、政治学宇宙論天体学自然学物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学詩学演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている。

名前の由来はギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から

幼少期

紀元前384年トラキア地方のスタゲイロス(後のスタゲイラ)にて出生。スタゲイロスはカルキディケ半島の小さなギリシア人植民町で、当時マケドニア王国の支配下にあった。父はニコマコスといい、マケドニア王アミュンタス3世の侍医であったという。幼少にして両親を亡くし、義兄プロクセノスを後見人として少年期を過ごす。このため、マケドニアの首都ペルラから後見人の居住地である小アジアのアタルネウスに移住したとも推測されているが、明確なことは伝わっていない。

アカデメイア期

紀元前367年、17-18歳にして、「ギリシアの学校」とペリクレスの謳ったアテナイに上り、そこでプラトン主催の学園、アカデメイアに入門した。修業時代のアリストテレスについては真偽の定かならぬさまざまな話が伝えられているが、一説には、親の遺産を食い潰した挙句、食い扶持のために軍隊に入るも挫折し、除隊後に医師(くすし)として身を立てようとしたがうまく行かず、それでプラトンの門を叩いたのだと言う者もいた。いずれにせよ、かれはそこで勉学に励み、プラトンが死去するまでの20年近い年月、学徒としてアカデメイアの門に留まることになる。アリストテレスは師プラトンから「学校の精神」と評されたとも伝えられ、時には教師として後進を指導することもあったと想像されている。紀元前347年にプラトンが亡くなると、その甥に当たるスペウシッポスが学頭に選ばれる。この時期、アリストテレスは学園を辞してアテナイを去る。アリストテレスが学園を去った理由には諸説あるが、デモステネスらの反マケドニア派が勢いづいていた当時のアテナイは、マケドニアと縁の深い在留外国人にとって困難な情況にあったことも理由のひとつと言われている。その後アカデメイアは、529年に東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世(在位 527年 - 565年)によって閉鎖されるまで続いた。

アカデメイアを去ったアリストテレスは、アカデメイア時代の学友で小アジアのアッソスの僭主であるヘルミアスの招きに応じてアッソスの街へ移住し、ここでヘルミアスの姪にあたるピュティアスと結婚した。その後紀元前345年にヘルミアスがペルシア帝国によって捕縛されると難を逃れるためにアッソスの対岸に位置するレスボス島ミュティレネに移住した。ここではアリストテレスは主に生物学の研究にいそしんでいた。

アレクサンドロス大王とリュケイオン

紀元前342年、42歳頃、マケドニア王フィリッポス2世の招聘により、当時13歳であった王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の師傅となった。アリストテレスは首都ペラから離れたところにミエザの学園を作り、弁論術文学科学医学、そして哲学を教えた。ミエザの学園にはアレクサンドロスのほかにも貴族階級の子弟が彼の学友として多く学んでおり、のちに彼らはマケドニア王国の中核を担う存在となっていった。

教え子アレクサンドロスが王に即位(紀元前336年)した翌年の紀元前335年、49歳頃、アテナイに戻り、自身の指示によりアテナイ郊外に学園「リュケイオン」を開設した(リュケイオンとは、アテナイ東部郊外の、アポロン・リュケイオスの神域たる土地を指す)。弟子たちとは学園の歩廊(ペリパトス)を逍遥(そぞろ歩き、散歩)しながら議論を交わしたため、かれの学派は逍遥学派(ペリパトス学派)と呼ばれた。このリュケイオンもまた、529年にユスティニアヌス1世によって閉鎖されるまで、アカデメイアと対抗しながら存続した。

紀元前323年アレクサンドロス大王が没すると、広大なアレクサンドロス帝国は政情不安に陥り、マケドニアの支配力は大きく減退した。これに伴ってアテナイではマケドニア人に対する迫害が起こったため、紀元前323年、61歳頃、母方の故郷であるエウボイア島カルキスに身を寄せた。しかし、そこで病に倒れ(あるいは毒人参をあおったとも)、紀元前322年、62歳で死去している。

思想

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アリストテレスの著作は元々550巻ほどあったともされるが、そのうち現存しているのは約3分の1である。ほとんどが講義のためのノート、あるいは自分用に認めた研究ノートであり、公開を想定していなかったため簡潔な文体で書かれている。この著作はリュケイオンに残されていたものの、アレクサンドリア図書館が建設され資料を収集しはじめると、その資料は小アジアに隠され、そのまま忘れ去られた。この資料はおよそ2世紀後の紀元前1世紀に再発見され、リュケイオンに戻された。この資料はペリパトス学派の11代目学頭であるロドス島アンドロニコスによって紀元前30年頃に整理・編集された。それが現在、『アリストテレス全集』と呼称されている文献である。したがって、われわれに残されている記述はアリストテレスが意図したものと異なっている可能性が高い。

キケロらの証言によれば、師プラトン同様、アリストテレスもいくつか対話篇を書いたようであるが、まとまった形で伝存しているものはない。

アリストテレスは、「論理学」があらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(オルガノン)であることを前提とした上で、学問体系を「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」、「形而上学」、実践学を「政治学」、「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。

アリストテレスの哲学には現在では多くの誤りがあるが、その誤謬の多さにもかかわらずその知的巨人さゆえに、あるいはキリスト教との結びつきにおいて宗教的権威付けが得られたため、彼の知的体系全体が中世を通じ疑われることなく崇拝の対象となった。これがのちにガリレオ・ガリレイ悲劇を生む要因ともなる。中世の知的世界はアリストテレスがあまりにも大きな権威を得たがゆえに誤れる権威主義的な知の体系化が行われた。しかし、その後これが崩壊することで近代科学の基礎確立という形で人間の歴史は大きく進歩した。アリストテレスの総体的な哲学の領域を構成していた個別の学問がその外に飛び出し、独立した学問として自律し成立することで、巨視的にはこれが中世以降の近世を経て現代に至るまで続いてきた学問の歴史となる。アリストテレスの誤りの原因は、もっぱら思弁に基づきで作り上げた理論の部分で、事実に立脚しておらずそれが原因で近代科学によって崩れたが、その後「事実を見出してゆくこと(Fact finding)」が原理となったとする立花隆の見解がある。

論理学

アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく問答法を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として三段論法などの形で体系化された。

アリストテレスの死去した後、かれの論理学の成果は『オルガノン』 (Organon) 6巻として集大成され、これを元に中世の学徒が論理学の研究を行った。

自然学(第二哲学)

アリストテレスによる自然学に関する論述は、物理学天文学気象学動物学植物学等多岐に亘る。

プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)が、アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)。さまざまな物体の特性を決定づけているのは、「温」と「冷」、「乾」と「湿」の対立する性質の組み合わせであり、これらの基礎には火・空気・水・土の四大元素が想定されている。これはエンペドクレスの4元素論を基礎としているが、より現実や感覚に根ざしたものとなっている。

アリストテレスの宇宙論は同心円状の階層構造として論じられている。世界の中心に地球があり、その外側に水星金星太陽、その他の惑星等が、それぞれ各層を構成している。これらの天体は、前述の4元素とは異なる完全元素である第5元素「アイテール」(エーテル)から構成される。そして、「アイテール」から成るがゆえに、これらの天体は天球上を永遠に円運動しているとした。さらに、最外層には「不動の動者」である世界全体の「第一動者」が存在し、すべての運動の究極の原因であるとした。(続く『形而上学』(自然学の後の書)においては、アリストテレスはこれを「神」とも呼んでいる。)

アリストテレスの自然学研究の中で最も顕著な成果を上げているのは生物学、特に動物学の研究である。生物学では、自然発生説をとっている。その研究の特徴は系統的かつ網羅的な経験事実の収集である。数百種に亘る生物を詳細に観察し、かなり多くの種の解剖にも着手している。特に、海洋に生息する生物の記述は詳細なものである。また、受精卵に穴を空け、発生の過程を詳しく観察している。

一切の生物はプシューケー(、和訳では霊魂とする)を有しており、これを以て無生物と区別されるとした。この場合のプシューケーは生物の形相であり(『ペリ・プシューケース』第2巻第1章)、栄養摂取能力、感覚能力、運動能力、思考能力によって規定される(『ペリ・プシューケース』第2巻第2章)。また、感覚と運動能力をもつ生物を動物、もたない生物を植物に二分する生物の分類法を提示している(ただし、『動物誌』第6巻第1章では、植物と動物の中間にいるような生物の存在を示唆している)。

さらに、人間理性(作用する理性〔ヌース・ポイエーティコン〕、受動理性〔ヌース・パテーティコン〕)によって現象を認識するので、他の動物とは区別される、としている。

形而上学(第一哲学)

原因について

アリストテレスは、かれの師プラトンのイデア論を継承しながらも、イデアが個物から遊離して実在するとした考えを批判し、師のイデアと区別して、エイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱した。

アリストテレスは、世界に生起する現象の原因には「質料因」と「形相因」があるとし、後者をさらに「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」の3つに分けて、都合4つの原因(アイティア aitia)があるとした(四原因説)(『形而上学』A巻『自然学』第2巻第3章等)。

事物が何でできているかが「質料因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相因」、運動や変化を引き起こす始源(アルケー・キネーセオース)は「動力因」(ト・ディア・ティ)、そして、それが目指している終局(ト・テロス)が「目的因」(ト・フー・ヘネカ)である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが、素材としての可能態(デュナミス)であり、それと、すでに生成したもので思考が具体化した現実態(エネルゲイア)とを区別した。

万物が可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「」(不動の動者)と呼ばれる。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者・神学者や、トマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「神」概念に影響を受け、彼らの宗教(キリスト教イスラム教)の神(ヤハウェアッラーフ)と同一視した。

範疇論

アリストテレスは、述語(AはBであるというときのBにあたる)の種類を、範疇として下記のように区分する。すなわち「実体」「性質」「量」「関係」「能動」「受動」「場所」「時間」「姿勢」「所有」(『カテゴリー論』第4章)。ここでいう「実体」は普遍者であって、種や類をあらわし、述語としても用いられる(第二実体)。これに対して、述語としては用いられない基体としての第一実体があり、形相と質料の両者からなる個物がこれに対応する。

倫理学

アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。

また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、恐怖と平然に関しては勇敢、快楽と苦痛に関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、名誉に関しては矜持、怒りに関しては温和、交際に関しては親愛と真実と機知である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。

また、各々にふさわしい分け前を配分する配分的正義(幾何学的比例)と、損なわれた均衡を回復するための裁判官的な矯正的正義(算術的比例)、これに加えて〈等価〉交換的正義とを区別した。

アリストテレスの倫理学は、ダンテ・アリギエーリにも大きな影響を与えた。ダンテは『帝政論』において『ニコマコス倫理学』を継承しており、『神曲』地獄篇における地獄の階層構造も、この『倫理学』の分類に拠っている。

なお、かれの著作である『ニコマコス倫理学』の「ニコマコス」とは、アリストテレスの父の名前であり、子の名前でもあるニコマスから命名された。

政治学

アリストテレスは『政治学』を著したが、政治学を倫理学の延長線上に考えた。「人間は政治的生物である」とかれは定義する。自足して、共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である。両者とは異なって、人間はあくまでも社会的存在である。国家のあり方は王制、貴族制、ポリティア、その逸脱としての僭主制、寡頭制、民主制に区分される。王制は、父と息子、貴族制は夫と妻、ポリティアは兄と弟の関係にその原型をもつと言われる(ニコマコス倫理学)。

アリストテレス自身は、ひと目で見渡せる小規模のポリスを理想としたが、アレクサンドロス大王の登場と退場の舞台となったこの時代、情勢は世界国家の形成へ向かっており、古代ギリシアの伝統的都市国家体制は過去のものとなりつつあった。

文学

アリストテレスによれば、芸術創作活動の基本的原理は模倣(ミメーシス)である。文学は言語を使用しての模倣であり、理想像の模倣が悲劇の成立には必要不可欠である。作品受容の目的は心情の浄化としてのカタルシスであり、悲劇の効果は急転(ペリペテイア)と、人物再認(アナグノーリシス)との巧拙によるという。古典的作劇術の三一致の法則は、かれの『詩学』にその根拠を求めている。

著作

アリストテレスは、紀元前4世紀に、アテナイに創建された学園「リュケイオン」での教育用のテキストと、専門家向けの論文の二種類の著作を著したとされているが、前者はいずれも散逸したため、今日伝承されているアリストテレスの著作はいずれも後者の専門家向けに著述した論文である。

現在の『アリストテレス全集』は、ロドス島出身の学者であり逍遥学派(ペリパトス派)の第11代学頭でもあったアンドロニコスが紀元前1世紀にローマで編纂した遺稿が原型となっている。ただし、プラトンの場合と同じく、この中にも(逍遙学派(ペリパトス派)の後輩達の作や、後世の創作といった)アリストテレスの手によらない偽書がいくつか混ざっている。

ルネサンス期に至り、15-16世紀頃から印刷術・印刷業が確立・発達するに伴い、アリストテレスの著作も様々な印刷工房から出版され、一般に普及するようになった。

現在は、1831年に出版された、ドイツの文献学者イマヌエル・ベッカー校訂、プロイセン王立アカデミー刊行による『アリストテレス全集』、通称「ベッカー版」が、標準的な底本となっている。これは各ページが左右二段組み(二分割)になっているギリシャ語原文の書籍である。現在でも、アリストテレス著作の訳文には、「984a1」といった数字とアルファベットが付記されることが多いが、これは「ベッカー版」のページ数・左右欄区別(左欄はa、右欄はb)・行数を表している。

なお、現在『アリストテレス全集』に含まれている作品の内、『アテナイ人の国制』だけは、1890年エジプトで発見され、大英博物館に引き取られたパピルス写本から復元されたものであり、「ベッカー版」には含まれておらず、その後に追加されたものである。

論理学

倫理学

政治学

レトリックと詩学

偽書

ほとんどはペリパトス派逍遙学派)の後輩たちの手による著作である。

後世への影響

後世「万学の祖」と称されるように、アリストテレスのもたらした知識体系は網羅的であり、当時としては完成度が高く、偉大なものであった。しかし、アリストテレスの学説の多くはローマ帝国崩壊後の混乱によって、西ヨーロッパではいったんほとんどが忘れ去られた。ただし、6世紀ボエティウスが『範疇論』と『命題論』をラテン語訳しており、これによってわずかにアリストテレスの学説が伝えられ、中世のアリストテレス研究の端緒となった。一方、西ヨーロッパで衰退したアリストテレスの学説は、東方のビザンツ帝国においてはよく維持され、529年にユスティニアヌス1世によってリュケイオンが閉鎖された後は、サーサーン朝ペルシアに移住したネストリウス派のキリスト教徒によって知識は保持され続けた。彼らはペルシア南西部のジュンディーシャープールに移住し、国王ホスロー1世の庇護のもとでこの時期にアリストテレスの著作のギリシア語からシリア語への翻訳が行われている。こうした文献は、830年アッバース朝の第7代カリフ・マームーンが、バグダードに設立した知恵の館に収集され、シリア語やギリシア語からアラビア語への翻訳が行われた。この大翻訳事業によって訳されたアリストテレスの著作はイスラム文明に巨大な影響を与え、イスラム科学の隆盛の礎を築いた。なかでも、イブン・スィーナーはアリストテレスの影響を大きく受けており、アリストテレス哲学とイスラム科学との橋渡しの役割を果たした。

こうして保持され進化したアリストテレス哲学は、1150年から1210年にかけてアラビア語からラテン語にいくつかのアリストテレスの著作が翻訳されたことにより、ヨーロッパに再導入された。アリストテレスの学説はスコラ学に大きな影響を与え、13世紀トマス・アクィナスによる神学への導入を経て、中世ヨーロッパの学者たちから支持されることになる。しかし、アリストテレスの諸説の妥当な部分だけでなく、混入した誤謬までもが無批判に支持されることになった。

例えば、現代の物理学、生物学に関る説では、デモクリトスの「原子論」「脳が知的活動の中心」説に対する、アリストテレスの「4元素論」「脳は血液を冷やす機関」説等も信奉され続けることになり、中世に至るまでこの学説に異論を唱える者は出てこなかった。

さらに、ガリレオ・ガリレイ太陽中心説(地動説)を巡って生涯アリストテレス学派と対立し、結果として裁判にまで巻き込まれることになった。当時のアリストテレス学派は、望遠鏡を「アリストテレスを侮辱する悪魔の道具」と見なし、覗くことすら拒んだとも言われる。古代ギリシアにおいて大いに科学を進歩させたアリストテレスの説が、後の時代には逆にそれを遅らせてしまったという皮肉な事態を招いたことになる。

ただ、その後の哲学におけるアリストテレスの影響も忘れてはならない。例えば、エドムント・フッサールの師であった哲学者フランツ・ブレンターノは、志向性という概念は自分が発見したものではなく、アリストテレスやスコラ哲学がすでに知っていたものであることを強調している。

エピソード

ウニ類の正形類とタコノマクラ類がもっている口器をアリストテレスの提灯と呼ぶ。アリストテレスがこの口器の構造を調べて記録していることから、その名がつけられた。

A・E・ヴァン・ヴォークトのSF作品『非Aの世界』のAはアリストテレスのことで、一般意味論から出た言葉である。

1941年からギリシャで発行されていた旧1ドラクマ紙幣に肖像が使用されていた。

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なぜ世界は存在しないのか

話題の一冊。ドイツの若手哲学者が書いたベストセラー。「新しい実在論der Neue Realismus」を標榜し、ポストモダン思想から哲学を進めようとしている。本自体はかなり平易に書かれていて、翻訳も柔らかく読みやすい。著者の見ている一連の問題系について知ることができる。存在論と認識論から始まり、宗教、科学、芸術と論は進んでいる。

世界は存在しないと主張する本書のタイトルを見て、世界は超越論的基底だからという結論だろうと思ったが、おおむねその通りだった。本書はまだ著者の基本的発想を展開したに過ぎない印象を持つ。

ここには新たな概念の創造はあまりなく、独自の哲学が展開された感じはない。カントやハイデガーといったドイツ哲学を、ポストモダン後の状況に置き直したという感じ。

新しい実在論の主張と、世界は存在しないという主張は、さほど強く関連していないように見える。新しい実在論は、「それ自体として存在しているような世界をわたしたちは認識しているのだ」(p.13)ということを出発点とする。ただし存在者は必ずパースペクティヴを伴い、様々な現れ方をする。このパースペクティヴは視覚的なものだけでなく、他の存在者との関連や、概念的なつながりといった意味論的なものだ。存在者の現象に伴うパースペクティヴを、著者は意味の場(Sinnfeld)と呼ぶ。存在するとは意味の場に現象することである(p.105, 169, 174-176)。パースペクティヴ、意味の場は、存在者を認識する認識者の主観的なものではない。山について、ある場所にいれば誰にでも同じように見えるように、ある条件での現象する仕方は客観的なものだ。パースペクティヴは存在論的な事実である(p.253, 273)。

この新しい実在論の発想は、出発点としてとても豊かなものだろう。別に著者の専売特許になるような新しい発想という感じはせず、例えば20年前くらいに野矢茂樹が論じていることに近い。ただし、新たな実在論が抱えることになるだろう問題については、きちんと展開されてはいない。例えば、原理的に認識者が存在しえず、パースペクティヴを持ちえない存在者をどう扱うのか。量子力学における重ね合わせ状態や、ブラックホールの中の粒子などを、著者は「消失対象」として存在者として認めている(p.73)。また多くの名もない超越数も与えられる方法がなく、実無限個の実数を認めることはできないだろう。これらは存在者はSinnを伴うというフレーゲの発想をダメットが検証主義として発展させようとして苦労してきた点だ。本書にダメットへの言及はないが、彼が抱えた問題はそのまま新しい実在論に降りかかってくるように思える。

ただ著者における対象の与えられ方という概念は、かなり広い。想像や思考も一つの意味の場として認めているからだ。現実に存在しない対象も、想像や思考といった意味の場において存在を認められている。否定的な存在言明は、現実として存在しないと言っているのみ。想像や思考の中には存在すると言ってよい(p.128-133)。したがって「現在のフランス国王」も真正に対象である。でも「どんな思考にも与えられることのない対象」なんてのはどうするのか。こうした対象がいかに与えられるのかについては、さほど議論はない。

世界は存在しないという主張については、自分にはかなり隙がある議論であるように見える。まず、「世界」で著者が何を意味しているのかが、ざっと読んだだけだからか不明である。最初に出てくる説明は、「世界とは、我々を離れてそれ自体で成立していることがらの総体」(p.10)というもの。キーワードは「総体」(ドイツ語はGesamtheitか?)。世界とは成立している事柄の総体、という言い方は前期ヴィトゲンシュタインを連想させる。実際、著者はヴィトゲンシュタインの『論考』の世界は事実の総体だという箇所を引用する。ただ著者によれば、世界は事実の総体だけでなく、物、そして対象領域も含むという(p.52-57)。ここでいう対象領域とは、それぞれの物が必ずどこかに含まれるものだというが、本書ではそんなに展開されていない概念。

次に見えるのは、世界とはすべての領域の領域であるという規定(p.69)。物や事実はここでは抜けている。領域の領域とは何かについては、ざっと考えただけでも集合の包含関係、所属関係、メレオロジカル・サムが思い浮かぶ。著者はどうやらメレオロジカル・サムを考えているように見える。世界の存在を主張するのは一元論と位置づけており、その批判にメレオロジカル・サムの話が見える(p.79-91)。世界とはそこに属するもののすべての性質を備えた超対象であり、そんなものは存在しえないと。たしかにメレオロジカル・サムならそうなるだろうけど、世界がなぜすべての性質を備えなければならないのだろうか。超対象など、そんな矛盾したもの存在しようがないだろう。なぜ総体にそれに属するものと同じ性質を帰属させなければなならないのか。この議論が示しているのは、世界はメレオロジカル・サムではないというだけに思われる。(またこの議論に続くデカルト二元論批判はちょっと論が浅すぎる。なぜ実体が2個であって、22個でないのかと書かれている。二元論の基本発想は、規定を満たすものと満たさないものに分割することにある。デカルトの場合ならres extensiaとres non extensia。つまり真理値による分割が基本。res cogitansがres non extensiaなのかどうかはその次の議論だ。なぜ実体が22個でないのかという著者は、22値論理でも取るつもりなのだろうか)

しかし世界に関する上記の存在論的規定は、章が変わって破棄される。代わりに、「世界とは、すべての意味の場の意味の場、それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場である」(p.109)という意味論的あるいは認識論的規定が現れる。意味の場それ自体も対象として真偽を問うことができる。よって、この意味の場もそれが現象する何らかの別の意味の場、すなわち世界をもつ(p.116)。こうして世界は超越論的基底であるから、世界そのものが意味の場として現象することはない。世界は総体だから世界自体は世界の中には現れず、世界は存在するものの総体だから世界は存在しない(p.23)。これは存在者と存在は異なるというハイデガーの存在論的差異の議論だ。

けれども世界についてはもう一つ言及がある。それは宗教を論じるくだりで突然出てくる、世界とはすべてを取りまとめて組織化している原理のことという規定(p.239)。ここではもはや総体でもなく、原理である。この原理が宗教的には神と呼ばれる。創造主とかブラフマンとか朱子学の「理」とか。ここでの、無限のものを表象し、世界全体に意味を与えようとする点では科学的世界像も宗教的世界像も変わらないという捉え方は、とても共感できる(p.211-217)。

ともあれ、世界について、本書には下記の規定がみられる。
・それ自体で成立していることがらの総体
・物、事実、対象領域の総体
・対象領域の領域(メレオロジカル・サム)
・意味の場の総体
・すべてを取りまとめて組織化している原理
著者は何について存在しないと主張しているのだろうか。また世界が存在しないというとき、どうもただ単に存在者ではないというだけではなく、何らの意味でも妥当しないと著者は言いたい感じもする。

最後の章は芸術についてで、ここでは芸術は通常と違った対象の与え方、通常の意味の場から対象を移動させるものだと言う(p.246-251, 255-256)。フレーゲばかりが言及されているが、とてもハイデガー的な論点だと感じる。『芸術作品の起源』とか。本書はハイデガーについての言及は少ないが、全体的にその影響が濃厚である。意味の場とは存在了解と発想が近いし。実は本書の議論がハイデガーの問題圏(平たく言えばハイデガーの手のひらの上を)動いていたのだ、というのはエピローグで突如明らかにされている。

「意味の場の存在論が、ハイデガーの有名な表現を借りて言えば「存在の意味」とは何かという問いにたいする、わたし自身の答えです。存在の意味、つまり「存在」という表現によって指し示されているものとは、意味それ自体にほかなりません。このことは、世界は存在しないということのうちに示されています。世界が存在しないことが、意味の炸裂を惹き起こすからです。いかなるものも、何らかの意味の場に現象するからこそ存在する。そのさい、すべてを包摂する意味の場が存在しえない以上、限りなく数多くの意味の場が存在するほかない、というわけです。それらの意味の場は、互いに連関をなして一個の全体を形づくったりはしません。もしそうなら、世界が存在することになってしまいます。」(p.292f)

5つ星のうち 5.0溢れかえる意味

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この本の内容は、大きく分けると2つに分かれています。第3章までではガブリエルの基本思想が開陳され、第4章以降からは開陳された基本思想を基にして科学や宗教などのあり方が捉え直されています。

序章は「哲学を新たに考える」です。この本の基本思想は、「世界は存在しない」と「新しい実在論」です。新しい実在論は、「形而上学」が認める人間に依存しない現実それ自体と、「構築主義」が認める人間に対して現れているかぎりの事物は両方とも存在すると考える立場です。
第1章は「これはそもそも何なのか、この世界とは?」です。

ガブリエルは、特定の種類の諸対象を包摂する領域を「対象領域」と呼びます。例えば銀河という対象領域には、星や惑星などの対象が包摂されています。ガブリエルのいう「世界」とは、「すべての領域の領域、すべての対象領域を包摂する対象領域」です。
第2章は「存在するとはどのようなことか」です。ガブリエルは、何かが現れてくる場を「意味の場」と呼んでいます。何かが何らかの意味の場に現れるとき、その何かは存在します。
第3章は「なぜ世界は存在しないのか」です。ガブリエルは、「世界とは、すべての意味の場の意味の場、それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場である」と厳密に定義し直します。世界は世界のなかに現れることができないので、存在しないとガブリエルは考えます。そのため、すべてを包摂する領域である世界は存在せず、無限に増殖していく無数の意味の場だけが存在することになります。

第4章は「自然科学の世界像」です。自然科学によって世界それ自体を認識しようとする科学主義を、ガブリエルは厳しく批判します。ガブリエルは世界それ自体は存在しないと考えているので、どんな科学的世界像も成立しないと言います。また、宇宙はただ単に自然科学によって研究できるものの総体であり、宇宙を考察しているだけでは人間的な意味を取りこぼしてしまうことが指摘されています。
第5章は「宗教の意味」です。ガブリエルはこの章で、「精神とは、意味にたいする感覚・感性にほかなりません」「精神とは、すなわち意味との出会いです」と言っています。この「精神」の定義は珍奇なものに思えますが、私たちがものごとを考えるときにものごとの意味を理解しようとしていることを念頭に入れると納得がいくと思います。宗教で本質的に問題になるのは人間の実存であり、私たちは自分とは何者なのかを常に探求し続けているということが書かれています。
第6章は「芸術の意味」です。芸術のなかには私たちが能動的に解釈しないと意味がわからない作品があり、能動的な態度によってはじめて存在を認められる意味があるということが指摘されています。芸術は対象を現象させるだけでなく、その対象が現象している意味も現象させるとガブリエルは言います。
第7章は「エンドロールーテレビジョン」です。私たちの身の回りには意味が溢れており、私たちはただ生きているだけで無数の意味に関わっているという形でこの本は幕を閉じます。

5つ星のうち 4.0実存主義の復活?

(参考になった人 3/5 人)

「一切のものは存在している。ただ世界だけが存在していない」とガブリエルは記す。さらに前へ進めて「世界が存在していないゆえに、いっさいのものが存在する」という。ここで言う「世界」とは「領域の領域」、すべてを貫く究極の概念=絶対の真理というわけだ。「存在」とは「なんらかの意味の場に現れること」である。もし絶対の真理があるなら、あらゆる存在はその真理に従うはずだ。それは神であったかもしれないし、現代では自然科学の世界観である。しかし、自然科学の観測はつねに何らかの立場に立たなければならないので、外から眺めて妥当する世界にアクセスすることはできない。


こういう議論を読むと、「実存は本質に先立つ」「人は自由であることに呪われている」という実存主義の復活のように思えてくる。著者の立場は「新実在論」ということである。「ものそれ自体(実在)は、いつでも何らかの意味の場に現象するほかない」ということらしい。実在=現象という捉え方である。「意味の場」というキーワードは便利であるが万能過ぎてあいまいだ。現象という用語は実在と区別するために生まれたように思うが、矛盾する概念を同一性で結び付けるには精緻な論証が必要だろう。もっとも私にそれが理解できるかとなると覚束ないが。

方法序説

・サノーさん一言コメント
「近代哲学の祖、デカルトの思考を知る。世界が形成される認識をもつ」
【サノーさんおすすめ度★★★★★+★】
・ウノーさん一言コメント
「全世界の哲学は、ここから近代化が始まりました。哲学好きもそうでない人も、しっておくべき一冊です」
【ウノーさんおすすめ度★★★★★】

・サノーさん、ウノーさん読書会

サノーさん(以下サ):「われ思う、ゆえにわれあり」「コキド・エルゴ・スム」は、あまりに有名で、普通に誰でもが知っている「哲学」だ。


ウノーさん(以下ウ):でも、それに至る方法を知る人は、限られてしまいますね。
サ:タイトルからして難しそうだからな。「方法」の「序説」とか言われても、さっぱり内容はわからない。
ウ:内容は、至って「あっけらかん」とした「認識論」なんですけどね。
サ:我々が、自己を認識し、他者を認識し、世界を認識する。そのプロセスについて考え、「主観」と「客観」という誰でももっている「感覚」を文字で表そうとしているだけだ。
ウ:普通に抱く「私の認識って、世間の認識とあってる?」という疑問を、細かく細かく分解しながら、考えていく過程です。
サ:デカルトがなぜ、近代哲学の祖と言われるかも、この本で理解できる。
ウ:デカルト以前は、神様や社会、法律や制度について語られることが「哲学」だといわれ、明確な定義がなかったんですね。
サ:「理性で考えれば誰もが受け入れられる地点から、哲学を出発させなければならない」この定義を明確に打ち出し、その通りに論じたから「あらたな出発点」となったわけだ。
ウ:「人間は理性を等しく備える」という前提も画期的でした。
サ:そうでなければ「真理」であるはずの「共通了解」が明確にならないからな。
ウ:この2つの宣言が、世界に衝撃を与え、その後の「哲学」というカテゴリの方向性を決めたわけです。
サ:その前提のうえで、この本では「真なるもの」へ迫るための「方法」が表明される。
ウ:スタートは「方法的懐疑」です。
サ:「あえて、一切を疑う」ということからスタートなわけだ。
ウ:でないと、「スタート地点が違ったら、結果も違う」ことになってしまうのです。
サ:だが、この挑戦は莫大な思索と検証が必要となる。
ウ:「全て」ですから、とてつもないことです。
サ:それに挑む、それに挑むだけの価値がある。そこにデカルトの真髄があると思う。
【了】

谷川多佳子氏訳の「方法序説」、たいへん読みやすくてよかったです。
年を取って読み返してみて、つくづく感じたのは、本書が「青春の哲学書」だということ。

・学校を卒業したら外に出て大いに旅をし、世界という大きな書物から学べ。
・「欲求」と「教師」の二つが、先入観からくる偏見の原因だ。 (ただし、ここで言う「教師」は旧態依然たるスコラ学の教師)
・明証的な真理以外は、徹底的に疑え。
・運命よりも自分に打ち克つように努めろ。

前半、いかにも若い人の心を捕えそうなキャッチワードがガンガン出てきて小気味よい。

それら生き方の大前提を踏まえたうえで、人生いかに生き、いかに学び、いかに成長し、いかに幸福を掴むべきかが滔々と語られてゆく。
文科系、理科系を問わず、高校生、大学生必読の書といえば、必ず名前が挙がるのも頷けます。長さも100ページそこそこと、そんなに長くないので読み通しやすいことも、いまなお人気が衰えない大きな要素かと思われます。

もちろん年を取って読んでも得るものはあります。本書はものの考え方や生き方、世の中での身の処し方の、ひとつの手本を提示しているのですから、より良く生きるための方法論としては、いくつになって読んでも大いに啓発される部分はあると思います。
私なども、たとえば、以下のような部分は、つよく胸に刺さりました。人間、いくつになっても欲望に振り回されがちですから。

「運命よりもむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるようにつねに努めること。(中略) したがって、われわれの外にあるものについては、最善を尽くしたのち成功しないものはすべて、われわれにとっては絶対に不可能ということになる。そして、わたしの手に入らないものを未来にいっさい望まず、そうして自分を満足させるにはこの格率 (=規則、原則) で十分だと思えた」(本文37~38ページ)

5つ星のうち 3.0近代哲学の嚆矢

(参考になった人 0/0 人)

方法序説は元々それほど知識が無い人にも読んでもらえるようにデカルトが書いた本で、哲学書にしては随分と読みやすい本です。
我思うゆえに我あり、ばかりが有名ですが、この本で重要な点は他にもあります。それは「問題に対してどうアプローチをするべきか」ということです。

つまり、問題をよりシンプルな形に分けたり、それらが正しいかどうかをひとつひとつしっかりと判断したり、最後にはそれらを統合したり、こういった思考の方法を書き記しています。
ただ、これらの方法は現代人にとってはあまりにも当然で目新しく映ることはないかもしれません。

他の媒体によって同じような考え方を学んでいるかと思います。
しかし、西洋文明、及び西洋哲学の発展において方法序説が大きな役割を演じたのは確かです。
そのような論理的思考の基本を自身の骨髄に染み込ませれば、人生において非常に有用になることは間違いありません。

ソクラテスの弁明・クリトン

ソクラテスは、古代ギリシャの都市国家(ポリス)において、悠々自適に一般市民や文化人と対話(ダイアレクティケー)して、「自らの無知」を相手に悟らせたが、そのソクラテスの手法に反感(ルサンチマン)を抱いた、愚かなアテナイ市民3人の「笑うべき大詭弁」によって法廷に立たされ、無知愚昧な市民の投票によって、「有罪かつ極刑」の「不当判決」を受ける。そして、判決後、ソクラテスの身を案じた老親友のクリトンによって、「政治亡命」を真剣に提案されるも、これを断って、斃れた。

要するに、上記の通りであるが、私には、ソクラテスの「悪しき法も法なり」という主張が我慢ならない。

何故なら、ソクラテスによれば、自らの父と母が出逢い、その後、自らを出産させ、養育させたのは国家であるから、「国家を父の如く扱え」と、「パターナリズム」を開陳して、「国家を転覆したら、自らの哲学的信念が瓦解する」などと称して、出獄して「国外亡命」する様、命がけで訴えた老友クリトンの言う事を聞かずに、「衆愚政国家アテナイの悪法」に従って刑死した。このロジックを、戦前の「枢軸国の悪法」に「適用」すれば、どの様な事が起こるか?日本なら、現今に至っても悪名高い「治安維持法」に盲従して、軍国主義政権に都合の悪い国民が、自ら「特別高等警察」に自首して「リンチ殺人されるがままにする(現に、小林多喜二は特高に虐殺されている!)」事を意味するし、ナチス・ドイツならば、ホロコーストの象徴的犠牲者として有名な、アンネ・フランクが、逃げも隠れもせずに、ゲシュタポに「どうぞ殺して下さい」と投降する様なものである。

上記の様な、「悪しき国家」が「打倒」される為に、連合国軍並びに、「枢軸国の意に介しない市民」が、どれだけ理不尽に殺されたのかを、キチンと「銘記」すべきである。従って、法実証主義者の様に、「悪法は法」ではあるものの、「その様なものを多数の暴政で成立・施行させた暴君は、善良な市民の手で断固排除」する事こそ、「健全な市民の義務」と言えるのではないだろうか?

口語体の本でしたので、声に出して読んでみました。
ソクラテスがアテナイ人に話しかけるように、問いかけるように。
いくつか気付いたことがあります。

・問いかける技術・説得する技術がすごい
哲学はかじってもいないので、この文章の内包するありがたい内容はわからないのですが、
ソクラテスの問いかけ方など秀逸だなぁ~と思いました。
あるいはこのような討論技術がこの時代に確立していたことに驚きです。
やはり古きに学べはあてはまりますよね。



・善きことをした結果
ソクラテスがすごいというのは以前から耳にしていたのですが、どうすごいか知りませんでした。
この本を読んでもそのすごさは判らなかったのですが、正しさを追求していくことのすごさ?は
感じました。でも、知らないことを知っているが故に賢い、という理屈は分からなくはないのですが
それって、社会が発展していく上でどう必要なの?と思いました。

まぁでも、身近にこんなに正しさを追及する人がいたらすごい嫌になるのはわからなくはない。
後、ソクラテスが話した政治家や芸術家との論争を全部記録して欲しかったなと思います。

『ソクラテスの弁明』は、ソクラテス自身の語りで淡々と進んでいくが、
内容はとてもドラマチックだ。
最終的にソクラテスの死刑へと向かっていく進行で、読後にズシリとくる。
ズシリ、と感じるのは哲学の崇高さを考えさせられる瞬間だからです。

この本で胸が熱くなる場面は、ソフィストたちに訴えられたソクラテスが
「私は諸君に従うよりも、神々に従う。そして、知恵の愛求をつづけ、
諸君に忠告したり、自分の蓄財や名聞や栄誉のことばかりにかまけて、
真理や自分の霊魂を良くしようと努力しないなら、それを恥辱と思わないか、
と言い続けるだろう」という部分です。



また、ソクラテスが語った「私には一種の神的で超自然的ダイモニオンな
しるし(声)が現れてくることがある」という言葉はとても興味を惹かれます。

ソクラテスが命を賭して、理想を追究しようと貫いた生き様は感動します。
私がこの本で一番好きなソクラテスの言葉は、「人間の最大幸福は、日毎に
徳について語ることであり、魂の研究なき生活は、人間にとり生き甲斐のなき
ものである」というものです。名言と思います。

アリストテレス』の解説 by はてなキーワード

アリストテレス

ARISTOTELES

古代ギリシア哲学者

形而上学』『自然学』『カテゴリー論』『分析論前書』『分析論後書』などなど。全学の祖、諸学の父とも呼ばれる。形式論理学を完成させた。しかし、それが絶対に正しいという保証はどこにもない。

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